ハッピーエンドの傍らに   作:鮎貝式部書生

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12.5

 

 

 

 夜の闇を優しく溶かすように、無数の灯籠が灯されている。表面に切り抜かれた繊細な模様から、橙色の光が零れ落ちていた。

 

 そんなやわらかな光を背に受けて、私はバルコニーに立つ。眼下には大都会の夜景を思わせるツクヨミの全景が広がっている。

 

 私の部屋はツクヨミでも指折りの高層区画にある。理由は単純だ。この高い場所から眺める景色が好きだからである。

 ……いや、もっと正確に言ったら、そんなに単純なことではないのかも知れないけど。

 

 欄干に手を預けてそっと瞳を閉じれば、彩葉とあのタワーマンションで暮らした頃の思い出が瞼の裏側に浮かぶ。きっと、端から見れば何でもなくて。でも、私からしたらとびきり大切な思い出だ。

 

 彩葉がいないとつまらない、ただそれだけの理由で部屋を飛び出して、背中を追いかけて、飛び付いて。ちょっと面倒くさそうなそぶりをする彩葉と一緒に買い物をした。

 

 じゃれ合いながら作った料理を二人並んで食べた。時々、はしゃいだ私の左手が彩葉の右手にぶつかっちゃったりなんかして。

 

 夜にはお風呂に一緒に入ろうとねだったり、勝手に彩葉の布団に潜り込んだり。なんだかんだ言いつつも、彩葉はそれを受け入れてくれて。灯りを落とした部屋で、彩葉の静かな呼吸と体温をすぐ側に感じながら眠った。

 

 そっと彩葉より先に起きて、朝ごはんを用意したこともあったっけ。その後はまだ眠っている彩葉を起こしにいって、まずは寝顔をじっと見るんだ。いつもの強くて凛とした綺麗な顔とは違って、ほんの少しだけあどけなさを感じる寝顔を。

 そしたら見つめているうちに彩葉が目を覚まして、

「……何してんの」

 なんて呆れられるんだ。

 

 明日も、来週も、来月も、来年も、こんな毎日が続いたら。いや、もっともっと幸せな日々にするんだー! なんて思いながら、くだらない会話で笑いあって──。

 

 

 風が髪をなびかせる。私は閉じていた瞳をゆっくりと開いた。

 眼下にはツクヨミの夜景が広がっている。 今日もそのどこかに彩葉がいて、かぐやと共に過ごしているのだ。

 

 彩葉は私をヤチヨとして推してくれる。かぐやには向けてくれなかった、瞳や頰が緩みきった情性マシマシの表情を向けられて嬉しくないといえば嘘になる。

 

 でも、それはそれとして。

 本当はあの頃みたいに、適当にあしらわれて、呆れたようなため息混じりの目で見下ろされたいのも、また事実で。

 「もう、面倒くさい」みたいな、素の反応がなんだか恋しくて仕方ない。

 

 ……いつか彩葉が私の正体に気づいたら、そのときはまた気楽に接してくれるだろうか。そう考える一方で、彩葉に拒絶されたらと思うと、とても耐えられない私がいる。

 真の意味では誰とも触れ合えない、そんな切なさも寂しさも、たくさんの人達との別れにだって八千年間耐えてきたというのに。

 それなのに彩葉のことになると、私は驚くほど弱くて、臆病になる。

 過ごした時間は私を弱く脆くしたようだ。

 

 小さな村の長、都で暮らす公家。商人、農民、武士。天下人から名前すら残らなかった人まで、数え切れないほどの人を見た。

 私に恋をした人だって、一人や二人じゃない。

 

 村落同士の小競り合いから戦まで、数多の動乱を見た。その度に変わり行く世界を見た。

 たくさんのものが生まれて、そして消えていった。

 

 その間、本当に欲しいものはずっと変わらないままで。むしろ感情だけが純化して、それはいつしか幼い願いのようになっていった。

 

 もし、誇りも矜持もなく、ただ一度だけの我儘を言うことがヤチヨに赦されるのなら。

 ──ぎゅっと抱き締めてほしい。なんて言ったら、彩葉は抱き締めてくれるかな。

 

 そんな八千年分の渇きを胸の底に沈めて、私は小さく息を吐いた。

 

 

 

 

 私たちが歌って踊るコラボライブはもう目前まで迫っている。懐かしいような気もする選曲だし、想いが滲みすぎな気もするけど、決めた(決まった)曲は変えられない。

 

 もっともっと、彩葉と一緒に歌いたかった。かつて願った瞬間が、夢見たそれとは違う形だとしてもすぐそこに迫っている。

 

 ねえ、彩葉。あの頃つまらないなんて言った彩葉がいない時間を、八千年も越えてここまで来たよ。

 やっと、もう一度一緒に歌えるんだよ。

 

 それだけで、奇跡みたいな話なのだ。

 だから、それだけで十分。報われるのだとヤチヨは思おう。

 

 そして。

 こんな私に愛を向けてくれるユーザーのみんなに、心から楽しいと思ってもらえるライブにしよう。 そうすればきっと、それはかぐやにとっても最高の時間になる。

 

 ハチャメチャなかぐや姫と彩葉の物語を見届けるまでは、ヤチヨとしてしゃんと立っていなければ。

 

 胸の奥で渦巻く不安は確かにある。

 だけど。 まだ何も失われてなんかいない。

 彩葉がいて、かぐやがいて。 私もいる。

 八千年も生きていれば、どんな時間にも終わりがあることくらい知っている。

 けれど、終わりを知っていることと、瞬間瞬間のきらめきを楽しむことは別だ。

 

 一緒に歌う日を指折り数えて待つくらいには、幸せな時間の真ん中に立っている。

 

 灯りに満ちたツクヨミの夜景を見下ろす。

 ……うん。

 こんなこと考えていたって仕方ないよね。どぷどぷと揺れる海のような気持ちにキリをつけて顔を上げる。

 

 とはいえ。

 胸の奥に残る重たさまでは完全に消えてくれなかった。

 決意と孤独は案外別物らしい。

 

「もう、大丈夫なのか?」

 

 私がじめじめしている間、ずっと黙して側にいてくれたFUSHIが、小さな鏡のようなまあるい射干玉(ぬばたま)の瞳を潤わせていた。大丈夫かと聞かれても困る。だって、大丈夫じゃない理由も、大丈夫な理由も、自分で分かっているから。

 

「……ヤチヨは大丈夫って言うんだろう。ひとりでいるからいけないんだ。寂しいなら誰かと話でもしてこい」

 

「むぅ」

 

 頬を膨らませながら考える。

 話し相手、と言われても。思い浮かぶ相手なんてそう多くない。

 

 私は視線を夜景へ向けた。

 

 彩葉はだめだ。 今の私はヤチヨで、彩葉が見ているのもヤチヨだから。それに、今会ったらたぶん余計なことまで考えてしまう。

 

 かぐやはもっとだめ。 今この瞬間も、きっと彩葉の隣にいる。その時間を大切にしてほしいし、そもそもこのタイミングでヤチヨと長話をした覚えは(かぐや)にはない。

 

 今まで関わってきたライバー、も当然だめだ。私の個人的な雑談の相手をしてもらう訳にはいかない。

 

 

 別に優しい言葉が欲しいわけじゃない。慰めてもほしくない。頑張ったね、なんて言われたらたぶん逃げる。

 ただ少しだけ、誰かと時間を共有して、誰かの声を聞いていたい。それだけだ。

 となると──。

 

 口を開けばだいたい可愛げがない。こっちが渾身のボケを放っても反応は薄い。

 そのくせ妙に察しがよくて、人のことはよく見ている。落ち込んでいる時に無理に励ましたりしないし、話したくないことは聞かない。隠しておきたい痛みを暴かない。知りたいと思えば踏み込める場所にいて、踏み込まない。聞けるのに聞かない。

 ただそこにいて、適当な相槌を打ちながら話を聞いてくれる。私みたいな面倒くさい相手に付き合ってくれるくらいにはお人好し。

 そして何より。ヤチヨとしての私も、ヤチヨじゃない私も知っている人。

 

 自然と一人の顔が思い浮かんで、なんだか負けたような気分になる。

 

 でも、きっと彼なら適当に呆れながら馬鹿話にも付き合ってくれる。そんな雑さ加減がちょうどいい。

 夜風がバルコニーを通り抜ける。遠くで色とりどりの光の粒が魚の姿を成して泳いでいくのが見えた。

 誰かに会いに行こうと思えた時点で、案外もう大丈夫なのかもしれない。私は欄干から身を離すと、ほんの少しだけ軽くなった足取りで自室へ戻る。

 

 月見ヤチヨ、雑談のためだけに人のスマホへ突撃! 

 うーん。文字にしてみると、だいぶ迷惑かも知れない。

 

「ヤッチョも大概だにゃ~」

 

 自分で自分に呆れながら、私は笑った。

 

 

 




 

 コメントや評価、いつもありがとうございます。コミュニケーションが苦手なので、コメントに返すことなど今までできておりませんが、ありがたく読ませていただいております。


 余談。
 本作を書くにあたり、本編を見返して小説版を読み返すだけでなく、超かぐや姫オリジナルの曲はもちろん、ボカロ曲のカバーも歌詞を咀嚼しながら繰り返し聴いています。何度聴いても夢を見る島はしんどい。

 
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