窓の外には、昨日と同じように湿った夏の光が広がっていた。
敦嗣は防音室の椅子に腰を下ろし、パソコンの画面をぼんやりと眺めていた。
昨夜の出来事が、思いのほか尾を引いている。
ただの新人ライバー、そう片付けるには印象が強すぎた。
歌声。笑い方。あの、その場の空気を軽やかに変えてしまうような在り方も。
マウスを動かし、動画サイトの画面をスクロールする。
普段なら、自分の名前も並んでいるおすすめ欄など気にも留めない。
しかし今日は、無意識に探していた。
何を、と問われれば、答えは曖昧なままだ。
ふと、視界の端に引っかかったタイトルで指が止まる。
《流行ってるやつ! 踊ってみた!》
『かぐや・いろP』の動画だった。
(……これ)
クリックする。
まばたきよりも短いはずの読み込みの一瞬が、妙に長く感じられた。
映し出されたのは、どこか見覚えのある少女だった。
金の柔らかく揺れるロングヘア。ツクヨミで見たあのうさぎの耳はないけれど、それ以外は、ほとんど同じだった。
いや。
同じというより──
(……こっちが、本来の姿か)
ワンピースのような衣装をまとい、少女は軽やかに笑っている。カメラに向けられた明るい笑顔は、あの広場で見たものと何ひとつ変わらない。
音楽が流れ出す。
少女──かぐやがくるりと回ってふわりと髪が広がる。
次の瞬間には、もうリズムの中に溶け込んでいた。
ステップひとつひとつが軽やかで、身体の動きに迷いがない。
技巧としての完成度も確かにあるのだろう。
けれどそれ以上に、踊っている本人の楽しさがそのまま動きになっている。
笑う。
跳ねる。
回る。
そのすべてが、あまりにも無邪気で、底抜けに楽しそうだった。
不意に、記憶の奥から遠い遠い昔の思い出が浮かび上がった。
庭に引き込んだ川の水音。自身が奏でる琵琶の響き。
そして、彩葉と過ごした日々を、明るく、しかしどこか遠くを見つめるように話していた、かぐやを名乗る白いウミウシの姿の友。
画面の中で、少女がくるりと振り返り、満面の笑みを浮かべる。
その瞬間、
(──かぐや。そうか、この子が...…)
敦嗣の指先が、わずかに震えた。
動画も終盤、少女は息を弾ませながらカメラに向かって手を振っている。
「見てくれてありがとー! またねっ!」
画面が暗転した後も、敦嗣はじっと見つめていた。
かつてウミウシの姿をした友が、楽しかった記憶として語っていた出来事は、もう始まっていた。
この無邪気に笑える時間が、八千年という長い時を生きる彼女自身の支えになったことを、敦嗣は知っている。
昨夜、天真爛漫に歌っていた
画面の中で踊って笑う
ウミウシの姿で語っていた友は、もっと静かに遠くを見ていた。
楽しげに語ってはいたが、その奥底には
今、画面の中で踊る
ただ、今を生きている。
ただ、目の前の楽しさを、全身で受け止めている。
(……当然だ)
月へ帰ることも、もう一度彩葉の元へ向かおうとして──失敗する未来も。
その結果、八千年というあまりにも気の遠くなるような、永遠にも等しい時間を、あの姿で過ごすことも。
何ひとつ知るよしもないのだ。
何も知らずに、笑っていて欲しい。
この無邪気さは、きっとこの瞬間にしか持てないものなのだ。
解っているはずだからこそ、胸が痛んだ。
敦嗣は、椅子の背に深くもたれかかった。
顔を画面に向けたまま、ゆっくりと目を閉じる。
また逢いたい。
あのとき、確かに友はそう言っていた。
それでなお、ヤチヨが彩葉に自身の境遇を明かしていないのは、おそらくタイムパラドックスを気にしているからなのだろう。
(俺は……どうするべきなんだ)
関わるべきか。
関わらないべきか。
それとも、何もしないのが正しいのか。
かつて聞いた話の中に、
少なくとも、
ウミウシ姿の友として語らった時の
今を生きるかぐやとしての記憶しかなかった。
であれば、かぐやがいない所でヤチヨと
敦嗣は、ゆっくりと目を開いた。
(……近くで見届けたい)
かぐやの物語への深い介入はしない。
それでも、ヤチヨの傍にはいたい。
それを知る資格くらいは、あるはずだ。かつての友として、その願いの一端を知る者として。
そう思ったときには、もう決まっていた。
(ヤチヨは
机の上に置かれたスマコンに、視線が落ちる。
指先で、軽く触れた。
(……深く介入はしない、とはいえ)
わずかに、口元が緩んだ。
(ただの一ファンとして、
過去を知る敦忠ではなく、今を生きる敦嗣として。
それだけは、素直にそう思った。
ウミウシ姿の時のかぐやをなんと表記するべきか悩む。
当時はかぐやを名乗っているわけだから、作中現代に至るまでの過去を舞台にするならかぐやで良いけれど。
作中現代の出来事を書いているため、かぐや表記にしたら彩葉といるかぐやと被ってしまうし……
と、悩んだ結果、ウミウシ姿の友、という表記に落ち着きました。