ハッピーエンドの傍らに   作:鮎貝式部書生

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 ミラーボールの月明かりの下、ツクヨミの街並みは相変わらず鮮やかに煌めいていた。

 ネオンの色が輪郭を持って空をゆるやかに漂い、人の笑い声や足音がそこかしこに散っている。

賑わいがないはずがない。

 

 けれど、どこか静かに感じるのは、一歩引いた位置からそれらを眺めているからだろうか。

 人の流れの中を歩きながら、視線だけをゆるやかに巡らせる。

 街が散らした光が頰を掠めて足元を照らすたび、自分の影が長く伸びては縮む。

 笑い声や足音が重なり合う中、どこか遠くから流れてくる別の音楽が、耳の端をかすめた。

 

(……さて)

 

 目的はヤチヨだ。

 今のところは、探すというほど焦ってもいない。

 ただ、“いればいい”くらいの感覚でいた。

 そのときだった。

 

「……今日は静かだね~」

 

 ふわりと、風が触れたような気配が背後に生まれる。

振り返るより先に、涼やかで聞き慣れた声が鼓膜を優しく震わせた。

 

「どうも」

 

 肩をすくめて応じ、隣に並ぶ気配にそっと目を向ける。

 ヤチヨは光の粒子をまとったように白く長い髪をゆるやかに揺らして、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「歌わないの?」

 

「そのつもりで来たわけじゃないからな」

 

「へえ、珍しい」

 

 くすっと笑う。

 からかうようでいて、どこか探るようでもある声音。

 

「たまには、こういうのも悪くないだろ」

 

「こういうのって?」

 

「……散歩的な」

 

 言いながら、自分でも曖昧だと思った。

 ヤチヨは少しだけ目を細める。

 

「ふーん。4ttsuがねえ」

 

「そんなに意外か?」

 

「うん、だいぶ」

 

 即答だった。

 思わず小さく笑う。

 

「どんなイメージなんだ? 俺って」

 

「ん~、賑やかで楽しいゲリラライバー?」

 

 軽やかなやり取りが続く。

 交わす言葉は軽く、笑い声も自然に零れる。

 

 しかし敦嗣は、会話の合間の息遣いや、ヤチヨのわずかな視線の動きにも敏感になっていた。

 距離はまだ近くはない。

 それでも、昨日までとは確かに違う何かが、そこに生まれつつあった。

 

(……ここからだな)

 

 敦嗣は歩き出した。ヤチヨも自然に隣を歩く。

 二人の影が、街の灯りに長く伸びて重なり合う瞬間があった。

 並んでいるのに、互いの体温は感じられない。

 それが、敦嗣の胸に小さな波を立てた。

 

「いつも、こうやって見回りしてるのか?」

 

「まぁ~、見回りっていうか、見てるだけかもだけど。人の動きとか、空気とか。みんな楽しんでくれてるかな~、困ってないかな~って」

 

 さらりとした返答。

 だが、その裏にあるものは軽くない。

 この空間そのものを、彼女は把握している。

 それがどれほどのことか、敦嗣にはわかるとは言えない。

 

 少しだけ間が空く。

 雑踏の音が、その隙間を埋めた。

 敦嗣は、ふと空を見上げる。

 光の魚がゆるやかに群れをなして泳いでいる。

 あの中で、彼女は歌っていた。

 

(……あのとき)

 

 零れそうになった言葉を飲み込んで、少し違う角度から切り出す。

 

「ヤチヨってさ」

 

「ん、なんだい?」

 

「歌うの、好きなんだな」

 

 何気ない問いかけを装った敦嗣の声には、わずかに探るような響きが混じっていた。

 ヤチヨはそんな言葉の底にあるものも拾い上げたようで、ほんの一瞬だけ、その瞳の奥を揺らす。

 

「──当っ然っ! 電子の海の歌姫、それがヤチヨですから~」

 

 答えはすぐだった。

 迷いはない。

 それでいて、どこか遠くを見るような響きがある。

 

「でもでも、どうして急にそんなこと聞いたの?」

 

「いや、……なんとなく」

 

 肩をすくめる。

 本当は、知っているからだ。

 歌がどこまで届いたのか。

 想いだけで時間を越えてきたことを。

 それでも、今はそれを言葉にすることはできなかった。

 

「なんとなく、かあ」

 

 ヤチヨは小さく繰り返して、ふっと笑った。

 

「4ttsuってさ、たまにそういうとこあるよね」

 

「どういうとこ?」

 

「誤魔化すみたいに理由がふわっとしてるとこ」

 

 図星だった。

 思わず苦笑が漏れる。

 

「悪いか?」

 

「ううん。……でもさ」

 

 少しだけ、声のトーンが落ちる。

 

「そういうの、解る気がする」

 

 その一言で、ほんの少し空気が変わったように思った。

 敦嗣は横目でヤチヨを見やる。

 彼女は前を向いたまま、穏やかに歩いている。

 凪いだ海のように穏やかな瞳、ほんの少しの笑みをたたえた口もと。ヤチヨはいつも通りの表情をしている。

 ただ、解る気がすると言ったヤチヨの指先が、ほんのわずかに握るように動き、隣を歩くリズムが微かに変わったのを、敦嗣は感じていた。

 

 

「なあ」

 

「ん?」 

 

「今度さ」

 

 言いかけて、ほんの一瞬だけ言葉を選ぶ。

 踏み込みすぎないように。

 けれど、引きすぎないように。

 

「ちゃんとした場所で、やってみようか、と」

 

「ライブ?」

 

「そう。ゲリラじゃなくて」

 

 ヤチヨが、ぴたりと足を止めた。

 視線がこちらに向く。

 わずかに驚いたような、それでいて興味を含んだ目。

 

「……珍しいこと言うね」

 

「そうか?」

 

「うん。もっと自由にやるタイプかと思ってた」

 

「自由だからこそ、だよ」

 

 自然に出た言葉だった。

 

「場所決めて、たまにはちゃんとやってみようかと」

 

 少しだけ間を置く。

 そして、続けた。

 

「……だから、その時は貴女にも見てほしい。観客として」

 

 言ってから、自分でも少しだけ踏み込んだな、と思った。

 だが、引かなかった。

 ヤチヨは、しばらく何も言わなかった。

 ほんの短い沈黙。

 けれど、その中で何かを測っている気配がある。

 やがて、ふっと息を吐いて笑った。

 

「いいよ」

 

 あっさりとした返事の後、ヤチヨはほんの少しだけこちらに顔を向けた。

 

「……楽しみにしてる」

 

 その言葉も表情も、思ったよりも柔らかくて。

 思ったよりも、深く残った。

 

 敦嗣は小さく息を吐いた。

 胸の奥で、何かが静かに動く。

 

(……一歩)

 

 大したことではない、たったこれだけの会話。それでも確かに、彼女に一歩近づけた気がした。

 

 

 名前も知らない光の魚が、頭上をゆるやかに泳いでいく。

 ミラーボールの月光の下で、ほんの少しだけ距離を縮めた二人が、再び歩き出した。

 並ぶ足音が、街の喧騒に溶け込みながらも、互いに微かに響き合っているような気がした。

 

 

 

 

 

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