ハッピーエンドの傍らに   作:鮎貝式部書生

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8.5

 

 

 

 ライブ会場の上層部、観客席から少し離れた位置に設けられたバルコニーで、私はひとり頬杖をつきながらステージを見下ろしていた。

 一般ユーザーからは、その存在すら認識できない完全なプライベート空間。管理者権限を用いた不可視のエリアだ。

 

 眼下では、KASSENのステージデータを流用した篝火が、ドット状の火の粉を絶えず宙へ散らしていた。現実の炎とは違う、あまりにもはっきりとした輪郭。既存デザインをライブステージの演出に使いたいという4ttsuに使用許可を出したのは私だが、それでも、暗い場内に揺らめくその橙色の光は妙に情緒があって、私は少しだけ目を細めた。

 

 ステージ中央に立つ4ttsuに向けられた歓声は、ゲリラライブの時とは比較にならないほど大きい。客席を埋める期待と興奮は、もはや空気そのものに熱を持たせているみたいだった。

 

 それなのに、彼は妙に落ち着いて見えた。

 いや、正確には違う。

 落ち着いているように振る舞っているのだろう。

 ギターを持つ手。視線の動かし方。どれも自然で堂々としているのに、ほんの僅かだけ硬いような気がする。

 緊張しているのだ。

 ちゃんと。

 それが、少し意外だった。いつもの彼なら、もっと風任せに笑って、勢いのまま飛び込んでいくタイプだと思っていたから。

 でも今日は違う。

 彼は今日、このライブをちゃんとファンに届けようとしているのだ。

 その事実が、ステージ上の立ち姿だけで伝わってきた。

 

 観客たちの歓声を受けながら、4ttsuは軽口混じりにMCを回していく。けれど、その合間合間に見える視線には、どこか真剣な色が宿っていた。

 届けたい。

 ちゃんと伝えたい。

 そんな感情が、歌の端々から滲んでいる。

 私は頬杖をついたまま、静かに息を吐いた。

 

「……頑張ってるじゃん、4ttsu」

 

 自然と名前が口をつく。

 ライブ会場全体に満ちるキラキラとした人々の思いを感じて、胸の奥が少し温かくなった気がする。

 歌が進むにつれ、会場の空気は完全に彼の色へ染まっていった。

 サビに入ると、客席のあちこちでサイリウムの光が一斉に立ち上がる。青、白、紫。無数の光が波のように揺れ、電子空間の暗がりの中で銀河みたいな流れを作っていた。

 

 私はその光景を見ながら、ふと遠い昔、いや、今現在そして近い未来の光景を思い出していた。

 彩葉の隣で歌って踊ったこと。いまも足元を照らし続けてくれる楽しい時間の一つ一つ。

 あの時はステージ上にいた私だけど、観客の中にいたらきっとこんな光景だったのかな、なんて想像する。

 

 

 曲が終わる。  

 最後のコードが篝火の揺らぎへ溶けていき、その直後、堰を切ったみたいな歓声が会場を揺らした。

 

 前列では、息を切らした観客たちが顔を見合わせながら笑っている。後方では、サイリウムを振り回しながら子どもみたいにはしゃいでいる人影が見えた。  

 肩書きも年齢も、現実で抱えているものも、この瞬間だけは全部忘れてしまったみたいな顔だった。

 うんうん、ヤッチョもみんなにこんな顔をして欲しくてライブやってるみたいなとこある。

 

 4ttsuが客席を見渡しながら、ふっと小さく笑った。

 あ、歌うより先に何かを伝えたくなったんだろうな。

 その表情を見た瞬間、なんとなくそう思った。

 

 音楽に救われた顔。一瞬だけでも、現実を脱ぎ捨てられた人たちの顔。それを見たから、歌うだけじゃあ足りなくなったんだろう。

 

「人生、大変な時も、悲しい時もあるだろ? そんな時に、笑いながら誤魔化して過ごすのが大人になるって事なんだと思う。──だとしても、感情剥き出しで無邪気な子ども心を、完全に喪うなんて事はないはずだ。……短い時間だけど、俺といる時は賢しらな大人の仮面なんか外して、この時間を楽しんでくれ! もっと声だせるよなぁ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 ──大人になる。

 ──仮面を被る。

 

 笑いながら誤魔化すことも。

 本音を隠すことも。

 そんなペルソナ、私はとっくに覚えてしまっている。

 昔みたいに、無邪気に笑っていられた頃の自分(キラキラのかぐや姫)は、もうどこにもいない気がした。

 

 観客たちは歓声を上げている。

 救われたみたいな顔で笑っている。

 その光景を見下ろしながら、私は静かに目を伏せた。

 すると、その時だった。

 4ttsuが、ふっと空気を変える。

 

「──で、ここからは」

 

 その一言だけで、観客たちの熱が期待へ変わったのがわかった。

 彼はギターのストラップへ手をかける。

 そして、少し悪戯っぽく笑った。

 

 

「ちょっとだけ、趣味の時間だ」

 

 次の瞬間。

 ギターの輪郭が、ノイズじみたエフェクトとともに光にほどけ始めた。

 青白い粒子が弦を崩し、ボディを融かし、まるでデータそのものを書き換えるみたいに形状を変えていく。

 観客席からどよめきが広がった。

 でも。

 私は、それどころじゃなかった。

 変形していくシルエットを見た瞬間、心臓が強く脈打つように意識を揺さぶられたからだ。

 

「……え」

 

 視線が逸らせない。

 平たくもふくよかな胴。

 深みを帯びた曲線。

 大きな撥。

 そして、胴に浮かぶ半月。

 私は無意識のうちに立ち上がっていた。

 

「……琵琶」

 

 その単語を口にした瞬間、遠い昔の記憶が一気に押し寄せてきた。

 

 月光に照らされた庭。さやさやと流れる水の音。

 そして。

 ひとりの男。

 私は指先を強く握りしめる。

 そんなはずない。

 そんなはずないのに。

 4ttsuが撥を握る仕草は、あまりにも自然だった。

 

 構え方。

 呼吸。

 重心。

 全部、見覚えがある。

 私は動けなかった。

 ただ、ステージを見つめることしかできない。

 

 やがて。

 びぃん──……

 

 低く、乾いた一音が会場へ響き渡った。

 その瞬間、世界が止まったような気がした。

 空気が震える。

 電子音じゃない。

 もっと古い。もっと深い場所から響いてくる音だった。

 胸骨の奥を直接鳴らされるような感覚。波が身体の内側へ押し寄せてくるみたいな低音。

 私は無意識に口元を押さえていた。

 

「……あ」

 

 思い出す。思い出してしまう。

 あの頃、ウミウシの姿だった私へ向かって、歌を詠み静かに琵琶を弾いていた彼。

 

 寂しさも。

 孤独も。

 恋も。

 全部、歌にしてしまう人だった。

 全部、琵琶の音に乗せてしまう人だった。

 

 撥が振り下ろされる。

 荒い。鋭い。けれど、その音は不思議なほど美しかった。

 この千年来で退屈なほどに間延びしてしまった雅楽とは違う。

 電子ドラッグみたいな現代音楽とも違う。

 

 古い音を壊しながら、その芯だけは決して壊していない。まるで、平安時代の残響が現代の電子音楽へ殴り込みをかけているみたいだった。

 

 最初は戸惑っていた観客たちの反応も変化していく。

 理解より先に本能が反応するように、知らない音への興奮に目を輝かせている。

 

「……そりゃ、そうなるよねえ」

 

 だってあんな音、今までみんな聴いたことがないんだから。

 古いのに新しい。異物なのに、妙に身体へ馴染む。

 そんな旋律に観客たちは熱狂していた。

 

 でも、私だけは違った。

 忘れていた夢を思い出すみたいな音だった。

 これはサプライズなんかじゃない。

 これは。

 再会だ。

 だいたい千年越しの。

 電子の海の片隅で起きた、ありえない再会だ。

 

 彼が奏でる音のひとつひとつが、私の胸の奥に溜め込んだ長い時間を、静かに、しかし容赦なく掻き乱していく。胸の奥が、じっとりと熱を帯びていくようだった。

 

「……敦忠」

 

 気づけば、その名前が口から零れていた。

 4ttsuじゃない。

 もっと古い名前。

 月明かりに照らされる几帳の下に馴染んだ名前。

 

 泣きそうになる。

 けれど泣けない。

 ヤチヨは泣かない。

 明るい面しか地球に向けないお月様みたいに、八千年を抱えたまま笑う役割だから。

 それでも。

 胸の奥では、ずっと止まっていた何かが静かに動き出していた。

 

 

 彼はステージの上で、心底楽しそうに笑っている。よくよく見れば、その顔には彼の面影が感じられて。

 

 千年前、病に倒れて短い寿命を終える彼を、ウミウシの姿でただ見つめていることしかできなかった私にとって、これはあまりにも遠く、切なくて、尊い光景だった。

 

 彼が最後の一音を叩き切る。

 歓声が爆発する。

 観客たちが熱狂する。

 その音が遠く聞こえるほど、私は呆然としていた。

 

 そして彼は、少し息を切らしながら笑う。

 

「……やり切った顔してる」

 

 ほんの少し誇らしげな、子どもみたいな顔。

 たぶん今、4ttsuは観客より先に自分自身が一番楽しくなっている。

 

 その顔を見ていると、抑えきれない喜びと、抑えきれない切なさと、抑えきれない懐かしさが、溶け出すように胸の奥で激しく絡み合い、溢れそうになる。

 

「……みんなには初披露だな」

 

 そりゃそうでしょ。キミがそんなの隠し持ってたなんて、みんな知ってるわけないじゃん。

 

 みんなには、初披露。

 でも、私は知っていたんだ。

 ずっと昔から。

 キミの音を。

 キミの癖を。

 あの寂しさすら抱えこむ旋律を。

 

 やがて、琵琶の輪郭が再び光へほどけていく。

 ネオンの粒子が宙へ散り、最後に残った光の粒が、ギターの弦へ戻る。古い音の残響だけが微かに空間へ残った。

 夢が醒めるみたいだった。

 

 ああ。

 終わっちゃった。

 もっと聞いていたかったのに。

 でも、きっと今回が最後ではないのだと思うことにした。

 

 4ttsuがギターを軽く鳴らす。

 まっすぐなイントロにあわせて、客席のサイリウムが夜の海にたゆたう夜光虫のように揺れる。

 私はその光景を見下ろしながら、そっと目を細めた。

 

 

 

 

 






 余談。

 rayMVでの十年後のかぐやの髪飾りが太陽モチーフだったり、鳥居の扁額が“天照須”になっていたり、月からきた存在でありながら、かぐやには太陽的な要素が多分に含まれていると思っています。
月の光は太陽の光ですし。

 原作、タケノコがあるマンションの一室に彩葉が行って以降は、身も心も閉じ籠ったヤチヨをその先へと連れ出す、いわば岩戸開き的なイメージを抱いています。岩戸開きには、“新しい世のはじまり”という意味もありますし、あながち間違えたイメージではないのでは……?

 岩戸に閉じ籠った天照大神の手をひいて外界へ連れ出した天手力男神のように、かぐや/ヤチヨを外に連れ出すことは彩葉にしかできません。
 なので、本作において主人公には、記紀神話で岩戸に閉じ籠ってしまった天照大神=太陽を世界に呼び戻すにあたり下準備をした神々のような役割をしてもらおうかな、と思っていました。

 また、ヤチヨについては、その姿もその支配領域であるツクヨミも海的イメージが強いことなどから、豊玉毘売(乙姫)のような印象があります。
 記紀神話において、豊玉毘売は夫である火遠理命に正体を知られてしまい、別離することになります。
 まあ、美少女に化けたキツネが意中の姫のお側に仕える玉水物語もそうですが、別離エンドというのは異類婚姻譚の典型的な展開ですよね。

 “物語の出で来はじめの祖”である竹取物語の結末を「バッドエンド、やぁーだぁー」と否定する超かぐや姫なので、あまねく別離エンドを否定し、豊玉毘売の話も正体を知ってなお受け入れてもらえたハッピーエンドになっているのかなぁ、などと思っています。

 他の物語は抜きで考えるなら、竹取の翁のそばには嫗がいるべきで、竹取の翁=彩葉であるのなら、そのそばには八千年を経たかぐや/ヤチヨ(もうおばあちゃんです)がいてしかるべきでなのです。

 
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