バッドルーザー球磨川 イフナッシングイズバッドノンフィクション 作:忘旗かんばせ
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他人の不幸は秘密の味。
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「『やっ——たぁあああああああああああああ!』」
飛び跳ねながら大声を上げた球磨川禊の口を塞いで、宇治蓮華御初は慌てて近くの空き教室に彼を引き摺り込んだ。
「ちょっとちょっと、人の話聞いてた!? 大声なんてあげたら粛清対象になっちゃうんだって! ただでさえボク、目をつけられてるんだから! 勘弁してよ!」
小声で説教をされて、球磨川禊は「『ごめんごめん』」と両手を小さく合わせて謝罪する。
「『いや、あまりにも喜ばしいニュースだったものだからつい気持ちが溢れちゃって』」
「なんなの、きみ、黒神めだかのアンチか何か?」
「『いや別に、めだかちゃんが嫌いってわけじゃないんだよ。ただ、好きなんだよね。スカしたエリートが落魄れる瞬間ってやつが』」
「思った以上に性格悪いな、きみ」
眦に浮かんだ涙(もちろん喜びのあまりによるものだ)を指で拭いながら、球磨川禊は言う。
「『いやでも、本当に痛快だよ。まさかめだかちゃんがよりにもよって、生徒たちからNOを突きつけられて学園を去ることになっていたなんて。惜しいなあ、もっと早く話を聞いていたら、弾劾投票の日には必ず見物に来てたってのに』」
「本当に性格悪いな、きみ」
同じことを二度重ねて言われたけれど、そこは混沌よりも這い寄る
それよりも大事なのは——
「『いやあ、そうかそうか。捨てたもんじゃないね、世間ってのも。それだけ——エリートに対するルサンチマンがきちんと高まっていたんだ』」
優れているやつ、強いやつ、すごいやつ。そんな奴らは——なんかムカつく。露悪的に言えば僻み根性。球磨川禊が最も得意とする土俵——人間の悪意の側面。それが——こんなにも強くなっていたとは。在学中には感じなかったことだけど、うんうん、どうやら箱庭学園も——だいぶ良い環境になっているようだ。つまり、都合の。
「……ルサンチマン、だけじゃないと思うけどね。表向き、生徒は乗せられたってだけなんだし」
「『果たしてそうかな? めだかちゃんからの自立を語るだけならば、理事長を弾劾までする必要はなかっただろう。学園の体制を是正する。理事長の権限を弱体化させる。それだけで十分で追放までは必要ない。むしろそう、そういうポジティブな感情だけが元だったんなら、むしろめだかちゃんには『見守っていてくれ』と学園に残らせる声の方が大きくなってたんじゃないかな』」
大多数が、ではなかったかもしれない。だがそれでも一定数——いたのだろう。
黒神めだかという並外れた天才を
「『で、理事長が退陣して、各委員会の権力が弱体化された、って話だけど——それじゃあ今、生徒会はどんな感じなの? 生徒会長は、まだ善吉ちゃんのまま?』」
「いや、第百代生徒会長人吉善吉は、残念ながら今年の生徒会選挙で敗北した。ついでに言えば——彼はバリバリの反放課後交流委員会の筆頭派だったものでね。選挙に敗北して生徒会長の座を追われてからは、今や学園中の嫌われ者さ」
「『胸のすく話だね』」
「痛む話じゃなく?」
「『うん』」
躊躇なく頷きながら、球磨川禊は思う。そうか、人吉善吉は失敗したのか。放課後交流委員会の危険性を見抜くまでは良かったが——それに対する対応策を見誤ったというところだろう。大方、真っ当に演説をして真っ当に支持を集めて真っ当に勝とうとしたに違いない。そんなやり方では絶対に勝てないにも関わらず。
そして、今は学園中の嫌われ者、ね……。ムカつく話だ。本当に。きっと——引き受けているつもりなのだろう、あの頭の足りない後輩は。そんなことをしていたってただの対処療法で、しかも対処しきれてもいないってのに。まったく——馬鹿な男だ。
「『しかし——学園の嫌われ者、というのは少し違和感のある話だね。そんな風に公然と誰か一人を責め立てるような風潮が生まれたら、それこそ放課後交流委員会が黙ってないんじゃない?』」
それこそ瞬く間に議題のトップに上がりそうな話だ。そのようないじめ同然の扱いを許さないことこそ放課後交流委員会の存在意義だろう。
と、思うのだけれど、しかし。
「それが、表向きに行われていたならね」
宇治蓮華御初は言って——スマートフォンを取り出した。
そこに映るのは、ほとんどデータが壊れた一枚だけの不鮮明なスクリーンショット。
「これまで話した放課後交流委員会は、『表向き』の話だ」
物事は簡単じゃない。
光があれば影が差し、甘いがあれば酸いがある。そして、表があるならば。
「放課後交流委員会には——『裏』がある」
2
裏・放課後交流委員会。
それが出来上がったのは割と最近のことなのだ、と宇治蓮華御初は語る。
「少なくとも活発に使われるようになったのは、表の方の放課後交流委員会が十分に支配的な権力を持った後のことだと断言して良い」
裏・放課後交流委員会。その始まりは——息抜きだったのだという。
「表立って言えないようなちょっとした愚痴を書き込む場所だったのさ、裏放課後交流委員会は。最近校則が厳しすぎる。何かあるとすぐ親にチクられてウザい。自由な活動が出来なくてつまらない——」
それがだんだんと変わっていったのは、だから表放課後交流委員会による『改善』の加速に伴ってだった。
「『改善』がされる原因となるような校則違反を犯した生徒を吊し上げ——パッシングする場。裏放課後交流委員会は、そのような様相を醸し始め出した」
理由なく『改善』が行われることは少ない。たいていには、その前に『改善』案が出されるに足る校則違反があり——校則違反者がいる。言ってしまえば、締め付けがキツくなるのは違反者がいるからだと言っても良い。
「『——なんてのは、責任転嫁もいいところだね』」
「まったくだが、それを指摘できる人間はいなかったさ」
そうこうしている間に——状況はさらに悪化する。
「裏放課後交流委員会は——密告の場になり始めた」
表放課後交流委員会の議題に上がる
「無論、それが健全に運用されるわけもない。至上目的は締め付け強化の防止……つまり問題が表沙汰になることを防ぐことなわけだ。となれば一番手っ取り早いのは——」
「『被害者の口封じ……ってわけか』」
禊の言葉に、けれど宇治蓮華御初は頷かなかった。
「それじゃあ片手落ちだよ。いや、むしろ両手落ちかな。だってそんなことをして、『裏』の存在自体を密告されれば全てがパアなんだ。だから放課後交流委員会が行ったのはむしろその逆。
「とにかく悪い奴をぶっ叩いて、その恐怖で事件を起こさなくさせる。裏放課後交流委員会は
表から裏から。生徒は放課後交流委員会が定めたルールを絶対的に守らざるを得ず、それから外れれば——居場所がなくなる。表向きにも、裏向きにも。
「『でもさ、それならそれこそ——裏切り者が出てもおかしくないんじゃない? つまり裏放課後交流委員会に吊し上げられた誰かが、その存在を表に密告しちゃうってパターンがさ』」
無論、晒し上げられている時点で校則違反者、表の方でも鼻つまみ者かもしれないが——それでも私刑からは救われるはずだ。だから、そんな体制は早々に崩壊して然るべきだと思うのだが——
「一つ、抜けている視点がある。つまりね——バッシングされることになった違反者だって、
表放課後交流委員会のせいで、学園の締め付けは厳しくなっている。必然——
だからそれを壊したくなくて——我慢する。
「もう一つのパターンとしては、そもそもバッシングされている本人が裏放課後交流委員会の存在すらも知らないという場合だね。人吉善吉なんかはこのパターンだ。この場合はまあ、陰口を言われまくってるってだけだから、実害は少ないだろうけれど」
だからこそ——露呈しないのだ、と彼女は言う。
知ってる人間にとっては憩いの場で、知らない人間にとってはただの陰口。表向きには——ひたすらに平和。
それが、今の箱庭学園という世界なのだ。
「息苦しくて——嫌になるよ」
深々とため息をついて、宇治蓮華御初は言った。
「『だから——反逆したのかい?』」
球磨川禊は問う。
そう、宇治蓮華御初——彼女は反逆者だ。
放課後交流委員会に対する——反逆者だ。
「そうだよ。ボクはこんな箱庭学園、見たくなかった。だから——正々堂々、実名を以て告発したんだ。裏放課後交流委員会の実情を、表の放課後交流委員会へ」
正々堂々真っ向から、彼女は生徒の後ろ暗い憩いの場を破壊しにかかり——
そして、大失敗をした。
「ボクが告発したURLは——空だった」
裏放課後交流委員会は周到だった。
正確には、裏放課後交流委員会に出入りしている生徒たちは——周到だった。
自分たちの憩いの場を守るために——全力だった。
「表の放課後交流委員会にそのURLが貼り付けられた時点で、自動的にサイトは消滅するようになっていたらしい。そして、ボクが証拠として保存していた画像は、表の放課後交流委員会に貼り付けた途端クラッシュして見れなくなった。これも、何かしらの仕掛けがあったんだろうね。そして、実名で告発したのも悪かったんだろう。ボクのスマートフォンは瞬く間にハッキングされ、溜め込んでいた証拠は全て削除。さらには表の放課後交流委員会で、ボクは虚言癖扱いされ——ボクの告発は『ただの嘘』で終わった。同時に放課後交流委員会が『厳しすぎる』ことを批判したのも悪かったんだろうね……。問題児が校則の緩和を狙って嘘をついたというストーリーが出来上がってしまった」
結果、告発は失敗。
裏放課後交流委員会はさらに深く地下に潜り——宇治蓮華御初は学校中の敵になった。
「それがつまり『これまでのあらすじ』さ」
その上で——改めて問わせてもらう。
「名前も知らない不審者さん。きみがもし、この学園の今を憂いてくれるなら——宇治蓮華御初と志を共にしてくれるのなら。どうかボクを、助けてはくれないかい?」
ボクを。
この箱庭学園を——助けてはくれないか?
3
「『いやだ』」
もちろんのこと、球磨川禊は宇治蓮華御初のその誘いを断った。
「……いや、ちょっと——え?」
困惑したように、彼女は首を傾げる。
「……聞き間違いかな。えっと、ボクのこと……助けてくれるよね?」
「『断る』」
「こんなに可愛い女の子がお願いしてるのに?」
「『関係ないね』」
「こんなに学園が大変な危機に陥っているのに?」
「『知ったことじゃない』」
僕は——君のことを助けない。
球磨川禊はキッパリとそう言い切った。
「……いやいや」
いやいやいやいや。
「そこはさ、そこはボクの手を取ってくれるところなんじゃないのかい? 話の流れ的にさ。物語の流れ的にさ。言っとくけど、見せ場だぜ、今。ひねくれてる場合じゃないよ? 逆張りしてる猶予はないよ? 冷静に考えてご覧? これって結構なチャンスなんだぜ? ボクという儚い学園の反逆者と手を取り合って、危機に陥った箱庭学園を救うべく奔走する……王道のストーリーじゃないかい? そんな素敵な物語の幕を開けるチャンスが、今目の前にあるんだぜ? こんな素敵な美少女が、万年負け続きのきみの人生に勝利の花を添えてやろうっていうのに、それを無視するって言うのかい?」
「『うん』」
球磨川禊は頷いた。一も二もなく、当たり前のように。
「『残念ながら、僕には危機に陥った箱庭学園を死体蹴りする義理はあっても救う義理はないからね。ついでに言えば——』」
言って。
「『——気にいらねぇんだよ』」
球磨川禊は宇治蓮華御初に指を刺す。
釘を刺すように、指を刺す。
「『その自分は助けられて当然だって態度が気に入らない——知るべきだぜ宇治蓮華御初ちゃん。正しいことは、可愛いことは、頑張ってることは、危機に陥っていることは、助けてもらえる理由になんてならないってことを——』」
助かりたければ——助けたければ。
せいぜい自分で頑張るんだね。
その言葉を言い残して——球磨川禊はその場から姿を消した。まるで初めから、そこには誰もいなかったかのように。影も気配も残さずに、煙のようにですらもなく、もちろん風のようにでもありはせず。
まるで嘘のように、消え去った。
「嘘だろあの男——本当に一人でどっか行きやがった」
マジかよ。
残された宇治蓮華御初が、無人の空き教室で一人頭を抱える一方で——消え去った球磨川禊当人はと言えば。
「『さて』」
自前のスキルでその気配を『
かけうどん、一杯百五十円。素うどんということもなく、天カスとネギがしっかりかかっている。この物価高の時代には信じられないお安さで、貧乏学生にもありがたいメニューだ。そう言った低価格帯のメニューが充実しているのとは反対に——かつてにはあった高級料理やデザート系のラインナップが軒並み消滅しているのは、やはり放課後交流委員会による『改善』の一環なのだろうと思われる。かつてにはフードファイターよろしく大量の料理をテーブルに並べて書き込んでいる大食い自慢の生徒が一人二人は必ず居たものだが、そんな影も綺麗さっぱり消え去っている。みんながみんな、普通のメニューを普通の顔で普通に食べている。びっくりするくらいなんの波乱もない普通の光景。球磨川禊が飽きるほど見てきた、同調圧力の成れの果ての、『普通の学校』の光景だった。
「『他人の不幸で、ってわけじゃあないけど——うん、普通のうどんで、美味しいな』」
先に汁を飲み干してから残った麺を一本ずつ啜るというわけのわからない食べ方でうどんを楽しみながら、球磨川禊は自前のスマートフォンを取り出す。アクセスするのは放課後交流委員会。無論——表ではなく、裏の方。
アクセスには多少の
サイトの中に入れば、そこは表よりもずっと簡素な……というか、見覚えがあるタイプの掲示板サイトだった。大手ネット掲示板をそのままトレースしたような作りだ。違いはと言えば、通常それらのサイトが大量の広告で埋め尽くされているのに対し、このサイトには一切の広告がないということ。サーバー代をどうやって得ているのか気になるところだが——ともかくとして。
「『うーん、なかなか壮観だ』」
ずらりと並ぶスレッドタイトル——そのほとんどが誹謗中傷のスレッドだった。特定の生徒や教師に対するいわゆるアンチスレじみたものから、特定の属性、特性に対するヘイトを振り撒くような差別スレッド。関わってはいけない生徒まとめ、のようないじめ扇動的なスレッドなどなど、その悍ましさは球磨川禊をして『心地よい』と感じるほどの悪意の掃き溜めだった。
数少ない誹謗中傷以外のスレッドも、いわゆる愚痴スレであったり、悪戯のようなスレッドであったり、ろくなものがない。
目を逸らしたくなるような醜悪さだが——しかしこの掲示板は『醜悪である』という一点において奇妙な一体感がある。誰も彼もが剥き出しの悪意を隠し立てもせず吐き出し合い、そしてその悪意を肯定しあっている。それは一つの坩堝だった。一度入り込んでしまえば二度と出られない類の、惨憺たる蠱惑を放つ。
禊はいくつかのスレッドを巡回する。書き込みはしない。おおよその空気感を把握するためのROMで、掲示板の
内容は以下。
『何者かが放課後交流委員会への反逆として卒業生の球磨川禊を学園に連れ込んだらしい』
投稿ボタンを押せば——その瞬間、瞬く間に加速するスレッド。返信として書き込まれていく内容は多岐に渡るが——おおよその意見は満場一致。
『表沙汰になる前に叩き出せ』
それが裏放課後交流委員会の総意だった。
「『うん。大体——狙い通りだ』」
自白に等しい書き込みをしておきながら——けれどケロリとした顔で禊は呟く。いくら気配を
予鈴も鳴り響き、まもなく午後の授業の始まり。食堂からは次々と人が消えていき——球磨川禊もまたうどんの最後の一本をちゅるりと食べ終わる。ごちそうさまでした。その一言を呟こうとして——だからそれができなかったのは、
「『え?』」
何事だ——と。驚愕の声を上げるよりもずっと早く。
禊の後頭部を掴んだ手に力がこもり——禊の頭が、無理やりお辞儀をさせられるように、
すでに空になっていた椀だからうどんの汁が飛び散るということはなかった。
飛び散ったのは——血潮だった。
幸いなことに椀が割れて破片が突き刺さるなんてことはなかったものの、それでも顔面を陶器の椀に思い切り叩きつけられて、無事であれるはずもない。湾曲した湾の淵に思い切り叩きつけられた鼻骨はへし折れ——ドバドバと鼻血が吹き出す。
「『あ』」
と。禊が声を出せたのも一瞬だった。瞬く間に、吹き出した血潮は椀に中に溜まっていく。こうなってくると、椀が割れなかったことはむしろ不幸だった。逃げ場なく、血潮は椀の中に溜まり続け——
有り体に言えば。
禊は——自分の血に溺れさせられていた。
助けて——なんて声も血の泡に溶けて。
意識は眩み。
球磨川禊は——絶命した。
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