バッドルーザー球磨川 イフナッシングイズバッドノンフィクション   作:忘旗かんばせ

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第三話『無情なひとり』 2

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「——っと、やべ、やり過ぎたか? ()()()()()()()()()()()()()——」

 

 背後から聞こえてきた声が意外と可愛らしくて、起き上がった球磨川禊はちょっとばかり嬉しい気持ちになった。

 

「『いやー、どうも最近、溺死することが多いなぁ。なんだろう、こういうの、溺死()()()()っていうのかな。水槽学園は卒業したつもりなんだけどね』」

 

 パキパキと、一度死んで硬直した筋肉をほぐしながら、球磨川禊は姿勢を正す。

 

「『知ってるかい? 溺死って死に方の中じゃあ一番苦しいんだって説があるのは。他の候補としては焼死とかもそうらしいけど、メカニズムとしてはほとんどおんなじだよね。()()()()()()()()()()()()()()()。人間の一番苦しい死に方ってのはそれなんだよ』」

 

 だから首吊り自殺なんかも、血管じゃなくて気道の方を絞めちゃうと相当悲惨なことになるらしいね——なんて聞きたくもない豆知識を付け加えながら、顔面を血まみれにした球磨川禊は振り返った。自然な動きではない。まるで吊られた人形のように。あるいは恐怖映画の動死体のように。筋肉と関節の動きが噛み合わない、人体の可動域を無理やり押し広げるような奇怪な動きで、見るものの嫌悪を掻き立てるような悍ましい動きで、球磨川禊は振り返った。一度殺され、蘇った球磨川禊は、その死の下手人へと向けて。

 

「……首吊りはともかく、焼死は体が焼けて死ぬもんだろ」

「『あはは、それ、よくある勘違いだぜ。焼死って言っても、重度の火傷が死因になるパターンってのは意外と少ないんだよ。人間が炎に包まれてしまえば、そこまでの大火傷をするよりも前に周囲の酸素が無くなって、あるいは炎で気道が焼けついて、まともに呼吸ができなくて窒息死するのさ。焼け死ぬよりも早くにね』」

「はぁん、なるほどね。ってことはそれこそ、その『焼死』って言葉の定義の方が間違ってるってことじゃねぇか。火傷で死ぬのと窒息で死ぬのじゃ大違いだろ。ひとまとめにすんなっつーの」

「『文句を言いたくなる気持ちはわかるけど、どっちも原因は『炎』だからね。この場合、最終的な死因が窒息だろうと火傷だろうと『焼死』という言葉は正しいと言ってあげてもいいんじゃないかい? それこそ、首を絞めて殺すのもナイフで刺して殺すのも、どんぶりに頭を叩きつけて殺すのも、全部『殺人』って意味じゃ同じになるみたいにね』」

 

 皮肉は通じたのか、彼女はつまらなさそうな顔をした。

 

 彼女。そう——女性だ。少なくとも見る限りでは。

 

 背が高く、髪は短い。癖毛で、うねりの強い髪質に見える。目は吊り目で、いかにも勝気そうに見えるけれど、これは容姿に対する差別であって分析であるとはまるで言えない。

 制服の上着を脱いでスカートの上から腰に巻きつけ、上半身はシャツ一枚。

 胸の下で、豊満なそれを支えるように——腕を組んでいる。

 

「ふん——不死身の怪物だって話は本当だったんだな、球磨川禊」

「『照れるなぁ、女の子に名前を覚えてもらっているなんて』」

「気色の悪い変態だって話も本当らしい。まったく——厭になるぜ」

 

 いつのまにか——食堂は無人。遠くで、午後の授業の開始を告げる本鈴が鳴る。

 

「『しかし——一方的に名前を知られてるってのもフェアじゃないな。一方的に殺されるのと同じくらいにフェアじゃないな。何もしていないってのに抵抗の余地もなく血溜まりに顔を押し付けられて、呼吸ができなくて苦しくて、だんだん視界が暗く染まっていって、激痛と共に脳細胞が死滅していくのと同じくらいフェアじゃないな。その辺り、きみはどう思うかな、素敵なお嬢さん』」

「嫌味ったらしいんだよ、男のくせに。は、何もしてない? 卒業生とはいえ、正規の手続きもなく入り込んできた不審者のくせしてよく言いやがるもんだぜ。だが——ふん、先制攻撃を去なされた……無効化された、あんたのその薄気味悪い不死性に敬意を表して——名乗るくらいはしてやるぜ。不公平の是正ってわけじゃあなく、あくまで情けとしてだけどな」

 

 彼女は言ってその鋭い瞳で禊を睨みつける。

 

「あたしの名前は勧修寺(かんしゅうじ)(すすめ)。二年四組。しがない普通科の生徒だよ。今日はお前に勧めに来たぜ。——完璧で幸福な降伏ってやつを」

 

 痛い目見たくなけりゃ、()()()()()()()()()()()()()()——勧修寺奨は鋭く言った。視線と同じくらい。敵意と同じくらい。

 

「『ふぅん……わからないな』」

 

 その名乗りに対して、けれど禊は首を傾げる。まるで理解できたことなど一つもないと言いたげに、無垢な目で。

 

「あ? わからないって、何がだよ」

「『きみのパンツの色が』」

「は?」

「『じゃなかった——わからないのは、きみの()()()()()、だ』」

 

 所属——彼女が名乗った二年四組という情報では禊には計りかねる。つまり、彼女が放課後交流委員会の回し者なのか否か——禊の撒いた餌にかかった獲物なのかどうか。

 

「『二年生、というあたりも微妙なんだよね。つまりきみ、()()()()()()()()()ってことだろ? 偶然僕の姿を見つけて、ちょっとした正義感から不審者を追い出そうとしてるって可能性もあるよね』」

「その可能性があったら——なんだってんだ?」

「『いや別に。ただ単純に——特にバックボーンもないモブキャラと戦うのってだるいなあって思っただけだよ』」

 

 心をへし折るようなその一言に——けれど。

 

「そうかい」

 

 勧修寺奨は折れなかった。

 それどころか——

 

「お前らってのはいつもそうだよな」

 

 静かに。

 

「ああ、知ってるさ。知ってたさ。知っていたさ。球磨川禊……マイナス十三組のリーダーにして、元生徒会副会長……ご立派な肩書だよ。お前らが、お前らみたいな()()()()()()が、そういうやつだってことはな。あたしらみたいな『普通の人間』はどこにでもいる十把一絡げのモブキャラで——生きてようが死んでようがどうでもいいんだってことは」

 

 勧修寺奨は——

 

「ふざけるんじゃねぇ」

 

 怒っていた。

 

 静かに。

 確かに。

 確固たる意志を持って。

 その魂を——怒気によって極限まで震わせていた。

 

()()()()はモブキャラなんかじゃねぇんだよ——誰も彼も、名前がある一人の人間だった! 意思があって、自由があって、信念があって、心があって、怒りがあって、恨みがあって、尊厳が、人権が、魂がある人間だった! 決して——お前らみたいなメインキャラ(特別なやつ)に踏み躙られて良いような人間じゃあなかったんだよ!」

 

 魂を吐き出すように深く、重く——強く。叫び、叫び、叫び——彼女は改めて名乗りをあげる。

 

「私の名前は勧修寺奨! 二年四組普通科の生徒にして——()()()()()()()()()()! あたしは忘れない——お前らみたいなメインキャラ(特別)が、あたしたちに何をしたか! 肉体をゴミのように蹴散らされたその痛みを忘れない! 心に沸いた怒りと恐怖を蹂躙されたその侮辱を忘れない! 魂に抱いた復讐心を足蹴にされたその屈辱を忘れない! もう二度と——あたしたちから物語を奪わせない! そのために——私はなったんだ。裏放課後交流委員会の執行官に!」

 

 言葉と共に——彼女はそれを何処かから取り出した。

 

 それは長大な木管を金属パーツが覆う、いかにも奇妙な装置だった。手元、彼女が握っている僅か下あたりには。きっと本来は口に咥えるのだろうリードがあって——その逆、先端はまるで風船のような丸い膨らみがある。

 

 つまり、それはオーボエだった。正式名称をオーボエ・ダモーレ。『愛のオーボエ』の意味を持つ、バロック期に栄えた古楽器。そのモダンタイプ。

 

 本来は両手で一本を操り、リードを口に咥えて吹き鳴らす吹奏楽器であるそれを——なぜか、二本。

 

 両手に棍棒のように握りしめて——彼女はそれを構える。

 

「勝負だ——球磨川禊(特別)! お前には、もう降伏は勧めない——勧めるのは不幸だけだ! どん底に落ちてもがき苦しめ!」

「『嬉しいね。不幸に底を作ってくれるなんて』」

 

 素敵なセーフティネットだ。

 

 言いながら、禊もまたその両手に螺子を構える。巨大な螺子を。長大な螺子を。すべてをねじ伏せ台無しにするための、ねじくれた異形の鉄杭を。

 

 かくして——球磨川禊と放課後交流委員会の戦いは始まる。

 

 静かにというにはいささか騒がしく、高らかとというにはどうにも暗く——されど確かに、幕は上がった。

 

 閉じていたまま方が良かったと、のちに誰もが願うことになる、その幕が。

 





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