バッドルーザー球磨川 イフナッシングイズバッドノンフィクション 作:忘旗かんばせ
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味方の味方は敵。
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スキルを抜きにした純粋な戦闘能力という点で言えば、決して球磨川禊のそれは低いとは言えない。
無論、全身が弱点でできていると言っても過言ではない球磨川禊、真正面からの殴り合いのようなルールの限定された状況では幼児相手にだって負けかねない彼だけれど——しかし一方で、それが
それはなぜか。
理由は単純明快。尋常の人間が人と戦う時にはどう足掻いても手段を選んでしまうのに対し——手段を選ばざるを得ないのに対し、球磨川禊にはそもそも手段を選ぶという発想がない。混沌よりも這い寄る
ゆえに、この結果は必然だったと言える。
球磨川禊は——食堂の床に倒れ伏していた。全身血塗れ、傷だらけ。打撲という打撲を全身という全身にくまなく受けて、肌は裂け肉は潰れ骨は折れ。元の形が分からなくなるくらいに徹底的な暴行を受けて——球磨川禊は食堂の床に倒れ伏していた。
対して、それを為した勧修寺奨はと言えば——無傷。返り血こそ浴びていながらも——擦り傷一つ追わぬまま、彼女は球磨川禊に完勝していた。
それも当然。
なんでもありを封じられた球磨川禊には何もない。全身が弱点の虚弱少年が一人、両手に螺子を握っているだけだ。
だからこの敗北は、この勝利は、双方にとって間違いなく必然。りんごが木から落ちるよりも当たり前の出来事で——だからこそ。
「……なんで」
奨は肩で息をする。疲れのあまりだらりと腕を垂らしながら——彼女は倒れ伏す球磨川禊を忌々しげに見つめる。
「なんでお前————傷を治さないんだよ!」
球磨川禊はボロボロだった。全身に傷という傷を負い尽くし、
球磨川禊。混沌よりも這い寄る
この世のすべてを『
それこそが球磨川禊の切り札であり——それを。
球磨川禊は
後生大事に切り札を手の中に抱え込んで、切ればすぐにでも『
そんなものはただの自傷で、意味のない温存で、理解不能の抱え込みだった。球磨川禊の切り札は切ればなくなる使い切りというわけではない。なんの制限もなく、なんの制約もなく、いつでも何度でも、呼吸するよりも気安く使えてしまうからこそ、そのマイナスは恐るべき恐怖なのであって——それを使わないなんて選択肢は取る理由がない。
「『あれ……もう終わりかな』」
球磨川禊は——普通ではない。
そう、勧修寺奨がそう罵ったように。
正しく球磨川禊は——
「ぐ、ぐぅうううう——!」
歯を食いしばりながら、勧修寺奨はオーボエ・ダモーレを握りしめる。かつてには楽器として、そして今には凶器として扱う相棒を——けれど彼女は振るえない。振るうことが——できない。
伏線は貼られていた。
『流石に死なれちゃ困るんだが——』
それは球磨川禊に対する勧修寺奨の第一声だった。
勧修寺奨の目的は、球磨川禊の殺害ではない。
球磨川禊の排除ですらなく、あるいは退去ですらもない。
彼女の目的は、
翻って言えば、
死体なんぞ上がってみろ。箱庭学園は崩壊する。
そうでなくても、この惨状。今となっては、不利なのは勧修寺奨の方だった。不法侵入であるとは言え——曲がりなりにもかつての卒業生である人間が、学園校内で暴行を受け、血塗れで倒れていた。そんな事実が明るみになったら大問題もいいところだ。卒業生の不法侵入なんて霞んで消えるほどの大問題で——しかも、その下手人は勧修寺奨ということになってしまう。
だって——そう。
奨はこれまで、球磨川禊を痛ぶる過程で——
証拠としてはこの上ない。なかったことにならなければ、奨は暴行罪で逮捕される。相手が不法侵入者だとしても、明らかな過剰防衛だ。情状酌量の余地すらもなく。犯罪で、有罪で、重罪だ。
「使えよ、スキルを——『
叫ぶ。球磨川禊は——動かない。
そう、この状況、勧修寺奨は間違えた。
球磨川禊を学園から追い出すにあたって——
球磨川禊。混沌よりも這い寄る
だからマイナスが積み重なったのは、失点が積み重なったのは、
彼女はやりすぎた。
過剰な暴力を、過剰な傷を、過剰な出血を——与えすぎた。
与えすぎて、どうにもならなくなった。
「使えよ、スキル! あるんだろ、なあ! 戻せよ、直せよ、無かったことにしろよ!」
球磨川禊に、言うことを聞かせる手段はダメージを与えることでは無かった。それこそマイナスにマイナスがかけ合わさればプラスが生まれてしまうように、
「う、うぅううううううう————」
歯を食いしばって、彼女は唸る。オーボエ・ダモーレを軋むほど握りしめながら。
方法は……実のところあと一つ残っている。
それは——球磨川禊を殺すという手段だ。
球磨川禊を殺して、強制的にすべてをなかったことにさせるという方法だ。
彼女は一度見ている。殺してしまったはずの球磨川禊が、すべてをなかったことにして蘇る瞬間を。
だから今回も同じように殺してしまえば——きっと全てはなかったことになる。
もし、もしも。
もしも球磨川禊が死んだあと——
これまでと同じように、そのスキルを後生大事に抱え込んで——抱え込み続けたまま死んでしまったら。
そうしたら——勧修寺奨は殺人犯だ。
過剰防衛なんてレベルでは済まない。
正真正銘の、人殺し。
警察を呼ばれて、逮捕されて、収監されて——人生が、終わる。
終わってしまう。
殺人犯として、その後一生、罪と罰が付いて回る。
だから——勧修寺奨は球磨川禊を殺せない。球磨川禊を殺すというギャンブルを選べない。ベットするには——賭けるものが重すぎる。
「『どうしちゃったのかな、奨ちゃん——きみは、僕に勧めてくれるんじゃなかったのかな。不幸の底ってやつを。どん底ってやつを。そこに僕を導いてくれるんじゃ無かったのかな』」
それともまさか——
「『この程度が、きみの思う不幸の底だっていうのかな? 後輩にあっけなく敗北して、痛めつけられて、傷だらけになって、指一本動かせなくなって——その程度が不幸のどん底だったのかな? だとしたら随分安いものだね。きみの思う不幸の底も、きみが味わってきた不幸ってやつも』」
せせら笑うように、球磨川禊は傷だらけの、歯すらくまなくへし折れた口で、それでも器用に言葉を紡ぎ続ける。
「『きみが受けた痛みってやつも、きみが受けた侮辱ってやつも、きみが受けた屈辱ってやつも——いや、
かつて——この箱庭学園では一つの事件があった。
一年よりももう少し前。球磨川禊がこの箱庭学園に転校してくるよりもさらに前の——黒神めだかが立ち上げた生徒会もまだまだひよっこだったその頃のこと。
その時にはまだ、当たり前の話、表にも裏にも放課後交流委員会なんてものは存在してもいなくって——だから生徒会も、そして他の委員会も、普通では考えられないくらいに絶大な権力を保持していた。
それこそたとえば風紀委員会は限定的にではあるが『武装』とその行使が許可されており、その権限は日常的に執行されていた。
それこそ——旧オーケストラ部に対してだって。
演奏がうるさいという程度の苦情で——その部員たちが半殺しの憂き目に遭うほど気軽に。
当たり前のように、行使されていた。
「『いいじゃないか、モブキャラバンザイ。きみたちはかつて風紀委員会に壊滅させられて、痛みも怒りも恨みもあったけど、
「黙れ——!」
歯が割れてしまうんじゃないかというくらいに強く歯を食いしばって、怒りに目を血走らせながら、勧修寺奨は球磨川禊を睨む。睨むけど——それ以上のことはできない。できるはずがない。そう思って——けれど。
「『黙らせて見せろよ。できるもんなら』」
その言葉に。
最後のブレーキが——壊れてしまう。
「あたしは……」
思い出すのは、一つの光景。
オーケストラ部の練習中。次の大会へ向けて、みんなが努力を重ねていた中——現れた、自分たちよりずっと幼い
その惨憺の中で。
己のオーボエ・ダモーレだけが傷ひとつなく残っていたのは、きっと運命なのだと思った。
復讐しろ、と。
かみさまに言われたような気がした。
直後、その風紀委員長が入院したという知らせを受けたのも拍車をかけた。
いくら化け物のような子供でも——入院中なら、そこまで弱っているなら自分にだってどうにかできるんじゃないか。
そう思って、彼女は己の相棒を握りしめて——
入院中の、傷だらけの体を押して。
彼は謝りにやってきた。
オーケストラ部の一人一人に、己のやり過ぎを丁寧に、頭を下げて詫びに来た。
すまなかったと。
ごめんなさいと。
そう言われて。
何をどうしていいのか、わからなくなった。
なんだそれ。
あたしたちって——なんなんだ。
勝手に痛めつけられて。
勝手に謝られて。
それで終わり?
そんなの——かやの外じゃないか。
結局、オーケストラ部の崩壊から始まったはずのその物語は、
オーケストラ部は、ただの被害者Aだった。
そう思ったから、勧修寺奨は放課後交流委員会の執行官になったんだ。
だから——
「あたしは……嫌いなんだ。お前らみたいな特別が」
だから——いいさ、やってやる。
「前科が付くとか、逮捕されるとか……そんなのもう関係ない。……殺してやる。殺してやるよ、球磨川禊——————!」
叫んで。
彼女はその手の、オーボエ・ダモーレを振り上げて——
「そこまでです」
その手を誰かに、掴まれる。
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