崩え彦の跛行   作:瓜生褄久

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2138年 10月2日 午前5時54分

エル・ボスコの村 民宿はちのす前

タケウチ

 

 砂利道に延びる浅い抉れは、道の後と先に、視界の限り続いている。

 夜半から降り始めて先刻止んだばかりの雨に地面はぬかるみ、歩けば簡単に跡が付く。砂利の抉れと、周辺に有る足跡の様なものもそれ故に残ったのだろうが、雨はその痕跡を洗い流してしまってもいた。

 私は地面に屈み込み、雨に濡れた砂利の抉れを右手の指先でそっとなぞった。石と砂、土と水。そこに薄っすらと赤いものが混じって見えるのは思い込みの所為だろうか。

 時刻はとうに夜明けを迎えている筈だが、村を囲む山々がその光を遮り、辺りは未だ薄暗い。

 地面を撫でる様にしながらじっと目を凝らしている内に、漸く山の合間から差し込んだ朝日が手元を控えめに照らす。その陽を受けて、砂利の中に微かに光る物が在った。

 

「よう、先生! 朝から精が出るね! うちの庭がそんなに面白いかい」

 

 土弄りに水を差したのは、この民宿の住み込み従業員だ。彼はここから少し歩いた場所に立つ酒場のマスターでもある。

 彼は庭に面した調理場の窓を半分程開いて、愛嬌の有る坊主頭と厳めしい髭面を覗かせていた。民宿の朝食作りか、酒場で出す料理の仕込みでもやっているのだろう。

 その彼の口調は親しげではあったが、表情にはやや訝しむ様な色が感じられた。

 

「ああ、マスター。お早う御座います」

 

 私は挨拶を返しながら、先の光の正体である、爪程の大きさも無い金属片を砂利道から拾い上げ、シャツの胸ポケットに仕舞い込んだ。

 

「昨晩、外で変な音が聞こえませんでしたか? こう、何かを引き摺るみたいな」

 

「変な音……?」

 

 マスターは少し思案する素振りを見せてから頭を引っ込ませ、程無くして裏玄関から現れた。窓越しに遣り取りするのをまどろっこしく感じたのだろう。彼はどうもそう云う性格だ。

 

「音がなんだって?」

 

 庭砂利をじゃすじゃすと踏み締めながらマスターが近付いて来た。

 

「昨晩、いや、もう日が変わっていたと思いますが、窓の外から何かを引き摺る様な音が聞こえてきまして。こう、ずずずっ……と」

 

「ずずず……いやあ、夜中に雨が降ったってのも何となく覚えてるくらいだからなあ。ずずずぅ……ううん、分からんなあ」

 

 マスターは難しい顔をしたまま瞳を彷徨わせていたが、それが不意に止まる。その視線を追って私が振り返ると、北の公会堂近くの坂を人が駆け降りているのが見えた。

 人影は西のドライブイン方面に向かっていた様だが、我々の姿を見留めると足先を変え、こちらに走り寄って来る。前に一度見た顔だ。名前は忘れたが、家具工場に屯していた若衆の一人だったと記憶している。

 随分長い距離を走って来たのだろう。我々の前まで辿り着く頃には、彼の息はすっかり上がってしまっていた。

 

「はあっ、はあっ、はっ……み、み、見つかりました!」

 

 

 

2134年 10月2日 午前7時34分

エル・ボスコの村 民宿はちのす 梅の間

アンザン

 

「うぅっ……」

 

 とりとめのない悪夢の後味と一緒くたになって身にまとわりつく不快感に、思わずうめきながら目を開けた。

 タンクトップを着た身体はじっとりと汗ばみ、虫に刺されたのかあちこちがかゆい。室温はやや肌寒いくらいだったが、相変わらずの湿気に夜中の雨が加わったせいか、布団の中はかなり蒸していた。

 窓辺にちらっと目を走らせると、閉ざされた厚いカーテンのふちがうっすら白くなり、朝を知らせてくれている。

 俺は蚊に刺された鼻頭なり額なりをぽりぽりとかきながら上体を起こし、ベッドのへりに腰かけるようにして床へ足を下ろした。

 

「あいつら、刺せる場所をちゃんと分かってるもんなんだな……」

 

 ベッド横のナイトテーブルに置かれた虫除け線香の火は途中で消えてしまっている。その奥、テーブルをはさんで置かれたもう一台のベッドはすでにもぬけの殻だ。

 

「お連れさんは早くに出かけたわよ〜」

 

「っ!」

 

 背後からの意外な声に思わず飛び上がりそうになった。誰かが部屋にいる気配は感じていたのだが、てっきり同室の相方だと思い込んでいたのだ。

 

「勝手に入っちゃってごめんなさいね〜。あんまり起きてくるのが遅いものだから〜」

 

 そう言いながらカーテンを開いて、差し込んだ陽に照らされたのは、民宿の女将だった。その手にはなぜかおたまがにぎられている。

 

「あの先生ね、朝早くっから動き回ってるわよ! もう、元気、元気!」

 

 まったく、元気なのはこの人のほうこそだ。歳は六十前後、老人の少ない村の中ではその年齢に似合わない快活な姿がひときわ目立っていた。

 村人たちが口をそろえて言うように、たしかに「いいひと」なのだろう。彼女の明るさは、少し陰気な村の中では救いだとさえ思える。とはいえ、ここに宿を借りて今朝で四泊目。その大袈裟な言動や過度なお節介さには少々うんざりとしていた。

 

「あー、じゃあ、ちょっと外の空気でも吸ってくるかな……」

 

 俺がわざわざ宣言してベッドから腰を浮かせたその時、誰かが階段を上がる音が聞こえてきた。

 

「アンザン君! あっ……」

 

 勢いよくドアを開けながら俺に呼びかけたタケウチは、女将の顔を見て言葉を失い、固まった。そして、少し気まずそうに背を丸めながら、そろりと部屋に入ってくる。

 

「ああ、ごめんなさいね! わたしお邪魔! そういえばお料理も途中! やあねえ、もう! どうぞ〜、ごゆっくり〜」

 

 女将はばたばたとスリッパの音を立てながら退散し、部屋にはようやく朝らしい落ち着いた雰囲気が取り戻された。

 女将の勢いに当てられたのかぼうっと突っ立っていたタケウチが、ハッとしてこちらに向き直る。どうやら失くしていた言葉を思い出したようだ。

 

「アンザン君、葬式見に行きましょう!」

 

 

 

2134年 10月2日 午前8時8分

エル・ボスコの村 参道

タケウチ

 

 継ぎ接ぎながらしっかりとアスファルト舗装された神社の参道は、道脇に数軒の商店が点在する村の目抜き通りであり、また村内各地を繋ぐ主要幹線ともなっている。道幅は村の規模からするといやに広く、大型車輌が擦れ違える程も有るが、これは時偶道を走るトラックや農機の為であるらしい。

 あちこちに延びる枝道からはまばらな人影が現れ始め、やがてそれらは流れとなり、皆一様に緩く勾配の付いた参道を登って行く。

 この土地の喪服は白が基本である様だ。道往く人々は皆、生成りか、そうでなければ極めて薄く染められた衣服に身を包んでいた。

 私たちも流れの一部となって参道を歩いていたが、濃紺のシャツを着た私や、タンクトップの上にワッペンだらけのフライトジャケットを羽織ったアンザン君などは、村人の目には明らかな異物と映っただろう。

 

「呼ばれてもないが、いいのかね。バチ当たらんか」

 

 アンザン君が意外にも迷信染みた事を言う。彼は女将さんから朝食にと手渡された焼き餅──水で練った穀物の粉に山菜を混ぜ込んで焼いたもの──を頬張りながら辺りをきょろきょろと見回しており、その風体と相まって、成る程罰当たりな感は有る。

 

「ちょっと見物させて頂くだけですから。女将さんたちにも咎められませんでしたし」

 

 実の所、マスターは口にこそ出さないものの余り良い顔をしてはいなかったのだが、それは敢えて伏せて置いた。その女将さんとマスターも、支度が整い次第、葬式に参列する事となっている。

 当然喪服など持ち合わせていない私たちは特別な準備の必要も無く、一足先にと葬儀会場である村の公会堂へと向かっていたのだった。

 

 

 

 参道を橋の手前で左に折れ、半ば土に埋もれた石畳の坂道を登る。坂を登り切った先、川沿いの崖上に在る立派なコンクリート造りの二階建てが村の公会堂であり、その広い前庭には多くの住民たちが白装束に身を包んで集まっていた。

 ざっと見て、五十名は居る。エル・ボスコの村の人口は推定で八十から百を超える程度。村の主だった人間の殆どが参列し、少なくとも各家庭から代表を一名ずつは出しているのだろう。

 前庭の一角には、川向こうの山中に在る神社の本殿を背にした形の祠──村人からシャクジンと呼ばれる小振りな社殿が立っている。どうやら儀式はそこで行われている様子だった。

 我々は庭の端に立ってやや遠巻きにそれを眺めていたが、やがてそれに気付いてこちらに手招きをする者が有った。村の自治会の世話役、バンショだ。

 近くに寄って挨拶をする私に、バンショは気さくな態度でそれに応え、私たち二人を村人の輪の中へと迎え入れてくれた。

 

「部外者である我々が参列させて頂いても良いのでしょうか」

 

 半ば興味本位で見物に来たバツの悪さも有るし、何しろこの身なりだ。素直に甘えるのが申し訳無く思えたが、彼に全く気にした様子は無い。

 

「仕事だとはいえ、お前さんたちはあいつの為に散々っぱら骨を折ってくれてたからな。それにあいつは賑やかなのが好きだった……」

 

 バンショと故人との間には諍いも少なく無かったと聞くが、長い年月を同じ共同体で過ごしただけに、仲間意識も有ったのだろう。祭事の興奮からか、感傷からか、その瞳は少し潤んで見えた。

 

「まあ、これも縁。式に華を添えてやってくれや」

 

 バンショはそう言いながら私とアンザン君の後ろに回り、それぞれの肩を抱く様にしながら前へと促した。

 白装束たちの間を縫って進むと、社の階段下に安置された棺を数人の村人が囲んでいるのが見えてきた。無言で手を合わせる者、手に持った副葬品を棺に納める者、社やその背後の山中にちらちらと目を遣りながら何事かを唱える者と、その弔意の示し方は様々だ。

 私はアンザン君と並んで棺の前に立った。蓋の開いた白木の木棺に遺体は無く、色とりどりの野花に囲まれた小さなヒト形の厚紙が一枚置かれているのみだった。その紙の中央には黒い字で小さく「霊」とだけ書かれている。

 

「……見つかったんじゃなかったのか?」

 

 小声でそう言うアンザン君を一瞥してから、私は昨晩から今朝にかけての記憶を反芻した。その中でふと思い出して、シャツの胸ポケットから金属片を取り出す。

 それは太陽光を浴びて金属らしい光沢を放ってはいるが、よく目を凝らすと表面は微細な筋や溝でびっしりと埋め尽くされており、その模様の歪みや畝りは、何処か生物的な、有機的なものを感じさせる。

 この村を訪れて間も無く、頭に浮かんだ或る疑念。それがいよいよ実体を伴って目の前に現れつつあると云う予感に、私は、僅かに震えた。

 棺を覗き込みながら押し黙る我々に、背後から誰かからの柔らかい声が掛かる。だが私はその声には振り返らず、社の後ろに広がる山々の燻んだ緑に顔を向け、ただそれを見据えた。

 

「さあさ、一緒に祈っておくれお客人。あいつの為に、オウミヤ様の恩寵を希って」

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 前世紀。

 繰り返される生産と消費の果てに地球の表層環境は激しく乱れ、人々は文明の行き詰まりを予感した。しかし自らの業を顧みる猶予すらも与えられぬままに、天と地はその恵みを容赦無く断ち切る。

 頻発する世界各地の地震。大規模な地殻変動に伴い活発化する火山作用。そして、異常な気候の変化に耐え切れず死滅する、多くの生物や植物たち。

 これらの難局を打破し、解決へと導くべく、一部の人間たちに依り一基の巨大スーパーコンピュータが建造された。救済の祈りを込められたそれは、しかし、地球意思の代行者を僭称して創造主である人類に叛旗を翻す。

 

──伝説の大破壊。

 

 工業文明は都市群と共に焼き尽くされ、生き延びた人間らを狩るべく数多のモンスターが世に放たれた。

 「地球の意思」に依る苛烈な粛清の日々。人類の抵抗を呆気無く呑み込む暴力の奔流。あの巨大な力の渦の中で、何もかもが失われてしまったのだろうか。

 

 いいや。

 

 それでも、残ったものが在る。

 変わらないものが在る。

 続いてゆくものが在る。

 そして、密やかに生まれ落ちたものが在る。

 

 






  崩  え  彦  の  跛  行


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