崩え彦の跛行   作:瓜生褄久

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第九章 いつかの黄昏

 

 

2134年 10月3日 午前2時5分

エル・ボスコの村 家具工場北の道

タケウチ

 

 来た道を真っ直ぐに戻り、漸く家具工場の敷地に近付いた所で、その出口を塞いで立つ、白い人影が目に入った。

 

「丸腰に見えるが、さっきの例もある。気をつけろ」

 

 アンザン君がそう助言をくれたが、その影はどうやら私も良く知る人物の様だ。

 

「タケウチさん? 俺だよ、覚えてるかな?」

 

 暗がりの中から現れたのは、眼鏡を掛けた痩身の白衣姿。一昨日真木寮で出会った教員のグミザワだった。

 

「いやあ、酷い格好だね。大丈夫?」

 

 グミザワは目を丸くして、先程の戦闘でぼろぼろになった私の服を見る。

 

「ええ、まあ、色々有りまして……しかしグミザワさん、何故ここに?」

 

「いやアナタでしょう、それを言われるべきは。私はまあ、ボスの使いぱしりでね」

 

「スノハラ博士に?」

 

 グミザワは頷くと「ついて来て下さい」とだけ言って私たちに背を向け、真木寮方面へと抜ける道に向かって歩き出した。

 

「ま、行くしかないだろう」

 

 アンザン君は肩を竦めて言った。

 

 

   *

 

 

 家具工場から延びる抜け道は真木寮の西側に在る外用非常階段の二階部分に繋がっており、私たちはそのまま非常階段を上がって三階から屋内へと入った。中は灯りも点けられていなかったが、廊下の最奥に位置する部屋の小窓からだけは若干の光が洩れているのが見える。

 

「スノハラ博士、お連れしました」

 

 その部屋の前に立ったグミザワは、扉を拳で軽く二回打ってからそう言うと、返事を待たずにドアノブを回した。

 

 

 

 室内はやや手狭な書斎と云った風で、左右の壁面に書棚が並べられ、奥の窓側にこちらを向いた机が一つ。そこには一人の老人が着席していた。

 豊かに貯えた白い髭、白いシャツ、白衣。縮れた後ろ髪だけを残した禿頭に掛けられた太い黒縁の眼鏡。年齢は六十の手前辺りか。椅子から立ち上がって机の前に進み出るその姿はずんぐりとしていたが、背筋はすっと伸びて気力を感じさせた。

 

「呼び出して済まんな。私はここの管理を任されているスノハラだ。君は……タケウチ君だったか。グミザワから話は聞いているよ」

 

「どうも、お初にお目に掛かります……私たちに何か……?」

 

 我ながら白々しいと呆れる。村の禁忌を犯しての神域への立ち入り、ましてやそれを行ったのが喪に服するべき葬儀の夜なのだ。咎められる覚えが無いと言い張るには無理が有る。

 

「お客人らがカンナメに入ったらしいという報告があってな。グミザワ君に張っていて貰った。全く……ハンターらしく好奇心旺盛な事だ。ハバキ殺しの下手人を探しているとも聞くが、まさかそれだけが目的ではあるまい」

 

 スノハラ博士は、私が下手人探しをしている事を知っている。だが、バンショの紹介状やグミザワからの聴き取りだけでは、遺体探しの件までしか知り得ない筈なのだ。私たちの侵入報告といい、一体それを誰から聞いたのか。家具工場の若衆たち、マスター……或いは、マジマか。

 

「私、元々は遺物調査が専門なもので、大破壊前後の古い建物や風習が残るこの村はとても興味深いのです。それに、そう云った研究の積み重ねがご飯の種にもなる。聖域を侵してしまった事については謝罪します。申し訳有りませんでした」

 

 私の後ろに控えているアンザン君は先程から無言を貫いたままだ。博士はそんな彼を一瞥して息を吐き、また私に目を戻す。

 

「村の知識を預かる立場としては警告を発せねばならんな。だが、まあいい。今日の所は帰りなさい。事件のせいで住民たちもカンナメの連中も些か殺気立っている。ゆめゆめ無茶はせん事だ」

 

 まただ。先程のマジマにしてもそうだった。信仰を要とするこの村に於いて、そしてそこで行われている事の異常さにも関わらず、その聖域に立ち入った事に対してさして重い咎めも無く解放されてしまうのだ。

 ビサドらの末路については、コンテナを解放した事に因る事故と云う見方も出来そうだが、それ以前の失踪者に関しては、村の意思がそこに働いている説が濃厚である。村の秘密に触れたと云う点では私たちも同様の処断を下されて然るべきなのだが、そうはならない。何故か。

 

「ん……? どうした、思いの外責め立てられないので拍子抜けしたか?」

 

 博士は私の表情から考えを読んだかの様にそう言う。

 

「いえ……しかし、大破壊以前に関する貴重なお話を伺える機会と思ったのですが、残念です」

 

「村に蓄えられた知識は村の為に研究され、使われるべきものだ。おいそれと語る事は出来んよ」

 

「あの人間の言葉をしゃべる化け物どもも、その研究の成果ってわけか」

 

 会話に切り込んできたのはアンザン君だ。

 

「む……製材所の中にも入ったのか。この恐れ知らず共が」

 

 博士の言う「製材所」とは、あのモンスター飼育場を指す符牒だろう。若しくは、あれらが正しく何某かの「材」であるのか。

 

「あれの口走る事に意味など無い」

 

 スノハラ博士はそう言い捨てると窓側に振り返り、席に戻る。

 

「……っ、あの馬鹿者めら……」

 

 後ろを向いた彼が小声でそう漏らすのを、私は確かに聞いた。それは誰に対する、何に関しての罵倒であろうか。

 

「兎も角だ。もう話す事は無い。お前たち、カンナメに立ち入った事、決して他言するなよ。命惜しくばな」

 

 長い溜め息を吐きながら椅子にどっかりと身を沈めた博士だったが、また直ぐに腰を浮かせてこちらを見た。

 

「いや、待て……お前たち、エンシオを知っているか」

 

「古物商のエンシオですか? ええ、幾度か会って取り引きをした事も有りますが……」

 

「そうか。いよいよとなったら奴を頼ってみろ。その際には私の名を出して構わん」

 

「いよいよとなったら……って……」

 

「集落の中で死なれでもしたら、色々と面倒だからな」

 

 冗談と云う訳でも無いのか博士は真顔のまま立ち上がると、机の傍の書棚を探り始めた。やがて、そこから一封の大判封筒を取り出す。

 

「これを持っていけ」

 

 そう手渡された封筒は軽く、精々書類が数枚入っている程度の重さしかない。

 

「中身は?」

 

「いざという時の御守りだ。人から出所を聞かれたら、何処かで拾った事にでもしなさい」

 

 封筒を手渡しながらもスノハラ博士はじりじりと歩み寄り、その圧力で、私たちは部屋を追い出されていく。

 

「機が訪れれば、君の聞きたがるような話もしてやれるかも知れない。接触はこちらからする。それを待ちなさい」

 

 私たちがグミザワと一緒に廊下まで出ると、博士はドアノブを引きながら「それまで気を付ける事だ」と言って、そのまま扉を閉じてしまった。

 

 

 

 残された私たちとグミザワとの間に、少々気不味い空気が流れたが、グミザワは直ぐに気を取り直して、ぽんと自分の手で拍子を打った。

 

「お話は終わりかな? じゃあ、帰ろうか。住宅地は通りたくないから、来た道を戻ろう」

 

 そう言うグミザワの案内で、私たちは再び暗い廊下を抜けて非常階段へと向かった。

 

 

 

210X年 9月X7日 午後4時5X分

カミシアの村 奥殿 自室

タケウチ

 

 こつ、こつ、と、部屋の小窓に何かが当たる。小石か、木の実か。

 

「コイズミ」

 

 続いて、窓の外から呼び掛かる少年の声。

 数ヶ月前に村に流れ着き、以来この近辺で商売をしているトレーダーの連れた子供。彼は私をその名で呼んだ。それは私の、この村に於ける立場を示す名だった。村の神たる大蛇の子、コイズミ。

 

「はーい」

 

 私は届かない窓に背を伸ばして返事をしてから、部屋の出入り口に向かった。ドアノブに顎を引っ掛け、しゃくる様にして扉を開く。

 

 

 

 下男たちの目を盗んで屋敷の外に出た私は、少年の姿を探した。

 

「こっち」

 

 声のする方を向くと、曲がり角から顔を覗かせる少年が居た。直ぐに顔を引っ込める彼を追い掛け、私は走った。

 

 

 

 太い樫の木たちの間から差し込む強い夕陽に因って、黒と橙の二色に塗り分けられた世界。日没間際の神社の境内が今日の私たちの遊び場だった。

 

「かお、だいじょうぶ?」

 

「ちょっと、いたい」

 

 夕陽は、腫れた少年の顔を赤く照らし、内出血の痕を上手くぼやかしてくれている。

 数日前、彼が私を村の外に連れ出した事で大きな騒ぎとなり、その罰としてトレーダー仲間らにしこたま殴られたのだ。私は彼への申し訳無さと、何に対してかも分からない湧き上がる憤りにギュッと身を縮めた。

 その時である。社の格子の隙間に、ちろちろと何かが蠢くのが見えた。

 

「しろへびだ」

 

 ラムがそう言う。そうだ、ラム。それが彼の名だった。

 ラムは地面に落ちていた枝を拾うと、小枝を打ち払って棒を拵えた。そして今度はどんぐりを何個か拾い、それを一個ずつ社に向かって投げ始めた。

 その内の一つが格子の蠢きの近くに当たると、そこから一匹の蛇が長い身体を伸ばして這い出て来る。その体色は日陰で上手く判別が付かないが、白だと言われれば、その様な気もしてくる。

 この神社に祀られているのは村の貴き神「シャゴジ」の分け御霊であり、それが白蛇の姿を取って顕現するのだと聞いた覚えが有る。ならば、あれこそが神の眷属だと云うのか。

 先程から心の隅に燻っていた正体不明の怒りが俄かに燃え上がり、白蛇にその火の手を伸ばす。私は手に棒を握り締め、白蛇に近付いた。

 

 

 

 いや、違う。そうである筈が無い。この時、棒を手に白蛇に近付いて行ったのはラムだったのだ。私は──

 

 

 

2134年 10月3日 午前6時19分

エル・ボスコの村 民宿はちのす 梅の間

タケウチ

 

 時折、幼い頃の夢を見る。故郷を離れ四半世紀近く経ち、最早平常時の記憶の中ですら曖昧な風景の数々は、夢の中にあっては更に朧気で、まともな輪郭を作る事などとても出来ない。

 意識してそれらを思い出す事は、今となっては稀だ。忌まわしき記憶として、自ら蓋を閉じている部分も有るのだろう。

 しかしここ数日、いやに鮮明な細部を伴った故郷の夢を見る事が増えており、その傾向は日々強まっているのだ。しかもそれはどうやらただの記憶では無い。当時の景色を改めて今の自分が見つめ直す様な、何処か、他人からの視点でもある様な、時には全く身に覚えの無い経験すら混じり込んだ異様な追体験なのだ。

 

 ──幼き日、あの夕焼けの境内で、私は何をしていたのだろう。ラムは何故、白蛇を殴ったのだろうか。

 

 

 

 一夜明けて、浅い眠りから目を覚ました私は、夢の余韻を反芻しながらベッドに横たわり続けた。カーテンの隙間から差す陽の光は弱い。今は曇り空なのだろう。

 やがて7時を回り、何時もの通りに女将さんが部屋に入って来てはバタバタと何かをやり始める。深く寝入っていたアンザン君も流石に起き出し、お互い簡単な身支度を済ませて部屋を出た。

 食堂には朝食の準備が整っており、厨房ではマスターが既に夜の仕込みを始めている。ここ数日の間で日常と化した、変わらない朝だ。

 女将さんもマスターも、昨夜の数時間私たちが宿を抜け出していた事には触れもしなかった。だが、マジマにスノハラ博士、グミザワ、私たちの昨晩の行動を直に知る者は村の中に少なく無い。そして、ニンゲンナッパーらとの戦闘に於ける銃声や爆発音を聴いた者が村内に誰一人居ないなどと考えるのは、些か希望的観測が過ぎるだろう。

 本当に気付いていないのか、気付かぬ振りをしているのか。振りだとしたら、その理由は何か。

 最早、何事も起こらないと云う状況に対してさえ疑念を抱く有様となってしまった。もう、この村で私たちが安息を得る事は無いのかも知れない。

 いいや、その様なものは最初から無かったのだ。目的を持ってこの長曾根の地に足を踏み入れた、その時から。

 今朝方、女将さんが掃き掃除をしに玄関先に出た際、戸の脇に置かれた鞄を見付けたと云う。中身は、マジマの名が添えられた現金、3000G。昨夜約束された調査の報酬だ。

 一時の安息を、身の安全を得たいのであれば、マジマが言う通り、この村から去るべきなのだろう。だが、私の求める真の安息は、仮初めの安らぎをかなぐり捨てた先、横たわる死の向こう側に在る様なものなのだ。そして、それを得る事は、自らの命にも優先される。

 

 

   *

 

 

 朝食を摂り終えて、私とアンザン君は散歩に出た。明確な目的が有る訳でも無い。だが、歩くと頭が回る。それに、少しでも前へと進んでいたい──その気持ちが私を歩かせた。

 宿の前の砂利道から参道を西へ。アンザン君は朝食後だと云うのに焼き餅を片手に持ち、それを無言で頬張っている。

 やがてドライブインまでやって来た。キャラバンが居なくなり、他に駐まるクルマも無い駐車場は、その面積以上にだだっ広く感じられ、客の一人も並ばない売店にも若干の物寂しさを覚える。

 

「どうするんだ、これから」

 

 何時の間にか焼き餅を平らげていたアンザン君が漸く口を開いた。

 

「昨日も言ったとおり、俺の仕事はそろそろしまいだ。スノハラは待てと言ったが、それは明日までか? 来年か? いつまでも待てるものでもないぞ」

 

 村の調査と云う共通点で協力関係にあったアンザン君と私だが、それはただ互いの利害が一致したまでの事。とは云え、その関係を超えて力を貸してくれているとも、時々感じる。それは彼本来の人の良さに由来するのだろうと、私は思う。彼は本当に、良い奴なのだ。

 彼の献身に応える意味でも、行動を起こさねばなるまい。そして……残された時間が無いのは、恐らくは私の方こそなのだ。

 私は腰の図嚢に手を当てた。そこに忍ばせた一本の牙が、歪んだ日常に風穴を空ける──そんな予感が在った。

 

 

 

2134年 10月3日 午前8時35分

エル・ボスコの村 ハンターオフィス

アンザン

 

「これは……どこで拾ってきた?」

 

 ハンターオフィスの初老の事務員──ノウマスという名だとタケウチから聞いたが──彼は、タケウチがカウンターに置いた牙に目を丸くし、ぎょくっとツバを飲みこんだ。

 

「どこって……あんたのくれた情報通り、西のダム方面の森だよ。そこで狩ったんだからな」

 

「ふーむ……」

 

 ノウマスは白手袋をして牙を手に取り、カウンターわきのデスクでしばらくそれをながめ回していたが、ふと立ち上がると、のれんで目隠しされている奥の部屋へと向かった。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 そう言う彼の声だけがカウンターに残される。

 賞金首ニンゲンナッパーはハンターを村に呼びこむためのエサであり、仮にそれに気づく者があれば、その人物は村人によって処理される──これがタケウチの推理だ。そしておそらくは、村のハンターオフィスとレンタルタンクもこの件に深く関わっている。

 ありえない話のようで、しかし状況や俺たちが見聞きしてきたものはたしかにそれを裏づけてはいる。もしこれが事実ならば、この村は裁きを受けることになるだろう。この荒野にしかれた、力の法にしたがって。

 ただ、昨夜のマジマの行動はよく分からなかった。替えが用意されているとはいえ、村の所有物であるモンスターを駆逐し、そして、カンナメを護る立場でありながら侵入者である俺たちを見逃した。その点についてはスノハラも同じだ。もしかすると、俺やタケウチが想像する以上の思惑が、彼らにはまだ隠されているのかも知れない。

 

 

 

 やがて十数分ほどの時間が経過したが、ノウマスは戻らない。ランドユーユーの件もあり、俺は彼の鑑定眼そのものには信頼を置いている。この牙がまさしくニンゲンナッパーの身体の一部であると認めてくれるはずだ。そのとき彼は、俺たちにどんな態度を示すのだろうか。

 

「だが、遅いな」

 

 思わずそう言葉に出すと、タケウチがハッと一瞬身体をふるわせ、はじかれたように玄関に走った。玄関ドアの横にはりつき、ドアの小窓から外のようすをうかがう。

 

 ──そうか、もしかするとすでに……

 

 俺もその場にいながら周囲に警戒の気をくばる。

 

「どうした、外に何かあったか?」

 

 俺たちの緊張が高まるなか、ようやくノウマスがカウンターに戻った。

 

「済まんが、あれがニンゲンナッパーのものだという確証が取れん。だが俺は、その可能性は高いと見ている。その為に、もう少し詳しい調査が要るのだが……あれを暫く預からせては貰えんか? まだ当分は、はちのすに泊まるつもりなんだろう? 判断が付いたら、こちらから連絡を寄越そう」

 

 ノウマスは先ほどとあまり変わらない様子でそう言うが、ほんのわずか、視線の動きやしゃべりかたに違和感をおぼえるのは気のせいだろうか。

 

「連絡をお待ちしています」

 

 俺の頭のもやつきをよそにタケウチがそうこたえ、そのままさっさとオフィスを出ていってしまう。俺はあわててその背中を追いかけた。

 一瞬ふり返った時に視界に入ったノウマスは、直立不動、無表情のまま、ただ俺たちを見つめていた。

 

 

   *

 

 

「そういえば、スノハラ博士のお守りってなんだったんだ? 見たんだろ?」

 

 俺は参道の交差点から遠くのハンターオフィスをながめつつ、ふと思い出した疑問を隣のタケウチに投げかけた。お守りとは、スノハラが別れぎわにくれた封筒とその中身のことだ。

 

「ええ、確認済みです。封筒に入っていたのは村の地図でした。書類の体裁や書き込まれた建物の位置などから考えて、大破壊以前のものでしょう。私が持っている古地図と比べると縮尺がより大きい物で、今の村が存在する広口地区近辺に範囲を絞った地図です。確かに希少な遺物ですが、何故これを私たちに渡したのかはまだ何とも……」

 

 タケウチが取りだしたそれを、俺ものぞいてみる。確かに地形はこの辺りの様子と同じものを感じさせるが、川の流れなど、現代と違っている部分も多い。

 

「何ヶ所かに小さくしるしがついてるな」

 

「ああ、これは水路の入り口と出口を示している様ですね。今では殆ど機能していないものばかりですが、ほら、エンシオの所の溜池も載ってますよ」

 

 エンシオ──奴を頼れという言葉とともに渡された地図だ。そこにはなにか意味があるのだろうが、俺にはさっぱり見当がつかなかった。

 頭を切りかえ、ふたたびハンターオフィスに目を向ける。

 

「さてさて……どう出るかね」

 

 タケウチの考え通りであるなら、先ほどのやり取りをふまえてなにかしらの動きがあるはずだ。俺たちが秘密に近づく危険分子として村に知れわたり、そして、それを正そうとする力がはたらくだろう。もっとも、マジマが警告していたように、すでに手が回っている可能性もじゅうぶんあるのだが。

 そのような身の危険を感じながらいつまでも滞在できるほど、人間の心は丈夫に作られてはいない。ならば、とっととカタをつけてしまうのに限る。最悪、荒事になったとしても生きのびてやる自信はあるのだ。

 どうやら、横に立つタケウチも似た考えではいるらしいが、こいつの場合、もっと別の理由──みょうなあせりのようなものを感じる。それがなにに由来するのかまでは分からないが……

 

「ハンターオフィスのノウマスさん、やはりクロですね。私たちがあの民宿で部屋を借りている事、あの人には話して無いんです」

 

「そうか……だがまあ、小さい村だ。ウワサ話くらいはすぐに広まるだろう。旅人が泊まれる宿だって、そう多くはない」

 

「それはそうです」

 

「言いたい事は分かるよ。あの様子、なにかよそとのつながりはあるだろうな。それが神社なのか、それとも自治会か……」

 

「ニンゲンナッパーの牙を見た時の驚きは本物でしたね。仮にマジマから昨夜の話を聞いていたとすれば、私たちがモンスターの身体の一部を持っているのは然程意外な事でも無い筈ですから」

 

 だとすれば、ノウマスが動くのはこれからだ。そう考えた俺たちは、数日前にハバキらがそうしていたようにハンターオフィスを遠くから観察し、人の出入りがないかを見張っていた。しかし、動きはなかなか見られない。

 以前おとずれた時に、ハンターオフィスに裏口がないことは確認している。外部に連絡を取るのであればオフィスから出向く必要があるはずだが、ノウマスはいっこうに扉からあらわれない。あわてて知らせに走る必要はないとふんだか、あるいは──

 

「さっき、ノウマスが奥に引っこんだ時、もうとっくに伝達が済んでいたのかもな」

 

「ハンターオフィスなら通信機器を置いていても不思議では有りませんね。その場合、村内で受信出来る場所は限られている筈です。例えば……」

 

「レンタルタンクショップ、か」

 

 ハンターオフィスとレンタルタンクはそれぞれことなる通信システムを利用していると聞くが、神社を中心として利害をともにしているであろう両者が、村内での連絡のために通信設備のすり合わせをおこなっている可能性はある。ただの寒村にできる芸当ではないが、真木寮の保有する知識と技術があれば、そういったこともありうるかもしれない。

 それをいうならば、村にはダムからの電線が引かれているくらいであるし、村内各所に電話線が繋げられていてもまったくおかしくはないのだ。

 なんにしても、いつまでもここでこうしていることに、たいして意味はなさそうだ。

 

「とりあえず、一度宿に戻ろうか」

 

 俺の提案に、タケウチは素直にうなずいた。

 宿に向かおうとした俺は、ふとドライブイン方面をふり返る。視界の限りに人影は無い。そしてふたたびハンターオフィスを見るが、やはりそこにも人の動きはなかった。参道の両脇にひろがる畑にも、農作業に従事する者の姿は見えない。宿方面の参道の先も同じだった。

 辺りには人の子ひとりいなかった。そういえば、朝に宿を出てから今まで、路上で誰ともすれ違っていない。もともと出歩く人間の少ない村ではあったが、これはさすがに異変といっていいだろう。

 

「喪に服すのは昨日の晩だけって話だったよな?」

 

 そう語りかけたが、タケウチは厳しい目つきのまま、なにか考えにふけっているようだった。

 

 

 

2134年 10月3日 午前10時16分

エル・ボスコの村 民宿はちのす

タケウチ

 

「あら、おかえりなさい。もうお昼? さっき出て行ったばかりだと思ってたのに、やあね。まだ支度も始めてないけど、ご飯もうちょっとだけ待てる?」

 

「いやいや、まだ10時過ぎですから。ちょっと休もうと思って戻っただけで。いや、お構い無く」

 

「あらあら」

 

 女将さんに捕まると長くなる。私たちは会話を切り上げてさっさと部屋に向かおうとしたが、敢え無くその背中を引き留められてしまう。

 

「あ! ちょっと待って。貴方たちまだ戻ってこないと思ってお部屋にワックスかけちゃったのよ。乾くまで代わりのお部屋を用意するから、そっちで休んで頂戴。離れの松の間! いいお部屋なのよ〜」

 

 部屋のワックス掛け──客が使用中の部屋に態々するものかと言いたいが、まあ、この人のする事ならば有り得るだろう。寧ろ一時とは云え、無料で上等な部屋を堪能出来て幸い……と、尋常ならばそう思う所である。

 だが、その間が間だ。アンザン君に目配せをすると、彼も何やら微妙な表情を浮かべ、腰に伸びた手で、提げた銃を確かめる様にしていた。

 

 

 

 離れへと通じる渡り廊下は土間から地続きに延びており、靴のまま行く事が出来たが、松の間そのものは土足禁止らしく、入り口で靴を脱いでスリッパに履き替える必要が有った。

 

「こちらが松の間でございます〜」

 

 女将さんは少し戯けた調子で私たちを中に案内すると、自分はすっと部屋を出て行った。

 

「お昼過ぎにはワックスも乾くと思うから、また呼びにくるわね。ごゆっくり〜」

 

 そして扉を閉め、パタパタと足音を遠のかせて去って行く。

 松の間の内装は、離れの伝統的日本家屋風の侘びた外観とは打って変わって、光沢の有るセラミックの床と壁、埋め込み式の照明など、大破壊直前頃に「モダン」とされた様式に統一してある。調度品も、当時物と思われる凝った意匠の品々が揃えられていた。家具類は村の工場で設えられたのだろうか、部屋の雰囲気や寸法にぴたりと合う物が並んでいる。

 

「見て下さい。ジュークボックスまで有りますよ」

 

 透明なビニールシートが掛けられたその箱は、本来の意味でのジュークボックスそのものでは無く、ネットワーク通信を使って曲を再生するモダンレトロ風インテリアだった。ネットワークが使えなくなった現在では、プリインストールされている数曲の中からのみ演奏を楽しむ事が出来る様だ。

 私は、表示された曲目の中から、唯一題名を知っている曲を選択し、再生させた。

 柔らかいピアノの前奏から続く、女性歌手に依る優しい歌声。大破壊以前に人気を博したと伝わる往時の流行歌だ。

 

「アンザン君、これ聴いた事有ります? 明日のうた──」

 

「先生、ここを出よう」

 

 アンザン君が遮る様に言い放つ。部屋の中程まで進んでいた彼は、その奥の方を見据えたまま、ゆっくり入り口へと後退りした。

 

「……ったく、見たくないものまで見えちまう。なんだ、ありゃあ」

 

 ジュークボックスが奏でる澄んだ歌声が流れる中、アンザン君は腰の拳銃を抜き、視線の先、部屋の隅に置かれたワードローブに向かってそれを構える。

 事態の具体性は兎も角、今が危険な状況だと云うのは私にも理解出来た。素早く入り口の扉に飛び付き、ノブを回す。が、途中で何かに引っ掛かる様な感覚が在り、ドアノブが最後まで回らない──

 

「鍵が……!」

 

 その時、部屋の奥のワードローブがガタガタと震え出し、やがてそれは何かが叩き付けられる様な破裂音と共に跳ね上がり、そのまま前のめりに倒れた。

 ばん、と再び破裂音。次の瞬間、うつ伏せ状態のワードローブが床から浮き上がると同時にその扉が開かれた。中から溢れ出すどす暗い緑の畝りが触手状に形作られ、それらを手足として床を突っ張りながら、ワードローブがゆっくりと「顔」をもたげる。開かれた扉の中、そこには口だけが、歯と歯茎と長い舌だけが有った。

 

 ──人攫い、罠、脱出、鍵、破壊──

 

 一瞬の内に頭を過ぎる言葉たち。思考と手、そして足を止めている時間は無い。即座に引き抜いた拳銃でドアノブを撃ち抜くと、背後からの銃声がそれに重なった。アンザン君がモンスターを撃ったのだ。

 甲高い掠れた叫びを耳に、スリッパのままドアを蹴破る。

 

「煙幕使います!」

 

 後退しながら射撃を続けるアンザン君が部屋を出たのを確認し、直前に点火していた煙幕を室内に放り込む。ドアで封をされて煙に満ちた部屋の中では、嗅覚も、有るのか分からない視覚も利かないのだろう。怪物が手当たり次第に身体を壁にぶつける音が中から響いてくる。奴に煙幕が効くのは昨晩の戦闘で経験済みなのだ。

 

「行きましょう!」

 

 梅の間に行って荷を回収したくはあったが、重要な物品の殆どは持ち歩いている。金程度なら捨ててしまって構わない。先ずは脱出だ。

 私たちは邪魔なスリッパを脱ぎ捨て、素足のまま渡り廊下を走った。

 

 

 

 母屋の土間に入った私たちの前を塞ぐ様に、カウンター内からすっと現れたのは女将さん──アママチだ。恐らくは先程のモンスター入りの家具を手配し、部屋に私たちを閉じ込めた張本人。

 私は躊躇い無く彼女に銃口を向けた。だが、引鉄に掛けた指に力を込めるその寸前、その手がアンザン君に押し留められる。

 

「おい、やめとけ!」

 

 アママチと私との間にアンザン君が割り入って来た。次の瞬間、その身体が衝撃に震える。

 

「お客様、困ります!」

 

 アママチは手にした包丁を平らに寝かせ、それをアンザン君の腹部に突き立てていた──

 

 それを見た瞬間に、何時かの光景が眼前に甦る。頭を過ぎったそれは、大人たちに暴行を受けて口から血を滴らせる友人の少年、ラムの姿。

 

 ──だが、包丁の刺し込みは甘かった。アンザン君は左手でアママチの腕を掴んでそれごと刃を引き抜くと、拳銃を握った右手で裏拳気味に顔面に一撃を入れた。壁まで吹き飛んだアママチはそのまま床にへたり込んだが、顔の痛みを気にする彼女の様子を見るに、どうやら重傷では無い様だ。

 

「悪い。大丈夫か、女将さん」

 

 そう言ってアママチを気遣って見せるアンザン君だが、腹部からは血が溢れ、薄灰色のタンクトップを暗い赤に染め直している。

 彼は腰の革鞄から小さなスプレー缶を手早く取り出し、服を捲って腹部にその内容物を吹き掛ける。泡状のそれは傷口に纏わり付き、速やかに出血を止めてみせた。

 

「大丈夫ですか」

 

「たいしたことはない。さっさと行こう」

 

 素足のままの私たちは、足裏に食い込む砂利の痛みを気にする余裕も無いまま屋外へと飛び出し、道を駆けた。

 背後からは、狂乱するモンスターの暴れる音が響き続け、そしてその合間には微かに、ジュークボックスから流れる美しい歌声が漏れ聴こえてきた。

 

 

 

「さて、どこへ逃げる!?」

 

 宿から離れる為に参道方面に駆け出したが、さりとて当てが在る訳でも無い。頼れる人間、逃げ道……必死に頭の中に正解の行動を探す。

 

「おい、見ろ」

 

 促されてドライブイン方面に目を向けると、遠くに見えるレンタルタンクショップの敷地から数輌の戦闘車輌が出発し、西へと向かうのが確認出来た。ドライブイン前の道は村の外へと通じるほぼ唯一の道だ。早速私たちの退路を断つべく手が回されたのだろう。

 

「宿に戻ったのは迂闊でしたね。しかしこれ程対応が早いとは……」

 

 ドライブインや隧道を抑えられたとなると、後は橋向こうにソシモリへと抜ける道が在るくらいだが、あちらこそ村の中枢に近い場所だ。既に対応されているだろう。

 

「道はどこもふさがれちまってるな。川はいちおう大湿地帯につながっちゃいるが、まあ、いいとこ水棲モンスターのえじきか。俺、泳げねえし」

 

 川、水路、大湿地帯、そうか──

 

「……エンシオだ」

 

 昨夜、博士は私たちに「村の中で死なれると面倒」だと言ってきた。その言葉の中で重きを置かれていたのは「死なれると面倒」では無く、恐らくは「村の中で」の部分だ。詰まり、村の外に繋がる何かが、渡された地図とエンシオに在る。そうは考えられないか。

 

「昨日、スノハラ博士のくれたあの情報か。罠だっていう可能性は?」

 

 私も一時はそれを考えた。だが、やる積もりならば、態々一度寮に呼び込んで話をするなどと云った回り諄い真似はしないだろう。それに、エンシオが他の村人と比べて神社や自治会との縁が薄いと云う事も、今のこの状況に於いては好ましい要素だった。

 

「博士のあの時の様子からして……多分、大丈夫です」

 

「よし……んじゃ、行ってみるか」

 

「ええ、じっとしているよりかはましです。足元に気を付けながら南の山沿いを進みましょう」

 

 見上げた空、薄曇りに隠されたままの太陽は、正午に向かってより高く昇り始めていた。

 

 

   *

 

 

 住宅地側から見て南、山裾に在る林を背にする形でエンシオのヤードへと向かうが、とても周囲から身を隠せているとは言い難い。私たちは視界内に人影が無い事だけを心の助けにしながら畑道をひた走った。

 ヤード北側を囲うメッキ鋼板に沿って、西から東へと回り込みヤードのゲートに向かう。その途中、先行していたアンザン君がぴたりと足を止めた。

 彼に倣って身を屈め、その視線の先を追うと、ゲートの方から七、八人程度の集団が鼻息荒く参道方面へと向かう姿が見えた。幾人かは見掛けた事の有る風貌。家具工場の若衆たちだ。恐らくは私たちを確保すべく動いているであろう彼らが、エンシオのヤードから出て来るとは……

 

「エンシオの奴、ヤバいかもな」

 

 私は先日家具工場を訪れた際に見た、激昂するアカヌタの姿を思い出していた。元々ハバキ殺しに関与していると見て、槍玉に上げられかけていたエンシオ。私たちの口利きでそれは回避されたが、その私たちが不穏分子とされた今、寧ろその関係を怪しまれて彼もとばっちりを受けた可能性は高い。

 若衆らが遠ざかったのを見て、素早くゲートに駆け込む。ゲートは半開きの状態で、地面には切断されたチェーンが転がっていた。施錠していたにも関わらず、こじ開けて侵入されたのだろう。

 ヤード内に特段荒らされた様子は無い。私たちは手分けしてヤード内にエンシオの姿を探したが、間も無くそれはヤード最奥のコンクリート製建屋の前で見付かった。

 地面に仰向けに転がったエンシオは盛んに胸を上下させているが、その呼吸はか細い。あちこちを激しく殴打されたらしく、顔は腫れて変形し、歯も殆どが失われている。口から溢れた血はまだ新鮮な滑りを伴って、彼の着る衣服といい、周囲の地面といい、そこら中を汚していた。先程の若衆らにやられたに違い無い。

 

「おい! しゃべれるか!」

 

 アンザン君の呼び掛けに、エンシオは目を瞑ったまま「うん、うん」と応えるが、それが返事なのか、ただ呻いているだけなのかは判別が付かなかった。

 

「放置していったからには殺すつもりはなかったんだろうが、さすがにやりすぎだな」

 

「取り敢えず、中に運びましょう」

 

 私はアンザン君と二人で、仰向けのままのエンシオを慎重にバラック内へと運び込んだ。

 

 

   *

 

 

 エンシオは既に殆ど意識が無く、時々痙攣しては身体を震わせるのみだった。運んだ際の感触から、骨も何箇所か折れている様だ。もしかすると、それらが内臓を傷付けているのかも知れない。

 

「エナジーカプセルなら持ち歩いてるんだが、この様子じゃ飲み込めんか……」

 

 そう言ってアンザン君は懐中からカプセル剤の入った半透明のボトルを取り出した。

 エナジーカプセルは代謝を爆発的に高め、同時にそのエネルギー源となる膨大な栄養を補給する即効性の回復薬だ。かつて軍用に開発されたものでその効果は折り紙付きだが、内臓機能の老化を早めると云う副作用が有った。だが、今この瞬間を生きたいハンターらにとっては、明日など容易く支払える代償と云えるだろう。

 

「粉末を流し込んでみますか……」

 

 私はアンザン君からカプセルを一錠受け取り、それを歯で固定しながらゆっくりと開き、エンシオの口内に中身を撒いた。そして水筒を取り出して、水をそこに注いでやる。エンシオは何とか喉を動かしてそれを飲み込んだが、果たしてどれ程の効果が有るかは疑問だった。

 エンシオの介抱をする一方で、私は何処か冷めていた。脱出の手掛かりを持つであろう彼を救う事は、自らの窮地を助ける事に繋がる筈だ。だが、何故か私はエンシオの生死に興味を感じない。

 私は最早、私自身の身の安全にすら興味が無いのではないか。私は救われたかったからこそ、ここに居るのではなかったのだろうか。

 自問の中に入り込もうとする意識を現実に引き戻したのは、バラックの入り口に立つ人影だった。見知らぬ女──

 反射的に拳銃を抜いたが、撃つ事が出来ない。撃てば、銃声を聴いた若衆らが直様ここに舞い戻るだろう。だが、恐らくは村の達しを受けているこの人物を逃せば、どちらにせよこの場所に手が回ってしまう。

 私は女に向かって駆け出しながら、左手の義手に仕込んだ短刀を抜いた。

 

 ──これで黙らせる。

 

「まてッ!」

 

 鋭く制止され、足にブレーキが掛かった。逃げる隙と見たのか、女は建物の陰へと素早く消えた。慌てて追おうとするも、その肩をアンザン君に掴まれる。そして、彼は私の代わりにバラックの外に飛び出して行った。

 

 

 

「エイコちゃん!」

 

 遅れて私も外に出ると、丁度アンザン君に呼び掛けられた女が立ち止まり、こちらに振り向く所だった。どうやら彼女はアンザン君の知人だったらしい。

 アンザン君はゆっくりと彼女──エイコと呼ばれた女に歩み寄って行く。

 

「貴方たちが、エンシオさんの所に入っていくのを見かけたから……」

 

 そう口篭るエイコは、やや悲愴な面持ちだ。

 

「つい先程、貴方たちが指名手配を受けていると聞きました。レンタルタンクは特別措置として戦車一輌と装甲車二輌を展開し、村の出入り口を封鎖しています」

 

「どうやら俺たちがハデにかき回しすぎたらしい。なんにせよ、こうなれば最後の手段をとるしかない。君には気の毒だが……」

 

「いえ……告発をした時点で覚悟は出来ていましたから」

 

「そうか。俺たちは村からの脱出を試みる。一緒に来るか?」

 

 少し間を置いて、エイコは黙って首を横に振った。仮に私たちと同行すれば、その道行きは決して安全なものとはならない。彼女がアンザン君の協力者だとしても、その素性が割れていないのであれば、村で大人しくしているのが賢明だろう。

 

「数日の猶予はあるはずだ。兆候があればすぐに逃げろ。その時は俺も動く」

 

 エイコはやはり少し黙った後、サッと頭を下げ、そのまま振り返る事も無くヤードを出て行った。アンザン君はその消えた後ろ姿を暫く見詰めたまま立ち尽くしている。

 

「行かせて良かったんですかね」

 

「まあ、無理強いするのもな」

 

「いや、そうでは無く……彼女、お知り合いの様ですが、村の住人ではあります。ここが通報される可能性も在るのでは?」

 

「だから殺すってか」

 

 目を見張るアンザン君のその声には、若干の怒気が孕んでいた。

 

「今までだまっていたが、彼女はこの一件の情報提供者でな。調査中もちょくちょくコンタクトをとっていたんだ。住みなれた村に愛着くらいはあるかもしれんが、敵に回るような人じゃない」

 

 それは君の願望も混ざっているのだろう、と言い掛け、その言葉を呑み込んだ。彼は多分、それを自覚しているだろうからだ。

 

「さっきの宿での女将の時もそうだったが、アンタは目的や保身のためなら簡単に殺しもやれる手合いだったんだな。いや……学者肌で物腰もおだやかだったもんだからちょっと驚いたが、べつに責めちゃいねえよ。まがりなりにもハンターだもんな。そういう判断をするのは分かる」

 

 モンスター退治の実績などから英雄視される事も有るハンターだが、実際にはその殆どが与太者の類いであり、中には野盗紛いの連中さえ居る。寧ろアンザン君の様な人物こそが変わり種なのだ。

 とは云え私自身、自分が俗に云うハンター的な、酷薄な判断をした事に戸惑いを覚えてもいた。そして、ある面で納得もしていた。やはり、私は心身を蝕まれているのだと。変質しているのだと。

 いや、だが本当にそうだろうか?──

 

 黄昏時の神社の境内。白蛇を打ち殺さんと、手にした木の棒を振るうラム。

 そうか、あれは私が彼にやらせたのか。自ら棒切れを握る事すら出来ない己に代えて。白蛇に対し正体不明の怒りを燃やして。

 

 ──そうだった。この様な残酷さは私が生来持ち合わせていたもの。そして、目的達成の為には純朴な人間を手段として平気で利用しさえするのだ。あの時のラムと同じく、今はアンザン君を……

 

「どうやら私は昔からこう云う人間みたいで……ご迷惑をお掛けしてます」

 

「いや……別に、いいんだけどよ。ま、俺のほうこそハンターとして甘すぎるとは思うけどな」

 

 アンザン君はタンクトップの裾を捲り、先程出来たばかりの腹の傷を見せてきた。スプレータイプの人工皮膚に依り、出血は完全に止まっている様だ。

 

「戻ろう。エンシオのおっさんが心配だ」

 

 

   *

 

 

「……死んだぜ」

 

 エンシオの脈と呼吸を確認したアンザン君がそう呟く。

 結局エンシオは回復の兆候すら見せず、襲撃者についてやスノハラ博士との関係、そして脱出の経路など、私たちの欲する情報を全て抱えたまま逝ってしまった。

 

「村人たちは一枚岩では無い……それも、思った以上に複雑な関係にある様ですね。宿での襲撃、最初はスノハラ博士が手を回したのかとも考えましたが、それならば態々エンシオを頼らせる意味は無い。博士の言葉に偽りは無い筈です。何かしらの思惑が有るとは思いますが」

 

 そして博士のくれたあの古地図だ。私の想像通りなら、今重要なのはエンシオでは無く、この場所そのものだろう。

 

「隣の建屋に行ってみましょう」

 

 アンザン君を誘ってバラックを出ようとした私は、ふと視界に入った軍用バギーに目が留まる。

 

「そうか。いざとなれば、クルマで強行突破と云う手も有りますね」

 

「いや……」

 

 アンザン君がクルマに近付いて各部を点検するが、その表情は冴えない。どうやら動かない様だ。

 

「これはどうもバッテリーの不良だな。劣化したバッテリーがシャシーから外して置いてある。この様子じゃ、ほかのクルマに繋いだとしてもエンジンを始動できるかどうか……」

 

 それこそレンタルタンクショップならば簡単にバッテリーを用立てられるのだろうが、今となっては叶わぬ願いだ。

 一箇所でも致命的な機能不全に陥ってしまったならば、連動するその全体が駄目になる。クルマも、人も、集団も同じである。

 修理を諦めた私たちは、エンシオの遺体と動かないバギーを残してバラックを後にした。

 

 

   *

 

 

 一歩一歩、鉄板張りの床を踏む度に、建屋内の高い吹き抜け空間に足音が木霊する。

 私たちはエンシオの倉庫の中から、サイズの合う靴を探し出して拝借していた。私が今履いているのは、先程の宿に於ける戦闘で失った物と同じ、ホッパーブーツだ。

 建屋の中は電灯を点けてなお薄暗く、分厚いコンクリート壁の中に封じ込められた冷気と相まって、何処か異世界に踏み込んでしまったかの様な感覚すら覚えた。それは喩えるならば、巨大な墓の中……

 建屋は予想の通り、水の流れを管理する施設だったらしく、その為のバルブや機械類がそこかしこに見受けられる。水路に水気は殆ど無く、本来の用途では久しく使われていない様だ。

 そこにエンシオが家具類を持ち込んで自宅化していたと見られ、床だけで無く、階段や踊り場などにも生活用品が敷き詰められ、一種独特な居住空間が形成されていた。並べられた物品の多くは、大破壊以前に製造されたと思われる、比較的珍しい品々だ。

 その内の一つであるオフィス用デスクに目が留まる。デスク上に広げられた商品管理台帳らしきファイルに敷かれているのは、ハンターオフィスが発行するお尋ね者の手配書だった。

 私がファイルを退かして手配書を手に取ると、アンザン君も一緒になってそれを覗き込む。

 

「ブリトラ……?」

 

 それは数日前にキャラバンのトレーラー内で見た物と同じ、鰤と虎の合成モンスター、ブリトラの手配書だった。この村のハンターオフィスでは掲示すらされていないブリトラの手配書。それが何故ここに有るのか。

 エンシオは商売や仕入れの為に良く他の町に出向いていたと聞く。その際に入手したか、或いはビサドらの様な彼が懇意にしていたハンターが持ち込んだ物か。

 

「ブリトラ……ミュートの、番犬か……」

 

 アンザン君は独り言を呟きながら、ふらふらと何処かへと行ってしまう。

 私もここでこうしている場合では無い。エイコが我々を通報するにせよ、しないにせよ、やがてここに追手が迫る可能性は在るのだ。

 

 

 

 涸れた水路の最奥部にその扉は在った。人力ではとても動かせそうにもない、重厚な鋼の丸扉。直ぐ側の配電盤は生きているらしく、グリーンのランプが灯っている。配電盤の蓋を開閉する為のレバー周りだけ埃が拭われて微かな艶を放っているのは、恐らくは、それが最近でも使用された為だろう。

 蓋を開けると、その裏に一枚のメモ紙がガムテープで貼り付けてあった。内容を見るに、どうやら扉の開閉手順を記してあるらしい。私はメモに従い「開」のスイッチを左義手の指先で押さえながら「運転」のボタンを右手で押した。

 すると、建物の地下深い所からモーターの回転音が聞こえ始め、少し遅れて鉄扉がゆっくりと開き始めた。

 

「見つけたか」

 

 構内を彷徨いていたアンザン君も、音を聞きつけてやって来た。

 恐らくこれは、溜池やこの施設に集まった水を排出する為の水門。その入り口の向きからして、これの通じる先は──

 

「この先は……村の外、なのか?」

 

「それも間違いでは無いですが、或る意味では、村にとって最も深い場所と言って良いかも知れません」

 

 開いた扉の向こう側は闇に閉ざされているかと思われたが、その遥か先には豆粒の如き光が輝くのが見えた。

 

「……ソシモリか」

 

 

 

 光を求め、ただ只管に前へと進む。その最中、私はあの遠い日に赫い陽の中で感じた想いを、記憶に甦らせた。

 あの日、あの時、私は何故、白蛇を殺そうとしたのか──それは、解き放ちたかったのだ。白蛇を。己を。

 

 

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