2134年 9月28日 午後1時41分
エル・ボスコ南隧道
タケウチ
日の光の全く届かない隧道内だが、その構造はハッキリと目に見て取れる。内部は走行する各車輌の前照灯で照らされている他、幾つか生き残っている壁面の照明も、所々に淡い橙色の光を放って共に薄明るい空間を作り出していた。
隧道を抜ければトレーダーキャラバンの一先ずの中継地点、エル・ボスコの村に辿り着く。ここより先は当分、補給可能な集落が無い為、隊はこの村で可能な限りの支度を整えて置くのだと云う。
隧道内の反響が止んで走行音が変わると同時に、暗かった車内に光が溢れる。いよいよ到着だ。
キャラバンの車列は、隧道を抜けて直ぐ正面の丁字路を右折して左手、道沿いの広いコンクリート敷の駐車場に吸い込まれて行った。
「着いたよ、お客さん! メシと武器はそこのドライブイン、クルマ借りるならこの道の並びの黄色い壁、ハンターオフィスはレンタル屋を過ぎて辻を左だ。うちらは明朝7時にはここを出るから賞金の換金はそれまでに頼むよ。寝袋なら10Gで貸すけど、風呂と布団に入りたいなら村で宿を探しな。民宿が何件かある」
ロメルダは一気に捲し立てると、停車と同時に居住コンテナから飛び出して行った。他の乗員も慌しく出て行く中、寝台に転がっていた男がのっそり起き上がり、一番最後にゆっくりと私たちの元までやって来た。
「ここでは補給のついでに、ひと商売やっていくのさ。タケウチさんだっけ? 西まで乗っていくつもりなら、明日の朝7時までにはここに戻ってきてくれよ。それまでは自由行動だからさ」
男はそう言うと、私たち二人に車外に出る様促した。
入口に下されたタラップを使い、コンクリートの大地に降り立つ。
顔を上げて目に先ず飛び込んで来たのは、緑。秋に差し掛かり、やや薄暗い色味を孕んだそれは、集落を囲む背の低い山々を覆い尽くして視界の殆どを支配していた。何時の間にか再び翳った低い空と相まって、何処か息苦しさを感じさせるのは、気の所為だけでも無いだろう。この土地には、空気が実体として存在していた。
私はぐるりと辺りを見回してみる。
この地は言わば谷であり、東西に延びたそれの底が平地となっていて、その中央に舗装道路が走っている。道路に沿う様にして電線で繋がれた電信柱が並び、道の端には建物が数軒。今いる駐車場の敷地内に在る販売所──ロメルダがドライブインと呼んでいたもの──と、東の並びに在る黄色い外壁の、恐らくはレンタルタンクショップ。そのずっと先に民家らしきものが何軒か。そこから更に奥の、北の山際に住宅が密集している様子も窺える。
反対に、ここから西側は殺風景で、小さい納屋らしきものが一軒立つのみだ。建物の無い平地は多くが畑になっていて、雑草も少なく、良く手入れされている。
私たちがやって来た南南西を向くと、先程の隧道が口を開けていた。隧道は恐らく大破壊より前の時代に造られたもので、エル・ボスコの南に在るとの理由で、トレーダーたちからはエル・ボスコ南隧道と渾名されている様だ。そもそも、このエル・ボスコと云う村名ですらトレーダー間の通称であるらしく、村の本来の名は全く知られていない。
そこでふと気付く。
──隧道にも元々の名が在る筈、か。
閃きに衝き動かされ、私は、隧道出入口に向かって足早に歩き出していた。
「あ、おい! どこ行くんだ! メシ食おうぜ! メシ!」
アンザンに呼び掛けられたが、この思い付きを今直ぐ確認せずにはいられないとの衝動が、歩みを止めさせなかった。
程無くして隧道の入口に到着した私は、入口脇の壁面に四角く窪んだ跡を見付けた。その跡の真下辺りの茂みを探ると、そこに角張った鉄板の様な物が土と草に埋もれているのが見える。
右手をスコップ代わりに掘り出したそれは、隧道の名称や施工年が刻印された銘板だった。錆び付き、文字は判別し辛かったが、どうやら「奥長曾根トンネル 平成38年 12月」と刻まれている様だ。
私は背嚢の中から一冊の地図帳を取り出し、開いたページを丹念に調べていく。
「それ古地図か。よく読めるな」
何時の間にか追い付いたアンザンが、私の手元を覗き込む。
私が所有するのは、大破壊以前に一般流通していた交通地図だ。「2029年度版」と銘打たれており、かれこれ百年以上も昔の書物である。急激な地殻変動と後の大破壊を経て地形は大きく変わってしまったが、それでも遺構調査や水源探しなどには重宝する。ただ、使われている文字は漢字が殆どなので、或る程度の知識が無ければ使い熟すのは難しい。
私はやがて地図上にも「奥長曾根トンネル」の文字を見付けた。河川や山々、古い道路などとの位置関係から、この隧道と同じものと見て間違い無いだろう。
「すると、この辺りは
豆生田の名。そこに残る集落。これはもしかすると「当たり」かも知れない。
仮説の芽の様なものを胸に秘め、一先ずドライブイン方面へと戻るべく振り返った私の目に、道端に立つ一体の地蔵の姿が映り込んだ。鼻や耳が欠け、痛々しい姿ではあったが、澄んだ水と鮮やかな野花が供えられており、その口元には柔らかな微笑みが湛えられていた。
2134年 9月28日 午後2時26分
エル・ボスコの村 レンタルタンクショップ前
アンザン
「まさかホントに、ここでクルマを借りるハメになるとはなぁ……」
ドライブインの駐車場から東に100メートルほど行った道ぞい、黄色いペンキ塗りのブロック塀に囲まれた一角に、俺は足を踏み入れた。
敷地内にはスレートに覆われた箱型の工場と、そこに渡り廊下でつながる平屋があり、空いたスペースにはトレーラーの牽引車やフォークリフトといった作業車の姿が見える。敷地入り口に近い平屋の前には「レンタルタンク」と書かれたのぼり旗が立っていた。どうやらここが事務所のようだ。
ドライブインで遅い昼食をすませた後、タケウチは「この辺りの建物や地形を観察したい」などと言ってフラフラと出かけてしまった。なので今は俺ひとりだ。とはいえ、そのほうが仕事をやりやすくはある。
思えばトラブル続きの道中だったが、これも出張の面白いところだろう。後は肝心の仕事そのものが何事もなく終わるのを願うばかり──そんなことを考えながら、俺は事務所入り口のドアノブをつかんだ。
昼間から薄暗い外の様子から一転、屋内は清潔感のある白色LEDの光に満ちていた。しかし、活気は今ひとつだ。
事務所内にはそろいの黄色いスタッフジャンパーを着た店員らがいたが、いずれもが俺に対して怪しむような視線を送り、少しタイミングが遅れて「いらっしゃいませー」などと気のない挨拶を投げてくる。
──どうも従業員教育ができてないな。
いらだちは覚えるが、そういうものだというあきらめもある。通常、レンタルタンクショップでは、高度かつ専門性を要求されるオペレーションを遂行するために、運営母体である自由レンタル連合での研修を受けた人員が各ショップに派遣される。ただ、僻地にあってはその限りではなく、数名の本部スタッフ以外は現地の人間を雇い入れているケースがほとんどだ。交われば、染まる。そうなれば、本部から派遣されたスタッフらも現地のローカルルールに押されて、ショップとしての基本がないがしろにされてしまう。そしてそれは、不正の温床ともなるのだ。
俺は店内のスタッフらを見る。受付カウンターの向こう側にいくつか並べられたデスクに座る三人の男女。四十過ぎと見えるやや貫禄のあるメガネの男。あごヒゲをたくわえた細身の青年。長い髪をポニーテールでまとめた小柄な女。たぶん、一番奥に座るメガネが責任者だろう。俺がドアを開けると同時に隣室に入っていくスタッフの姿も見えた。事務所に詰めているのはこの四人といったところか。
俺は受付カウンターに設けられた二ヶ所の窓口のうち、入り口に近いほうに進んで、そこに用意された椅子にどっかりと腰を下ろした。呼び出しベルが目についたので、なんとなくそれをはじいてみる。
チーン!
「ヤトミ!」「あ、はいっ!」
ベルが鳴り、メガネの男と、ヤトミと呼ばれたあごヒゲの青年が、ほぼ同時に声を上げた。ヤトミはデスクの席を立ち、あわてて俺の待つ窓口に座る。
「いらっしゃいませ! お待たせ致しました!」
ヤトミは少し恐縮した様子で、上目づかいにこちらを見てくる。そこからうかがえるのは、恐れと、不信だ。キャラバンが村に到着したのは知っているのだろうが、どうにもトレーダーには見えない俺が現れたことで緊張しているのだろう。
「クルマを借りたいんだが」
「あ、はい!」
「ヤトミ!」
「あ、はい!」
窓口に置かれた書類棚からクルマの資料らしき紙束を取り出そうとしたヤトミは、メガネの一喝で動きを止める。
「あ、あの、すみません、お客様。生憎、現在、当店の貸出タンクは全て出払っておりまして……」
俺がメガネのほうを見ると、奴は一瞬だけちらっとこちらに視線を送ったきり、手元の書類に目を落としてじっと動かなくなってしまった。
──ふん、少しいじめてみるか。
「そうだったか? さっき外でエンジン音が聞こえた気がするんだがな。MBT向きのハルク系の音だ」
「え? あー……」
言葉を失ったヤトミは後ろを振り返って二人に助けを求めるが、メガネもポニーテールも完全に無視を決め込んでいる。
そこに近づく足音があった。
「申し訳ございません、お客様。実は現在一部の車輌は修理調整中となっておりまして……誤解を招く説明、大変失礼致しました」
俺に近寄って声をかけてきたのは先ほど隣室に消えた四人目の従業員と思われる、少し背の高い生真面目そうな女性だった。化粧っ気はないがなかなかの美人で、なにより他のスタッフとくらべて目がどんよりとしていないのがいい。
「そうか、調整中か。ならしかたがないな」
「ありがとうございます。レンタルの用途はどのようなものでしょうか? 現状最短での貸し出しスケジュールを確認致します」
おたがいテキパキと手続きを進め、とりあえず五日後には牽引用のクルマを用立ててもらえる運びとなった。それまでの宿代は、ショップから補助が出るらしい。
やりとりの中で打ち解けた彼女と交わした雑談から、いくつか分かった事がある。
彼女の名はエイコ。27歳、独身。数年前にこの村に派遣されてきた本部スタッフだ。住まいは車輌倉庫の裏手にある社員寮。この村にレンタルタンクが出店したのは十数年前で、メガネの中年男オリィが事務方唯一の立ち上げスタッフだったようだ。
手続きを終えて席を立ち、出口に向かう俺にエイコがつき添う。他のスタッフは、ヤトミだけが「ありがとうございましたー」と精一杯の細い声を送るのみだった。
「あの……」
事務所を出て軽く背を伸ばす俺に、エイコが少し笑いを含んだ調子で声をかけてくる。
「エンジンの音、私には聴こえませんでしたけど」
「ああ、俺にも聴こえなかったな」
俺も笑い返す。そんな俺の顔を、エイコは少しの間、探るような目で見つめてきた。
「貴方が、そう、なんですね」
「やはり君が、そうか」
「慎重にいきたいです。宿が決まったら教えて頂けますか」
「了解だ。明日また来る」
それだけ言って俺は目をそらす。
「ありがとうございましたーっ!」
敷地の外へ歩き出した俺の背に、エイコのはつらつとした声が響いた。
2134年 9月28日 午後3時55分
エル・ボスコの村 ハンターオフィス
タケウチ
「いや待たせたね。何でも一人でやってるもんで、事務処理にも時間が掛かってしまってな」
茶色いハンチング帽を被った白髭の事務員は、そう言って紙幣の束をカウンターの上に積む。
アンザンと合流した私はハンターオフィスに声掛けして、キャラバンのトレーラーに積み込んだランドユーユーの背鰭を鑑定して貰っていた。
各地のハンターオフィスに勤める職員の多くは元ハンターで、モンスターや悪党らに関する知識の量は並大抵では無い。その鑑定には高い信頼性が在った。
そんな彼らを謀って賞金を掠め取ろうなどと云う人間は滅多に居ない。居たとしても、その者は直ぐにこの世から消えて無くなる。全てのハンターたち、そしてハンターオフィスと共に貨幣の価値と流通を担保する自由レンタル連合を敵に回す事になるのだから。
「この村にはきちんとしたトランクルームも無い。余り大金を見せびらかして歩くんじゃないぞ。早いところ宿を取りなさい。それで……余所者は手が出し辛くなる」
ハンターオフィス唯一の事務員は、齢五十歳頃と見える初老の男性だ。第一印象では無愛想に思えたが、余所者である私たちに、意外にも細やかに気を遣ってくれる。尤も、ただ単に、余計な揉め事に巻き込まれたくないだけなのかも知れないが。
アンザンが何処からか持ち出した肩掛け鞄に二人で紙幣を詰めながら、私は何とも無しに室内を見渡し、その中で、壁に並べて貼られた手配書に目を止めた。
その顔触れはトレーダーらに見せて貰った物と概ね同じだ。ランドユーユーの手配書には、事務員の手に依ってか、何時の間にか大きな「済」の判が赤く捺印されている。
ただ、その見覚えの有る並びの中に、ブリトラの手配書だけが見当たらなかった。
「ブリトラの手配書は無いんですね」
「ブリトラか……奴の活動拠点はもっと西だからな。この辺りには関係無いさ」
そう言う事務員は、何時の間にか淹れたコーヒーを美味くも無さそうに啜っている。
「トレーダーらには手配書が回っていた様ですけど」
「余所の事は知らんが、何にせよ連中が幅を利かせていたのはもう十年以上は前の話だからな。それよりも肝心なのは、今まさに暴れてる奴がいるって事だ」
「噂の人攫いって奴ですか」
「この辺りでも行方不明者が増えた。恐らくはコイツの仕業だ」
私は再び手配書を見る。
「これで探せと言われてもね……」
相変わらずニンゲンナッパーの人相書は曖昧で、分かっている特徴は鋭い牙と長い舌を持つ事くらいしか無い。そして、そんなモンスターなど世間には幾らでも存在するのだ。
では何故ニンゲンナッパーは特別に手配されているのだろうか。
「正体が分からずとも、実害があれば賞金は掛かる。例え既存のモンスターだったとしてもな」
頭に思っていた事に対する返事が来た様で思わずギョッとする。が、どうやら事務員に他意は無かったらしい。
「行方不明者が良く出るのは村を出て西に行った所にあるダム近辺だ。この村に電気を供給する大事な施設だからな。保守管理に出向かない訳にもいかないんだが、今じゃ命懸けさ」
村の西に在るダムとは、恐らくは古地図にも記載されていた奥長曾根ダムだろう。その発電施設が生きているのであれば、この様な僻地が或る程度栄えているのにも合点がいく。そう云えば主要道路沿いには、電線が東西に走っていた。あれが村に電気を運んでいるのだろう。
「まあ、気が向いたら退治を頼むよ。仕事道具が足りなければドライブインで買っていってくれ」
住民が命懸け、との割には懇願するでも無く、軽い調子の依頼だ。まあ、命懸けの事案がその辺に転がっているのがこの巷ではあるのだが。
*
賞金を無事に受け取ってハンターオフィスを出る頃には、日はやや傾き始めていた。
「早いところ賞金の山わけ済ませて今日の宿を探そうや。せっかくの宿場だ、アンタも寝袋じゃあちょっとさびしいだろ」
アンザンの提案に頷いてドライブイン方面に歩き出して直ぐ、辻の辺りに男が三人屯しているのに気が付いた。やがてあちらも我々の姿を認めてじっと視線を送ってくる。
「アイツら……ドライブインで鑑定してもらってる時も遠巻きに見てた連中だな」
アンザンの語調には警戒の色が窺えた。私がそれでも構わず歩みを進めると、三人の内の一人、壁を背にして座っていた男が俄かに立ち上がり、こちらに歩み寄って来る。歳は三十前後。逆立てた短髪と鋲入りのライダースジャケットが如何にもと云った風貌の、痩身の無頼漢だ。首筋には彫り物らしきものが覗き、全身から威圧感を放っていた。
「ハンター……だが、お前らはキャラバンの護衛じゃねえな」
男は私の顔面擦れ擦れまで顔を近付け、その目で全身を舐め回してくる。私の後ろで鞄を抱えるアンザンには、流し目で一睨みだけを利かせてきた。
「賞金稼ぎか。この辺りにもお目当てがいるってワケだな?」
「いや、私はキャラバンの客でしてね。後ろの彼も偶々クルマを借りに寄っただけ……ですよね? ええ、そう云う訳なんです。今日のモンスター退治は成り行きで、こうなりまして」
私はアンザンの顔を見ながらそう説明する。嘘は無い。少なくとも現時点では、これが私たちがここに居る理由に他ならなかった。
「ふん……」
男は急に興味を失ったかの様に私から顔を離した。そして再びアンザンを睨む。
「ヨソ者が。邪魔はするんじゃねえぞ」
最後にそれだけ告げて踵を返し、彼は仲間たちの元へと戻って行った。
*
「はいよ、いちころ水割りおかわり!」
私の目の前から空のグラスが引き上げられ、代わりに威勢良く置かれた摩切り一杯の水割りがカウンターを少しく濡らした。店内の薄暗い照明が溢れた液体の中で控えめに輝く。
「んで、話のそいつはハバキだな。間違いない。一緒にいたのは多分、舎弟のアカヌタかマキノジあたりか。まあ、村の若衆たちだ。連中は外から人が入ると、そうやって様子を見にきてな……」
私とアンザンに付き合って呑み始めたカウンター越しのマスターは、初対面の印象からは信じられない程饒舌で、こちらが訊いてもいない話が次々と口から滑り出してくる。生来の話好きのタガが、酒で外れたのだろう。
先程ロメルダらと賞金の分配を済ませた私たちは、宿を求めて集落内に入り、そこでこの酒場を見付けた。互いの素性も良く知らぬ私とアンザンだが、過酷だった一日の終わりにせめて酒を一杯、との一点で即座に合意。宿の場所も含めて何かしらの情報が得られるだろうと云う言い訳も、我ながら上出来だったと思う。
表に出ていた看板の「スナックがぁる」とはこの店の名だが、看板をそれ用に特別に誂えた訳では無く、偶々古道具屋で入手した看板に書かれた名を店名として採用したと云う、あべこべな由来が有るそうだ。
スナックなるものが大破壊以前に盛んだった酒場の一形態だと知ってはいるものの、風俗についてやや疎い私には、それが具体的にどの様な体裁だったかまでは分からない。この店を切り盛りするマスター自身もそれは同様らしく、この店自体は、髭に禿頭の強面マスターが一人と接待係の綺麗どころが一人居るだけのごくありふれた酒場だった。
入店時のマスターの第一声は「何だお前らは」と云う、客商売にあるまじきものだったが、これは地元の常連ばかりを相手する僻地の酒場ではそう珍しい反応でも無い。案の定、我々が賞金を得たばかりのハンターだと知るや、掌を返して酒や料理を勧めてくる。外貨獲得の貴重な機会と見たのだ。
当初店内にはハンターと見られる三人組が唯一の先客として居た。浅黒い肌の長身の男、色眼鏡を掛けた顎髭の男、長い黒髪を後頭部で結えた女──彼らは暫くの間は店の端でこそこそと呑んでいたものの、知らぬ間にその姿を消して、結果残された私とアンザンの二人がマスターの標的に定められる事となった。
そう云った訳で、とても一杯だけの席で済む筈も無く、我々は今だに杯を重ね続けている。とは云えマスターも大変に上機嫌で、お陰でこの村についても幾らか知る事が出来た。
「ハバキは若いのに大した奴だよ。樵もやるし畑もやる。家具工場を仕切ってるのもアイツだ。まあ、だいぶ荒っぽいが、なにしろ村のことが大好きなのさ。その分、アンタらみたいな余所者には厳しいんだろうがな」
例の男ハバキは、ああ見えて村の中では一目置かれている存在らしい。林業や農業、製造業と云った村の基幹産業を支える労働者たちの内、青年から壮年にかけての若衆と呼ばれる世代の纏まり、その中心的人物が彼なのだそうだ。
村の運営は「役」と呼ばれる数人の合議に拠って成り立つ「自治会」が行なっているそうだが、ハバキは役でないにも関わらず、運営に大きな影響力を持っているのだと云う。
問題の多い人物ではあるのだろうが、マスターも彼の事は憎からず思っている様だ。
「決して悪い奴じゃない。だが、ほんのもうちっと角が取れてくれると俺も安心なんだがなぁ。折角素質があっても、誰に対してもあの態度じゃあカンナメからお声もかからん」
カンナメ。私の知らない言葉が出てきた。大破壊前の宗教儀式に似た名のものが有ったと記憶しているが、由来は共通するのだろうか。
「……何です? カンナメって云うのは」
知らない事はその場で流さず、直ぐ訊いてしまうに限る。
「んあ? ……あー、まあ、そうだな……カンナメってのは表の参道の先、神社のある辺りを俺らはそう言うんだ」
「そことハバキさんに関係が?」
先程までの饒舌振りが何処へやら消えてすっかり歯切れの悪いマスターに、私は追い討ちを掛けた。何故か、マスターの目が若干泳ぐ。
「あ……いや、ちょっと、スマンな。今の話は忘れてくれ。村の仕来りに関わる事だ。いや、スマン」
どうやら、マスターが口を滑らせたのは、村にとって繊細な部分だった様だ。地蔵に手向けられた花などを見ても、この村の住人に篤い信仰心が有るだろう事は分かる。何せ、こんな世の中だ。人々が神仏に縋ろうと云う気持ちも理解出来た。それは私自身の体験から来る実感でもあった。
話の向きを変えてやる為、私はカウンターとスツールの間に置いていた背嚢の中から古地図を取り出した。ついでにこの際、マスターから聞ける事は聞いて置きたい。
地図帳のページを広げてふと隣を見ると、アンザンがカウンターに突っ伏して居眠りをしている。道理で今の今まで静かだった訳だ。
「そりゃあ昔の地図か? ここいらのことも載っとるんか」
地図の縮尺は六万分の一で、現在のエル・ボスコに相当する地域はほんの小さく記載されている程度だったが、マスターは十分興味津々な様子でそれを眺めている。
この村が位置しているのは、大破壊前で謂う所の長曾根市豆生田町広口。元々は県道が走っているだけの、畑とまばらな民家しか無かったと思しき場所だ。ざっと村の家々を見て回った所では、大破壊前の民家や施設は増改築を繰り返しながらも多くが現存している様子だった。幸運にも大きな戦火には見舞われなかった地域、と云う事らしい。
地図上では谷の中央を東西に延びる一本の道路が確認出来る。これが今で云う参道なのだろう。
「参道を東に行った先が神社……カンナメですよね? 地図では、この道の先は、かつて存在した町の中心部に当たりますが」
「いや、参道を行くと橋があってな。それを渡ると直ぐ、左手に折れる道がある。その先がカンナメだ。折れずに真っ直ぐ行くと、緑と沼の坩堝、ソシモリ。どちらも神様の座す場所だ。村人もみだりには近づかん」
神社が在るとされるカンナメは大破壊前の豆生田町
一方、ソシモリは町の支所が設置されていたかつての中心地、豆生田町
大湿地帯はクルマでの進入も難しく、人の手が入らないままモンスターの巣と化している危険な場所だ。村の人間が何かしら曰くを付けて立ち入りを禁じているのも頷ける。
ソシモリ内に存在するであろう豆生田支所。必要な情報が遺っているとすればそこだ。どうにかしてこれを調査してみたい。建物が無事かどうかは、砂漠の時と同じく、またしても賭けにはなってしまうが。
古地図を夢中になって読み耽るマスターを眺めながら、私はグラスに残り少なくなっていた水割りを一気に飲み干した。
調査区域への侵入の算段は、追々考えてやれば良い──
私は既に、翌日のキャラバンへの同行を諦めていた。
XXXX年 XX月X日 午前X時X分
XXXX
アンザン
夢を見ている。もう何度も繰り返し見た、おなじみのヤツだ。
夢だと自覚しているのに、たどるスジ書きはいつも同じ。俺は身動きもできず、ただ横たわるだけ。それもそのはず、俺には腕も脚も無いのだ。
汚れたコンクリートの床に広がる血だまりの中でイモムシのように身をよじろうとするうちに、手足にじんわりと感覚が戻ってくる。だが、目の前にかかげたはずの両手は透明で、そこには何も見えない。感覚だけがそこにある。
身体をひたした血だまりに両手を叩きつけると、はねた血が透明な腕を濡らし、ようやくその形をはっきりと浮かび上がらせてくれた。ややいびつな、太い腕。
俺は立ち上がった。こちらもやはり透明な両脚は、やけに力強く、血まみれのコンクリートを踏みしめる。
俺はそれを頼もしく感じ、そして、いまいましいと思った。
2134年 9月28日 午後8時9分
エル・ボスコの村 集落近くの路上
アンザン
タケウチにゆすり起こされた時には場はもうお開きとなっていたが、疲労と飲酒からくる眠気はうたた寝くらいではとても治まらず、そのまま床で寝転んでしまいたいほどだった。
じつは酒場の二階にはちょっとした宿泊所があるそうなのだが、他のハンターグループ、つまり先ほど酒場にいた三人組で部屋が埋まってしまっていて使えなかった。そこで、マスターの知人がやっているという近くの民宿を紹介され、今、俺たちはそこに向かっている。
数歩前をとてとてと歩くのは、酒場のホステス、ヨムラだ。村の生まれで、22歳。本人がいうには村一番の器量よしとのこと。マスターに言われて、彼女が民宿までの道案内をしてくれることになったのだ。その民宿は酒場からは徒歩で数分の場所にあると聞いている。
「もう、すぐそこ。マスターの亡くなったお兄さんがやってたお宿で、はちのすってゆうとこ」
「蜂の巣? この稼業にとっちゃずいぶん縁起の悪そうな宿だな」
「……? 村がハチの巣みたいにうまくまとまるようにって、おかみさんが名前をつけたんだって。おかみさん、いい人よ」
話をしている間にそれらしい建物が見えてきた。大破壊前の民家によく見られるスタイルの造りだが、古ぼけた感じはしないきれいな外観で、しっかりとメンテナンスされているようだ。母屋と渡り廊下でつながった離れもあり、民宿といいながらなかなか本格的な宿屋のように思えた。
「ごめんくださーい」
ヨムラが声かけをしてまもなく、カラコロとした下駄の音が中から鳴り、引き戸が開いた。玄関から顔をのぞかせたのは、六十前後と見える年配の女性。ヨムラの言っていた女将だろう。
「あらあらあらあらあらお客様?」
やや甲高いすっとんきょうな声を上げながら、女性はヨムラと俺たちとを見くらべる。
「急にごめんなさ〜い。お店の寝床がいっぱいになっちゃってぇ、マスターに言われて連れてきちゃいました」
「いいのよ、他にお客様もいなくて暇で暇で、お部屋も全部空いてるし……あら! 暇だなんて言っちゃ駄目だったかしら? ふふふ、そういえばナガルはまだ店の片付け? あ、お兄さんたち、さあ、どうぞ中へ中へ!」
一方的にしゃべりながら俺たちをまねき入れる女性の勢いにいくらか気押されつつ、俺たちは玄関の敷居をまたいだ。
中には土間が広がっており、屋内での移動は基本的には土足のままのようだ。正面には受付カウンターがあり、すばやく対面に回り込んだ女性がそこで俺たちを待っていた。
「ようこそ民宿はちのすへ。私が女将のアママチでございます。では先ずはこちら、宿帳にご記入頂きまして……お名前、ご年齢、ご職業、お住まいはお決まりの所があれば町名までで結構です。日付けはこちらで記入致しますので空欄のままでお願い致します」
開かれた帳面には、すでに数名分の名前が記載されていた。ここに以前宿泊した客の名だ。ペンを手に取り、いざ記入しようとしたところで、その名前の一つが目にとまる。
──ヒエロ、26歳、ハンター
その名には覚えがあった。それはめずらしい名では決してない。だが、俺はこういう偶然を信じない。
俺はその名をいったん胸にしまい込み、宿帳に自分の名を記入する。
「ハンク・アンザン? 良い名前じゃないですか。姓名が別れてるなんて今時珍しい」
宿帳を横から見ていたタケウチが意外にも俺のフルネームに食いついてくる。
「アンザンは親の名だ。だが、仕事中はこれで通してる」
「そうでしたか。では、これまで通りアンザンさんとお呼びします」
「さんづけもカンベンしてくれ。くすぐったくてかなわん」
「流石に呼び捨ては気が引けますが……あ、じゃあアンザン君だ。31歳、どうやら私より歳下の様ですし」
「勝手にしてくれ……」
気がつくと、俺たちのやりとりを女将がにこにことしながら見つめていた。
「男の人お二人で仲がよろしくって……ふふふ」
俺はなんだかバツが悪いような気分になり、宿帳のペンをタケウチに押しつけて廊下の木製ベンチにどっかりと腰かけた。きしむベンチのすぐ横には自動販売機が一台置かれている。ふと、そのラインナップが気になり、俺は下ろしたばかりの腰を上げた。
自販機は稼働中だったが、並んでいるのは栄養ドリンクと蚊取り線香のみ。しかもドリンクのほうは売り切れランプが点いてしまっている。
「その販売機ねぇ、亡くなった主人が古道具屋さんで買ってきてね。知ってる? 南の山沿いのエンシオさん。村の集まりなんかにも顔出さないから皆んなと仲がちょっとねえ……でも色々売ってて面白いのよ〜。そのドリンクなんかもうどこにも無いんだけど、そうやって一緒に並んでるとなんかいいでしょ? あ、カトールなら受付でも買えるから言って頂戴ね。だいぶ涼しくなったのにまだ出るのよ、蚊! 嫌よねぇ」
「おかみさーん! アタシ帰りまぁす!」
女将の言葉をさえぎってヨムラが声を上げる。タケウチが宿帳の記入を終え、これで自分の役目が果たされたと思ったのか、ヨムラは一人で元気に帰っていった。
思えば、ここは女性が夜道を一人で歩けるほどに治安が整っている土地なのだ。むしろ、俺たちのようなヨソ者こそが村にとっては脅威なのだろう。
俺は、今日見たレンタル屋の従業員の態度を、マスターの初対面時の表情を、そしてハバキの暗い眼を思い出していた。
*
俺とタケウチがとった部屋は、この民宿で一番安い部屋、梅の間だった。四人まで宿泊できる大部屋だが、客は俺とタケウチしかいない。
「せっかく賞金が出たんだ。アンタはもっといい部屋で寝てもよかったんじゃないか」
言って、俺は女将に出してもらった茶をすする。にがい。
「いやあ、流石に連泊するとなると出費が痛いですから」
「連泊? キャラバンの出発は明日じゃなかったのか?」
タケウチはコートと帽子をベッド横のポールハンガーにかけると、ベッドに座り、脚にがっちりと装着された革のブーツを脱ぎにかかった。
「この村にはもう暫く留まる積もりです。ここには色々と古い建物や風習が遺されている様で、とても興味深い」
片腕で苦戦していたブーツをようやく脱ぎ終わって身軽になったタケウチが、あらためてこちらに向きなおる。
「それでですね。これは貴方の腕前を見込んでの話なんですが……是非とも貴方に、私の調査の協力をお願いしたいんです」
「調査だと? この村でか?」
「ええ。それに……」
タケウチは、じっと俺の目を見て言う。
「私も、貴方の仕事を手伝ってあげられるかも知れない」
この男、俺が理由あってエル・ボスコに来たことに勘づいているようだ。どうやらお互い、この村でなすべき事がある。だが、肩身の狭いヨソ者たちだ。目的は違えど、せめて協力し合える人間がいたほうがいい、ということか。
「いいだろう。砂漠で一緒に死にかけた仲だ。だが余計な詮索はしてくれるなよ。情報は、必要であればこちらから開示する」
「承知しました」
そう言って差し出されたタケウチの右手を、俺はしっかりと握り返してやった。
「ハンク・アンザンだ。あらためて、よろしくな」
「私は……あ! そうだ、名刺が、有りますよ、ちょっと待って」
手を離したタケウチは、バッグの側面についたポケットをあわただしくまさぐり、そこから取り出したシワくちゃな紙のカードを俺に渡してきた。
「これは……ハンターオフィス……大……調査……」
おそらく名刺なのだろうが、漢字ばかりで俺にはほとんど読むことができない。
「いや、すまん、ちょっと読めないな」
返された名刺を受け取り、タケウチは少し微笑んだ。
「ハンターオフィス大破壊前史研究調査事務所嘱託、