211X年 X月XX日 午前X時X分
XXXXXX XX
タケウチ
「おいで」
声に従い自室を出た私は、従者と共に一階最奥に在る書庫の前までやって来た。ここは平素、立ち入りを禁じられている場所だ。
声の主は施錠されていた書庫の扉を開けると、鍵を従者に手渡した。そして部屋の中へと入って行く。
その背を追った私の目の前に広がったのは、壁面を埋め尽くす本と本。床に幾つも積まれた木箱の中身もまた、その殆どが書物だった。
「金と伝手を使って集められるだけ集めた書物たちだ。十分に知識を身に付け、智慧を練りなさい」
振り返った声の主が、私の目の奥をしっかと見据える。
「お前は、神に成るのだから」
2134年 9月29日 午前7時5分
エル・ボスコの村 民宿はちのす前
アンザン
今朝は雲も多くなく、太陽はまんべんなく大地を照らしている。だのに、どうにも気分がすっきりとしないのは、身体に残った酒のせいだけだろうか。どことなく、この村は空気全体がじめっと重たく感じられる。
あとは蚊だ。蚊がよく出る。昨晩も耳元で飛び回られて夜中に目を覚ましてしまった。めくらであちこち叩きまくって、たぶん始末したとは思うのだが、ヤツのおかげですっかり寝不足だ。こんなことなら女将のすすめ通りに蚊取り線香を買っておけばよかった。
空気が湿っぽいのも蚊が出るのも、湿地帯が近いせいかもしれない。そういえば、昨日は分からなかったが、宿の近くには沢か何かがあるようで、水の流れる音が今でもかすかに聴こえてくる。
なんとなく水音に向かって歩いて行こうとすると、背後の玄関から戸の開く音がした。
「よう、おはよう」
そう言って出てきたのは昨日呑んだ酒場のマスターだった。名前は忘れたが、どうも女将の亡くなった亭主の弟、ようするに義理の弟ということらしい。彼はその縁で俺たちをこの宿に紹介したのだ。
「俺もここで寝起きしてるんだよ。力仕事なんかは手伝ったりしてな。それと飯なんかも作ってるぞ。食うか? 朝飯」
聞いてもいない事を次々にしゃべってくるのは、血縁はなくともさすがはあの女将の弟というところか。
しかし、なんにしても小腹はすいている。俺はマスターの言葉に甘えて、朝食に呼ばれることにした。
*
「どうだい、うちの焼き餅は」
「うん、うまいよ。でもちょっとノドに引っかかるな」
「そういう時の為の味噌汁だ。あと、もっとよく噛め」
ただ俺の感想が聞きたかったのか、マスターはそれだけ言うとキッチンに引っ込んだ。なんでも、酒場で出す料理の下ごしらえもここでやっているらしい。
朝食のメニューは焼き餅と呼ばれる練った小麦粉を焼きかためたものと、根菜や山菜の入った具沢山の味噌汁だけというシンプルなものだったが、これが酒に疲れた胃袋にじんわりとしみた。
俺が起床した午前6時半頃、すでにタケウチはベッドを空にしていた。7時には西へと出発する予定のロメルダらに、同行できない旨を伝えに行ったのだろう。連中は時間になれば彼のことなど気にもせずに出発してしまうだろうに、まったく律儀な人間だ。
タケウチ。もうなんといったか忘れたが、あの長ったらしいフルネームは、アイツの生まれや育ちに由来するものなのだそうだ。漢字表記は奴自身の研究から推測した当て字らしい。
あの身なり、それにあの「腕」──ただのハンターではないと思っていたが、まさかハンターオフィスの人間だったとは。まあ、正確にはその専属の雇われということらしい。
俺たちモンスターハンターは、その名のとおりモンスターや重犯罪者にかけられた懸賞金を狙うバウンティハンターだ。そして同時に、荒野に遺された旧文明の建造物を調査し、そこから金目の物品等を回収する探索者でもある。
この遺構調査に関しては、大破壊以前の知識や対モンスターの室内戦スキルなど、専門性の高い技術が必要になるため、ハンターの中にはこれを敬遠する者もいる。いっぽうで、それをもっぱらの生業にしているハンターもいるようだ。タケウチはまさにそれなのだろう。
遺構内はモンスターの巣となっていることがほとんどであるし、人が住み着いているケースもある。そういった場所を調査するとなると、戦闘に発展する可能性も高い。俺への調査協力とは、その場合の対処と護衛を見込まれたものだろう。まあ、確かに白兵戦は俺の得意分野ではある。
タケウチは俺の仕事の詳細については聞いてこなかったが、彼による村内調査の結果はこちらに共有してくれるとのこと。調べものに関しては彼の方がプロであるし、最終目的は違えど、この村について調べるという点は共通している。そこには俺の仕事に役立つ情報が少なからずあるはずだ。
現在時刻は午前7時42分。レンタルタンク屋の開店時刻は店舗により異なる。昨日はうかつにもその時刻の確認をおこたってしまったが、とりあえずは店に向かってみることにした。始業前であれ、誰かしらがいれば最低限の用は済む。
「ごちそうさま」
味噌汁を飲みほした俺は、厨房のマスターに声をかけて席を立った。
*
民宿前の砂利道から舗装された参道に出て左に折れると、もう遠くにレンタルタンク屋の黄色いブロック塀が見える。数分も歩けば到着する距離だ。
この時間でも、俺のほかに出歩いている人間はほとんどいない。せいぜい、遠くの畑で作業している者が二、三見える程度だ。みんな朝が遅いのか、ほかでなにか仕事があるのか、その辺りの事情も、そのうちタケウチが調べ上げてくれるかもしれない。
やがてレンタル屋の敷地に近づいたが、事務所の前にのぼり旗は出ていない。やはり始業時間前だったらしい。
ふと視線をずらすと、少し先にあるドライブインの駐車場に、キャラバンのトレーラーや護衛のクルマがとまっているのが見えた。野営のための天幕も張られたままになっている。本来ならば、彼女らはもうとっくに出発しているはずの時間なのだ。
不審に思いトレーラーに近づいていくと、居住コンテナに乗り込むためのタラップの脇に、隊長のロメルダが座り込んで煙草をふかしているのを見つけた。
「よう、ヒマそうだな」
不意に声をかけられたはずの彼女の反応は思いのほか鈍く、口からゆっくりと煙を吐き出しきってから、目だけをジロリと俺に向けた。
「別に暇って訳でもないが、慌てるのは止めたのさ」
「なんかあったのか?」
この質問は、キャラバンがまだ出発していない事と、彼女の様子についてだ。
ロメルダはもう一口煙草を吸い、その煙を吐き出してから立ち上がって、尻についたホコリを空いた手ではたき落とした。
「ニ、三あってね。先ずは昨日の晩だ。アンタも一度は顔を合わせてるはずだが……アタシらが雇った二組のハンターが賞金の配分で揉めちまってね。三人組の戦車乗りとピンのハーフトラック乗り。この内のハーフトラック乗りの野郎が死んじまったのさ。あの馬鹿、トチ狂ってクルマまで持ち出してきやがって。早々に仕留められたから良かったものの、すんでの所で大惨事だ」
予想以上の大事に思わず絶句する。しかし村の中でそんなドンパチがあったら気がつきそうなものだが、昨晩は大きな物音すら聞いた覚えがない。
「中々の大立ち回りだったが、気付かなかったかい? まあ、奴はボウガンとナイフで黙らせたからね。最期は静かなもんだったよ」
淡々とそう語るロメルダの表情からはなんの感慨もうかがえない。さすがは過酷な荒野をゆくキャラバンのリーダーだけあって、たいした胆力だ。
「ま、それはいいんだが、問題はアイツのクルマでね。頂こうと思ったけど、ちょっとぶっ壊しちまったもんで、その修理がこれからなのさ。手持ちの工具じゃどうにもならないんで、これから村と交渉だ」
程度にもよるが、クルマの整備にはそれなりの設備がいる。また工具類だけでなく、消耗部品もある程度調達できなくてはならないのだ。ただ、幸いと言うべきか、この村にはレンタルタンク屋があり、最低限の整備環境は整っている。
レンタルタンクショップの基本ルールとしては、ショップの設備の利用は自社車輌のみを対象としているのだが、こういった田舎の店舗ではそういった規約もなあなあになっているものだ。
「キャラバンの出発が遅れてる原因が、それ。んで、さっき分かったんだが、アタシらが埋めてやったハモン──昨日死んだハーフトラック乗りだが……その死体がどっかに消えちまったっていうんだ。身内の何人かが埋めたはずの場所を調べに行ってるが……」
そこまで言ってロメルダは煙草をくわえ、また座り込んでしまった。そして地面に向けて煙を吹きかける。
「ったく、折角の商売にケチが付いちまった。とりあえずアタシは休憩だ。あと15分は動かないことに決めてる」
「そりゃ邪魔をしたな。ところで俺の相棒を見なかったか?」
「ああ、あの先生なら消えた死体の話を聞いて現場にすっ飛んでったよ。今頃はうちの連中と一緒じゃないかね」
2134年 9月29日 午前8時7分
エル・ボスコの村 ドライブイン北の山裾
タケウチ
ドライブインの駐車場から北へ、農道を真っ直ぐに行き、木々の生い茂る山の裾を登り始めて直ぐの所に、その墓は在った。
墓とは云うが、両手で抱えられる程度の石を幾つか積んだだけの簡素なものだったらしく、その石積みすらも今は崩れて散らばり、無惨な有様となっている。
遺体が埋められていたであろう場所は土が捲れ上がっていたが、そこに肝心の亡骸は影すらも見当たらない。
墓の主、ハモンはキャラバンを護衛するハンターの一人で、車列の後方を守る改造ハーフトラックの運転手だった。直接言葉を交わした事は無かったが、クルマの中から向けられた睨む様な目つきを憶えている。
その彼を殺して埋葬したのは、キャラバンのトレーダーたちと、ここにいる三人のハンター、シバ、バンテ、イラである。どうやら賞金の配分で揉めた末での事らしい。
一緒に仕事を果たしたハンター同士が成果物の取り合いで仲間割れをするのは、この界隈ではまま有る事だった。しかしその後が異常だ。
トレーダーたちの話に拠れば、ハモンを埋めて暫く経った夜半に、墓の方から物音が聞こえてきたらしい。迂闊に近付いてモンスターに襲われでもしたら堪らないがこのまま捨て置く訳にもいかぬと、日が出てから恐々と様子を見に行った所、この様に墓が暴かれていたと云うのだ。
「まさか、あの野郎が生きてた、なんてこたあねえよな」
「馬鹿言うな、アレは確かに死んでた。この俺がヤってやったんだ」
「でもよ、奴が化けて墓から這い出てきたのかも……」
化けて出る。荒唐無稽な話の様だが、実は私も当初、その可能性を考えていた。
歩く死体、所謂ゾンビは、モンスターの一種としてハンターオフィスに認知されている。その発生について、ハンターの中には超自然的な力の働きに因ると考える者も少なく無いが、実態の多くは、或る種のウィルスに感染した人間の死体、又は生体と見られ、発生の原理や対策についても研究が進められている所だ。
だが私は墓の状態をつぶさに観察し、これは違う、と判断した。捲れ上がった墓の土は外側に大きく広がっていて、外から何者かに掘り起こされた様に見えるのだ。仮に死者が自ら這い出てきたとするならば、こうはならない。
とすると、一体誰が遺体を掘り起こしたのか。状況を鑑みるに、村人の誰かが、と云う事になるのだろうが、その理由は見当が付かない。遺体を埋めたのがトレーダーやハンターらだと知っているならば、金目の副葬品が望めないのは明白だろう。だとすれば遺体そのものに目的が有ったとでも云うのだろうか。偶々村を訪れ、偶々死んだ男の遺体に一体何を求めると云うのだろうか。
「よう、先生」
声に振り返ると、斜面を登って来るアンザン君の姿が在った。
「お早う御座います。何です、その先生って云うのは」
「いやさアンタ、ハンターっていっても研究者でもあるだろ」
「ええ……間違いではありませんが」
「んでよ、一応歳上で先輩なワケだ。さんづけで呼ぶのは性に合わないが、肩書き呼びなら何とかいけそうだからさ。ま、俺なりの敬意ってやつだな」
「はあ……まあ、好きにして下さい」
生業としてはいるものの実績も志も無い身、とても先生などと呼ばれる程に立派なものでは無い。とは云え、正直悪い気もしなかった。それは私が「人」として確立しているのを感じられるからだ。
「死体が消えたんだってな。しかし、俺たちが呑んでるあいだに、近くで殺し合いしてただなんて、まったくとんでもねえ」
そう言ってアンザン君は如何にも不快げに表情を歪める。
「先生はずいぶんとこの件に興味があるみたいだが、なにか気になるのか?」
「いや、まだ何とも。ですが、この出来事に村人が関与しているとするならば、今後も私たち余所者の行動は常に誰かに見られていると思った方が良いですね」
「そりゃ、こんな小さい村だからなあ。黙ってたって目立つぜ、俺たち」
「それもそうですね……」
これは調査の方針そのものを考え直す必要が有るのかも知れない。監視の目が在る事を前提に、村内を如何に立ち回るべきか。
「さて、何はともあれ、これ以上ここで調べられる事も無さそうです。私はこれから村内を見て回る予定ですが、貴方はどうされますか」
「あんまりウロウロしてもアレだしな……俺はとりあえずレンタル屋に用があるんだ。店が開くのを待つとするよ」
一先ず駐車場までは一緒に戻ろうと云う話になり、私はアンザン君を伴って斜面を降りた。背後では、まだハンターたちが喧々囂々言い合いを続けている様だった。
2134年 9月29日 午前8時48分
エル・ボスコの村 参道
アンザン
レンタルタンクショップでの用を済ませた俺は、なんの気なしに参道を歩いていた。
現時点で俺にやれる事は少ない。今は無理に動かず、しかるべきタイミングを待つのが得策だ。
先ほど、タケウチと別れて再び黄色いブロック塀までやってきた俺は、そこでレンタルタンクショップの支店長であるメガネの男──オリィとはち合わせし、その場で俺が民宿はちのすに宿をとっていることを伝えた。これが今日唯一の用だった。
エイコに直接伝達したいところではあったが、みだりにコンタクトを取ってはリスクになる。むしろたまたま出会ったのがオリィで好都合だったのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか遠く前方にタケウチの背中が見えているのに気がついた。おそらく、どこかの路地から出てきたのだろう。手帖か地図帳か、なにか書物とまわりの風景をよく見くらべている。
「たしか、村を見て回るとか言ってたな」
俺はふと悪戯心がわいて、その足取りをつけてみることにした。
*
タケウチはなるほど丹念に村のすみずみまでを実際に歩き、たしかめているようだ。建物や路地を観察しては手元の書物にペンでなにかを書き込んでいる。
ときおり出くわす地元民は、その行動をあきらかに不審げな目で見ている。もちろんそれは、遠くからその様子をながめる俺に対しても同様ではあるが。
まあ、なにをしていても──たぶん、宿でじっとしていたとしても──あやしまれる身分だ。ならいっそのこと堂々と調査をしてやろう、ということなのだろうか。
参道を東に進みながら調査をしていたタケウチは、橋の手前を左に折れた。俺は見失うまいと、遅れてそれを追う。
二軒の民家にはさまれたクルマ一輌分ほどの幅の道には古い石畳がしかれているが、それはところどころが破損した上、なかば土に埋もれてしまっていた。道はゆるい登り坂で、左手側は道沿いに民家の並びが奥まで続き、右手側は家々のつらなりが数軒でとぎれ、その先は崖のようになっている。
坂を登りきるとひらけた場所に出て、道幅も広がった。左奥には林のそばに四階建の古ぼけたビルが一棟建っており、その向かい、右手崖側には整備された広い敷地のなかに比較的新しそうな二階建ての施設があった。それらふたつの建物の中間辺り、敷地内の一角には、なにやらほこらのようなものが見える。タケウチはそこにいた。
「もうひとりは誰だ?」
タケウチと並んで立つ見慣れない人影を目にして、疑問がそのまま声に出た。
2134年 9月29日 午前9時32分
エル・ボスコの村 シャクジンの社
タケウチ
「シャクジン……ですか」
シャクジン。字を充てるならば石神とでも書くだろうか。社の傍に立つ古い碑には「石神井神社」と云う文字が小さく刻まれているのが見える。これが、社の本来の名なのだろう。そして、石神井を「シャクジイ」と読む事を私は知っていた。恐らくはシャクジイがシャクジンに訛った、或いは「井」の字が省かれたのだ。石神井神社の名は古地図には載っていなかったが、ここも大破壊以前に建てられたもので間違いは無いだろう。
「カンナメは私ら村の者でもおいそれと近づけん場所だ。だからカンナメの手前にあるこのシャクジンの社を代わりに参拝するのさ」
そう言うのは村の自治会の「役」の一人、バンショだ。会の全体を取り仕切る世話役でもあり、実質的な村長の様なものらしい。敷地内の建物は村の役所兼公会堂で、彼は村人数人と共にそこに詰めているとの事だ。
最初は、社の近くに居た私を見咎めて怒りながら飛び出して来たものだが、私が研究者であると明かすと態度が打って変わり、得意げになって社や村の説明をしてくれた。
カンナメについては、そう云えば酒場のマスターも彼と同様の事を言っていた。カンナメが不可侵な領域だと云うのは、村人たちに決まり事として十分浸透しているのだろう。
「シャクジンはオウミヤ様の穏やかな一面を顕わしたものでな。これは仮初の御神体という訳だ。オウミヤ様から分たれたものでありつつ、それを慰めるお役目でもある」
──オウミヤ様。それが村の神の名か。
その名は、私が知る限りの神話や伝承の中には聞いた覚えの無いものだった。言葉としては、かつて栄えた都市に同様のものが在ったと記憶しているが……
「穏やかな一面、と云う事は、オウミヤ様はそれ以外の一面も持ち合わせた神格なのでしょうか?」
「おお、流石に鋭いな。オウミヤ様の荒ぶる姿こそがソシモリに棲まうオロチだ。それを宥める役目がスイジンといって、これもまたオウミヤ様の別面。ソシモリの手前に社が設けてある」
──オロチ。漸く私にとって耳馴染みの有る言葉が出てきた。
「そのオロチと云うのは、複数の頭部を持つ大蛇、ですか」
「村の誰かから聞いたか? 確かに、スイジンの守り役が、幾つもの頭を生やしたオロチの姿を見た事があると言っていた。だが、村に伝わるオロチの姿は本来、塒を巻く蛇だとされ、その頭は一つきりだ。正しいところは分からんが、オロチはオウミヤ様の化身だからな。その時々により様々な姿をとって現れなさるということだろう」
オロチの目撃談なるものも気にはなるが、今は深掘りせずとも良い。それよりも先に確認してみたい事が有った。
オロチと云う言葉自体は、大破壊前の世界に於いて大蛇を表す一般的なものであり、私の知る「幾つかのオロチ」と、この村のそれに繋がりが有るかはまだ分からない。しかし、この地域にはその「幾つかのオロチ」と結び付く重要な場所が存在しているのだ。
「この村の南方に、鳥上山と云う山が在ります。ここからボルデカミーノへ向かう途中に南に見える山です。ご存知有りませんか?」
「鳥上山……いや、分からんな。しかし南方の山といえば、ソシモリに注ぐヒ川の流れの源、オウミヤ山だろう」
「オウミヤ山……オウミヤ様のオウミヤですか?」
「如何にも。オウミヤ山はオロチの棲家とも、その威容そのものだとも謂れておる。オウミヤ様の真の名を私らは知らん。その名をみだりに唱えることは仕来りで固く禁じられているからな。だので、他の名を借りて呼ぶのだ。オウミヤ様、アミイタ様などとな」
朧げながらも、段々と話の輪郭が掴めてきた。ヒ川の源流であるとの事実から、オウミヤ山とは鳥上山の事を指すと考えて間違い無い。
そして古くはその鳥上山と同一視されたと謂れるのが、遥か西の地に在る大神神社の御神体とされる三輪山、つまり「オオミワ」である。恐らく、これがオウミヤの語源だ。そうであれば、オウミヤ様の別名アミイタ様とは、中世に鳥上の神の本地仏ともされた阿弥陀如来を意味するのだろう。
私は古地図を取り出し、その場に屈み込んで膝の上に広げた。バンショはその様子を何事かと不思議そうにしながら見下ろしてくる。
古地図上で現在のカンナメに当たる豆生田町奥棚。私はそこに酉上阿弥陀堂、そして稲八酉天神社の名を見付けた。この二つは、かつて鳥上山に発生し各地に伝播したと謂う水神信仰の名残り。これらがカンナメの信仰の源流であるに違い無い。どうやらこの村の信仰と私の人生の歩みは、至る処でその流れを同じくしている様だ。
「有難う御座います。色々と為になるお話が聞けました」
「なんの。だが、私が語れるのは村の者なら誰でも知っている事ばかりだ。もっと詳しく話が聞きたいなら真木寮を訪ねてみなさい。希望があれば紹介状を書いてもいい」
「真木寮、とは?」
「ほれ、その向かいの建物だよ」
バンショが道を挟んで反対側の土地に立つ、四階建のビルディングを指差す。その示す先を向く私の視界に、こちらに歩み寄って来るアンザン君の姿が映った。彼は先刻から村内の方々を彷徨いていた様だったが、レンタルタンク屋での用はもう片付いたのだろうか。
「よう先生、この人は?」
「村で世話役をされているバンショさんです。この社や村について色々と教えて頂いてました」
「バンショだ。先生の助手さんかい? まあよろしく頼むよ。お前さんもハンターをやってるんだろう。研究もいいが、是非村で装備を整えて賞金首をやっつけてくれよ」
握手を交わし、他愛も無い会話をするアンザン君とバンショを尻目に、私は一人シャクジンの社に近付いた。先程はバンショに呼び止められて、じっくり観察も出来なかったのだ。
社は小ぢんまりとした木造で、銅板を葺かれた屋根を覆う緑青に、経てきた年月の長さが窺える。
バンショが言う様に、社の前に立つと向かいの山に点在する神社仏閣を正面に捉える形になる。それ故に現在では拝殿として使われている様子だが、この位置関係となったのは偶然に過ぎないだろう。
私の推測では、カンナメが聖域として確立したのは比較的近年、恐らくは大破壊の後だ。奥棚地区に複数の宗教施設が在ったのは確かだが、奥棚を走る道路は北に抜けており、当時は閉ざされた地域と云う訳でも無かった。また、地図上には周辺に工場なども散見される為、当然人やクルマの往来も有っただろう。では、この社の元は何だったのか。
社は周囲をぐるりと濡れ縁が囲み、正面には三段の木製階段が在る。階段を上がって目の前に開き戸。それの下半分は板張り、上半分は格子になっていて、格子の目には透明な板ガラスが嵌め込まれている。私はそこから中を覗き込んだ。
思わず息を呑む。広さ二畳程、天井の高さ大人の背丈程度の空間の中央には、男根を思わせる石棒が大きく聳り立ち、その周りを囲む数段の壁棚に、縫いぐるみやビニール人形などの玩具たちが多くの生花と共にぎっしり詰め込まれる様に飾られて、一種異様な空間を醸成していた。
私はこの石棒を知っている。やはり、この社は本来「オウミヤ様」とは無関係なものなのだ。しかし、その周りを飾る玩具については、これが何なのか皆目検討が付かない。
その時、背後からアンザン君とバンショの足音が近付いて来るのが分かった。
「アンザン君、ちょっと中を覗いてみて下さい」
「ん……いや、俺、体重あるから階段を踏み抜いちまいそうでな……」
アンザン君はそう言って、困った様子で首の後ろを手で掻いている。私は仕方無く一人で社の中の観察を続ける。
「どうやら、社の中に供えられているのは、大破壊前に作られた玩具の様ですね。怪獣の縫いぐるみにヒーローのフィギュア、それと女の子の着せ替え人形。お、戦車の模型も有りますよ。あれはTウルフじゃないですか?」
私は中を覗いたまま言った。
「昔の玩具は出来がいいからな。だが私らが作ったコマや木彫り人形なんかもあるぞ」
後ろからやって来たバンショは私と横並びになり、一緒に社の中の石棒と玩具たちを眺めた。
「神様は子供なんだ。ずっとな」
バンショはそう言って目を細めた。その横顔を一瞥した私は、再び石棒に視線を戻す。
── 子供の神、蛇身の神か。
私の右拳は知らずの内に強く握り固められていた。それに気付き、そっと力を緩める。
「さあ、仮とはいえ神様をそうジロジロと見るもんじゃあないな。そろそろいい加減にしないと目が潰れっちまう」
「済みません、少し調子に乗ってしまって……」
そう言う私に、バンショは肩をぽんと叩いてきた切り何も言わず、そのまま公会堂の方に歩いて行ってしまった。
私はアンザン君と共に、その背中を暫しの間見送っていたが、少しして或る事に気が付いた。
「そう言えば、紹介状貰うのを忘れていましたね……」
2134年 9月29日 午後1時26分
エル・ボスコの村 民宿はちのす東の路上
アンザン
いったん宿に戻った俺は、マスターが用意してくれた昼食を食べ終えて、ふたたび外へと出ていた。
タケウチは午前中の調査内容や墓あばきの事件について整理したいと言って部屋にこもっている。俺もエイコからの連絡を待つ以外、特にする事はないのだが、タケウチの考えの邪魔をしては悪いと思い、こうして散歩がてら村内をぶらついているというわけだ。
宿から歩いて少し東。砂利道を外れて、膝下くらいの草むらを脚でかき分けながら進むと、ひょいとまたげる程度の小さな川が姿を現した。朝方気になった水音の正体はこれかもしれない。
それから俺はなんとなく、その流れをさかのぼるように川べりを歩いた。小川はすぐに終点となっており、そこに埋設されて口だけを生やしている太い塩ビパイプから水が吐き出されている。では、そのパイプの水は、いったいどこからきているのだろう。
今度は、そのパイプの埋設場所を推測しながら見えない流れをたどると、行く先に橋が見えてきた。公会堂のある丘のふもとの橋、そしてその下には当然、川が流れている。どうやらパイプは村と禁足地とをへだてる川までのびて、そこから水がきているようだった。
「ここから先はちょっとマズいかな」
そんなことを口に出しながら、俺は橋のたもとまでやってきた。欄干をつかみながら北にながめる川は、身をくねらせながら山奥の上流へと続いている。こちらから見てその右側には、川と並行して山中へと上る、ガードレールに守られた古い道が見えた。あれがカンナメへといたる道だろうか。
俺が橋をはさんだ対岸に目を向けると、舗装のとぎれた土肌に、わだちらしきものが残っているのが見えた。そう古いものではない。神の居場所とはいえ、人の出入りがまったく無いわけではないようだ。
それも当然といえば当然。村の山々は多くの木々におおわれているが、カンナメと呼ばれる辺りもふくめて、木が適度に間引かれてよく整えられているのだ。たぶん、村人たちが時どき山に入って作業しているのだろう。それに神社があるのなら、そこには坊主だか神主だかもいるはずだ。
人目が無いことを確認しつつ橋を渡り、わだちの近くまでやって来た。わだちは左に折れてカンナメへと上っていく道に続いていたが、直進する道にはそれは残されていない。
正面、ソシモリへと至るという舗装道路は、茂みのあいだを通る長い直線の先でゆるく下りながら右にカーブしており、そのカーブの手前右手側には、コンクリート製と思われる小さな平屋の建物が立つのが見える。
──ソシモリには神の化身であるオロチが棲む。はるか昔、オロチは激しく荒ぶり、川に毒をまいて人々を苦しめ、みなの吐き出した血で川は赤く染まったという──昼飯を食ってる最中にマスターから聞いたおとぎ話だ。
そんな事を思い出しながら道の先に見える建物に向かって歩きはじめてすぐに、のびた草に隠れるようにして道端に立つ小さな石のほこらに気がついた。小屋のような形に切り出された、ほこらというか石碑というか、俺のヒザの高さくらいのその石は、色や質感からみて、それほど古いものではなさそうだ。
その正面には蛇の胴体をもつ人物の像が彫り込まれていた。
「蛇……こいつがオロチか?」
近くにかがんでよく見てみると、像の上には、漢字のようにも見えるしるしがひとつ彫られている。丸とチェックマークが重なったような形のしるし。
「マル書いてちょん……いや、ちょんはちょっとちがうか」
タケウチならひと目見てウンチクのひとつもたれそうなものだが、俺にはこれがなんなのかサッパリ見当もつかない。
立ち上がり、ふたたび歩き出そうとして、俺はすぐにその足を止めた。「センサー」が反応している。
センサーが検出するのは、空気中の成分、温度、動きといった諸要素を分析して導き出される、任務遂行にあたっての「動的な危険」だ。しかも、今回の反応が示しているのは緊急事態を表す「赤」──これは、対処が難しいほどの多数の脅威、あるいは単体でありながらも強い検出結果をセンサーにしめすモノ、つまりとんでもない化け物が付近に存在するかもしれないということだ。
即座に周囲を警戒するが、俺の「目」には特になにも確認できない。センサーの反応もすぐに消えてしまった。
──誤作動? なんてことは……
その時。カンナメの方向の、木々の重なる深みの奥。そこにある、ひとつの影に気がついた。人……かもしれない。だが、そうでないかもしれない。
それは俺の「目」をもってしてもかすかにしかとらえられないほどに遠くから、こちらを見つめている。はっきりとは見えないのに、なぜかじっと見られていることだけは感覚的にわかるのだ。
センサーがまた一瞬赤く反応し、消える。意識をそちらに取られたつかの間に、影の姿も風にゆれる枝々の中にまぎれ、もう見つけることができなくなっていた。
暗い緑の静寂に囲まれる中で、俺はひとり立ちつくす。背中には汗がにじみ、シャツの中をしずくとなってひとすじつたった。
ここには、なにか恐ろしいモノがいる。カンナメの奥にひそむ、恐ろしいなにか。なにか──
「神様……か」
2134年 9月29日 午後5時52分
エル・ボスコの村 スナックがぁる
タケウチ
日が暮れるのを待ち、私はアンザン君と連れ立って酒場を訪れた。日中の調査の中で引っ掛かった二、三の疑問をマスターに投げて置きたかったのだ。
「先生は水割りでいいかい? 兄チャンは今日は水か茶にしとくか?」
「俺も酒でたのむ。モジョイモ焼酎お湯割りうすめで。あと、ひとくちひえひえをふたつ。皿は分けてくれ」
「あいよ」
酒と肴が出てくるのを待つ間、口を開く者は居なかった。話題は有るものの、場が落ち着かない内に喋り始めると途中で話の腰が折れてしまう様な気がして、何となく黙ってしまうのだ。中身の無い適当な会話で繋ぐのが正解なのかも知れないが、これが中々に難しい。なので黙る。
この様な場合の賑やかしを担う女給のヨムラは、今夜は他の務めが有る為に不在だと云う。
そう云えば、昨日店に居た三人組の姿も見えない。彼らの姿を日中に村内で見掛ける事も無かった。既に村を出たか、はたまた近隣で狩りにでも勤しんでいるのだろうか。
「ほいよ、いちころとモジョイモ焼酎、と、ひとくちひえひえ二つね」
酒場の定番メニューの一つである「ひとくちひえひえ」は、良く冷やした大型アメーバの細胞を一口大に切り分けただけの品だが、冬場以外でこれを味わうには電気冷蔵庫が欠かせない。この様な所からも、この村が慎ましくも恵まれている場所だと云うのが良く分かる。
一切れ口に運ぶと、冷たさと共にプリっとした食感が舌で躍る。それは奥歯の咀嚼に僅かに抵抗した後に弾け、薄っすらとした苦味と酸味、そして発泡を伴う滑りが口内を満たした。
「旨いだろう。村のハンターが今朝獲って活き締めにしたやつだ」
マスターが自慢げに言う通り、確かに旨い。私はアメーバのしゃわしゃわとした食感を一頻り愉しんだ後、水割りを一舐めしてから口を開いた。
「今日は昨日来てた三人組さんたちは居ないんですね。昨日ここに泊まっていった人たち」
私は、わざと店内を見渡す様にしながら言った。
「ああ、連中なら今朝出てったきりさ。荷物は多少残ってるんだが、どうしたもんかな……」
マスターは店の最奥に在る階段の方を向いて、鼻で息を吐く。
「あの方々もハンターなんですよね? そう云う風貌でしたが」
「ああ、ここへは仕事で来たと言っていたよ。それが何だかは知らんが、まあハンターの仕事といったら、多分、狩りなんだろうがな。大型のレーザーライフルやら携帯迫撃砲やらも持ち込んでいたようだし、大物狙いかもしれん。この辺の賞金首といったら人攫いくらいだが、どうなんだかな」
「彼らはどの程度前からこの村に滞在していたんですか?」
「一昨日からじゃないかな。俺が初めて見かけたのは昨日の朝なんだが、その前の日に村に着いたと言っていたよ。どこに泊まってたのかまでは分からんがね」
「そうですか……」
ハンターらの狙いは、私の目的とは競合しない様に思えるが、金に成ると判断すればどう動くか分からない。一応、動向には注意を払って置くべきだろう。
多少場が暖まったのを見計らって、私は本題を切り出す事にした。
「そう云えば今日、バンショさんから伺ったのですが……」
この話の切り口には意味が有る。先程、マスターは私を「先生」と呼んだ。今ではアンザン君も私をそう呼ぶし、私が研究者であると知った人間がその様に呼び掛けてくるのは、然程珍しい事でも無い。だが、私はマスターや宿の女将さんらに、まだ自分の素性を明かしてはいないのだ。
情報が伝わった経路として考えられるのは、ロメルダらトレーダーたち、若しくは世話役のバンショくらいだろう。金さえ積まれれば簡単に情報を商品としてしまうトレーダーたちではあるが、ここはバンショから私たちの来歴を聞いたとする方が自然な流れには思える。
そうであるならば、マスターとバンショには或る程度の繋がりが有る筈だ。バンショの名前を出す事で、警戒を緩められるかも知れない。
「公会堂の向かいのビル、真木寮と云う名だそうですね。何でも、この辺りの歴史についてお詳しい方がいらっしゃるのだとか」
「……ああ、真木寮ね。まあね。あそこにいるのもまさに先生方だからね」
マスターは一瞬眉を動かしたが、思ったよりも素直に反応してくれた。
「余所でいう学校だとか、病院だとか、そんなのが集まってる場所があそこなんだ。俺も小さい頃は通って勉強したし、大人になってから行く奴もいる。今でも怪我や病気したら診てもらってるよ」
「真木寮、少し変わった名前ですが、由来は?」
「真木っていうのは、真木寮を開いた昔の偉い人の名前だそうだ。俺が生まれる前の人だからな。よくは知らんが」
「成る程……私が行っても話を聞けそうでしょうか」
「どうかな……結構厳しいんだ、先生たち、特に寮長のスノハラ博士はさ。俺なんかこんな商売だしついつい気安く色々喋っちまうけど、本当は余所の人間とはあまり深く関わるなって言われてるんだよ」
「バンショさんは紹介状を書いて下さる様な事を言っていましたが」
「いやあ、あの人も意外と調子がいいからな……」
どうも守りは堅そうだが、真木寮なる場所が有益な情報を保有している可能性は高い。そこの長だと云うスノハラ博士を含めて、やはり近い内に接触してみる価値は有りそうだ。
真木寮については改めてバンショを当たってみるとして、マスターにはもう一つ聞いて置きたい事が在った。
「所で、キャラバンの人たちから例の話は聞きましたか? 彼等の作った墓が荒らされたと……」
「……墓だと?」
マスターは明らかに「墓」と云う言葉に反応した。顔が強張り、語気が尖る。だが、事件については全くの初耳であったらしく、私の説明する事のあらましを真剣な様子で聴いていた。
「そのハンターが死んだのは昨日の夜なんだな? そして死体が消えたのが、その夜から朝までの間……」
「聞いた限りでは、その様ですね」
「ふーむ……」
何故だろうか、マスターは説明を聴きながらも、死亡時刻と墓が暴かれた時刻をしきりに気にしていた。そして、昨夜から今朝にかけての出来事であるのを確認して、何処となく安堵している風にも見える。
「しかし、キャラバンの連中にも困ったもんだな。人死にが出るようなトラブルを持ち込むとは。ましてや勝手に墓などと……」
「その墓なんですが、この村にも墓地は在りますよね?」
これこそがマスターに尋ねてみたい事だった。昨日と今日で禁足地を除く村内の殆どを見て回ったが、墓地らしきものが全く見当たらなかったのだ。
こんな世の中だ。治安の悪い街などでは遺体がまともに埋葬されずに郊外の原野に遺棄される事も珍しくは無い。だが、ここは実態は不明なれど何某かの信仰が浸透している集落だ。死者の遺体をそう無下に扱うとは考え辛かった。
それと先程マスターが見せた「墓」と云う言葉への反応──あれの正体が知りたい。
「墓地……」
マスターはそう言って暫し絶句した。昨日ハバキとカンナメについて聞いた時の、あの時の表情に似ている。
少しして、彼は重々しく口を開いた。
「墓は……カンナメにある。そう、聞いている」
聞いている──か。
「村人は墓地へは立ち入れないと?」
「ああ、村で人が亡くなると、葬式の後、その遺体はカンナメに引き渡されるんだ」
「引き渡す……やはりカンナメの神社にも神職がいらっしゃるんですね」
「神職? ……ああ、そうだ。神様に、オウミヤ様に奉仕する方々が──」
マスターが言い終わる前に入口の扉が音を立てて勢い良く開いた。
「マスタぁ!」
ヨムラだ。彼女は泣いているのか怒っているのか、端正な顔を皺くちゃにしながら我々の居るカウンターまで駆け込んで来た。
「ハバキさんがぁ! 殺されちゃったってぇ!」
*
村の若衆筆頭、ハバキが殺された。下手人は不明。
事件の発生時刻は推定で本日午後5時半頃、日没前後。私たちが酒場で呑み始める少し前の時間帯だ。
村の住民の一人、ウツキ翁がシャクジンの社の付近からカンナメの山を眺めていた折、中腹の崖上に複数の人影を目撃。やがて、その内の一つが崖下に落下したのだそうだ。
ウツキは公会堂に詰めていた世話役バンショと事務員イブカイに声掛けし、その内のイブカイがカンナメの現場付近に急行。カンナメ入口近くの川の縁に倒れているハバキを発見した。この時点で身体の損壊と出血が酷く、呼吸及び脈は既に無し。だが、公会堂に戻ったイブカイが、バンショや数人の村人と合流して再び現場に到着した時には、そこには既にハバキの遺体は無かったと云う。
その後、村を挙げての遺体捜索が行われたが、日付が変わるまでにハバキを発見する事は叶わず、現場がカンナメに掛かる場所だとの事情も有り一時中断。捜索活動は翌日に持ち越される事となった。