「あるよ」おじさんになりたくて 作:おっとり塩茶漬け
失意のまま歩いていた。
どうにかしたいという強い気持ちが、どうにもならないという現実に食われていくようで、足取りは重く、一度でも止まってしまえば、もう歩き出せなくなりそうなほどの無力感に押し潰されてしまいそうだった。
「……とりあえず、何か入れないと」
聞こえた言葉に、そうだな、と同意することすら億劫だった。
どれだけ絶望的な状況でも、機会が訪れた時に動けるように備えなければならない。
基本的なそんな教えが身についているから、彼らは偶然目についたその店の扉を開いた。
カフェのチェーン店がどこでも見られるようになって、あまり目にすることがなくなった小ぢんまりとした純喫茶だ。
ドアに備え付けられた鈴が鳴って、カウンターでグラスを磨いていたらしいバリスタの青年が目を向ける。
ひんやりとした感覚を覚えたのは、外との気温差だけでなくその冷めた眼差しのせいかもしれない。
「――いらっしゃい」
「あ、えっと……二名、なんですけど」
「……好きな席にどうぞ」
決して好ましいとは言えない接客に促されるまま店内に目を向けると、カウンター席の他にボックス席が四つ。隠れ家的とでも言えばいいのだろうか。席同士はゆったりと余裕があって、狭い物件に店を構えたというよりも、初めから少数の客しか入れないようにしているのだと感じた。
客は自分たち以外にはカウンター席に一人だけ。
御馳走様、と言葉小さめに入り口横のレジへと向かう男性客と入れ替わる様に、二人はボックス席の一つに座ることにした。
座ってしまえば、どれだけ自分が疲労していたのかを思い知る。
一人は項垂れ、一人は宙を仰ぐ。
他に何もする気が起きなかった。
バリスタの青年が水とおしぼりを持ってきたことで今、自分がどこにいるのかを思い出し、このままではいけないと脇にあるメニュー表をテーブルに広げた。
青年はもういない。
彼らを慮ったのだろうか。接客の愛想の乏しさの割りに優しい人なのかもしれない、などと現実逃避を挟みつつメニューを眺める。
なるほど、ここはコーヒーがメインの喫茶店らしい。
紅茶やソフトドリンクが一ページにまとめられているのに対して、コーヒーにはまるごと一ページが使われている。
食事系はサンドイッチ、パスタ、カレーとまさしく喫茶店といったラインナップが並んでいた。
「……私は決めたけど」
「……同じでいい」
いつもならその投げ遣りな物言いに小言の一つでも言うところだが、今はそんな気も起きずにバリスタの青年を呼んで注文する。
改めて手持無沙汰になってしまったが、スマホを開く気も起きなかった片割れの少女は、店内を何の気なしに見渡した。
チルアウトな趣の音楽や、調度品の趣向からレトロな印象を受けるが、壁や床を見るに意外と新しい店なのだろう。流行を追うオシャレなカフェチェーン店との差別化と思えば、それは立派な経営戦略だ。
なにより、
「……このお店、かなこが好きそうだね」
おっとりとして、落ち着いた空間が好きなあの子なら。
口にしてしまってから、しまった、と口を固く結んでももう遅い。
対面に座る少年は、顔色こそ俯いていて見えないが、テーブルの上で震えるほどに握りしめられた手が、その荒ぶる胸中を明確に示していた。
「………………なんとかしないとね」
なんとか捻りだした言葉は、彼女の本心だった。
しかし、だからこそ、慰めではないと分かっているからこそ、少年の心は掻き毟られる。
「……どうやってだよ」
絞り出すような声だった。
「協会が匙を投げた……。呪いをかけた至鬼は死んで、解呪させることもできない……! アイツが言ったんだ! どうすることもできずに仲間が死んでいくのを指を咥えて見てろって!」
目的のためなら手段を選ばない。
呪いとは本来、かけた者が解くか滅するかで解除されるもの。かけられた呪いを完全に理解しているのであれば第三者が解呪することも可能で、その場合には呪いがかけた側に返ってくることになる。そういったリスクも含めて、呪いが強力なのは「かけ手と受け手が繋がった状態である」ことが基本だからだ。だが、その鬼は己の全てをかけて「かけた者が死んだ時により強固となる呪い」を彼らの仲間にかけ、死んだ。通常の呪いと思わせて、死の間際に事実を伝えた上で。ただ精神的に追い詰めるためだけに彼らを騙した鬼は、最期まで笑みを浮かべていた。
そして、古今東西、あらゆる解呪法を試し、模索した彼らを待っていたのは、「解呪する手段はない」という協会からの報告だった。
「……じゃあ諦めるの?」
少年の言葉に、少女は問いかける。
その声音の静かさは少年に対する思いやりや、彼を諭すためではない。言葉を抑え込むという、その胸中でずっとしてきたことと同じだった。
だからこそ、自分に当たり散らすようなことをしておいて、言葉を返さずに目を逸らす態度が許せなかった。
「あいつらの、あの子の死は無駄じゃないとかっ! 対呪の参考にするとか、もう死んだみたいに扱うあんなやつらの話を受け入れるの!?」
「んなわけねえだろ!」
受け入れない。受け入れられるわけがない。
三人は孤児だった。
協会の施設に入れられ、同い年の子供が親の庇護のもと伸び伸びと育っていた頃から訓練を受け、100人近くもいた同期が今ではたったの三人だ。
絶対に生き残ろうと誓った。
大人たちのために死んでなんてやらないと、自分たちのために幸せになってやるんだと誓いあっていた。
なのに現実が、それは無理だと、叶わない夢なのだと告げてくる。
「どうしろってんだよ……」
あたしで良かった、なんて言わせたくなかった。
あたしの分も幸せになってね、なんて聞きたくなかった。
治るというのならなんだってする。
他の誰が犠牲になったっていい。魍魎の王だって殺してみせる。
そう意気込んだところで、突きつけられるのは「何もできない」という現実だけ。
「……でも」
それでも。
「私は諦めたくない」
それでもと思うから、彼らは足を止められない。
「…………わかってるよ。でも誰も知らない呪いを解く方法なんて……どこにあるんだよ」
「あるよ」
完全に自分たちの世界に入っていた二人を引き戻したのは、男性の声だった。
愛想のない淡々とした言葉。
ハッとして目を向ければ、テーブルの前に料理を手にしたバリスタの青年が立っていた。そしてようやく気付く芳しい香りに、どれだけ周りの事を忘れていたのだろうと恥じ入る気持ちはあるが、そんなことは二の次だとばかりに意識の外に追いやった。
「……あるって……」
なにが。
そう続けるよりも早く、青年は料理を置いてカウンターへ行ってしまった。真偽や意図が分からない戸惑いと、不可能なものをさも簡単に告げるふざけた態度への怒りに混乱し、青年が二人の許に戻ってくるまで結局何か行動を起こすこともできないままだった。
やがて何も言わず置かれたのは、細い雫型のガラスに螺旋状の装飾が施された、香油瓶のようなもの。
ただ仄めかすだけでなく、こうして物品を差し出されては、その真偽が余計にわからなくなる。絶句して瓶を見つめることしかできない二人を見て取り、しかし何も言わず、青年は再びカウンターへと戻ってしまった。
「こっ――これ!!」
先に再起動したのは少女だった。
「これ、どうすればいいんですか!? 飲ませればいいんですか!?」
当然の問いかけに返ってきたのは、無言の首肯。
本当に藁にも縋る思いだったのだろう。
抱いていたはずの不信感や真偽の一切を投げ捨てて、少年は瓶を掴んで走り出す。
走り出した相方。
残された料理。
ただコーヒーを淹れ始めている青年。
何度も矢継ぎ早に見遣り、やがて少女も走り出す。
二人が戻ってきたのはそれから数時間後の事。
何も口にしていなかったのだろう。
ふらふらになりながら何度も頭を下げた少年少女は真っ赤に目を晴らしながら、その容貌には堪え切れない喜びの色が浮かんでいた。
小さい頃に見たドラマの、無茶振りのような注文に「あるよ」と応えるおじさんが好きだった。
「だからって、奇跡みたいなモノをあげるのはやりすぎじゃないですか?」
「あげたわけじゃない。ちゃんと対価は要求した」
ずけずけと物を言う少女、昼前に出勤したウチの唯一のスタッフであるミズカに、俺はすぐさま反論する。
……まぁ自分で言っておいてなんだけど、正直1000万は安すぎたと思う。
思うけどさぁ。
「初めての機会だから食い気味に言っちゃっただけでしょ」
その通りですがなにか?
仕方ないじゃん。開店してから一年、客足はそこそこあるのにだーれもマスターの俺に話しかけたりもしなければ、「あるよ」って口を挟む機会なんか一回もなかったんだから。
東京って他人には本当に無関心だよね。
いや、前世に比較しても冷たいと思うのは、この世界には人類の敵がいるからだろうか。
人々はいつ現れるかもわからない敵に怯え、心の余裕がなくなっていく……。
「時代の闇、か……」
「大げさに言ってるけどマスターが不愛想なせいだと思うよ」
うっさいわい。
無口で不愛想なのに「あるよ」って臨機応変に対応するのが渋くていいんじゃないか。
「それを補うためにお前がいるんだろ」
「私はやれるだけやってると思いますよー」
この前も連絡先聞かれましたし、と欠伸混じりにいうミズカの言葉に、それどころか世間話さえされたことのない俺はぐうの音も出なかった。
「……ぐう」
――のも悔しいからぐうくらいは言うけどね!
いやいや、逆に言うとこの子が人に好かれるのはある意味当然なんですよ。
だってこの子人間じゃないし。
言ってみればホムンクルス。俺の転生特典『願望機』が、「喫茶店には可愛い看板娘だろ」という浅ましく俗っぽいが同意しかないネットの声を聞き届ける形で生み出した存在だ。
可愛く、愛想がよく、仕事ができる。
それが彼女、
というか、そんな存在として生み出されたミズカだが、問題がないわけじゃない。
「……で、そいつとは付き合うのか」
「え? そんなわけないでしょ」
何を当然なことを、とばかりにこいつは言う。
「好きになったのは客対応の私でしょ? オフの時まで気ぃ使いたくありませーん」
いつの間に気の抜き方なんか覚えたのか、オンとオフをしっかり区別するようになったんだよね。最初はずっと愛想のいい美少女だったのに。
まぁ、人造とはいえ人間。成長するってことなんだろう。……成長と言えるのかはわかんないけど。
「ていうか、連絡先聞かれただけで告白って捉えるとか、マスターの女性経験のなさ露呈してません?」
ありませんがなにか!?
ニヤニヤしやがって、メスガキかてめぇはよぉ!
これは創造主としてわからせてやらねばなるまい。
「……客が『彼女になってくれる美少女店員さんいないかなー』とか言ったらお前が差し出されるけどな」
「はぁ!? 創造主で所有者だからって人権無視するとか最低! 絶対嫌! そういうのの代わりとか誤魔化すやつとかないんですか!?」
「あるよ」
「「 あ 」」
そういう要求をされることが容易に想像できたのか、すごい勢いで食って掛かるからつい反射的に答えてしまった結果、
「……えーっと、私は先輩の身代わりってことでいいですか?」
新しいホムンクルスが生まれた。