エンタメデュエリストが幻想入り   作:てんのうみ

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レスキューラビット

 あの日から、私とユキは言葉を交わすことが少しずつ多くなっていった。多くなったと言っても、「おはよう」や「おやすみ」とか、ありふれた日常会話をするようになっただけ。でも何も話さずに過ごしてきた私たちにとって、それは大きな変化だった。音の無かった私の部屋から、誰かの息遣いを感じる。ただそれだけで安心できた。

 朝起きて、ユキに「おはよう」を言って。二人で部屋を出たら、ユキは訓練に、私は師匠のいる医務室へ向かう。デスクワークも大分慣れてきけど、薬品の調合とか、そっちの方はまだ緊張する。でも新しいことを覚えるのは楽しいことだし、何より師匠の役に立ててうれしい。

そんな日々が続いたある日のこと。

 

 その日は長く続いた師匠の研究がやっと終わったとのことで、少し早めに作業を切り上げ、お疲れ様の意味も込めてゲームを始めた。

 師匠は頭がいいから、当然ゲームも強い。たぶん二手も三手も先を読んでプレイしているからか、私は今まで勝ったことがない。それでも師匠とやるゲームは楽しかった。

 

「そういえば師匠のやっていた研究って、なんだったんですか?」

 ゲームをしていた最中、私が何となく師匠に尋ねた。

 実際に研究を手伝っていた身ではあったけど、その内容はちんぷんかんぷんで、私には理解することができなかった。自分も手伝っていた物がなんだったのか、それを知りたいと思ったのは普通のことだ。

 だが、師匠はゲームの手を止め、少し難しい顔をする。───聞いちゃまずかったかな?

「説明が面倒だから大まかに言うけど、地上で見つけた石板を元に、ある物を作った───というよりは復元した。そう言った方が正しいかしわね。簡単に言ってしまうと『時限式の装置』のような物なのだけど」

「時限式ですか?」

「ええ、でもその装置がいつ起動するかは私にもわかない。百年後になるか、はたまた明日にでも起動するのか」

 そんなのでいいのかな───と思うけど、師匠がそれをよしとしてるなら、問題はないんだろうな。

「そういえばさっき地上で見つけたって、おっしゃっていましたけど……」

「ええ、行ったことあるわよ。───興味あるの?」

「興味というか……どんな場所なのかなって」

「それを興味というのよ。そうね……一言で言うなら、とてもグチャグチャしているわ。(ここ)が真っ白なら、たくさんの色が混ざり、重なり、その中ではたとえ白でさえ、個性になりえるわ」

 それから師匠は地上について話始めた。私は直接見たわけじゃないから、師匠の言葉から想像するしかないけど、それは(ここ)より遥かに魅力的で、輝いていることは間違い。

「そうだレイセン。貴女地上へ行く気はない?」

「私が地上へ……ですか?」

「近々私ともう一人で地上へ行くのよ。かなり長くなりそうだから、貴女みたいな面白い助手がほしいと思っていたのよ」

 突然の話に、私はただ目を瞬かせした。(ここ)を出られる……地上へ行ける。これほど待ち望んだ話はないはずなのに───私は即答できなかった。きっとそれは、狂気的だと思っていた(ここ)で師匠と出会い、ユキと話をするようになって、少しずつ自分の居場所が出来たからだと思う。(ここ)を抜け出して、地上に行くのにはなんの未練もない。───なのにどうして気持ちが揺らぐんだろう。

「あまり時間はないけれど、考えておきなさいね。ターンエンドよ」

「えっ───」

 話に夢中になっていたせいで、師匠のターンだということを忘れていた私はすぐさまテーブルに目をやる。すると、そこには恐ろしい盤面が完成していた。

 

 笑いながら私の出方をうかがう師匠に、私はただ顔を引きつらせた。

 

 

◇◆

 

 

 ───それから数日後、事件は起こった。

 不老不死の薬───蓬莱の薬を作り、服用したとして、師匠ともう一人誰かが捕まり、地上へ送還されることになった。

 朝起きて室内アナウンスでそれを聞耳にした瞬間、居ても立っても居られなくなった私は、すぐに医務室に向かうため部屋を飛び出した。

「師匠……どうして……」

 師匠ほどの人が、何をするにしてもそう簡単に尻尾を見せるとは思わない。絶対にバレないようにするに決まってる。だとしたら、バレることはわかっていた? ということは今回のことには何か裏が? ここまでのことをして、師匠が狙っていることってなに?

 誰もいない廊下を一人走り抜けながら、私の思考回路はグルグル回る。そして一つの答えを見出す。

 ───師匠が言っていた「近々地上に行く」とは、もしかしてこう意味だったのではないかと。

「師匠!」

 

 たどり着いた医務室の扉を開け放つと───そこにはもう誰もいなかった。

 

 いつも師匠と二人で一緒に仕事をした医務室は、師匠と出会う前(あの頃)と同じ、無機質で音の無い場所に戻ってしまっていた。私のやっとできた居場所が……無くなってしまった。気づくと目には涙が溜まり、そして頬を伝った。(ここ)が狂気的な場所でも、私が楽しく日々を過ごせるようになったのは、師匠───八意永琳に出会えたから。

「師匠がいなかったら……師匠と出会う前(あの頃)に逆戻りじゃないですか……」

 頬を濡らす涙をそのままに、その場に座り込んだ。私にはもう何もできない。また無機質で、意味のない日々に戻ってしまう。師匠と一緒にいて、笑ったり、怒られたり、勉強したり……そういった充実した日々を知ってしまった今、それは師匠と出会う前(あの頃)よりも辛い。

 

『───レイセン』

 

 突然、聞きなれた師匠の声が室内に響く。まさかと思って顔を上げるも、やっぱり誰もいない。じゃあ師匠の声はどこから……。

 立ち上がって辺りを見渡すと、私のデスクの上に何か見慣れない端末のような物が置いてあることに気づく。手に取ってみると、映像が再生を始めた。

『レイセン。貴女がこれを見ているということは、私が地上へ行くことが室内アナウンスで放送されて、それを聞いた貴女が医務室に駆け込んできたところだと思うわ』

 映像の中で喋る師匠に私は言葉を失う。やはり自分が捕まることは計算のうち……いや、それこそが真の狙いだったとしても、まさかここまで詳しく状況が予想できなんて、正直考えられない。

『時間もあまりないと思うから、簡潔に話すわ。っと、その前に───涙をふきなさい』

「えっ───」

『貴女の泣いている顔は想像できるわ。もし貴女が私の弟子なら、どんな時でも冷静でいなさい』

 師匠に言われて、私は急いで涙を袖で拭った。泣いたって何の解決にもならないんだ。しっかりしないと。

『私ともう一人は、次の室内アナウンスが入って五分……と言ったところかしら? 私たちは地上へ送られるわ。レイセン、貴女にはそれまでに決めてほしいのよ───月に残るか、地上へ行くか(どちらにするか)

月に残るか、地上へ行くか(どちらにするか)なんて、決まっていますよ!私は───」

『確かに地上へ行けるチャンスはこれっきりかもしれないし、地上へ(ここ)にはないものがたくさんあるわ───だけど地上は天国じゃない。世界には必ず表と裏、良いところと悪いところがある。それに文化レベルは地上の方が遥かに低い。(ここ)には二度と戻ってこられないかもしれない。リスクは決して低くない。まだ時間はある、貴女の一生の決断になると思うわ。冷静に考えなさい』

 確かに師匠の言うとおり、私は地上のことを全く知らない。そこは辛く、ここ()へ戻りたい───そう思う日が来るかもしれない。それでも……私は───。

 

 ───こんなところで生きたくない。こんなところで、何も知らずに、意味のない時間を過ごして、意味もなく死にたくない。たとえ地上へ行ってから後悔したとしても、私は自分の人生を、これから歩む道を、過ぎていく時間を、意味のある物にしたい。

 

『さあ、部屋に戻りなさい。アナウンスを聞き逃すわよ。それと肝心の場所だけど、それは私にもわからないわ。』

 画面越しの師匠の言葉に、私は息を飲む。ここまで用意周到に準備して、私が見ること前提の映像まで作っているのに、場所がわからないなんて───それじゃ月から出ていくことはできないのと同じだ。

『宇宙船で送られるのはわかるのだけど、何番のポートから射出されるかは、直前に決まるそうよ』

「そんな……それじゃ……」

『大丈夫よ。答えは、答えの方から貴女のところへ来るはずだから』

 その一言を最後に、映像は終わってしまった。

 最後の言葉の意味はわからない。けど、ここは部屋に帰るとしよう。アナウンスを聞き逃すわけにもいかないし、それに師匠の言葉を信じるなら、答えの方から私のところへ来るらしい。───この部屋で、私にできることはもうないだろう。

 

 最後に自分が使っていたデスクの上を綺麗に片付け、私は医務室を後にした。

 

 

 

 足早に自室へ帰る途中、私は師匠の最後の言葉の意味を考えていた。

 師匠の言葉───「答えは、答えの方から貴女のところへ来る」───これは一体どういう意味なのか。普通に考えて答えが一人で私のところへ歩いてくるはずはない。ということは何らかの形で、答えを知ることになる? それとも誰かが私に接触してきて、何番ポートなのか伝えるのか。そうなると誰か協力者がいることになるけど───この(場所)にそんな人がいるかどうかなんて、いつも一人の私にはわからない。とにかく早く何番ポートか知らないと。

「レイセン」

 部屋の前まで来たところで、私を呼ぶ誰かの声に足を止める。

「───ッ!」

 振り返るとそこには、この状況で一番会ってはいけない人物───薄紫の髪のポニーテールが特徴的で、玉兎の訓練を行う指導者にして、地上を監視する《月の使者》のリーダーの一人、綿月依姫様の姿があった。

「こんなところで何をしているのですか?」

「あっ……いえ……その……」

 最悪だ、よりにもよって依姫様に出くわすなんて。というかどうしてこんなところに? いつもならこの時間帯は訓練に行っているはずなのに。最悪訓練に引っ張り出される可能性も───そうしたら師匠と地上へ行けなくなってしまう。

「全く貴女は、そうやっていつも訓練をサボってばかりで……まあいいでしょう。今から行っても中途半端になるだけですしね」

 た、助かった……ここで依姫様に捕まったら、本当に地上へ行けなくなるところだった。

「───《10番ポート》」

「え?」

「どこへ行ってもいいですが……《10番ポート》の辺りには近づかないようにしてください。今あそこは警備中です。警備員の邪魔になります」

「───!」

 嘘……まさか依姫様が?いや、《月の使者》のリーダーである依姫様がそんなことをするはずがない。とういうことは師匠には、こうなること───私が依姫様と出くわして、言葉を交わすこともわかっていた?

 考えても答えは出ない。出そうとしても、式に代入する値が足りない。今は答えを探すより、師匠を信じて先に進もう。

「それじゃ私は……これで失礼します」

「レイセン!」

 再び歩き出そうとした私を、依姫様が呼び止める。

「どうしましたか?」

「───いえ、なんでもありません。行きなさい」

 そう告げて歩き出す依姫様。どうもいつもと様子が違うように見えるのは、私の心が不安定だから? いつも怒られてばかりで普通に会話したことなんてしたことはなかったと思う。依姫様にも迷惑かけてばかりだった。

「あの……依姫様」

 私の小さく呟いた言葉に、今度は依姫様が足を止める。

「どうかしましたか?」

「迷惑かけて……すみませんでした」

 自然と出た謝罪の言葉に、私自身驚きつつも、私は足早にその場を離れた。

 

 

 帰ってきた私の部屋は、ユキが訓練に行っていることもあり、無音だった。立つ鳥跡を濁さず……と言うし、アナウンスが入るまで私物の片付けでもしようと考えたが、とくに私物がないことに気づいて暇を持て余す。ソワソワした……落ち着かない時間が過ぎていく。この緊張した状態が長く続くのは心臓によくない。何か気が紛れる物はないだろうか? 部屋の中を見渡してみるが───何もない。改めて見ると、本当に何もない部屋だ。本の一つもないのは、いくらなんでも寂しすぎはしないか? そんな疑問が私の中に過ったが、今の今まで気にも留めなかったはずなのに───と自分の無関心さに呆れてしまった。もう何年ここに居たかは覚えていないけど、いろいろお世話にはなったことは確かだった。

「軽く掃除くらいしても……いいよね」

 掃除と言っても決して大したことではない。元々物も無いし、掃除用具もこの部屋には設置されていないから、本当に軽いベッドメイキングだけ。

「……ついでだし、ユキの分もやってあげようかな」

 友達だった───とは言えないかもしれないけど、長い間ルームメイトやってきたわけだし、あまり言葉は交わさなかったけど、最近は少しだけ話すようななったわけだし……私にとっては、師匠以外で初めて形式じゃない関係を持てた───と思ってる。

 ユキと交わした数少ない言葉を思い出しながら、シーツを整えていると、ふと彼女のことが気になった。

 ユキは───私のことをどう思うだろうか?

 

 裏切り者と忌み嫌うだろうか?

 私がいなくなったら悲しむだろうか?

 それとも何も思わないだろうか?

 

 ズルいな私───ユキの気持ちなんて考えもしないで地上へ行くのに、ユキの中には私が残っていてほしい───そう思ってるんだから。

 

 ユキが帰ってくるのは訓練が終わってから……到底会えそうにない。せめて別れの言葉くらい伝えたかったな……。手紙を書くにしたって、何を書いたらいいかわからない。手紙なんて書いたことなかったから。

 

 でも何か残して行きたい気持ちは強くて───。

 

 別に未練があるわけじゃない。何かほしいんだと思う。物でもいい、誰かの記憶でもいい、自分が(ここ)にいたという何かが。自分がわけもわからないうちに過ごしてきた膨大な時間は無駄じゃなかった、何かに……誰かの記憶の一部にでもなれば───それは存在の証明、私の生きた証だ。

 

 とりあえず紙とペンは取り出した物の、やはり書くことは浮かんでこない。経験がないのもそうだが、ユキとの思い出は片手で数えても余ってしまうほどに少なかった。

 

『連絡……連絡……特別区画を警備することになっている者は、直ちに配置についていください。訓練の者は、そのまま訓練を続けてください』

 

 ───時間か。

 私は真っ白な紙に、『さようなら レイセンより』と書いて、最後に私のたった一つの私物───師匠から譲り受けたデッキを……あの子によく似たカードを一番上にし、手紙を添えて、もう二度と戻ることはない自分の部屋に別れを告げた。

 

 最低限のことしか書かなかったあの手紙───私にはお似合いだったかもしれない。

 誰ともつながりを求めなかった、真っ白な私には。

 

 

 さっきの依姫様の時のように、誰かに出くわすかもしれないから『波長を操る能力』で、周囲と波長を合わせて周りには見えないようにして、無人の廊下を《10番ポート》を目指してひたすら走る。

 本当は最後になる月の景色をゆっくり見ていたいものだけど、そうも言っていられない。師匠は次のアナウンスが入ってから十分後に、地上へ船が出ると言った。私の部屋から《10番ポート》まではかなりの距離がある。多分、走ってギリギリ十分くらいだろう。元々ギリギリで滑り込むくらいでないといけない計画なわけだし、サボっていたとはいえ私にだって体力はある。───能力を使いながらの全力疾走で、どこまで持つかわからないけど。

「はぁ……はぁ……」

 足を動かし続けて約五分。私はとうとう月で唯一の宇宙船発射施設───《ポート》へやってきた。ここからは警備の数も多いだろうし、私の能力じゃ音までは消せないから、ここからは足音や声に気を付けていかないと。

 呼吸を整えて再び走り出す。残り時間は多くはない。だんだん足も重くなってきた。だけど歩みを止めるわけにはいかない。ここで止まってしまったら、私は二度と動けなくなってしまうから。

 息と足音を殺しながら、一番……二番……と《ポート》の奥へ進んで行く。《10番ポート》に警備が集中しているせいか、他の場所には警備が誰もいない。 そして《7番ポート》を過ぎたあたりで、ようやく目的地である《10番ポート》が見えてきた。《10番ポート》への入り口は固く閉ざされていて、入り口の両脇に警備の玉兎が2人……今向こうからは私の姿は見えないけど、さすがに突然ドアが開いたら怪しまれるだろうし、ここは近くまで行って、ドアが開くタイミングで私も中に潜り込むことにしよう。すぐ隣の《8番ポート》の入り口の陰に身を隠して、天井に設置されている監視カメラを見つけ、死角にいることを確認して一時的に能力を解除する。さすがにこの緊張感と疲労の中で波長を合わせ続けるのは精神的にも体力的にも厳しい。こんなことなら真面目に訓練を受けていればよかった。

 そんなことを考えているのもつかの間、《ポート》の入り口から誰かが入ってくる。再度能力を使って様子をうかがっていると、腰ほどある金髪に、髪と同じ色をした瞳が特徴的な───依姫様の姉、綿月豊姫様が、玉兎数名と一緒にこちらへ歩いて来た。

 私はそっとその列の最後尾にくっついて、《10番ポート》の中へと入り込む。ここまではどうにか計画通り。スムーズとは言わないが、うまくことが運んでいる。《10番ポート》に入ると、そこには小さな宇宙船を取り囲むようにかなりの数の玉兎が取り囲んでいた。これは迂闊には近づけない───私はドアのすぐ横に避け、壁に寄り掛かる。こうなったら、タイミングを見つけて乗り込むしかない。

 じっと期を待っていると、入り口の向こうから足音───それはどんどん近づき、この《10番ポート》へと入ってくる。玉兎に連れて来られたのは、師匠こと八意永琳と……長い黒髪の綺麗な女性。子供のあどけなさ残っているが、ピンク色の着物を着ていたりと、まるでお姫様のような人。この人が師匠の言っていた『もう一人』だろうか。

「発射一分前だから、警備のみんなもポートの外へ避難しなさ~い───ほら、早く」

 師匠たちが船に乗り込んだところで、扉の傍……私のすぐ横で豊姫様が声を掛ける。その一言で、警備についていた玉兎たちが、一斉に入り口へ向かいだす。

 

 ───今しかない!

 

 瞬間、私は走り出した。閉まり始める宇宙船の扉に向かって。正直タイミングは微妙だ。入れたとしてもタッチの差でギリギリ……むしろそれより厳しい。だけど私には走る以外の選択肢はない。ここで諦めてしまったら、私はまた意味のない日常に戻ってしまう。出るんだ……この月から。絶対に地上へ行って、私は生きる意味を見つけてみせる。

 目の前の扉はもう閉まりかけていて、あとわずかで人が通れなくなってしまう。

「届いて!」

 声を出してはいけないことも忘れ、手を伸ばす。その指先は、わずかだが───たしかに扉に届いた。走ってきた勢いそのままに、思いっきり腕を引っ張って、船の中に転がり込む。その際勢い余って頭を強く打ったが、その痛みが私が脱出に成功したことを実感させてくれる。

「あら、随分と慌ただしい登場ね」

 今までの緊張が解け、一気に体が重くなって転んだまま動けなくなっている私に師匠が笑いながら手を差し伸べてくれる。

「私が貴女なら、もっとうまくやったけど……今日のところは合格点を上げるわ。よくやったわねレイセン」

「し、師匠……」

「貴女が永琳の言っていた兎さん?」

 師匠の手を取って立ち上がると、師匠の後ろにいた黒髪の女性が話しかけてくる。

「え、えっと……」

「レイセン、こちら蓬莱山輝夜姫。名前くらいは聞いたことない?」

 師匠から告げられた名前は、確かに聞き覚えのある物だった。うる覚えだけど、月の都のお姫様だった気がする。確かにこの服装や容姿を見る限り、お姫様という感じはする。

「結構かわいい兎さんね。ねえ永琳、地上へ行ったら飼ってもいい?」

「そうですね……この子は私の弟子ですから、お好きなように」

「し、師匠!?」

「ふふ……これでしばらくは退屈しなそうだわ」

 ───見た目はお姫様のようだけど、中身は子どもというか……この子供が新しいおもちゃを見つけたように喜ぶ姿を見ていると、少し幼く見える。

「そうだ。今回の頑張ったことだし、これから地上で暮らしていくのだから、レイセン……貴女に新しい名前を上げるわ」

「新しい……名前ですか?」

「───鈴仙・優曇華院。鈴仙は『(すず)』に仙人の『仙』と書くわ。優曇華院というのは三千年に一度咲くといわれている伝説上の花の名よ」

「鈴仙・優曇華院……」

 師匠から頂いた新しい名前。地上で生きていくための名前。今までの名前は文字だけで何の意味もなかったけど、師匠から貰った新しい名前は、どこか温かみを感じた。

「それじゃ兎の要素がどこにもないじゃない」

「姫様……そういう問題では……」

「この子は兎なんだから、名前でもそれがわかるようにしないと。そうね……イナバ。イナバってつけましょう!」

「しょうがないですね……それじゃ鈴仙・優曇華院・イナバ。それが今日から貴女の名前よ───鈴仙」

 

 

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