一話
これほどの名誉がありましょうか。
これほどの幸福がありましょうか。
熱を孕み、艶を帯びた声が歌う。
ああ、我が君。
この子は我が君、あなたのもの。印されし者。
喜んで、捧げましょう。
女は歌い上げ、輝く金糸を撫でる。ゆらゆらと立ち、ひょうひょうとか細い息を漏らす子の、肩を掴む。とん、と小さな小さな、薄い身体を軽く押す。
うっとりと、我が子を見下ろす。
ああ、この子を産んでよかったと、心から思った。
そうして女は跪き、頭を垂れた。
我が太陽。唯一のお方。
この子のすべては。
あなたの御心のまま。
一九■■年、九月一日。英国北部は秘められた地。穢れた者は立ち入れぬとされるホグワーツ城――大広間。
「なんなんだ今年は」
組分け帽子が迷うくらい、劣等生ばかりなのか?
スリザリンの長テーブルに誰かの囁きが渡る。少々のおしゃべりくらい問題はない。並んでいる一年生たちは落ち着きがなく身じろいでいる。こつこつと靴が床を叩く音、真新しいローブの衣擦れ、咳。細かな音がふれあって、ささやかな合奏となっているのだから。
通過儀礼を済ませた在校生の、退屈な呟きなど、虫の羽音に等しい。ウルペクラはそちらを見もせず――わかりきったことをぐだぐだと――組分けに意識を戻した。確かに今年は時間がかかっているように思う。グレンジャーという女の子が四分ほど、ロングボトムも同じくらいかかっていた。
ドラコはすぐに組分けされ、ウルペクラの隣に座っているけれど。帽子に触れるか触れないか。一秒にも満たず、予想通りスリザリンになったわけだ。
「そうなのか?」
今年はそんなに劣等生ばかりなのか、ウル。
こそこそと囁くドラコをちらと見た。
「お前や僕のようなのは、珍しい」
適当に返した。時間がかかる、すなわち劣っているというわけではない。たとえば同学年のセドリック・ディゴリーは時間がかかった組だった、とか。どうせハッフルパフかグリフィンドールあたりで、帽子が熟考したのだろう。
恐ろしいほどに人当たりがよい男である。ハッフルパフで正解だったのだろう。ディゴリーはスリザリン生だからといってウルペクラを毛嫌いしない。スリザリン生ですら、ああはいかない。ウルペクラを敬遠するか、妙に持ち上げようとするか。
そうか珍しいのか、とドラコは眼を輝かせた。素直な従弟である。なにも考えていないとも言える。抜け目のないルシウスの息子とは思えない。
単に珍しいだけだ。優秀とは言っていない。ウルペクラは帽子を被せられる前に、スリザリンに組分けされた。学年で三本の指に入る成績だが、それだけである。
――当たり前
そう言われるだろう。学業などできて当然。穢れた血に負けるなど許さない、とか。想像でしかないのだけど。
長テーブルでは、暇つぶしに「マグル生まれは誰だ」という噂話に花が咲いているようだ。嬉々として、いくつかの姓が挙げられる。グレンジャー? いや、その姓はあった。フィンチ=フレッチリー? これはない。マグル生まれではあるまいか? お前たち、握手なんてしなかったろうな。穢れが伝染るぞ。
くすくすと、くつくつと、和やかに言葉が交わされる。別に何人か穢れた血が紛れたっていいだろう。どうせ、全体の一割かそれ未満だ。いい子ぶってマグル生まれなんて口にしながら、振る舞いは幼稚だ。
「僕はあんなやつらに触れてもいない」
淡青の眼が、ウルペクラを見上げる。彼は肩をすくめた。従弟の行動履歴などどうでもいいのだが。叔母から「ドラコを頼んだわね」と言われたもので、ホグワーツ特急に一緒に乗り込んだものの、ウルペクラとドラコはすぐに別れた。どうせノットとかパーキンソンとかクラッブ、ゴイルという「おともだち」がいるのだから、とドラコを放流したのである。
二つ下の従弟の面倒を甲斐甲斐しくみてやるつもりなど、ウルペクラにはなかった。それに、冬の社交がどうのという話なんて、ドラコには退屈だろう。
「どうせいつもの面々で固まっていたんだろう?」
「まあね。ダフネとザビニは別のコンパートメントだったけど……」
全員入ったらぎゅうぎゅうだもの。特にクラッブとゴイルが無駄にでかいし、と従弟は嘆息する。
ウルペクラはそれはそうだと納得した。
ダフネ・グリーングラスとブレーズ・ザビニは賢かったわけだ。おそらくセオドール・ノットも別のコンパートメントに逃れたかったのだろうが、巻き込まれて否応なくドラコと同じぎゅうぎゅうのコンパートメントになったと。哀れ。
おともだち倶楽部も大変だな。ふ、と息を吐く。なにやら言いたそうにしているドラコに「で?」と水を向けた。
「うん、それが……」
ドラコが唇を引き結ぶ。眸に灰の影が差した。
「ポッターとウィーズリーに」
「握手でもしたか?」
「するわけがないだろう」
ドラコはまくし立てた。あの無礼者どもめ。孤児のくせにポッターは僕とお近づきになりたくないだと。ウィーズリーなんかと一緒にいるなんてどうかしている。僕が魔法界の常識を教えてやろうとしたのに。
「親切だな」
「そうだろう?」
ドラコは胸を張る。叔母上、あなたのご子息は本当に暢気な考え無しにお育ちになったようです。
ウルペクラは長テーブルに爪を立てかけて、我に返った。ちらと大広間中央――黒髪の男の子に眼をやった。ドラコが仲良くなろうとした子。ルシウス叔父は「仲良く」とか「友達になりなさい」なんて言わなかったろうが。様子見をしろと伝えたに違いあるまい。婉曲に、遠回しに「ふさわしい距離を保て」とかなんとか言ったのだろう。ドラコが解釈を間違えたに過ぎない。そして、ドラコは尊敬する父上、お美しい母上の喜ぶ顔が見たくて、接触したのだ。
「ポッター・ハリー!」
マクゴナガルの、よく透る声が響く。青ざめた顔の「生き残った男の子」が前に出て、丸椅子に座る――大広間が固唾を飲む。
どの寮が「生き残った男の子」を手に入れるか。
どの寮が「次の闇の帝王」を手に入れるか。
「組分けに時間がかかれば劣等生?」
くすくすと、ウルペクラは笑う。ドラコの頬は林檎のように赤かった。まさか「生き残った男の子」が出来損ないだなんて、と衝撃を受けているのだろう。
「だってあいつは孤児だし、僕の誘いを断った」
ぶつぶつとドラコが言う。素直さは罪である。劣等生だなんていう流言を信じるやつがいるか。おまけに僕だって孤児なのだけどね、ドラコ。
先の戦は大量の孤児を生み出した……らしい。ウルペクラの知らない話。すべては伝聞である。
たとえば死喰い人の子女。両親ともに闇祓いに殺されて。身寄りがなくて、他家に養子にやられて。監獄に入れられて……などなど。闇祓いも似たようなものだ。殺し合いの末に殉職。孤児が遺された。拷問で廃人。
一般市民とて、服従の呪文による一家皆殺し、人狼に咬まれて一家心中……とか。幸か不幸か生き残り、孤児となる……とか。一時期、みなしごが溢れたのだという。
「心配するなよドラコ」
ウルペクラは歌う。
「どうせお前と彼は、反りが合わないさ」
帽子はグリフィンドール! と叫んだ。
騒がしい宴がお開きになり、ウルペクラは寮へ戻った。
ポッターを獲り損ねた、なんでグリフィンドールなんかに……。
ひそひそと囁きが交わされる。するり、と談話室を突っ切り、男子寮に。寝台に腰掛け、胸に手を当てる。
――グリフィンドールの馬鹿騒ぎにあてられたのか
それとも、ドラコを構ってやったことによる疲労か。なにせシシー叔母から頼まれているもので、あまり無碍にもできないのだ。なぜか知らないがドラコが寄ってくるせいもある。
たまに、あの無邪気な首をきゅっと絞めてやりたくなる。ウルペクラがそんなことを考えているなど、ドラコは夢にも思っていないだろう。
じくじくと、ひりひりと胸が痛む。脈打つ鼓動が存在を主張する。ただの心的負荷由来ならばいいのだが。
壁際、姿見を睨みつけた。そこには金の髪に灰色の眼の少年が映っている。眉間に刻まれた皺は深く、その双眸は刃のように鋭い。
少年の手は、胸に当てられたまま。衣を通してさえ、奇妙に熱い。
「……こんなこと、なかったのに」
低く唸る。宴の最中、燃えるように熱くなった。峠を越えた今でさえ、密やかに、しかし明確に存在を主張している。
一秒考え、ローブを脱ぐ。制服の釦をいくつか外し、腕を抜く。するり、と肩から衣が落ち、肌が覗いた。
「――誰に」
相談すればいいのやら。
家令夫妻は駄目だ。妖精も不可。彼らに打ち明けたとて、どうしようもない。彼らはただの使用人で、妖精で。仕える者だ。
シシー叔母、それかルシウス。特にルシウスならば――と考えかけて、首を振る。
叔母夫妻――マルフォイ家。ウルペクラの親代わりのようなものだと言っているが、どうしたって隔てがある。そも、衣食住の面倒をみてくれたのは、家令夫妻と妖精たちである。強いて親代わりと言うべき存在がいるならば、彼らのほうがふさわしい……。
指先で、それに触れる。今朝まではうっすらとしかなかったのに。淡い灰色の髑髏が、蛇の舌を突き出している。まるで、あざ笑っているかのよう。
物心ついたときにはあった印。所有の印。誉れの証。
ウルペクラが覚えているのは、すすり泣く家令夫妻の姿だ。
どうか、なにをなさいます。おやめくださいまし。奥様! と泣いていた。そして悲鳴を上げた……。
磔刑の呪文だったのだと思う。家令夫妻は、激しく痙攣していた。
冷たい灰色の眼が、ウルペクラを見下ろしていた。
よしよし、いい子だと囁いていた。優しげに、子守歌でも紡ぐように。
母は、満面の笑みを浮かべていた。それは美しい笑みであった。
生まれて数ヶ月の赤ん坊を差し出したとは思えぬほど。
覚えているはずのない記憶。だけれども、証はここにある。あまりの痛みと恐怖が、ウルペクラの魂に烙印を捺したのだ。
子を捧げ、捨てた母。それをよしとした父。ベラトリックスとロドルファス……。
冷たい手の感触を、ウルペクラは覚えている。燃えるような灰色を、ウルペクラは覚えている。
去り際に、母は言った。
私は、私の無二の存在、太陽をお捜し申し上げるのだ。
待っておいで。我が誉れ。
私の夜闇の血を継いだお前。共に我が君に仕える者。愛しのこぎつね。
ハリー・ポッター。闇の帝王を退けた者。生き残った男の子。
彼がどんな姿をしていて、どのような能力を有しているかは永らく不明であった。分かっているのはただ一つ。額に稲妻形の傷跡があることだけ。
新学期が始まって数日。嫌でもハリー・ポッターの噂は耳に入ってきたし、姿も見かけた。平凡、普通。そんな言葉が当てはまる……とウルペクラは思っている。平凡よりも悪いか。約十年、健やかに穏やかに過ごしてきました……というわけでもなさそうである。
「――僕が聞いたところによると」
借りた、ということだったが。
朝食時の大広間。スリザリンの長テーブルで、ウルペクラはゆっくりと話した。唇を引き結んで立っている「生き残った男の子」の緑の眼をちらと見やる。血の気の多そうな赤毛――ウィーズリーの末息子だろう――と一緒だ。
「……ドラコ?」
従弟が誇らしげに硝子玉を持ってやってきたのは、ほんの一分前のことだ。ウルペクラは朝食の遅い時間に滑り込み、皿にあれこれと盛り始めたところであった。正直、ろくな会話をしていない。「ウル、これなーんだ」「思い出し玉か。へえ、ルシウス叔父上が心配なさったと?」「はあ? 僕の頭が悪いと?」「じゃあなんなんだよ」「借りたのさ」である。トースト一枚分の価値もない会話である。すぐさま忘却される運命だったろう。が、まさかハリー・ポッターがお出ましとは。しかもドラコをきつい眼で睨んでいるではないか。
「借りたんだ」
「とっただろう」
「おねだりすれば買ってもらえるだろうに」
ウルペクラは眼を瞑った。両方の言い分をよく聞きましょうね、なんて虫唾が走るような常識なんて必要ない。検証するまでもなく、誰が悪いかは明らかだ。ドラコを軽く睨む。可愛くない餓鬼は、ふんと鼻を鳴らした。十一歳なんてこんなものさ余裕さ本当に可愛くない。
「僕がなんでも「おねだり」するような――」
「借りたんだなそうか、返せ」
ぴしゃりと言う。従弟が「ウルは僕の従兄なのに!」と吠えた。それになんの関係がある。血縁だからって無闇に甘くすると思っているのかこの温室育ちが。
「ロングボトムなんかには上等――」
「持って行け」
さっと手を伸ばし、ドラコの手から思い出し玉を奪い取る。回収人を引き受けたらしいポッターに渡してやった。謝れよ、とウィーズリーの末息子がぶつぶつ言ったが、諦めて帰って行った。
「ちょっと見たかっただけなんだ」
「黙れ」
思ったよりきつい声が出た。
――シシー叔母は
なにを考えている。いや、なにも考えていないのか。それにしたって、ドラコがここに――ホグワーツに来る前に、教えることがあるだろうが。
生き残った男の子と適度な関係を築きなさいと言うよりも、大事なことが。これはルシウスの言だろうが、マルフォイ家の方針なのは変わらない。マグル生まれこと穢れた血と関わるなとも言っているだろう。純血と呼ばれる家、中でも過激とされる家では常識なので割愛。ウルペクラはわざわざ穢れた血と呼ぶ気になれないが、うちはうち、よそはよそだ。
「ロングボトムに構うな」
「別に構って――」
従弟の構うは虐めに近いものがある「こどもたち」で集まった時も、格下の家の子から物を「借りて」いたろうが。挙げ句に壊して、僕に罪を擦り付けたことが複数回……。
思い出し、じんわりと腹の底が熱くなる。ふ、と息を吐く。ドラコを横目で見れば、びくりとした。小心者め。
「ロングボトムには女傑がいる。孫が構われすぎれば、出てくるかもしれない」
あれこれ言いたいことを飲み込んで、それだけを口にする。ドラコは頬を膨らませた。
――まったく知らないらしい
遠い空の下にいるマルフォイ夫妻に、もっと言えばシシー叔母に失望のため息を漏らす。ああそうですか。可愛い可愛いご子息に、必要な情報をなんにも教えていらっしゃらないと。雨風に当てず、真綿にくるむようにお育て遊ばしているのは知っていましたがね。
朝食を口に運ぶ。ドラコと話す気力はもうない。お付きことクラッブ、ゴイルと話していればいいのだ。
さっと食べ終えて、席を立つ。徹頭徹尾ドラコを無視し、大広間を出た。
「……面倒な」
がりがりと、服の上から胸を――心臓の真上、闇の印が刻まれた場所――を引っかく。四六時中じわじわと熱く、ちりちりと痛むのだ。お陰でよく眠れない。寝坊する始末である。苛立ちも溜まろうというものだ。
下手に医務室に行けもしない。痛み止めをくれと頼んだら、なにがどう痛いのか、診せてみろと言われるに決まっている。闇の印が露わになる。だから医務室には行かない。もっとも、ウルペクラは医務室に行ったことがない。怪我らしい怪我をしたことがなく、呪いらしい呪いを受けたことがないので。
爪先を地下へ続く階段へと向ける。一時間目は魔法史だ。欠席しても問題ないだろう。闇の帝王が去る前の、華やかなりし時代の話が展開されるだけ。滅ぼされたマッキノン、虫の息のボーンズ、同じくプルウェット。数多の血が流された。行方不明者も多数出た。
亡骸が見つからない者もいたはずだ。ギャラドック・ディアボーン。殺され、溶かされた。
闇の帝王直々に、手を下した者もいる。ドーカス・メドウズ。歴史に名を残さない死。些細な死。
「我が母上は」
なんという子守歌を聞かせるものやら。
呟き、階段を下りていく。松明に揺らめく影が、ウルペクラについていく。けして切り離すことのできないそれ。
ぼんやりとした記憶しかない母。美しい人だった。おそらく、我が子に闇の帝王の偉業を、純血主義の素晴らしさを歌って聞かせていたに違いない。ウルペクラが両親と引き離されたのは四歳の頃。小さな小さな脳に、きっちりと闇の帝王の所業を刻み込み、監獄の闇に沈んだのである。
スリザリン寮――男子寮へ向かう。室に滑り込み、寝台に鞄を放り出した。棚から小鍋を出し、瓶も出しと忙しく動く。丁寧にする気にもならず、かなり雑に調合を進める。
ウィーズリーどもよりマシであろう。やつらはお遊びで適当な調合もどきをして、鍋を大爆発させた前科がある。運悪く、破片がウルペクラに飛んできた。やつらのぎょっとした顔ときたら。
お前たちと違って純血は違うんだよ。破片ごときで傷を負うものかよ、と鼻を鳴らせば、あの馬鹿どもは唸っていた。
「いや、謝れよ」
一年生の時の出来事を思い返し、きりきりと歯を食いしばった。怪我をしなかったからそれでよしかよあいつら。魔法族は、無意識に力を使うことがある、とされている。幼児がものを浮かせたり、壊したりするのが代表例だ。目覚めが遅い子は、親族の手によって試される。窓から落としたりだとか。水に沈めたりだとか。危機によって目覚めさせよういう試みである。そこで生き延びれば魔法族とされ、死ねばスクイブ、出来損ないとされる。本当に試している家が、どれほどあるかわからない。
ウルペクラが怪我をしなかったのも、無意識の危機回避の賜物だろう。破片は確かに当たったが、突き刺さることなく落ちた……。
ゆらゆらと立ち上る湯気を眺め、唇を噛む。両親が健在ならば、破片くらい避けられなくてどうする、と言いそうだ。なにせ父母ともに死喰い人。特に母は闇の帝王の片腕であった。
美しく、戦う様は流れゆく水のごとく。灰色の眼には嵐を。眉には稲妻を宿す。
――誰にも容赦しない
おぼろげな記憶が作り出した妄想を、ウルペクラは頭を振って追い払う。
ウルペクラがひとりぼっちなのは両親のせいだ。ロドルファスとベラトリックス。彼らは子どもを置いて、遊びに出かけてしまったのだ。
とある闇祓い夫妻を、何時間も拷問するために。
ロングボトム夫妻。新入生のネビル・ロングボトムの両親である。
――死んでいたならまだよかった
鍋をかき混ぜる。つらつらと考える。己の両親がしたことを。殺すよりも惨い運命をロングボトム夫妻にもたらした。拷問で彼らを破壊した。しかし、命まではとらなかった。不幸なことに。
ウルペクラは覚えている。震え上がる家令夫妻の姿を。歯を鳴らしながら「旦那様」の子を抱きしめる魔女を。
レストレンジ家は崩壊した。当主夫妻――ロドルファスとベラトリックスは捕縛された。闇祓いたちが踏み込んできた。黄褐色の、鋭い眼がウルペクラを見た。
『子どもに聞かせる話ではあるまい』
そう言って、使用人の長――家令夫妻を促し、ウルペクラは別室に連れられた。夫妻の妻、魔女は夫に闇祓いの対応を任せた。ウルペクラの手を引く彼女の手は、氷のように冷たかった。
ロドルファス様がそんな、と彼女は嘆いていた、と思う。彼女はウルペクラの父の、乳兄妹であった……。
数多の純血と同じく、レストレンジ家も虫の息である。グリンゴッツの金庫、書庫や保管庫にある品々は無事だったが、邸の調度――食器や敷物、その他値打ちものは根こそぎにされた。お陰で邸は殺風景で、絵画の一枚もかかっていない。庭の彫像も奪われたせいもあり、実に寂れている。
使用人たちも去った。ついでとばかりに宝石の類を持ち出して。家令夫妻が、きちんと報復し、品を取り戻したそうだ。彼らは忠義者である。妖精たちも忠義者である。レストレンジに見切りをつけ、後足で泥をかける者が多かったというのに。もっとも、妖精たちは他に行くところがなかっただけかもしれない。
それでも、とウルペクラは眼を細める。身内面をして寄ってくるマルフォイ家よりは信用できる。家令夫妻と、妖精たちこそが「レストレンジ家」の一部である。
――貪欲で狡猾なマルフォイ家
不忠者。闇の帝王に下っていたくせに、のうのうと陽の当たる場所にいる。虫の息、日陰者のレストレンジ家と違って。ウルペクラの後見ですという面をして、いかにも心配しているという風に振る舞っているが……あわよくばレストレンジから諸々はぎ取って、己たちのものにしていただろう。家の乗っ取りというやつだ。
たとえばウルペクラが女であったならば、ドラコと婚約していたろうし、嫌だと言っても婚姻させられた可能性が高い。そうして合法的にレストレンジの富を奪うのだ。
純血家――貴族というものはそういうものだ。婚姻によって繋がり、時に奪う。マグルからも奪う。婚姻した例もあったろうし、魔法によって土地や邸の権利を奪いもしただろう。それか、マグルのさる家系を「由緒正しい魔法族」ということにして、乗っ取りもしただろう。中でもマルフォイは性質が悪いし、要注意である。誰に言われるともなしにウルペクラは悟っている。
単純に、好かないだけかもしれない。鼻を鳴らし、できあがった薬を柄杓で掬う。杯になみなみと注ぎ、一気にあおった。
熱い薬液が喉を滑り降りていく。苦い苦い記憶とともに。
ウルがとったんだよ、という幼い声。違うと言っても聞いてもらえなかった。謝りなさいと、と叔母夫妻に叱られた。
どうしてこんなに、手癖が悪いのかしら。
違うのに、と言っても聞いてくれなかった……。
ひそひそと、囁かれる。
ああ、あれは。死喰い人の子だもの、と大人たちが。
近づいちゃいけないんだよ、と「こどもたち」が。
従弟は素知らぬ顔で、叔母の衣を握っていた。
どうして謝らなければいけない。僕はなにもしていない。唇を噛み、どうしようもなくて。謝るしかなかった。
屈辱だった。そんなことが何回もあった。過激派の「不忠者」たちの子は笑った。
誰も味方はいなかった。
彼らは不忠者。闇の帝王に背を向けた者。裏切った者。
これ幸いと、何食わぬ顔で生き延びた者。
身の内から、灼熱が噴き上がる。
赦せない、とどこかが疼く。
赦せない、不忠者ども。
ウルペクラをあざ笑った。両親を見下した。
馬鹿なレストレンジ。もはや没落は避けられぬ。
忠義者のレストレンジ。愚かなる者……と。
もう一杯、薬を飲み下す。
灼けるようなそれが身に染みていく。
屈辱の記憶を押し込める。
「……大丈夫だ」
他愛のない記憶だ。怒りに身を任せても益はない。敵ばかりではなかった。悪いことばかりではなかった。家令夫妻は残ってくれた。妖精も残ってくれた。
室の隅で、心配そうにウルペクラを見ていた子もいた。
かわいそうに、と言ってくれるひともいた。
「僕は最後のレストレンジ」
こぎつね座のウルペクラ。
両親はいない。もはや会うこともないだろう。
期待などとうにやめた。求めることもやめた。
両親は、ウルペクラを選ばなかった。いいや、闇の帝王に差し出した。
名誉だと言った。
黒き心臓、とうっとりとした声で言う母の姿を。
記憶という闇に放り込み、蓋を閉じ。
鍵をかけた。
無駄だとわかっていても、どうせまた思い出してしまうのだとわかっていても。
事実は――闇の印は消せないのだと悟っていても。
胸に手を当てる。
印された闇が、楽しげに嗤った――気がした。
実はこのシリーズで、ポタ系統が十作目になるんですよね……と遠い眼をしてます。さすがにこれ終わったら新シリーズはないと思われる。
以下、人物紹介。
ウルペクラ・レストレンジ(Vulpecula・Lestrange)
レストレンジ家嫡子。ロドルファスとベラトリックスの息子。
金髪灰眼。スリザリン所属。ハリーたちより二つ上。
赤ん坊の時に闇の印を賜りし者。
印されし者。
戦星の名を冠した母は、愛しのこぎつね、黒き心臓ウルペクラ、と彼を呼んだ。