Black Heart Vulpecula   作:扇架

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十七話

 

「……なにか勘違いしていないか」

 十一月某日、とある廊下で、ウルペクラは壁にもたれ、腕を組んだ。眼前の、爛々と輝く双眸を軽く睨めつける。

「僕はあれの保護者でもなんでもないんだが」

「マルフォイは嘘を吐いている」

 腕が痛いとほざいて、と唸ったのはグリフィンドールの七年生、クィディッチチームのキャプテン、オリバー・ウッドである。なにがお気に召さないのか、かわいそうな五年生を――ウルペクラのことだ――廊下で詰問しているのだ。

「本人が痛いと言っているんだから、しょうがないだろう」

 返しながら、頭痛をこらえた。ドラコも余計な真似をしてくれる。いや、この場合はスリザリンチームのキャプテン、マーカス・フリントの馬鹿が馬鹿をしたせいか? ウルペクラにまで波及したではないか。「話がある」とウッドに連行され「スリザリンはどういうつもりだ、弟の所業をお前はどうみる!」と鬱陶しい絡みが発生。ウルペクラは仕方なく付き合って差し上げているというわけだ。

「卑怯者めが」

「それは否定しない」

 息巻くウッドと、宥めるウルペクラ。奇妙な組み合わせもあったものだ。わからないでもない。数日後に試合を控えていたら、対戦相手が変更になった。理由は「シーカーの腕が治りきっていないから」で、本当の理由は「天候が最悪だから」。そりゃあ怒るであろうし、どうにかひっくり返せないかと模索するだろうし、そうとなれば「シーカーの従兄をつつく」という方法はありえる。

 シーズン開幕戦、対戦相手の変更決定から、まだ一時間も経っていないとはウッドの言。再変更もとい、元に戻すのならば、ぎりぎり間に合うだろう。

「ドラコを締め上げて、元気に行進させられなくはない。あるいは、減点をちらつかせることもできる……が」

 組んでいた腕を解く。ひょい、と肩をすくめた。

「僕、あれの兄でもなんでもないし」

「保護者みたいなものだろう」

「黙れ」

 ウルペクラは吼えた。

 どいつもこいつも。なぜあれの保護者呼ばわりされなければいけない。シシー叔母の手前、最低限の義理を果たしているだけなのだが。

「あれに言うことを聞かせたとして、それはそれで面倒なことになるぞ」

 猪突猛進グリフィンドールは、スリザリンの臨機応変さを嘗めている。

 仮に、グリフィンドール対ハッフルパフ戦から、グリフィンドール対スリザリン戦に再変更したとしよう。それで、なにが起こるかだ。

「試合まであれが被害者ぶって鬱陶しいわ、お前たちは「怪我人も気遣えない鬼畜」とでも喧伝されるだろう」

「怪我くらい――」

 たとえ腕が折れようとも、死のうとも! とウッドは言いかねない。両の眼には情熱……否、狂気が宿っている。グリフィンドールのオリバー・ウッドは、現在のホグワーツで最も頭がおかしい男である。

「そりゃあ、お前のところのポッターは、腕が折れようが頑張ったらしいが」

 狂ったブラッジャー事件。ウルペクラは伝聞でしか知らない。それに、トム・マールヴォロ・リドルに憑依されていた影響で、記憶が曖昧である。

 どうやら、ブラッジャーに仕掛けをしたのはマルフォイ家の妖精らしいが。名前はドビー。ポッターが少々悪戯をして、ルシウスから解放してやったそうだ。『秘密の部屋』事件の後、医務室で家令のロクサーヌが楽しそうに話してくれたものだ。

 数ヶ月前のことを思い返しているウルペクラに、言葉の刃が差し込まれた。

「……君のせいでクィディッチ杯が中止になったのに」

 あまりに真っ直ぐ。遠慮も配慮もなにもない。ウルペクラはねっとりとした眼から視線を逸らした。猪突猛進グリフィンドール、時たま陰湿。ねちっこいようだ。

「闇の品のせいなんだが。じゃあお前、服従の呪文にかかって犯罪を犯したものにもそれを言えるかな?」

 せせら笑う。ウッドはものすごく嫌そうな顔になった。この反応からすると、彼は闇の陣営の所業について、あれこれと聞いているくちか。元々、服従の呪文をはじめとする術――禁断の呪文と呼ばれる――は、知名度の低い魔法であったのだ。殺人も拷問も服従も、一般人には縁がない。英国において三つの呪文の名と詠唱が広まったのは、親愛なる闇の帝王のせいだ……で説明は足りる。

 もちろん、ウルペクラは「レストレンジ」ゆえに禁断の呪文について詳しいし、なんなら磔刑の呪文はお美しいお母様から受けた。

 服従の呪文は耐性をつけるために家令夫妻にかけられた。結果、問題なしであった。おそらく出自が出自でなければ、闇祓いにぴったりの人材であろう、ウルペクラは。

 死の呪文も服従の呪文も、就学前には使えるようになっていたし。家令夫妻こと、実質的な保護者、親というより年の離れた兄と姉のような存在が、ウルペクラをしっかり教育した成果である。

「話を逸らすな、レストレンジ」

「じゃあ過ぎたことをぐちゃぐちゃ言うな」

 時間の無駄だ、とウッドを押しやる。クィディッチなんてろくなものじゃない。なぜ大勢で集まって盛り上がるのか。うるさくてならないし、熱気も相当なものだ……と考えて、立ち止まる。

 かつ、と靴音を響かせ、振り返る。ふわり、とローブの裾が膨らんだ。

――なんだか

 ものすごく嫌な予感がする。

「なんだ……? そうか、マルフォイに一言文句を――」

 おめでたい、クィディッチのことしか考えていない馬鹿者に、鼻を鳴らした。

「僕が文句? あれに? 文句じゃなくて言うことを聞かせるんだよ命令だよ躾だ。いや、そうじゃなく」

 嘆息をこぼす。まったく、調子が狂って仕方がない。

「ひとつ、忠告だ」

 吸魂鬼対策をしておくんだな。

 冷たく言い捨て、首を傾げるウッドを置き去りに、その場を離れた。

「……補填になるかは知らないが」

 ウルペクラだって、ドラコの馬鹿さ加減には呆れている。怪我を口実に対戦相手を変更したフリントの判断だってどうかと思う。いくら規則の上で問題がなくとも。なんでもかんでも正々堂々しろ、というわけではない。ただ、今回の一件は、あまりにみっともないではないか。ただの切り傷で、明らかに治っているというのに。まるで子どもの駄々、へたくそ過ぎる嘘。その場を乗り切られればいいという、単なる逃げだ。優雅さに欠ける。品がない。

 単に、ウルペクラが気に食わないだけなのだけど、と小さく笑う。だから、ちょっとした忠告をしてしまったのだ。

「ないとは、思うんだが……」

 ホグワーツ特急。生徒がひしめく空間に、吸魂鬼は乗り込んできた。表向きはシリウス・ブラック捜索のためだろうが、あの穢れ者どもは、ちょっとしたおやつがほしかったのだろう、と思う。

 さて、特急ですらあの有様だった。吸魂鬼は飢えている。なにせ大監獄から引き剥がされている。ホグズミード行きの日に、生徒からちょっぴり頂いたのと、夜毎にホグズミードを巡回し、軽食を腹におさめているのと。だが、それではとうてい足りない。腹五分にも満たないに違いあるまい。

 教師陣は、ホグワーツ特急での一件を伝え聞くのみだろう。現場にいたのはリーマス・ルーピンのみ。吸魂鬼の飢えを直に感じたのは彼だけ。そして、ルーピンはダンブルドアの信奉者だ。

 家令夫妻情報によると――彼らはルーピンの代より二つ下、在学期間が少し重なっている――ジェームズ・ポッターたちと親しかったそうだ。つまるところ、先の戦において、闇の帝王と戦った、勇敢なる者である。ダンブルドアは独自の組織を作り上げていた。ルーピンたちはその一員だったそうだ。

 道理で優秀なわけである、とウルペクラはルーピンに思いを馳せる。授業はわかりやすく、実践も取り入れている。普通魔法試験の年にあのような教師に当たって、ウルペクラは安堵している。問題は、ルーピンが頭から「ダンブルドアは偉大」と思っていそうなことと、人狼であることだ。

――もったいない

 ものすごくもったいない。人狼でいいからいてほしい。ウルペクラだって気づきたくなかったのだ。でも『脱狼薬』のにおいがルーピンに染み付いていて、どうしようもなかったのだ。

 家令夫妻のせいである。彼らがせっせとウルペクラを育てたせいで薬の知識はたっぷりある。もちろん『脱狼薬』についても習っているし、においも知っている。おそらく、調合しろと言われたらできてしまう。

 ウルペクラに仕える者は有能なのだ。なにせ、さっさと高等魔法試験および、卒業試験を受けて飛び級でホグワーツを卒業したらしいし。たしか、六年生の時だと聞いている。

 飛び級の理由はいくつかある。坊ちゃまことウルペクラが生まれたこと。お陰でロクサーヌとディランは、ホグワーツからレストレンジ邸に一時帰宅したようだ。当時のレストレンジ邸には、先代――当時の家令夫妻がいたものの、病に倒れていた。

 レストレンジ家の跡継ぎをきちんと養育できる者がいなかった。そもそも、生まれてくる跡継ぎの養育係に、年若い――十六歳のロクサーヌとディランは内定していたのだ。遠縁で、忠義者。なおかつ家令夫妻の娘がロクサーヌであったから。ディランも遠縁であり、彼女の婚約者であった。

 もっと年かさで道理のわかった者――当時の家令夫妻は臥せっていた。それに、はっきりと聞いたことはないが、我が君の戯れで使用人が減っていたのだろう。適役はロクサーヌたちくらいだった。さすがの我が君とて、レストレンジの遠縁、純血を無闇に殺さない。レストレンジの跡継ぎの養育係、未来の家令ならば、なおさら。

 ホグワーツを空け、ウルペクラと「奥様」の世話をしているうちに、ロクサーヌの両親こと、当時の家令夫妻が病魔に屈した。もはや学業どころではない、とロクサーヌとその婚約者――ディランはさっさと卒業し、あっさりと婚姻したらしい。魔法界の婚姻可能年齢は十五歳からなのだ。

 そんなわけで、彼らはレストレンジに忠実で「坊ちゃま」に諸々を叩き込んだのだ。普通は『脱狼薬』は貴族の一般教養に含まれないのだけども。

 ウルペクラの、変わり者の家令たちはどうでもよいのだ。どうでもよくないが、よいのだ。問題はルーピンである。彼が人狼だとする。ホグワーツに在学していた。では、誰が彼の入学を許可したか。ダンブルドアである。ルーピンがダンブルドアに恩を感じ、信奉者になるのも無理はない。

 吸魂鬼なぞ、偉大なるダンブルドアがいるから問題ないと思うのも無理はない。たぶん、思い至りもしない。

 飢えた吸魂鬼と、クィディッチの熱狂が掛け合わされば、どうなるか。

「……杞憂でありますように」

 ウルペクラだって、まさかと思っている。だが、吸魂鬼によって倒れたのは二人。ウルペクラとポッターである。

 悪天候が見込まれ、ポッターは箒の上。万が一が起こったら最悪だが……。ウルペクラが心配しすぎな可能性もある。なにせあの家令夫妻に育てられた身なのだ。

 

 果たせるかな、ウルペクラの心配は当たってしまった。

「しょげるなよセドリック」

 嵐の開幕戦の翌日、ウルペクラは「友人」を慰めるはめになった。図書館の、いつもの席で。

「でも……でも、全然、公平じゃない」

「あれは仕方ない」

 どうしようもない、と言いつつも、ウルペクラは額を押さえた。

 本当に吸魂鬼が乱入してくるなんて、誰が思うか。ああ、観戦していなくてよかった。

「ハリーのニンバスは木っ端みじん。あんな勝ち方嫌だ!」

「スリザリン相手に負けるよりはよかったんじゃないかな」

 びしょぬれで帰ってきた馬鹿どもときたら、ポッターが落ちた、負けた! と大騒ぎだったのだ。

 嵐だしな……と談話室で待機していたウルペクラは、馬鹿ことドラコにタオルを投げつけ、濡れて汚らしい連中を黙らせ、無言で「さっさと風呂に行け」と圧をかけたものだ。みっともない。本当に、嫌。

 はしゃぐ猿どもはどうでもよかったので、それで済ませた。ただし、ザビニとノットは喜ぶどころか静かにしていたので、多少は甘くしてやった。淑女ことダフネたちも寒さに震えており、まとめて軽く乾かした上で「あたたまっておいで」と送り出したのだ。ぐずぐずと残っていたドラコが「差別だ」と鬱陶しかったので、尻を蹴って追い出したのは、余談である。

 遠い眼をするウルペクラをよそに、ハッフルパフのシーカーは嘆いていた。

「再試合しようって言ったのに、駄目だって。酷くないか? 酷い」

「ほんと、お前はハッフルパフだよ」

 なんて公明正大な男、とウルペクラは天を仰いだ。

 ああ、こいつの爪の垢を、ドラコに煎じて飲ませたい。

 

 

 

 波乱の試合から時は過ぎ、十二月になった。ぱっとしない天気が続き、晴れ間はない。そうこうしているうちに連日の雪である。

 ただでさえ寒い石造りの城、それも死喰い人が侵入した危険地帯に残りたい者は希少だ。今年の冬期休暇で居残り希望を出した生徒は、片手の指で足りるほど。ひょっとしなくても『秘密の部屋』事件の時よりも少ない。

「……得体の知れない怪物よりも、死喰い人が怖い、と」

 監督生および首席に回覧された、居残り者の一覧を思い浮かべ、ウルペクラは苦笑する。十二月後半のホグズミード、大通りはまばらに人がいるだけで、独り言を聞かれる心配はない。

 吹雪まではいかないが、けっこうな雪である。寒さに負け、たいていの生徒は『三本の箒』で暖をとっているだろう。

 ウルペクラはホグズミードに到着した直後に、さっさと『三本の箒』に赴き、腹を満たした。お陰で混雑を逃れられた。本当ならば、城に籠もっていたかったのだが仕方がない。セドリックに手土産を買う必要があったのだ。彼に、冬期休暇中ウルペクラの飼い犬ことパッドフットの面倒をみてもらう約束……いや、頼みごとをしたので。

 少々困っていたのである。パッドフット――おそらく動物もどき、もっと言えば脱獄犯をどうするか。連れて帰るのも面倒であった。かといって、動物もどき形態を強制解除し、突き出すのも面倒。そもそも、強制解除ができるか不明。人に戻そうとする力と、動物もどき形態を維持しようとする力が拮抗し、なんらかの事故が起こりかねない。ウルペクラは学生で、相手は熟練の魔法使いなのだ。半犬半人のなにかが誕生したら、目も当てられない。マクゴナガルの「変身術とは細心の注意を払うべきものなのです」という言は、けして誇張ではない。

 

 ウルペクラが積極的な行動に出なかったのは、変身術の危険性への懸念から……だけではないのだが。

 白黒はっきりつけないほうがいいこともある。つまり、ウルペクラの予想――シリウス・ブラックが動物もどきであり、それがよりにもよってパッドフットである、と明らかにするのは悪手だ。

 ウルペクラは「そうと知らずに拾った野良犬が脱獄犯であった」という立場でいたいのだ。極めて不味いことに、レストレンジ邸にて闇祓いの訪問を受けている。シリウス・ブラックなんて知らない匿っているわけがない、と明言した以上、動物もどきがシリウス・ブラックであったと「知っていた」となるのは避けたい。ただの予想であり、認識が曖昧なままなら、言い逃れもできる。まさかそんな、僕は野良犬を拾っただけです、と。

 正義漢ぶってシリウス・ブラック捕縛に貢献するのも悪手だ。表向きは死喰い人なのだから。レストレンジは闇側の家系であり、いわゆる「純血」とされる家と交流がある。密接な付き合いがあるのはマルフォイ家。不忠者、先にルシウスが失脚したとはいえ、まだまだ力がある。

 死喰い人シリウス・ブラックを突き出せば、いらない波風を立てることになる。要するに、闇の陣営に背いたとみなされる……可能性があるのだ。

 

 不忠者で、気に食わないとはいえ、すっぱりと「純血」どもと断絶するわけにはいかない。不忠者なだけあって、ルシウスを筆頭とする連中は耳聡い。あの方こと我が君の動向を把握せんとしているだろう。もっとも、ルシウスは「闇の帝王は亡くなられた」という態度をとっているが。

 それでも、不忠者どもの情報網を手放すのは惜しい。現在の不忠者どもの筆頭はルシウス――マルフォイ家だけれども、たとえばノット家は「闇の帝王は生きておられる」派だ。不忠者にも色々いて、手に入る情報も様々なのである。

 脱獄犯を突き出してマーリン勲章を授与され、闇の陣営に正面から喧嘩を売っても益はない。そも、ウルペクラがシリウス・ブラックを売った時点で「風を読むこともできぬ愚か者」の烙印を捺されることだろう。そして、疑われるだろう。よもやレストレンジは大陸にでも逃げるのか、それともダンブルドアに下るのか? と。

 やむを得ぬ事情で行動を起こすのならば「まさか、あれを売ることでダンブルドアの懐に入るのですよ」とかなんとか言い抜けるつもりだけれど。僕はレストレンジですよ? と。

 なお、逃亡は現実的ではない。なにせ闇の帝王は生きている。闇の印は静かなものだが、薄れないまま。心臓の真上にある。

 灼き潰そうにも、肉を削ごうにも、位置が悪い。最悪、苦痛のあまり死ぬ可能性すらある。

――身動きがとれないのだ

 嘆息する。意図したわけではないのに、厄介事を抱えるはめになった。

 かなり悩んだのだ。シリウス・ブラックの行動をみる限り、ハリー・ポッターを害する可能性は低い。わざわざハロウィンの宴の最中に行動を起こしたのには意味がある。そして、彼は愚かでは……いや、愚かなのかもしれないが……ハロウィンの宴のことを失念するはずがない。狙いはハリー・ポッター殺害ではない。別のなにかだ。

「……クィディッチの後、あれだけ落ち込んでいてポッターを狙っています、はない」

 くっと喉を鳴らす。グリフィンドール対ハッフルパフ戦の後のパッドフットは見物だった。どうやらポッターの勇姿を眼に焼き付けたかったようで、クィディッチを観戦したようだった。飼い主に断りもなく、のこのことスリザリンの観客席に入り込んだのだとか。吸魂鬼襲撃の際、ダフネやノットやザビニに抱きつかれたそうだ。ダフネ曰く「だって、怖かったんだもの」らしい。「別に構わないが」と言って、ウルペクラはぐしゃぐしゃでぐちゃぐちゃなパッドフットを乾かして、毛並みを整えてやった。パッドフットはしょんぼりしていた。とても、しょんぼりしていた。名付け子が箒から落ちたのが堪えたようだ。しかも、パッドフットが遠因なのだから――彼が脱獄しなければ、吸魂鬼はホグワーツに配備されなかった――堪えもするだろう。

 そんなしょんぼりしているパッドフットを帰省の際に連れ出して、どこかに放り出して「好きにしろ」としてもよかったのだ。だが、ウルペクラはパッドフットの意思を尊重することにした。

 理由はいくつかある。

 

 一つ、パッドフットの目的が不明なこと。

 一つ、放置したらなにをするかわからない。

 一つ、アズカバンからの脱獄をやってのけた男に敬意を表して。

 

 よって、ウルペクラは寮の自室で「独り言」を口にした。僕は帰るが、お前も帰るか? それかキングズ・クロスで解放しようか。それとも、ホグワーツに残るか。

 一つ目なら一度、二つ目なら二度、三つ目なら三度鳴け、と。

 結果、パッドフットは居残りを希望した。ウルペクラはどうせ厄介事を抱えているのだからと諦めた。セドリックに預けることができてよかった。ウルペクラの友人を自称する男は、どうも犬が好きらしい。控えめに言っても喜んでいた。

「……休み中になにかをしでかす、ということはないだろう」

 再びグリフィンドール寮に侵入しようと試みるとは思えない。少なくともセドリックの監督下にある間は穏和しくしておけ、と言い聞かさないといけない。

 考え込みながら、黙々と歩く。用事は済ませた。後は帰るだけだ。夕方にはホグズミード駅から特急が出発するので、余裕をもって早めに動きたい。城に戻り、スリザリン寮へ。パッドフットに「休み中の注意事項」を伝え、セドリックに手土産とともに引き渡す。そして寮にとんぼ返りして、荷物の最終確認。出発だ。

 十分に間に合う。なにかが――予期せぬなにかが起こらなければ。

 そう思っていた。

 びょう、と突風が吹くまでは。

 気まぐれな風が、羽衣ならぬ「なにか」を――透明マントを翻すまでは。

 

「あっ」

 足跡だらけの道、前方から声が聞こえる。まず雪混じりの泥で汚れた靴が見え、ローブが見えた。なにかを掴む手が、くしゃくしゃの黒髪に、鮮やかな緑の眼が姿を現した。

 ウルペクラの灰色と、ポッターの緑色が中空でかち合った。ばっちりと、完璧に。とっさに顔を背ける余裕もなく、従って、しらぬふりもできなくなった。

――馬鹿!

 ウルペクラは頭を抱えたくなった。比喩ではなく、本当にそうしてやろうかと思った。

 なぜポッターがこんなところに? 第二弾である。第一弾は昨年の夏休み、夜の闇横丁にて、だ。

 なんなのだ。なぜ自分の前に現れるのだポッター。

 きりきり、と歯噛みする。慌てて透明マント――そうに決まっている――を被り直したポッターがいるらしき場所へ、足早に近づく。ぐちゃぐちゃと足音がしたので、一言、告げた。

「おいそこの素行不良。グリフィンドール百点減点されたくなければ従え」

 ぴた、と足音が止まる。ウルペクラは適当な場所を掴んだ。

「ハニーデュークスの地下か。さっさと行くぞ」

 え、とかなんとかポッター……いや、素行不良が呟いたが無視である。

「なんで」

 小さな小さな声がする。

「ホグワーツ特急に乗り遅れる未来は避けたい……抜け道なんぞ、知っている者は知っている」

 簡潔に答える。実際、それ以外の回答などないのだ。ポッターを城に連行するとしよう。つまり、正面から城に戻る必要がある。しかしながら、ポッターは許可証に署名をもらっていない。ホグズミードには不正に外出している。今学期は吸魂鬼が生徒および教職員の出入りを監視している。

 不正外出者に対して、吸魂鬼がどう出るか不明。というか、しめしめとばかりにポッターの魂をいただく可能性すらある。

 では、ハニーデュークスの地下からウルペクラも一緒に戻るか。時間がかかりすぎる。戻って、マクゴナガルに突き出せば、事情聴取である。なおかつ、マクゴナガルがポッターに説教するであろう。これまた時間を食う。今日を逃せばホグワーツ特急――冬期休暇便は数日後だ。早めに帰省を終える者のために、何本か往復便があるのだ。

 数日待っていたら、冬の社交に間に合わない。

 かといって、この素行不良を放置するわけにもいかない。眼が合ってしまった以上、知りませんでしたは通らない。押し通すとしても、かなり苦しい。ポッターに双子の兄でもいればともかく。いや、いたとしても署名をもらえないわけだから、意味がないか。

 くだらないことに意識を割きつつ――ウルペクラは、ポッターをひっつかんだまま、回転する。少しの圧迫感の後に、ハニーデュークスの近く――路地に転移。透明マントを引き剥がし、ポッターに目くらまし呪文をかけ、マントを戻す。

「……行け」

「どうして?」

「僕は慈悲深い。クリスマスプレゼントとでも思っておけ。それとも罰則を食らいたいか。ああ、口を割ったらどうなるかわかっているだろうな?」

 矢継ぎ早に言う。手が、ぴくぴくと動いた。左手中指にはめた指輪――実は鞭――を顕現させて、ポッターの尻を叩きたい衝動をこらえる。そんなことをすれば、生き残った男の子への暴行罪となる。レストレンジ家の宝『赤雷(アンタレス)』は、くだらない躾に使うべきではないのだ。

 たとえば、繰り手ことトム・マールヴォロ・リドル相手に使えばよかったのだ。あのときは怒り狂って、ちょうどよいところに剣が転がっていたこともあり、失念していた。鞭のほうが早く片がついたろうし、あんな取っ組み合いをする必要もなかったのに。失態である。

 思わず舌打ちする。そのせいか、ポッターはそそくさと離れたようだった。

 

 ウルペクラは長い長い息を吐いた。

 後は知るまい、と踵を返し、大通りへ出る。ひとつ、ふたつと今日あったよいことを数えた。

「恩を売れたし、付き添い姿くらましに成功した」

 まずまずである。そう思いたい。恩を売るのは大事なのだ。懇意の商人がよく言っている。よいですか若様、恩は広く売っておくべきです。何人かは恩知らずがいるでしょうが、まあそれはそれ。まあ若様はお立場が微妙ですからなあ……どちらの陣営にもちょこちょこと投資なさい、とかなんとか。

 ためになる教えである。だからといって、娘を売りつけようとするのはやめてほしいが。

 闇側にも、それに対抗する者どもにもほどよく貸しをつくれただろう。それだけのことだ。なにかの拍子に……なにがあるかわからないものだ――ポッターが恩を思い出してくれればよい。

 ある種の保険と面倒事の回避が主な動機。

 ポッターが――哀れな孤児が、あまりに惨めったらしい顔をしていた、なんてことは些事である。

 要するに打算と気まぐれだ。

 それだけのことだ。

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