頭の片隅に、やり残した課題を意識しながら過ごす。そんな気分を抱えたまま、ウルペクラの学生生活は続いていた。
といっても、課題もとい謎のことばかり考えているわけにもいかず、時には校庭を散歩することだってある。
なぜか、セドリックと連れ立って。
「ハリーの炎の雷が勝つのか、チョウのコメットが勝つのか。眼が離せない」
「チャンはいい線をいくだろう」
ウルペクラは、なおざりに答えた。正直なところ、グリフィンドールが勝とうがレイブンクローが勝とうが、どちらでもよい。もっと言うと、スリザリンが優勝してうるさくなるのでなければ、三寮のどこが勝とうがよい。
スリザリンの一部、正確には図に乗るマルフォイ家の血を色濃く継ぐドラコや、その取り巻き。そしてマーカス・フリントと仲間たち、つまりクィディッチチームがはしゃぐに決まっているのだ。大変見苦しいことになるのは必須。
できることならば、レイブンクローにスリザリンを叩きのめしてほしかったのだが、ロジャー・デイビース率いるレイブンクローチームは敗北した。僅差で。ウルペクラは試合を観に行っていないが、スリザリンチームがぽろぽろと漏らすあれこれから、状況は容易に推測できた。シーカーにぶつかって撥ねたり、シーカーを執拗に狙って妨害。あんな小柄な女が、シーカーなんてやっているのが……と談話室でほざいだので、耳が腐りそうだった。
ウルペクラはいわゆる
使用人もとい親代わりを可愛らしいと評するのはどうなのか、と思うけれど……実の親より年下で、ウルペクラとはざっと十六歳差で、年の離れた姉兼保護者、使用人なのだから仕方ない。いつのまにかウルペクラよりも小さくなってしまった時には衝撃を受けたものである。単にウルペクラの背が伸びただけなのだけども。
「性能のいい箒じゃなくて、使い慣れた箒を使うのが渋いよね」
セドリックは機嫌よく言う。ウルペクラは寸のところで「個人的にはチャンに炎の雷を貸して、条件をほぼ同等にしたらどうなるか、興味がある」という言を呑み込んだ。そもそも、チェス大会で勝ち取った箒は、家に置いてきた。誰にも話していない。ドラコたちには「妬まれるに決まっているから僕が手に入れたことは黙っていろ」と口止めもした。
――デイビースには漏れていたが
なんなのだあいつ。休みが明けてみれば、血走った眼のデイビースに連行されるはめになった。ポッターが炎の雷を手に入れたと聞いた。噂では君も持っているとか? 貸してくれない? 敵を知るために! と。
すまないが置いてきたんだ、と答えれば、デイビースが「酷いじゃないか我が友よ!」と嘆いた。おい、いつお前と友人になった?
デイビースの幻を振り払いつつ、歩を進める。
ととと、とパッドフットがついてきた。飼い主二人にお供する、犬の図であった。赤い首輪にリードを繋いでいない。放し飼いでも問題ないのだ。動物もどきなので。
なんでこんなことになっているのか。誰でもいいから答えてほしい。早朝、ウルペクラはセドリックを訪ねた――というより、厨房に呼び出した。寮の前で待ち伏せするのは気が進まず、寮に入り込むのはもっと気が進まなかった。適当なハッフルパフ生を捕まえて吐かせるまでもなく、観察していれば寮の場所と入り方は割り出せた。樽を叩けばよいらしい。その音律は覚えたけれど、どうせ一定期間で切り替わるのだろうし、寮に忍び込むほどの用件ではなかった。どこかのシリウス・ブラックでもあるまいし。
のこのこと現れたセドリックに、ウルペクラは金貨を三、四枚渡した。首輪とリード代にしては多すぎる! 別にいらないよ、と善人セドリックは狼狽えた。そこから押し問答になり、ウルペクラは妥協案を提示した。じゃあ手伝え、と。
――自分のせいでは?
目先の面倒を回避したくて、セドリックと散歩するはめになっているのは、ウルペクラの自業自得だ。
うんざりしながら、セドリックに呼びかける。
「……あれだ」
手を振った先にあるのは、森番の小屋――畑から少し離れた囲い。そこにいるのは天馬――輝けるものが二頭。
北の都から乗ってきて、森番に預けているのである。賢い馬なので勝手に帰るだろうが、ホグワーツに留めている。いちいちロンドン――キングズ・クロスへ行って、また北の都――エディンバラにとって返すのが馬鹿らしくなったのである。
少し足をのばしてダイアゴン横丁――漏れ鍋へ、そこから煙突飛行という手もあるが、魔法省は「火格子に入る程度の荷を推奨」としている。
学期末ゆえに、持ち帰る荷物も多い。煙突飛行における紛失はややこしいのだ。どこの火格子に落ちたか突き止めなければならないし、学期末にそれなりの数の生徒が大荷物とともに移動すれば、事故も起きやすい。
魔法運輸部の一室、煙突飛行ネットワーク室――たいてい、略して運輸飛行室だとか、飛行室と呼ばれる――は九月一日と学期末に忙しくなるそうだ。煙突掃除人と呼ばれる彼らは、せっせと遭難者の救出や荷物の回収をするはめになる。そして、漏れ鍋の店主は降り積もった灰を掃除するのだ。
ウルペクラは多少拡張したトランクに、荷を詰めているだけ。煙突飛行に支障はないものの、漏れ鍋で煙突飛行の順番待ちをしたり、誰それの頭だけが飛んでいって行方不明、のような騒ぎに巻き込まれるのは御免である。やはり、ホグワーツから北の都はレストレンジ邸に直行するのが賢い。
「綺麗な馬だ。君、ほんとにお坊ちゃんだったんだ」
セドリックが感心したように言う。「世話をすればいいんだね?」とウルペクラに問い、答えも聞かず柵の中に入った。さすが、生き物に好かれる魔性の男である。彼の手にかかればニーズルはごろごろと喉を鳴らし、犬は腹を見せ、気位の高い馬は……。
「あいつ、魔法生物飼育学で優をとりそうだ」
レストレンジ家の白馬二頭は、セドリックに鼻をこすりつけたり、彼の黒髪を「毛繕い」している。
任せよう、と思う。ウルペクラの出番はなさそうだ。基本的に森番が世話をしてくれているのだが、主であるウルペクラが他人に世話を任せきりというわけにはいかない。週に一、二度、天馬たちを訪ねるのだ。
セドリックに「手伝い」と言ったものの、毛並みを整え、少し構ってやり、余裕があれば散歩に連れ出すくらいのものだ。餌や糞の処理は森番がしてくれる。ドラコが蔑んでならない「デカブツ」ことルビウス・ハグリッドは、ウルペクラが死喰い人の子だと気づかなかったのか――魔法生物飼育学をとっているので、森番はウルペクラが「レストレンジ」であると把握しているはず――天馬を引き受けてくれた。心から生き物が好きな類らしく「なんと美しい」と感嘆していた。小さく「牙があればもっと……」と呟きを落としたが、聞かなかったことにした。
柵にもたれ、ぼんやりとセドリックと天馬たちを見る。ごきげんなセドリックが「ウル、散歩させてもいいかい?」と呼びかけてきたのに「お好きにどうぞ」と返した。
「これで端金のことは忘れただろう」
たかが金貨四枚くらいで騒ぐなよ。ウィーズリーみたいに困窮しているわけでもなかろうに。
ひとまず、セドリックの気を逸らせたのでよしとしよう。ポッターに炎の雷が贈られたことで、くだらない罪悪感も薄れたようだし。じめじめすることもなかろう。
――炎の雷といえば
「お前、」
ウルペクラは視線を下に向ける。いかにも忠実な犬です、という面をしている黒犬を。
「……レイブンクロー戦を観に行くなんてことはするなよ」
ふっとパッドフットが顔を上げる。本当にわかっているのか? と見返せば、ふんと鼻を鳴らされた。
ああ、これは試合を観に行くんだな。知らないぞ、吸魂鬼の接吻を受けても。
眼を細めたウルペクラは、読みを誤っていた。開心術でもかければ、知ることができただろう。
シリウス・ブラックが、試合の熱狂の後、深夜にグリフィンドール寮に忍び込もうとしていることを。
前回の侵入から数ヶ月。『太った貴婦人』には怯えられたが、彼女を傷つけることなく、実害はなきに等しかった。
誰もが、無意識に気を緩めていた。ただ一人だけが、警戒を怠らなかった。
猫に追いかけ回されていた彼は、血痕を残し、姿を消した。
獲物に逃げられた猫は「犬もどき」にそれを伝えることができなかった。「あーあ、スキャバーズがいればなあ」と嫌味を言われることに耐えられなくなった飼い主によって、女子寮に閉じこめられていたのだ。
かくして、獲物がいないなど思いもせず、グリフィンドール寮に侵入したシリウス・ブラックは、舌打ちしながら逃げるはめになった。
「――お前がポッターを守りたいのは結構だが」
シリウス・ブラック侵入事件の翌日。ウルペクラは自室で『赤雷』を一度、二度、三度、と床に打ち付けた。じゅっと敷物が焦げたが構いやしない。妖精たちが綺麗にしてくれる。
「なにがブラック本家の兄弟は賢いだよ。弟――レギュラスは知らないが、お前は馬鹿野郎だよ」
犬は、ただひたすらにうなだれている。実に情けない様だ。「噂ではロングボトムが合言葉を漏らしたらしいな」と言えば、さらにうなだれた。この愚か者め。孤児同然の少年に迷惑をかけるんじゃない。
――監獄の闇の中、十二年耐え抜き、脱獄までしてのけた男
そのはずなのだが。今のところ、軽挙妄動馬鹿野郎でしかない。本当ならば頭の回る男なのだろう、と思う。だが……。
「ピーター・ペティリューが生きていたとして、ポッターにとって脅威か?」
椅子に腰掛け、足を組む。主の心を写してか『赤雷』は疑問符を形作った。パッドフットが床をひっかく。敷物が裂かれた。
「あー、我が君が復活なさったら、献上ね」
気のない声を上げる。ピーター・ペティグリューの状況は「シリウス・ブラックに木っ端みじんにされた馬鹿」であり「裏切り者」である。前者は世間の見方。後者はシリウス・ブラックと闇の陣営の見方。
ペティグリューが守り人だった。そしてポッター夫妻を裏切った。シリウス・ブラックは策を巡らせたのだろう。表向きは己が守り人となり、真の守り人をペティグリューとした。囮と、宝物だ。闇の陣営はシリウス・ブラックを追うし、殺そうとする。真の守り人は安全という寸法……のはずだった。
「ペティグリューがまんまとポッター夫妻を売り飛ばした直後に、闇の帝王が凋落した。監獄じゃあ、我が父母が呪いの言葉を吐いているだろう」
ちら、とパッドフットを見る。彼は沈黙したままだ。肯定と受け取って、ウルペクラは続ける。
「ペティグリューはどちらの陣営も裏切った二重間諜。特に、闇の陣営に見つかれば……母上なんて、どんな拷問をすることやら」
たった一人の聞き手に、語りかける。
「だから、ペティグリューは姿を消した。死んだことにした」
ここまでは、わかるのだ。「ピーター・ペティグリューは生きている」という前提条件を手に入れれば、組み立てられる理屈である。
わからないのはその先だ。
「汚らしい不忠者が、どうやって潜伏していたのか。ポッターに近づいたのか。そしてお前は死んだはずの男の生存を、いかにして知ったのか?」
いくつか、候補はある。
たとえば、死んだふりをして、変身術を駆使して、孤児にでもなりすます。どこかの家庭に引き取られる。この場合、変身術の才と閉心術の才が必要だ。ウルペクラのように七変化で、閉心術者でなければ難しい。組分け帽子は「頭の中を覗く」。ペティグリューなんぞ木っ端みじんになっただけで英雄扱いされたのだ。つまり、死にでもしない限り、英雄として称えられることはなかった。凡夫である。小賢しい凡夫である。
たとえば、教師としてホグワーツに潜伏していた。万が一そうであれば、闇の帝王がクィレルを襤褸雑巾のように使い倒す必要などなかった。却下。
「望ましいのは魔法族の家系。だが、純血は孤児院なんぞから養子をとるのは稀。そもそも、若返りかつ自分とは似ても似つかない容姿に変えるのは……凡夫には無理」
眉間に皺を寄せる。椅子から立ち上がる。
ぐるぐると室を歩き回る。ポリジュース薬はどうか。却下。年単位、十何年も使用すればなんらかの弊害が出る。巧く加齢させる必要もある。目的に適わない。
「別のやり方、形態……」
手がかりはないものかと、パッドフット――忌々しい、厄介な動物もどきを――。
ぴたり、と立ち止まった。
「お前たちは悪友だった。お前は動物もどきで……ペティグリューもそうだとしたら?」
パッドフットが、あんぐりと口を開ける。舌がだらりと出て、間抜け面にもほどがあった。
確信を得て、断片を繋ぎ合わせていく。
「ペティグリューの生存を知った理由。脱獄は七月……毎年夏頃に視察があるし、そのついでで面会も通りやすい」
ウルペクラは死喰い人の子である。アズカバンのことにはほんの少し詳しいのだ。
家令夫妻が「坊ちゃま、ご両親にお会いになられます?」と訊いてきたことがあった。一応、念のため、といった風だった。ウルペクラには実の親と面会する権利があった。もしウルペクラが頷けば、彼らは粛々と手続きをしてくれたことだろう。
ウルペクラは唯一の跡継ぎで、彼らの上に立つ者。彼らはウルペクラの養育を託された、仕える者。そして監獄に沈んだロドルファス・レストレンジ――ウルペクラの父の、幼馴染。
その忠誠心は本物だ。でなくば、ロクサーヌはわずか十六歳で「坊ちゃま」の母親代わりにはならなかった。ディランとて同じこと。彼らの未来を、ウルペクラが食い潰した。
十六歳。今のウルペクラと同じ年だ。坊ちゃまの養育に力を入れるより、もっと有意義な人生だって選べただろうに。
奇妙な疼きを胸の内に押し込め、意識を戻す。脱獄の時期。夏。視察へと。
「お前に面会する者などいない。ダンブルドアでさえ、お前を打ち捨てた……あの大魔法使いが会えば、脱獄の手助けをもくろんでいると思われるだろう」
ダンブルドアがシリウス・ブラックを信じていたとしても、裏切り者だと判じていても、どちらにせよ動けない。動かない。
前者であれば己に累が及ぶことを嫌って。彼にはハリー・ポッターを保護するという使命がある。ポッター家の孤児をひそかに隠したのは他ならぬダンブルドア。「生き残った男の子」は、ダンブルドアの手の内にあるのだ。
後者であれば、蔑むべき裏切り者など、朽ち果てるがよい……といったところか。
「レギュラス・ブラックは消息不明。おそらく死んでいる。なおかつ、お前とは不仲。敵対していた。生きていたとしても、面会なんぞしない」
接触したとすれば……。囁き、瞬く。
「魔法大臣。義務として、嫌々でも最下層に赴いた。そこでお前と接触した。情報の交換、意図せぬ譲渡があった……」
あるいは、別の囚人に誰かが面会した。その可能性はあるが、ひとまず除外する。
「囚人がほしがるとすれば、退屈しのぎ。最下層ならばなおのこと。壊れていないなら、正気だとすれば」
煙草は除外。ファッジは愛煙家ではない。甘党で、ルシウスが折々に適当な菓子を献上している。当家の料理人がつくった逸品――とやらをファッジ「なんぞ」に贈りはしない。それなりに高級な菓子で十分であろう、と餌でもやるように押しつけていることであろう。
ルシウスはファッジのことをバーテミウス・クラウチ・シニアが失脚したからその座に就いただけの、凡夫とお思いなのである。
「菓子なんぞ、退屈しのぎにならない。酒もそうだ。お前はほしがらない。毒殺でもされればたまらない。ファッジは、積極的にお前を殺すこともない……とすれば、」
言葉を切る。囚人ならば、父母ならばと考える。閉じこめられ、飢えている。無為に時間が流れていく。そこに大臣が通りかかる。
「――雑誌か本、新聞だな?」
七月頃。なにがあったか、と記憶を探る。シリウス・ブラック脱獄の前に、きっかけがあったはず。
ふと思い出した。とある記事。ドラコが騒いでいたじゃないか。ウィーズリーのくせにガリオンを手に入れた。たいした額ではなくとも、あの貧しく卑しい一家ならば母親が心臓発作で死ぬだろうよ……と。
それなりに、大きく取り上げられた。ウィーズリー家、ガリオンくじに当たる。写真まで載っていた。
末息子の肩に、鼠がいた。趣味が悪いことだと思った覚えがある。指が欠けた、みすぼらしい鼠。使い魔にしては変わっていると……。
「純血名家。父親は魔法省勤め。母親はプルウェット出身。なによりウィーズリー家は数が多い。人脈も広い」
その答えを、口にした。
「不忠者は……お前をはめた男は」
鼠の動物もどきだ。
欠けた指が、その証。