基本週一回更新なんですが、テンポの関係でゴブレット編開始。プロローグ。
二十一話
囁くような、子守歌。そうっと
窓から差し込む陽に、髪も、まつげも、肌も、その輪郭も、抱き上げた幼子――彼の息子も、きらきらと輝いていた。
幸福を封じ込めた、一枚の画のようであった。
妻よりもよほど母親らしいな、と苦笑したのを覚えている。ロドルファス直々の磔刑の呪文にも屈せず、ひたすらに彼の息子を案じていた。扉が開いたその瞬間に跳ね起きて、息子の無事を確認し「ご無事でようございました」と震える声で言ったのだ。
その妻は――美しく烈しい女は、星の眼を輝かせ、息子を抱いて出てきたと思ったら、さっさと室に戻っていった。ロドルファスに息子を押し付けて。
仕方がない「お母様」だな? と言い、彼は、息子の背をそっと叩いた。よくやった、と呟いたと思う。そうして、母親代わりの女に、幼馴染に息子を託したのだ。
安堵したものだ。レストレンジの後継は、最上の結果となって生まれてきた。幼馴染に任せていれば健やかに育つことだろう。己が手で、彼女とその夫に磔刑の呪文をかけたというのに、そんなことを考えた。
殺させるわけにはいかないのだ。彼に仕える者たち。幼馴染たち。家令となり、その両翼でレストレンジを支える者たちを。
幸福の一枚を眺めぼんやりと、過去を思い返す。数年前の、とある日のことを。
知るものは殺せ、と主に命じられたときのことを。
玩具の首をもぐように、他者の命を奪えるのが主である、と彼は承知していたはずだった。が、不思議なほどに、禍々しい牙が己の周囲に及ぶとは思っていなかった。
どうか、と彼は願った。これは我が家令たち。欠かしてはならぬ者たちです、と膝を突いた。
ならばどうする、と問われ「書き換えればよく、思い出せぬようにすればよろしいでしょう」と答えた。
幼馴染たちに迫った。潔く死ぬか。それとも忘れるか?
『ありがとう存じます』
ロドルファス様、と幼馴染――その昔、彼を「お兄様」と慕った娘が笑んだ。
『始末するほうが、簡単でしょうに。上手に書いてくださいませ』
誰にものを言っている、と鼻を鳴らせば、今度はロクサーヌの夫――ディランが笑った。
『私たちは坊ちゃまに専念しましょう。とっかかりくらいは残してくださいよ? 思い出したら死ぬなんて、なしですよ』
そこまではしない、とロドルファスは吐き捨てた。実は、主に「思い出したら死ぬように破れぬ誓いをかけます」と告げていたのだが。
彼とて、譲れぬ線くらいはあるのだ。
たとえ幼馴染たちの記憶を書き換えようと、磔刑の呪文をかけて阻もうと。
無惨に殺されるよりはよいだろうと思ったのだ。
――ちゃりちゃりという鎖の音に
懐かしい夢が、破られた。
苦笑する幼馴染たちの姿が消えていく。ひとつの秘密を守るために書き換えた。ひとつの秘密を守るために、磔刑の呪文をかけた者たちが去っていく。
もう三十を越えたのか、彼女たちは……とロドルファスはしばし、ぼうとする。
恐ろしいほどの年月が経ってしまった
ちゃり、ちゃり。じゃら……と鎖の音。か細い声が、闇を渡る。
私は悪くない。ジェームズたちが悪い。シリウスが……。レストレンジめ。私のせいじゃない……どうして……。
嘆息する。汚らしい裏切り者がここに来てから幾日経ったか。おしゃべりなのは結構なことだが、オーグリーの悲しげな鳴き声を聞くほうがまだよかろう。死告げ鳥。不吉な鳥……。
少なくとも、あの鳥のほうが役に立つ。なぜならば雨の訪れを告げるから。
対して、裏切り者――不忠者はどうか。なにも為さず、十数年息をひそめ、無様に捕まり、ここに放り込まれた。
ピーター・ペティグリュー。ワームテールと呼ばれる、我が君の伏せ札だったもの。
ダンブルドアから我が君に寝返った、いいやジェームズ・ポッターを裏切り、情報を流していたと知っていたのは一握り。ロドルファスはもちろん知っていた。そして、妻も知っていた。彼らは闇の帝王の腹心の中で、最も寵愛されていた。優れた者はほかにもいよう。だが、彼らほどの忠を示した者はおるまい。
子を生したのだから。稀なる、レストレンジの形質まで顕した。闇の帝王は狂喜した。よくやった、と彼らを褒め称えた。
ロドルファスは安堵したものだ。なかなか子ができなかった。半分、諦めていた。どちらかに欠陥があるのかと恐れた。命により婚姻したにしては、妻との交わり――相性は悪くなかったが。それでも、義務的な交わりに、心がすり切れていった。
そんな中で息子を授かった。生まれて数ヶ月して、ほんの少しの毒を飲ませた。なんの影響も、赤ん坊にもたらさなかった。成長するにつれて、強い毒を飲ませるようになった。それでも、なんの障りもなかった。
息子が二つ、三つの頃に、我が君が手ずから杯を傾けた。その中身は、致死毒。『秘密の部屋』の、怪物の毒なのだ、と笑っていた。若い頃にほんの少しいただいたのだ……と。
息子は火がついたように泣き、のたうち回ったが――死ななかった。不死鳥の涙でしか癒せぬ、と謳われる毒が、たかが幼子一人を殺せなかった。
先祖返り。蛇の王の毒ですら殺せぬ者。災いを退ける者……。
『ああこれが、レストレンジの粋か』
よくやった、よく生した、と我が君はお褒めくださったのだ。
ぐったりとした息子が退出させられ、ロドルファスと妻は命じられた。
息子を捧げよ、と。
もとよりそのつもりであった。妻は、ゆるく首を傾げ、我が君に問いかけた。
あれは我が君より印を賜った者。将来、貴方様にお仕えするために、大事に大事に育てるつもりだったのですが。それよりも重要ななにかが……?
ほかの死喰い人ならば、余計な疑問は抱くな、と罰を受けたかもしれぬ。が、彼女は我が君のために子を産み落とした者。寵愛されし者。片腕、片翼といってもよかった。
我が君は紅の眼を輝かせた。
名誉と思うがよい。お前たちの息子、そのすべては俺様のもの。あれは俺様のために生まれてきたようなものだ。途絶えていた、レストレンジの粋を顕したのが、その証。
神が――天が、俺様にもたらしたのかもしれないな?
我が君は椅子から立ち上がり、杯を放り投げた。ぽた、と垂れた滴が――蛇の王の毒が、敷物に点々と穴をあけた。
そして、答えが授けられたとき、ロドルファスの胸中に過ぎったものはなんだったのか。
そうか、という納得。このために、ロドルファスたちは選ばれた。番うようにと命じられたのだ、と。
ちゃり、という鎖の音に、ロドルファスは我に返る。騒がしいワームテールめ。ウルペクラめ、レストレンジめ……と相当恨んでいるようである。『蠍』のレストレンジと、『双狼』のブラックの子を。
どうやら立派に成長して、毒牙持つ狼になったらしい息子。鼠を狩ったのは誇らしい。代わりに、シリウスが解放されたようだが。許容範囲だ。
計算高く、立ち回ったのであろう。しかし。
「手ぬるいな」
どさくさに紛れて不忠者を殺すこともできたろうに。ワームテールはポッター家を売り飛ばし、貢献した。だが、それだけだ。一度裏切った者は何度でも裏切るとみなされる。それをあれはわかっていなかった。だから、ポッター夫妻を裏切り、闇の帝王までもを裏切った、とされたのだ。
隠れ潜むしかできぬ、役立たず。
殺す理由はあれど、生かす理由はあるまい。息子がワームテールに慈悲をかけたのか、手を汚すまでもない、と判じたのかはわからないが。
「生きて長く苦しめる。そのつもりだったのかもしれないよ」
くす、と声が聞こえる。
「外で処分すればいいものを。そう思わないか、ベラ?」
軽く返す。ベラトリックスが、喉を鳴らした。獰猛な、獣の唸り。
「子のやり残しを片づけるのは、親の務めとでも思ったのかも」
「さあな」
ロドルファスは呆れた。どれだけの間、息子と離れていると思っている。今更、親をあてにするものか。が、やり残しであることには違いなかろう。鬱陶しく、息子に敗北したのに認めようともしない。レストレンジに敬意も払わず、繰り言を呟くばかり。
「……不要か」
呟く。ベラトリックスは答えない。それを是と受け取る。ちょうどよい、と独りごちたそのとき、監獄の底の底、乏しい灯だけがある場所が、しんと冷えていった。
ひょう、という幽かな音。ひぃ、とワームテールが息を漏らす。他の者たちは静かだ。ひたすらに気配を殺し、心を閉じる。
ロドルファスは囁いた。
「……喰らうがいいさ。活きのよい、惨めで愚かな魂を」
ぴたり、と気配が止まる。穢れ者の見えざる眼が、ロドルファスを捉える。
「進呈しよう。どうせ誰も気にしない……」
ならばお前でもよいはずだ、と腕が伸びてくる。ロドルファスは傲然とそれを――吸魂鬼を見やった。
「いいのかな? 私たちを喰らうということは、我が君が復活なさった暁に、お前たちがご馳走にありつけなくなるということだ」
淡々と、噛んで含めるように言う。あながちでたらめではないのだ。闇の帝王は吸魂鬼の掌握を視野に入れていた。魔法省に従うより、おいしい思いをさせてやろうに、と言っていたものだ。
背く者どもを狩り立てて、放り込んでしまえばいい。吸魂鬼たちはたっぷりと、魂にありつけることだろう。
「もっとよい餌はお預けだ。あれで――」
示したのは、震え、身を丸めているであろう男。恐怖に耐えかね、耳を塞いでいるであろう愚か者。
「……我慢しろ」
吸魂鬼が手を引く。臭気が遠ざかり――。
「やめろいやだなんで私は……! 誰か……っ」
ジェ、ジェームズ! 悪かった。赦してくれ助けてくれリリー!
虚しい叫びが木霊して、やがて消えた。
食事を終えた吸魂鬼が、去っていく。ふう、と息を吐き、ロドルファスは眼を瞑った。
鬱陶しいから処分できてちょうどよかった。あれの役目はポッター夫妻を売り飛ばしたときに、終わっていたのだ。
先祖返りの息子のほうが、よほど我が君のお役に立つ。いいや、立っている。
稀なる血を発現させなければ、闇の印を刻まれるだけだったろう息子。その生は闇の帝王のためにある。
元より、自分たちの子として生まれてきた時点で、平凡な生など望めない。ましてや、祖の血を顕してしまったのだ。
ふと過ぎったなにかを――わずかな哀れみを、ロドルファスは封じ込めた。
今更どうしようもない。ロドルファスの父は、死喰い人――最も古くから我が君に従ってきた古参。純血の地位向上のため、マグルどもをのさばらせないため、そして我が君の才を見込み、レストレンジの繁栄を願って賭けたのである。
ロドルファスと弟が死喰い人になったのは当然の流れ。ロドルファスの息子とて、同じこと。ましてや生まれる前から我が君に期待され、名を賜ったのだから。空っぽになったワームテールと比べるべくもない。
ロドルファスは左腕を掴む。闇を印された場所を。
「……
「――誰かが動き始めたか」
ベラトリックスが、ひそりと言う。彼女もわかっているのだ。闇の印が息を吹き返したことを。噂によると数年前、英国に舞い戻ったらしいのに。印は沈黙したままだった。儚い灯の下で、一見して消えそうなほど淡かった。
実に十数年ぶりの、兆しだ。
闇の帝王は、酷く弱っているはず。誰かが――外にいる誰かが、側に侍っている。そうして力を付けさせた……。
候補は複数。息子は除外する。おおっぴらに動けまい。監視がついている可能性がある。と、なると、どの伏せ札か。
「不忠者どもではなかろう。考えられるとすれば……」
「可能性が高いのは、坊やか。我らが同志。まんまと逃げたものだ」
こわーいパパと、やさしいママに助けられた坊や、とベラトリックスは歌う。共に監獄に入れられた四人のうち一の人。吸魂鬼は数が足りていれば満足する。それが誰かまでは頓着しない。
面会にきた二人。帰った二人。片方が入れ替わっていた。
なぜわかるか。しゅうしゅうという音を聞いたから。なにやら衣擦れの音も聞こえたから。最下層は静かで、物音が響く。ましてやロドルファスたちと「彼」の独房は近かった。
変身薬による入れ替わり。その仮説を裏付けたのが――。
――「夫」に抱えられる「妻」が、にぃっと笑ったのだ
ロドルファスたちに向かって。任せろとでも言うように。
だから、ロドルファスたちは沈黙した。ベラトリックスなど死に瀕した者に――息子の身代わりになった女に、優しく語りかけてやった。
ねえ、やさしいママ。息子が無実だと思っているのだろう? 私たちが唆したと思ったのだろう?
残念、お前のかわいいかわいい息子は、ずうっとずうっと我が君に傾倒していたし。
アリス・ロングボトムを――しようとしたんだよ。私が止めたけどね。獣は嫌いなのさ。
かわいそうに。お腹を痛めて産んだ我が子が、怪物だったなんてねえ。
――死に際の、絶望の呻きを
息子に身を捧げた女の、嘘……という囁きを、ロドルファスは忘れようにも忘れられないだろう。
愛も善も報われるとは限らない。
あの女は、息子を愛していた女は、怪物を世に解き放ったのだ。
それでも、自分よりはマシな人間かもしれない、とロドルファスは苦笑した。彼は我が子を捧げたのだから。
その名は闇の帝王より賜ったもの。闇を印されたもの。
ウルペクラ・レストレンジ。
我が子のすべては、あの方のものなのだ。
ウルペクラ・レストレンジ(Vulpecula・Lestrange)
レストレンジ家嫡子。ロドルファスとベラトリックスの息子。
金髪灰眼。スリザリン所属。ハリーたちより二つ上。
七変化、銀狐の動物もどき。
トム・マールヴォロ・リドルの日記に操られた「共犯者」にして、シリウス・ブラックを匿った「共犯者」。
不忠者に裁きを下す者。
赤ん坊の時に闇の印を賜りし者。
印されし者。
『蠍』たるレストレンジの先祖返り。
その血は毒であり、薬である。
その血は毒も呪いも撥ね退ける。
戦星の名を冠した母は、愛しのこぎつね、黒き心臓ウルペクラ、と彼を呼んだ。
そして、唯一無二の太陽に捧げたのである。
その名は闇の帝王より賜り。その誕生は、闇の帝王により望まれたものである。
『赤雷』
アンタレス。レストレンジ家の宝。魔法具。雷纏う鞭である。
『輝けるもの』
ブライト・ブライト。グレニアン白変種。純白の天馬。ベラトリックスの結婚祝いに、ブラック本家から贈られたもの。