輝くような白馬から、するりと下りる。ぽた、ぽた、と滴が落ち、濃い灰色に変じた石段を濡らし、そこに新たな滴が落ち……と尽きることがない。嘆息する。ウルペクラは外套の頭巾を跳ね上げて、金の髪を露わにした。頭を振れば、銀の滴が飛び散る。眼を細め、遠く遠くに響く、低い唸りに耳を澄ませる。天気は崩れたまま。悪化の一途を辿っている。そのうち、雷がどこかに落ちることであろう。
見込みが甘かった、とウルペクラは臍を噛む。今朝は小雨だったのだ。今日、九月一日。天馬に乗って、北の都――レストレンジ邸から飛び立った時も、可愛いものであった。だというのに、空は墨を流し込んだような様になり、篠突く雨となった。時既に遅し。北の都よりホグワーツのほうが近かった。ままよ、と空を翔け、ホグワーツ――正面玄関に到着したはいいが、酷い有様だ。
天気の正確な予想は難しいのだ。オーグリーでも飼えばいいのか? あれは気鬱になる者が続出する鳥なのだけど、と思いつつ髪を絞る。盛大に滴が落ちた。
防水呪文はもちろんかけた。が、荷物には厳重に施し、己には軽くかけただけ。雨の攻勢の前に屈し、意味を成さなくなった。
乾かせばいいだけの話。不快であるが、問題はない。そう言い聞かせるも、ウルペクラは機嫌を損ねていた。
と、と馬から下りた魔女に呼びかける。
「……いい、僕の荷物だ。あなたが運ぶ必要はない」
「ついでよ。運んで差し上げる代わりに、あたたまりたいし」
ウルペクラは一段下にある、派手な色の頭をみやった。七変化の無駄遣いである。ショッキングピンクの髪色は明らかに生来のものではない。彼女の母親は暗い亜麻色の髪。父親がなんらかの遺伝子異常、魔法的疾患を持っていれば別だが、それはあるまい。マグル生まれらしいので。
「――闇祓いをこき使う一学生、しかも死喰い人の子なんて笑えないだろう。トンクス」
ぴしゃりと言い、杖を振る。トランクその他の荷がふわりと浮かび、主に従った。
なんでこんなことになっているのだ、とかろうじて舌打ちをこらえる。軽やかに歩を踏み、隣に並んだ魔女をちらりと見た。濡れ鼠で寒いだろうに、そんな気配は微塵も見せない。その眸は星の色。ウルペクラと同じ――ブラック家の血を引く証。
「お茶くらい振る舞いなさいよね」
魔女は言う。厨房に行くぞ、の意である。ウルペクラの荷物を運んで「差し上げる」かどうかに関係なく、あたたまってから帰る気満々である。
「毒がうっかり混入してもしらないぞ」
さっさと帰れの意を込める。が、魔女は笑うばかり。どうやら、この仕事を――隠れ死喰い人を捕縛した青年の護衛、実質は監視の任を楽しんでいるらしい。新人闇祓いにはぴったりの、ちょうどよい仕事だろう。ぬるすぎるほどだ。ルーファス・スクリムジョールは十中八九、ウルペクラを大真面目に監視するつもりはない。でなくば、わざわざ新人を、しかも監視対象Vの関係者を送り込まないだろう。
――嫌がらせかよ
ふんふんと鼻歌を歌う魔女――闇祓い、ニンファドーラ・トンクスはウルペクラの母方の従姉にあたる。れっきとした関係者だ。たとえウルペクラが彼女の存在を知らなかったとしても。姓こそトンクスだが、ブラック分家の次女――ウルペクラの叔母――の子なのだから。
八月某日――クィディッチワールドカップから帰還した翌日、キングズリー・シャックルボルトに「新人研修に協力してくれたまえ」と押しつけられたのがニンファドーラ・トンクスであった。そんなもの、闇祓いを輩出している家系――たとえばゴールドスタイン、シャープなど――に放り込めよ、と断ろうとした。
よりにもよって「闇の印が打ち上げられた」「クィディッチワールドカップ」の「翌日」に闇祓いが派遣されてきたのだ。狙いは馬鹿でもわかる。ウルペクラ――「レストレンジ」の監視である。互いに益がない、ただの茶番である。
『あの場に遊び人……白孔雀みたいに目立ったのも――いくらでもいたでしょうよ』
仕方なしに闇祓い二人を応接間に通し、妖精が用意した茶と菓子をロクサーヌが運んできて、少し落ち着いたとみるや、ウルペクラは嫌味を言った。お前の眼は節穴か、疑うならレストレンジじゃなく、マルフォイその他だろうがと暗に言っても、シャックルボルトは涼しい顔をしていた。
『上のほうが神経過敏になっていて、闇祓いの育成は必須と。ああ、長官が君によろしくと。来年にノグテイル狩りでもどうか……とのことだ』
シャックルボルト、引く気なし。
魔法大臣が闇の印事件で毛を逆立てていて、死喰い人と死喰い人の子がワールドカップに来ていたことを思い出し――ウルペクラは懇意の商人から「たまにはお出かけでも」とワールドカップの切符を三枚贈られたことを呪った――ウルペクラに監視を付けるように命じたと。
そんなわけあるかとスクリムジョールは思いつつ、一応やりましたよ、と言うためにウルペクラにゆるい監視を付けたい、ということだ。詫びのつもりかなんなのか、ノグテイル狩りの招待まで匂わせて。
気づけば夏期休暇の残りをトンクスと過ごすはめになった。
断れば魔法省に含むところがあるのかね、と隙をみせることになる。新人研修、護衛名目なのだから、正面切って叩き切るわけにもいかなかった。あくまで、魔法省は善意で言っているのだ。隠れ死喰い人を捕縛したことによって、ウルペクラに累が及ぶかもしれないので護衛を付けて差し上げよう、と。どうやら五月に監獄に放り込まれて約二ヶ月後に死んだらしいワームテールがどうなろうが、叛意もなにもないのだけど。むしろ我が君はお喜びだろう。
スクリムジョールがトンクスを選出したのには、それなりに理由があるのは承知したので「じゃあシャックルボルト、あなたがいいな」とは、ウルペクラは言わなかった。その代わり、あちこち連れ回した。
領地に赴き、脱走した山羊を捕まえさせる、ベゾアール石を取り出させるなど。
ついでに孤児院兼学舎に行き、リーマス・ルーピンと会って、困り事はないか聞いた。ありがたいことだよ、きちんとした仕事があるのは、とルーピンは満足そうであった。
ウルペクラはルーピンを雇ったのだ。ホグワーツを辞めると聞いたので、すかさず誘った。領地の学舎にいらっしゃいませんか、と。ちょうど 学舎の管理人兼教師が、高齢を理由に退いたところであった。
どこぞでルーピンを腐らせるくらいなら、と引き込んだ。彼が優秀なことは一年間で証明されている。人柄もよい。
最初、ルーピンは固辞しようとした。が、あなたの正体を知っているしなんとも思わないと押した。ぐらりと揺れる彼の心を『脱狼薬』をきちんと届けさせましょう……でさらに押した。
そも、今の学舎に孤児や駆け込んできた婦人もおりませんので、でさらに押し、ホグワーツのように激務じゃありませんし、満月近くになれば妖精を派遣しましょう。ご不安でしょうから、飲み忘れ防止、でとどめを刺した。
結果、ルーピンと握手を交わした。
穏やかな「先生」の評判は上々である。幼い子たちに――みんな領民の子だ――読み書き計算を教え、簡単なおはなしを聞かせている。充実した日々、というやつだ。ちょうどよいのでトンクスを押しつけてやった。彼らが授業をしている間に、ウルペクラは学舎のあちこちを見て回った。窓が割れてないか、とか。掃除が行き届いているか、とか。
学舎とは、ホグワーツに行くことを選ばなかった者、あるいはホグワーツの水準に満たない者の学びの場である。いくつかの村の住民が話し合って設置する、あるいは名士が領民の学力向上のために設置するなど、学舎が置かれる理由は様々である。レストレンジの場合は後者だ。
本拠地である北の都にも孤児院兼学舎がある。かつては優秀な者に本邸で行儀見習いを受けさせて、使用人に……なんて伝統もあった。時には、レストレンジ家が学費を出してホグワーツに行かせてやる、ということもあったらしい。ちなみに、ルーピンはこちらと領地を定期的に行き来している。
北の都はレストレンジの威光が及ぶ土地なのだ。ロンドンのブラック、カーディフの某家、ダブリンの某家がそうであるように。魔法省は面白くないだろうが。本部はロンドン、支部は残り三つの都市にあるのだ。ウルペクラに言わせれば、後からのこのこやってきて、偉そうな顔をするなと言いたい。どの家も古くからあり、闘争と融和を経て都に落ち着き、いわゆる顔役となったのだから。
昔は名家と角突き合わせていた魔法省の体たらくよ。ウルペクラを監視している暇があるのか? ないのだが、スクリムジョールはなんらかの手を打つしかなかったわけだ。相手は魔法大臣。その権は強いのだ。
ウルペクラは唇を引き結び、石段を上る。玄関ホールに入れば、ピーブズが水風船で遊んでいたので処理した。小瓶の中にぶちこみ、放置。血みどろ男爵がどうにかするであろう。あれの監督者のようなものであるし。
新学期が始まる前から、どっと疲れてきた。杖を振り、自身とトンクスを乾かす。妖精を一人呼んで、荷物を運ぶように頼み、厨房へ。
玄関ホールだけでなく、ここも荒らされていた。怯える妖精たちをなだめ「僕と彼女に紅茶を」と命じた。妖精たちは働いていないと落ち着かない性質だ。貴族がいればなおさら張り切るのである。
彼らは驚異的な速さで厨房を綺麗にし、ウルペクラたちのために茶を用意した。
「……人の使い方がわかっているわね」
「貴族ですので」
嫌味だか、褒めているのかわからない言をいなす。おそらく、褒めているのだろう。ニンファドーラ・トンクスはいちいち当てこすりを言う性格ではない。ブラック家の血筋といえど、貴族社会で揉まれているわけではない。陰湿、という言葉は彼女には当てはまらないだろう。
レストレンジたるウルペクラに、思うところはないようだし。
「妖精に優しいのは意外。あと、リーマス・ルーピンを雇っているのも意外。彼、ダンブルドア側でしょう?」
トンクスがゆるく首を傾げる。からりとした言動、元気がよすぎる類の行動――山羊を追いかけるなど――で誤魔化されがちだが、ブラック家の血の恩恵が濃く現れている。夜闇の血筋は、眉目秀麗で名高いのである。
「死喰い人の子が隠れ死喰い人を捕まえるご時世だ。なにがあってもおかしくない」
ダンブルドア側とか、どちら側なんて意味がないだろうよ、と暗に言う。トンクスはウルペクラをまじまじと見て、深く息を吐いた。
「ペティグリュー捕縛で点を稼いだつもりでしょうけど、気を付けなさいね……闇の魔術に対する防衛術の新任は、疑り深いから」
「――そういえば、まったく人事情報が下りてこなかったんですが」
はて、と瞬く。レストレンジとてそれなりの情報網を持っている。不忠者たちも同様だ。今年の教師はどうなるのか、とまさか不在か兼任か、と噂になっていた。
それから、なんの進展もないようだったのだけど。
「あー、抜かりなく情報収集してたのね……」
トンクスはかわいそうなものを見るような眼をウルペクラに向けた。そうして、爆弾を落とした。
「マッド・アイよ」
「……笑えない冗談だ」
今すぐ手紙を書いてルーピンを呼び戻そうか、と真剣に考えていたウルペクラは知らない。
ムーディ邸が襲撃され、マッド・アイが捕らわれ、忠義者が舞台に立ったことを。