「つついたって益がないんですから、僕が知るわけがないでしょうに」
恙なく第一の課題が終わりしばらく経った、十二月某日。ウルペクラは校庭――湖畔で天馬を駆っていた。並足で、ゆったりとした散歩である。
隣には騎手のいない馬。ウルペクラが指示をせずとも、勝手についてくる。そして馬上の人たるウルペクラの斜め後ろに余計なものまでひっついてきている。
「クラウチとレストレンジは仲良しざんしょ」
しゃあしゃあと言う付属物、いいや塵をウルペクラは見やった。付き人よろしく張り付いている魔女。リータ・スキーターだ。
「仲良しねえ」
呟き、馬の腹を軽く蹴る――までもなく、ブラック家より贈られた駒は後ろ足を蹴り上げた。威嚇が十分に伝わったのか、魔女が距離を取る。馬の斜め後ろにいたのだから、蹴りが届くはずがないが。念のためであろう。
「けっこうなご挨拶で」
後方は危ういと思ったのか、厚顔無恥なのか、スキーターはウルペクラの隣に陣取った。これで手綱をとれば、丸きり付き人である。こんな使用人はいらないが。鬱陶しい。
ウルペクラは構わず前を向く。真後ろにいてくれれば、確実に蹴りを当ててやれたものを。最悪死ぬ可能性もあるが、図太い記者が馬に蹴られたくらいで死ぬだろうか? 五、六歳のウルペクラがうっかり天馬に蹴られても無傷だったのだから問題ないだろう。それなりに痛かった覚えはあるが。
塵のことを考えるまいとしていたが、次の瞬間、眉間に皺を刻んだ。
「それとも、ロングボトムと仲良しというべきざんすか。ああ、死喰い人の子が代表選手になってくれれば――いい記事が」
スキーターの楽しげな声は、放たれた無言呪文に遮られる。派手な衣を紅蓮が彩った。
分をわきまえない魔女が火を消そうと飛び跳ねるのを尻目に、ウルペクラは手綱を打つ。
「……実に不愉快」
はっ、と息を吐く。悲鳴と「ふざけるなディゴリーとの熱愛記事でも書いてやろうかクソガキ」という声が追いかけてくるが、徹頭徹尾無視を決め込んだ。
ウルペクラが仕掛けたのは幻の炎だ。本物のように見え、熱い。痛みもある。ちょっとした拷問によく使われる。幻炎を出して苦しませ、けががないと安堵させ、次に
無論、磔刑の呪文のほうが手っ取り早い。しかし、手軽に拷問できるゆえに加減が難しい……とされている。酔いしれやすく、狂気にとりつかれやすい。
ウルペクラは磔刑の呪文だけは使う気にならない。呪文は知っているが、未だに手を出していない。
闇の帝王をお捜し申しあげんとし、闇祓い夫妻を壊した者たちを知っているから。彼らは当初の目的を逸脱し、磔刑の呪文を使いすぎた。結果、闇祓い夫妻は壊れた……。
ロングボトム夫妻が襲撃され、壊された経緯は報告書を読んで知っている。家令夫妻の言だけでは納得いかず、呑み込んで、商人に頼んだのだ。お前は百貨を商う者なのだから、詳細な資料の写しくらい、どうとでもなるだろうと。
五歳頃に毒を盛られ、七歳頃にダイアゴン横丁で襲われ……して数年。我慢の限界だった。家令夫妻は「ロングボトム夫妻は壊されたのだ」と言うだけだった。廃人という言葉の意味は知っていた。彼らは自分の子どものこともわからないのだとも聞いていた。表面的な、ただの言葉ではなく実態を掴みたかった。ウルペクラが恨まれるべき理由を。
入学後――一年生の冬休みに、分厚い文書が届けられた。貪るように読み込んで、ウルペクラは嘔吐した。
計■■時間にわたる拷問。磔刑の呪文……時に物理的な手段に訴え……両手の爪はすべて剥がされていた。再生しては剥がしていた可能性。失禁。
かろうじて、単語を話すくらい。たらたらと唾液が。もはやあれは人ではない。空っぽななにかになってしまって……。
連ねられる言葉と、邸の写真、それにロングボトム夫妻の「生前」と「死後」の写真が添付してあった。
夫妻は死んだも同然だった。肉体は生きていても、精神は打ち砕かれていた。
耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、悲鳴を上げても耐え抜いて、どこまでも屈しなかった。四人の下手人により、何度も何度も何度も何度も拷問されても。
ベラトリックス・レストレンジはこう証言していた。
敵ながら、やつらは天晴れだよ。その気骨、我が君のためにお役に立てればよかったのに。
やつらは、命乞いをしなかった。実に堂々としていた、と。
――スキーターの苦しみなど
ロングボトム夫妻のものに比べれば、なにほどのものだ。ただの悪戯、可愛いものである。
バーテミウス・クラウチ・シニアについての情報を聞き出すため――ウルペクラを挑発し、口を滑らせるためだけに、スキーターは狼の尾を踏んだのだ。仕置きをするのは当然のことだ。
ウルペクラとて、マッド・アイにやり返すために「レストレンジ」と「磔刑の呪文」を持ち出しはしたが、さすがにロングボトムの名は出さない。出せるわけがない。
縊り殺してやろうか、と熱い息とともに吐き出す。主の怒りが伝播したのか、白馬がいななく。ウルペクラは、彼らの好きにさせることにした。十二月現在、城では攻防戦が繰り広げられている。休日とはいえ、のんびり校庭で遊んでいるのなんて、ウルペクラくらいだろう。
冬の舞踏会――クリスマスダンスパーティのパートナー争奪戦に、皆必死なのだ。
軽く舌を噛む。どうするかな、と考える。場所がホグワーツではなく、毎年恒例の社交ならばたいして気にすることはなかったのだが。
品のない、人の腹のなかに手を突っ込むような記者がうろついている現在、いっそのことパートナーなしで臨むほうがよいのでは、という考えがちらつく。
スキーターは四人目の代表選手の記事で大いに稼いでいる。だが、世間というものはすぐに飽きるものだ。違うネタを探している。たとえば、姿を見せないクラウチ・シニアの周りをかぎ回っている。ついでとばかりにウルペクラにも接触してきた。
仮にウルペクラが代表選手に選ばれていたら、死喰い人の子が代表選手にゆゆしき事態、とか。いくらでも書きようがあるのだ。
下手をしたら、両親から闇の魔術を仕込まれていて――闇の印を打ち上げたのはレストレンジでは、という記事も書けるだろう。噂という体で、毒の効いたそれを掲載する。刺激的な娯楽として。
「あの人ときたら」
去る夏のことを思い返す。闇の印のつくりかたをさりげなくウルペクラに教えたのはノットの父だ。ひょっとしたら「印を打ち上げた犯人捜し」に魔法省、あるいはクラウチ・シニアが本気になった際、ウルペクラを生け贄にするつもりだったのではないか。頭の回る男である。
ウルペクラはレストレンジ。最も残虐な死喰い人同士の子だ。大臣とて若造でしかないウルペクラを警戒している……。闇の印を打ち上げたのなんて誰でも良い。正体不明が一番怖い、とばかりにウルペクラに的を絞る可能性は十分にある。
――そして
知る前には戻れないものだ。
悩んでいるうちに、森番の小屋付近、囲いが見えてくる。柵にもたれる、魔女の姿も。
「……ダフネ?」
声に、彼女が顔を上げる。冬の鈍い陽に、緑の双眸が深い色を帯びた。
どうした、と問いかければ、彼女は唇を開き、閉じ……緩く編んだ髪をもてあそんだ。まるで、叱られるのが怖い、子どものように。
「乗るか?」
ウルペクラはそっと言い、隣――空の鞍を示した。ダフネの眼が迷うように揺れる。辛抱強く待っていると、彼女の紅唇が戦慄いた。
「あのね、ウル。パートナーは」
「……壁の花になろうかと」
隠しても仕方ないので、正直に答える。よく社交で踊る仲だ。ダフネはもしかして、クリスマスダンスパーティもそのつもりだったのかもしれない。それならば、早く断るべきなのだ。
「いくらでも相手がいるでしょう?」
「いや? 馴染みの面子が集まる場ですら僕は避けられる。ましてやホグワーツには死喰い人を恨む者が多いだろう」
かわいそうな僕、と言ってみせる。なんてことないように。内心はまったく穏やかではない。マッド・アイもリータ・スキーターもクソ食らえ。お陰で、ウルペクラは己の立場を忘れることも許されない。
慎重に行動すべきだろう。どこに隠れがいるかわからない現状で、下手にパートナーを選んでみろ。忠義者同士、仲良くしようではないかとばかりにハリー・ポッター暗殺計画に噛まされるかもしれない。拒めば、パートナーを人質にとる、とか。ないとは思うが。
それかネタに困ったスキーターが「死喰い人の子とパートナー」の記事を書くかもしれない。パートナーにとっては不名誉なことだろう。上流の社交ならば、あのような女など叩き出すものを。叩き出しても、どうにかもぐり込みそうなのが性質が悪い。
それより、なにより「レストレンジ」が憎くて仕方がないであろう御仁の青い義眼に、パートナーの姿を晒したくない。キングズリー・シャックルボルトは信用がおけるが、マッド・アイのことは欠片も信用していないのだ、ウルペクラは。
「ドラコにしておけ。それかデイビースはどうだ?」
くどくど語っても仕方ないので、代替案を出す。ダフネは眉を寄せた。じっとウルペクラを見上げる。緑瞳が、鋭利な光を宿す。
「私がここまで来て、あなたを待っていた理由くらいわかっているでしょう?」
「僕がやんわり否と言っているのがわからないのか?」
「ちなみにドラコはパンジーと行くし、あなたおすすめのロジャーはフラーと行くわ。その他、ほぼ完売」
どこか勝ち誇ったように言うダフネ。ウルペクラは天を仰いだ。彼の内心と反比例して、綺麗な青空である。
「残り物の男子の中で、あなたが一番まとも」
「死喰い人の子――」
「昔から知ってるのに、今更でしょう」
「それこそ、昔から疑問なんだが。なんで僕なんだ」
答えなど知っている。
都合がよいから。爪弾きのレストレンジを、将来の相手と思う者は多くない。が、踊らないと格好がつかない。結果、中立のグリーングラスの令嬢と踊るようになった。
ダフネはあまり純血過激派と距離を詰めたくない。レストレンジは純血過激派、その中でも最悪の部類だが、傾いている。お相手候補にはなりえず、ただの「義務的な踊りの相手」と周囲はみなす。
気楽で、話の合う相手。ひとまず長い夜をやり過ごすための相手。それだけのはずなのだ。
「他の純血大好きな人たちよりもいいし、優しいから」
「いつから反純血主義になった? あと僕は優しくない」
「過激なのは嫌いなのよ――覚えてないの?」
ダフネが唇を噛む。そんなに噛むと傷が、と言い掛け、混乱する。昔から、彼女はウルペクラを気にかけている節があった。単に性格の問題と思っていた。それか、死喰い人の子を哀れんでのことかと。
――違ったのか?
「覚えてないのね」
ダフネが俯く。ゆるく編んだおさげが頼りなく揺れる。
「――悪いが、レディ・グリーングラス」
これ以上は、と冷たく突き放そうとして、
「分家の子ってからかわれた子を、靴を隠された子を助けてくれたわ。自分は裸足になって、女の子に靴を貸して……見つけて」
履かせてくれたのよ、と落とされた呟きに、言葉を失った。
――全然覚えてない
いや、とウルペクラは軋む思考を回転させる。あった気が……あれは七歳の頃だったか。庭園にいた、緑の眼の女の子。どっちつかずの家の、しかも分家なのと泣いていた。
「それがなんだ。僕はレストレンジだぞと言って、」
言を切る。眼を丸くして、逃げようとした女の子。この子もかと無性に腹が立って、手を引いた。裸足なのが気になったので靴を貸した。レストレンジだから、と怖がられるのにうんざりしていた。
「あのときは、ごめんなさい」
ダフネが消え入りそうな声で言う。ウルペクラは機械的に「いや」と返した。ざっと十年は前の話だ。ダフネもよく覚えていたものである。
そう言えば、ダフネは顔を上げた。
「だってあなたがあんな、」
赤みの差した頬から、ウルペクラは眼を逸らした。聞きたいような聞きたくないような。
「靴を見つけて、綺麗にしてくれて。履かせてくれたんだもの」
また隠されたら言え、何度でも履かせてやるって言ったんだもの。
言い募られ、ウルペクラ・レストレンジは白旗を上げた。
令嬢を白馬に誘い、二人で衣装の打ち合わせをし。
クリスマス当日、庭園にて。靴擦れが痛いという彼女のために、応急処置をして、煌めく硝子の靴を履かせてやったのは、いつかどこかで語られるだろう。