クリスマスダンスパーティが終わり、約二ヶ月後。
急な呼び出しにうんざりし、しかしそれをおくびに出さず、ウルペクラは肩をすくめた。
ふむ、と大魔法使いは頷いて、銀色の髭をしごく。深い紫のローブ、挿された黄金と白銀の装飾――古き文字、組まれた方陣がちらちらと輝く。
「君がそれでよいのなら……魔法の眠りについてもらおう」
おやすみ、ウルペクラ。
そう囁かれ……柔らかな響きに身を委ね――。
――疼く痛みに眼を開けた
とっさに、胸に手をやる。柔らかな衣の感触。伝わる熱に、眼を瞑った。どうやら、医務室にいるらしい。
せっかく熟睡できたのに、台無しである。心臓の真上にある闇の印は、ここのところ殊に激しく存在を主張していた。器を失ったあの方こと闇の帝王がホグワーツにおでましになった時以来、印はそれなりに穏和しくしていたのに。夏からこっち、色が濃くなったと思えば脈打った。おや? と思っているうちに四六時中ずきずきと痛むようになった。
あまりに痛む場合は鎮痛剤を煎じて飲み、クリスマスダンスパーティの時は、痛みのあまり集中を切らすなど断じてするまい、と特に強い薬を煎じた。
そして日常に戻り……睡眠時間がじわじわと削られつつも、鎮痛剤の常用だけは避けていた。不眠による少々の不調より、薬による障りのほうが怖かったのだ。
代表的なものが、幸運薬の乱用。不幸を恐れるあまり、毎日飲み続け、狂い、幸運薬の調合に失敗して事故死。あるいは自死。
用法容量を守りましょうね、という話でよく持ち出されるのだ。
魔法薬というものは変身術と同じく取り扱い注意なのだ。年単位の服用を想定していない薬もある。
鎮痛剤は、幸運薬に比べれば激烈な障りはないけれど、注意するに越したことはない。
――ひとまず
一晩よく眠れた。さすがダンブルドアの魔法だ、と言い聞かせる。癒しの眠りの応用だろう。なるべく早く、痛みもなく治るように深く深く眠らせる術。極めて腕のよい盗人ならば覚えている術。なんでも使いようなのだ。ロングボトム邸襲撃の際にも使われていた。密かに守りを突破。使用人たちを眠らせ、蛇のように音もなく、夫妻を襲った。
なぜ眠りの呪文を使ったのか。失神呪文も、死の呪文もいささか派手だから。高名な闇祓い夫妻に、術の使用を気取られたくなかったからとされている。
――もう一晩
眠れないものだろうか。ついうっかりロングボトム夫妻のことを考えたのが悪かった。眠りの術が悪いのだ。悪用する者が悪いのだ。
小さく息を吐き、横向き寝の姿勢をとったとき、軽い音とともにカーテンが開けられた。
「やあおはよう、人質候補二号」
声に、ウルペクラは眼を開ける。嫌々、明るい方を――影が立っている方を見やった。
セドリック・ディゴリーは灰色の眼を細めている。ちょっとばかしお怒りの模様。
「強制的な眠りに就かされて気分が悪いんだが、代表選手その三」
「嘘だ、ステラはすやすや寝てたって言ってた」
「待てよ、なんでお前の恋人に――照れるな馬鹿――僕の寝顔が見られているんだ」
くだらないやりとりを交わす。鬱陶しいから座れと促せば、不機嫌なゴールデンレトリーバーが椅子に腰掛けた。
「君があんまり起きないから心配してたら、彼女が様子を見てくれた。ダフネも来てたけど「熟睡していて結構」って言って、帰って行ったよ」
ダフネは君のことをよくわかっているんだね、と湿っぽさ一割、陰が一割、その他諸々が数割混ざった声音でセドリックは言う。
ウルペクラは鼻で笑った。
「幼馴染だからな。お前たちとは付き合いが違う」
お前たち、と強調する。ホグワーツの代表選手セドリック・ディゴリーとボーバトンの花ことステラ――ステラ・ブランシュは恋人同士である。詳しいことは知らない。告白はいつ? とかどこに惹かれて? とかはどうでもいい。ダンスパーティでは息が合っていたことと、ブランシュの親友、デラクールが祝福していたことは知っている。
あとは、踊りが巧いことくらいか。ウルペクラはボーバトンのお嬢様を通り一遍相手にした。フラー・デラクール、ステラ・ブランシュ、他、姓までは聞かなかった――アンヌ、マルグリット、フランシーヌ――等。その中でも黒髪に青い眼のブランシュは、卓越した踊り手であった。
ウルペクラはセドリックに泣きつかれ、踊りの手ほどきをしてやったものの、別にいらなかったのではないか。ブランシュがなんとかできたはずである。
なんと無駄な時間であったか、と数日の「指導」を思い返しているウルペクラを、水底から響くがごとき、暗い声が引き戻した。
「……他人の恋人が湖に沈もうがどうでもいいウル」
かなり粘っこく、嫌な言い方もあったものだ。ウルペクラはセドリックを軽く睨む。なにが温厚篤実忍耐強いハッフルパフだ。こいつはかなり陰湿で、根に持つ類だ。とにかく粘り腰で諦めず、目的を達成するために努力を惜しまない。
一途、真っ直ぐと言えば聞こえはいいが――拗らせると厄介な性質を持つ。誠実な者ほど、溜め込んで破綻しやすい。無理に矯めた枝ほど、弾けたときの反動が大きいものだ。
普段、無意識に優等生の仮面を着けている男が、妙に湿っぽい側面を見せるようになったのは、ある意味進歩か。地が出てきたということだろう。面倒なことだけれど。
嘆息し、投げやりに返した。
「親善試合だろう。ボーバトンとの親睦を深めるためにブランシュでよかったんだ。あとは……お前たち、見栄えがいいから」
「お褒めにあずかり光栄です」
まったく信じていないようだ。全部、本当のことなのだが。ウルペクラは第二の課題の人質候補だった。が、ブランシュに譲ったのだ。ダンブルドアが人質を溺死させるような下手を打つものか。そんな男がゲラート・グリンデルバルドに勝てるはずがなく、闇の帝王に恐れられもしない。
ほぼ安全となれば、ボーバトンの魔女が湖に沈もうが問題なし。ウルペクラは、情報漏洩防止のために、一晩眠らされた。快眠であった。
「……ちょっと眠っていただけだろう」
「君にはわからないんだ……どれだけ怖かったか……。水中人がいっぱいで、暗いし、槍で……激流、水魔……やたらと迷った」
「全力で助けに行ったんだろう? ブランシュの予想通りだ」
にっこりして、続きを口にした。
「彼女、僕よりも自分が人質になったほうが本気になるって言ってたぞ」
セドリックが言葉に詰まる。じんわりと首筋を赤く染め、
「いやいや君の場合だってたぶん……まあ、しぶとそうだから問題なかったか……?」
とほざいたので、ウルペクラは沈黙呪文をかけてやった。恋人を全力で助けに行く男と揶揄された、照れ隠しなのはわかっているが、多少は腹立たしいものである。
魔法族とて、湖に沈めば死ぬだろうよ。
二分後、セドリックの無言の懇願を受け入れて、呪文を解いてやり、第二の課題の詳細を聞くともなしに聞いた。
そして、瞬いた。
「お前の実力で制限時間超えだと?」
「――ポッターはどうやって鰓昆布を手に入れた?」
三月。ウルペクラは図書館の一角、卓に本を山と積んだ魔女に声をかけた。なにやら熱心に読んでいたので――『隠蔽、潜伏術大全』――重ねて声をかければ、グレンジャーは勢いよく振り返る。
「ミスター・レストレンジ。どうしてここに?」
「来年は高等魔法試験を控えている身だからな、君」
マッド・アイに透明呪文の課題でも与えられたか、と口にしながら、卓を回り込む。グレンジャーの斜め向かいの席に腰掛けた。純血とマグル生まれの適正な距離。
「これは、」
グレンジャーは手を振って、卓の本を曖昧に示す。
「調べ物で……ところで、鰓昆布と聞こえたけれど?」
「ポッターが鰓昆布なんて知っているはずがない。君が知っている確率は低い。貴重なものだが、趣味人向けだ」
「私がいないとハリーがなにもできないみたいじゃない」
「間違ってもいないだろう」
ウルペクラが言えば、グレンジャーはなんとも言えない顔をした。
「評価していただいているようで」
四年生の首席、今年も首席間違いなしの彼女は肩をすくめる。警戒心の強い猫よろしく、茶色い眼を光らせた。
「教えてもいいけれど……」
「情報料か。潔癖そうで抜け目ない」
指を三本立てる。グレンジャーは顔をしかめた。
「ガリオン三枚は多――」
「三十枚」
グレンジャーは額に手を当てて呻いた。これだから貴族って、と聞こえたがウルペクラは黙殺した。これだから庶民は。情報に適正な値を付けただけなのに。
「……えっと、お金はいいの。ただミスター、頭を貸してほしいのだけど」
「君に解けない謎があるのか、ミス・マグル。『秘密の部屋』の謎にたどり着いたというのに」
「私の情報がほしいの、ほしくないの? 褒めてるのけなしてるの?」
グレンジャーはシャーッと唸り、概要を話し始めた。
曰く、彼の忌々しい記者をどうにかしたい、と。
「ああ……」
ウルペクラは虚空を見やった。なるほど? 確かにあの女は忌々しかろう。ポッターの友、森番を中傷する記事を掲載。グレンジャーとクラムとポッターの三角関係記事を掲載。ろくでもない。
「いいぞ。当時の状況を聞かせろ。ちなみに僕があれに最後に会ったのは、十二月。ダンスパーティの前」
心なしか、前のめりになる。グレンジャーはにっこりした。
「あなたも――三角関係……になってるものね」
笑いをこらえようとして、盛大に失敗していた。ウルペクラは礼儀知らずのマグル生まれに沈黙呪文をかけるか迷った。が、我慢してやった。
元からリータ・スキーターのことは気に食わなかったのだが……あれは、先日ウルペクラの尾を踏んだ。
ポッターどもとクラムの三角関係の「ついで」に「セドリック・ディゴリーを巡って争う金髪の貴公子とボーバトンの魔女」という記事を下品な雑誌に掲載した。ご丁寧に写真つき。逢い引き向けの喫茶店でケーキを仲良く食べる野郎二人。十一月撮影。
ポッターの記事で大笑いしていたドラコは凍り付き「まさか……」という顔をした。ダフネは「よりにもよってこの場面? 楽しそうなことね」とウルペクラに冷たく言った。僕はセドリックに引きずられただけで、あの後に皆でお茶会をしただろうと言っても無駄。
セドリックはブランシュに「違うんだあそこのケーキが美味しいのは知っているだろう。今度行こうね」と弁解と逢い引きの誘いを同時にこなしていた。
当のブランシュと言えば「普通、私を巡って争うものでしょう」と正論を述べていた。
控えめに言って地獄であった。
つまり、グレンジャーとウルペクラの利害は一致していた。あの女を片づけるという意味で。
「それでね……」
グレンジャーが口火を切る。
三角関係捏造による地獄を、鋼鉄の箱に叩き込みながら、耳を傾けた。現場はどちらもホグワーツの敷地内。しかし、姿はなかった。マッド・アイに確認したが、透明呪文の可能性は薄い。それにあの女は香水をつけているので、匂うはず。
「ポリジュース薬で変身の線は薄い。誰に化けるというのか。それに、あたりに人影はなかったんだろう」
考え込む。卓の縁を指で撫でた。たとえば盗聴の魔法をかけた品をポッターに付けておく。できなくもないが、その品を回収する手間が発生する。加えて、延々と会話内容を再生するのは苦行。なおかつ、盗聴の証拠が残る。
己で乗り込んで、聞き取って去るほうがよほどいい。
「僕なら、狐に化けて適当にうろつくが……」
単純明快な答えを投げ……ふと瞬く。ぱちり、と指を鳴らした。
「ミス、非合法の動物もどきが禁止されている理由は」
ぴしりと言ってやれば、グレンジャーは流れるように答えた。きっと授業の際もこうなのだろ。
「悪用の危険あり。主に諜報活動……闇の魔法使いの、逃亡――」
ん、とグレンジャーが首を傾げる。その手が栗色の髪にのびた。数拍の間の後、そっと問われた。
「ミスター、動物もどきの範囲は? あなたは銀狐、クラムは鮫」
グレンジャーは察したらしい。ウルペクラは口端を上げ、さらりと口にした。
目につかず、気にも留められない動物もどきの種別とは? の解答を。
「――虫もありえる。今世紀以前の登録簿にはあった」
グレンジャーが立ち上がる。数分もしないうちに、登録簿を持ってきた。
「改訂されてる。リータはいない。あれ、シリウスがいる……」
「担当官の不備で登録が遅れていたらしい」
ウルペクラはさらりと答えた。せっかく助けたのに、非合法の動物もどき容疑で引っ張られたら目覚めが悪い、と手を回したことなどおくびに出さない。レストレンジ家はその気になれば書類を紛れ込ませ、発見させることくらいできるのだ。
「ふうん」
グレンジャーの怪しむような眼をかわす。そして、対価を受け取った。
「ドビーがいたのか。しかもクラウチの妖精まで?」
図書館を出て、ウルペクラは呟いた。最近、厨房に行っていなかったなと思いつつ、考えを巡らせる。
単に違和感を覚えただけ。ちょっとした謎解きのつもりだったのだけど。
――思ったより大がかりなのかもしれない
潜んでいる隠れは、妖精をそそのかした。鰓昆布をスネイプの室から盗ませて、ポッターに献上させた。
奇妙な齟齬。ポッター暗殺計画が進行していると思っていた。成功する可能性は低いとも思っていた。
だが、十四歳の少年があまりに巧くやりすぎている。第一の課題はともかく、第二の課題は明らかに。
「誰かが干渉している」
あのセドリックが制限時間を超え、他の選手も大幅に時間を食った。デラクールなど脱落した。
聞けば、ポッターは水中での呼吸法を発見できていなかった。実は泳げもしなかった。
本来ならば脱落するはずだった。
「――暗殺ではないのか?」
そして、隠れはどこにいる。なにが狙いだ。
問いに、答えはもたらされない。
ただ、闇の印だけが。
帝王の復活、その兆しを告げる。