リータ・スキーターの潜入方法に当たりを付け、後はグレンジャーに任せることにした。ウルペクラは虫を追いかける趣味はなく、その虫の姿にしたってグレンジャーのほうがはっきりと知っている。あの女はグレンジャーの髪にしがみついていたらしい。その時はただの虫と思っていたが、とグレンジャーは顔をしかめていた。いくら記事を書くためとはいえよくやる。その執念だけは買ってやる。
ウルペクラは鬱陶しい虫を排除できればそれでよい。いちいちあれを訴える、あるいは純血貴族レストレンジを侮辱するか、と圧力をかけるのも手間であった。そこまでするほどの相手ではないのだ。
よって、グレンジャーに小瓶を渡し「捕まえて放り込んで利益を引き出せばよい」と言っておいた。マグル生まれの才媛は、ウルペクラの言わんとするところを察したようであった。
いわゆる芸術家――絵師、文筆家などの囲い込み。
『私が交渉して、言うことを聞くかしら』
グレンジャーは言い、ウルペクラは肩をすくめた。
『監獄行きは誰だって嫌だろう』
そして、彼女は未だに虫を捕らえることができていないようだ。
捕まえさえすればどうとでもなるだろう。スキーターの場合、動物もどきを用いて親善試合たる三校対抗試合に水を差すような記事を書き、ついでにマグル生まれを侮辱するような記事を書き、純血貴族を揶揄するようなものを……と素行が悪い。まかり間違って罰金刑などの手ぬるい措置に落ち着きそうになれば、噂を流し、スキーターの悪辣さを民衆に思い出させるとしよう。
腫れ草の膿や呪いをグレンジャーに送りつけた、すぐに煽られる阿呆も阿呆だが、煽られたほうの勝手、読者が求めるものを書くと好き放題しているスキーターも最悪だ。ああいうのは締めたほうがいい。二度とレストレンジを茶化さないように。
――なるほど
僕は結構怒っているのだな、と再確認する。羽根ペンを置き、小さく欠伸をした。五月下旬。さぞ気持ちのよい風が吹いていそうだが、あいにくと自室に籠もり、学期末試験対策に勤しんでいる。闇の印が痛み、集中力が切れるので、早めにとりかかっているのだ。
癖のように、胸に触れる。相も変わらず熱く、痛みがおさまる気配もない。むしろ、じわじわと痛みが酷くなっている。そして――。
「また誰かに、憑依でもしているのか……」
呟き、渋面になる。
闇の印は色を深くしている。濃い藍色から、黒を帯びて。そう遠くないうちに、闇色に変じるであろう。そんな予感がする。
だが、憑依だけならばクィレルの時と変わりない。英国にお戻りになっているとしても、条件は同じだ。
よほど合う器を見つけたか。クィレルの時はおそらく、闇の帝王は反発を受けたはずだ。一つの身体に一つの魂。これが原則とされる。クィレルは死喰い人でもなんでもなく、憑依されて喜ぶわけがない。彼の身体で、二つの魂がせめぎ合っていただろう。不安定な状態だったと思われる。いかに距離が近くとも、闇の印への影響力は減じてたと考えた方が自然だ。
「空の器でも調達して、潜んでいるか」
少なくとも、アルバニアから英国に帰還している。でなくば印がここまで濃くはならない。息を潜め、器の中で休んでいる。最もよいのは血縁者の空の器だろうが、闇の帝王に子はいない。兄弟姉妹もおるまい。だとすれば、そこらの墓でも掘り返し、使い潰すほかない。
――そうして
なにかを待っている。
「ポッターの首がほしいだけにしては、回りくどいのだよな」
言って、羊皮紙に「ハリー・ポッター暗殺計画」を書き、少し考えて「最終目標」と付け足した。
ポッターを気にかけてやる道理はないのだが、隠れの狙いがわからないのも気持ちが悪い。ホグワーツに潜入しているであろう隠れ、おそらく闇の印を打ち上げた忠義者、まんまとゴブレットを騙した実力者の力をもってすれば、十四歳の少年ひとり、片づけることは可能だ。
――事故に見せかける必要などない
むしろ、闇の陣営がポッターを殺した、と喧伝する。生き残った男の子の死、闇の時代が再びやってきた、と高らかに謳うであろう。
闇の帝王は忌々しい敵を討ち、復活を――。
ふっ、となにかが脳裏をかすめる。するりと逃れようとするその緒を、ウルペクラは手繰り寄せようとしたそのとき。
「……いっ、」
闇の印が、脈打った。
息を詰める。衣を握りしめ、ひたすらに耐える。きりきりと歯を食いしばり、嵐をやり過ごす。
熱い呼気を漏らし――数拍。嵐が解けていき、身に馴染んだ、逃れられない痛みだけがあった。
「なんだったんだ」
癇癪でも起こしたような、理不尽で激しい脈動。
ウルペクラの疑問は、虚空にほどけていった。
彼は知らなかった。いいや、ほとんどの生徒は知らなかった。
クラウチ・シニアがホグワーツに現れ、消えたことを。奇妙な一件は伏せられた。いいや、生徒に注意喚起するほどの材料がなかった。ビクトール・クラムは失神させられただけ。彼とともにクラウチ・シニアと遭遇したハリー・ポッターとて、傷一つなかった。
クラウチ・シニアは弱り、狂い、しかも煙のように消え失せていた。なにをどう注意しろというのか。それとも、禁断の森に入って見つけろとでも生徒に呼びかけるのか。
あのマッド・アイですら見つけられなかったものを。クラウチ・シニアがホグワーツからとっくに消えていると思うのが妥当である。
教師およびアルバス・ダンブルドアの判断は間違ってはいなかった。クラウチ・シニアは確かに消えた。
実の息子によって生きながら溶かされ、真っ白い骨となって。
この世から、消えた。
――その事実を
ダンブルドアが知っていれば。クラウチ・シニアが殺害されていたとわかっていれば、事態は別の様相を描いていたのか。凪いだように見えて、ときたま波紋が生じるこの一年の結末を見通せたのか? 否。
大魔法使いと謳われる者とて、万能ではない。ホグワーツに潜んでいるであろう隠れの正体を掴めずにいた。
彼はゲラート・グリンデルバルドのような先視ではない。彼は先視を、占術を眉に唾をつけて見る。大魔法使いが得意とするのは、小さな断片を組み上げて、時に大胆な推測を交えて繋ぎ合わせること。時に彼が「未来を見通す」と畏れられる所以である。
頭脳明晰な大魔法使いには、些細な、しかし重要な欠片が足りなかった。
セブルス・スネイプの下から盗まれた、ポリジュース薬の材料。
盗まれ、腹を立てていたとはいえ、魔法薬学教授があまりにくだらない事件を校長に言うわけがなかった。彼の怒りの矛先は忌々しいハリー・ポッターに向いていたので。ジェームズ・ポッターに生き写しの少年こそが、犯人だと思いこんでいたので。嫌悪が眼を曇らせた。今更、誰がポリジュース薬を求めるというのだと、スネイプは考えるべきであった。
盗まれたものの奇妙さに、思い至るべきであった。
ダンブルドアに耳打ちしていれば、真実への道が明らかになったかもしれない。一定時間ごとに飲まなければ変身を維持できない点と、それができるのは誰か、という点に思い至れば隠れの正体を看破できたかもしれない。
彼は秘密主義、疑り深い。無二の親友に裏切られ、その傾向が加速した。たとえ旧友とて疑うべき欠片が揃えば捕縛していただろう。
しかし、そうはならなかった。スネイプが、そしてマッド・アイと名乗る者が沈黙したまま事態は進行していく。
クラウチ・シニアは物言わぬ骨となり、冷たい土の下。
情報を引き出されたバーサ・ジョーキンズは打算という慈悲によって生かされ、平穏無事に生きている。三校対抗試合という語を聞くたびに、なぜだか緊張しながら。
マグルの老人も生きている。なぜだか、リドルの館に入る気がしないまま。
――そうして
第三の課題の日がやってきた。
六月某日。ウルペクラは試験を終え、第三の課題が終わることを、この一年が無事に終わることを祈った。
闇の印が色を濃くしていることが、ウルペクラの不安を掻き立てていた。三校対抗試合でなにかが起こる――と思わざるを得なかった。
――セドリックには
用心しろよ、と一応言ったけれど。
実は己の方がよほど危ないのではないか。
闇の魔術に対する防衛術教授の室、つまり敵地にてウルペクラは思った。
「よくきた、レストレンジ」
こつ、と義足の音を響かせるマッド・アイは、両腕を広げウルペクラを歓迎した。
手が足りないから第三の課題の迷路の見回りを手伝え、打ち合わせをするぞと呼び出されてみれば、親愛なる闇祓いの様子がおかしい。ついに壊れたのかもしれない、とウルペクラは身構えた。
マッド・アイは上機嫌である。いまにも鼻歌を歌い出しそうなほど。忌々しい「レストレンジ」を片づけんと、昂っている……そうとしか思えない。
「先生も、気を張りつめ通しだったでしょうね。やっと終わる喜びに浸っている……そんなところですか」
相手を刺激しないように、強いて穏やかに声をかける。背を向けて逃亡はありえない。その瞬間に呪文が飛んでくるかもしれず、すべてはウルペクラの被害妄想の可能性もあるのだ。下手なことはしないに限る。
「ああ、そうだ」
震える声で、マッド・アイが返す。扉口に立ったままの――杖に手を添えているウルペクラを――青い眼で眺めやる。
「今日ですべてが終わるのだ。いや、始まるのだ。やっと……」
滑らかに言うマッド・アイ。生身の眼が潤んでいるのを見て取って、ウルペクラの頭脳は、狂った人間への対応手引書を高速で繰った。
相手のことを肯定してやること。けして否定しないこと。相づちを打ってやること。
「なにが終わ……いや、始まるんでしょう? 迷路の見回りの話ですよね」
柔らかく、恐る恐る問いかけた。せめて玄関ホールがよかった、と思わざるを得ない。扉は開け放しているが、実質的に密室で二人きりのようなものだ。廊下に人影はない。逃亡すれば猛獣に食いつかれる――かもしれない。
刺激しないを合言葉に丁寧な対応を心がけていたウルペクラは、次の瞬間凍り付いた。
「我が君の復活だ」
さらりと述べられた言葉。ウルペクラは即座に杖を構える。マッド・アイが? ありえないと思っても、本能は極めて正確に現状を把握していた。
すなわち、目の前の男は敵である、と。
放たれた赤い輝きを、マッド・アイは避ける。くつ、と喉を鳴らした。
「落ち着け、レストレンジ。我が君の寵愛を受けし者」
「隠れか」
「俺は誰でしょう?」
けたけたと、マッド・アイを名乗る者は笑う。杖をウルペクラに向け、退屈そうに言う。ふざけた態度だが、杖先は寸毫も揺らがない。
「お遊びに付き合うつもりはない。我が同志」
返し、呼吸を整える。ウルペクラは即座に狂人に調子を合わせた。相手はウルペクラを仲間と思っている。死喰い人と死喰い人の子を、誰が疑うだろうか。油断して、あらゆる謎を開示してくれれば好都合。
隠れの正体などどうでもよい。この状況をいかに乗り切るかが問題だ。
「――なにをすれば? 隠れ殿」
素直に、熱烈な闇の帝王の信奉者のごとく問いかける。隠れは満足そうに頷き、ウルペクラを手招いた。室の中央に、卓と杯が現れる。
「飲め」
中に踏み入り、杯を見下ろす。なみなみと注がれているのは薬液だ。いったいなにが、と躊躇するウルペクラを、隠れは鼻で笑った。
「毒ではない……怖くて飲めないか?」
ぴかり、と隠れの義眼が光る。彼は素早く杖を振る。はら、となにかが翻る音。視線を滑らせ――「それ」を認め、ウルペクラは卓を蹴った。
倒れる卓、吹き飛ぶ杯から薬液がこぼれる。全身金縛り、失神呪文を繰り出し、ウルペクラは唸った。
「純血を巻き込むとはどういうつもりだ」
「お前が大事に大事にしているからだろう? 保険だよ」
ダフネ・グリーングラスをパートナーに選んだのは、お前の責任。お前のせい。
隠れは哄笑する。金属音にも似た、聞くに耐えない声が幾重にも木霊する。
ウルペクラは縛られ、全身金縛りをかけられ横たえられている魔女の、直線上に陣取った。飛んでくる呪いを避けることはしない。相殺し、時に盾の呪文で弾く。
「中立のグリーングラスに手を出すとは」
囁くような呟きに紛れ『赤雷』を行使。稲妻を帯びたその一撃が、隠れの頬を裂いた。石榴のような赤が覗く。
「我が君の御為。失敗は許されないからな。恋人が人質にされたくらいで情けない」
一、二、三、と呪文が襲い来る。流れるように振るわれた鞭が、そのすべてを食らった。ほう、と隠れは吐息を漏らす。
「――さすが。あの二人の子だけはある。だが……」
斬撃が飛ぶ。ウルペクラは手首を返す。かろうじて軌道を逸らす。ぎゃり、となにかがこすれる音。獣が壁をひっかいたような。
石粉が舞う。白くぼやけた視界に、隠れの影がいびつに歪む。
「甘いんだよ。レストレンジたちは、お前を捧げたというのに」
それとも、恋人を犯せばいいか、壊せばいいか。そうしたら、大事なものは我が君だけになるだろう。
弾む声にウルペクラは総毛立つ。レストレンジたちと親しげに呼ぶ。忠義者。壊す、と、いとも簡単に口にする残忍さ。
「ロングボトムたちはよく粘ったよ。この子はどれだけ耐えられるかな?」
その正体を知った瞬間、ウルペクラは吼えていた。
「バーテミウス・クラウチ・ジュニア!」
赤い稲妻が奔る。粉塵を打ち払う。その間、数秒。隠れことクラウチ・ジュニアはにぃっと笑い――寸の間凍り付いた。
眼を見開く。骨の髄にまで染み込んだ忠義が、狂信が「彼」に膝を突かせた。
「我が――」
主の姿をした者を前にして、たとえそれが七変化の産物であろうとも、身体は動く。狂った心は理性を曇らせる。判断を誤らせる。
黒髪に禍つ星の色彩を仰ぎ見るその面を「闇の帝王の姿をした誰か」は打ち据える。
一度、二度、三度と打って、痙攣した狂信者を蹴る。
即座に変身を解き、ウルペクラは踵を返した。肉の焦げる臭気に顔をしかめ、囚われ人の下へ舞い戻る。
「すまなかった」
膝を突き、ダフネを抱き起こす。慎重に戒めを切り、金縛りをほどいた。
「……ウル、まさか……ごめんなさい」
震える声。ウルペクラは首を振り、ダフネの背をそっとさすった。
「僕のせいだ」
呻くように返し、瘧のように震えるダフネを軽く抱き寄せようとして。彼女の、緑の眼が見開かれた。
「ウル!」
後ろ! と叫び。振り向く。焼けただれた顔をひきつらせ、勝ち誇ったクラウチ・シュニア。
放たれた呪文を避ける暇はなかった。見えざる、
くらり、と視界が明滅する。段々と暗くなる。優しい手をかろうじて押しのけ、ウルペクラは
血が飛沫く。指が、腕が飛ぶ。それでも、クラウチ・ジュニアは笑う。あの地獄、希望のない闇に比べれば、なにほどのものかと。
「……行ってこい」
倒れ込みながら放たれた魔法。それは、ウルペクラの足下に方陣を描く。
青い青い輝きが花開く。
ウルペクラにできたことは、眠りの神に押し負けて、意識が閉ざされるその刹那に。
恋人を突き飛ばすことだけだった。
ウルペクラ・レストレンジが闇の帝王の下へ誘われ、ダフネ・グリーングラスが手負いの獣、クラウチ・ジュニアの制圧に成功し。傷だらけになって、室から転がり出る。
第三の課題――迷路にて暗躍する影はいなくなる。
そのはず、だった。
最奥にて、真の代表選手、セドリック・ディゴリーは呻いた。
倒れ伏し、地に爪を立て、片手を伸ばす。輝く星を掴まんとするように。
恋人だった――いいや、恋人であるその女に。
「ステラ、なんで……」
細い手が、彼の手をきゅっと握る。ステラ・ブランシュと名乗るボーバトン生は、嘆息した。
「ごめんなさいね。きっとあなたが優勝したでしょうに」
でもね、とセドリックの恋人は嘆息した。
「我が君の下にハリー・ポッターを誘うのが私の仕事。それはもう、完遂されるでしょう」
「――最初か、ら?」
セドリックに近づいたのは。最初からこのためか。妨害するためか。
言葉にならない問いを、魔女は肯定も否定もしなかった。
「さようなら」
また会う時は敵同士かしらね。囁き。唇に触れる柔らかなもの。
呪文が放たれた。
永久の別れ、緑の輝きではなく。
ひとときの別れ、赤の輝きが。
すべての邪魔者を排除し、魔女は悠々と歩を進める。
「我が君は復活なさる」
最奥にて、空の壇を認める。紅唇が、完璧な弧を描く。
「私はやり遂げる」
くるくると優雅に杖を振る。青い青い輝きが魔女を飾る。
「我が父よ。どうかお褒めください」
闇の祝祭がはじまる。帝王は再び立ち上がる。
歌い、魔女は転移した。くだらない塵芥を心の内に封じ込めながら。
殺してしまえば楽なのに、そうしなかったことを。恋人の命を惜しんだことを。きっと脅威になるであろうとわかっているのに。
親友の命を惜しんだことを。そのために激しい妨害におよび、第二の課題を脱落させたことを。
「恋人ごっこも、ともだちごっこも」
もうおしまい。
星々と隠れた月乙女だけが、切ない調べを聞いていた。