Black Heart Vulpecula   作:扇架

29 / 29
二十九話

 

 終わりに向かう者の、最期の吐息を思わせる風。か細く、幽かな流れが、無秩序に、茫々と伸びた草を撫でていく。

 空はどこまでも暗く、陰った星々がウルペクラを睥睨している。

――なぜ

 このようなことになったのか。

 気づけばどこともしれない場所にいた。見知らぬ墓地。

 眠りの神の、真綿のごとき呪縛が少し解けたようであった。不可視の、すんなりとした手が遠ざかる……去っていく。けれど、ウルペクラは動けずにいた。闇の印の灼熱が、彼を逃すまいとして。

 それに、彼は戒められていた。四肢を広げ、鉄輪をはめられ、伸びる鎖は地に打ち込まれた杭に繋がっている。監獄の闇に沈んだ者より、なお厳重に。丁重に、荒ぶる獣を留めるかのように。

 さく、さく、と音がする。草を踏み分け、時に払いながら影がやってくる。穢れた場にいるとは思えぬほど、悠揚として迫らざる、その足運び。

 夜闇の黒髪、鮮烈な青の眸。雪を欺く白い肌、珊瑚色の唇。片手に美しい剣を持った魔女が、ウルペクラを見下ろす。

「……かかりが悪かったのかしら」

 ジュニアってば、と魔女が嘆息する。知っている女だった。あまり関わりはなかった。むしろ深い仲だったのはセドリックのはず。

 彼女はセドリックの恋人なのだから。

「あいつは……セドリックは」

 掠れた声を絞り出す。ウルペクラはおぼろげながら、状況を把握していた。墓標に縛り付けられ、眼を見開いているポッター。

 きっと迷路の中で拉致された。転がる、鈍い金色から察するに、ポッターは優勝杯を掴み、転移させられたのだろう。迷路で一人になる瞬間を狙われたのだ。

 そのためには、他の代表選手を排除する必要があった。ポッター以外の者が優勝杯を掴まないよう。

 もう一人の隠れ、ステラ・ブランシュは、セドリックを排除するために近づいたのだろう。となれば、彼がどうなっているか……。

 隠れに、ウルペクラを拘束したであろう女に訊いてどうすると思うも、訊かずにはいられない。

 どうしようもない己の現状を直視するよりはいい。ダフネのことも気がかりだけれども、女に問うたところで答えは得られるまい。

 ウルペクラをどうするつもりだ、と訊いたところで無駄なように。

 わざわざ、己を送り込んだ理由など知らない。もしかしてシリウス・ブラックを救ったことが、叛意ありとみなされたのか。クラウチ・ジュニアがウルペクラを同志と言った事実と符合しないものの、些事であろう。片や気まぐれな闇の帝王。戯れに使用人を始末する男。片やそんな男に心酔している狂人なのだから。

「――無事なんだろうな」

 きっと殺されるであろう者が、死にゆく者が最期に訊くべきことだろうかと思うも、口を衝いてしまった。放たれた言の葉を受け、ブランシュは肩をすくめた。

 

「自分の心配でもしたら? お兄様」

――なにを

 呼びかけは、明らかに自分に向けられたもの。お兄様、と。彼女は呼んだ。

 ウルペクラはきつく眼を瞑り、開いた。印の痛みが、声を戦慄かせる。

「僕にきょうだいはいない」

 そのはずだ、と呻く。ブランシュは怪しく眼を光らせた。

「いいえ。私はデルフィーニ。デルフィーニ・レストレンジ」

 大陸のレストレンジの娘。ボーバトンの生徒。といっても、本当はフラーより下の、五年生。この間、お誕生日だったから、十六歳になったのよ。

 歌うように、デルフィーニが言う。いるか座の名を冠した者が言う。

「フラーとお友達なのは本当よ? 姉妹の契りを結んだの。でもねえこの名前のまま、ホグワーツに潜り込むわけにはいかないでしょう? 目立つものね」

 だから、ステラ・ブランシュと名乗って、皆の記憶をちょっといじったの。

 楽しげに、誇らしげに、デルフィーニは囁く。

 年齢も書き換えて――マダム・マクシームに会いたい人がいるんですと言って、代表選手候補の枠に入れてもらったと。マダムはデルフィーニを気に入っていて、だから、記憶を書き換え易かったと。

「私、お兄様に会いたかったのよ。だって我が家には、もう妖精しかいなくて」

 ねえ、ちょっとは感動してくれない? 私たち、きょうだいなのに。

 ぶつぶつと言って、デルフィーニは手に持った剣の、黄金の柄を撫でる。青玉が主に同意するように煌めいた。

「僕にきょうだいがいたなら、こっちで養育されていたはずだろう」

 ウルペクラは、熱い吐息とともに返す。全身が燃えるようだ。印を中心に、灼熱に侵されているかのよう。

 大陸のレストレンジ。闇の帝王凋落後、連絡が絶えていたと聞いている。子女がいるとも聞いている。それが、男か女か、どんな人物かを知るほどの興味を持たなかった。必要もなかった。大陸は大陸、英国は英国。干渉も、交流も意味を成さないのだから。

 

 お兄様とウルペクラを呼ぶのなら、デルフィーニは英国のレストレンジであろう。叔父のラバスタンが大陸のレストレンジと交わった、その結果生まれたいとこという線もあるが、デルフィーニの口振りはあくまでも親しい兄に対するそれだ。いとこではありえまい。

――なによりも

「デルフィーニ。星の名……ブラックの血筋……」

 一語、一語、押し出すように口にする。極度の緊張と痛みが、舌の動きすら阻害する。

「ええ、私の母はベラトリックス・ブラック(レディ・ブラック)

 初めて呼んでくれた、とデルフィーニは声を弾ませる。無邪気で、どこか寂しくて、恋しい響き。

「お兄様と同じ、星の名前」

「大陸に、養女にでも出されたか」

 まだありえそうな推測を口にする。心の半分で否定しながら。子は多いほうがいい。英国のレストレンジが――父が、後継者候補を無闇に外に出すものか。

「正解。英国にいたら危なかったらしいから。と、いうよりもマルフォイ夫妻が私を手元に置きたがらなくて」

「……マルフォイ?」

 呆けたように呟く。なぜここでマルフォイが出てくるのか。繋がりがわからない。まさか父とシシー叔母が、と青ざめる。ウルペクラの狼狽を読みとったのか、そんな必要もないほど酷い顔をしていたのか、デルフィーニが答えを投げた。

「生まれたのはレストレンジ邸。育ったのはマルフォイの別邸。不忠者のマルフォイは、私のことが邪魔だったのでしょうね」

 退屈そうに、デルフィーニは言う。拗ねたようにウルペクラを見た。

「ベラトリックスの娘。父親はロドルファスじゃないし、ルシウスでもない」

 ゆっくりと、噛んで含むように告げられる。ウルペクラの頭に、染み込んでいく。氷のような、冷たさとともに。

 星の名。ブラックの血筋。父は邸での出産を許容し、マルフォイは手元に置きたがらなかった。それはなぜか。

 レストレンジは忠臣。マルフォイは不忠者。闇の帝王が凋落し、罪を逃れることに必死だった。

 ただの死喰い人の子ならば、ベラトリックスの子ならば、手元で育てていただろう。ロドルファスとの子ならば、レストレンジ邸に返しただろう。追いやるように、大陸にやったその理由。

 いかなる火の粉も、寄せ付けたくなかったから。

――ベラトリックスが

 母が、夫たるロドルファス以外と情を交わすのならばそれは誰か。

 明白な答えに、ウルペクラは喘いだ。ありえると思った。何度も考えて、打ち消した。いるとは聞いていなかったから。

「……闇の帝王と、ベラトリックスの娘」

 ウルペクラは答えを告げる。デルフィーニは満面の笑みを浮かべ、するり、と偽りの羽衣を脱ぎ捨てた。滑らかに、遅滞なく本来の姿に戻っていく。

 陰る星々の儚い輝きに、浮かぶ魔法灯に煌めくのは白銀。

 双眸は、美しくも禍々しい、紅い星の彩。

「それだけじゃないでしょう、お兄様?」

 彼女はそっと首を傾げる。

「私はあなたの異父妹。お父様から印を賜った者。名付けられた者」

 お揃いね、とどこか幼い笑みを浮かべ。

 彼女は剣を振り上げた。

 蒼い炎が剣身を這う。

「そして」

 闇の帝王に血肉を捧げる者。

 

 音もなく、淀みなく。

 邪を滅するとされる剣が、振り下ろされた。

 

 

 谺する叫びを聞く者は、星々と、こぎつねを哀れむ、隠された月乙女。異父妹によって片腕を落とされ、苦しむその様を見るに耐えぬと眼を閉じる。

 血の滴る兄の腕を持って、歩を踏む白いるかと。闇の祝祭に心を躍らせ、大鍋の前に立つ彼女を、見ることしかできない稲妻を印された者。

 闇の帝王の娘は歌う。

 天に言挙げする。

 

「父親の骨、娘の血、しもべの肉、敵の血を」

 ここに。

 大鍋が輝きを帯びる。

 墓土と骨で形作り。女の涙――迂闊な旅人、バーサからとったそれを練り込んでつくった魔法具。隙間なく刻まれているのは古代語だ。我再び生まれ出ん、と。

 ぱしゃん、と水音。捧げられた供物を赤黒い糸となし、縒り合わせるのは邪な神の、(くた)れた指。

 手遊びでもするように、骨と肉と血で紡がれたそれを織っていく。

 ふう、と神が吐息を吹き込む。寵愛する者の、魂を入れてやる。

 にぃっと、三日月の形に唇を歪ませ、不可視の神が去ったとき。

 輝ける闇が現出した。

 

 再び立ち上がった者は言う。最も深い闇へ踏み入った者は言う。

 ああよくやった。デルフィーニ。我が娘よ。

 そしてウルペクラよ。

 お前は最高の名誉を与えられし者。この上、肉まで捧げたとなれば、比肩しうる者などおるまい。我が娘と並び立て。

 

 我が黒き心臓ウルペクラ(My Black Heart Vulpecula)

 お前は、俺様のために生まれてきたのだ。

 

 

 

 同時刻、とある海の彼方にて、男が顔を上げた。

「戻られたか」

 深い深い闇の底。人としての生の果て、希望なき地に、響く声。

 彼は、左腕を、闇を印された腕を掴んだ。灼けるような痛みがなにほどのものであろう。これは、喜ばしい兆し。新たなる闇の時代の産声だ。

「ジュニアがやったか、それともご息女か。両方、というのもありえそうだ」

 闇の帝王の伏せ札は二人。一人はジュニア。父を母を欺いた男。生まれながらの詐欺師。一人はデルフィーニ。闇の帝王の娘。ロドルファスの息子の異父妹。健やかにお育ちになっているはず。

 妻はロドルファスの望みを叶えた。子を授けてくれた。ロドルファスが本当に想っている女の存在に眼を瞑った。ゆえに、主君との交わりを不貞とは思わず、許容した。

 主君の子、そして妻の子の存在を隠さねばならなかった。

 そのために、ロドルファスは幼馴染たちの記憶を書き換えた。毒を退ける血を持っていない、脆い身のご息女が、万が一にでも害されてはならないから。

 秘密を知る者は少ないほうがいい。

 息子のことは、心配していなかった。闇の帝王より印を賜ったウルペクラ。闇を印された者は、蛇の王の毒をも退ける。

 毒と呪いはきょうだいのようなもの。毒を潜ませる悪意と人を呪う心は似たようなもの。

 ウルペクラは、呪いへの耐性も有している。

 その上で。我が君の魂を下賜された。

 その手で、魔法をかけられた。

「毒は効かず、呪いも効かない。心配するだけ無駄だ」

 

 ロドルファス・レストレンジの子、こぎつね座のウルペクラは。

 夜闇の血を継ぎし、最後の『分霊箱』。

 闇の帝王によって寵愛されし、闇の帝王を守る者。

 黒き心臓ウルペクラ(Black Heart Vulpecula)

 そのすべては我が君の御為に。

 

 ひっそりと彼が歌い上げた時。

 遠い墓場で、稲妻を印されし者は、闇を印されし者の手をとって、優勝杯を掴んだ。

 転移する刹那、輝ける剣の、蒼い炎が牙を剥き――。

 

「ウルペクラ!」

 ホグワーツに帰還し、迷路の入口に放り出され、稲妻を印されし者、ハリー・ポッターは叫びをほとばしらせた。

 必死に呼びかける彼は、気づかなかった。

 ウルペクラ・レストレンジの断たれたはずの腕、その傷口から溢れていた夥しい血が止まっていることに。

 失血死していてもおかしくないことに。

 蒼い炎がわずかに触れた背が、ゆっくりと修復を始めていることに。

 彼が闇の品、呪われしものだということに。

 炎から、己を庇ってくれたひとの惨状に混乱するばかり。気づけるはずがなかった。

 

 ハリー・ポッターは知らない。

 己の中に小さな小さな魂の欠片があることを、ウルペクラ・レストレンジが最後にして最高の『分霊箱』であることを。

 こぎつねは、両親によって贄とされたことを。

 その生は、愛ゆえではないのだということを。

 

 両親に愛され、守られた少年は知らない。

 見えざる名残(あい)を刻印された者は知らない。

 

 望まれて生まれてくることは、幸福を約束しないということを。

 

 

 闇の印によって幕を開けた一年が終わる。

 帝王は帰還し、娘は父とともにあり。

 セドリック・ディゴリーは生存し。

 バーテミウス・クラウチ・ジュニアは虚ろとなり。

 ハリー・ポッターは生き延びて。

 ウルペクラ・レストレンジは血に濡れて。

 

 よけいものを生み出さず、幕を閉じる。




四章終了
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

スリザリンの末裔 ~Silver-Haired Wizard’s Legacy~(作者:如月斎)(原作:ハリー・ポッター)

「君は、スリザリンの真の後継者を信じるか?」▼没落したゴーント家を再興しようとする、銀髪の少年、セリクス・ゴーント。▼名門の衰退と再起。歴史に隠された血の因縁───▼彼が辿り着くのは、光か、それとも闇か。▼꧁————————————————————꧂▼ハリー・ポッター二次創作/原作補完+再構築▼シリアス・群像劇・ゆるやかな友情と、時折の微笑みを添えて。▼⚠️…


総合評価:355/評価:7.64/連載:57話/更新日時:2026年07月29日(水) 20:00 小説情報

【完結】Pandora(作者:扇架)(原作:ハリー・ポッター)

フェンネル・ポッター。ハリー・ポッターの双子の兄。▼大悪によって選ばれなかった者。▼額に稲妻持たぬ、印されなかった者である。▼⚠Not虹彩シリーズ▼ハリーの双子の兄、ブンクロ生の物語。秘密の部屋編からスタート。▼※ピクシブ、サイトにも掲載。▼※本編完結。今後は番外編を投げる予定


総合評価:819/評価:8.43/連載:27話/更新日時:2026年05月17日(日) 18:05 小説情報

スリザリンの凡人、なぜか闇の帝王候補扱いされる(作者:ノア)(原作:ハリー・ポッター)

ノア・セルウィンは、スリザリンに入る予定の純血少年である。▼野心はない。▼度胸もない。▼特別な才能も、今のところ特にない。▼あるのは、面倒事を避けるための少しばかりの言葉選びと、最初に小さく嫌だと言わないと後でもっと面倒になる、という妙に現実的な処世術だけだった。▼だが、魔法界は面倒だった。▼血筋。▼家名。▼寮の派閥。▼有名人。▼闇魔術。▼そして、見捨てるに…


総合評価:2296/評価:8.33/連載:5話/更新日時:2026年06月13日(土) 07:10 小説情報

ようこそ根源があふれた魔法の学校へ(作者:shinkyu10)(原作:ハリー・ポッター)

――これは、型月世界の魔術師の歪んだ思考OSを持った凡人が、ハリポタ世界のブラックボックスを解体し、あがき続ける物語。▼1981年11月1日未明、ロンドンで起きた爆発テロ。▼奇跡的に生き残った赤ん坊、エリアス・レンには、前世の記憶があった。▼彼は魔術協会『時計塔』の末端魔術師であり、生まれ持った血統と魔術回路の限界に絶望した末、幼児期から全てをやり直すために…


総合評価:3809/評価:8.64/連載:27話/更新日時:2026年06月08日(月) 17:45 小説情報

ハリー・ポッター 「オーグリーの旗を掲げよ」RTA 1938年シナリオ トム・リドル攻略チャート(作者:魔法省真理部記録局)(原作:ハリー・ポッター)

実績: 「Raise the Augurey Banner(オーグリーの旗を掲げよ)」 イギリスの魔法界元首がDelphiの状態で、「存在の権利」が「魔法族至上」、「存在間隔離」、「文化的排斥」以外である。▼トム・リドルはハゲません。多くの先駆者様に敬意を、そしてみんなも走ろう。


総合評価:1800/評価:8.79/連載:24話/更新日時:2026年07月25日(土) 18:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>