Black Heart Vulpecula   作:扇架

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三話

 

「君の眼から見てどうだね」

 生き残った男の子、ハリー・ポッターは。

 あちこちに竜の装飾が配された大広間、その片隅。薄い色の眼に見つめられ、ウルペクラは肩をすくめた。

「ドラコから訊いたほうが早いのでは?」

 ちら、と大広間の中央――舞踏会場と化している――を見やる。ドラコとパンジー・パーキンソンが踊っている。実に楽しそうである。パンジーは、だが。ドラコのほうは気もそぞろ。こんなくだらない社交なんて放り出して、外でクィディッチがしたいな……と考えていること間違いなし。十一歳にとったら、社交なんて退屈なだけ。大人につきあわされて、いい子にしていなければならない、拷問にも等しい時間だろう。

――十四歳でも

 変わらないが、と手に持った杯を揺らす。主催者たるマルフォイに抜かりがあるわけがない。料理はすべて毒味済みだろう。かわいそうに、ドビーが毒味役に違いない。濃い色の葡萄ジュースに口をつける。妙な味はしない。安全だ、とわかっていてもかすかに躊躇うのは、過去の苦い経験のせいか。それともルシウスを信用できないせいか。

「あれはまだ幼い」

 それに偏った視点でしか物事を見られない。ルシウスがため息を吐く。

「君の方が年長で、生き残った男の子に対しても下手を打たないだろう」

 言って、実に惜しそうにウルペクラを見る。お馴染みの「ああ、ウルペクラが女だったらドラコと娶せるのになあ」である。よかった男で……と噛みしめることしばしばである。

 マルフォイは現状維持に甘んじない。隙あらば地位の向上を図る。であるからして、情報収集に余念がない。

「普通の子ですよ。飛ぶのは巧いですね」

 ルシウスは顎に指を添えた。彼が考え込むときの癖なのだと、ウルペクラは知っている。

「なんらかの――」

「――兆候もなく」

 ふむ、と頷き、ルシウスは周囲を――取り巻きを見やる。ご友人たち。不忠者同盟である。彼らとて子女から情報を入手しているはずだが、いかんせん頼りない。二つ上のウルペクラから話を聞きたがった、というわけだ。

 次の闇の帝王なのでは、と噂される「生き残った男の子」は注目の的なのである。およそ十年前、手に入れ損ねた品がいかなるものか、見定めようとしていると言ってもいい。

 

 闇の帝王がお隠れになった。彼らは戴くべき者を失った。ではどうするか。闇の帝王に子女がいれば後継者として支え、ゆくゆくは己が子を差し出して、結びつきを深める。そんな路線もありえただろう。だが、闇の帝王に子女はいない。都合よく担げる、操れるお人形は存在しなかった。

 血を引いた者がいないのならば、闇の陣営内で誰かが起つ。これもありえた。しかし、スリザリン系筆頭ブラックが没落し、そもそも本家の人間がいなくなった。唯一生存しているのがシリウス・ブラックだが、彼は監獄の中である。

 では、ブラックより劣るが格が高い家が起つのはどうか。マルフォイとレストレンジがこれに該当する。しかも、どちらも分家とはいえブラック家の娘を娶っている。闇の帝王の志を継ぐ……と宣言することは可能だった。

 可能なだけだった。マルフォイは自身が起つのを好まなかった。過去の教訓に学んだのだ。ブラック家を追い落とそうとして仕置きを受けたことが複数回。マグルの女王に手を出そうとして失敗して恥をさらしたこともある。

 レストレンジはどうか。マルフォイとほぼ同格だったが、彼らは真の忠義者であった。「次」について考えるなど言語道断。まずは我が君をお捜し申し上げるのが筋、と独自に行動した。

 マルフォイもレストレンジも己が起つことに消極的だったのだ。怠惰あるいは保身。狂気あるいは忠義。理由は正反対だったけれども。

 

 それでは、闇の陣営は穏和しくするべきか。それとも巻き返しを図るべきか。このまま穢れた血と仲良しごっこをする輩に、勝たせたままでいいのか。めまぐるしい二十四時間。闇の陣営は割れた。囁きを交わし、思惑が入り乱れた。

 生き残った男の子を始末するべきか。いいや、次の闇の帝王かもしれない。

 なんにせよ、手に入れるべき……というのが当時の闇の陣営の、曖昧、無意識にして作り上げられた共通認識だったろう、とは家令夫妻の言である。

 

 当主夫妻が外出し、後を任された彼女たちはせっせと脱出の――あるいは避難の準備を整えていたらしい。事態は混乱の極みにあった。闇の陣営は赤ん坊の小さな拳で粉砕された、蟻塚のような様であった。なにがどう転ぶかわからなかった。嬉々として闇祓いたちが乗り込んでくるやも……と気を引き締めていた。耳を澄ませてみれば、生き残った男の子を手に入れる、始末する、取り込んでしまえ、旗頭にちょうどよい等々、囁かれていたのだという。

『ダンブルドアは』

 混沌とした盤面から、ハリー・ポッターをそっと掬い取り、隠したのです。どちらの陣営にとっても鍵となる赤ん坊は消えました。

――あるいは火種といってもいいかもしれません

 家令夫妻――父の乳兄妹はそう言った。生き残った男の子が魔法界にいれば、争いは避けられなかった。各家――純血派もそうでない者も、やっきとなって赤ん坊を手に入れようとしたでしょう。闇の帝王を打ち倒した、未知なる力を秘めた者には価値がある。彼の後見――親代わりという立場は魅力的だから。

 たとえば、マルフォイが手を回して取り込むこともありえた。手の者に引き取らせる。その夫婦が死ぬ。慈悲深いマルフォイがみなしごを救い出す……。もし、闇の帝王が戻ってきたら献上すればよいだけの話。戻らなければ「生き残った男の子の親代わり」として確固たる地位を築き上げる。

――不名誉な

 レストレンジ家の遺児の親代わりをするよりは、よほど旨味があるだろう。ウルペクラは杯の残りを飲み干す。

 親代わりと思うように、と言う割にはお粗末な態度の「叔父」を見上げた。たまに食事に招かれ、社交に呼ばれる仲である。あとは買い物――ウルペクラの入学準備には噛まなかったくせに、今年は呼びつけられた。ドラコの買い物に付き合わされたのだ。山査子の杖を誇らしげに見せつけられ、適当にいなした。ウルの杖は? と訊かれたので見せてやった。イチィとセストラルのたてがみだ。

 マルフォイご夫妻は「仲良しの従兄弟」で通したいようだが、ウルペクラは甚だ疲れた。仲良くない。あれは子守だ。

 鬱屈を飲み込み、提案した。

「それほどポッターが気になるなら、クィディッチの試合をご覧になれば?」

 聞いただけではわからないでしょう。叔父上はホグワーツの理事。なにかのついでにお寄りになられればいい。

「ダンブルドアの辞任を要求して「ついでに」寄ろうか」

 ルシウスがくすくすと笑う。飽きない叔父である。ダンブルドアの奇行をあげつらい、あらゆる口実で辞任を要求している。年だとか、そろそろ脳が衰えているだとか、長く居座りすぎているとか。ホグワーツの教育水準が下がっているとか。

 あとは、ホグワーツは安全と言えるのか。重箱の隅をつつくように、生徒の事故をあげつらう――のだが。

「辞任を突きつけるのに、足りるかはわかりませんが」

 言いそびれるところであった。ハリー・ポッターは普通の男の子であるが、どうも周りがきな臭い。

 話してみなさい、とルシウスが眼を細める。

「トロール騒動はお聞きに?」

「理事に通達があったが」

「倒したのはハリー・ポッターです」

「……ありえなくはないか」

「トロールは地下で目撃された。だというのにほんの数分で別の階に移動していた。最初から、地下になんていなかったのかもしれない」

 陽動か? ルシウスが呟く。ウルペクラは答えなかった。トロール侵入には不可解な点が多い。誰かが入れたと考えたほうが自然だ。地下へ教師たちを集めるために。トロールは適当に暴れさせる。犯人は目的を達成する……。

――怪しいのは

 四階の廊下、とある室だ。新学期の宴でダンブルドアが「わざわざ」立ち入り禁止と言い渡した。確認だけしておくか、とウルペクラは足を運んだ。鍵の呪文がかかっているだけ。中には三頭犬がいて、ウルペクラをちらりと見て、鼻を鳴らした。ドラコが真夜中の決闘云々と言い出した時はひやりとしたものだ。夜の学校で迷って、まかり間違って入り込んだらことだと思った。

 ドラコが三頭犬にばらばらにされて喜べる神経はしていない。幸い、彼は詰めの甘い罠を仕掛けたのみ。夜にうろつく趣味はなかった……。

 ルシウスを探る。理事には四階の廊下について通達されていないのか。いちいち、教室使用不可だの、廊下通行禁止だの、噛みつきフリスビー禁止だの、持ち込み禁止品の話だの、細かいことを学校側が知らせるわけもないか。

 

 と、なると。

 ふわふわと浮かぶ盆から、杯を手に取る。今度は林檎ジュースを選んだ。

 考えを巡らせ――しかし、心は閉じたまま、さらなる情報を開示する。

「クィディッチ開幕戦で、ハリー・ポッターが箒から落ちそうに」

「ああ」

 ルシウスが顔をしかめる。

「蛙のポッターだったか?」

 それが? クィディッチは激しい競技だ。一年生のシーカーが落ちそうになっても不思議はあるまい。ジェームズ・ポッターの息子であろうとな。もううんざり、という口調だ。ウルペクラは叔父を哀れんだ。手紙で散々聞かされたのだろう。あのポッターが。シーカーに。ニンバス2000ですよ父上! スニッチを飲み込んだんですよ違反じゃありませんか父上! いくら可愛かろうが鬱陶しかったのだろう。気持ちはわかります叔父上。僕は延々とあれの愚痴を聞かされたので。

「ただの転落じゃなかったんです」

 ぱち、とルシウスが瞬く。どっと疲れた顔をして、ウルペクラを手招いた。穏和しく従う。大広間をそっと抜け――途中、ノットから「踊りを代わってくれ」という悲痛な信号を受け取ったが「すまない」と無視し――廊下へ。小部屋に入る。

 かけたまえ、と椅子をすすめられた。

「……それで?」

 優雅な身のこなしで、ルシウスが向かいの席に就く。磨かれた卓に、彼の冷えた眼が映った。

 叔父の虚像を眺め、ウルペクラは口を開く。

「――呪いでは、と」

 言葉を切る。考え考え、呟くように言った。

「箒の制御を失っただけなら、一直線に上昇、あるいは下降するはず。だがあれは……」

「明確な意志があった」

 そう言うのだね? 柔らかく問われ、ウルペクラは首肯した。

「さすがに死の呪文を当てられるかというと」

「こらこら」

 冗談はよしなさい。ルシウスが軽く笑う。白々しい、ひきつった笑みである。

「ドラコは単なる事故と思っているようですが」

 次の瞬間、ルシウスは表情を消した。虚ろな眼で宙を見やる。

「なぜ君が私の息子じゃないんだ?」

「シシー叔母がよかったんでしょう?」

 無言。ひらひらと手を振られる。言うなと。ベラトリックス・ブラックなんて眼中になく、シシーことナルシッサ・ブラックと結びついた叔父。政略婚であるが、実質は恋愛婚である。

 そんな恋愛婚の結晶が少し抜けていても仕方がないではないか。そういう風に育てられたのだから。

 政略婚の結晶たるウルペクラと違うのだ。ドラコは、己の邸の抜け道や、あちこちにある潜伏場所、大陸に巧く逃げたあと、頼るべき家の存在など聞かされていないだろう。

 

 家令夫妻によってウルペクラは叩き込まれているのである。たとえば大陸のレストレンジ家に身を寄せろ、とか。英国のレストレンジも、大陸のレストレンジも弱っているが、かろうじてやりとりはあったらしい。闇の帝王凋落後、連絡が絶えた……と聞かされている。どこのレストレンジも大変なのだきっと。子女がいると聞いた覚えがあるだけの、薄い関係である。頼りになるか不明。

「――行きたまえ。夜はまだ続くのだから」

 ルシウスの囁きに意識を戻す。立ち上がり、一礼。そっと返した。

「子どもは寝る時間、とは言わないのですね」

「ただの子どもとは思っていない」

 ドラコよりよほど、物事をよく見ている。いささか悲しげにおっしゃるではないか。ウルペクラは苦笑い、

「それだけ、彼を愛されているということでしょう」

 と返した。

 正装の裾を翻す。退出し、大広間に戻った。

 

 長い長い夜をやり過ごす。踊った一人はウルペクラが「レストレンジ」だと分かるや否や、にっこりして去っていった。また一人は涙ぐみながら「レストレンジ」と踊った。

「……行け」

 レストレンジのお眼鏡にかなわなかったのでも、レストレンジは乱暴者だったの、でもいいから。

 踊り終え、一礼しながら口にする。こっちが泣きたい気分である。涙ぐんでいる令嬢は、親から強要されてウルペクラと踊ったという。家格が低い者にとって、死喰い人の子だろうがなんだろうが関係ない。純血名門、それも上流と是非とも結びつきたいとお思いらしい。

 令嬢を追い払う。心底面倒になり、視線を巡らせる。いい加減に壁際に引っ込みたい。そう思った時、緑の眼とかち合った。ああ、ダフネもお疲れだ。それなりの家の子と踊ってお開きにしたい、と。

――まあいつものことだけど

 こっちに、と唇を動かせば、ダフネは滑るようにやってきた。これもいつものやりとりだ。手を取り合う。くるりと回転。滑らかで、慣れた動き。

「……長すぎる夜も考えものだ」

 ぽつ、と呟けばダフネは眼を瞑った。

「これでうるさく言われないでしょう」

 純血の宴。純血とされる者たちの社交。

「私はあのレストレンジとまで踊ったのよって?」

 くるくると回る。互いに数はこなした。足も痛いしくたくただ。なんとなく、最後の締めにダフネを選ぶようになった。ダフネも似たようなものだ。疲れているときに、無駄なおしゃべりを聞かされたくはない、と利害が一致している。

「今回も、無事に義務を果たせるようでなによりだよ」

 社交とは面倒なものだ。ふさわしいお相手探しも兼ねている。踊らないでは済まないものだ。

「あなたになら、足を踏まれる心配がないもの」

 気楽よ、と言われる。ウルペクラはいつもの通り、肩をすくめた。

「蠍に刺される心配をするものだろうに」

 穏健派、中立のグリーングラス?

 僕が死喰い人の子だとわかっているか、と暗に問う。ダフネは小さく笑った。

「刺されるようでは」

 隼ではないわね。

 そう『隼』を家紋とする家の娘は宣った。ウルペクラは――『蠍』と『双狼』の混ざり子は、鼻を鳴らした。

 穏やかで賢明なダフネ・グリーングラス。知らないからそんな風に笑っていられるのだ。

 ウルペクラの両親が、ロングボトム夫妻に与えた惨い運命を知れば。

 その笑顔は凍り付くだろう。

 冷え冷えとしたものが胸の底に凍る。やがて、踊り終わる。ダフネと別れを告げ、顔をしかめた。

 心が冷えていても、闇の印は未だに熱を持っている。

 見えないところで、事態は進んでいるのだろう。ダンブルドアは誰かを挑発していた。四階の廊下が立ち入り禁止だと宣言した。

 挑発に誰かが乗った。トロールを入れた。陽動した……。作戦は失敗し、今度はハリー・ポッターを狙った。

 思いつき、推測の積み重ね。テーブルの下で足を蹴り合っている者たちがいる。一人はダンブルドア。一人は……。

 するり、と大広間中央から逃れる。壁際に退避し、息を吐いた。

「お喜びください、父上母上」

 闇の印が疼いている。消えそうだったそれが、息を吹き返した理由。

「あなたたちの我が君は」

 生きておいでだ。

 ホグワーツに入り込めるほどに、お元気だ。

 落とした呟きには、一滴の皮肉が宿っていた。

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