三十話
月乙女は隠れてしまって。金と銀の星々は雲に覆われる。
輝いているのは、紅の星だけ。
自分とお揃いの、その色だけ。
「……破壊しておくべきであった。そうであろう?」
冷えた輝きが、己を見下ろしている。何度も何度も杖を振り、何度も何度も磔刑の呪文をかけながら。
実の娘を――デルフィーニを、責め苛みながら。
――どうして
ひやりと湿った地に頬をつけ、痺れたような思惟の中、デルフィーニは思う。
どうして、どうして。こんなことに。私は頑張ったのに。
こんな目に遭わないといけないのか。
「お、父様……」
掠れ、壊れた声は、黙れと言わんばかりに振られる杖と、灼熱の痛みに引き裂かれる。
デルフィーニはただただ、嵐を堪え忍ぶ。これでも加減しているのだわ、と我慢する。
きっとお父様は、デルフィーニを壊しはしないもの。実の娘だから。
「帰り道を封じておくべきだった。優勝杯を壊しておけば、あの小僧はこの墓場で……死んでいた」
ゆっくりと、父――闇の帝王が言う。ふ、と吐息。声の調子が変わる。冷えたものから、蕩けそうに柔らかな、優しい声音へ。
「そうだな? デルフィーニ」
アルバニアの森に現れたデルフィーニが「娘」と知った時の声。
たまたま出会ったバーサ・ジョーキンズが魔法省の魔女だと聞き、なにか役に立つかもしれない、とデルフィーニが連れて行った時の声。
試しに情報を引き出してみろ、と言われて、そうっとそうっと壊さないようにあれこれと記憶を読みとった時も褒めてくれた。
お前はいい腕をしていると。お陰で、よい宝を手に入れた、と。
我が誇り、と言ってくれた。
嬉しかった。だから、バーサを殺さずにおいた。アルバニア付近で魔法省の魔女が行方不明なんて目立つと思ったのもある。だが、父に褒められた、その礼のつもりも……たぶんあったのかもしれない。
デルフィーニの実力は、父が認めている。繊細に繊細に記憶を編んで、そうっとくるんで、違和感なんて覚えさせないだけの力があるのだ。だって、デルフィーニは魂の繰り手たる、サラザール・スリザリンの末裔なのだから。
父をアルバニアから英国に連れて行った。館で世話を焼いた。墓を掘り返して、たくさん、たくさん身体を調達した。せっかく父に会えたのに、失いたくなかったから。
デルフィーニに家族はいなかった。レストレンジの邸には、妖精しかいなくて。老いた夫婦は、一応の育ての親は、とっくの昔に死んでいた。
彼らはデルフィーニを生かしてくれたけれど、
あれは不吉の運び手、オーグリーと彼女を陰で呼んでいた。
放り出すべきでは、とひそひそと相談していたのも知っていた。
彼らにとって、デルフィーニは厄介者で、お荷物で、邪魔者だったのだ。
その忌まわしい白銀の髪と紅の眼を隠しなさい、と言われた。
――しくしく泣いていると
妖精が慰めてくれた……と思い出す。お嬢様は高貴なお方なのです、と言ってくれた。『例のあの人』は、スリザリンの末裔という噂があります、と。
ああ、あの妖精が慰めてくれないかしら。
茫洋と思い、しかし唇は独りでに動く。
「私の、不手際……です。申し訳……」
ひんやりとしたものが、胸を満たす。慣れた痛みだ。老夫婦によく言っていたから。育ててくださってありがとうございます、と。
こんな孤児に、よくしてくださってありがとうございます、と。
だから、これくらい平気だ。父に磔刑の呪文で躾られるくらい。
己を無価値で汚らしい孤児と思う痛みに比べれば。
「ポッターを、逃がして、しまって……」
たどたどしく言う。
余計なことは口にしない。ひたすらに謝る。地に転がって、闇の帝王を見上げて。
優勝杯計画を考えついたのは、父なのだと言ってはいけない。デルフィーニとジュニアはそれを実行しただけ。デルフィーニのしたことなんて、競技に少し手を出して妨害したことと、よけいなものが優勝杯を掴まないようにしたことだけ。後者なんて本当は、ジュニアと二人でやる計画だった。
ジュニアは不測の事態に見舞われたのか、迷路に現れなかった。あれのことだから「しもべの肉」を送り出しただろうと踏んで、デルフィーニは行動した……。
――いざとなれば
この腕を捧げればよい、と思ってもいた。
腕一本で父に会えるのならば、褒めてもらえるのなら、なにほどのものかと。
「復活の、完璧な夜を台無しにして……ごめんなさい」
小さな小さな声で言う。影が――父が、屈み込む。デルフィーニの首に、手を添えた。
氷のような感触に息を詰めた。
じぃっと紅い紅い眼に見つめられる。探られる。デルフィーニが本当に悔いているのかを。
必死で心を閉じ、眼を瞑った。恐ろしくてならないという風に。
半分以上、本当だった。父は恐ろしい人なのだ。心を覗かれてはいけないのだ、とデルフィーニは悟った。
「――よかろう」
はぁ、と耳朶にかかる息。どこか腐臭をまとうそれが、デルフィーニを犯していく。
「よかろう、我が娘。思えば、お前に無理を言いすぎた。この俺様ですら予想していなかったのだ……仕方があるまい。不問としよう」
「ありがとう、存じます」
慈悲に感謝いたします、偉大なるお方……とデルフィーニが囁けば、父は立ち上がり、ローブを翻した。
「ハリー・ポッター。我が手を逃れたと喜んでいるがよい」
「ウルペクラ・レストレンジ。お前もまた、逃れられぬ。黒き心臓。我が印を刻まれた者」
今は、捨て置く。
うっそりと笑む気配。ひょう、と細く鋭い息を漏らし。
「――それよりも。お前たちに躾が必要だな? よくよく思えば、我が娘だけの責ではあるまい」
杖が振られ、悲鳴が木霊する。杖が振られ、慈悲を請う声が絞り出される。杖が振られ、叫びが生み出される。
闇の饗宴。不忠者どもへ下される罰の、その有様をデルフィーニは見るともなしに見て、聞くともなしに聞く。
そろそろと、仰向けになる。
燃えるような痛みがじわじわと引いていく。
「……こんな、はずじゃなかったのに」
父が生きている。アルバニアの森にいると聞いて、捜しに行った。
死んでしまった老夫婦も、デルフィーニを大陸に追いやった「マルフォイ」も家族ではなかった。
会ったこともない父。本当のお父様が復活すれば、巧くいくと思っていた。
だから、兄の……胤違いの兄の腕を切り落とした。なるべく速やかに、切り口が綺麗になるように。
父が、兄の肉をほしがったから。腕を落としたくらいでは死ぬまいと言ったから。その昔、レギュラスから聞いたおとぎ話の剣ならば、腕を落とすことができよう……と。
手はずでは、眠らせたまま、痛みもなく終わらせるつもりだったのに。
ジュニアのせいだ、と臍を噛む。なにが眠りなら呪いには該当しますまい、レストレンジに効くでしょう、だ。あの無能。
お陰でお兄様がのたうち回るはめになったではないか。蛇の王の毒ですら死なないそうだから、いちかばちかで仮死毒も駄目であろうし。
兄の悲鳴が蘇り、デルフィーニにしんしんとした痛みを、あるいは悲しみを呼び起こさせた。
ポッターに攫われるようにして消えた兄。忌々しい生き残った男の子を逃すまい、と『
迫る炎から、ポッターを庇った兄。
待ってと叫んでも、手遅れだった。背を
「なんにも巧くいかない」
知らず知らず、手を伸ばす。
独りは嫌だった。
お父様とお兄様に会いたかった。家族になりたかった。
家族に似たひとはいた。友人と、恋人と。
似たものでは満足できない、と切り捨てたのは自分。
それが間違いだったなんて、認めたくない。
落ちる雫を、瞬きで払う。けれど、次から次へと生まれ出て、零れて止まらない。
白いるかが伸ばした手の先には、昏い昏い、滲んだ空。
遙か彼方、星までは。
届きそうもなく。
届くはずもない。
赤い眼の白いるか、その手は空っぽのままなのだ。
ウルペクラ・レストレンジ(Vulpecula・Lestrange)
金髪灰眼。スリザリン所属。ハリーたちより二つ上。
七変化、銀狐の動物もどき。
トム・マールヴォロ・リドルの日記に操られた「共犯者」にして、シリウス・ブラックを匿った「共犯者」。
不忠者に裁きを下す者。
赤ん坊の時に闇の印を賜りし者。
印されし者。
『蠍』たるレストレンジの先祖返り。
その血は毒であり、薬である。
その血は毒も呪いも撥ね退ける。
夜闇の血を継ぐ、星を掴むべきその手は空っぽ。
黒き心臓ウルペクラは、望まれて生まれてきた。
その名は闇の帝王より賜り、その器は最後にして最高の『分霊箱』とされ。
片腕は、異父妹によって落とされて。
復活の祝祭の供物となった。
デルフィーニ・レストレンジ
大陸のレストレンジ家の娘。英国のレストレンジ家、その本家と連絡をとりあっていたが、疎遠となった家の子女。
老夫婦が、早死にした娘、その子を引き取った。
記録上はそのようになっている。
戦星と闇の帝王の娘。父たる帝王の凋落後に、大陸のレストレンジ家に託された。
デルフィーニ・レストレンジとしてボーバトンに入学、フラー・デラクールと姉妹の契りを結ぶ。
周りの記憶を書き換えて、三校対抗試合に潜入。
異父兄の片腕を切り落とし、父に捧げた。
ステラ・ブランシュは偽りの姿。
十六歳のデルフィーニ、星を掴むべきその手は空っぽ。
独りぼっちの白いるかである。
セドリック・ディゴリー
ウルペクラの友人。ホグワーツの真の代表選手。
複数の時の枝にて、その末路は悲惨なものである。
此度は生き延び、よけいものではなくなったものの。恋人に一方的に別れを告げられ傷心中。
しかし、彼は不屈の男である。
届かぬ星にも手を伸ばす。
ダフネ・グリーングラス
ウルペクラの恋人。呪われし血を持つ者。
偽マッド・アイを制圧した、勇気あるもの。
月桂樹の名を持つ娘。
彼女の心はとっくのとうにこぎつねのものである。
当のこぎつねだけが、それを知らない。
『赤雷』
アンタレス。レストレンジ家の宝。魔法具。雷纏う鞭である。
『輝けるもの』
ブライト・ブライト。グレニアン白変種。純白の天馬。ベラトリックスの結婚祝いに、ブラック本家から贈られたもの。
『星屑の剣』
アストライア。ブラック家の宝剣。天より降りたる星屑(つまり隕鉄)を鍛え、蒼い炎を込めたもの。
柄は黄金。サファイアがはめられている。剣身には北斗七星が刻まれている。
邪を滅するその剣は『分霊箱』をも打ち砕く。
グリーングラス系譜
【挿絵表示】