「これで、君に手が伸びることはないだろう」
病室に、穏やかな声が響く。ウルペクラは枕と、いくつものクッションで身を支え、声の主を見た。
黒衣を纏ったキングズリー・シャックルボルトは深い色の眼差しで、ウルペクラを――銀の腕を見つめている。その面に刷かれているのは安堵だ。
「闇の帝王ならば、聖マンゴを瓦礫にできましょう」
ウルペクラは投げやりに返した。呑気な闇祓いに苛立ちがこみ上げる。ダンブルドアが帰って――きっとダフネを伴っていたのだろう――数時間後に闇祓いが現れた。ウルペクラは状況が掴めないままに、彼の訪問を受け入れることになった。
目覚めてからこっち、ダフネやダンブルドアが訪ねて来て、少々のやりとりがあり、洒落にならない情報開示があったものの、実のところ今が何月何日なのかすらウルペクラは知らないのだ。
もちろん、闇の帝王復活以降の世界がどうなっているのかも知らない。ダンブルドアは最も重要な件――ウルペクラの内側の話――に触れ、託された銀の腕を渡し、最後に「騎士団に協力しておくれ」と言い、去っていったのだから。手土産を持参するまでもなく、ウルペクラもといレストレンジは、騎士団入り決定のようだ。両方の陣営からのらりくらりと逃げる段階はとうに過ぎた。
ほとんど情報を持っていないウルペクラは、もしや闇祓いが自分を捕まえにきたのでは……と危惧していた。が、シャックルボルトの様子を見る限り、そうではないらしい。復活が周知されていたならば、片っ端から怪しげな連中を捕まえていてもおかしくないのに。ウルペクラは「闇の帝王の復活に貢献した」として捕縛対象だろう。
こちらは疲れて、緊張もしているというのに、シャックルボルトは平然としていて、つまるところ通常運転だ。ウルペクラの分が悪い。余計なことまで話してしまいそうだ。
いくら親しげに――親戚のように振る舞われようが、気をゆるめるまい。訪問の目的はおそらく聴取。それにしては、言動が奇妙なのだが。誰の手が伸びるって?
「……ああ、そちらではない」
眼を細めるウルペクラに、シャックルボルトは首を振った。
「甘党のお方だ」
シャックルボルトは語り始める。甘党のお方こと、毒にも薬にもならぬ凡夫、コーネリウス・ファッジ魔法大臣が、少々暴走しかけているのだと。
「六月のあの日、一報を受けて私とトンクスは大臣の護衛としてホグワーツに向かった。が、大臣は厄介事など御免らしくてね。ヴォルデモートの復活をお認めにならなかった」
認めない、黙殺したのならば表向きは平穏無事なのでは。思いはしたが、ウルペクラは続きを待った。口を挟まずとも、シャックルボルトはなめらかに、わかりやすく説明してくれることだろう。
「ダンブルドアは呆けていると言い、ハリーはおかしくなっていると言い、君が重傷を負ったことも狂言で片づけようとした。闇の世界の再来を望めばこそ「レストレンジ」が跳梁し、影も形もない我が君のため、動いたのだと」
シャックルボルトは一瞬の半分で息を整え、言を次いだ。
「ヴォルデモートの復活を望む輩がいるなど許せない、ありえない、と手近な関係者に言いがかりをつけようとしているところだ」
「レストレンジのほかは? 我が叔母の嫁ぎ先とか」
ウルペクラはそっと問いかけた。魔法大臣の浅慮には驚くまい。レストレンジは警戒されていた。幼い時から監視がついていたらしい。
いつの頃からか、監視は外れたようだが『秘密の部屋』事件、そしてシリウス・ブラックの脱獄および隠れ死喰い人の捕縛が魔法大臣のか細い神経を一度、二度、三度、と刺激した。闇の印事件がとどめとなり、ルーファス・スクリムジョールの命で大変ゆるい監視が付けられたのは記憶に新しい。
危険物をどこかに放り込んでしまえ、と大臣が動くのも無理はないのだ。問題はその範囲である。ルシウスが監獄にぶち込まれようがどうでもいいが、叔母と従弟はただの家族で、関係者だ。闇を印されたわけではない。監獄行きは酷であろう。
「マルフォイ家をはじめとした不忠者たちに、大臣は手を出すつもりはないようだ。裁判で無罪となっているから。彼の標的は君とバグノールド閣下のご息女だった」
「最後の魔法大臣として歴史に名を刻みたいらしい」
馬鹿馬鹿しいと吐き捨てなかっただけ、ウルペクラは理性的であろう。よりにもよって先の大臣、ミリセント・バグノールド閣下のご息女に言いがかりをつけようとするとは? 甘味の食べ過ぎで、脳まで砂糖漬けになったとみえる。
砂糖漬けの魔法大臣はレストレンジとクラウチをまとめてどこかにやりたいらしかった。バグノールド家のご息女は養女なのだ。出自はバーテミウス・クラウチ・シニアの娘。忌々しいジュニアの妹。つまり、ウルペクラと同じく、ロングボトム夫妻を壊した怪物の血縁。
社交でちらと見かけたことはあるが、大臣のご息女にふさわしい教養を有していた。その挙措は優雅であった。ウルペクラと同じ星の眼には陰があった……。
いくらなんでも無茶だ。「レストレンジ」は排除できるだろうが、バグノールドは無理だ。ミリセント・バグノールド、黒髪のドラゴンが火を噴いて暴れ、魔法省は崩壊するに決まっている。長く大臣の座にあり、全盛期の闇の帝王と干戈を交え、無傷とはいかずとも、英国魔法界を守りきった女傑である。そこらの腑抜けとはわけが違う。たとえ戦の終わりが赤ん坊によってもたらされたものであろうと、ミリセント・バグノールドの名声は揺るぎない。
「幸い、閣下のご息女は難を逃れた。某家の子息と婚約したのでね」
「それはよかった」
さて、どこの家かなと考えるも、どうでもよいことだと思い直す。ご息女が魔の手を逃れたのならそれでよし。怪物の妹だからという理由で、監獄に入れられるなどあってはならないだろう。
怪物たちの息子かつ、自身も怪物であるのと、怪物の妹であるのは、どちらのほうが罪が重いのだろうか、と考えて、シャックルボルトに水を向ける。
「それで? あれが僕に手を出せないというのは」
あれ、と魔法大臣を呼んでも、シャックルボルトは肩をすくめるだけだった。
「ニコラス・フラメルが誰かに贈り物をするなど前代未聞だ。君は彼の庇護を――故人だが――得たことになる」
「道案内しただけなのに」
ダンブルドアにも言ったものだ。僕は道案内しただけですよ、と。成り行きの、ちょっとした縁がとんでもないものを引き寄せてしまった。
「大事にしたまえよ」
シャックルボルトは言い、つらつらと雑談を始めた。たとえば、偽マッド・アイことジュニアは廃人になり、処理されたとか。ポリジュース薬の長期服用の弊害で、彼の片足と片眼は失われていた上に、ウルペクラの手によって、腕一本と指数本が欠けていたとか。
あとは、ルーファス・スクリムジョールに届けるための聴取。魔法大臣がおかしくなろうが、闇祓いは独自に動くらしい。どうせシャックルボルトの訪問はただのお見舞いという体になるのだろうが。
「これはスクリムジョールから。状態次第だがおいで、と。代理人も可だそうだ」
シャックルボルトは封筒を取り出す。ウルペクラは銀の腕を伸ばした。
「局長殿と敵対するつもりはありませんが」
封筒の中身は、ノグテイル狩りの招待状であった。招待という名の偵察ではあるまいか、というウルペクラの疑念を察したのだろう。シャックルボルトはくっと笑った。
「この世は善と悪ではっきりと分かれるわけではない。レストレンジだからといって気にしないということだ……これは私の独り言だが、個人的に君を買っているようだ」
「ご冗談を」
鼻で笑う。約一年前にスクリムジョールはシャックルボルトを通じてノグテイル狩りへの招待を匂わせていた。が、本当に招待するか? 死喰い人の子を?
「生まれですべてが決まるわけではない、とスクリムジョールからの伝言だ」
シャックルボルトはさらりと口にし、流れるように席を立ち、去っていった。その背を見送って、ウルペクラは招待状を矯めつ眇めつした。
「綺麗事がお好きな局長殿だよ」
それとも、と視線をさまよわせる。ルーファス・スクリムジョールは綺麗事を言ってやりたい誰かでもいるのだろうか。
どいつもこいつも勝手だ。ウルペクラがどういった存在かもしらないで。
唸り、布団に潜り込む。何度も何度も生身の左手で、銀色の腕に触れた。美しい腕。伝説の錬金術師からの贈り物。
――彼は
あの老人は、この未来を視ていたのだろう。そして、わざわざウルペクラのために腕をこしらえた。五種の魔法生物の姿を彫り込んだ、庇護の証を。
なぜ、と思う。思って、ダンブルドアにも訊いた。そうしたら大魔法使いはこう答えた。
ただ贈りたかったのだろう、と。ウルペクラ、君にとってはただの道案内だったのかもしれない。
フラメルにとっては、別の意味があったのかもしれない。訊くことはできない。彼は逝ってしまったから。
ただ、少し縁があっただけの少年の、道案内をしてくれた少年の、幸福を願ったのだろう。
誰かの幸せを願うのに、理由はいらないじゃろう?
「……この未来がわかっていたのなら」
ひっそりと、囁いた。
「あのとき、僕を殺していればよかったのに」
ウルペクラ・レストレンジは。
誰かに幸福を願われるような存在ではない。
破滅を願われるべき、忌まわしい『分霊箱』だ。