ロケットは紅蓮の炎に包まれて。指輪は剣に貫かれ。
闇の帝王の『分霊箱』は命脈を絶たれた。
ブラック別邸――不死鳥の騎士団本部――に招かれてからというもの、ウルペクラは暇を持て余していた。銀狐になったままなのだから、できることが少ないのだ。
たとえば、ウィーズリーの小さいのの勉強をみてやったりだとか……グレンジャーが妖精の福祉について声高らかに宣言するのを聞いてやったりだとか。銀狐でも、多少は文字が書けるし――書類に署名くらいなら、魔法でなんとかなる――鳴いたり尾を振ったりして、どうにか意思疎通が図れる。
つまるところ、子守りである。ウィーズリー家は血を裏切る者でハリー・ポッターの友。闇の陣営に狙われるに決まっている。家族丸ごと騎士団入りである。といっても、未成年者にたいそうな仕事があるわけがなく、せいせい家事手伝い程度だ。ウィーズリー夫人いわく「子どもはよく食べてお手伝いして、勉強して、よく寝ること」らしい。
では子どもたちの面倒を誰がみるかというと、役立たずの銀狐くらいしかいない。ウィーズリーの忌々しい双子は、れっきとした成人のはずなのだが、まったくあてにならない。姿くらましの着地点を誤って、ウルペクラの上に降ってきたことは記憶に新しい。
レストレンジ家の家令の一、ロクサーヌが双子を拘束し、夏の庭に放り出していたことも記憶に新しい。お前たちときたら、若様に無体を、と冷ややかに言っていた。ウルペクラは強いて止めなかった。成人二人に押し潰されて、目を回していて、止められるわけがなかったのだ。
くだらない、騒々しい日々だが、ウルペクラにはありがたかった。誰だって『分霊箱』、胤違いの不義の子について、四六時中考えたくはあるまい。
広げられた教科書の「ニガヨモギ」の項目を前足で叩きながら――ウィーズリーの小さいのの、魔法薬学の課題――ウルペクラは物思いにふける。
考えたくなくとも、どうしても脳裏に過ぎる。『分霊箱』を壊すもの、ひいては己を殺すものについて。胤違いの妹について。
『分霊箱』には強力な守りが敷かれている。幾重にも、幾重にも。破壊できる手段、物質は少ない。
先日――ウルペクラが退院した七月半ば、悪霊の火が破壊手段の一つだと判明した。蛇の王の毒を吸ったグリフィンドールの剣については割愛。
『君を殺せるとしたら、悪霊の火かそれに匹敵する魔法。安全性、行使しやすさを考えるならば『星屑の剣』』
そう、さらりと言ったのはレギュラスであった。煙を上げるロケットの残骸を慎重に検分しながら、あれこれと説明してくださった。
たとえば、レギュラス発見の契機となったのは、デルフィーニが『星屑の剣』をブラック家から持ち出し……いいや、盗んだからだとか。
ポッターから墓場の一件について聞きもしやと思ったシリウスが、ブラック本邸に乗り込んだところ、留守を守っていた妖精からあれこれと「聞いた」らしい。直系権限による命令を妖精は拒めず、あらゆる秘密を吐いた。その中にロケットと「レギュラス様」の情報があった。
ほう、お前はブラック家の血筋なら誰でも入れると? ふざけるなよ。ただの不審者だろうがデルフィーニは。
はあ? 弟が謎の洞窟で死んでいるだと? といくら絶縁していようが、さすがに遺体くらいは回収すべきかとシリウスは出かけていって――石化したレギュラスを発見――中略――レストレンジ家にたっぷりあったマンドレイク回復薬――復活。
意識を取り戻したレギュラス・ブラック。石化の恩恵で二十代前半の容姿――は『分霊箱』についてダンブルドアに情報提供。「親愛なる「我が君」は指輪をはめていましたね。ゴーントの指輪と言っていた」と証言し――。
かくして、ウルペクラが入院している間に、宝探しが敢行されていた。
闇の帝王もデルフィーニも、復活から一ヶ月も経たないうちに『分霊箱』が二つも破壊されたなど、思いもしないだろう。
すべては、ポッターのお陰と言えるが。彼が墓場から生きて帰って、ダンブルドアに詳らかに告げたからこそ、迅速に事が運んだのだ。
――甘いところはあるが
どうも、デルフィーニの出自について「ウルペクラの妹だ」という言い方をしたらしい。真っ正直に「闇の帝王とベラトリックスという死喰い人の娘」とは言わず。事実を一部伏せた開示だ。
無論、ダンブルドアは「デルフィーニ・レストレンジ」の正体を察した。ポッターがデルフィーニの容姿――本来の姿について触れたからだ。白銀の髪に赤い眼だということを。マグル育ちのポッターは、デルフィーニが纏う色彩、その意味を知らなかったのだ。白銀の髪と赤――紅の眼は、スリザリンの色なのである。
ポッターがあえてダンブルドアに情報を伏せようとした動機はわからない。賢者の石奪取を阻もうとしたり、友人の妹というだけの子を助けに行ったりする少年だ。英雄気質。
まっとうな正義感の持ち主の割には、両親の死の原因であるワームテールを殺そうとしなかったり、死喰い人の息子であるウルペクラを疎まなかったり、デルフィーニに関して明言を避けたり、と謎である。ウルペクラがポッターならば、ワームテールは八つ裂きにして獣の餌にしている。デルフィーニに関してはわからない。白黒はっきりつけず、味方にする目を残す……と考えて、ポッターが動いたのならば、スリザリンに勧誘するが。
そんな英雄ポッターは、八月になってもマグルの家に閉じこめられているようだ。
ダンブルドアはポッターをマグルの家になるべく長く押し込めたいようで、別邸への移送を渋っているようだ。そも、ブラック別邸――シリウスが叔父のアルファードから相続した邸のひとつ――の守りを固める工程に時間を食った。忠誠の術を仕掛けるのにも時間を食った、と諸々の理由はあるものの、そんなことはポッターが知るわけがない。
グレンジャーとウィーズリーの末息子曰く「めちゃくちゃ怒っている」そうで、ウルペクラの読みではポッターの癇癪玉は破裂寸前だ。
――無理もないか
ウィーズリーの小さいのの課題を横目で見つつ、ウルペクラは小さく息を吐いた。
闇の帝王と一騎打ちして生き延びた。だというのにマグルの家に軟禁状態だ。ないがしろにされたと思って当然で、グレンジャーやウィーズリーの末息子に八つ当たりしても致し方なしであろう。
ウルペクラは、ポッターに少々甘い自覚はある。従弟のドラコよりは好感が持てると思っている節がある。それよりなにより、ポッターがいなければ、ウルペクラは否応なしに闇の陣営入りを果たしていて、今頃闇の帝王のおそばに侍っていた可能性が大。胤違いの妹とともに。
元より闇の印を刻まれた身。ウルペクラの未来は決まっていた。ダンブルドアの下に駆け込む道もあったろうが、なんの保証もなく、その可能性はただ空に描いただけの、星座に等しかった。掴み取れるはずもなく、眺めるだけのもの。
ポッターにとったら当たり前の行動。ウルペクラを連れて帰ったという選択は、ポッター自身が思うよりも大きな意味がある。
すなわち、生き残った男の子が死喰い人の息子の手を取った。見捨てなかった。それだけの価値があり、悪人ではないのだと。
あのお人好しはなんにも考えていないのだろうが。
だからこその英雄なのだ、と眼を瞑った時、耳がかすかな音を捉えた。
――ご帰宅か
椅子――子ども用のそれから飛び降りる。軽やかにとはいかず、少しよろけた。
三本足でのたのたと室を出た。銀狐の仕事のひとつ、お出迎えである。もし招かれざる訪問者であれば、報せ、脱出を促すつもりだ。邸には幾重もの防護が敷かれているし、忠誠の術も仕掛けられているものの、何事も絶対はない。
玄関ホールで座って待っていると、扉が開いた。現れたのはウィーズリー家の家長、アーサー・ウィーズリーだ。
慌てたように飛び込んできた彼は、つんのめるようにして立ち止まり、軽く膝を曲げ、ウルペクラを撫でた。
どいつもこいつも、ウルペクラが人だということを忘れたようで、なにかにつけ撫でてくるのである。
「大変なことになった」
アーサーの手つきは珍しく乱暴だった。気を落ち着かせるためか、何度も何度もウルペクラを撫でる。
「ハリーが吸魂鬼に襲われた」
眼を丸くしているウルペクラは知らなかった。彼には先視の能力がなかったから。
翌日「かわいいぬいぐるみになってくれよ」とセドリックによってリュックにぶちこまれ、付き添い姿くらまし。マグル宅に到着。
混乱し、怒り狂っているポッターへの盾として使われることなんて。
たいていの人間は、動物には弱いものである。
――そして
「三本足……痛そうだよね。火傷は大丈夫?」
長い長い飛行の旅を終え、ブラック別邸の廊下で、ウルペクラはポッターに撫でられていた。
誰しも癒しが必要なこともあろう、とウルペクラは我慢した。
「僕のこと、庇ってくれただろう? ありがとう」
ウルペクラは呆れた。じぃっと緑の眼を見上げても、彼は不思議そうにするばかり。単純に、庇われたから礼を言った。それだけだというように。
「僕、君がいなかったら、たぶん死んでたよ。あの炎に焼かれて」
ぽつん、とポッターがこぼす。小さな小さな声で。
なにを恥じることがある。なにを情けなく思うことがある、とウルペクラは床をひっかいた。
ウルペクラの苛立ちをよそに、ポッターは告白する。友人たちにも後見人にも、ダンブルドアにも言えない本音を。
「焼かれかけたのに、デルフィーニのことを悪く思えなかったんだ。彼女……君のことをお兄様って呼んで、待ってって叫んでた……」
憎むべきなのに。あんまりにも寂しそうで。
「――無理に憎む必要はないだろう」
ウルペクラは、そう返していた。銀狐から、人へと戻って。ポッターの善人っぷりに呆れたせいで、変身の不調も吹き飛んでしまったのだろう。
壁によりかかり、ウルペクラはポッターを見下ろす。
「あれは哀れな孤児だから。父と慕った男には利用されるばかり。認められたいがために、胤違いの兄たる僕の、腕を切り落とすほどに……飢えている。お前は虐げられて育ったせいか、弱くてかわいそうなものに同情するきらいがある」
「なんだか、僕がめちゃくちゃいい人に聞こえるんだけど」
「真実、お前は善い人間だよ。他人のために命を投げ出せる類。早死にするともいえる」
「……僕は、生まれで判断したくなかっただけだ。そりゃあ君の腕を切り落としたけれど、僕は危うく殺されそうになったんだろうけど……あの男の娘だからって、怪物扱いはしたくない……」
ポッターは下を向いてぼそぼそと言う。ウルペクラは瞬いた。どこかのセドリックのようなことを言うではないか。怪物の子は怪物と、切り捨てたほうが楽だろうに。
ニコラス・フラメルといい、ポッターといい、セドリックといい。
どいつもこいつもいかれている。
いかれているが、ほんの少しだけ、ウルペクラの心は救われた。
デルフィーニが怪物の子ならば、ウルペクラとて怪物の子だから。
「……もう寝ろ」
言って、ウルペクラは踵を返し、割り当てられた室へ向かう。無事に人の姿に戻れたことだし、務めを果たすかな、と考えながら。
数日後、レストレンジ邸に戻り『分霊箱』を回収した。
そうして、ブラック別邸にて、儀式は執り行われた。
魔法の環の中で、燃え上がる炎。悲鳴を上げて崩れていく黄金のカップと銀の冠――髪飾り。
美しい蒼を眸に映し、ウルペクラは呟く。
「デルフィーニ。お前の父上の心臓は」
あと一つ。
こぎつね座のウルペクラ。闇の帝王の黒き心臓のみ。
くつりと笑ったウルペクラに、成り行きを見守っていたレギュラスが声をかける。
「先のことを憂いても仕方がない。神秘部に集中しようじゃないか?」
レギュラスが席に着き、シリウスは『分霊箱』の残骸を回収した。後でダンブルドアの下にでも持って行くのだろう。
ウルペクラもレギュラスに倣う。ちらり、とブラック家の兄弟を見やった。
「あなたがたのところにも、神秘部の資料があるはずでは? 古い名門なんですから」
「いいや、お前の家のほうが確実だね」
シリウスは卓の端にハンカチ――『分霊箱』の残骸を包んだもの――を除ける。
「なにせレストレンジ家は魔法大臣を輩出した。それも、神秘部を廃止しようとした筋金入り――」
兄の言を、弟が引き取った。
「ラドルファス・レストレンジ」
狂ったレストレンジ。神秘を憎み嫌った男を。