ラドルファス・レストレンジ。第■■代魔法大臣。就任期間は数年。女傑ミリセント・バグノールドのような長期政権を敷いたわけではなく、どこかの代の魔法大臣のように二ヶ月で辞任などという恥をさらしたわけでもない。ほどほどの期間、英国魔法界を掌握し、その座を後任に明け渡した。
ただし、と魔法史家は綴る。
彼の魔法大臣は、神秘部を廃止しようとした。目論見は破綻し、ラドルファス・レストレンジは退いたのだ――。
「――と、いうことになっている」
『分霊箱』――なんと本物のハッフルパフのカップと、レイブンクローの髪飾りであろうとはダンブルドアの言――破壊から数日。
ウルペクラは、卓に何枚もの羊皮紙を並べた。そこには様々な図や注釈が描かれている。地下■階から最下層まで数字が振られ、神秘部の秘密の紗を丁寧に剥いでいた。
「あなたがたの言うように、ラドルファスは神秘部を廃止しようとした。潰そうとするからには、詳細な資料だって手に入れているだろう……という読みは正しかった」
ちら、とブラック兄弟を見やり、ウルペクラは古びた羊皮紙を撫でる。神秘部は謎の多い部署である。寄るな触るな関わるな、という部署でもある。得体の知れない部署で、基本的には無害である。その昔逆転時計の実験で大事故を起こしたことはあるらしいが。
躍起になって廃止するような部署ではないのは確かである。時の魔法大臣パーセウス・パーキンソンのようにマグルとの結婚禁止政策を打ち出し、純血保護局をつくろうとして頓挫したような、それかジョセフィナ・フリントのようにマグル管理部をつくろうとして――以下略――のような性質のものではない。純血保護局にしろマグル管理部にしろ、成立前に潰されたようだが。
狂ったレストレンジ。神秘を憎み嫌った男、とラドルファスは嘲笑されたという。わざわざ、手を出さなくてもよいところに手を出して自滅したと。
「ラドルファスは神秘部を根絶やしにするつもりだった」
「穏やかじゃないな」
口を挟んだのはシリウスだ。羊皮紙――図面を眺め、顔をしかめている。その指は「予言の間」という文字を撫でていた。
「ラドルファスの在任時、神秘部員が随分と減ったようだが?」
今度はレギュラスだ。ブラック家とて古い名家である。昔々のことが言い伝えられていてもおかしくはなく、なんらかの記録があってもおかしくはない。ただし、彼ら――ブラック家が知っているのは神秘部廃止の表向きの話だ。
「魔法史は間違ってはない。ラドルファスは神秘部を廃止しようとした。果たせずに、辞任した。長い長い魔法界の歴史の、ほんの一行じゃあそれだけ記述するのがせいぜいだ」
ウルペクラは
神秘部は健在。だが、神秘部最深部「死の門」を祀り管理する部門と対となっていた、というその部門――蘇りを研究する――は消滅していた。
「我が祖の本命は蘇り部門だった。最大の目的はそこだった。手記によると憎くて憎くて仕方なかったようだ」
レストレンジ家の書庫にあった古びた手記を思い返し、ウルペクラは呟く。ラドルファスが細やかな性格で助かったというべきか。お陰で神秘部の情報が手に入った。図面まであるのだから完璧だ。魔法史にはラドルファスの大臣就任以前の経歴までは記載されていないが、彼は一時期神秘部に所属していたようだ。
彼は記録を残した。細かく細かく図面を書き起こした。その性質は末裔たるロドルファス――ウルペクラの父――にも引き継がれているのかもしれない。
父もまた細やかな性質であるようだ。闇の帝王のご息女の身の安全のため、家令夫妻の記憶を丁寧に書き換えた。レストレンジ邸でベラトリックスは出産したが、生まれた子は死産だった、と。
ついでに、大陸のレストレンジに遠縁の子がいると植え付けた。さらなる保険として、ご息女ことデルフィーニをレストレンジ邸から出し、マルフォイ家に預けた。何事かあれば大陸のレストレンジ、その家筋の一つに養女に出せ、と指示を出していても不思議ではない。
股のゆるい、倫理観のない「妻」の子のためによくやる。父はどうかしている……とげんなりした。主君の子ならば問題ないと割り切ったのかどうなのか。突然胤違いの妹が出現したウルペクラの心情もおもんばかってもよいだろうに。
「単なる占い嫌い、神秘嫌い、わけのわからないものは排除、ではないと?」
レギュラスが投げた問いに、ウルペクラは気を取り直した。妻が寝取られようが構わず、不義の子、私生児をお守りせんとあれこれ手を打っていたであろう父のことはどうでもいいのだ。頼むから母ともども、アズカバンで朽ちていてほしい。実の息子を贄にするわ、妻と主君の閨事に怒るでもないわ、意味がわからん。いくら父母が政略婚にしたって酷すぎないか。
「ウルペクラ?」
再度呼ばれ、ウルペクラは軽く首を振る。ラドルファスの「功績」、夥しい血で描かれたそれについて、口を開いた。
「個人的な復讐だ。彼は神秘部に息子を殺された」
魔法史には書かれていない話。神秘部に所属していたラドルファスには友人がいた。その友人は蘇り部門の者だった。
親しい、無二の友ともいえるその者に、ラドルファスは語ったのだという。
「酔った勢いで、レストレンジに伝わるおとぎ話を披露した」
冷たい響きが、室に漂い――ブラック兄弟は口端をひきつらせた。不味いものを口にしてしまった、とでも言うように。察しがよいことだ。
「毒や呪いに効果があるだけだろう? 僕だって、レストレンジに関する話は……薬師と聞いているくらいで……」
死をも打ち払うなんてことはない、とレギュラスは続ける。ウルペクラは嘆息した。それは、重い重い響きを帯びる。
「打ち明けた相手が悪かった。そいつは研究熱心な男で……運が悪かったというか、なんというか」
どこかの誰かが暇つぶしに書いた、
もちろん、切り裂きジャックの仕業ではない。魔法界で長いこと――少なくとも数十年――活動していたそいつは、血に酔いすぎたのかマグル界にまで食指を伸ばし、最後は闇祓い局によって処分された。それに、切断呪文が得意の殺人鬼の標的は娼婦であった。
夜の闇横丁の深部でも、マグル界でもその傾向は変わらなかった。ラドルファスの息子が狙われる道理などない。
「それで魔法大臣に登り詰め、復讐したと」
無理もないな、とシリウスは呟く。レギュラスも同意した。
「暴走した研究者ほど面倒なものはない」
「権力を手に入れた復讐者もね」
ウルペクラは返す。いくらでもラドルファスの復讐譚を語れるが、蛇足だろうか。もちろん、ラドルファスは元親友を殺した。神秘部最奥の「門」に放り込んだ。切り裂きジャックの仕業などと言って元親友を擁護した者たちも「門」に放り込んだ。そのうち神秘部そのものが憎くなって、次々と処刑を実行。当時、予言の間にあった硝子玉も残らず破壊したとか。
ひとしきり怒りを発散させ、数多の血を流し、本命――元親友を始末し、蘇り部門を破壊する――を果たして虚脱したラドルファスは、側近たちに説き伏せられて辞任した。いまなら神秘部を廃止しようとしたという汚名だけで済む、レストレンジ家にたいした疵は付かないと言われたようだ。怒りと狂気にまみれた男でも、残った我が子たちの将来を案じたようである。ウルペクラは、ラドルファスが神秘部を草一本残らずに破壊してくれてもよかったのだけど。レストレンジは没落し――つまるところウルペクラは生まれなかったろう。皮肉なことに蘇り関連の忌まわしい魔法に巻き込まれることもなかったのである。
――それに
神秘部がなければ、現在起こっている問題も発生しなかったろうし。不可思議なもの、予言とは厄介なものである。人の運命を狂わせる。
「復讐者ラドルファスに乾杯」
ウルペクラは杯を掲げる真似をして、卓に広げられた羊皮紙を見やった。
「神秘部に続く通路は一本だけ。予言の間は深い層にある……守りやすいでしょうよ」
くだらない「ハリー・ポッターを殺す方法」が印された硝子玉を。
声に、かすかな苦味が混ざるのは致し方ないだろう。
かつてワームテールは口にした。
ハリーが生まれてこなければ、と。
それはある意味真実だった。ハリー・ポッターは闇の帝王に三度抗った者の間に生まれた子。七番目の月が死ぬ時に生まれたせいで、予言の子となったのだ。
闇の帝王に選ばれ、稲妻を印されることになったのだ。
ただ生まれてきただけで。本人の与り知らぬところで悪戯な運命の神、その御手に掬い取られ――。
――両親を殺されたのだ
予言と、予言を信じた愚かな男のせいで。
神秘はほどほどに信じるのがよいのである。傾倒すれば、ろくなことにならないのだ。
魔法を万能だと思い、神秘に縋り。不死を求め、とある家系の稀なる血を求め、挙げ句に『分霊箱』にする。極めて愚かである。
闇の帝王はご存じないのだ。
神ですら時に死ぬ。『分霊箱』など子供騙し。
器を得たということは、生の側へ戻ったということ。
生きているということは、死ぬということ。
たとえそれが、ゲラート・グリンデルバルドを凌駕する大悪だとしても。