Black Heart Vulpecula   作:扇架

39 / 39
三十九話

 

 空は憎らしいほど高く澄み、キングズ・クロス――「裏」のホームには紅の特急が吐き出す白煙と、ひそひそとした囁きが満ちていた。

 

――迷ったのよ。あのダンブルドアだってお年を召して……つまり呆けていてもおかしくはないと……

――妙な噂もあるし

――吸魂鬼が現れたって

――けれどハリー・ポッターは無罪となった

――アズカバンの体制はどうなっているのか

 

 どこか押し殺した声。魔法省を信じればいいのか、それとも「呆けている」ダンブルドアを信じればいいのか。誰もが不安なのだ。

 眼を配り、耳を澄ませ、ウルペクラは確信する。少なくとも、闇の帝王が絶対に復活しない、していないと唱える者はいない、と。

 杖を振り、二つのトランクを着いてこさせる。銀の右手――ドラゴン革の黒手袋をはめている――で小さな手を握る。

 人波を縫うようにして、紅の特急にたどり着いた。出発まで余裕があり、通路は空いていた。そのまま奥へ向かい、コンパートメントの戸を滑らせた。

「どうぞお嬢様」

 席を示せば、黒髪の令嬢が腰を落ち着かせる。深い緑の眼が、億劫そうに瞬いた。

「ありがとう、ウル」

 ダフネの声は小さく、掠れていた。彼女が精彩を欠いて見えるのは、金から黒に髪色を変えたせいだけではあるまい。

 ウルペクラは杖を振り、ダフネの変身を解いた。夜の黒が消え去り、月の金が舞い戻ってくる。そのことに奇妙な安堵を覚えつつ――髪色ひとつで大げさだが――彼女の隣に腰掛けた。拳二つ分の幅をおいた、適正な距離で。

「押し掛けて悪かった。せめて前日に手紙を出すべきだったんだが」

 言いながら、声が尖る。今日――九月一日、ウルペクラは朝から忙しくしていた。グリーングラス本家に単身乗り込んだのである。押し掛けたと言ってもいい。

 

 全部あのクソ野郎ことセドリックが悪いのだ。グリーングラス本家の血筋、すなわち本家当主こと女傑の孫が朝早くからこうおっしゃった。「ああウル、僕はハリーの護衛隊だから、手が離せなくてね」と。

 余人には意味がわからなくとも、ウルペクラにはわかってしまった。グリーングラス本家当主の孫殿、ディゴリー家から出奔し、母方の実家――グリーングラス本家のことだ――に転がり込んでいる男は「ダフネを本家に迎えに行け」と言ったのである。

 理由など明らかだ。ダフネもセドリックと同じく生家から出奔した身。単独でキングズ・クロスに行けば両親に連れ戻される可能性が高い。ホグワーツなんて親の眼の届かないところになんてやれない、と監禁されるであろう。だが、どうせセドリックも「出奔組」であるし、ダフネとは又いとこらしいし、でウルペクラは心配していなかったのだ。今朝までは。

 

 かくして、ウルペクラはお嬢様をお迎えに上がった。こっそりと行こうとしたのに、ウィーズリー夫人ことモリーに「軽く食べて行きなさい」と言われ、トーストを提供され「駆け落ちみたいでいいわね」という意味のことを言われ、玄関ホールではレギュラスに「君は女傑の孫を味方につけているから問題ないだろう」と慰めだか励ましだかわからないことを言われた。

 セドリックが話を通していたのか、グリーングラス本家を訪ねれば、あっさりと招かれた。ダフネは「え、ウル、なんで!?」と小さく叫び、大慌てでなにやら準備していた。その間、セドリックの祖母でありダフネの大伯母にあたる魔女――グリーングラス本家当主、女傑と呼ばれるその人とお茶をした。

――及第点らしいが

 どころか「ダフネもいい男を捕まえた」と女傑には言われたけれど……とウルペクラは眼を細める。

 グリーングラスの女傑とは挨拶を交わす程度の交流しかなかった。「レストレンジ」たるウルペクラのことをどうお思いなのか……と危惧していたのに、拍子抜けだ。

 たとえ女傑がウルペクラを気に入ろうが、事前に約束も取り付けず、ダフネを迎えに行ったのは不味かったのかもしれない。ダフネだって慌てていたし。そう思っていたのだが。

「迷惑をかけているのは、私のほうだもの」

 小さな小さな声。ダフネは俯き、その様はしおれた花のようであった。いったい今朝の一幕のどこに、ダフネが迷惑をかけた場面があったというのか。

 首を傾げ、あれこれと考えを巡らせるウルペクラは、次の一言に瞬いた。

「私が勝手に家を出て。でも、一人じゃキングズ・クロスにも行けない「お嬢様」なのだもの」

「……君の素敵な大伯母様に、誰か付けてもらえばよかったろうに」

「居候しておいて、図々しいと思わない? でも、大伯母様ってば笑顔で「付き人のあてはある」なんて言うから……それがあなたなんて……」

 ダフネは膝の上で拳を握る。

「親戚のセドリックがよかっただろう。悪いな」

「そうじゃなくて」

 鋭く言って、ダフネが顔を上げる。その眼は潤んでいた。

「余裕があると思って、ゆっくり朝食をたべていたらあなたが来て。心臓が止まりそうだったわよ。ちゃんと身支度してなかったもの私」

 ウルペクラはダフネが寝間着だろうがなんだろうが、寝起きだろうがどうでもよいのだが、ダフネにとっては重要らしい。もっとも、ウルペクラはダフネの影しか見ていない。文字通り、脱兎のごとく彼女が逃げ出したので。

「仮にも同じ寮だし、風呂上がりの寝間着姿だって――」

 今更だろう。気にすることはないと伝えようとした。が、ダフネは眼を光らせた。

「それは私が一年生の時でしょう」

 まるで百年前の大昔のことです、と言わんばかりであった。たしかに、彼女にとっては大昔のことかもしれない。背も伸び、我も通すようになり、身体の線だって変わった……と、ウルペクラは眼を逸らす。大人の接吻ごときで後戻りできない云々と勝ち誇るお嬢様であるが。

「……君は立派な淑女だとも。大事に育てた娘に、僕のような者を近づけたくないご両親の気持ちは分かるよ」

 なるべく、柔らかく言う。ダフネの顔が強ばった。

「聞こえてたの」

「一生懸命、ノグテイル狩りの話をして僕の気を逸らそうと頑張ってくれていたみたいだが」

 

 キングズ・クロス、「裏」のホームに着いた時からおかしいと思っていたのだ。あのね、セドリックがルーファス・スクリムジョールのノグテイル狩りに招待されてね……とかなんとか。最初駆け落ち――じゃない、お忍びに興奮しているのかと思った。二人は髪と眼の色を変え、衣も少し格を落としたものを纏っていた。いかにも古典的恋愛小説――魔法騎士とご息女もの――らしかった。小説と違い、ウルペクラは悪役扱いを受けているのだけども。

 悪い魔法使いは、ご息女がとある方向に眼を向けないことに気づいていた。早く行きましょうとばかりに手を引っ張るのにも気づいていた。

 そこにご息女の両親がいて、悪い魔法使いを罵っているのも気づいていたのだ。

「だからといって気に病む必要はない。ご両親には好きに言わせておけばいい」

 仲良しこよしとはいかない。グリーングラス夫妻はウルペクラのことを好いていないどころか憎んでいる。きっと早く死んでくれと思っている。そうすれば、娘が帰ってくると考えているのだろう。

 ウルペクラとて、グリーングラス夫妻と握手するつもりはない。どうせ距離を縮めたところでろくなことにならないし、ダフネが悲しむだけである。

「ただ、」

 言葉を切る。宙を見やり……唇を舐めた。

「僕に捨てられたとか、たぶらかされたとか言えば、後戻りはでき――」

「嫌よ」

 ぎゅっと右手を握られた。強く、強く握っておきながら、ダフネは震えた。

「誰かのせいにはしないし、私の両親は思いやりがなさすぎる。あなたは片腕を切り落とされたのに……死にかけたのに……」

 唇を噛み、ダフネは呻いた。

「ダフネ」

 ウルペクラは囁き、左手を伸ばす。

 指先で、紅い唇に触れた。

 そっと。静かに、というように。

「いいんだ」

 初めて、喪ったものに思いを馳せた。胤違いの妹によって落とされ、捧げられた右腕。

 ただ、肉体を欠けさせた以上のものをウルペクラは奪われたのだ。

 

 美しい、銀の右腕では。

 触れあったとて、ぬくもりを感じられない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

スリザリンの末裔 ~Silver-Haired Wizard’s Legacy~(作者:如月斎)(原作:ハリー・ポッター)

「君は、スリザリンの真の後継者を信じるか?」▼没落したゴーント家を再興しようとする、銀髪の少年、セリクス・ゴーント。▼名門の衰退と再起。歴史に隠された血の因縁───▼彼が辿り着くのは、光か、それとも闇か。▼꧁————————————————————꧂▼ハリー・ポッター二次創作/原作補完+再構築▼シリアス・群像劇・ゆるやかな友情と、時折の微笑みを添えて。▼⚠️…


総合評価:407/評価:7.64/連載:71話/更新日時:2026年08月30日(日) 20:00 小説情報

スリザリンの凡人、なぜか闇の帝王候補扱いされる(作者:ノア)(原作:ハリー・ポッター)

ノア・セルウィンは、スリザリンに入る予定の純血少年である。▼野心はない。▼度胸もない。▼特別な才能も、今のところ特にない。▼あるのは、面倒事を避けるための少しばかりの言葉選びと、最初に小さく嫌だと言わないと後でもっと面倒になる、という妙に現実的な処世術だけだった。▼だが、魔法界は面倒だった。▼血筋。▼家名。▼寮の派閥。▼有名人。▼闇魔術。▼そして、見捨てるに…


総合評価:2383/評価:8.34/連載:5話/更新日時:2026年06月13日(土) 07:10 小説情報

ようこそ根源があふれた魔法の学校へ(作者:shinkyu10)(原作:ハリー・ポッター)

――これは、型月世界の魔術師の歪んだ思考OSを持った凡人が、ハリポタ世界のブラックボックスを解体し、あがき続ける物語。▼1981年11月1日未明、ロンドンで起きた爆発テロ。▼奇跡的に生き残った赤ん坊、エリアス・レンには、前世の記憶があった。▼彼は魔術協会『時計塔』の末端魔術師であり、生まれ持った血統と魔術回路の限界に絶望した末、幼児期から全てをやり直すために…


総合評価:3882/評価:8.61/連載:27話/更新日時:2026年06月08日(月) 17:45 小説情報

孤高の黒槍(作者:特性 Suisui)(原作:ONE PIECE)

ドレスローザ コリーダコロシアム▼「千勝すれば出してやる」▼この言葉を信じて、槍を掴んだ男の自由を得るまでの物語▼完結済みです。▼※ジェミニを利用して添削等を行ってます。▼AI使用を許せる人はお進みください。


総合評価:1723/評価:8.38/完結:30話/更新日時:2026年08月22日(土) 00:00 小説情報

ハリー・ポッター 「オーグリーの旗を掲げよ」RTA 1938年シナリオ トム・リドル攻略チャート(作者:魔法省真理部記録局)(原作:ハリー・ポッター)

実績: 「Raise the Augurey Banner(オーグリーの旗を掲げよ)」 イギリスの魔法界元首がDelphiの状態で、「存在の権利」が「魔法族至上」、「存在間隔離」、「文化的排斥」以外である。▼トム・リドルはハゲません。多くの先駆者様に敬意を、そしてみんなも走ろう。


総合評価:1974/評価:8.72/連載:29話/更新日時:2026年08月30日(日) 18:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>