「こちら側に付けば、歓迎されるぞ」
ドラコの細い声が言う。ウルペクラは隣に眼をやることなく、ただ肩をすくめた。
「僕をほしがる者は多い。悪くない血筋で、スリザリンの首席。社交では噂の的……」
世間話、一般論に話をすり替える。間違っても闇の陣営やあの方、闇の帝王とは口にしない。まあまあな愚行をしでかす従弟ことドラコも、そのあたりはわかっている。だからこそ、特急の見回りにかこつけて、ウルペクラに話しかけてきたのだ。並んで歩き、けして眼を合わさないようにしながら。
開心術、あるいは服従の呪文を警戒しているのは明らかだ。ドラコはウルペクラがどちら側か、それかどちらにも付かないか、知らないのであろう。よって、なるべく危険は遠ざけたい。どうせルシウスあたりから、開心術や服従の呪文についてみっちり聞いたに違いない。後者は昨年偽マッド・アイが実演してみせたし、掛けもしたろうから骨身に染みているだろうが。
ウルペクラはドラコの悩み――果たしてウルペクラ・レストレンジはどちら側か――を解決してやるほど親切ではないので、お茶を濁した。わざわざ騎士団に入りましたと言うつもりはない。世間に公表したわけでもない。明らかにしてなんになる、だ。
「今年は招待状が届いていなかったようだ。お前は叔母上たちの言うことを聞いて、穏和しくしておくんだな」
聞かなかったことにしてやる。せいぜい静かにしてやり過ごせ、という意を込める。
ドラコとて好きで死喰い人の息子に生まれたわけではない。あちらこちらで腐った言動をしていたが、生粋の純血家に生まれ、矯正もされずにいれば自然とそうなる。王族を自称する、ブラック家とかいう家に生まれたシリウスという男は例外である。あれは変わり種、突然変異だ。あとは叔母にあたるアンドロメダもか。
ドラコは彼らと違う。燃えるような意志もなく、ただ従順に、真綿でくるまれるようにして生きてきた。鬱陶しいし邪魔臭く、根拠もなく純血は優れていると考える馬鹿である。
が、芯から邪悪とはいえない。ウルペクラを多少は気にかけ誘ってくるくらいの情はあるようだ。
同じく、ウルペクラも別にドラコに死んでほしいわけではない。忠告くらいはしてやる。闇の陣営を抜けて騎士団に入る動機などマルフォイ家にはないし、すべてを捨てて逃げ出すことも論外であろう。思い切った行動などとれるはずがなく、穏和しくしておけくらいしか言ってやれない。
――どうせ
なにがあろうがドラコのことだけは、シシー叔母たちが守るだろうが。砂糖細工でできた、美しく甘い家族の姿をウルペクラは反吐が出るような気持ちで眺めていたものだ。
マルフォイ夫妻は育て方はどうあれ――由緒正しい純血名家、自覚なき過激派教育――ドラコのことを慈しんできたのは事実である。
少なくとも、レストレンジ夫妻よりは数倍マシで、まともだ。どこの世界に実の息子を闇の帝王に捧げる親がいる。
軽い頭痛を覚えたとき、ドラコが唸った。
「いつまで僕を坊や扱いするんだ。父上も母上もそうだ」
「お前はまだ学生。五年生になったばかり。監督生」
ウルペクラは素早く返す。いくら背が伸びようが、煌めく監督生バッジを付けていようが、ウルペクラからしたら餓鬼でしかない。せめてノットが監督生だったならばよかったのに。
「なんにもさせてもらえない」
ドラコがぶつぶつと言う。ウルペクラはそっと従弟の心を撫でてみた。締まりが甘いのか、それともウルペクラの開心術が熟練の域なのか、ポッターめ、ポッターばかり、僕は歯牙にもかけられていない……と断片的な思考に触れた。
――なるほど
闇の帝王が帰還したことは知っているし、父親が死喰い人であることも聞かされたわけだが、ドラコは巧く咀嚼できていないようだ。おそらく、九割九分、ドラコは遠ざけられている。闇の帝王のご尊顔を拝謁するには至っていない……し、闇の印を賜る栄誉は遠いわけだ。
――シシー叔母たちも
必死だな、と吐息をこぼす。息子を闇の帝王の眼に触れさせたくないのだ。まかり間違って――気まぐれも含む――印を賜ってしまえば終わりだ。かつてのレギュラスやどこかのレストレンジ夫妻と違って、マルフォイ夫妻はわかっているのだ。印を刻まれたが最後、逃れられはしないのだと。
「……総代を目指して邁進するといい」
総代とはその代でもっとも優れた生徒のことを指す。ウルペクラの代だとセドリックが最有力候補だ。つまり、首席の中の首席。各寮の男女の首席――ウルペクラはスリザリン、セドリックはハッフルパフを束ねる――の中で最も優れた者に与えられる称号だ。全校首席とも総代とも呼ばれる。
たしか、レギュラスもスリザリンの首席で総代だったらしい。さもありなん。若くして闇の印を下賜されるほどの実力者だ。総代でなければおかしい。
「学生の本分は勉強だって?」
ドラコはつまらなそうに言う。よほど、周り――闇の陣営関係者がポッターに執心しているのがお気に召さないようだ。
――これだけ
ぼろぼろと情報をこぼしてくれると楽だな、とマルフォイ家の甘ったれ製造教育に感謝した。同時に、育ての親たる家令夫妻にも感謝した。ウルペクラが、拗ねている馬鹿なおこちゃまになっていた可能性を潰してくれたのだから。
ドラコの言動と、少し心を撫でて得た情報からすると、闇の帝王はポッターに的を絞っている。より正確に言うならば、神秘部から予言を盗みたくて仕方がない。彼の狙いは「ハリー・ポッターの殺し方」を手に入れることだ。
復活が公になっておらず、魔法省――ファッジが必死でもみ消そうとしている今が好機だと踏んでいるのだ。静かに、密やかに動くつもりであり、とにかく確実な情報がほしい。喉から手が出るほど予言の全容が知りたいのだ。
前の戦で騎士団は多くの同志を失ったという。闇の陣営とて同じだ。死んでいないにしろ、監獄に放り込まれ、身動きが取れない死喰い人が多数。あまり余裕はないとみるべきで、半分以上を予言奪取作戦に振り分け、残りを闇の生き物の取り込みに振り分けているといったところか。
完全な復活を果たし、陣営を再始動しようとしている中『分霊箱』に意識を割くこともなければ、ウルペクラを連れ戻そうともしない。
とにかくポッターさえ潰せばめでたしと闇の帝王はお思いだ。『分霊箱』の秘密が漏れている、それどころか全容が明らかになり、実は残りひとつなんて知りもしない。
闇の帝王は復活の喜びのあまり、演説をなさったようだが、決定的な語は避けていたらしい。『分霊箱』などとひとことも口にしなかった。
こぎつね座のウルペクラが闇の印を心臓の真上に刻まれたがゆえに、闇の帝王は我が心臓と言った……所有物だと主張したのだ、と。
ウルペクラとて黒き心臓ウルペクラという呼びかけの由来をそう解釈していたのだ。誰が他の意味を――ウルペクラ・レストレンジが『分霊箱』だという荒唐無稽な推理を――するだろうか?
アルバス・ダンブルドアくらいしかおるまい。それかレギュラスか。闇の帝王と呼ばれた男とて、神ではないのだ。その所業は邪神のごときもので、数多の純血を従えるといっても、万能ではない。隙のひとつやふたつ、うっかりとした過ちくらいはあるのだ。
レギュラスにあれこれ漏らして、裏切られたのにも気づいていないし。シリウスがレギュラスを救出し、呪いを解除した直後、さっさと印を灼き潰したそうだ。よって、レギュラスは未だに消息不明である。ブラック家の当主もシリウスのままである。落ち着いたらレギュラスに位を押しつけ……譲るそうだ。
脇道へ逸れた思考を戻す。闇の陣営は死喰い人の子どもたちを動員するほど切羽詰まっていない。闇の帝王に対面したならば、ドラコは呑気に不満をこぼしていられないはずだ。闇の帝王ならばドラコの目の前でシシー叔母をどうにかすることも、ルシウスを仕置きすることもできるだろうから。
親に守られていることも知らない餓鬼よ、と思いながら唇を舐めた。成績は悪くないが馬鹿なのがドラコである。年相応と思えばそれまでだが、まったく危機感が――。
「学業がなんだっていうんだ? それなら防衛術をきっちり学ぶほうがいいね。実践だよ」
「……白イタチに変えられて、あれに心酔したとでも」
ドラコらしからぬ言に、ウルペクラは瞬いた。これがポッターの発言ならここまで驚かない。自分は純血で特別、きっと安全とお思いのドラコの偽者ではあるまいか……。いや、変身してウルペクラに近づいてどうする。動機がない。
腕を組むウルペクラに、ドラコは鼻を鳴らした。
「誰があの偽マッド・アイ……クラウチ・ジュニアだったらしいな? を讃えるか。ウルを怪我させたらしいじゃないか」
ウルペクラの片腕に、ドラコの眼が注がれる。どちらの腕でしょう、とばかりにウルペクラはひらひらと手を振った。無論、ドラゴン革の手袋に覆われて、銀色は見えないのだが。
ドラコは数秒「どちらだろう」と考えるように沈黙した。墓場での詳細は聞いていないようだ。いちいち「捧げられた肉」の話など誰もしないだろう。
「支障はないんだろうな?」
「僕は頑丈でね」
はっと笑ってみせる。ドラコは頭のおかしい誰かをみるような眼を向けてきた。
「そうだった、ウルはだいたいなんでも平気だった……ダフネのほうがよほどかわいそうだった――巻き込まれたんだろう? 否定するな。僕は――というか、スリザリン生の一部は、ダフネの怪我を目撃している」
重い声に、ウルペクラは拳を握る。ドラコの様子から察するに、やはりダフネの怪我はけっこうなものだったのではないか? 平気だと彼女は言っていたが。
ちょっとした怪我ではなかったのだろう。けして、彼女は口にしないだろうけれど。
「ダフネは社交に出てこなかった。病気だということになっていたが……」
ドラコが声を落とす。通路には誰もいないというのに。
「彼女が狙われることはないだろう。どうせ皆ポッターにお熱だろうから」
ちっとドラコが舌打ちし、続けた。
「魔法省から聞き取りがあるかもしれない」
「精一杯の優しさをどうもありがとう、従弟よ」
「悪いねウル、ダフネの隣をとって」
黙れ、とウルペクラは言い掛けた。五年生の監督生はドラコとダフネなのである。だからなぜノットじゃないのだ。クソ生意気な従弟より、物静かなノットが監督生であればよかったのに。
「僕が四六時中張り付かなくとも、ダフネは自分でなんとかする」
「彼女が顔だけの男が好みとは思っていない」
ドラコがまた情報を投げてきた。ウルペクラは天を仰いだ。ああ、かわいくない従弟。ダフネが出奔したことは社交界に知れ渡っているし、グリーングラス夫妻がお怒りなのも周知の事実であるし、アストリアがウルペクラを「顔だけの男」どうこう言って両親を宥めたのも野火のように広がっていると。
「顔だけの男から残念なお知らせをしてやる」
ウルペクラは言ってやる。ささやかな返礼である。
「普通魔法試験で全科目優を目指すのなら……闇の魔術に対する防衛術に力を入れるべきだ」
「アンブリッジは上級次官らしい――」
「大臣にコバンザメみたいにひっついて上にのぼっただけの女だ。ついでにひっつかれている当の大臣はダンブルドアを警戒している」
ドラコが一秒の半分の間、沈黙し、小さく呻いた。
「ロックハートのほうがマシだ」
人のことをからかう馬鹿な従弟の狼狽えっぷりにウルペクラは満足し、歩を進めた。
紅の特急は進む。白煙を上げ、北の学び舎へと。
――紅の特急は去ってしまった
きっと兄も乗っているのであろうそれは、手の届かないところに行ってしまった。
「帰ろうか」
隣に立つルシウスに言われ、デルフィーニは軽く眼を瞑った。
「ご息女――いいや、シシー。ドラコの見送りは終わったじゃないか」
「あの子ったら、振り向きもせずに行ってしまったわ」
叔母に扮したデルフィーニは、ルシウスに調子を合わせる。親愛なる父は神秘部に夢中。暇を持て余したデルフィーニは、ルシウスとドラコをお供に、キングズ・クロスへ赴いた。
紅の特急は物珍しかったがそれだけで。デルフィーニの目的は果たせなかった。
兄がいれば接触して、連れ戻せないかと思ったのだけど。
「……振り向きも、せずに」
くっとデルフィーニは唇を噛む。叔母――ナルシッサの息子はたしかに振り向かずに行ってしまった。だからといって、別になにも思わない。彼はデルフィーニが闇の帝王の娘だとは知らない。黒髪に青い眼のステラ・ブランシュ――と名乗っていた「ベラトリックスの娘」で、デルフィーニ・レストレンジ。ウルペクラ・レストレンジの「妹」だと諒解しているのだ。
英国のレストレンジ本家から養女に出されて……と言えば「ホグワーツに来れば、ウルと僕と君で一緒にいられたのに」と残念がっていた。素直な子である。その素直さが――いかにも健全で甘やかされた感じが、時に無性に苛立つのだが。きゅっと首を絞めてやりたくなる。
ドラコのことはいいのだ、とデルフィーニは眉を寄せる。お兄様に接触できなかったし、ポッターを見つけても殺すのは厳禁と言われるし。見つけたものといえば仲睦まじい様子の、黒髪の男女である。手なんて繋いでデルフィーニに見せつけているのか。
――デルフィーニなんて
ひとりなのに。
お兄様は上手に隠れていて。デルフィーニに気づきもしない。
デルフィーニの手を引いてくれる人はいない。
きっとその人だって、デルフィーニが捨てた彼だって、特急に乗ったのだ……。
「帰りましょうかあなた」
苦くてしょっぱい気持ちを押し込めて、デルフィーニは笑ってみせる。妻に扮した姪の、麗しい笑みにルシウスがのけぞったが気にしない。
問答無用でルシウスの腕をひっつかみ、転移したデルフィーニは知らない。
仲睦まじい黒髪の男女が、変装した兄とその恋人だということも。
元恋人、一方的に振った男が「ナルシッサ」を見かけて首を傾げたことも。
これから起こることも、なにもかもを知らなかった。
そうして、ひとりぼっちの白いるかはマルフォイ邸に帰り、神秘部への侵入を命じられ。七変化の能力を駆使して予言の間にたどり着き。
ちっぽけな硝子玉に仕掛けられた守りの術によって、多大な損傷を受けながらも帰還し。
父親に役立たずめと罵られ、足蹴にされ、八つ当たりされるのは十数時間後。
セドリック・ディゴリーが夜空に輝く星を見上げ、白いるかとの再会を祈っている、まさにそのときであった。