不死鳥の騎士団本部、ブラック別邸に到着したウルペクラは、レギュラスの嘆息に出迎えられた。
「……磯臭いな」
「色々ありまして」
返し、隣を見やった。いや睨んだ。元凶たるセドリックがつっと眼を逸らす。帰りの馬車で散々ちくちく言ってやったおかげか、穏和しいものだ。
高所から真冬の海に転落、救出され衣も髪も乾かされたものの、酷い有様だ。故に、主催者から馬車を一台借りて、ダフネにはそちらに乗って帰ってもらった。そしてレストレンジ家所有の馬車には、磯臭く不機嫌な野郎二人が詰め込まれたのである。
「楽しい宴、というわけではなかったようだ」
「……色々ありまして」
再び言う。レギュラスは小首を傾げ「着替えておいで。居間で待っている」と告げ、踵を返した。
「……彼女は、わざとナギニをけしかけたわけじゃなかった」
蛇や『双狼』や星で飾られた居間に、セドリックの声が響く。熱を帯びたそれを、鼻で笑うのはレギュラスだ。
「船内を追い回して、引き出せたのがそれだけか。次はどんな手を打つつもり……とか、もっと重要なことはあるだろうに」
淡々とした言のなかに潜むのは「この恋愛脳の浮かれ野郎が」という侮蔑である。レギュラスの面も所作も落ち着いていて、優雅なものだ。が、滲み出るものはある。
レギュラスの星の眼が、ちらりとウルペクラを見やる。この男、本当にホグワーツ代表選手だったのか? という疑念を読みとって、ウルペクラは茶器を傾けた。恋愛脳の浮かれ野郎がご執心なのが自分の「妹」と思うと、嫌なものである。あまり妹とも思えない妹。胤違いの、半分だけ血が繋がった存在。闇の帝王の娘。いいように「父上」に使われているようだが――。
「デルフィーニは手詰まりなんでしょう」
そっと言い、盗聴防止その他を重ねがけしておく。双子の玩具、伸び耳も弾くように。もっとも、彼らは留守だ。本部にいるのはレギュラス、セドリック、ウルペクラ、ロクサーヌ。ポッター一味――ウィーズリー一家と護衛、そしてシリウスを加えて――は聖マンゴへお見舞いに行っているそうだ。残りはめいめいに仕事や任務に勤しんでいる。予言や神秘部について語っても支障はない。
「予言は関係者しか取り出せないということを知らない。謳われた者……ポッターと闇の帝王だ。他は守りに弾かれる」
神秘部は謎の多い部署である。ウルペクラとて、ラドルファス・レストレンジの記録を漁らなければ、予言にまつわる物事など知らないままだったろう。闇の帝王とてすべてを識るわけがない。最も深き闇に踏み入った、ただのひとである。予言の一部だけを聞き、軽率に行動して報いを受けた男。
「闇の帝王が掌握している駒に、神秘部の者はいない」
レギュラスが言い、軽く眼を伏せる。ウルペクラはそっと口を挟んだ。
「――吸魂鬼の手元にいる、と」
ルックウッド、とその名を囁く。彼はかつて、神秘部所属していたという。
「脱獄させるとか? 吸魂鬼は魔法省の制御下にあるはず――」
「アンブリッジはたった二体を放ったがな」
セドリックの極めて常識的な言を、ウルペクラは鼻息で吹き飛ばした。大監獄アズカバンの安全神話など、とうの昔に崩壊している。親愛なるジュニアと、親愛なるわんちゃん――シリウスの脱獄を許してしまっているのだから。吸魂鬼は別に誰の味方でもない。感情、魂をたんと差し出す者に従うのみ。
「あれは吸魂鬼にこう言ったのだろう。ハリー・ポッターを襲え。道々、ちょっとおやつを食べてもいい。うっかりご馳走を食べてもいい。坊やを脅かして、かじって帰っておいで……」
最悪、うっかりポッターを殺してもよいと考えたのだろう。ファッジの治世が末永くあらんことを願い、邪魔者を排除しようとしたのだ。もちろん、ファッジを信奉してのことではない。単に都合よく使える大臣という飾りがファッジだった……それだけのことだ。
「思うに、ヴォルデモートが少し囁けば、吸魂鬼はすぐに転ぶだろうね」
レギュラスが実に気楽そうに言う。どうでもいいと言わんばかりだ。というより、どうしようもないのだから、考えるだけ無駄……のほうが正しいだろうか。ただの地下組織が手を出せる場所ではないのだ、アズカバンは。
「僕としては、一度失敗した時点でルックウッドを引っ張り出そうと思いつかないのが不思議ですがね」
「予言ごとき、手持ちの駒で奪取できると踏んでいたんだろう――だが、そろそろ、そうもいかないと悟ったはずだ」
レギュラスは歌うように言う。くっと喉を鳴らした。
「君の父母をはじめとした、忠臣たちを呼び戻す……ひょっとしたら、家族の感動の再会なんてことになるのかな、ウルペクラ?」
からかうような言に、ウルペクラではなくセドリックが身を固くする。常識人にはブラック家ジョークが通じないようだ。つまり悪趣味な冗談である。
「我が母の
「残念、ベラはしぶとい……。その娘は案外健気なようだけれど。海風にあてられて、ほだされたのかい、君」
ルシウスの「我が姪」発言を放置、ひいてはデルフィーニ・レストレンジがウルペクラの妹であるという「既成事実」を否定しないのはなぜか、とレギュラスは仰せなのだ。予想はしているが、一応話は聞いておきたい……そんなところだろう。
「マルフォイ家当主の言をひっくり返すのは骨が折れる。記録は完璧で、デルフィーニは「レストレンジ」だ。ましてや父――ロドルファスの意向もある。下手にデルフィーニの出自を嘘だなんだと暴こうとしたら、僕にまで飛び火する可能性も……」
悩ましいことである。デルフィーニは記録上、大陸のレストレンジの子となっているが、ルシウスが「我が姪」と身元を保証したことで「兄は英国、妹は大陸……と危険を分散したか」と都合よく解釈される。しかも、ウルペクラとデルフィーニは本当に兄妹なのだ。ただの言葉と勝手な解釈と少しの事実によって描かれた絵図である。
仮に、デルフィーニは私生児だと騒いだとしよう。こんな女、母が同じなだけですと。父親は誰かという話になる。ベラトリックスが同衾、俗っぽく言うならば寝る――とすれば……と憶測が――闇の帝王では、となり……。
「レストレンジのロドルファス、主に妻を寝取られる……とか」
どうしても口が重くなる。長々とため息を吐きながら、ウルペクラは続けた。
「いや、ベラトリックスが「我が君」以外と同衾するわけがない、ウルペクラ・レストレンジもひょっとして、闇の帝王の子なのでは、そうに違いない。そして死ぬか監獄行き。連座。レストレンジ家の直系は絶える。滅亡」
ぱん、と手を打ち鳴らす。セドリックは「貴族って怖い」と囁き、レギュラスは虚空を見つめた。
「そういう流れになるだろうね。君は『秘密の部屋』を開けた犯人だし……闇側と思われているだろうし、ベラの子だし……否定する材料、あまりないよね」
なんにもならない慰めを口にしないのがレギュラスだと、ウルペクラはもう知っていた。が、たまには慰めてほしいときもあるのだ。誰が闇の帝王の息子扱いされたいと思う? 処刑か幽閉かの薔薇色の未来なんて望んでいないのだが。
父母が死喰い人、妹が闇の帝王の娘である時点で、ウルペクラの人生はろくなものではないのだが……と眉間に皺を立てた時、扉の向こうが騒がしくなった。
どうやら、ポッター一味が帰ってきたようだ。セドリックがさっと立ち上がり、室を出る。報告すべきことはした。話し合いは終わりということだ。
玄関ホールに向かう。なんのことはない、お見舞いのついでに夕食の買い出しをしているのなら、荷運びくらいするか……と思っただけだ。双子がなにかを混入していないか確かめる、あるいは未然に防ぐ意図もある。
が、目的地に近づくにつれ、聞こえてくるのは剣呑な響き。
「……だからねマッド・アイ。あなたってば、なんで気遣いってものができないの? 片眼と一緒に繊細さを忘れてきたわけ」
「お前のもの言いはどうにかならないのかトンクス」
「誰かに似たんですー。ハリーを危険物扱いするって最低ー。引きこもったじゃないの」
「全滅の危険は防がねばならない。ポッターがあれと繋がっているからこそ、アーサー襲撃の現場を目撃できた……」
――踵を返そうか
そう思ったところでもう遅い。なぜならば、数歩先を進むセドリックが、玄関ホールにたむろしている面々に呼びかけてしまったから。
「どうかしたの、トンクス?」
どうかしちゃったのよー、とトンクスが言い、ルーピンがなにかを思い出したようにウルペクラを見たのは、一秒後のこと。
そして「頑張れ、憑依経験者」とかなり嫌な応援――圧を受け、ウルペクラがポッターの室の扉を吹き飛ばしたのが数分後。
稲妻を印された者は憑依などされていない、と確信し。そう告げて、室を後にした。
玄関ホールの面々に「解決」とだけ報告し、あてがわれた室に戻る。
ぱたり、と扉を閉じ。壁にもたれかかった。
「憑依じゃないが……」
ある意味、もっと悪いかもしれない。
ウルペクラの背に、つぅ……と冷や汗が流れる。
ポッターは言った。アーサー小父さんが襲われた現場を見た。蛇の中から見た……ってダンブルドアには言ったんだけど。
本当はね、と声を震わせて、彼は緑の眼を瞬いた。
僕がヴォルデモートになっていた。怒っていた。しくじったって。ナギニを制御できぬとはって。赤毛のウィーズリーの血に価値などないというのに……って。
場面がいくつも見えて、それでどこかの廊下だってわかった。
デルフィーニの悲鳴で眼が覚めたんだ。だから、僕は小父さん襲撃のその瞬間を見たわけじゃない。大急ぎでダンブルドアのところへ行って、なんとか間に合っただけなんだ。
――それでも
お前がいなければ、アーサー・ウィーズリーは助からなかったろう、とポッターに言った。どうにかそれだけ言うのが精一杯だった。ウルペクラの頭の中は、考え事でいっぱいだったから。
「中から見た。憑依ではないにしろ……覚えのない記憶。僕の印は隷属の証。奴隷の鎖。繋がりはあるが、それだけだ」
呟き、呟き、考えを整理する。
「印すであろう。比肩しうる、打ち破る力……神秘の七……加えて血を取り込んだ。肉と血ならば血が上位」
ぼんやりとした違和感が、形を得て立ち上がる。
ポッターは蛇語を話せる。それはなぜか? スリザリンの末裔だからか。いいや、ポッター家にスリザリンの血が流れていたとしてもごく薄いはず。
憑依の可能性はない。記憶の欠落がない。傷跡の繋がりのせいと考えるのが自然……だったのだが。
「僕はあれに憑依された影響で、蛇語を話せると思っていた――が」
ハリー・ポッターもウルペクラ・レストレンジもスリザリンの濃い血を継いでいない。薄い薄い血が、悪戯をしたわけではないだろう。
残る可能性はおそらく――。
闇を印された者は、天井を睨む。蛇の装飾を凝視して、囁いてみた。
唇から漏れたのは人ならざる異形の声。
『分霊箱』……と不吉の響きが、室にたゆたい――消えた。