『船上の宴、呪われし貴公子と姫君』
レストレンジの貴公子はグリーングラスの姫君を伴って宴に現れた――中略――義手の全容は露わになっておらず、手袋の下になにが隠されているか噂となっている。喪われてなどいない、実はその片腕は醜いもので、触れれば呪われるのではないかと囁く者も。
――中略――
筆者の眼には彼が呪われているようにはとても思えなかったが。その出自が「レストレンジ」であれ……グリーングラスの姫君が纏う衣や装身具は見事なもので、きっと貴公子が贈ったのであろう。色は深い緑、真珠の髪飾り……首飾りは■■カラットの――。
文ともに載っているのは貴公子と姫君の写真。視線を右に流せば、対となるように『麗しきレストレンジ兄妹』という記事があった。
船上の宴に現れた「レストレンジの令嬢」に関するものだ。ルシウス・マルフォイが「我が姪」と言って連れてきた令嬢。貴公子の妹なのだとか。二人は仲睦まじく踊り、周囲はあたたかく見守った、と。
ウルペクラは『日刊予言者新聞』を脇にのける。一九■■年十二月■日発行のそれの下から、一九■■年一月■日発行のものが姿を現した。
切れ長の眼がウルペクラを見つめる。ベラトリックス・レストレンジ。旧姓ブラック。ウルペクラをこの世に産み落とした女。肉の母。
投獄されてしばらく経ってから撮られたものだろう。ベラトリックスは痩せ、烏の濡れ羽の黒髪は艶を失い、ただ伸びて絡まっている。散々写真で見てきた「母上」とは思えない。星の一族の女は闇に堕ち、その美貌は陰っていた。ただ、その眼の輝きだけがかつて見た写真の通りであった。
ベラトリックスの隣に視線を転じると、親愛なる肉の父、ロドルファスの姿がある。夫婦仲良く並んでいるのだ。
――いや
掲載されているのは、悪名高き「レストレンジ夫妻」ばかりではない。お仲間が揃っている。
嫌というほど読み込んだ『アズカバンから集団脱獄』の記事から眼を逸らす。
深夜に商人が送ってきたのだ。北の都を拠点とする大商人、商会の主はレストレンジと懇意である。闇の印が痛んで数時間後にふくろうがやってきたものだから、さすがに驚いた。「お陰様で服飾品が飛ぶように売れましたから、ほんの気持ちです」と添え状に書いてあり、最悪な気分になったが。
昨年出た『日刊予言者新聞』、船上の宴についてのそれには、もちろん眼を通していた。記事はおおむねウルペクラに好意的で、商人の差し金なのは明白。狙いは単純「儲けるため」だ。
呪われし姫君、ダフネ・グリーングラスが身につけていた一式に似たものが、お嬢様方の間で流行したのだ。商人はボードの死の偽装に伴う厄介事を引き受け、その対価をきっちりと回収したのである。ウルペクラに庶民の年収……あるいは何生分の服飾品を買わせ、姫君に身につけさせ、船上の宴で披露させ、流行をつくることで。「若様と姫君はお似合いですよ」「そのうち劇なんてできそう」等々、添え状には連ねられていた。
ウルペクラとダフネの仲を応援しますよ、劇にして儲けますよ、もう最高ということである。ウルペクラは添え状を握りつぶし「早朝どころか深夜にご苦労。劇だと? なにを寝ぼけたことを」とふくろうを返した。
妙に疲れ、ひとまず寝て、うるさい視線をかわしつつ授業を終え、グレンジャーに捕まってさらに疲れ……して夜。やっとのことでウルペクラに自由が訪れた。
「ハリーに真実を教えるべきだと?」
ウルペクラはソファ――積まれた新聞から眼を上げる。散々見た記事が校長室にあるのは、ダンブルドアの嫌がらせか否か悩みつつ、
「あれは守られるべき坊やではない」
と返した。沈黙を埋めるのは茶器から立ち上る湯気。ウルペクラは華奢なそれを手に取り、傾けた。向かいに腰掛けるダンブルドアが、髭をそよがせた。
「なんと、夜更けにわざわざ訪ねてきて――」
皺だらけの手が、ひらひらと泳ぐ。ふざけているように見えるが、ウルペクラにはわかる。ダンブルドアは苛立っておいでだ。セブルス・スネイプに扮して訪ねてきたウルペクラが、戯言をほざくものだから。
「『分霊箱』についてまで言う必要はないでしょう」
ウルペクラが打ち込んだ矢は、ダンブルドアの手を止めた。ぱちり、とライトブルーの眼が瞬き、ウルペクラの星色を覗き込もうとする。
「趣味が悪いですよ。開心術は効きません。ええ、僕は答え合わせに来た。シリウスとレギュラスがあなたに訊けというから。ポッターは亜種の『分霊箱』ですね?」
「根拠は?」
静かな、探るような声。校長室の温度が、一、二度下がった。息を詰め、身構えるダンブルドアをつくづくと見やり、ウルペクラは大魔法使いの弱点を悟った。
闇の帝王すら一目置くこの老人は……ハリー・ポッターのこととなると判断が鈍る。無意識であろう。他のことなら正解を選べるのに、ハリー・ポッターに関しては間違える。その間違いは今も続いているのだ。
「闇の帝王が凋落した時点で『分霊箱』は六つ。なぜそう推測できるのか。僕こそが最後にして最高の傑作だから。回数を重ね、自信をつけて、闇の帝王は僕という材料を産ませて、生きた人間を『分霊箱』にするという偉業を成した」
ただ数をつくっただけでは意味がない。最も深い闇に踏み入るのならば、誰も成していないことを、とでも考えたのだろう……とウルペクラは唇を歪めた。
闇の帝王は毒を無効化し、呪いに耐える材料を手に入れた。魂を仕込み、幾重にも魔法をかけ、呪いへの耐性を底上げした。そうして生きた『分霊箱』をつくり上げた。寵臣の子。将来有望で、魂の欠片を預けるのにふさわしい器である。毒でも呪いでも死なない。限られた魔法でしか壊せない。生きた兵器を。
「脆い魂。死の呪文を受け砕けた……欠片がつけばこそ、蛇語を話せた。傷跡だけではきっと足りない」
さらさらとウルペクラは告げる。たいていの者は「傷跡があるから」「前例がないから」と思考を停止させる、その先を考えない。が、ウルペクラは立ち止まらなかった。
「血を取り込んだ。繋がりは強くなった。もう一人の己、写し身と言えるほどに。その証拠に、ポッターは闇の帝王の中に入り込んだ」
「……なに?」
ダンブルドアの声が掠れる。ウルペクラは肩をすくめた。これは、ブラック兄弟にも言っていない。もっとも「ポッターと闇の帝王の繋がりはいささか強すぎる。血を取り込んだことだし、『分霊箱』と言ってもいいのでは」と兄弟に問いかけたところ「やっと気づいたか」と揃って言われ、ダンブルドアに訊けとため息を吐かれたのだけど。
「ポッターがナギニの中から見るはずがない、とあなたもわかっていたでしょう?」
「本体と六つの欠片で、あやつの大好きな魔法数字の七じゃからの。ハリーも素直に話してくれればいいものを」
「言いにくかったそうです」
「……君には言ったと」
「なにを考えているかわからず、眼も合わせてくれない人よりは信用されていますね」
「ちくちく嫌味を言うのは、父君の血かの」
「ここで父親を引っ張り出してくるとは。パーシバル・ダンブルドアのご子息? 僕に八つ当たりしないでくださいよ」
ロングボトム夫妻襲撃の主犯、闇の帝王の腹心の息子と、マグルの少年を襲撃した男の息子は軽く睨み合った。膠着を破ったのは、高い鳴き声である。ふわりと舞い降りた赤と金が、ダンブルドアの髭を数本引っこ抜いた。
不死鳥のフォークスである。神鳥とも霊鳥とも言われる彼は、痛い痛いと言う「ともだち」に構わず、いい加減にしろとばかりに今度は頭をつついた。
「――儂が悪かった! ハリーは変則的な『分霊箱』じゃ。ウルペクラ、君の推測は当たっておる」
叫ぶように言い、ダンブルドアは息を整えた。ともだちを虐め、不死鳥は高らかに鳴いて、止まり木に戻った。
「それで、なんじゃったかな。ハリーに真実を……?」
ウルペクラは茶器を軽く傾け、おかわりを要求した。大魔法使いと不死鳥の喧嘩を眺めているうちに、飲み干してしまったのだ。
新たな一杯に口を付け、囁いた。
「予言のことを話したほうがいい。眼を合わさない理由も、極力関わろうとしない理由も」
神秘部に保管されている硝子玉はいわば複製だ。予言はとある男の頭の中にある。アルバス・ダンブルドアこそが、予言を聞いた者らしい。
騎士団に知らされているのは予言の概要だけ。そして、闇の帝王が知るのは予言のほんの一部。だからこそすべてを知りたいのである。そこに 「ハリー・ポッターの殺し方」があるのだと信じている。
――それもただの
思いこみなのだが、とウルペクラは茶菓を手に取る。仄かな甘みを噛みしめた。
ハリー・ポッターをどうすれば殺せるかなんて、予言は歌っていないそうだ。
七番目の月が死ぬ時、闇の帝王に三度抗った者たちの間に生まれた子。打ち破る力を秘めた者。闇の帝王が比肩しうると印した者。それがハリー・ポッターなのだ。
ちなみに、同じ成人でもウィーズリーの双子は知らない。「あの二人が知れば選ばれし者だとか予言の子だとか騒ぎかねない」とレギュラスが却下したらしい。
ウルペクラは闇の帝王の『分霊箱』ゆえに、セドリックは「口が堅いから」と予言について知らされた。もっとも、予言のすべてを伝達されているとは思っていない。秘密主義のダンブルドアのこと、多少は省いているだろう。
そんな秘密主義のダンブルドアは、渋い顔をしている。おそらくこちらが素だろう。ふざけた爺の姿は、半ばつくりあげたものだ。ただの茶目っ気ある男が、ゲラート・グリンデルバルドを倒せるものか。
「恐ろしいことから遠ざけて隠すことが、守ることとお考えなのなら――」
「ハリーはまだ十五じゃ」
「へえ、僕なんて生後数ヶ月で闇の印ですがね。ポッターは一歳数ヶ月。たいして変わらない。監督生に選ばれなくて苛立っていて、嘘つきポッター呼ばわりされ、ついでに庇護者たるあなたには素っ気なくされて、これでシリウスが闇の魔術に対する防衛術の教師ならよかったろうにあの蛙ですしね。ポッターじゃなくても暴走の危険大ですよ」
ウルペクラの舌鋒は鋭い。遠慮してなんになろうか。祖たるフィニアス・ナイジェラス・ブラックが「そうだそれでこそブラック家の男だ。混血に臆してはならじ」と吼えていた。ウルペクラは彼の肖像画をちらと見て無視した。「え、ものすごく冷たい眼……」とフィニアスがいじけたが、これまた無視した。
「ウルペクラや、儂が冷血で、他人の気持ちに鈍感な愚か者のような言い方は」
「思春期の少年にとって、あなたはろくに説明せずに放置して、なにもしてくれないクソ野郎です」
ダンブルドアは固まった。ゲラート・グリンデルバルド以来、ダンブルドアを凝固させたウルペクラは、そんな偉業を成したことなど露知らず、返答を待った。
「知っても重荷に――」
「そうおっしゃるなら、僕をさっさと処分すればよかった」
老人の泣き言を、ウルペクラは切って捨てた。頭脳明晰な大魔法使いが、一人の少年のこととなるとただの凡人に成り下がるとは。驚きである。
「……僕とて『分霊箱』であることなど知らず、死んでいたほうが幸せだったのでしょう」
生きることは苦しい、それも終わりが近いとなれば、と呟く。校長室が、水を打ったように静まりかえる。ウルペクラは言を継いだ。
「予言の全容を知るのはあなただけ。どこまで話すかはあなた次第。ポッターには知る権利がある。ルックウッドが闇の陣営に戻った。つまり猶予は長くて数ヶ月」
「ハリーを誘き出す可能性がある。先手を打てということじゃな」
「僕ならシリウスを拷問して廃人にしますよ……とポッターに送りつけますね。のこのこ来ますよきっと」
「最悪じゃな君」
「最低と最悪とどっちがいいと思います?」
「……あてつけかの。最低の爺が話せばいいんじゃろ」
「いっそのことポッターを使って釣りをすればよろしいかと」
自棄気味のダンブルドアは、怪物を見るような眼をウルペクラに向けた。
怪物と怪物の息子、そして闇の帝王の黒き心臓はにぃっと笑った。
「僕は清廉潔白な男じゃないのでね。悪い連中のやりくちは承知している」