Black Heart Vulpecula   作:扇架

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二章開始


秘密の部屋
五話


 

 燦々と陽が降り注ぐ道。高い悲鳴と呻き、凍り付いたような顔をした影、影、影。

 坊ちゃま! と叫びが聞こえる。そろり、と眼を動かせば父の乳兄妹――親代わりの魔女が、杖を構えていた。だけれども、それだけだ。動こうにも動けない。

 なぜならば。

「お前が」

 悪いんだよお。

 生暖かい吐息が、頬にかかる。つんとした臭気に咳き込みそうになる。声を出そうとしても出せない。喉に杖を突きつけられているから。固い固いその感触に、震えることしかできない。

「お前たちが」

 悪いんだ。

 背後から、声が響く。深い深い恨みの声。

「死喰い人の子なんて」

 死ねばいいんだ。

 

 

 

「……純血でもなんでもない、マグル生まれの小娘に」

 お前が全科目で負けていることのほうが憂慮すべき問題だ。

 冷たい声に、ウルペクラは我に返る。ひび割れた水晶玉――持てば呪われる、悪夢ばかり見せる品――から眼を逸らした。少なくとも悪夢を見せるという効能は確かだろう。持てば呪われるかは不明。少なくとも即死級の呪いはかかっていないように思える。そもそも、ひび割れた水晶玉を贈り物にするのは無理がある。呪殺は不可能であろう。

 たとえば、と視線を巡らせる。

 ボージン・アンド・バークスには、下等な呪いの品――闇の品とも言う――から、なかなかの品まで揃っている。オパールの首飾りを使えば、暗殺も容易であろう。十九人のマグルを殺した、という説明書きを読むまでもなく、首飾りは陰々とした気配を放っている。濃い鉄錆の香に、それは似ていた。

 純血家系であり、死喰い人の両親の間に生まれたせいか、ウルペクラは呪いの品に敏感なのである。背後でくだらないやりとりが交わされていようと、わかるのだ。さあどうしようかと店内に眼をやれば、ひとまず暇を潰せる。あまりルシウスに近づきたくないのだ。

「それはグレンジャーが贔屓されているからで」

 ドラコのかすかに震える声。どうしたって父親に「穢れた血より劣る」と思われたくないらしい。

「――競技用の箒の話も、考えなければならないかもな?」

 ルシウスの言はどこまでも冷たい。みっともなく言い訳する息子がお気に召さないのである。マグル生まれで「生き残った男の子」の友人、ハーマイオニー・グレンジャーに負けたのはよいとして、その後がよろしくないと。

「……買ってくれるって、言ったじゃないか」

「競技用箒があっても、選手に選ばれないと意味がない。ハリー・ポッターのニンバス2000が羨ましいとつい一分前に言っていなかったか? ああそうとも、ニンバス2000の話など、いったい何度聞かされたことか」

 くだらない親子喧嘩が勃発。ウルペクラは眼を瞑り、開き、嘆息をこらえた。なにか興味深いものはないものか。本当に、面倒な親子である。ルシウスとドラコは。

 

 うんざりした灰色の眼に、闇色の飾り棚が映った。店内の奥まった場所、しかも暗い色をしていることもあって、すぐには気づかなかった。彫り込まれた装飾が見事だ、と手を触れる。呪いはかかっていないが――と指で撫でる。ただの棚、というわけではないだろう。政敵を放り込んで封印するとか……棚や箪笥は転移に使われることもあるから、対がどこかにあるかも。扉が指一本分開いている。さてはなにかが転移でもしてきたか? と見てみれば。

 鮮やかな緑とかち合った。ウルペクラはそっと扉を閉める。そんなまさか。明らかに人間の眼だった。知らぬ間に転移してきたのか? こういった棚や箪笥は、移動したいという意志が必要なものだ。マグル育ちが、そんなことを知っているとは思えない。

――ハリー・ポッターが

 生き残った男の子がいるわけがないではないか。

 いやいや、いると考えよう。ノットの父の教えである。いくら奇妙であろうと現実である。ちらりと見えたのは癖のある黒髪。緑の眼。ハリー・ポッターで確定であろう。ポッター家の生き残りは一人だけ。兄弟はいないはずだ。

 飾り棚の周りには、煤が散っている。煙突飛行に失敗してこんなところに迷いこんで、飾り棚に飛び込んだ、といったところか。

 

 よりにもよって、夜の闇横丁、闇の品を扱う店に来なくても。おそらく、ウィーズリー家に滞在し、煙突飛行。失敗といったところだろう。間違っても、ふらふらと一人でマグル居住区から出るわけがないのだから。なにせ「生き残った男の子」なのだ。周りが許すまい。護衛の一人や二人いてもおかしくない、やんごとなき身なのだ。

――当の本人は

 そんな自覚などないだろうが。

 一秒の三分の一で猛然と考え、仮説を打ち立て、ウルペクラは飾り棚に背を向けた。面倒事は嫌いだ。馬鹿馬鹿しい喧嘩をしているマルフォイ父子に、生き残った男の子が発見されればどうなるか。ルシウスは「保護」して恩を売るかもしれないし、ドラコは素直すぎるので、迷子になったポッターを嘲笑するであろう。

「聞く限りではハーマイオニー・グレンジャーはとびきり優秀です。寝食を忘れて勉強する類」

 ドラコをそんな頭でっかちに仕上げたいとおっしゃるので、叔父上?

 舌を滑らせる。眉間に皺を立てていたルシウスが、ウルペクラに面を向けた。対して「ウル!」と眼を潤ませたのがドラコである。良くも悪くも素直な従弟である。別にお前を助けたわけじゃないのだがね。

「しかしな、純血たるもの――」

「ドラコは学年上位ですよ。百店満点の試験で百二十点とるような子と、比べてやるのはどうかと」

 こつ、と靴音を響かせ、父子に近づく。ドラコの肩をそっと掴んだ。

「我らの血は尊い」

 叔父上は星の一族の娘を娶り、その息子には夜闇の血が流れている。

「所詮、勉学に縋ることしかできない子ですよ。ドラコはそれを哀れんで、譲ってやったのですよ」

 星の一族の、夜闇の血を継ぐ者は、さらさらと言の葉を紡ぐ。母親から継いだ灰――星の眼を、冷たく煌めかせた。

「箒を買う約束を反故にするのは、どうかと」

「言ってみただけだ」

 ルシウスは肩をすくめる。さて、どこまで本気だったのか。はたまたどこまで嘘だったのか。喧嘩が続行していれば、箒はなしになった可能性が高い。ルシウスは出来のよい息子、従順な息子は好きでも、小生意気で言い訳ばかりする息子は好かないだろうから。

「……そういう、舌の動きが滑らかなところは」

 ロドルファスに似たか。くっ、とルシウスが喉を鳴らす。ウルペクラは「さあ?」と首を傾げた。性格の悪い叔父である。親子喧嘩に割って入ってきた甥に気分を害しているらしい。

「悲しいことに、僕は孤児なので」

 ええ、叔父上たちには感謝しておりますとも。こうして買い物に誘ってくださった。

 精一杯「かわいそうな甥」を演じてみせれば、ルシウスが愁眉を解いた。

「君の誕生日の贈り物を買いにきた」

 それも兼ねているんだが。

「愛情だけはたっぷりといただいていますよ」

 ドラコの肩から手を離し、ひらひらと振ってみせた。右手にはまった指輪が煌めく。

「……たぶん、叔母上が」

 お選びになっているでしょうね。

「うむ。チェスセットや箒でも、ナルシッサは否とは言わないだろう」

 先ほどのまでのちょっとした不機嫌はどこへやら、ルシウスは一転して甥に同情的になった。

「叔母上が楽しそうなら、それで」

 ウルペクラは遠い眼になった。ダイアゴン横丁の服飾店にいるであろう、ナルシッサことシシー叔母の姿を幻視する。

 彼女はウルペクラの服や装飾品を見立てるのが大好きなのだ。指輪やら腕輪やら耳飾りやら、服やら。ドラコは嫌がって付き合ってくれないものだから。ウル、これなんてどうかしら……と。

 時たまお買い物にご一緒したのがよくなかったのだろう。お似合いですよ叔母上、と言ったのもよくなかったのだろう。いつの間にか、叔母から装飾品を贈られるようになった。さすがに正装一式をはじめとした衣は、レストレンジで誂えているが。耳飾りや指輪はひとつ、ふたつ叔母から贈られたものを付けていく。

「……すまないな」

 あれは娘をほしがっていたもので。

 仮にマルフォイ家に娘がいたら、どうせ僕と娶せたのでは、と返すことはせず、ウルペクラは店の主に顎をしゃくった。

「ところで、」

 なにやら大事な相談事があるのでは?

 

 

「やあ、君も避難してきたくちかな」

 静かな声に、ウルペクラは瞬いた。額に当てていた手を離し、声の主に軽く一礼する。

「こんなことなら、別の日にしたんですが」

 まったくだ、とノット家の主――ドラコと同学年の、セオドール・ノットの父が笑う。彼の眼が階下を見やった。ウルペクラもそれに倣う。

 人がひしめいている。主に女性。書店員が列をつくろうと奮闘している。やたらと明るいのは、照明があちこちに配置されているからだ。

「ギルデロイ・ロックハート」

 ノットの父が鼻を鳴らす。ウルペクラは同意の印に頷いた。柵を掴み、二人はわずかに身を乗り出す。間違っても下に降りたくはない。薄っぺらい笑顔の小説家のサインに興味はないのである。店内は熱いわうるさいわで最悪だ。ただでさえ呪いの気配が鼻腔にこびりついているのに――ボージン・アンド・バークスに滞在して酷くなった――「表」の書店でこの有様。ウルペクラは静かに本を選びたいだけなのに。ロックハートの本を買うつもりはないが。

「ダンブルドアはなにを考えているのか」

 水を向ければ「さて。教師の不適格を理由にルシウスは頑張れるかな?」とノットの父は片方の眉を上げてみせる。ノット家も情報を掴んでいるか。ひょっとしたらウルペクラと同じく、ルシウス経由で知ったのかもしれない。今年の闇の魔術に対する防衛術の教授は誰なのか。

「クィレルが死んだでしょう」

 それで、成り手がいなかったのかと。

 ウルペクラは囁く。ノットの父も声を落とした。二階には二人だけだというのに。お祭り騒ぎで、聞かれるはずもないのに。

「セオから聞いたが」

 賢者の石をあの方が手にしようとした、とか。

 あれも……と、ノットの父は上を見る。彼の息子はもっと上へと逃れたらしい。無理もない。セオドール・ノットはウルペクラと同じく、喧噪を好まない。また、ウルペクラと同じくクィディッチの観戦だって渋々行っていた。あんな騒がしいのは耐えられない、というのがウルペクラとノットの共通認識だった。生き残った男の子の飛び手の才はじっくりと観たので、今年からはまたクィディッチなんて興味なし、の生活に戻るつもりだ。

「そしてハリー・ポッターがあの方を阻んだ」

「――とだけしか聞いていないわけだ。私の息子も、生徒たちも」

「わざわざクィレルが死んだ理由なんて言わないでしょう」

「あのお方が乗り移っていた……?」

「僕はそう考えますね」

 ノットの父を横目でみやる。彼は顎に手を添え、軽く唇を噛んでいた。

「生きておられたか」

 かすかに震える声。マルフォイ家と同じく、ノット家も不忠者の一柱である。あのお方、闇の帝王と呼びながら、主を打ち捨てた者の一人がノットの父だ。

 彼の声には喜びはなく、ほんの少しの驚愕と、納得があった。ウルペクラは息を吐く。

「あなたの仮説は当たっていた。叔父上は荒唐無稽と笑っていましたが」

 僕も、強いて彼に「公然の秘密」について話していません。子どものくせにと叱られるに決まっている。

「ダンブルドアに騙されるな、と言いそうじゃないですか」

 でも、あなたは違った。ありえない仮説は的中した。あの方は生きていた。

 ウルペクラは、一段と声を低めた。

「――印が消えていないにしろ、生存説を唱えるには……」

 少々弱い。空に闇の印が打ち上がったわけでもないのに。

「儚いままの印。行方の知れぬあの方」

 ノットの父が小さく口笛を吹いた。

「ほとんどの者が生存を信じていない。だが……」

 ダンブルドアは警戒を怠らなかった。およそ十年もの間――。

 

「――生き残った男の子を隔離した?」

 ウルペクラの眼は、鮮やかな色の煙と、ぱっと閃く光、ひきずられるようにして明かりの下に連れ出されるハリー・ポッターの姿を捉えた。どうやら、夜の闇横丁から脱出できたようだ。一難去ってまた一難。今度はロックハートに目を付けられた。

「あのお方がお亡くなりになっていれば、ダンブルドアの手元で育てるなり、彼が信頼する名士に託すなりできたはずだ」

 我々があるいは魔法省が、ひしめく泡沫貴族ども、貪欲な商人どもによる争奪戦もありえたが――実質的に、ハリー・ポッターの後見はアルバス・ダンブルドアだった。

「……各家は消耗し、陣営は混乱していました。それは魔法省も同じだった」

 あくまでも聞いた話。もちろん、レストレンジ家はくだらない争奪戦に参戦できる余力などなかった。そもそも、闇の帝王の消息が絶えて二十四時間も経たないうちに、ハリー・ポッターは隠された。

「シリウス・ブラックという線もありえたが」

 あれは監獄の闇に沈んでいる。

 聞いたことは? と目配せを受けて頷いた。

「裏切り者だとか。ハリー・ポッターの後見、名付け親。ジェームズ・ポッターの親友」

「そして君のお母上の従弟にあたる」

「本当に、僕は肉親の縁が薄い――話を戻しましょうか」

 言を切り、続けた。

「結局のところ、ダンブルドアはハリー・ポッターを隔離したまま。それはあのお方が生きていると信じているから……?」

「そういうことだね。たとえば血を裏切る者のウィーズリーに休みの間預けているのも……鼠よろしく人数が多くて、しぶといからだ……」

 ろう、と言い掛けて、ノットの父が眉をひそめる。ウルペクラは天を仰いだ。階下、列は崩れている。遠巻きにしているのだ。

「血を裏切る者に」

 純血が噛みついているんですが?

 嘆きの籠もった声に、ノットの父は嘆息した。

「行ってきたまえ」

 私は遠慮する。甥の言うことなら聞くだろう。幸運を祈る。

「そこは大人の義務として加勢してくれても」

「嫌だよマルフォイとウィーズリーの間に割って入るなんて。私は外向きじゃないんだ。学者の類だよ」

 大人って本当に、と悪口を言い、ウルペクラは階段を駆け下りるのももどかしく、さっさと柵を乗り越え、飛び降りた。

 ちょうど、ロックハートの上に着地してしまう。呻きが聞こえたが「失敬。緊急事態なので」と軽く謝った。

 倒れた書棚からこぼれ落ちた、分厚い本を手に取る。つかつかとドラゴン革の靴を鳴らし、取っ組み合いをしている大人たちに近づく。

「なにをやっているんですか!」

 叔父上! と叫ぶと同時に、投擲。親愛なる叔父、マルフォイ家当主の顔面に、過たず衝突した。

 ポッターが「うわあ野球選手の■■みたいだ」とこぼすのが聞こえた。なんだその野球とやらは? と訊く元気もなく、人垣に紛れていたドラコを手招く。うずくまり、顔を押さえている叔父を見下ろした。

「貴族がなんたるざまですか」

「君のせいだろうが!」

 だらだらと鼻血を流しながら言われても。じろりと睨めば「くそっ、シシーにそっくりだ」と悪態をつかれた。その隙に叔父の肩に手をかける。が、振り払われた。

「介助は不要だ」

「良識はないようで」

 長居は無用、とウルペクラは小さな革袋をポケットから取り出した。涙目の店主に向かって投げる。

「お邪魔しました」

 ゆっくり買い物するはずが、とんだ惨事である。投げた本の弁償、騒ぎの補填には足りるだろう。結局、教科書やほしい本を買うこともできなかった。

 さっさと出て行くはずが、しつこくウィーズリー――双子の父――に絡むので、叔父をもう一度殴るはめになった。

 ロックハートの笑顔に、点々と血が散った。

 

 合流したシシー叔母に「よくやりましたウル」と誉められ、少しだけ気分が上向いた。道の端で、がみがみと自らの妻に叱責されるルシウスを眺め、すんと鼻を鳴らす。こびりついていたにおいが消えている。

 はて、と首を傾げた。あの大騒ぎで落としたのだろうか、ルシウスは。あんな取っ組み合いをしていたら、闇の品を落としてもおかしくはないか。

 それにしては探しに行く気はなさそうだな……と叔父を見る。まだまだ説教は続きそうだ、と見切りを付けた。

「叔母上」

 僕はグリンゴッツに行ってきます。そう言って、付け加えた。

「ドラコも一緒に」

 所用を済ませ――金貨の補充だ――アイスクリームパーラーに腰を落ち着けた。ここにいるとは言っていないが、シシー叔母のことだから察するだろう。

 父上はあんな血を裏切る者に構うなんて、等々と言うドラコは、呑気なものである。周囲の反応から推測するに「ほぼ確実に死喰い人であったろう」マルフォイ家が「マグル好き」のウィーズリー家に絡みに行った図である。みっともない以前に、あまりにもうかつである。

――なにを考えておられるやら

 夜の闇横丁に出入りするのも控えるべきなのに、公衆の面前であの騒ぎ。ドラコはともかく、ルシウスはわかっていてもいいはずなのに。

 闇の陣営に恨みを持つ者は多く、関係者であればそれがたとえ子どもでも……。

 罰を与えたい、と願う者どもがいるのだと。

 アイスをひとくち舐める。なぜだか苦い味がした。所詮、マルフォイは巧くやり、レストレンジは忠義と狂気により沈んだ。両親に矛先は向かず、ウルペクラに向いた。

 少々減ったとはいえ、溢れんばかりの富がなんになろうか。恨まれ、狩られれば意味はない。レストレンジは絶えるであろう。

――あの美しいものは

 黄金のカップもまた、金庫に置き去られ、次の主を待つのだろう。薄い薄い血のレストレンジの手に渡るのだろう。

「……いったい、どこであんなものを手に入れたのか」

 見事な細工の、穴熊が印された黄金のカップ。レストレンジはスリザリン系のはずなのだが、と昔から謎に思ってきた。

 闇の気配がしなければ、邸に持って帰ったのに。

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