一月が飛ぶように過ぎ、二月に突入した。魔法大臣による緊急事態宣言などは出されず、従って平和な世は続いていた。
――あくまでも
表面上だが。
『三本の箒』に入店したウルペクラは、眼を眇める。
食器の触れ合う音、椅子の軋み、足音や衣擦れ……雑多な日常に紛れるのは、幽かな囁き。
混み合う中を縫うように進むうち、耳をそば立ててしまう。
――死喰い人は未だに捕まっていないとか
――アズカバンは放棄されたと
――けれど大臣はそんなこと……
――そりゃ俺が吸魂鬼でもご馳走をくれるやつに従うさ
――まさか『例のあの人』が
呟くような言の出所は、しかとわからない。定まらないほど多く、しかし声高には言えず……ひそ、とあちらこちらから湧いて出る。
言わずにはいられない。どこかで吐き出さないと耐えられない。なんてことないと思いたい。けれど、ホグワーツに居座る「高等尋問官」に聞かれるのは怖い、といったところか。
ホグズミードはホグワーツのお膝元。いわば城下町のようなものだ。ドローレス・ジェーン・アンブリッジの噂が届いているに決まっている。ゆえに、魔法省の権威を――ファッジのせいで陰っているが――疑うようなことを口にはできない。高等尋問官様が城という箱庭からおいでになり、妙な言いがかりをつけられてはたまらないから。かなり無理のある解釈だが、ホグズミードはホグワーツの一部である、とファッジが押し通さないとも限らないのだ。ホグワーツ特急の停車駅の名はホグズミード駅なのだから。つまり、ホグズミードも高等尋問官が掌握できる、流言飛語を軽々しく口にする者は処罰できる、と魔法大臣令を下すことは――限りなく低いにしろ、ありえなくはない。
さすがにありえないと思いたい、と考えながらも足は進む。アンブリッジの我が儘勝手な振る舞いを許している時点で、ファッジも似たような類であろう。暴君ごっこに夢中なアンブリッジ様により、そのうちホグワーツで使われる食器の種類からなにから規制されそうだ。その行き着く果てはマグル生まれ追放か、ローブの色分けによる階級社会の出現であろう。マグル生まれは灰色のローブ、最高位は緑のローブ、とかやりかねない。魔法処方式である。もっとも、あちらは首席は何色、追放者は何色という定めであって、血筋による階級分けではないらしいが。
あれをさっさと除かねばならないな、とため息を吐き、ウルペクラはどうにか最奥の席にたどり着いた。
「……珍しい取り合わせもあったものざんす」
「ポッターにグレンジャー、ラブグッドにレストレンジ。僕も妙だと思うよ」
リータ・スキーター。
そう呼びかけて、ウルペクラは席に着く。ざっと周囲を見回し、盗聴防止等がかけられていることを確かめる。スキーターの手によるものであろう。品のない記事を書く女は、少なくとも動物もどきになれるだけの才はある。仕事の関係上、潜入や盗聴は得意であろうし、逆――見破りの術や盗聴防止もしかりだ。グレンジャーは知っていても手慣れていないだろう。緊張した様子で座っているポッター、さくらんぼを食べているラブグッドには縁がないし、使えないはず。スキーターしかありえない。
そんな優秀な女は、尾羽打ち枯らしているようだ。装飾品の類は耳飾りくらい。衣は質素で、実に地味である。髪を巻くのも面倒なのか、短く切っていた。
――社会派として鳴らしていた頃は
こんな姿だったのだろうか、と他愛もないことを考える。昔は児童虐待やら闇の陣営と魔法省の戦いやら、あれこれ追っていたようだ。マッキノン一家惨殺……プルウェット兄弟殺害……悲惨な現場に踏み入って、生々しい写真を撮り、記事を書いた。
闇の帝王凋落後、そんなお堅い路線では食い扶持を稼げなくなったのだろう。スキーターは方向転換した。品がなくて、毒があって、だからこそ愉快なものを書くようになった。
筆力があるのは確かだ――と思ったのも束の間、ウルペクラに矢が打ち込まれた。
「それで? ハリーがまともだとか、マグル生まれの友だとかいうお花畑な記事を書け……なんていう集まりざんすかね? レストレンジが擁護したって無駄でしょうに。ミスター、あんたで儲けたいとは思うけれど」
質素な身なりのスキーターはしかし、落ちぶれようとも野心だけは捨てていないようだ。よく回る口である。
――この女
そう思うも、ウルペクラは耳を傾けてやる。会話の基本は雑談からだ。付き合ってやろうではないか。
「どう儲けるって?」
「見栄えのよいお嬢さんを貸してくれれば、すぐにでも。着せかえごっこして、見せ物にするなんて趣味が悪いざんすねえ。北のの差し金――」
急に呼び出された腹いせだろう。スキーターは大人げなくウルペクラを挑発する。お前を呼び出したのはグレンジャーだろうが、と言っても無駄だ。取り合わず、流せばよい。そう思っていても、口が勝手に動いた。
「期せずして淑女の姿を晒してしまっただけだ。お前の言う「北の」の差し金とは失礼な。衣装一式、髪飾りから衣から靴まで、僕の持ち出しだ」
ぴしゃりと言う。スキーターの言わんとするところは、嫌というほどわかっている。グリーングラスの娘をたぶらかして、商人からの贈り物を着せて「レストレンジ」の装飾品にしてしまったのだろう、と。よくある話だ。よい家の美しい娘を侍らせる。一種の誇示となりえる……。
ウルペクラがダフネを伴ったのは、そうしたかったから。商人が記事を書かせたことは想定外だったが仕方がない。それで、ダフネに悪い虫が寄りつかないのなら。
「惚れているから同伴して、一番綺麗に見えるように一式も贈ったと言えば可愛らしいのに」
「どこの恋愛小説だ」
スキーターは完全に面白がっている。だいたい、衣装合わせはダフネの希望に沿ったもので――装飾品はウルペクラが見立てたが――確かに綺麗であった……と顔をしかめる。じわじわと湧き上がる苛立ちを、封じこめた。
ダフネから「指輪がほしい」と言われていることも心の奥の奥へ放り込む。婚約指輪など、仰々しいものではなくてなにかお揃いのものがほしいようだ。控えめで可愛らしいお願いである。虫除けもかねて揃いの指輪はもちろん検討したいが。
――終わりが決まっているというのに
贈ったところで、と昏い思考が過ぎる。振り払うように、スキーターからグレンジャーへと視線を転じた。
「僕で儲けようと思うな。北の商会の怒りを買いたくないのならな。書いてほしいのは――」
ひら、と手を振る。するり、とグレンジャーが会話に割り込んだ。
「ハリーについて。正確にはヴォルデモート復活の夜について」
スキーターは鼻を鳴らす。
「いいかい小娘。あたくしにハリーに関する記事を書くことを禁じたのはあんた――」
「記者のあてがあまりないのよ」
グレンジャーはさらりと言う。スキーターの矛先が、今度はウルペクラに向けられた。
「御用商人お抱えの記者がいるざんしょ」
「レストレンジがポッターを擁護するなんて、それこそ怪しまれるだろう。僕は顔だけが取り柄の嫡子。死喰い人と死喰い人の子。それか、脱獄犯の息子特集で儲けたいかスキーター? 僕が父母について述べるとすれば、さっさと朽ちろくらいのものだが」
ウルペクラは滑らかに言いながら、スキーターの手元から杯を奪った。中身を卓に空ける。深い葡萄色に指先を浸した。
円を描き、古代語を連ね、盗聴防止を重ねがけしながら、ウルペクラは告げた。
「お前だって真実を知りたいだろう? あの夜なにがあったのか……魔法省が躍起になって否定する、重大事件の完全版を」
その途端、スキーターの眼に光がちらつく。貪欲に真実を追い求める者の、ぬめるような視線がポッターを狙う。
最高に嫌そうなポッターを尻目に、ウルペクラはとどめを刺した。
「後の世でこう語られるだろう」
あの記事が、悪い大臣失脚のきっかけとなった。
真実の訴えに耳を傾け、名文を綴ったのはリータ・スキーターという女であった、と。
発行された『ザ・クィブラー』を、新聞部が大量に買い付けてホグワーツ中にばらまき。
あらゆる書誌を収集することを是とする図書館もまた、その雑誌を棚に納め。
流言飛語が連ねられた危険な本の処分を掲げ、図書館に踏み入ったアンブリッジと取り巻きが叩き出されるのは、数週間後のことである。
彼らはロウェナ・レイブンクローの――司書と図書委員たちの怒りに触れたのだ。
廊下に這い蹲る愚者たちに、司書は高らかに歌った。
我々はあらゆる資料を収集し、提供する。
秘密を守り、検閲に否を唱える。
この自由が侵害された時、断固として抗う、と。