「そんなくだらないことで、僕の両親は殺されたと?」
真夜中の校長室に響くのは、少年の戦慄く声。両の拳を握りしめるハリー・ポッターは顔色を失っている。見開かれた双眸には痛みが滲んでいた。
無理もあるまい、とウルペクラは視線を逸らす。真実の開示は幸福を約束しない。むしろ、知らなければよかったと後悔することのほうが多かろう。
ポッターとて同じだ。両親が殺されるきっかけとなったのがくだらない予言、実現しなければ戯言に等しいものなどと、聞きたくもなかったろう。
「……僕はただ、なにも……特別な力なんて」
悲鳴のような声を強いて聞き流し、ウルペクラは『ザ・クィブラー特別号』を手に取った。十五歳の少年の面倒をみるべきなのはダンブルドア。それとセドリックだろうか。ウルペクラの出番はあるまい。ソファにセドリック、ポッター、ウルペクラと並んで座っているのは成り行きだ。いい加減予言について開示しろ、とウルペクラがつついた関係上、呼び出されれば応じるしかなかった。セドリックも呼び出されたのは、予言のことを知っており、実力があり、口が堅いから。そして「予言の開示」のその先の話をするには、セドリックの存在も織り込んでおくべき、とダンブルドアが判断したからだろう。
「選んだのはヴォルデモートじゃよ」
ダンブルドアがポッターを宥める傍ら、ウルペクラは雑誌を繰った。通常の号より薄いそれは『例のあの人復活の夜』の反響を受けて、発行したものだ。正確には『ザ・クィブラー』焚書未遂騒動が「なぜか」漏れて、そうそうたる面々が声明を出したのだ。
やれ、魔法省はホグワーツの改革を謳いながら、マグルのような真似をなさる……。『ザ・クィブラー』がくだらぬ雑誌とお思いならば、捨て置けばよいものを。有害図書と定め、狙い、回収すると言う。回収とはつまり焚書であろう。
弾圧について痛烈に非難したのは魔法史家のバチルダ・バクショット。専門はもちろん魔法界の歴史であるが、いわゆるマグルの蛮行についても詳しいようであった。
ホグワーツは独立不可侵である。土足で踏み入り、気に入らぬ本を処分しようとし、自由意志を制限するとは遺憾である。
ましてやアルバス・ダンブルドアはゲラート・グリンデルバルドを倒した男であり、ウィゼンガモットが彼の地位を剥奪したこと愚行としか言いようがない。魔法省に忖度するとはいかがなものか、と述べたのはウィゼンガモット魔法戦士であった――ダンブルドアがウィゼンガモット主席魔法戦士の地位を剥奪されたことを受けて辞任した――チベリウス・オグデン。
おなじくウィゼンガモット魔法戦士だった――彼女もダンブルドアの地位剥奪を受けて辞任――グリゼルダ・マーチバンクスは「腐った権力は真実の口を塞ぎたがるもの」「そも、子どもを誹謗中傷するとは何事か」と舌鋒鋭く語った。ついでに司法機関たるウィゼンガモットにも喧嘩を売っていた。かつては選ばれし者、魔法選士、転じて腐敗と戦う意の戦士――と呼ばれたウィゼンガモットがなんたる様か。我々は放浪の魔法戦士などではない。天秤の守り手の矜持はどこにいったのか、と。
三者とも、魔法省の体たらく、ダンブルドアとポッターへの弾圧、ホグワーツへの干渉……と苛立っていたところに図書館への侵犯が加わり「くだらない雑誌」に協力することにしたようだ……とはルーナ・ラブグッド情報である。「なんだかすごい人たちの記事が載っているんだよ」と言い、ウルペクラに雑誌を寄越そうとしてきたので、固辞したのは記憶に新しい。レイブンクローの友達に配ってやれと言えば「友達いないもン」と返され「じゃあ五十冊買ってやるから新聞部に流せ」とつい言ってしまったのも記憶に新しい。
新聞部の財布は無尽蔵ではない。先の三月号で相当な量の『ザ・クィブラー』を買い付けたのだから、手元不如意であろう、という気遣いである。友達がいない女の子の発言に影響されたわけではない、決して。
時間潰しに特別号を読みつつ――既に読んでいるので流し見るだけ――頭を占めるのは先の三月号である。くだらない雑誌の効果は予想以上であった。今ではすっかり『例のあの人復活の夜』は人口に膾炙している……。
「予言のことはわかりました。でも、スネイプとの閉心術の訓練は……? 憑依じゃないってウルペクラは言いましたし――」
水を向けられ、ウルペクラは雑誌から眼を上げた。ダンブルドアに片眼を瞑られ、舌打ちをこらえる。なぜ面倒な説明をこちらに投げる。
「その通り。が、漏洩の危険があるのでダンブルドアは訓練をご所望だ……僕は別にいらないと思うが」
隣のポッターは眼を輝かせる。よほど閉心術の訓練が嫌らしい。
――やる気のない生徒に
スネイプがきちんと高度な魔法を教えるものだろうか、と疑念が兆す。
「念のため、継続したほうがいい」
途端にポッターの眼が淀んだ。閉心術の習得は絶望的であろう。それか、継続しては都合が悪いのか。悪いだろう。それにしても、どれだけ嫌なのだ、閉心術の訓練……というウルペクラの思いを代弁するように、セドリックが問いかけた。
「スネイプ先生になにかされたとか?」
「そういうわけじゃないよ」
ポッターが勢いよく首を振る。ここぞとばかりになにかされたと言い切ると思っていたが、予想が外れた。それともポッターは他人の悪口を言うと、あまり品よくなく見えるという建前を学んだのだろうか。
「お前とスネイプの相性が悪いくせに、薬臭い室に放り込むどこかの御仁の采配はどうかと思うが――」
説明役を振られた意趣返しをダンブルドアにしつつ、ウルペクラは舌を動かす。
「完璧に習得しろとは言わない。そろそろ闇の帝王がお前との繋がりに気づいていてもおかしくない。そして、僕らが――ダンブルドアが繋がりについて承知しているはず、なにか対策くらい打っているはずと考えるだろう」
あまりに無防備だと、闇の帝王は勘ぐるかもしれない。罠があるのでは、と。簡単に事が運びすぎている、と違和感を抱かれることがなにより怖い……とウルペクラは説く。
ポッターは瞬いて、ダンブルドアを見て、ウルペクラを見た。
「――なにか策があるんだね」
諸々すっ飛ばして、ポッターが核心を突いた。ウルペクラは「お前、スネイプが言うほど愚かでも馬鹿者でもないな」と思わずこぼした。ポッターの眉間に皺が寄り、セドリックが「愚かで馬鹿だったらヴォルデモートから逃れられないだろう」とすかさず言った。
「いいか、お前に点が辛いのはスネイプであって僕じゃない」
断って、ウルペクラは息を吐いた。
「策はある。単純明快、囮作戦。お前が主役さ。知っているかポッター」
神秘部はその昔、処刑場だったそうだ。
――ウルペクラがせっついて
ハリーに情報を与えたのは正しかった、とセドリックはつくづく思った。
話し合いから数週間後――四月、勉強会ことDA軍団は瓦解した。そうして、ダンブルドアは逃亡する……。
――まったく逃亡者には見えないのだけど
大魔法使いは実に飄々としている。彼はある程度予期していたのだろう。アンブリッジがでっちあげでもなんでもして、いずれなにか仕掛けてくると。
『ザ・クィブラー』という悪書を世に出させ、失態を演じ、トレローニー追放に失敗し……と、アンブリッジは成果をあげれていない。忌々しいホグワーツを突き崩したくて仕方なく、ダンブルドアを排除したくてうずうずしていたのだから。そのとっかかりがDA軍団だっただけのことだ。
だから、ウルペクラにせっつかれる形とはいえ情報を開示し、作戦を伝えることに同意したのであろう。
「ああハリー、落ち込まなくてもよい。君は自分にできることをしようとした」
儂は嬉しいよ、とダンブルドアはにっこりする。肩を落としていたハリーが、その言葉を受けて背筋を伸ばした。
セドリックは少年の横顔をちらりと見て、床に転がっているアンブリッジに一瞥をくれる。
――今ならば
適当に錯乱の呪文でもかけて、高等尋問官は任に堪えないとしてもよいかもな……と邪悪な考えが過ぎった。
いけない、どこかのこぎつね座のせいで、妙な考えが浮かんだではないか……と軽く眼を瞑り、開いたそのとき、ダンブルドアがセドリックの肩に手を置いた。しわだらけの、枯れた手はなぜかずっしりとした重みがあった。
「頼んだぞ、セドリック」
お任せください、と返したとき、ローブのポケットになにかが滑り込んだ。ちらとライトブルーの双眸を見やれば、細波ひとつ立っていない。
――杖なし呪文か
しかも、無詠唱でなにかを転移させた。気になりつつも、面には出さない。
不死鳥とともに旅立った大魔法使いを見送って、セドリックはローブのポケットに手を入れた。
滑らかな感触を掴み取る。かすかな、ちゃぷりという音がした。
取り出したそれは小瓶。中に封じられているのは、月光をとかしたような、仄かな輝きであった。