金と紅の輝きが視界を過ぎる。細長いそれは東洋龍を模していた。もちろん小型版だ。実物大ならば、何巻きかしなければ収容できまい。そもそも、ここ――図書館は火気厳禁だ。
ウィーズリーの双子作、ドラゴン花火はいかにも気持ちよさそうに宙を泳いでいるが、退場願うしかないだろう……とウルペクラは杖を振った。
双子曰く「消失呪文だと十倍に増える」そうなので、転移を選んだ。ホグワーツでは姿くらまし、現しはできないが、物の消失や出現は可能だ。つまり、アンブリッジの「校長室」にドラゴン花火をお送りできるのである。
ちいさなドラゴンが、青い光に包まれて消える。ポート・キーの応用だ。
「かわいらしい贈り物を、いったいどこに?」
「お忙しくされているだろう、新校長殿のところへ」
手間が省けていいだろうと言えば、ダフネは小さく笑った。ウルペクラの手つきを真似て、彼女も杖を振る。ドラゴンたちが掻き消えた。
「普通魔法試験、全科目優だろうな」
真似ただけでできるとは、という感心をこめて言えば、ダフネは肩をすくめた。
「どうかしら、魔法史がね……」
「純血貴族はたいていそうだろう」
家系図とともに、先祖の誰それがなにをした、殺された、殺した、マーリン勲章を得た、戦を仕掛けられた、魔法大臣を輩出したなどという長ったらしい歴史を叩き込まれる。ウルペクラの場合は祖先の流転と北の都の顔役になるまでのあれこれ、魔法大臣ラドルファス・レストレンジについてが主だろうか。ダフネ――グリーングラスは、血の呪いによる非業の死について、嫌というほど聞かされて育ったに違いあるまい。忌まわしい呪いならば忘れてしまえばいいものを、いつまた表に顕れるかわからずに、恐れ恐れて言い伝える……。
純血にとって、歴史とはどこかの誰かの物語ではない。連綿と続く血の鎖、長く長くのびた影。振り払えぬ闇を孕む。ホグワーツでまで、意識したい者は多くないだろう。
「とはいえ、落第もしたくないだろう。呪文学は十分だろうから、魔法史を語って聞かせようか、お嬢様」
ダフネの耳元で囁く。
「勉強どころじゃなくなるわ」
あなた、声がいいのだもの。ダフネの返事は、かすかに震えている。このまま歴史を語り聞かせ、彼女の耳朶に吐息を吹きかければどうなるかな……と誘惑が襲い来る。
健全な勉強である。けしていかがわしくなどない。きちんと適正な距離をとっている。そこらの恋人たちのように、べたべたと密着しているわけではない。ただ、並んで腰掛けているだけ。そのほうが勉強をみやすいのだ。
「お褒めいただいて光栄だ」
ウルペクラはすっと身を離した。ダフネの肩から力が抜け、眼に力が戻った。
「あなたの勉強はいいの?」
さりげなく椅子をずらし、ウルペクラから一、二センチ離れた。その上、早口でダフネが言うものだから、おかしくてならなかった。人に接吻して勝ち誇っておいて、やはり良家のお嬢様なのだ、ダフネは。
じわじわと腹が熱くなるのを悟られないようにしながら、ウルペクラは返した。
「君の勉強をみるのも、高等魔法試験対策の一環だ。それで、魔法史に移る――」
か、と言い掛けた時、ざわめきが宙を渡り、足音が近づいてきた。現れたのはドラコだ。彼は、図書館襲撃には加わっていなかったので、出入り禁止になっていないのだ――と思い出す。淡青の眼を見やれば、ドラコは視線をさまよわせていた。
――いかがわしい真似はしていなかったはずだが
ウルペクラはとっさに、己とダフネの椅子の距離を目測する。少なくとも足が触れ合いそうな幅ではない。拳二つ、三つくらいであり、単に並んで座っているだけだ。
「すまないウル、ダフネ」
ウルペクラは真剣に「破廉恥に見えない適正距離」を考えていたが、ドラコの動揺は従兄とその恋人由来ではないようだった。なぜならば、ドラコの口端はひくひくと痙攣していたから。ぐっと腹に力を込めているのが見て取れた。なんのことはない、笑いを堪えているのだ――とウルペクラは悟った。
「どうした、ついにあの女が担がれて湖に捨てられたか。それか森でケンタウルスに踏みつけられているか?」
あてずっぽうに言ってやる。後日、その発言の後半部分が的中するなどと思いもせずに。
ドラコは眼を瞑って開く。湖だったらどんなによかったか、と彼は呟き……こう続けた。
「モンタギューがトイレで発見された。便器に頭を突っ込んでるようで……」
「高等魔法試験が近づいて、いかれて、自分探しの旅に出て、便器か。さっさと救出してこい」
「人体に縮小呪文は難しいし、頭だけ消失、出現は怖すぎるだろ」
「知らん。僕が許可する。普通魔法試験の勉強だと思ってやってみろ」
「ウルと同学年だろ。ウルの担当じゃないか」
「高等尋問官殿は、学校の秩序のために動くんだろう。このままじゃモンタギューはトイレで溺死か……」
哀れ、と言ってやる。ドラコはきりきりと歯を食いしばり、踵を返した。どうやら、汚いし面倒な救助作業をウルペクラに押しつけたかったようだ。くだらない言い争いをしている間にも、モンタギューの顔面は便器で渋滞している。少量の水でも人は死ぬらしいが、魔法族ならば多少は保つだろう。なんにせよ、モンタギューを助けてやるつもりはない。
「現場を見張っているのはお前のお付き二人だろう? ならノットを連れて行け。解決策をひねり出してくれるだろう。途中でスネイプ先生に会ったら同行願うことだ」
ドラコの背に言ってやる。「じゃあ、ウルが来てくれたらいいだろう、意地悪!」と実に子どもっぽい返しをされた。ウルペクラが「意地悪」しているのはモンタギューに対してなのだが。
ドラコの姿が消える。ウルペクラは、そっと息を吐いた。モンタギューめ、思ったより早く戻ってきたか。ひょっとしたら数週間は「どこでもない空間」を漂っているかと考えていたが。単なる運か、それとも姿くらましで無理矢理脱出を試みたのか、現世に帰還できたようだ。
――じたばたせずとも
引っ張り出してやったものを。姿をくらます飾り棚の修復は、着々と進んでいる。ホグワーツ側の飾り棚とボージン・アンド・バークス側の飾り棚が繋がれば、モンタギューはどちらか側に転がり出る見込みが高かった。それか、途中で引っかかっているモンタギューを回収してもよかったのだ。
けして善意ではない。単にモンタギューが詰まっていると邪魔であった。計画に支障が出る。
つらつらと考えながら――後でモンタギューの記憶をいじくろう――ダフネを見やる。彼女の眉間に皺が寄っていた。
「汚い話で悪かった」
左手を伸ばし、眉間の皺を伸ばしてやる。それでも、ダフネの顔は冴えない。
「ダフネ? モンタギューなら大丈夫さ」
己がモンタギューを行方知れずにした犯人だとは、毛ほどもにおわせずにウルペクラは言った。
「あんな人、心配する義理はないわ」
「君とは反りが会わないだろうが」
「まるで、鉛の矢でも射られたみたいににおぞましく思えるもの」
ダフネは唸る。つまり、大嫌いということだ。ダフネの名の由来になった神話では、鉛の矢を射られれば相手に嫌悪を抱き、黄金の矢を射られれば魅了されるのである。前者はダフネ――
「なにがあった? 身体検査……じゃないだろうな」
さりげなく訊くつもりで、獣の唸りが混ざってしまう。モンタギューが高等尋問官に就任し、飾り棚にぶち込まれるまで、さほど時間はなかったはず。もしや、そのわずかな間にダフネに……と考えると腸が煮えくり返った。
他の馬鹿者は見つけ次第呪いをかけているのだが。不埒な身体検査をしようとすれば「僕は変態」と叫んで踊るようにしてやった。所詮高等尋問官など名ばかりなのだ。アンブリッジの使いぱしりで、監督生や首席のような権限を持っていない。
「レストレンジなんかから、乗り換えろ。グリーングラスの呪いの血なんて気にしないってね」
ダフネの言に、ウルペクラは立ち上がる。
「便器で溺死、最高だな。行ってくる」
「いいのよ」
ダフネがウルペクラの腕を掴む。優しく、しかし頑固に引っ張られ、ウルペクラは着座した。
「あんな男、お断り」
「僕にやきもちを焼かせようとしたのか?」
「そうしたくなる時だってあるのよ。私はとっくに、黄金の矢を射られているというのに。あなたときたら……言い寄られているでしょう」
軽く睨まれる。ウルペクラは、なんと返したものか一秒迷った。なんと遠回しな告白だろうか。神話では精霊に射られたのは鉛の矢。嫌悪をもたらす矢。しかし、月桂樹に変じた精霊の名を持つ女は、黄金の矢を射られたと言った。
「月桂樹と太陽神、めでたしめでたしだな」
茶化す。呪いのグリーングラスの姫君を侮辱したモンタギューに、千もの鉛の矢を脳内で射かける。よくもまあ、ダフネが気にしているというのに無神経に……と考え、軽く唇を噛む。他人のものはよく見えるもの、ほしくなるものだ。ダフネが言い寄られたのだって、ウルペクラがすり寄られたのだって、略奪衝動の現れだろう。で、あればやはり虫除けは必要。しかし、指輪は未だに贈っていない。なにか、印になるようなもの……と考えて、耳に手を伸ばす。飾りを外し、洗浄呪文で清めた。
「差し上げよう。「お揃い」だ」
ダフネの手の中に落としたのは、銀に、黄金の宝石があしらわれた耳飾り。その昔シシー叔母から「あなたの石よ」と贈られたものだ。
「独占欲の発露かしら、私の太陽?」
「神というのはろくでなしで、やきもちで嫉妬深いからね」
「付けてくださる?」
月桂樹の名を冠する女は、月の金色を思わせる髪をかき上げる。ウルペクラは、そっと彼女の耳に杖を当て、小さな穴を穿った。
奇妙な背徳感とともに、
まるで、なにかの証のように。