【完結】Black Heart Vulpecula 作:扇架
姿見の前に立つ。黄金にも見える煌めきに、手を触れる。耳飾りのひやりとした感触にしばし眼を閉じ、開いた。
片耳の空白がやけに眼につく。ふと思いついて銀に右手を上げ、ぱちり、と指を鳴らせば、自室の卓――小箱から、翠玉の輝きがやってきた。つかみ取り、耳に付け、首を傾ける。緑と黄金がそれぞれに光を放った。
衣に皺はない。ネクタイが少し緩んでいるか、と締め直す。手を滑らせ、胸の位置に置けば、心臓が鼓動を刻んでいた。
――ウルペクラの心臓は
確かに一度、鼓動を止めた。ゆえに夏――六月二十四日現在、生きているはずがなかったのだ。
本来ならば。
「雑すぎるし、博打に過ぎるだろう」
ついつい遠い眼をしてしまう。思いを馳せるのは過去。聖マンゴの一室での出来事だ。
ダフネとくちづけた一時間か二時間後。彼女が帰って、レギュラスがやってきて、さらりと「解説」してくださった時のことを。
やあ、無事でなによりだと言い、笑顔のレギュラスはこう宣った。
『要するに君は一度死なないといけなかった。一般的に呼吸が止まるか心臓が止まるかすれば死亡に数えられるだろう? すぐさまセドリックが動いて、命の水を投与して、復活と』
『命の水で都合よく復活するものですか』
冥府に転がり落ちる寸前で、命の水によって引き上げられたウルペクラは鼻を鳴らしたものだった。信じられないでいるのも無理はないだろう。死者復活、蘇生などおとぎ話で伝説、与太話だ。古代エジプトの魔法使いたちですら、せいぜい死体を動かすくらいしかできなかったとか。
まったくかわいくない従甥に、レギュラスはにやりとした。
『死の呪文は強制的に死亡を付与する魔法。こればかりは命の水で撥ね除けられたか怪しいものだ。死の呪文を受けて、蘇生した例はない』
レギュラスは優雅に椅子に腰掛けた。眼を細めているウルペクラのために、冷えた水を杯に満たし、渡してくれた。
『君は『星屑の剣』で、自らを貫いた』
『……死の呪文では死ねないと思ったので』
手が震え、寝台に水が飛び散った。濃い染みを眺め、ウルペクラは呻いた。
『『分霊箱』が一度の死の呪文で壊れると思えなかった……だから、楽な方法を選んだ。首を落とす度胸はなかった。自らを燃やすのも嫌だった。傷口はひとつでよいと思った』
せめて、醜くない死に方がしたかった、と呟く。
『それでよかったんだ』
レギュラスの声は酷く優しかった。
『君に寄生していた魂だけが、打ち砕かれた。君の肉体は傷つき、鼓動を止めたが、冥府に下る前にどうにか命を拾えた』
滔々と、レギュラスが言う。どうやらニコラス・フラメルがダンブルドアに命の水を託していたこと。そしてホグワーツを「追放」される前にダンブルドアがセドリックに貴重な霊薬を託したこと。短い手紙には「肌身離さずに持ち、そのときが来たら上手に使いなさい」と書いてあったらしいこと。
都合よく寄生した魂だけが砕かれたのは? というウルペクラの問いに、レギュラスは静かに返した。
『本質的に異なる二つの魂。君とヴォルデモートの魂は融合などしていなかった。ハリー・ポッターがアーサーの窮地を察知した夜、ダンブルドアが調べ、答えを得たんだ』
ポッターは? とウルペクラが訊けばレギュラスは簡潔に返した。無事だし、ヴォルデモートが死ぬと同時に脆い欠片も砕けたようだよ、と。
『生存の見込みくらい、言ってくれてもよかったのでは』
ウルペクラが軽く睨めば、レギュラスは肩をすくめた。
『僕だって君の蘇生法は一応用意していたんだけどもね。期待させてやっぱり駄目でしたって洒落にならないもの』
そうして、彼は囁いた。
『おめでとう、ウルペクラ』
君は自由だ。
過去から現在に意識を戻す。生身の左手で、銀の右手に触れた。
「どうして僕に情けをかけてくれたのか、訊けずじまいでしたね」
ニコラス・フラメル。偉大なる錬金術師。小さく小さく呟いて、踵を返す。机からさっとドラゴン革の手袋を取ろうとして、やめた。
いまさら義手のことを気にすることはない。これは、彼の厚意なのだから。
引き出しを開ける。中にあった分厚い封筒――遺書を取り出して、破り捨てた。
はらはら、と白いものが散り、赤い色に呑まれる中、ウルペクラは室を出た。
向かうのは玄関ホール。求める者は、既に大扉の前で待っていた。
「ダフネ」
呼ばった瞬間、緑の眼がウルペクラを捉える。
「ウル」
そのとき、ウルペクラは理解した。
どうして偉大な錬金術師――ニコラス・フラメルがただすれ違ったと言ってもいい、単なる他人のために命の水を残し、銀の腕を拵えたか。
ただそうしたかったのだ。たいした理由などない。
利害ではない。純粋な、衝動にも似たものだったのだろう。
「行こうか」
ウルペクラがダフネに手を差し出したように。
「ええ」
ダフネが、その手をとったように。
二人の手が重なる。『蠍』と『隼』は大扉を抜け、階段を下りる。呪いの貴公子と姫君、という揶揄を置き去りにして。
「うるさい雀はどこにでもいる」
「気にしてないわよ」
「……僕がマーリン勲章を得れば黙らせられるかな?」
「まだ辞退していたの? もらえばいいのよ。箔なんて関係なく」
「馬鹿どもが静かになるならもらうか」
ふむ、とウルペクラは頷いた。くだらないマーリン勲章にも一定の力はあるようだ。これから卒業式を執り行い、その後に授与式、祝勝会なのだけれど――新魔法大臣ルーファス・スクリムジョール大臣閣下から、それはしつこく「いいかね勲章を得たまえ。用意してある」と言われても、ウルペクラは無視していた。
――さすがに
マーリン勲章を得た「レストレンジ」の恋人を「呪われしグリーングラス」と表立って言う阿呆は減るであろう。
「私のためにもらうのなら……」
「使えるものは使う」
階段の、最後の一段を下りる。ダフネと向かい合った。
「君のためというのは、僕のためでもあるし……」
唇を噛む。軽い痛みとともに、血が流れる。眼を見開くダフネに、そっとくちづけた。
とろりした赤い命の水が、ふれあう花唇に流れていく。
ダフネの喉がこくんと鳴るのを確かめて、身を離した。
「血の呪いはもはやない」
小さな手を引いて、歩く。
ウル、なんのこと? とダフネが言うが、ウルペクラは笑うばかり。
感謝してやってもいいと思う。
己を産み落とした両親に。『蠍』と『双狼』の交わりによって、先祖返りたるウルペクラが生まれたのだから。
ウルペクラの血は毒であり、薬である。その血の効果は実証されている。
バジリスクの呪いをも打ち破る、癒しの血なのである。
グリーングラスの業、呪いをも解く力があるのだ。
ひょいとダフネを引き寄せて、もう一度くちづけた。
そうして、告げた。
「もう、呪われし貴公子でも姫君でもない」
呪いは解けた。めでたしめでたしだ、と囁いて。ウルペクラは恋人の手を引いて、湖畔を目指す。
揃いの指輪をねだられていたな、頼みに行かなければな、と考えながら。
どんな意匠にしようか、と心を馳せながら。
ウルペクラには、悩む時間がある。
闇の印が刻まれた胸には、白い星にも似た印が灼きついた。
呪われた運命から解き放たれたのだ。
「……丸くおさまってよかったことだ」
卒業式、授与式が終わった夜。地上には篝火が焚かれ、魔法灯がいくつもいくつも、輝いている。星の海で踊るのは、勝利に酔いしれる、何人もの魔法族。
北塔から星海を見下ろし、レギュラスは呟いた。その灰色を転じるのは天の星々で。
その中に、紅の禍つ星はない。
魔は祓われた。闇の帝王と呼ばれた男は、門の向こうへ消えた。燃える、空っぽの身体はこの世から失せた。
「祖の石にとどめを刺されたんだから、本望でしょう」
ね、と言って。レギュラスは小袋の口を開け、きらきらとした破片を振りまいた。
蘇りの石の残骸。蒼い炎に包まれてなお、暴れ狂う男の魂を吸い取って、砕けた石の残り滓だ。
杖を振る。おとぎ話の石、その欠片は煌めきとなり、空を翔けていく。
次から次へと、星が降る。
「さようならベラ。愛しの君を追って、門へ飛び込んだあなた」
くす、とレギュラスは笑った。
「案じることはない。君の息子も、娘も」
きっと幸せになれるだろう。
だから、おやすみ。
空を、星々が翔けていく。
「やあ、ディーダラスの仕業かな」
見事なものだね、と穏やかに言う彼に、彼女は頷いた。どうしてここにいるのだろう、と考えるのはもうやめた。
どうして「恋人」の卒業式に出席し、授与式にも出席し、祝勝会で踊っているのかも考えないことにした。
逃れられるわけがないのだ。セドリック・ディゴリーはデルフィーニを離すつもりがないのだから。
「願いごとでもしたらどうかしら。ひとつくらい、叶うかもしれないわよ」
軽口を叩き、歩を踏む。マグルのくだらない迷信。流れ星に願いごとをしましょう。まったくの子供だましだ、とデルフィーニは鼻を鳴らした。その仕草は兄にそっくりだったのだけど、デルフィーニは知る由もない。
何度も何度も流れ星に願ったのだ。家族がほしい。ひとりぼっちは嫌だ、と。
それは叶えられたのだろうか? と首を傾げる。
拍子に、夜闇の衣、挿された星が煌めいた。母の従弟からの贈り物だ。
「君の名前を教えてほしい。振ったなんて認めない。幸せになろうね?」
――欲張りすぎる
流星群をいいことに、願い事をしまくる男、セドリック・ディゴリー。どこが忍耐と努力のハッフルパフだ。この男はとても欲深くて、執念深いのだ。
とんでもない男に捕まった、とデルフィーニは戦慄するが、もはや後の祭りだ。神秘部から強引に連れ出された時に、諸々が決していたのだ、きっと。
「私の名前なんて知っているでしょう」
「君の口から聞きたい」
「私はデルフィーニ……レストレンジ。うん、ひとまずレストレンジ。そんなに私と一緒にいたいなら、好きにしなさい」
約一年、追いかけられ続ければ、デルフィーニとて折れる。だが、やられっぱなしは性に合わない。すっと七変化を解いてやる。
黒髪は白銀の髪に。青い眼は、燃えるような紅に。
スリザリンの末裔の色彩に戻り、デルフィーニは勝ち誇った。
「怪物の娘でもいいって言うのならね」
「ああ、問題ないよ。君はレストレンジだし。ブラック家の血筋だし、あのどうしようもない男は死んだし」
どうとでもなるよ、とセドリックは笑顔である。まったく動じていない。なんなのだ、この男……とデルフィーニは頭を抱えそうになった。
「ねえ、赤い眼の白いるか。いるか座の君」
幸せになろうね、と笑顔で言われれば、白いるかはこう答えるしかなかった。
だって、彼によって天の星は射落とされてしまったのだから。
捕まって、しまったのだから。
求められて、しまったのだから。家族がほしいと願う、白いるかの手を掴んだのだから。
「……愛しているわ」
セドリック。
呟くように言い、彼に身を寄せ、その胸に顔を埋める。
「幸せになってもいいのかしら」
「いいんだよ」
彼の声が降ってきた。
「君も、ウルも」
幸せになっていいんだよ。
星が、いくつもいくつも流れて落ちて。
こぎつねと、白いるかに
新しい時代の訪れを告げる。
これにて本編完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。ウルを無事にダフネに返品できました。ハッピーエンド。
これからは番外編を上げていくつもりです。あとは別シリーズとしてウルペクラのデスイーター√(四巻最後からの分岐)を載せていく予定。
そして、以下はちょっとした補足、小ネタ。
・最初はハー子とくっつけようかと、あとジニーも候補だったが「合わない無理がある」と却下。
・最初の箱はやったし、最後の箱もやってしまおうとこの連載は爆誕した
・箱っていわゆる核のひとつ、つまり心臓だなからのBlack Heart。闇の印のミスリード狙い、ブラック家の血筋からのBlack Heartと思いきや……
・命の水の使い道はほぼ決まっていた。が、使うかわからないので最悪お蔵入りしようかとも思っていた。つまり、一応の伏線。
・ウルの杖はイチィとセストラルのたてがみ(たてがみって書いてたはず)なのだけど、これは卿の魂ぶち込まれていた影響が大きい。たぶんイチィ以外の樹になるのか、否か。
・神秘部での会話省略はさすがに飽きたから。闇の帝王とも両親ともそんなにイベントいらんだろう、とカット
・血のあれこれはダフネの呪いを解くため
ダフネとくっつけようかな→呪いをテーマにするか→じゃあレストレンジいじろう→そういや紋を蠍にしてた→ちょっと前に読んだ『ハヤディール戀記』が浮かぶ→レストレンジ先祖返り爆誕
・動物もどきにしたのはマスコット的な存在がほしかったから。ただ狼を相棒にするのは既にやったので本人(ウル)にふわふわになってもらった
・墓場からのデスイーター路線は少し考えた。拉致からの監禁、なし崩しに死喰い人コース。死喰い人兄妹爆誕
→デスイ√は載せる予定
・聖マンゴから退院時、リュックに手紙とともにぶちこまれたウルであるが、手紙は子どもたちからのもの。狐くんにさよならの手紙を書きましょう、という授業の一環。だいたいみんな賢い狐と思ってるだけだが、年長の人狼くんはウルの正体を察してる。
・デルフィーニ、最初はもっと凝った偽名にするかストレートにデルフィーニで出すか迷い、安直な偽名となった
・ヘリオドール、ウルの誕生日九月十三日とデルフィーニの誕生日として設定した五月二日の誕生石。お揃いである。
・セドリックとデルフィーニのあれこれを割愛したのは別シリーズ「白いるかの眼は赤い」でいちゃいちゃさせたしなあ……という理由