秋が深まり、冬の足音が聞こえる。
吐く息が淡い乳白色に凍る、そんな夜。
「……夜中に出かけるのが」
グリフィンドールの流儀か?
囁きが、落ちる。階段の上には小さな影。髪も肌も、手も足も、なにもかもが灰色だ。羽織ったローブが、わずかに揺れている。身につけた衣も、構えたカメラも時間の、正常な流れのなかにあるのが、奇妙さを際立たせていた。
その主は、停滞の中にいるというのに。
かつ、とドラゴン革の靴を鳴らし、階段を上る。情けなく、鼠のように息を潜める必要など感じない。なぜならば彼は純血貴族であり――いや、半分は穢れ……。
首を振る。思考がぱらぱらと散っていく。
尊い血を継いでいることには変わりあるまい。誰かが耳元で告げる。ああ、と頷いて、彼は歩を進める。優雅に。幽明の境で遊ぶがごとく。なぜならば、彼は最も終わりから遠い者。夜も、あちらに引き寄せようとする神の御手も、握られた鎌も、おそれる必要はない。おまけに忠実なともだちまでいるのだ……と笑う。もはやそれが器である彼の思考か、赤毛の娘から乗り換えた者の思考か、当人たちにもわからないだろう。
窓から差し込む、あわあわとした月の光を浴びながら、彼は石像の、固い指からカメラを取り外した。慣れない手つきで――彼はカメラに縁がなかった――裏の蓋を開く。つんとした刺激臭。
問題ないな。そも、レンズも溶けている。まともな写真が撮れるはずもない。
死人から――新鮮な頭部から記憶を読みとる方法があるにはあるが、これはただ停滞しているだけだ。死んでもいないし、生きてもいない。どっちつかず。しかも停滞は呪詛――邪眼によってもたらされたもの。無理に覗きこもうとする者に、どういう災厄が降りかかるか、わかったものではない。
読みとれたとして、まともな記憶はないだろう。カメラを構え、光が閃いたそのとき――闇より出でた黄色い眼に貫かれたのだから。
僕も同感だ。ぱちぱちと、拍手の音。甘く、毒々しい声は言う。
長居は不要だ。ひとつ仕事を終えた達成感を胸に、眠るとしようじゃないか?
彼は息を吐く。眼を細め、屈み込む。石像の側に落ちている、瑞々しい葡萄に手を伸ばし、一粒いただく。
ひょいと口に放り込み、顔をしかめた。
「……外れじゃないか」
すっぱいぞ。
物言わぬ像に苦情を申し立て、彼は階段を駆け下りる。途中、ポケットから取り出したのは、一本の髪。
「……もういらないな」
ぱちり、と指を鳴らせばかすかな煙を上げて、消滅する。
同時にスリザリン寮の彼の室――机に仕舞われた黒い日記に変化があった。
一葉に記された、ホグワーツの地図。簡素であるが十分に用が足りる、赤黒いインクで描かれたそれの中。とある階段の踊り場で止まっている「Colin Creevey」の名が、どろりと滲み、悲鳴を上げて消えていった。
Justin=Finch=Fletchley
Penelope・Clearwater
Hermione・Granger……
The Weasleys
The Malfoys
The crabbes
The Goyles
The Notts……
今夜は一人、片づけただけ。
標的候補の列は、長く長く延びている。
彼らの名は、赤黒い地図の、寮の寝室に記されている。
なにも知らずに眠っている。
「息子に訊けばいいものを」
寮の自室で、ウルペクラは便せんに眼を通した。並ぶ角張った字に嘆息をこぼす。
ノット家の主からの手紙だった。どうやら彼はホグワーツで発生した事件に興味津々なご様子。『秘密の部屋』事件について、訊きたがっている。自身の息子からも聞いているだろうに、わざわざ。
考え込みながら、引き出しを開け、筆記具を取り出す。黒い日記……と、紺色の小瓶をちらと見た。
結局、闇の品らしき日記帳は沈黙したまま。気配だけが黒々と濃い。中を見ても真っ白いまま。どうやらマグルに縁のある者の持ち物らしいとしかわからない。T・M・リドル。リドルという姓の純血はいない。
――あの子に持たせるわけにはいかない
ウィーズリーの小さいのには、過ぎた品だ。死喰い人の両親を持つ、悪名高き「レストレンジ」こそ持ち主にふさわしい。
おそらく、叔父のルシウスがウィーズリー家への一手として忍ばせた品のはず。であるから、なんらかの力を秘めているかと思いきや、だ。ルシウスは無駄な手を打たないと思っていたのだけど。
謎だらけだ、と首を傾げる。穏和しくしている日記。そしてウルペクラは、いつ紺色の瓶を仕舞ったのか覚えていない。室の、前の主のものだろうかと気になりつつも、中身を確かめることなく、そのままにしている。
来年は普通魔法試験と口うるさく言われ、『秘密の部屋』事件は起こり……となにかと落ち着かないから、たかが瓶のことなんてどうでもよいのだけど。
引き出しを閉じ、机に便せんを広げ、インク壷に羽根ペンを浸す。
ご子息に訊けばよいでしょうと、淡々と羽根ペンを滑らせる。余計なことは書くまい。
第一の事件の後、つい昨日に第二の事件が発生したこと。またしてもマグル生まれが石化していたこと。犯人は不明なこと。スリザリン寮では、誰が継承者か、と候補の名が挙がっていること……。
結局のところ、犯人はスリザリンの継承者を名乗っているだけだ、と書いた。
あの方が舞い戻っているわけがなし。ただの愉快犯か、否か。
ええ、僕はあなたに教えられるまで、あの方が末裔だと知りもしませんでしたよ。
僕らは穏和しくして、せいぜい継承者を名乗る者の邪魔をしないようにします。
さらさらと書いて、厳重に魔法をかける。誰かの手に渡っても、単なる挨拶文にしか見えないように。
封筒に入れ、杖を押し当てる。封蝋がにじみ出て、『蠍』紋が押捺された。
「……あーあ、ポッターを石にしてくれたらよかったのに」
ふくろう小屋へ赴き、談話室――暖炉の前で身体をあたためていると、ドラコの、いかにも残念そうな声。
ウルペクラは眼を瞑る。またなにか言っている、くらいにしか思わなかった。ぺらぺらとしゃべる癖は、どこから遺伝したのか。ルシウスはもう少し考えて話すし、シシー叔母も似たようなものだ。さすがに、寮内であろうとも生き残った男の子の破滅を願うような発言はしないだろう。
「まあ、穢れた血が一人消えたんだから、よしとするか」
声が近づく。嫌々ながら眼を開ければ、隣のソファに腰掛けるドラコ。
「そう思うだろう、ウル?」
淡青の眼が、暖炉の火に染まっている。ウルペクラは眉を寄せた。談話室に、見えざる糸が張り巡らされている。今にも切れそうな――緊張。誰も彼もが、息を詰めてウルペクラとドラコを窺っているようだった。
スリザリンでのおしゃべりの種。「誰が継承者か」というそれ。名が挙がっているのはドラコ――マルフォイ家。血筋の古さ、格で並ぶ家系はあるものの、最有力候補として囁かれているのはマルフォイ家である。なぜならば、現在在学中の子息が純血主義を隠そうともしないから。
もし、彼が継承者ならば、逆らうのは悪手ではないか。レストレンジはどう出るか。ウルペクラ・レストレンジはおおっぴらに「生き残った男の子」を貶めてはいない。ドラコ・マルフォイのようにうかつな発言はしていない。寮内であっても、大変慎重だ。
ウルペクラは観衆たちの考えを手に取るように把握する。その上で、考える。勝手に継承者には暴れさせておけばよいのだ。ドラコが今すべきなのは、おしゃべりな口を閉じることで……。
「マグルは穏和しくしていればいいのさ」
するり、とこぼれたのはそんな言葉。心臓がどくりと脈打つ。背を押されるように、ウルペクラの唇はよどみなく動く。
「魔法の存在を知らなかった者が、夜中にふらふらと出歩いて」
継承者の餌食になったのなんて。
「僕からすれば、自業自得だ」
くす、と笑声が耳朶を震わせる。ウルペクラだけに聞こえる声。姿なき、幽かな声。見えざる影は、満足そうだった。
「ポッターは骨無しになったんだ」
マグル生まれが襲われた時、あれは痛みに震えていたはずさ。狩っても面白くないと思ったんじゃないか?
ウルペクラの言に、ドラコはにやりとする。
「次の闇の帝王も」
骨無しじゃあ仕方ない。
どうやら骨無し発言がお気に召したらしいドラコは、葡萄を一房差し出してくる。
「母上が送ってくださった」
「……お前、小皿も用意しておけよ」
文句を言いつつ、ありがたく受け取る。気の利く生徒が早速とばかりに皿を持ってやってきた。「ありがとう」と言って、名を聞いておく。スリザリンに入るのは純血ばかりではない。外から見れば純血ばかりと思われがちだが、たいていが混血だ。もちろん、おおっぴらには言わない。いかにも純血だという顔を、彼らはする。そして純血の血筋を強調し、上流に――純血にすり寄る輩もいるのだ。細々と「お手伝い」して点数を稼ぐ。名前を覚えてもらう。将来、なんらかの便宜を――たとえば魔法省へ推薦してもらうなど――を期待して。
彼らなりの処世だ。ただ無難に勉学に励み卒業するよりも、少しでも有利でいたいという。いいように使いながら卑しい、とせせら笑う者もいるが、そんな「上流」は二流、いや三流だ。彼らとて馬鹿ではない。嘲笑を嗅ぎ取る。彼らを気分良く動かしてこそ上流である。
「僕には多いから」
少しあげよう。慎重に、葡萄の房を分ける。どうぞ、と差し出せば名も無き者は押しいただくようにして受け取った。
「……あんな小間使いにやらなくていいのに」
「言ってやるな」
施しだよ、と付け加える。
「優しすぎやしないか?」
ぶつぶつ言うドラコの口に、葡萄を一粒、放り込んでやる。
「どうせシシー叔母上は、たくさん送ってきたんだろう?」
ん、とドラコが頷く。うかつだし、おしゃべりだし、余計なことばかり言う従弟であるが、察しはよかった。
「いっそのこと分けてしまえと?」
「そういうことだ。叔母上もそのつもりだろうさ」
呆れるほどの量の葡萄は、談話室にいた面々に行き渡った。ドラコが「ウルも手伝えよ」と言うので、ウルペクラは葡萄を配って歩くはめになった。
ありがとう、と言って、ダフネが葡萄を受け取る。緑の眼がウルペクラをじっと見た。
「毒は入っていない」
「そうじゃなくて」
「仕方がないな、毒味をして差し上げよう」
葡萄を一粒とって、口に含む。甘味をかみしめ、ふと思った。すっぱくなくてよかった。あれは不味かった……と。
あれ? と瞬いたウルペクラは知らない。
己の言動が誰かに引っ張られていることも。忘れた記憶があることも。忘れたことさえ忘れていることも。
寮内――たとえば
果たして、どこに潜んでいるともしれない「スリザリンの継承者」におもねるふりをしているのか、それとも本音か……と。
探るような眼を、感知しない。
ウルペクラは思いもせず、自覚もせず、気づかない。
憑依した影は、小さく、弾むように歌う。
ああ嬉しい。純血の、ふさわしい器に出会えるなんて。驚くほど馴染みがよい。この調子で、狩りを続けよう。
次は誰にしようかな。
その前に、すっぱい葡萄の記憶は消してしまおう。
「――決闘クラブ?」
最初の、人間の犠牲者が出てしばらく経った頃。ウルペクラは図書館の隅で、眼を瞬かせた。
「そう。大広間で、夜に開催される」
玄関ホールに掲示があったよ、とセドリックは言う。ウルペクラは「古いゴブストーンセットはいりませんか」や「魔法薬の材料交換」なんかに興味はなく、従って掲示板に注意を払うことはなかった。「クィディッチ選手選抜のお知らせ」も新学期頃に掲示されるが……ウルペクラは騒がしい競技に興味はない。ポッターが骨無しになった試合、ドラコが無様に敗けたそれも観に行かなかったくらいだ。ドラコは「僕のデビュー戦だったのに」と拗ねていた。「華々しいデビューを、骨無しポッターに潰されたのはどこの誰だったかな」と返せば、ぐちぐちと責めてこなくなった。あれはウルペクラを優しい兄かなにかと勘違いしてはいないか。ただのいとこだろう、僕たちはである。
「行ってくればいいじゃないか」
決闘クラブねえ……と呟く。その昔にあったらしいが廃れ、そもそも全身は杖十字会という自発的、秘密裏な集まりだったらしい。腕に覚えのある者が多くいて、昔々――小鬼がホグワーツに攻めてきた時に、活躍したのだとか。今更、その流れを汲む決闘クラブを復活させる?
「誘いに来たんだけど」
言わなきゃわからないのか、というセドリックの態度よ。わかってはいたが面倒なので流そうとしているのを察しろよ。
「スリザリンはお呼びじゃないだろう」
ひらひらと手を振る。この男がのこのことやってきて、ウルペクラの課題の邪魔をするのには慣れた。が、こうやってお誘いいただくとは予想外である。
「ええ……? 決闘というからには、誰か相手を連れてきたほうがいいだろう?」
「なぜ僕」
「君なら失神呪文に当たってすぐ終わる、なんてことはないだろう」
ねえ、闇の魔術に対する防衛術一位、変身術一位? とにっこりされる。ああ、同学年はこれだから。成績を把握されやすいのだ。
――振り回しても
壊れない玩具をご所望か、と嘆息する。愛想のよいゴールデンレトリーバーのような男は、意外と好戦的である。努力家なのはハッフルパフの素なので割愛。
「お前、スリザリンの立ち位置ってものが」
「けっこう集まるみたいだから問題ないだろう」
さらりと返すセドリック。楽観的である。スリザリン生が避けられ、疎まれているのを見ていないのか。
なにかされた、というわけではない。けれど、下級生は縮こまっている。
一概に括れないのだが。スリザリンの状況は少々複雑だ。『秘密の部屋』が開かれ、継承者を歓迎する者が何割か。せいぜい三割。次に、継承者と目され、肩をそびやかして歩く馬鹿――なんとまあ、これが我が従弟なのだ。僕は継承者じゃないと言いながら、笑顔が止まりません、である。馬鹿。
継承者じゃないと言っているだろうが、とうんざりしている――これはウルペクラである――層。純血の中でも出自がはっきりしている、とされる聖二十八族と呼ばれる家系の者は、たいてい継承者の疑いがかけられている。過激派じゃない限り、継承者の疑いをかけられて喜ぶわけがない。いかにも継承者ですという面をしている馬鹿のお陰で「レストレンジ」たるウルペクラを継承者と見なすものは多くないが。
流行りに乗ってやろうという層もいて、事態は混沌としている。実は先祖にスリザリンの血が、とかひそひそ言って楽しむ者が大量にいる。特に混血の、恵まれない者たちにとっては一種の慰めになっているようだ。片親の身分が低かろうと――下働き、娼婦、あるいはマグルの子――表向きは正妻の子として扱われる場合もある――スリザリンの末裔を名乗るだけなら懐も痛まない。物語を紡ぎ、耽溺するのである。卑しい生まれなんかじゃない、と。
最後に、空想にふけることなく、現実を見つめる層。確かに魔法族の生まれであるが、片方は……と恐れる者たち。穢れた血を追放するといっても、その基準はいかに、と。ひょっとしたら、継承者の毒牙にかかるのではないかと怯えている。
心配せずとも、おおまかな選別は済ませている。まだまだ候補はいるのだ。半分の穢れた血にまで手を伸ばす余裕はないだろうよ。
ウルペクラはふっと息を吐き……刹那の間に忘却する。スリザリンも蓋を開ければ一枚岩ではないのだよな、とつらつら考えて、セドリックに根負けした。
「わかったよ。少し顔を出すだけだ」
ウィーズリーどもを追い払ってくれた借りがある。仕方がないだろう。
「くだらない集まりだったな」
大広間、混乱に満ちた決闘クラブの会場で、ウルペクラは鼻を鳴らした。いかにも退屈そうにあたりを睥睨し「穴熊どもをまとめなくていいのか? 事故になりそうだぞ」とセドリックに発破をかけた。
「……大変なことになった」
セドリックが呟く。ウルペクラは肩をすくめた。ハッフルパフの秀才がこのように動揺するなど珍しい。お陰で、ウルペクラもいくらか落ち着くことができた。
「噂くらい聞いたことがあるだろう」
ハリー・ポッターは次の闇の帝王。だからこそ大悪を退けることができたのだ、と。
「そんなまさか」
位置関係も、時機も悪かった。ジャスティンが叫んだだけ。蛇がハリーに従ったように見えただけかもしれない。
「お前のように、冷静に考えることができる者が」
どれだけいるかな?
第一回目の決闘クラブは頓挫した。主催がロックハートの時点でお察しだったが、ただの無能晒し大会で終わらなかったのは予想外であった。ウルペクラはセドリックの呪文をかわし――「絶対当たっただろう!」と彼はウルペクラに文句を垂れたが――そんなもの、失神呪文が本当に当たっていれば、確実に意識は刈り取られている。セドリックの見間違いだ。
無能晒し大会、決闘ごっこは親愛なる有名なハリー・ポッターによって中止となった。諸々端折るとこうなる。会場に蛇が出現し、マグル生まれに襲いかかろうとし、ポッターが止めた。
「幸運を」
泣く者、うずくまる者。あちらこちらに見えるハッフルパフ生の混乱は極に達している。回収し、宥めるのはさぞ骨が折れることだろう。
杖を振る。唖然としているドラコを回収。ついでにノットに「来い」と呼びかける。クラッブとゴイルは倒れているので放置。ああ、ザビニもいた。手招いてやれば、素直にやってきた。
「泣いて帰って行ったポッターに、」
注目が集まっているうちに、撤退するぞ。軽い物言い――生き残った男の子のいじりを含む――をしているが、遊んでいる暇はない。さっさと逃げるべき局面だ。
緊張と混乱が膨れ上がっている。冷静な者たちはいるが――たとえばセドリック、あるいはレイブンクローのロジャー・デイビース。声を張り上げて寮生をまとめているのは……同じくレイブンクローのペネロピー・クリアウォーターか。なにやらグリフィンドールのウィーズリー……確か三男――と相談している模様。
――ふうん
血を裏切る者と穢れ……マグル生まれか、と唇が弧を描く。どうしようかな、次の獲物はと誰かが囁いた……気がした。
「全部ポッターに持って行かれた! なんなんだよ僕が蛇を出したのに。かなり長いやつ! というかウル、なんで僕にだけ呼び寄せ呪文なんだ」
「お前がノットやザビニのように素直じゃないからだよ」
きゃんきゃんと喚く声に、一瞬の空白――囁きが塗りつぶされる。ウルペクラは顔をしかめ、足早に大広間を出た。
「ポッターが継承者なんて……ありえない!」
玄関ホールでもドラコは喚く。ウルペクラは眉間に皺を立てた。こいつ、まだ状況がわかっていないのか。元々、スリザリンに好意的な者など、片手の指で足りるくらい。つまり希少、変人である。継承者騒ぎでさらに風当たりが強くなっている。スリザリンには継承者がいる、とたいていの者が思っているのだ。
「……儲けた、と思っておけ」
は? とドラコが首を傾げる。余計なことを話させるまい、とウルペクラは従弟のローブ――襟首をひっつかみ、引きずるようにした。ノットもザビニも異を唱えない。彼らはわかっているとみた。
石段を下りる。ずる、とドラコの靴がこすれるが、知ったことではない。
「スリザリンは純血、貴族が多く住まう寮」
従って、数が少ない。尊く稀な者が集うゆえに。選ばれし者の寮ゆえに。
「あまり混乱を煽り、喜ぶようなことをしていると――叩き殺されるぞ?」
スリザリンだけは安全だ。なぜならば、サラザール・スリザリンの寮だから。
ホグワーツに『秘密の部屋』をつくり、怪物を隠した男が興した寮だから。
しかし、だ。
「三対一は分が悪い。特にハッフルパフは数が多い。今回、一番戦々恐々としているのは彼らだ」
爆発すればどうなることか。ポッターが矢面に立ってくれてよかったよ。
「……そりゃあ、父上は穏和しくしておけと言ったけれど」
でも愉快だもん、と言わんばかりだ。親の心、子知らず。
「五十年前はマグル生まれが死んだが――」
これはノットの父情報である。ウルペクラと彼はそれなりの頻度で、手紙を交わしていた。ルシウスにも伝わる可能性も織り込んで、ホグワーツの状況を送っている。
また書かないといけないか。
どうしたものかな。決闘クラブの件は必須だ。ノットの父にも、家令夫妻にも伝えておくべきだ。後者には冬休みに帰る旨、社交に出る旨を併せて送るべきだろう……。
寮に帰り、なにやら尋常ではない様子に、ダフネがソファから立ち上がったのを認める。
ちょっとした騒ぎだよ、と手を振りながらも、ウルペクラの胸中には霧が渦巻いていた。
もしかして、己は「レストレンジ」ではないのではないかという、疑念。
ウルペクラ・レストレンジは。
怒り狂う蛇の声も、ハリー・ポッターの応えも、余さず聞き取ったのである。
あの母親ならば、恋い慕う闇の帝王に――スリザリンの末裔に。
身を投げ出し、手折られてもおかしくはないだろう。