Black Heart Vulpecula   作:扇架

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八話

 

 十二月。学期の終わり、冬期休暇が迫るとある日。

 石造りの城は、殊に冷えた。窓の外には灰色と、白。ホグワーツに垂れ込める暗雲を写し取るがごとく、吹雪に見舞われていた。

――うかつなことだ

 授業中。廊下や階段は、人の行き来が少ない。穢れた血なればこそ、周囲を警戒し、無闇に出歩かず、どこかに籠もっていればよかった。たとえば――図書館。

 どうぞ襲ってくださいとばかりに、飛び出して、うろついて――おそらく、寮に戻ろうとしたのか……否か。もはや訊くこともできない。

 今日もまた、一つの名が消えた。

 

 Justin=Finch=Fletchley

 

 穢らわしい者は、哀れにも転がって、虚空を見つめるのみ。

 彼はひらひらと手を振って、透明呪文を行使した。

――今ならば

 気が緩んでいるはず。外は、眼を開けているのも辛いほどの、吹雪だ。

 よもや、と思うだろう。

「……やるか」

 ひっそりと呟き、彼は身を翻す。足音をも立てず、密やかに。

――くす、と繰り手は笑った

 本当に、使い勝手のいい駒だ。未来の己が印しただけあるではないか?

 だが、と眼を瞑る――つもりになる。ああ、近くにハリー・ポッターがいるというのに。僕を倒したという者。ただの赤ん坊だった者。どのような少年なのだろうか。器に訊いても「僕もよく知らない」と返すばかり。

 蛇語を話すという「生き残った男の子」。単純な条件は、スリザリンの末裔であること。だが、ゴーントの最後の一人は自分しかいない。隠し血筋がいれば別だが。あるいは、未来の己が子をつくっていれば、当てはまる。

 しかし、ポッター家にスリザリンの血が流れていたとして、さほど濃いとは思えない。駒たるウルペクラ・レストレンジ、こぎつねのように憑依されていると考えたほうが自然だ。

 切り分けて――繰り手は断片のひとつである――脆くなった魂。古い魔法。死の呪文が跳ね返ったとして……ありえるか。混血の赤ん坊を、わざわざ殺そうとした理由は不明。こぎつね曰く、次の闇の帝王という噂があるようだ。

 ますます、興味深い。やはりハリー・ポッターのことをよく知るべきだ。なぜ敗れたのか。なぜ未来の己が赤ん坊を手ずから始末しようとしたのか。

 ひそひそ、と繰り手が囁いても、こぎつねは生意気にも首を振った。乏しい灯に、黄金の髪がきらきらと輝く。黒曜石の耳飾りが、ちかりと光った。

「今はこちらが先」

 ぴしゃり、とこぎつねは言う。繰り手の不機嫌を察し、付け加えた。

「……時機をみて、接触できるようにするよ」

 繰り手は満足し、見えざる手で金色の頭を撫でてやった。こぎつねは唸り声を上げる。まったく可愛くない。有能なのは認めるけれど。

 ごきげんに、繰り手は鼻歌を歌った。レストレンジを取り込んだのは正しかった。己の時代の「レストレンジ」も、その子ども――こぎつねの親、そしてその妻も忠誠心が篤いときた。

 自らの子――こぎつねを捧げるほどに。

 小さなこぎつねに磔刑の呪文をかけてまで。

 

 

「……物騒なことが続いているようだね」

「少し騒がしいだけです」

 マルフォイ邸の大広間の片隅で、ウルペクラは平坦に答えた。恒例の聞き取り調査である。ルシウスになにを訊かれるかは予想していたので、感情を乱すことなく、すらすらと返した。

「穢れた血が消えただけですよ」

 たかが、二人。スリザリンの怪物とやらもたいしたことはないらしい。言った瞬間、じくじくと、胸が痛んだ。誰かが咎めているかのように。親愛なるあの方、両親の我が君、闇の帝王。あるいは『名前を言ってはいけない例のあの人』は賢者の石奪取に失敗し、潜伏中のはずである。不忠者どもの情報網が正しければ、アルバニアの森のどこか……らしい。海を越えた大陸。距離を隔てている。印は薄れこそしないが、このように痛むなど、珍しいこともあったものだ。先学期の終わりからこっち、かすかに痛むだけだったというのに。

「口を慎みなさい」

 穢れた……など。ルシウスは口調こそ厳しいが、淡い色の眼は柔らかい。口元に笑みすら湛えている始末。甥が「穢れた血」と口にして、喜んでいらっしゃる。『秘密の部屋』事件が起こったことにも満足しているようだった。

 得体の知れぬことが起こっているのだろう、と用心せねば……とルシウスが言ったところで、説得力はなかろうというものだ。

 

――なぜならば

 彼こそが『秘密の部屋』が再び開かれたきっかけだから。纏っていた闇の品の気配。それは今、ウルペクラの……とまで考え、淡雪のようにとけていく。欠落に気づかぬまま、彼は唇を尖らせた。

「僕たちには関係のない話でしょう」

 誰が襲われようが、三号温室が炎上しようが?

 ジャスティン・フィンチ=フレッチリーとグリフィンドールの寮付きゴーストが襲われた後、騒ぎの間隙を縫うようにして、温室が燃やされた。原因不明。温室には様々な植物があり、その中には火を吐くものもある。失火であろうという見方もできる。

「マンドレイクは全滅とか?」

 問いに、ウルペクラは肩をすくめた。

「そんなに大事なら、校長室の一角に植えればよかったんですよ」

「無茶を言うな」

 はは、とルシウスが笑う。マンドレイクは、煎じればたいていの毒や呪いを解除できる回復薬。貴重な植物で、扱いには注意を要する。石化にも有効であろう、とされている。

「校長室で、うっかりマンドレイクが叫んだら」

 叔父上にとって喜ばしいのでは?

 さらりと言う。ルシウスの頬がひきつった。ことあるごとにダンブルドアを引きずりおろしたいと言っているくせに、肝心なところで小心である。事故ならば罪にも問われまいに。

 ルシウスは、無理矢理に話題を戻した。ダンブルドア事故死案から、温室――マンドレイクの件について。

「燃やした犯人は?」

「失火らしいですよ。温室の周辺に痕跡なし。まあ、足跡は雪が消すでしょうが」

「……誰がどう考えても放火だろうに」

 五十年前ですら、そこまでやらなかったぞ、とルシウスは呟く。思わず漏れた、という風であった。

「あの方は、そこまで手間をかけたくなかったのでは」

 極限まで声を潜める。大広間は、華やかな舞踏会場と化している。片隅にいる叔父と甥のことなど、誰も気にしないが念のためだ。

「次々と石にして……最後の仕上げに一人殺したようだ」

「そんな、都合よく石化能力を有する生物が――?」

 ぞわり、と頭のどこかが蠢く。石化能力ではなく、別の……。顔をしかめた次の瞬間、ルシウスが回答を投げた。

「あの方はスリザリンの末裔だ」

 ぴん、と空気が張りつめる。ルシウスが盗聴防止その他を行使したのだと悟った。実になにげなく、気取られないよう、流れるように。

「蛇語能力者――」

 ああ、と頷いたルシウスをじっと見る。甥たるウルペクラが『秘密の部屋』の怪物――その謎を解くのだと、確信しているように。

「直接聞いたわけではない。怪物がなんなのか、あの方は明かさなかった。五十年前の一件は解決済み。あの方が捕まるわけがない」

 お遊びをして、キリよく終わらせて、犯人を適当にでっちあげたのだろう。

 では、と思う。かつての真犯人は確定している。今回は誰の仕業であろう? と。

「ポッターは。彼があの方の……?」

 決闘クラブで蛇語を、と言うまでもない。ノットの父を通じて、ルシウスに情報が渡っているはずだった。

「にわかには信じられん」

 ルシウスは肩をすくめた。眼を細め、虚空を見やる。

「薄くともスリザリンの血が流れていて、先祖返りしたか……。だからこそ、次の闇の帝王とあの方がみなしたか」

「蛇語は抜きにして、ポッターが犯人とは思えないのですが」

 ウルペクラはさりげなく、そっと続ける。

「あの方の子が、犯人……という線は」

 もしや自分があの方の子なのでは、と訊くことは避けた。ルシウスが正直に答えるとは限らない。それに、間違ってもウルペクラが蛇語を解することに気づかれてはならない。どう利用されるのも、御免であった。

 息を詰め、叔父の反応を窺った。甥の緊張を知ってか知らずか、ルシウスは小さく笑った。

「なかろうな。いたとして、スリザリンの継承者などと名乗らず、あの方の子と名乗るだろう」

 それ以前に、我々がお子を推戴し、闇の時代は終わっていない……と示していたはず。

 どうだか。ウルペクラは冷めた眼で不忠者を見やった。闇の帝王が凋落した直後、陣営は混乱を極めていたという。子がいたとして、推戴するか否かで揉めていてもおかしくはない。厄介の種とみなす可能性すらある。戴いて、陰で操る度胸もなかった……。

「とにかく、穏和しくしておきますよ、叔父上」

 ウルペクラは従順な甥の仮面を着け、柔和に笑んだ。ああ、とルシウスは返す。

「ドラコが馬鹿をしないように、頼んだ」

「大丈夫ですよ、ポッターがポッターがとうるさいだけです」

「ホグワーツに残らせるんじゃなかった」

 ルシウスが嘆く。もはや手遅れである。従弟は、ほとんど空っぽの城を満喫するべく――社交から逃れるべく――今回は、ホグワーツに残っている。

「ハリー・ポッターに絡まないとも限らないだろう」

「言っても仕方ないですよ、叔父上」

 ウルペクラは踵を返す。

 

 叔父と甥は知る由もなかった。冬休みのスリザリン寮に侵入者がいるなどと。

 まさかポリジュース薬で「お付き」に化けた者どもなんてわかるわけもなく、ドラコ・マルフォイがぺらぺらとしゃべっていることを。

 たとえば、マルフォイ邸の応接間、床下に闇の品がたんとあることを、漏らしているなんて。

 従弟が不用心にも機密を開示しているなどと思いもせず、ウルペクラはせっせと義務を果たしていた。つまり、歩を踏み、回転するという務め。

「……上の空じゃあない」

 このところ、と問われ、ウルペクラは瞬いた。相手の、緑の眼を見返す。

「ホグワーツは騒がしかっただろう? ダフネ」

 だから、解放感に浸っているのさ。僕らには関係ない話さ。穢れた血が、きぃきぃうるさいけれど。

 くる、と回転。ダフネの衣の裾が、ひらりと泳ぐ。

「ねえ、ウル……前は、そういうことは言わなかったじゃない」

 かすかに震える声に、首を傾げた。ダフネの緑の眼が潤んでいるように思えた。なにを言っているか、わからなかった。

――前?

 以前、かつて。そういうこととは、なんだろう?

 寸の間考えて、ダフネをゆっくりと導く。わからないなりに、返事をした。

「怯えることはないだろう。僕らは純血なのだから」

「……スリザリンの怪物が、継承者が」

 なにを穢れとするか、わからないじゃない。

 きゅっと手を握られる。冷たい手であった。ウルペクラは強く握り返した。

「大丈夫だよ、ダフネは狙われないさ」

「自信がおありなのね? 怪物がきたら、勇敢に戦うのかしら」

「そんなものはグリフィンドールに任せておけ。そして無様に死ぬのも任せておけ」

 そうだな……と考え込む。幼少より叩き込まれた洗練された動きで、またも回転。優雅に歩を踏む。

「君の手をとって、逃げるとしようお嬢様」

 僕はスリザリンだから。戦う必要なんてない。ただ無事に、君を送り届けよう。

「……そのときは、お願いするわ」

 小さい子みたいに、影が怖い時はあるのよ。ダフネが、安堵したように軽口をたたく。ウルペクラは口端を吊り上げた。

「僕もだよ」

「嘘よ」

 くす、とダフネが笑う。嘘だよ、とウルペクラは返す。

 

 心の綻びがないか確かめ、胸中で己をあざ笑った。

 恐ろしいものなどいくらでもある。己があの方の子ではないかという疑念――どうも、ルシウスの反応を見る限り、その可能性は低いが。

 少し考えればわかることだ。母とあの方が交わったとして。その間に生まれた子に対し、磔刑の呪文を使うだろうか。

 切れ切れの記憶。どうか、なにをなさいます。おやめくださいまし! と叫ぶ家令夫妻。彼らを罰し、それでも幼いウルペクラが静かにしないから、きっと磔刑の呪文をかけた。

 燃えるような痛み。一歳に満たなかったろうウルペクラに、恐怖が灼き付いているのがその証。

 母にとって「レストレンジ」に価値はなく。

 ウルペクラは都合のよい駒、忠を示すための、道具に過ぎなかった。

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