厨房に立ち、料理の準備を開始する。
「……まっ。嘘じゃないからな」
視線の先に、バケットの上に袋へ包まれたパンに、鍋の中には今朝残していた野菜スープ。
野菜スープをレードルで木製ボウルへ注ぎ、袋からパンをいくつか取り出して皿に乗せる。
これが我が献立で最上級メニュー。
振る舞うと約束したが、一度も肉や魚を提供するとは言ってない。
「……………多分、大丈夫だろう」
右手で首を無意識に触れてしまう。
殺気だけで、自分が数秒後首を刎ねられるのを幻視したことを思い出す。
アレは勘違いと思い込みによる不運な事故。今回は違う、現物がある。
「……よ、よし。行くか」
震える声を呑み込む。人生に好転が訪れるチャンスを恐怖心で無駄にしてたまるか。
楕円形のパンが数個乗っている皿と、木製のボウルに入った野菜スープを手に手に持つ。
座って待っている紗夜の元に戻る。
「そら、持ってきたぞ。約束の品だ」
「今か今かと待ち焦がれておりました!おぉ……っ!数日ぶりの食事がついに……っ!」
贅沢な料理と呼べない品揃えだが、テーブルの上に置くと、彼女は食い入るようにパンとスープを凝視する。
「余すことなく頂いてよろしいですね!?いえ……いただきますねっ!」
「取って食わないっての。つーか、飯食う時は被ってるソレ外せよ。行儀が悪い」
よしよし、我ながら不自然なく完璧な指摘。
兜で顔を隠してようが、マスクで口元を隠してようと、飯を食べる時は誰もが外す。
ことごとく振り回されたんだ。隠されていた顔を見せてもらおうか。
「……はっ!食い気に囚われ失念していました!」
紗夜は藁で編まれた笠に手を伸ばして外す。
「……なっ」
———言葉を失った。
言葉を失くしたのは顔に傷があったりとか、火傷の痕があったからじゃない。
雪のように真っ白な美しい髪、透き通るような白い肌。綺麗な澄んだ蒼い瞳に、上品で華やかな整った顔。
———目の前に絶世の美女が存在していた。
完成された美を前に、月下美人という言葉を思い出す。
満月が空を明るく輝く中で、もし一夜を過ごせば永劫に忘れることはないだろう。
不覚にもそう考えてしまうほど———アラハバキ・紗夜へと魅入られていた。
「どうしました?目を丸くして驚いて。……ははーん。さては紗夜ちゃんに見惚れていましたねー?」
からかう笑い声で現実に戻る。
我に変えるとテーブルに頬付いて、愉しげに口元を緩めている。年齢は知らないが、仕草と態度が歳上の女性だと意識してしまう。
「そ、そんわけあるか……っ!!いいから食えっての……っ!」
「あははははは!左様でございましたか!……では、お言葉に甘えて馳走にあずかりますねっ!」
人の心を見透かすように品のある静かな笑みを浮かべていたが、それも一瞬。
食事にありつけられる事に目を輝かせながらパンへと齧りつく。
「ん〜〜〜!数日ぶりの御飯はあごが落ちるほど美味ですね〜〜!」
感激するほど美味しいパンじゃないのに、頬に右手を添え幸せそうに頬張る。
子供のような仕草のおかげで、屈指の美女と話している緊張から解放される。
「……なぁ、なんで行き倒れる寸前だったんだ?シギルムに来て日が浅く立って、ユーノ稼ぐ手段はあったはずだろ。肉体労働とか、屋台の売り子とか」
「はひ。こみひった、いしはいがあひまひて」
「全然分からん。食べてる最中に喋るなよ汚ねぇ。飲み込んでから話せ」
「はぐっ……んぐっ。はい。それはもう……思い出すだけで涙を催したくなる込み入った仔細がありまして……」
「一言どころか、二言ぐらい増えてんぞ。おい、さっき喋った内容と絶対違うよな」
「んぐんぐ……ぷはっ。度量が狭い殿方は異性からモテませんよー。あっ、すいません。野菜スープ、もう一杯お願いします」
「待ってろ。代わりに泥水を注いできてやる。副菜で雑草も付けてな」
人を苛立たせる天才か。
人が控えめな態度で対応していれば傍若無人に要求してきやがって。
「戯れじゃないですか、そう腹を立てないでください。食い詰めていたのは単純です。働きたいと、頭を垂れましたが幾度も門前払いされまして」
「追い返された?手先が壊滅的だろうが、その顔なら採用されても不思議じゃないだろ」
「職に奉じている間、笠を脱げと言い渡されてしまい。衆人の面前では至難だと告げ、ご主人と対談を重ねましたが実は結ぶことはなく……」
「当たり前だろ!?顔隠してる不気味な奴を雇用するか!働いてる時ぐらい外すの常識だろうが!」
「あははは!この上なく正論で耳が痛い!」
紗夜は頭を掻きながら高らかに笑う。
表情と言葉がちりほどに噛み合ってない。さては反省してないな。
「言い分はわかった。それで?笠を外したくない交渉をする理由はなんだよ。さぞ深い内容なんだろうな」
「おやおや。乙女の秘め事を
さし指を唇にあて笑みを深める。茶化しているが、これ以上は喋る気がないらしい。
想像に過ぎないが、この様子では編笠を外さず交渉したな。店主たちには同情する。
「………自分の置かれてる状況理解してるんだよな?」
「もちろんですとも。宿を押さえようにもユーノは一銭もなく、生業を探しても門前払い………謂わゆる万事休す、または絶対絶命ですね!」
自信満々で胸を張る要素どこだ。
容姿端麗なのに頭の中は残念な気がしてきたが、素晴らしい情報を手に入れた。
無一文で、寝床もなく、伝手もない。
恩を被せクランへ引き込む作戦の成功率は100%。今すぐ実行に移したいが——
——実は懸念点が幾つかある。
いざ実行に移そうと、尻込みしているのは背中に担いでいるアレが原因。
背中から下す気配のない、一枚の札が貼られ、古い布に包まれている謎の荷物。
中身は不明だが、オレの危機管理センサーがずっとヤバイと警告を鳴らしている。
なるべく存在しない物として扱い、全力で見てないフリをしているが。
自己保身に走れ、リスクを背負う必要はないと理性が囁いてくるが——
「……馬鹿言うな」
——理性を切り捨て、欲望で塗り潰す。
人生の
上等じゃないか。命に関わらないリスクなら幾らでも安いだろ。
「迷える子羊に救いの手を差し伸べようじゃないか。宿屋も確保、ユーノも稼げ、飯もあり付ける。抱えている問題を纏めて解決できる理想の働き口があるぜ」
「んぐはぐ……なんと。そのような夢物語在りえるのですか」
「そのまさかよ。冒険者に成って、オレと一緒にクランを作らないか」
パンを頬張る紗夜に指を差す。
もぐもぐとパンを食べているが、耳を傾けているので構わず話を続ける。
「地下
彼女にどれだけ利益と恩恵があり、抱えている問題が一度で解決できると説得する。
古びたクランハウスの所有権はオレではなく所有者《人格破綻者》だが。あっち説得内容を考えるのは後。今は目の前の紗夜を引き込むことが最優先。
「腕が立つのはオレでも分かるっ!冒険者に成れば無一文から解放され、好物を好きなだけ食べられる!自由気ままに生活だって夢じゃない!だから、オレと組もうぜ」
「……ふぅ。ご馳走様でした」
話を聞きながら食べ終えると背筋を伸ばし、丁寧に両手を合わせる。
何気ない所作は身体に染み付いているのか、やけに自然に映る。
数秒の沈黙。
長く感じた静寂を破ったのは紗夜だった。
「手を携える件ですが拝辞致します」
「……悪い。もう一度言ってくれ。幻聴が聞こえたような気がしてよ」
「はい。手を携える件ですが拝辞致します」
ふざけた笑みはなく、引き締まった顔で凛とした声で答えた。
「は、はぁ!?待て待て待て……っ!?な、なんでだ!?」
信じられない返答に、声が裏返る。気が動転して勢いよく立ち上がる。
椅子が倒れ大きな音が鳴るが、毅然とした態度を紗夜は決して崩さない。
「ユーノ稼げて、飢えも凌げて、住む場所もある!リーダーは、まぁ、譲れないが……それでも最初期メンバーとして優遇するし、どう考えても破格の条件なはずだろ……っ!?」
「談判人としてまだ未熟の様ですが、此方《こなた》の得分を熟考する内容でした」
「は、はぁ!?深く考えたタイミングはいつだよ……!?ま、まさか……」
「はい。今しがた口を摘むいでいた時に」
今度こそ言葉を失った。
深く考えた時間が、僅か数秒。
食事の最中からではなく、食べ終わった後、数秒の沈黙の間で悩み、決めたのか。
「べ、別のクランに勧誘されてたのか!?くそっ……実力があるのを知ってたら当然か……っ!ユーノなら、どうにかして用意する!だから、考え直せ、な!?」
「この地に訪れ、刀を抜いたのは歓楽区での一度のみ。なので、勧誘は一度もありませんよ」
「なら、さっきの話にどこが不満があったんだよ……っ!?商人や、シギルムで新しい店を開く料理人ってワケじゃないんだろ……っ!?」
調理器具を持っていたり、大きなリュックを背負っていれば話は多少変わるが。そんな物はなく。素顔も身体も隠し、危険な物を背中に担ぐ人間が料理人や、商売人は不自然で。
B級冒険者が見抜けない抜刀術。、それほどの技を持つ紗夜が、シギルムに来た動機は消去法で冒険者しか残ってない。
「確かに私は暖簾を掲げたり、商人《あきびと》ではありません。そこは正しい。ですが、大元に齟齬が生じているのです」
狼狽えている弟を宥めるように、紗夜は落ち着いた声を出す。
「お互いの認識が違う……?」
互いの認識がズレているとは、どう云うことだ。疑問が更に深まる。
一度を息を零すし、瞼を閉じる。
落ち着いて、紗夜の言葉を一つ一つ思い出せ。彼女は料理人も、商人ではないと肯定した。シギルムで刀を抜く瞬間を、歓楽区でしか見せていないのも同意した。
違うな。クランハウスでの会話だけ足りない。もっと前を思い出せ。それこそ歓楽区を通行していた時や、初めて出逢った時のことを。
そうだ。紗夜がタイニの喉元へと刀の切先を突き付けた際にこの都市に来た動機を———
「——云ってない。一度も冒険者志望だと紗夜は云ってない」
閉じていた瞼を開ける。掠れた声が、広い居間にやけに響く。
紗夜が冒険者志望で都市に来た、そう決めつけていたのは先入観から。紗夜の口から、そんなことは一度たりとも聞いちゃいない。
「やはり知恵が回りますね。ええ、初めから談判は成立しないのです。———何故かと問われるのなら冒険者に興味がありませんので」
哀れみも、同情もなく事実を述べる宣告が下された。興味がない——現実を突き付けた言葉が、頭の中で何度も繰り返す。
「……悪い、冗談だろ?」
「戯言ではなく事実です。この地に訪れたのは名を馳せることでも、富貴を収めるわけでもありません。その2つは興味ないので」
凛とした顔で断言されれば、嘘だと指摘して深く追求することも出来ない。
顔を隠したままなら、浮かべている表情を見ていなければ。さっきまでのようにはぐらかされているのだと希望を抱けたのに。
「では、そろそろ失礼します。120ユーノの償還と、食事を振る舞っていただいた恩は必ず返します!……ユーノは少々時間を頂戴しますが心配ご無用!紗夜ちゃんは決して誓いを破りませんので!」
紗夜はテーブルの上に置いていた深編笠を手に取り、再び頭に被る。
彼女はこれ以上滞在する気はない。またシギルムを彷徨うのだろう。オレが出来ることは、呆然として彼女の背中を見送るだけ——いや、それは違うだろ。
理性を捨て、欲望に呑まれても足りないのなら、常識も道端に蹴り捨て、知性に回せ。一度失敗して、驚いて思考を止めるなよ。
「……いいや。まだ話は終わってないぜ」
立ちあがろうとした紗夜を静止する。
「……はぁ」、と気が抜けたような呆れた声が返ってくる。
「交渉は終わり、話は一件落着したと存じますが……」
「いいや。終わってない……冒険者に興味がないのが衝撃過ぎて見落とすところだったぜ。シギルムは人類を存続する、最大の防衛ラインであり、最後の防衛ラインだ。都市の地下にモンスターが蠢いてるからな」
「それがどうかしましたか?私を引き止めたワケとどのような繋がりが……?」
「大ありだ。この都市は生命の存続に携わってるが、同時に欲望と願望に塗れた都市だ。一番危険な場所に理由もなく、外から来る大馬鹿はいないんだよ。例えば名声が欲しい、金が欲しい——力が欲しいとかな。紗夜の場合は——自分の力を試したい、そんなところだろ」
「……冒険者に興味ないと申し上げた筈ですが」
「地下迷宮《ダンジョン》に興味ないとは云ってないだろ」
ヤケクソで喋っているだけだが、悟らせないため紗夜の顔を見据え、笑みを深める。
情を訴えてもあしらわれる。かといって、恩を返せと脅しても物理的に制圧される。
なので作戦は捨てる。言葉尻を拾い、屁理屈で勝負する。
「地下迷宮《ダンジョン》は下層に潜るほどモンスターは強くなる。地上に出れば、一つの都市を壊滅できるヤバいモンスターだって存在してるらしい」
紗夜が言葉を紡ぐ前に捲し立てる。
らしい、と曖昧にし、期待を膨らませるニュアンスにしたのは実際に目撃してないからだ。
階層を潜るほど強力なモンスターと遭遇するのは事実だが、一つの都市を壊滅できる強大なモンスターは、冒険者ギルドで他の連中が話してた噂話を誇張して話しているだけ、根拠も無く、信憑性も薄いホラ話だが———
「——それが真ならば、さぞ愉快でしょうねぇ」
からからと軽快な声色で笑っているが、好奇心と高揚が滲み出ている。
獲物が釣り糸に引っかかった。紗夜がこの都市に来た目的は2つまで絞り込める。腕試しか、それとも戦闘狂のどちらか。
「心ゆくまで戦いたいのならオレはそれを妨害する気はねぇ。両手挙げて大歓迎の方さ。宿もある、ご飯もある、ユーノも貯められて、好きなだけ強いモンスターと戦える……どうだ?」
もう手札はない。
これで無理なら、オレの人生は未来永劫負け犬だ。正真正銘の
再び会話が途切れる。紗夜が口を開けるのを固唾を呑んで待つ。
「……こうも破格の条件なら、流石の紗夜ちゃんも頷きましょう」
一度提案した時よりも、少し長い数秒の沈黙の末、呆れたように小さく肩を竦めた。
「ほ、ほんとうか!?」
興奮して身を乗り出そうとすると、話は終わっていないと指を3本立て突きつける。
「その代わり条件が三つあります」
「……条件?」
「勿論です。この条件を聞き届けなかった場合、先の返答を取り消します」
「……脅しじゃねえか」
「脅し?まさか、談判ですよ。一つ目の条件は単純です。貴方が率いる組織に人手が充分に揃うまでの期間はお手伝いをしましょう」
「………はっ?」
内容を理解するより早く、紗夜は話を続けていく。
「そして二つ目。先程の条件について野暮な詮議を行わないこと」
「ちょ、ちょっと待って……っ!?一旦整理させろよ……っ!?」
「整理も何も、私は一時的に貴方の下に仕え、助力する。そこに何の問題が?」
「大問題だ!一時的ってどうしてだよ!?紗夜がこの都市に来たのは強いヤツと戦いたいんだろう……っ!?」
「半分正解で半分は不正解です。この話は条件2に触れているので終わりましょう」
人の抗議に耳を傾けることもなく。最後の一方的な条件を通告してくる。
「はい、最後の三つ目ですね。あっ、こちらの方は理不尽な内容ではありません。お互いを知ろうという紗夜ちゃんなりの質問になります」
「……断っていいか?今日何回質問攻めしたか忘れてるわけじゃねぇだろうな?」
「あはははは!それはそれ、これはこれということで!」
反省の色もなく、愉快に笑いながら笠を外してテーブルの上に置き、再度美貌を晒す。
「では三つ目———能無し、魔力が無いことを教えてもらえないでしょうか」
紗夜は穏やかな笑みで、三つ目の条件を開示した———。