青いリボンの約束   作:東頭鎖国

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第四章 約束

 数日後。

 

 イタリアでは、すべてが変わり始めていた。

 ブチャラティが生きている。

 

 それだけで、『運命』は本来あるべき流れとは違うものになっていた。

 彼は以前よりも無茶をしなくなった。

 

 もちろん、危険な場面では先頭に立つ。

 敵の攻撃から仲間を庇う。

 判断も速い。

 

 だが、明らかに変わったことがあった。

 それは、自分が死んでいるという前提で行動をしなくなったこと。

 自分を駒として捨てないということ。

 

「ジョルノ、治療は必要ない。

 俺はまだ動ける」

 

「その『まだ』が危険なんです」

 

 ジョルノの言葉を受けて、ブチャラティは苦笑する。

 

「……そうだな。訂正する。無理はしない」

 

 ミスタが横から茶化す。

 

「おいおい、ブチャラティが自分から無理しないって言ったぜ。明日は雨か?」

 

「黙れ、ミスタ」

 

「いやでもよォ、いいことじゃねえか。

 前のあんたなら、血ィ流しながら普通に『問題ない』って言ってたぜ」

 

「今も必要がなければ言う」

 

「そこは変わんねえのかよ!」

 

 それは小さな変化だった。

 だが、大きな変化だった。

 

 リーダーが生きている。

 声を出し、指示を出し、叱り、時には冗談を受け止める。

 

 その事実が、仲間たちの心を支えていた。

 ブチャラティ自身も、その重みを感じていた。

 

 死んで導くのではない。

 生きて背負う。

 それは、死ぬ『覚悟』よりもずっと難しい時があった。

 

 痛みもある。

 恐怖もある。

 

 失敗すれば仲間を失うかもしれない。

 

 それでも生きて選び続ける。

 そのたびに、胸元の青いリボンを思い出す。

 もう魔力は残っていない。

 

 ただの布だ。

 だが、約束は残っている。

 遠く離れた日本、見滝原。

 

 美樹さやかは、ある夜ふと立ち止まった。

 胸の奥が、急に熱くなった気がした。

 

「……なに、今の」

 

 ソウルジェムを見る。

 濁りは少しあるが、異常はない。

 敵の気配もない。

 

 けれど、なぜか涙が出そうになった。

 悲しいわけではない。

 むしろ逆だった。

 どこか遠くで、誰かがぎりぎり踏みとどまったような、そんな感覚。

 

「ブチャラティさん……?」

 

 名前を呟いてから、さやかは苦笑した。

 何を言っているのだろう。

 

 イタリアにいるはずの人のことなんて、わかるはずがない。

 自分のお守りだって気休めみたいなものだ。

 本当に効いたかどうかなんて、知りようがない。

 

 ──それでも。

 

 さやかは夜空を見上げた。

 

「……生きてよ」

 

 小さく言う。

 

「約束したんだから」

 

 その時、携帯が震えた。

 まどかからのメッセージだった。

 

『さやかちゃん、明日一緒にお昼食べられる?』

 

 さやかはしばらく画面を見つめた。

 以前なら、適当にごまかしていたかもしれない。

 まだ笑う自信がないから。

 まだ恭介や仁美の話題が出たら苦しいから。

 

 でも、今は少しだけ違った。

 さやかは返信を打つ。

 

『うん、食べる。 

 購買の肉まん買ってくる』

 

 送信。

 それだけで、少し息がしやすくなった。

 

「……あたしも生きるか」

 

 ぽつりと言って、さやかは歩き出した。

 

 

 さらに後日。

 すべての戦いが終わった後。

 ディアボロの支配は崩れた。

 

 ──そしてブチャラティは、生きていた。

 だが、傷は残った。

 サン・ジョルジョ・マジョーレ島で受けた傷はあまりにも深く、ジョルノの能力でも完全には消えなかった。

 

 深く息を吸うと、胸が痛む時がある。

 雨の日には古傷が疼く。

 だが、それは生きている証だった。

 

 ある日の午後。

 ブチャラティはネアポリスの小さな店で、封筒を前に座っていた。

 

 中には航空券が一枚。

 日本からイタリアへ来るためのもの。

 それをミスタが横から覗き込む。

 

「なんだよ、それ」

 

「約束を果たす」

 

「誰と?」

 

「日本の友人だ」

 

「友人? あんた日本に友人なんかいたのか?」

 

「いる」

 

 ミスタは少しだけ意外そうに目を丸くした。

 

「へえ。どんなやつだよ」

 

「命の恩人だ」

 

 ミスタの表情が変わる。

 

「……マジか」

 

「ああ」

 

 ブチャラティは封筒に手紙を入れた。

 丁寧な日本語で書かれた短い手紙。

 

『さやかへ。

 

 約束通り、生きている。

 

 君のお守りに助けられた。

 

 今度は俺が約束を果たす番だ。

 

 本場のパスタを食べに来るといい。

 

 旅費はこちらで持つ。

 

 もちろん、無理にとは言わない。

 

 だが、君がいつか自分の足で遠くへ行きたいと思った時、その理由のひとつになればいい。

 

 ブローノ・ブチャラティ』

 

 手紙を書き終えると、彼は青いリボンを取り出した。

 血の染みは、完全には落ちなかった。

 

 端も少し破れている。

 だが、捨てる気にはならなかった。

 

「それが例の?」

 

 ミスタが聞く。

 

「ああ」

 

「ただのリボンに見えるけどな」

 

「ただのリボンだ」

 

 ブチャラティは静かに言った。

 

「だが、人を生かすにはただのリボンで十分な時がある」

 

 ミスタは首を傾げた。

 

「わかるような、わかんねえような」

 

「いつか分かる」

 

「年寄りみてえなこと言うなよ」

 

 ブチャラティは小さく笑った。

 そして封筒を閉じた。

 

 

 数週間後。

 

 美樹さやかは、郵便受けの中から国際郵便を見つけて固まった。

 

「……え?」

 

 差出人の名前を見て、さらに固まる。

 

 ブローノ・ブチャラティ。

 

「ええええええええ!?」

 

 部屋に駆け込み、封筒を開ける。

 中には手紙と航空券。

 さやかは、しばらく言葉を失った。

 

「本当に……生きてた」

 

 手紙を読む。

 

 読み終えるころには、目が潤んでいた。

 ブチャラティは詳しいことを書いていない。

 

 危険な仕事だったこと。

 お守りに助けられたこと。

 約束を果たしたいこと。

 

 それだけ。

 

 でも、さやかには十分だった。

 

 あのリボンは届いた。

 あの言葉は、届いた。

 自分が泣きながらも差し出した小さな恩返しは、確かに誰かの命をつないだ。

 

「……なんだよ」

 

 さやかは笑いながら泣いた。

 

「かっこよすぎでしょ、あの人」

 

 机の上に手紙を置く。

 

 窓の外を見る。

 見滝原の空は、今日も青い。

 でも、あの夜のような水底の青ではない。

 

 もっと高くて、遠くへ続いている青だった。

 

 さやかは携帯を取り出し、まどかにメッセージを打った。

 

『まどか、あたしイタリア行くかもしれない』

 

 すぐに返信が来た。

 

『えっ!?』

 

 さやかは笑った。

 当然の反応だ。

 自分でもそう思う。

 

 でも、悪くない。

 失恋して、泣いて、正義の味方になれないと思っていた自分が、誰かを少しだけ助けた。

 

 その誰かが、遠い国から手紙をくれた。

 次に進む理由なんて、それくらいでいいのかもしれない。

 

 さやかは、ブチャラティからの手紙をもう一度読んだ。

 約束通り、生きている。

 その一文を指でなぞる。

 

「……うん」

 

 さやかは小さく頷いた。

 

「じゃあ、あたしも約束守らなきゃ」

 

 生きること。

 食べること。

 顔を洗うこと。

 

 傷ついても、自分を捨てないこと。

 そしていつか、本場のパスタを食べに行くこと。

 

 それは、世界を救うような大事件ではない。

 誰も知らない、小さな恩返しだった。

 けれどその小さな出来事が、サン・ジョルジョ・マジョーレ島でひとりの男の死を遠ざけた。

 死ぬはずだった男が生きて戻り、守られるだけだった少女が自分の意思で立ち、仲間たちは生きたリーダーの声を聞きながら進んだ。

 

 運命は、巨大な力でしか変えられないわけではない。

 泣いている誰かの隣に座ること。

 温かいものを差し出すこと。

 借りたハンカチを返すこと。

 青いリボンを渡すこと。

 

 たったそれだけで、世界は拓く。

 まるでスティッキィ・フィンガーズが石の床にジッパーを刻むように。

 

 閉ざされたはずの未来に、ほんの小さな出口が開く。

 そしてその出口の向こうで、ブローノ・ブチャラティは生きていた。

 

 美樹さやかもまた、生きていた。

 

 二人は遠く離れていたが、同じ約束で繋がっていた。

 

 自分を捨てない。

 誰かを助けるために、生きる。

 その約束は、青いリボンのように細く。

 

 けれど、決して切れなかった。

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