四國志   作:丸亀導師

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東夷の章
東夷


 

紀元前326年。

中原(ちゅうげん)は戦国七雄(しちゆう)が覇を競う、血で血を洗う乱世の只中にあった。長江流域を支配する南の大国・()の都に、奇妙な一団が姿を現した。

 

「我らは、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統べる大王の使い。大和(やまと)より参った」

 

楚の廷臣たちは、その言葉に失笑を禁じ得なかった。

「中つ国」とは、世界の中心たる中華を指す言葉である。東の果ての海に浮かぶ絶海の孤島から来た蛮族が、自らの国を「世界の中心」と呼称したのだ。楚の王から見れば、彼らは「東夷」——東方に住まう百余りの小国の一つ、「邪馬台(やまと)」に過ぎなかった。 

 

しかし、楚の宰相は凡庸ではなかった。彼は使者たちが持ち込んだ品々——見たこともない輝きを放つ真珠、精緻に織られた麻布、そして何より、彼らが海を渡り切ったという「未知の航海術」に目をつけた。

 

楚曰く。「邪馬台は、大八州(おおやしま)の大国であると聞く。遠路はるばるのご到着、まことに喜ばしい。我が国は貴国を熱烈に歓迎しよう」

楚による「歓待」が始まった。

 

それは、美酒と佳肴、豪奢な絹織物、そして妖艶な美女たちを使者にあてがうというものだった。しかし、これは単なる親善ではない。孫子の兵法が教えるところの「敵を驕らせ、骨抜きにし、内部に間者を送り込む」ための、甘く危険な毒であった。楚は邪馬台を懐柔し、海からの脅威を封じると同時に、あわよくば東夷の百余国を争わせ、自国の利益となる海産物や鉱物資源を独占しようと企図していたのだ。

 

だが、大和の使者・建内(たけうち)は、酒宴の席でだらしなく笑いながら、その奥の双眸に冷徹な光を宿していた。

 

(……中原の者たちは、我らを海に浮かぶ猿と見下しておる。結構なことだ)

 

大和の真の目的は、大陸の「最先端の知」と「鉄」を奪い取ることだった。建内は楚の思惑を逆手に取った。楚から与えられた間者たちを「尊き客人」として大和へ連れ帰り、彼らを隔離された工房に押し込め、大陸の製鉄技術、農耕技術、そして文字と兵法を徹底的に吐き出させたのである。

 

楚が「野蛮な東夷を操っている」と錯覚している間に、大和は楚の技術を貪り食い、列島内部に割拠する他の国々を次々と鉄の武器で平定し始めていた。

 

 

紀元前221年。

中原に激震が走った。西方の覇権国「秦」が六国を滅ぼし、史上初めて大陸を統一したのである。自らを「始皇帝」と名乗った男の権勢は、海を越えて大和にも伝わった。

秦は強大であった。法家思想による冷酷な統治、度量衡の統一、そして万里の長城の建設。その圧倒的な国力を前に、大和の王権はすぐさま「海を鎖す(とざす)」ことを決断した。まともにぶつかれば、束になっても敵わない。

しかし、始皇帝の強迫観念が、思わぬ形で大和に恩恵をもたらすこととなる。

 

不老不死の仙薬を求めた始皇帝は、方士(呪術師)の徐福に数千の童男童女、そして百工(あらゆる職人)と五穀の種を持たせ、東の海へと送り出した。

大和の強力な水軍は、東シナ海でこの徐福の巨大な船団を捕捉した。

拿捕された徐福は、大和の整然とした武装と、彼らが想像以上の文明を持っていることに驚愕した。大和の将は徐福に告げた。

 

「仙薬など、この島にはない。だが、秦に戻れば貴様は皇帝の怒りを買い、一族もろとも処刑されよう。我らにその知恵と技術を差し出せば、この葦原中国で安住の地を与えよう」

 

徐福は賢明であった。彼は大和に降伏し、彼が連れてきた数千の若者と大陸最高峰の技術者たちは、そっくりそのまま大和の血肉となった。

その後、始皇帝が崩御し、苛烈な統治に耐えかねた大陸全土で反乱が勃発。強大な秦帝国がわずか十数年で砂上の楼閣のように崩れ去る様を、大和は海の向こうから冷ややかに観察していた。

 

「大陸の『天命』とは、力ある者が力で奪い取るもの。故に、少しでも力が衰えれば、すぐに天下はひっくり返る」

 

大和の王は、自らの血脈——天照の神勅に基づく「万世一系」の思想こそが、国を永遠たらしめる唯一の道であると確信を深めた。大和は中原の覇権争いには一切介入せず、秦の崩壊による混乱から逃れてきた難民や学者たちを、選別した上で積極的に受け入れ続けた。

 

 

紀元前206年。

楚の項羽との死闘を制した漢王・劉邦が、新たな統一王朝「(前漢)」を建国した。

 

漢は秦の失敗に学び、当初は緩やかな統治を行ったが、第七代・武帝の時代になると、再び外征へと打って出た。北の匈奴を討ち、西域へと版図を広げ、そして東は朝鮮半島にまで軍を進め、「楽浪郡(らくろうぐん)」などの漢四郡を設置したのである。

漢の圧倒的な軍事力が、ついに大和の喉元、対馬海峡の対岸にまで迫った。

 

ここに至り、大和は「外交」という新たな武器を抜いた。

大和は楽浪郡を通じ、漢の皇帝に朝貢を行った。

漢の宮廷において、大和の使者はあくまで「東夷の小さな属国」として振る舞った。漢の皇帝は彼らを歓待し、銅鏡や金印、そして高度な儒教や道教の書物を与えた。漢にとって、東の果ての未開の民がわざわざ海を渡って朝貢してくることは、皇帝の徳が天の果てまで及んでいることの証明であり、大層な名誉であったからだ。

だが、大和の視点は全く異なっていた。

 

「頭を下げるだけで、鉄と書物、そして大陸の最新の情勢が手に入るのだ。安いものよ」

 

大和は漢から与えられた権威(銅鏡や金印)を利用し、列島内部に未だ残る反抗勢力(狗奴国)などを心理的に圧倒し、国内の完全統一を推し進めた。同時に、朝鮮半島南部の「任那(みまな)」と呼ばれる地域に密かに軍事拠点を築き、半島から産出される豊富な鉄鉱石のルートを掌握していった。

 

漢の皇帝が「東の海は平穏なり」と安心しきっている背後で、大和は東アジアの海上交通を完全に支配する、強力な海洋帝国へと変貌を遂げつつあったのである。

 

時は流れ、紀元8年。

前漢は外戚の王莽(おうもう)によって国を乗っ取られ、「新」という国が建てられた。しかし、現実離れした復古的な政策は大陸全土に大混乱をもたらし、各地で反乱が相次いだ。

大和は、この大陸の混乱を利用した。

 

新が崩壊し、光武帝・劉秀が「後漢」を再興するまでの数十年の空白期間に、大和は水軍を動かして朝鮮半島の利権をさらに拡大。大陸から逃れてくる知識階級をこぞって大和へと招き入れた。

 

西暦57年。

天下を再統一した(後漢)の光武帝のもとに、大和から使者が訪れた。

 

「東夷の()の国王、皇帝陛下に朝貢いたします」

 

光武帝はこれを喜び、『漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)』の金印紫綬を授けた。

大陸の史書には「東夷の小国が漢の威光にひれ伏した」と記された。だが、現実の大和は、すでに後漢の国力に依存しなくても自立できるだけの強大な農業基盤と、精強な武力、そして独自の官僚機構を備え始めていた。

 

大和にとって、後漢への朝貢はもはや「儀式」であり「情報収集の隠れ蓑」でしかなかった。大和の朝廷は、中原の「儒教」の都合の良い部分(忠孝の概念)だけを取り入れ、天皇を頂点とする神権的かつ軍事的な中央集権体制を、静かに、しかし強固に完成させていった。

 

——そして時は、西暦184年へと向かう。

後漢の命脈は、もはや尽きかけていた。

度重なる飢饉、腐敗を極めた宦官たちの専横、そして朝廷への絶望。

大和の密偵たちは、大陸全土に不気味な「黄色い影」が広がりつつあることを、いち早く察知し、海を越えて飛鳥の都へと報告していた。

 

「大陸は、間もなく割れる。かつてない規模の大乱が起きようとしております」

 

大和の大王は、静かに頷いた。

 

「ついに、その時が来たか。我らは海を塞ぎ、高見の見物を決め込むとしよう。中原の英雄たちが、共食いをして自滅していく様をな」

 

この年、太平道の教祖・張角を筆頭とする「黄巾の乱」が勃発。

大陸全土が血塗られた戦乱の渦に巻き込まれようとしているまさにその時、東の海には、一切の戦火を寄せ付けない、黒鉄の船団に守護された「日本国(やまとのくに)」が、巨大な第四の極として冷徹に屹立していたのである。

 

 

 

 

国土の詳細と面積

大和朝廷は、海を内包する巨大な**「環瀬戸内海・半島帝国」**として成立しています。

総面積:約24万 km²

日本列島側(約22.5万 km²):関東、中部、近畿、中国、四国、九州の全域。

半島側(約1.5万 km²): 伽耶(任那)諸国の直轄領。

 

 

人口:約500万人 〜 600万人

史実の3世紀の日本列島は150万〜200万人程度と推測されますが、この世界線の大和は**「魏(約450万人)を凌駕し、三国最大の人口を誇る超大国」**へと成長しています。

 

 

政治形態

「祭政一致の高度な官僚制・実力主義国家」

元首(大王 / 天皇): 天照大御神の直系とされる「現人神」。絶対的な精神的権威であり、国家の存在意義そのものです。

中央政府(近畿):神祇官(祭祀・天文学・気象学)と太政官(政治・軍事・経済)が明確に分業化されています。

冠位十二階の運用: 血筋ではなく、「数学・天文学に長けた者」「戦場で武功を挙げた者」「高度な航海術を持つ者」が身分を問わず登用されます。

 

 

十七条憲法

一に曰く、(やわらぎ)を以て(たっと)しと為し、(さか)ふること無きを(むね)とせよ。

人皆(たむろ)有り、また(さと)れる者少なし。(ここ)を以て、或いは君父に順はず、また隣の里に違う。然れども、上の和ぎ下の睦びて事を(あげつら)ふ時は、則ち事理自ずから通ず。海を隔てた脅威に対抗せんとする我らが、列島内に争いを抱えるは神への叛逆なり。帝国の心臓たる瀬戸の海を汚す私闘を固く禁ず。

 

二に曰く、篤く神祇(じんぎ・八百万の神々)を敬へ。

神祇は天地の理なり、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、この法を貴ばざる。古事記に連なる神々の系譜を尊び、大王を現人神として奉載せよ。神の御心に従い、清浄を保ち、穢れを払うことこそが、兵の命と武の運を長くする道と知れ。 

 

三に曰く、大王の詔を承りては必ず慎め。

君は則ち天なり、臣は則ち地なり。天覆い地載せて、四時の順行し万気の通ずるを得るなり。大王より軍の動員、あるいは鉄の供出の詔あらば、海を越え山を越え、迅速にこれを成せ。遅滞は軍の死を意味し、背く者は自ら滅びんとす。

 

四に曰く、群臣百寮、規律と算を本とせよ。

民を治める本は規律にあり、軍を動かす本は算にあり。星の運行を読み、潮の満ち引きを計り、兵糧と矢玉の数を違えることなかれ。感情や直感に頼る戦は国を危うくす。冷徹なる計算のみが、海を制する力と知れ。

 

五に曰く、(かすめ)を絶ち欲を棄て、明かに訴訟を弁へよ。

鉄や糧は神より賜りし帝国の血肉なり。これを私物化し、私腹を肥やす者は国家の動脈を断つ大罪人である。資源の配分は厳密なる帳簿をもって行い、公平なる裁きによって民の恨みを残すことなかれ。

 

六に曰く、懲悪勧善は、古の良き典なり。

人の善を匿すことなく、悪を見ては必ず(ただ)せ。戦場にて槍衾を支えた者、見事に石弓を射た者、あるいは航海と算術に秀でた者には、身分を問わず冠位を与えてこれを報いよ。実力なき世襲は国を滅ぼす。

 

七に曰く、人各々(よさし)有り。(つかさど)ること宜しく濫(みだりがわ)しからざるべし。

賢哲(けんてつ)官に任ずるときは頌音(ほめごと)即ち起こり、奸者(かんじゃ)官を保有するときは禍乱繁く至る。適材適所は神の意志なり。武に秀でた者は最前線へ、知に秀でた者は軍議と帳簿へ就けよ。各々が己の役割を全うすれば、国家は盤石となる。

 

八に曰く、群臣百寮、早朝に参りて(おそ)く退け。

公の事は隙なし。日暮るるまで事を終えること難し。我らが独自に定めし「かな文字」と竹簡を用い、情報と記録を素早く、かつ正確に伝達せよ。情報の遅れは大陸の野心に付け入る隙を与えるものと心得よ。

 

九に曰く、(まこと)は是れ理の本なり。毎に信有るべし。

善悪成敗、(かならず)信に在り。大和と地方の豪族、そして海の向こうなる伽耶の諸国との間には、必ず信義を持て。信義なくして鉄は届かず、信義なくして防衛の盾は築けずと知れ。

 

十に曰く、忿(いかり)を絶ち(いかり)を棄て、人の違ふことを怒らざれ。

人皆心有り、心各々執る所存り。彼()とすれば則ち我非とす、我是とすれば則ち彼非とす。軍事と外交において、己の感情で軍を動かすべからず。大陸の挑発に乗らず、常に盤面全体を俯瞰し、引き分けをも許容する冷徹な大局観を持て。

 

十一に曰く、功過を明察して、賞罰を必ず当てよ。

日々の諸事に功過なしということはなし。前線で血を流す兵のみならず、船を造る大工、弓を削る職人、食糧を運ぶ水夫たちの労を正しく評価せよ。後方の兵站を支える者こそが、帝国の真の勇者なり。

 

十二に曰く、国司・国造、百姓(おおみたから)(おさ)むること莫れ。

国に二君非ず、民に両主無し。率土(そっと)の兆民、大王を以て主と為す。地方の豪族が勝手に民から税を搾り取り、私兵を養うことを禁ず。租・調は大和の中央がこれを一括し、富と武力を一点に集中させよ。 

 

十三に曰く、諸の官に任ずる者、同じく職掌(つかさ)を知れ。

病あるとき、或いは使いに出るとき、事を欠くことあるべし。然れども、事を知れる時は、和ぐこと前のごとくせよ。誰が倒れても、誰が欠けても、別の者が直ちに指揮を引き継げるよう、軍の陣形と艦船の操舵は等しく規格化し、常備せよ。

 

十四に曰く、群臣百寮、嫉妬(ねたみ)あること無かれ。

我已に人を嫉めば、人また我を嫉む。嫉妬の患い、その極みを知らず。己より優れた智謀の者、あるいは武勇の者あれば、これを妬むのではなく、国家の持ち駒(戦力)が増えたことを喜べ。智勇兼備の者を登用することこそが大将軍の器なり。

 

十五に曰く、私を背きて公に向くは、是れ臣の道なり。

凡そ人に私有るときは必ず恨み有り。恨み有るときは必ず()ならず。同ならざるときは、私を以て公を妨ぐ。己の命、己の財よりも、海を統べる大和国の存続を最優先とせよ。私情を捨て去り、国家という巨大な船の歯車となれ。

 

十六に曰く、民を使役するに時を以てするは、古の良き典なり。

冬の月には(いとま)あり、以て民を使うべし。春から秋は農事・養蚕の時なり、民を使うべからず。また、飢饉の際には雑徭(公共事業)の期を延ばし、国庫より糧を配給せよ。道路を均し、堤を築くことで民の命を救い、かつ帝国の兵站網を強固なものとせよ。 

 

十七に曰く、()れ事独り断ずべからず。必ず(もろもろ)と共に(あげつら)ふべし。

小事は軽し、必ずしも衆とすべからず。然れども大事を論ずるときは、己の知恵のみを過信することなかれ。大将軍、神祇官、諸将、そして商人からの報せを集め、多角的な情報と算術を以て軍議を尽くせ。然る後に軍を発すれば、その勝利は疑いなきものとならん。

 

 

 

 

():口分田の収穫の1割を納める所得税。飢饉時には全額免除され、農民の破綻を防ぎます。

 

調(ちょう): 特産品(絹、布、海産物、紙など)を納める住民税。伽耶からは「鉄」が納められ、国司がこれらを一括管理することで地方の勝手な軍備拡張を防ぎます。

 

雑徭(ぞうよう): 年間最大30日の地方公共事業(道路整備・堤防工事)。飢饉時には期間が延長され、**食糧が配給される生活保護システム**へと切り替わります。帝国のインフラ維持と貧困対策を完全に両立させています。

 

兵役(へいえき): 3〜4人に1人が徴兵される軍役。**武器や食糧は全て国家から配給**されるため、高度に規格化された兵器(石弓、弩、槍)を用いたシステマチックな戦術行動が可能です。武功を挙げれば一代限りの冠位と要職が与えられます。 

 

地方との関係

強権的な恐怖政治ではなく、「神話的統合」と「経済的相互依存」によって地方を完璧にコントロールしています。

神話による序列化(古事記の活用): 関東、中国、九州などの有力な地方豪族(国造)たちは、力でねじ伏せられるのではなく、彼らの祖先神が『古事記』の高天原の系譜に「大王の臣下」として美しく組み込まれています。プライドを保ちながらも、精神的に大和に服従するシステムです。

 

経済と物流による依存:

九州・中国・四国: 瀬戸内海の恩恵を最も受ける地域。中央の最新技術(青銅器や大陸の絹)が流入し、水軍の主力兵站基地として機能することで莫大な富を得ています。

関東・中部:馬の生産や大規模農地開発に必要な「伽耶の鉄器」を中央から配給されるため、大和に逆らえば直ちに生産力が激減する構造になっています。

半島周辺諸国(緩やかな属国): 大和の軍事力と経済力を「北の脅威(魏や高句麗)に対する盾」として利用するため、喜んで大和の保護下に入っています。

 

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