西暦一九三年。
中原の大地を襲った「
ユーラシア大陸の東端から、海を隔てた朝鮮半島、そして日本列島に至るまで、東アジア全域がこの年、雨雲に見放された異常な乾燥と水不足に見舞われていたのである。
大陸においては、この日照りが直接的な「
袁術が狂ったように曹操の領地へ侵攻し、兵も民も泥を啜り、草の根をかじり、やがては人肉すら食らい合う生き地獄。それは、天の災いが引き起こした悲劇というよりも、為政者たちが軍事と略奪にのみ
しかし。
同じように雨が降らず、同じように大地がひび割れていたにもかかわらず。
東の海の彼方、日本国においては、ただの一人の餓死者すら発生していなかった。
「……見事なまでに、雨が降らぬな。だが、蔵の底はまだまだ深い」
長岡京の大内裏。
国庫と物流のすべてを統括する大蔵省の長官は、全国から届けられる木簡の束を前に、涼しげな顔で筆を走らせていた。
日本国を襲った大旱魃は、確かに列島の農業に深刻な打撃を与えていた。水田の土は乾ききり、主食であるはずの稲の生育は著しく阻害された。中原の常識であれば、これは即座に国が滅びるほどの致命傷である。
だが、日本国の知性は、単一の作物に国家の命運を預けるような、脆弱な博打をとうの昔に放棄していたのである。
「稲が育たぬことは、初めから計算のうちだ。我が国の糧(かて)は、水田のみにあらず」
日本国が推し進めていた農業改革の真髄、それは徹底した『適地適作』と、作物の多様化による「危険分散」であった。
稲作は確かに多くの収穫をもたらすが、水への依存度が極めて高い。
そこで日本国は、列島全域の土壌と気候を細かく測量・分析し、水が不足しがちな台地や、寒冷な北の土地には、稲に代わる強靭な作物作付けを厳命していたのである。
乾いた大地でも根を張り、黄金の穂を揺らす「麦」。
痩せた荒れ地や山間部でも短期間で育ち、確実に実りをもたらす「蕎麦」。
そして、土壌を肥沃に保つ効果があり、かつ兵糧として極めて高い滋養を持つ「大豆」と「小豆」。
この年、日照りによって水田の稲は枯れかけたが、その代わりに乾燥を好む麦や蕎麦が、日本の列島中で記録的な大豊作となっていたのである。
大豆をすり潰した味噌や豆腐、麦を練った粥、そして蕎麦の実。民の食卓から米は減ったが、代わりに多様な穀物と豆類が腹を満たし、国家全体の「絶対的な熱量」は、ただの一割も損なわれることはなかった。
「一つの作物が天災に
広庭は、満ち溢れる穀物の帳簿に堂々と検印を押した。
さらに、日本国を飢餓から守り抜いたのは、大地から生える植物だけではない。
「
「はっ。
日本国は、農耕の傍らで大規模な「畜産」を国家事業として展開していた。
農耕や運搬の動力となる牛馬のみならず、山野に自生する鹿を広大な柵の中で管理・繁殖させる「鹿牧」である。干ばつに強い植物を餌とし、安定した動物性の脂と肉を国家に供給するこの仕組みは、非常時の巨大な蓄えとして機能した。
そして何より、周囲を海に囲まれた海洋国家・日本の最大の強みは、『海の豊穣』を文字通り根こそぎ奪い取る技術にあった。
「潮を吹いたぞ!! 取り囲め! 銛を打ち込めェッ!!」
太平洋や日本海の沖合。
そこには、中原の者たちが見れば腰を抜かすような、巨大な複数の帆を備えた「大型捕鯨船団」が展開していた。
彼らは群れを成して海を回遊する巨鯨を、強靭な麻縄と鋼の銛で仕留め、大勢の船員がかりで浜へと引き摺り上げていた。
鯨一頭から得られる肉と脂の量は、まさに圧倒的である。
切り分けられた莫大な肉は、すぐさま大量の塩に漬け込まれ、あるいは冷たい海風で乾燥させられて、数年は腐ることのない「塩漬け肉(保存食)」へと加工された。さらに鯨から取れる油は、灯りとしてのみならず、潤滑油や農薬(防虫)としても使われる。
麦、蕎麦、豆、獣肉、そして巨大な海の幸。
これらの「食の多角化」によって、大和国の蔵は、干ばつの年であるにもかかわらず、張り裂けんばかりの食糧で溢れ返っていた。
その余剰たるや、自国の民を養うにとどまらず、海を越えた大事業すらも可能にしていた。
「……信じられん。大和の国から、また食糧を積んだ船団が到着したぞ……!」
朝鮮半島の南端、任那や
しかし、彼らの目の前の港に、大和の旗を掲げた巨大な輸送船が次々と入港し、蔵から溢れんばかりの麦や塩漬け肉、豆を陸揚げし始めたのである。
「大和の王は、我らのような新参の民を、見捨てなかったのだ……!」
半島の民たちは、配給された食糧を前に涙を流して平伏した。
武力による威圧よりも、この「いかなる天災が起きようとも、決して腹を空かせることのない圧倒的な兵站(物資供給)」こそが、半島の民の心を日本国に完全につなぎ止める、最強の鎖となったのである。
だが、国家全体が豊かであるとはいえ、憂いが全くなかったわけではない。
「適地適作」を推し進めていたとはいえ、やはり代々水田を守り、米の収穫に生活のすべてを懸けていた純粋な稲作農家たちは、この大干ばつによって「その年の食い扶持」を完全に失うという深刻な事態に直面していた。
彼らには蔵に蓄えがなく、このまま秋を迎えれば、一族もろとも野垂れ死ぬ運命にある。
中原の諸侯であれば、「運が悪かったな」と見捨てるか、よくて国庫からわずかな粥を施して恩着せがましく振る舞う程度であろう。
しかし、長岡京の頭脳たちは、この窮状すらも「国家をさらに強固にするための絶好の機会」へと変換してみせたのである。
「ただで飯を食わせてやる必要はない。……失業した農家たちを、すべて国家の『
大内裏から、全国の府に向けて、画期的な勅命が下された。
それは、現代で言うところの『大規模な公共事業による失業者救済(経済対策)』の先駆けとも言える、恐るべき国家統制の策であった。
「さあ、鍬を持て! 田が干上がったのなら、次に雨が降った時に備えて、山から巨大な水路を引くのだ!」
「川の
仕事を失い、途方に暮れていた農民たちは、国家によって一斉に雇い上げられた。
彼らは、大和の役人たちの精密な測量と指揮の下で、広大な平野を潤すための巨大な灌漑(かんがい)施設や、新たな水路網の建設に従事した。
さらに、物資の輸送をより迅速にするため、山を切り開き、谷に橋を架け、全国を網の目のように結ぶ街道(道路)の拡張・舗装工事にも大勢の人員が投入された。
「おおっ、これだけ働けば、家族全員が腹いっぱい麦を食えるほどの賃金(食糧)がもらえるぞ!」
「ただ飢えて死ぬのを待つより、ずっと良い! 国のために山を崩そうぞ!」
農民たちは、絶望するどころか、生きる希望と確かな対価(食糧)を与えられ、凄まじい熱量でツルハシや鍬を振るい続けた。
これこそが、日本国の真の恐ろしさであった。
国家が蓄えていた莫大な食糧を「賃金」として市場に放出し、民の飢えを完全に防ぐ。
そして、その労働力を用いて、列島全体の治水・利水設備と、軍事や物流の動脈となる街道を、わずか一年で劇的に進化させてしまったのである。
次に干ばつが起きた時、この年に行われた巨大な灌漑工事のおかげで、日本国の水田は二度と枯れることはなくなる。
危機を乗り越えるだけでなく、危機を利用して国家の「基盤」を数段上の高みへと押し上げる。
西暦一九三年、秋。
雨が一滴も降らなかった狂気の年は、中原の大地に無数の餓死者と、野犬に食い荒らされる骸の山を残した。
しかし、日本の列島には。
黄金に輝く麦畑と、見渡す限りに整備された広大な水路。そして、真新しい街道を行き交い、塩漬けの肉と蕎麦を腹いっぱい食らって力強く笑う民衆の姿があった。
「天災とは、乗り越えられぬ神の怒りではない。」
長岡京の奥深くで。
この巨大な列島という箱庭を、一片の無駄もなく機能させた為政者たちは、一切の慢心もなく、次なる時代の盤面へと冷徹な視線を向けていた。
―――
しかし、日本国の首都・長岡京の大内裏は、全く別の理由で「国家を二分しかねないほどの激震」に見舞われていた。
全国の
数千枚にも及ぶ麻紙に記録された、同時刻の太陽の欠け方のズレ。
月面に落ちた、巨大な円形の影。
それらの莫大な数字と幾何学の図形を、天皇・和那比売をはじめとする最高峰の頭脳たちが、昼夜を問わず計算し、照らし合わせた。
その結果導き出された『宇宙の真理』は、これまでの大和国の知識人たちが抱いていた常識を、根底から粉砕するものであった。
「……認めざるを得ない。我々の住むこの大地は、平らな板ではない。果てしなく巨大な『球体』である」
天文学寮の長が、震える声で結論を下した。
その言葉に、陰陽寮の者たちや、古き祭祀を司る神祇官たちは頭を抱え、大内裏は激しい論争の渦に巻き込まれた。
「大地が丸いだと? 馬鹿な! ならば天はどうなっているのだ!」
「古事記や日本書紀の神話の世界観と矛盾するではないか!」
もしもこの日本国が、絶対的な一つの神の教典のみを信奉する『一神教』の国家であったならば。
この「球体論」と「地動説」に繋がる発見は、間違いなく凄惨な異端審問や宗教戦争を引き起こしていただろう。
神が創った絶対的な大地の形を否定することは、権力体制そのものの否定に直結するからだ。
しかし、日本国は幸か不幸か、森羅万象すべてに神が宿るとする『
「……大地が丸いからといって、神がいない証明にはならん。むしろ、神々は我々の想像を遥かに超える精巧な『球体』として、この世界をお創りになったということだろう」
神祇官の一人が、ぽつりと漏らしたこの一言が、宗教的な致命的対立を見事に吸収してしまった。
教義がガチガチに固まっていない多神教の圧倒的なまでの「寛容さ」。それが、日本国を内戦の危機から救い、科学と神話が奇妙に共存する土壌を守り抜いたのである。
しかし、宗教的な折り合いがついたとはいえ、物理的・哲学的な「最大の疑問」が解決したわけではなかった。
「大地が球体であるならば……なぜ、我々は滑り落ちないのだ?」
老齢の学者が、青銅の渾天儀を指差して叫んだ。
「我々がこの球体の上に立っているとしよう。では、この球体の『裏側』にいる者たちは、逆さまになっているということか? なぜ彼らは、虚空へと落ちていかないのだ!」
それは、誰もが必ず行き当たる極めて根源的な疑問であった。
「上」と「下」という概念が絶対的なものであるという常識に囚われている限り、球体の上に人間が張り付いているという事実は、どう考えても理にかなっていなかった。
論争が堂々巡りとなり、学者たちが沈黙したその時。
部屋の隅で算木を並べていた、まだ元服を終えたばかりの若き天文博士見習いが、おずおずと口を開いた。
「あの……。これはあくまで、計算式のない『仮説』に過ぎないのですが」
大王・和那比売をはじめ、すべての視線がその若者に集まる。
若者は、手元にあった筆を、床に向かってポトリと落とした。
「筆は『下』へ落ちます。では、この『下』とは、一体どこに向かっているのでしょうか」
若者は、青銅の地球儀の中心を指差した。
「宇宙という果てしない空間において、元から決まった『上』や『下』など存在しないのではないでしょうか。……我々は皆、この巨大な大地の『中心』に向かって、常に落ち続けているとは考えられないでしょうか?」
「な、なんだと……?」
「大地の中心こそが、すべての物を引っ張る『底』であるとするならば。我々が球体のどこに立っていようとも、足の裏は常に中心(下)を向き、頭は外側(上)を向くことになります。……我々は滑り落ちないのではなく、中心に向けて『落ち続けているからこそ』、大地に縛り付けられているのです」
大内裏が、水を打ったように静まり返った。
それは、のちにアイザック・ニュートンが確立する『重力(引力)』という概念が、数式の裏付けを持たない「哲学的な仮説」として、この世界線で初めて産声を上げた瞬間であった。
基礎理論もなければ、落下速度を計測する数学的土台もまだ固まっていない。完全に証明することは不可能である。
しかし、その若者の仮説は、大地の球体論という事実を補強し、矛盾を完璧に解消する、恐ろしく強固で美しい論理であった。
「……見事だ」
和那比売は、若き学者の言葉に感嘆の息を漏らし、静かに拍手を打った。
「証明はできずとも、宇宙の理に限りなく近い思考だ。その仮説を採用し、我々は大地の形についての議論をここで決着とする」
しかし、大地の球体論と重力の概念という歴史的パラダイムシフトすらも、次なる「最大の議題」の前にあっては、単なる前座に過ぎなかった。
和那比売の表情から、先ほどまでの知的興奮が完全に消え失せていた。
彼女の手元には、今回の日蝕観測によって導き出された「最後の計算結果」が記された麻紙が置かれていた。
それは、大和の学者たちが最も知りたかった数字。
『太陽までの距離』と、『太陽の大きさ』である。
「……大王様。これは、何かの間違いではございませぬか?」
天文学寮の長が、顔面を蒼白にして震えていた。
「全国の観測所から集まった視差を元に、三角法の計算式を何度やり直しても。他の学者たちに別の計算方法で検証させても……どうしても、この『異常な数字』に行き着いてしまうのです」
大内裏に詰めるすべての天文博士、学者見習い、そして神祇官たちが、息を呑んでその麻紙を見つめていた。
そこには、人間の想像力という
太陽までの距離……およそ四千万里(約一億五千万キロメートル)
天を走る馬車の距離でもなければ、鳥が飛んで届く距離でもない。光ですら途方もない時間をかけて到達する、気の狂うような深淵の空間。
そして、太陽の大きさ。
『地球の約六十九倍』。
「……六十九倍」
和那比売は、乾いた唇からその数字を絞り出した。
(※史実の真実は約109倍だが、当時の未熟な観測精度で69倍という数字を弾き出したこと自体が、古代においては恐るべき快挙であり、同時に精神を崩壊させるほどの巨大なスケールであった)
彼女は、部屋の中央に置かれた青銅の渾天儀を見つめた。
もし、この渾天儀が我々の住む世界そのものだとしたら。
太陽は、直径六十九尺……すなわち、この
『大内裏の巨大な宮殿そのものを丸ごと飲み込むほどの、超巨大な炎の球体』
ということになる。
「これが……太陽の、正体……?」
計算式から弾き出されたその数字の前に、学者たちはあまりのスケールの大きさに理解が追いつかず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
それはもはや「天に浮かぶ星」などという生易しい表現で括れるものではなかった。
和那比売の全身に、これまで感じたことのない、根源的な『畏怖』が這い上がってきた。
彼女は天才的な数学者であり、宇宙を定規で測り切ることができると信じて疑わなかった。
科学と論理の力で、神話のベールを剥ぎ取り、世界を計算式の中に落とし込めるはずだと。
しかし、彼女たちが日蝕という奇跡の観測網を使って定規を当て、そのベールを剥ぎ取った先に現れたのは。
冷徹な物理法則などではなく、人間のちっぽけな理性など一瞬で焼き尽くすほどの、物理的な圧倒的暴力を持った『巨大なる神』の姿であった。
「……大王様」
神祇官の長が、床に崩れ落ちるようにして平伏し、震える声で言った。
「古事記には……
神祇官は、ポロポロと涙を流し始めた。
「我々は、神話の言葉をどこか『比喩』や『物語』として捉えておりました。……ですが、違ったのです。計算式は、神を否定しなかった。……計算式は、天照大御神が、この大地の六十九倍もの巨大な炎を纏った、まさしく絶対的な『最高神』であるという物理的真実を、完全に証明してしまったのです!!」
その言葉に、天文学者たちも、陰陽師たちも、皆一様に床にひれ伏した。
彼らが向き合っていたのは、単なる岩とガスの塊ではない。
一億五千万キロの彼方から、地球の六十九倍もの巨大な炎の眼でこの世界を
想像を絶する巨大なエネルギーの集合体。
「ああっ……なんと、なんという恐ろしい……そして、美しいお姿か!」
「我々は……あのような巨大な神の掌の上で、ちっぽけな命を回していたに過ぎなかったのか!」
大内裏は、数式の前で狂乱の祈りを捧げる者たちの声で満たされた。
和那比売は、立ち上がり、震える足で窓辺へと向かった。
窓の外には、日蝕の欠けから完全に復活し、西の空を赤々と焦がしながら沈みゆく、巨大な夕陽があった。
(……私は、世界を知った気になっていた。すべてを計算できると傲慢に構えていた。……だが、宇宙のスケールを前にすれば、大和国など、砂粒ほどの意味もないではないか)
和那比売は、夕陽の圧倒的な光を前に、自らの矮小さを思い知り、両目から静かな涙を流した。
それは、科学の限界を知った敗北の涙ではない。
科学と数字を極限まで突き詰めた結果、ついに「神の真のスケール」に触れることができたという、人類の知性が到達した究極の感動と畏怖の涙であった。
―――
春から夏にかけて。
長岡京の大内裏には、日本国の全土から、おびただしい数の木簡と麻紙が連日のように運び込まれていた。
日照りによる各地方の農作物の収穫見込み、土木普請(公共事業)の進捗状況、備蓄された塩漬け肉の残量、そして何より、先日の日蝕によって得られた膨大な天体観測のデータ。
それら日本国土からの
その絶対者の呼称にも、この頃から明確な変化が定着し始めていた。
かつて列島を統べる者は「
しかし、中華の戦乱から逃れてきた新たなる人々が日本国に同化していく過程で、彼らはこの国の頂点に立つ者を、畏敬の念を込めて『
もともとは、大漢帝国に対する外交上の文書において、あちらの「皇帝」と対等以上の存在であることを示すために用いられた対外的な呼称であった。
だが、この「天皇」という響きは、渡来人だけでなく、古くからの日本国の民や官僚たちの間でも瞬く間に定着していった。
理由は至極単純である。
大王という泥臭い響きよりも、
『「天皇」の方が圧倒的に権威があり、何より響きが格好良かったから』だ。
さらに言えば、ただ権力で人を支配するだけでなく、天の星々の運行を計算し、宇宙の理を定規で測ろうとする和那比売の異常なまでの知的探求の姿に、『天を司る
「……太陽の大きさは、地球の六十九倍。そして距離は四千万里か。何度見ても、気が遠くなる数字だ」
天皇・和那比売は、私室の床に広げられた巨大な日本国の地図と、その横に置かれた宇宙の計算式を見比べながら、深く静かな溜息をついた。
日蝕という奇跡の天体ショーを利用した「星計り」は、大地の球体論と重力の仮説を生み出し、ひとまずの歴史的決着を見た。彼女の知的好奇心は、人類史上かつてないほどの巨大な真理に触れ、一度は完全に満たされたはずであった。
しかし、真理の扉を一つこじ開けたことで、彼女の天才的な頭脳は、さらなる「底知れぬ飢え」を自覚してしまったのである。
(太陽の大きさが分かった。では、その奥で輝く無数の星々との距離は? 大地が丸いのであれば、我々のまだ見ぬ大地の裏側には、どれほどの海と陸地が広がっているのだ?)
和那比売は、自らの手を見る。
この身は、所詮は血と肉でできた矮小な人間の器に過ぎない。どれほど頭脳を酷使しようとも、数十年後には必ず死が訪れ、土へと還る。
自分が生きている間に、この巨大な地球のすべてを測り尽くし、宇宙のすべての星の軌道を計算し切ることなど、絶対に不可能である。それは、痛いほどに分かっていた。
「……だが、それでも」
彼女は、地図の上にそっと手を置いた。
「この後百年、二百年……いや、千年後まで。私は、この大地と天を、より精確に測り続けたい。私という器が滅びようとも、日本国という機構そのものが、永劫にこの知の探求を続けていくように」
それは、一個人の趣味を超えた、恐るべき執念の昇華であった。
和那比売は、知の探求こそが、この日本国に課せられた「使命」なのかもしれないと、直感的に悟っていた。
血を流して他者の領土を奪うことなど、どうでもいい。
ただ「知らないことを知るため」「まだ見ぬ世界を精確な数字として把握するため」に、果てしなく定規を伸ばし続ける。
(※この和那比売の『知の探求という名の狂気』は、後の世において、日本国が海を越えて世界へとその触手を伸ばしていく……すなわち、軍事的な侵略ではなく「すべてを測り、管理下に置きたい」という極めて特異な動機に基づく『対外的な膨張(拡張主義)』へと変貌していくことになる。
だが、この時の和那比売自身は、自らの純粋な欲求が、後世の日本国をそのような巨大な化け物へと成長させることになろうとは、流石に思い至っていなかった)
天皇が遥かなる千年の未来と宇宙に思いを馳せている一方で。
大内裏の太政官の会議室では、極めて現実的で泥臭い、しかし熱気にあふれた議論が日夜交わされていた。
「大蔵省の試算によれば、このまま干ばつが続けば、秋の麦の収穫量は平年の七割に留まります! 備蓄を放出するにしても、流通の速度を上げねば間に合いませぬ!」
「ならば、陸奥府から武蔵府への新たな水路工事を前倒しせよ!
「天文博士の予測では、秋口には巨大な
中原の群雄たちが、大義名分や領土の奪い合いで会議を紛糾させているのに対し。
日本国の大内裏における議論は、常に「数字」と「物理現象」に基づいて行われていた。右大臣や左大臣といった高官たちでさえ、己の権力や感情で物事を決めることは許されない。
彼らは、算博士、天文博士、
飢饉をいかに防ぐか。
いかに効率よく物資を運ぶか。
そして、その中央の決定を実働部隊として担う『地方官(国司など)』たちもまた、中原の太守たちのように豪華な館でふんぞり返ってはいなかった。
「よし、そこの岩を砕け! 水路の角度はこれで合っているか! 測量官、もう一度定規を当てろ!」
地方官たちは、自らの権力が及ぶ範囲において、真っ先に泥にまみれ、民衆と共に汗を流していた。
中央から割り当てられた予算と
しかし、国がこれほどまでに複雑に、かつ巨大に機能し始めると、当然ながら「古いシステム」では賄いきれない部分が次々と噴出してくる。
かつて聖徳太子(この世界線では過去の偉人、あるいは建国の理念の象徴)が定めたとされる『十七条の憲法』。
「和を以て貴しと為す」「篤く三宝を敬え」といったその内容は、国家の精神的な支柱としては優れていたが、現実の複雑な行政を回すには、あまりにも「抽象的」すぎたのである。
「新たに切り開いた水路の周辺の農地は、誰の所有とするのか?」
「飢饉の際の、備蓄食糧の放出基準はどう定めるのか?」
「渡来人たちの戸籍と、元からの民の戸籍の扱いの違いをどう処理するのか?」
これらの現実的な問題は、精神論では解決できない。
そこで、大内裏の明法博士と官僚たちは、十七条の憲法の精神を土台としながらも、より現実的で緻密な『法(律令)』を、少しずつ、しかし堅実に作り上げていた。
時代に合わなくなった古い法を削り、新たな問題に対処するための細かな条文を加え、刑罰の基準を明確にし、税の徴収システムをミリ単位で整えていく。
それは、まるで巨大な機械の歯車を、ヤスリで一つ一つ丁寧に削り出し、油を差して組み上げていくような、途方もなく地道な作業であった。
君主のカリスマや、一個人の武勇によって成り立つ国ではない。
法を整え、数字で大地を測り、民をシステムの一部として機能させ、そのすべてを専門家たちの計算によって自動的に回していく。
これこそが、日本国の『行政』であり。
この冷徹で、狂気的なまでに完璧を求める自己更新のメカニズムそのものが、『日本国』という国家の正体であった。
大漢帝国の群雄たちは、常に他者の領土を奪い、血を流し、大義名分を振りかざして終わりのない殺し合いを続けている。
彼らの目から見れば、極東の海に浮かぶ日本国という存在は、不気味なほどに「身内での争い」を起こさない、異様な国家に映るであろう。
なぜ、日本国の為政者たちは、中原の群雄のように己の権力や私欲のために内乱を起こさないのか。
なぜ、これほどまでに強大な軍事力と経済力を持ちながら、列島の内側で血みどろの覇権争いを繰り広げないのか。
彼らが特別に道徳的で、平和を愛する温厚な民族だから、ではない。
真理由は、極めて物理的で、かつ切実なものであった。
——常に争う必要など無い。いや、彼らには争う『暇』などないのだ。
中原の大地は広大であり、一部で天災が起きようとも、逃げ出す場所も、他者から奪い取れる豊かな土地も無数に存在している。だからこそ、彼らは「人間同士の
しかし、日本国が位置する列島は違う。
四方を荒れ狂う海に囲まれ、国土の七割が険しい山林で覆われ、平野は極端に少ない。そして何より、この大地は「地球の裏側の息遣い」すら直接伝わってくるほどの、世界有数の過酷な自然環境の上に成り立っていた。
「……また、揺れたな」
長岡京の大内裏。
政務を執っていた官僚たちは、足元から突き上げるような地鳴りと振動を感じ、一斉に筆を止めた。しかし、パニックに陥る者は一人もいない。彼らは天井の梁の揺れ具合を冷静に確認し、数秒で揺れが収まると、何事もなかったかのように再び筆を走らせ始めた。
地震、津波、台風、火山の噴火、そして飢餓を呼ぶ干ばつ。
この列島に生きる者たちは、文字通り「いつ足元の大地が割れ、すべてを飲み込む波が押し寄せてくるか分からない」という、極限の生存環境を強いられている。
中原の群雄たちが操る数万の軍勢がどれほど恐ろしくとも、たった一度の「巨大地震」や「大津波」がもたらす破壊力の前には、文字通り
人間が百年の歳月をかけて築き上げた城も、百万の軍勢も、自然が本気で牙を剥けば、ほんの数分で跡形もなく消し飛んでしまう。
「人間の諍いなどよりも、遥かに『自然』のほうが怖い」
この冷酷すぎる絶対的真理を、日本国の民は骨の髄まで、遺伝子レベルで理解し、知っていた。
同国人同士で殺し合い、田畑を焼き払い、国力を削り合っている暇など、一秒たりとも存在しない。そんな愚かな真似をすれば、次に自然の暴威が襲いかかってきた時、国家というシステムそのものが完全に防ぐ手立てを失い、全滅してしまうからだ。
彼らが団結し、法を整え、必死に国を富ませているのは、他国を侵略するためではない。
圧倒的で、無慈悲で、あまりにも巨大すぎる『自然』という絶対的な暴力から、己たちの命を一日でも長く生き延びさせるための、壮絶な防衛本能の発露であった。
そして、この「自然に対する絶対的な恐怖と畏敬」こそが、日本国における独自の宗教観——『神道(しんとう)』を生み出した根源である。
中原の宗教や一神教のように、人間を救済するために神がいるのではない。
天を焦がす太陽。大地を揺るがす地震。すべてを押し流す大河。実りをもたらす雨。
人間の理解が及ばないそれらの巨大な物理現象そのものを、彼らは『神』と呼んだ。
自然の猛威は、人間の善悪など一切考慮しない。徳のある者も、罪深き者も、等しく飲み込んで殺す。
その圧倒的な理不尽さを前にして、人間が抗う術はない。だからこそ、彼らは自然の恐ろしさを「
―――故に神々を生み出したのが、神道である。
それは、狂暴なる自然と共存するための「生存の知恵」であった。
日蝕を恐れ、琉球や渡島の民がひれ伏したのも。
すべては、この列島を支配する「
しかし、現在の大和の頭脳たち(和那比売や大内裏の官僚たち)は、ただ神に祈って怯えるだけの段階を、すでに踏み越えようとしていた。
「祈るだけで自然の暴威が止まるのであれば、我々は苦労しない。……神の怒りを、定規と数字で『計算可能な理』へと変換し、物理的に備えるのだ」
天皇・和那比売が宇宙の大きさを測ろうとするのも。
天文博士たちが星の軌道を計算するのも。
算博士や明法博士たちが、緻密な法を構築し、巨大な水路や街道を整備するのも。
すべては、「人間よりも遥かに恐ろしい自然(神々)に、人間の『知恵』と『システム』で抗うため」の戦いであった。
地震が来るならば、揺れに耐えうる強固な建築の法を定める。
干ばつが来るならば、適地適作と巨大な灌漑施設で兵糧を確保する。
暴風雨が来るならば、過去の天体の動きからその時期を予測し、被害を最小限に食い止める。
中原の者たちが「対人間」の軍略に脳髄を絞っている間、日本国の者たちは「対自然」という、途方もなく巨大な敵との生存競争に、国家の全リソースを注ぎ込んでいたのである。
中原で群雄たちが領土とプライドのために血を流し合っているその裏側で。
日本国には、一人の例外もなく、末端の農民から頂点に立つ天皇に至るまで、完全に共有された「ひとつの究極の認識」が存在していた。
——我々の本当の敵は、隣の人間ではない。
——我々を真に滅ぼし得るものは、この足元で眠り、頭上で瞬く『大自然』だけである。
だからこそ、彼らは争わない。
だからこそ、彼らは冷徹なまでに団結し、法を守り、システムを構築し続ける。
人間のくだらない諍いに費やす時間など、この苛烈な列島には一秒たりとも存在しないのだから。
極東の島国が持つ、異様なまでの静けさと、国家としての恐るべき完成度。
それは、大自然という最強最悪の『絶対神』と隣り合わせで生きる者たちだけが到達し得る、極限の生存競争の到達点であった。