四國志   作:丸亀導師

30 / 40
計 3

 

西暦一九三年、秋。

中原を焦がした大干ばつの爪痕が未だ残る中、凄惨な悲劇の幕は、徐州の北西に位置する泰山郡(たいざんぐん)の国境付近でひっそりと切って落とされた。

 

曹操の父である曹嵩は、かつて霊帝の時代に大尉(軍事の最高責任者)まで務めた大物であった。

董卓が洛陽を焼き払い、献帝が長安へと逃れるという大混乱の中、彼は一族と共に戦火を逃れ、徐州東北部の琅邪郡(ろうやぐん)へと避難し、隠遁生活を送っていた。

 

しかし、息子の曹操が東郡を平定し、さらには兗州(えんしゅう)の広大な領地を実質的に手中に収めたという報せを聞き、曹嵩はついに息子のもとへ帰還することを決意したのである。

元より莫大な財産を持つ曹家である。曹嵩が兗州へ向かうための車列は百両を超え、その中には目を眩ませるほどの金銀財宝や絹が山のように積まれていた。

 

だが、彼らが通過しようとした徐州は、陶謙(とうけん)という男が治める地であった。

そして、この世界線における陶謙は、大漢の正統に反旗を翻したに等しい南陽の袁術の勢力下に属する諸侯の一人であったのだ。

 

「見ろ、あの車列を。あれがすべて曹操の親父の財産だというのか」

 

「曹操といえば、我が主君・袁術様を兗州で打ち破った憎き仇。……しかも、あの莫大な財だ。ここで奪い取ってしまえば、我らは一生遊んで暮らせるぞ」

 

泰山付近を警備していた陶謙の配下の部将たちは、曹嵩の車列を見るや否や、その強欲と「敵将の身内である」という浅はかな敵愾心から、凶行に及んだ。

雨の降らぬ乾いた夜。

 

野営をしていた曹嵩の車列は、突如として陶謙の兵たちによる夜襲を受けた。

 

「な、何事か!? 私は曹孟徳の父であるぞ!」

 

曹嵩の叫びも虚しく、警護の兵たちは次々と討ち取られ、逃げ惑う曹家の一族郎党は、金銀財宝を奪い合う兵士たちの凶刃によって、無惨にもことごとく惨殺されたのである。

息子の覇業を支えようと持ち出した黄金は、皮肉にも彼ら自身の命を奪う最悪の呼び水となってしまった。

 

「……父上が、殺された、だと?」

 

濮陽(ぼくよう)の城でその報告を受けた曹操は、手にした木簡を力なく床に落とした。

常に冷徹で、感情を計算の内に押し込めていた覇王の顔から、一切の表情が抜け落ちた。数秒の絶対的な沈黙の後。

 

「陶謙……! 陶謙ッ!! 貴様ァァァッ!!」

 

城を揺るがすほどの、血を吐くような慟哭と絶叫が響き渡った。

曹操は怒りのあまり剣を抜き放ち、目の前にあった巨大な卓を真っ二つに叩き割った。

 

「全軍に告ぐ! 直ちに出陣の準備をせよ! 徐州へ攻め入り、陶謙の首を私の足元に引き摺り出せ! あの地を、一寸の草も生えぬ焦土に変えてやる!!」

 

曹操の出陣は、これまでのどのような戦いよりも速く、そして圧倒的な殺意に満ちていた。

そして、この戦いにおいて、曹操は政治的に『完全なる大義名分』を握っていた。

 

儒教の価値観が支配する大漢帝国において、「親の仇を討つ」ことは、法を超えた絶対的な正義である。

 

しかも、敵の陶謙は、逆賊として手配されている袁術の配下(同盟者)である。曹操の徐州侵攻は、「逆賊の討伐」と「親の仇討ち」という、誰も口を挟むことのできない二重の正当性を持っていたのだ。

 

この事態に対し、北方の覇者であり、大漢の法の番人を自負する幽州牧・劉虞は、深い苦悩の中にあった。

 

「……曹操の怒りはもっともだ。大漢の法に照らしても、彼が陶謙を討つことを止める理屈はない」

 

劉虞は、曹操の勢力がこれ以上拡大することを警戒しつつも、この戦いを「注視」することしかできなかった。逆賊・袁術の派閥を削ぐという意味でも、曹操の行動は朝廷(劉虞)の利益に合致してしまうからだ。

 

「しかし、曹操のあの怒り狂った様子……。徐州の民にまで無用な戦火が及ぶやもしれん」

 

劉虞は、一抹の不安を拭いきれず、配下である劉備を呼び出した。

 

「玄徳よ。お前に数千の兵を預ける。名目は『曹操への援軍(逆賊討伐の加勢)』だ。……だが、真の目的は、曹操の怒りが度を越え、民草にまで危害が及ばぬよう、監視し、必要とあればいさめることだ。頼めるか」

 

「はっ。この劉備、劉虞様の御心、確かに承りました」

 

劉備は深く頭を下げ、関羽、張飛を連れて、曹操の軍勢へと合流すべく徐州へと馬を走らせた。

 

西暦一九三年、冬。

曹操率いる兗州の精鋭数万は、まるで怒り狂う黒い津波のように徐州の国境を突破した。

 

「殺せ! 陶謙に与する者は一人残らず切り捨てよ!」

 

曹操軍の進撃は、凄惨を極めた。

戲志才の冷酷な軍略によって徐州軍の防衛線は紙のように引き裂かれ、班稀の完璧な兵站によって、曹操軍は一切の休息を取ることなく、異常な速度で徐州の奥深くへと進軍し続けたのである。

 

「ば、馬鹿な! なぜこれほど早く……!」

 

徐州牧・陶謙は、彭城(ほうじょう)の城内で震え上がった。

彼は慌てて主君である袁術に援軍を要請した。

しかし、袁術自身が春の兗州侵攻で曹操と公孫瓚に軍をすり潰されたばかりであり、さらに北の劉虞の睨みもあって、完全に身動きが取れない状態に陥っていた。

 

孤立無援。

 

陶謙の軍は次々と撃破され、彼は徐州の城々に追い詰められていった。

その進軍の最中。

曹操は、沿道の村々から逃げ惑う徐州の民衆たちを、馬上から氷のような目で見下ろしていた。

 

「……愚かな民どもめ」

 

曹操の口から、呪詛のような言葉が漏れた。

 

「陶謙のような逆賊の配下に甘んじ、我が父の命を奪った暴徒どもを野放しにしていたのは、この地の民草だ。……どいつもこいつも、陶謙と同罪。私の父の血を啜って生きてきた寄生虫どもめ」

 

悲しみと怒りが極限に達した曹操の精神は、すでに正常な判断力を失っていた。

 

「全軍に命ず。……これより先、徐州の城や村にいる者は、兵も民も関係ない。すべて殺せ。鶏や犬一匹に至るまで、生かしておくことはまかりならん!」

 

徐州大虐殺の号令。

曹操の軍勢が、逃げ惑う無抵抗の農民たちに向けて、一斉に槍を構えたその時であった。

 

「待たれよッ!! 曹孟徳殿!!」

 

雷鳴のような怒号と共に、曹操の馬の前に一騎の武将が飛び出してきた。

劉虞の命を受けて合流していた、劉備玄徳である。

 

「そこをおどきになれ、劉玄徳。……貴殿ごと切り捨てるぞ」

 

曹操は、血走った目で劉備を睨みつけた。

だが、劉備は双股剣を鞘に納めたまま、両手を広げて曹操の軍勢の前に立ちはだかった。

 

「この者たちは、ただの民です! 陶謙の凶行と、この力の無い民たちに何の関係があるというのですか! 彼らを虐殺するなど、大漢の将として、いや、人として絶対に許されることではない!」

 

「黙れ! 陶謙を匿い、その悪政を許容してきたのはこの民どもだ! 父を殺された私の痛みが、綺麗事しか吐けぬ貴様に分かるかッ!」

 

劉備と曹操が、一触即発の睨み合いを続ける。

関羽と張飛も武器を構え、曹操軍の将たちも殺気を放った。

しかし、この狂気の連鎖を物理的に止めたのは、劉備の感情論ではなく、曹操の背後に控えていた『二つの冷徹な知性』であった。

 

「明公。……剣をお収めください」

 

王佐の才・荀彧が、静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で曹操の前に進み出た。 

 

「父君を失われた悲しみ、痛いほどにお察しいたします。陶謙を討つ大義は我らにあります。……しかし、罪なき民を虐殺すれば、その大義は一瞬にして『逆賊の暴挙』へと堕ちます!

天下は曹操様を、董卓と同じ人非人と見なすでしょう。そのような汚名を被っては、この先、覇道を歩むことなど絶対に不可能です!」

 

「文若(荀彧)の言う通りです、明公」(戲志才の口調と混ざっているように見えたので。誤りでないならご放念ください。)

 

さらに、算盤を持った班稀が、極めて無機質な声で横から口を挟んだ。

 

「感情論は抜きにして、『数字』の話をしましょう。我々は今、屯田を拡大し、国力を高めている最中です。この徐州の数百万の民は、将来的に我が軍の兵糧を生み出す『極上の資産』に他なりません。

……ここで彼らを皆殺しにすれば、徐州は税を生まぬただの荒野となります。自らの手で未来の兵糧庫を焼き払うなど、戦略的にも兵站的にも、愚の骨頂です」

 

荀彧の『法と王道』、そして班稀の『兵站と理』。

曹操の覇業を支える両輪からの痛烈な諫言。

 

「……っ!!」

 

曹操は、ギリッと奥歯を噛み砕くほどに食い縛り、全身をわななかせた。

怒りで脳髄が沸騰しそうになりながらも、彼の根底にある「覇王としての冷徹な計算」が、二人の正論を強烈に肯定してしまっていたのだ。

 

「……分かった。分かった!!」

 

曹操は、握りしめていた剣を鞘に叩き込んだ。

 

「民には手を出さん! 略奪も許さん!……だが、陶謙だけは別だ。あの一族だけは、私の手で必ず根絶やしにする!!」

 

曹操は、民衆への虐殺という最悪の凶行だけは、家臣たちの必死の説得(と劉備の介入)によって、ギリギリのところで踏みとどまったのである。

 

その後、袁術からの援軍も来ず、完全に孤立した陶謙は、もはや逃げ場を失い、曹操軍の圧倒的な包囲の前に降伏を申し出た。

 

「曹操殿……。ご尊父の件は、私の与かり知らぬところで部下が勝手にやったこと……。どうか、どうか命ばかりは……」

 

彭城の広場に引き摺り出された陶謙は、地に額を擦りつけて命乞いをした。

しかし、曹操の眼に慈悲の光は一切なかった。

 

「貴様が命じたかどうかなぞ、どうでもいい。貴様の治める地で、貴様の兵が我が父を殺した。それがすべての事実だ。……やれ」

 

曹操の冷酷な命令が下された。

それは、単なる処刑ではなかった。大漢の法に則ったものでもない。純粋な「復讐の儀式」であった。

 

陶謙本人の首が刎ねられたのは序の口であった。

曹操は、陶謙の妻、兄弟、親戚、そしてまだ歩くこともおぼつかない幼い子供たちに至るまで。陶氏の血を引く「一族郎党すべて」を広場に引き摺り出し、兵士たちに命じて、容赦なく斬り殺させたのである。

 

「や、やめて! この子は関係ないわ!」

 

「ぎゃああっ!」

 

女の悲鳴と、幼子の泣き声が、容赦のない刃の音によって次々と断ち切られていく。

彭城の広場は、瞬く間に正視に堪えない血の海と化した。

民衆への虐殺は踏みとどまった曹操であったが、その抑え込まれた行き場のない殺意のすべてが、陶謙の一族へと集約して叩きつけられたのである。

 

「……曹孟徳!! 貴様、それでも人間かッ!!」

 

その凄惨な光景を目の当たりにした劉備は、怒りで顔を真っ赤にし、曹操に向かって大声で罵声を浴びせた。

 

「陶謙の罪を問うのは分かる! だが、あの幼子たちに何の罪があるというのだ! 罪なき子供にまで平然と刃を向ける……そのような血に飢えた獣の所業が、貴様の言う覇道か!」

 

劉備は、涙を流しながら曹操を激しく糾弾した。

親を殺された曹操の悲しみは理解できる。しかし、だからといって無抵抗の女子供を惨殺することは、劉備の持つ「仁徳」という絶対的な価値観において、決して許されざる『絶対悪』であった。 

 

曹操は、返り血を浴びた顔をゆっくりと劉備に向けた。

その瞳は、怒りも悲しみも通り越し、虚無のような暗黒に染まっていた。

 

「……玄徳。貴様のような、己の手を汚さず、高みから綺麗事ばかりを垂れ流す偽善者に、私の心は永遠に理解できまい」 

 

曹操は、血に濡れた剣を劉備の足元に投げ捨てた。

 

「天の法だの、民への仁徳だの。そんなもので親の命が返ってくるわけではない。……私は、私の力で、私の敵をこの世から消し去った。それが私の覇道だ。貴様のような甘い男とは、もはや二度と相容れることはない」

 

徐州の血塗られた広場において。

かつて共に董卓と戦い、大漢の未来を憂いた二人の傑物——曹操と劉備の道は、完全に、そして決定的に決裂した。

 

「法と理」を重んじながらも、時にその器から溢れ出る狂気(復讐)すらも自らの力に変える冷徹なる覇王。 

 

いかなる時も「人の心」を重んじ、弱き者を守り抜くことを己の絶対の正義とする王道。

水と油。光と影。

決して交わることのない二つの巨大なイデオロギーの対立が、大漢帝国の次なる時代を、さらなる凄惨な激闘へと引きずり込んでいくのである。

 

 

 

兗州の覇王・曹操が、父を殺された復讐鬼と化して徐州で血の雨を降らせていた頃。

そこから遠く離れた河内郡の陣営では、天下を震撼させる無双の飛将・呂布奉先が、人生最大の「窮地」に立たされていた。

 

「……すまん。本当に、すまなかった! 俺が不甲斐ないばかりに、お前たちをあのような危険な目に遭わせて……!」

 

巨躯を丸め、床に額を擦りつけるほどの平身低頭。

あの長安の城門で、たった一騎で十万の西涼(せいりょう)軍を阿鼻叫喚の地獄へ叩き落とした修羅の顔は、そこには微塵もない。

 

彼が必死に謝罪している相手。それは、長安の大混乱の最中、別行動でどうにか長安を脱出し、奇跡的にこの河内で呂布と合流を果たした妻の厳氏(げんし)と、愛する娘たちであった。 

 

「……全くです。あの長安の燃え盛る都に私たちを置いて逃げるなんて、天下の飛将が聞いて呆れます。もし張邈(ちょうばく)殿たちの手引きがなければ、私たち、李傕の兵たちにどうされていたか分かりませんよ!」

 

厳氏は、腕を組みながら冷ややかな声でピシャリと言い放った。

 

「うっ……! そ、それは……いや、言い訳はせん! 俺が悪かった! どんな罰でも受ける!」

 

呂布は、妻の厳しい叱責にビクッと肩を震わせ、さらに身を縮こまらせた。

 

「ぷっ……くくくっ……」

 

その情けない主君の姿を天幕の隅で見ていた張遼や高順ら配下の将たちは、必死に笑いを堪えていたが、ついに肩を震わせて吹き出してしまった。

 

「き、貴様ら! 何を笑っておるかッ!!」

 

呂布は顔を真っ赤にして部下たちをギロリと睨みつけた。

 

「ちょっと、あなた!」

 

すかさず厳氏の鋭い声が飛ぶ。

 

「自分が悪いのに、部下に八つ当たりするんじゃありません! 張遼殿たちも、あなたのような不器用な男に付き合って苦労しているのですよ!」

 

「ひぃっ! す、すまん……」

 

天下無双の武人が、妻の一言で借りてきた猫のようにおとなしくなる。

 

この「どうしようもない不器用さと、身内に対する人間臭さ」。

 

それこそが、張遼や高順が、どれほど呂布が世間から「裏切り者の獣」と罵られようとも、決して彼を見捨てず、最後まで付き従おうと思える最大の理由であった。

 

政治や謀略には絶望的に暗いが、根は単純で、愛する者の前ではただの不器用な父親に戻る。その純粋さが、彼らにはたまらなく魅力的に映っていたのである。

 

再会の喜びとひとしきりの叱責が終わった後。

呂布は表情を引き締め、厳氏に対して、自分が長安を脱出した真の理由と、これからの決意を語り始めた。

 

「厳氏よ。俺が長安で李傕どもを討ち漏らし、逃げ出したのは、ただ命が惜しかったからではない。……どうしても、俺の命に代えても、守り抜かねばならぬ御方がいるからだ」

 

呂布は、肌身離さず持っていた「焦げた毛皮の外套」を妻に見せ、あの凍てつく夜に幼き献帝から賜った温もりと、己の心に芽生えた初めての『忠義』について打ち明けた。

 

厳氏は、静かに夫の言葉に耳を傾けていた。

 

「俺は、あの方を必ずあの鳥籠から救い出す。……だが、いつまでも張楊殿の世話になり、この河内に留まっているわけにはいかん。俺は兵を集め、体制を立て直して、再び長安へと突入するつもりだ!」

 

呂布の目は、純粋な決意に燃えていた。

しかし、厳氏は小さくため息をつき、極めて現実的な「冷水」を夫に浴びせかけた。

 

「あなた。お気持ちは立派ですが、頭が熱くなりすぎています。……今の数十、数百の手勢で長安に突入して、どうなるというのです? 相手は十万以上の大軍。あの方は救い出せず、あなたたちがすり潰されて犬死にするのがオチですよ」

 

「うっ……! だ、だが!」

 

「陛下をお救いしたいのなら、まずはしっかりとした『自分の領地』を持ち、数万の軍勢を養えるだけの力をつけなさい。今のあなたは、ただの根無し草の傭兵に過ぎないのです」

 

厳氏の言葉は、ぐうの音も出ないほどの正論であった。

武力だけでは国は動かせない。天子を救うという大事業を成し遂げるには、それを支えるだけの「経済力と兵站(領地)」が絶対に必要不可欠なのだ。

 

「領地、か……。だが、今の中原は群雄たちがすでに土地を分割し終わっている。俺たちが入り込む隙など……」

 

呂布が頭を抱えた、その時であった。

 

「呂布将軍! 兗州から、密使が参りました!」

 

張遼が、一通の木簡を持って天幕に入ってきた。

 

 

密使を送ってきたのは、曹操の幕僚である陳宮(ちんきゅう)と、兗州の名士・張邈(ちょうばく)であった。

 

『今、曹操は徐州の陶謙を討つために、兗州の主力を根こそぎ引き連れて遠征に出ている。兗州は実質的に空っぽだ。

曹操は徐州で罪なき民や女子供まで虐殺する非道を行っており、我らはあの悪鬼を見限った。

……飛将・呂布よ。我らと手を結び、空き家となった兗州を奪い取らぬか。我らが内応すれば、兗州は容易く貴殿の領地となろう!』

 

それは、流浪の身である呂布にとって、喉から手が出るほど欲しい「領地と軍勢」が転がり込んでくる、甘美な誘惑であった。

本来の歴史において、呂布はこの誘いに即座に乗り、兗州を奪い取って曹操と泥沼の血戦を繰り広げることとなる。

 

「将軍! これは千載一遇の好機ですぞ! 兗州を手に入れれば、一気に数万の兵を養う地盤が完成します!」

 

張遼も高順も、色めき立った。

だが。

木簡を読み終えた呂布は、腕を組み、静かに目を閉じた。

 

「……断る」

 

「なっ……! なぜですか、将軍!」

 

驚く部下たちに対し、呂布は明確な「己の芯」を口にした。

 

「確かに曹操の徐州での行いは、血に飢えた獣の所業だ。……だがな、今の曹操は、天下の目から見ればどう映っている?」

 

呂布は、卓を指先で叩いた。 

 

「曹操は、大漢の正統である劉虞様の承認を受け、逆賊である袁術の同盟者を討つという『大義名分』を掲げて戦っている。……つまり、外から見れば、奴は立派な『献帝の味方』として動いているのだ」

 

呂布は、懐の毛皮の外套を強く握りしめた。

 

「もし俺が今、私欲のために空き家となった兗州を背後から奪い取れば。……俺は間違いなく『大漢の忠臣の背中を刺した、完全なる朝敵』として天下に名を轟かせることになる。……それでは、俺が陛下をお救いする大義名分が完全に消滅してしまうではないか!」

 

かつての呂布であれば、目の前の餌(利益)に飛びつき、何も考えずに曹操の背後を突いていたはずだ。

 

しかし、献帝への絶対的な忠義という『芯』を手に入れた今の彼は、目先の領土よりも、「己が皇帝の味方であり続けること(正当性)」を何よりも重んじる、理知的な判断を下せる獣へと成長を遂げていたのである。 

 

「陳宮と張邈の誘いは蹴る。……俺は二度と、あの方(献帝)を悲しませるような『逆賊のそしり』を受ける真似はせん!」

 

「しかし将軍。兗州の誘いを断るとなれば、我らはどこへ向かえば良いのですか?」

 

張遼の問いに、呂布は獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「決まっている。俺は『董卓を討ち、献帝をお救いした漢の忠臣』だ。ならば、その大義名分を最大限に活かせる相手から、領地を『正当に』頂戴すればいいだけの話だ」

 

呂布が広げた地図。

その太い指が突き立てられたのは、兗州の南に位置する広大な土地——袁術の領地である、豫州(よしゅう)から揚州にかけての境界付近であった。

 

「……袁術ですか! しかし、相手は四世三公の名門。我ら数十騎でどうにかなる相手では……」

 

「いや、今の袁術は『張り子の虎』以下だ」

 

呂布は確信に満ちた声で断言した。

 

「奴は先の春、曹操と公孫瓚に主力をすり潰された。さらに、江東へ送り込んだ孫策には事実上の離反を許し、南陽では干ばつと飢饉で民が反乱を起こしている。……今、袁術の陣営は崩壊の危機に瀕し、完全に没落しかかっているのだ」

 

さらに、と呂布は言葉を継ぐ。

 

「袁術は、己の欲望のために他国を侵略し、さらには皇帝の玉座を狙っているという噂すら絶えない。……奴こそが、今の中原における『実質的な朝敵』だ。俺が天に代わってあの豚を討伐し、その領土を没収してやることに、誰も文句は言えまい!」

 

完璧な論理であった。

強大な曹操に喧嘩を売って逆賊となるのではなく。弱り切っており、かつ「誰もが逆賊だと認識している袁術」を叩き潰して、正義の味方として領土を奪う。

 

それは、妻の厳氏でさえも

 

「……あなたにしては、見事な判断です」

 

と感心して頷くほどの、極めて真っ当な戦略であった。

 

「聞いたな、お前たち! 標的は袁術だ! あの増長した豚の領地を喰い破り、我らが長安へ向かうための『確固たる牙城』を築き上げるぞ!!」

 

「「「オォォォォッ!!!」」」

 

張遼と高順の雄叫びが、河内の陣営に響き渡った。 

 

 

西暦一九三年、冬。

かつては中華有数の穀倉地帯であり、大漢帝国で最も人口と富が密集していたはずの南陽は、今や見る影もなく荒れ果てていた。

 

大干ばつによる飢饉に加え、統治者である袁術の異常なまでの浪費と搾取が、この土地から完全に「生気」を奪い去っていたのである。

 

その南陽の中心、身分不相応なまでに豪奢に飾り立てられた巨大な庁舎の奥深く。

袁術は、昼間から分厚い扉を閉ざし、何十人もの近衛兵を部屋の周囲に立たせながら、豪華な寝台の上でガタガタと震えていた。

 

「来る……。奴らが、私を殺しに来るぞ……!」

 

血走った目で虚空を睨み、袁術はひたすらに爪を噛み続けていた。

彼の脳内には、恐るべき悪夢の軍勢が絶えず押し寄せていた。

春の兗州侵攻で、自慢の二十万の大軍を完全に粉砕した曹操の冷酷な陣形。そして、背後から襲いかかってきた公孫瓚と劉備の率いる純白の騎兵部隊。

 

「おのれ曹操……! おのれ劉備……! 奴らは必ず、この南陽に攻め込んでくる! 四世三公という、この天下で最も高貴な血を引く私を妬み、私の玉座を奪うために、大軍を率いてやってくるに決まっているのだ!」

 

袁術の現存する軍勢は、兗州での大敗と、江東へと向かった孫策による「親父殿の旧軍の持ち逃げ」によって、すでに完全に形骸化していた。

 

残っているのは、戦を知らぬ怠惰な守備兵と、袁術の威光に胡座をかいて民から略奪を繰り返すだけの、烏合の衆のみ。

 

袁術自身もその事実を心の底では理解しているからこそ、余計に恐怖が膨れ上がり、狂気に近い被害妄想へと彼を追い込んでいたのである。

 

——だが、現実の戦略図を俯瞰すれば、袁術のこの恐怖は、あまりにも滑稽な『完全なる杞憂』であった。

 

冷静に考えれば分かることである。

 

現在の曹操は、父親を殺された復讐として徐州の陶謙を討つことに全精力を注いでおり、南陽などに構っている暇はない。

 

百歩譲って曹操が徐州から矛先を転じたとしても、大干ばつで兵糧の蓄えが完全に底をつき、食う物もない現在の南陽に向かって、わざわざ大軍を遠征させる馬鹿はいない。そんな真似をすれば、補給線が延び切った挙句、補給物資の現地調達もできず、城攻めどころか自軍が餓死して自滅するのは火を見るより明らかである。

 

「無勢(少数の守備隊)で城に籠もっている状態こそが、最も敵に攻められにくい」という皮肉な戦略的空白地帯。それが今の南陽であった。

 

しかし、袁術にはその「当たり前の理屈」が理解できなかった。

自らが天下の中心であり、常にすべての諸侯から狙われていると思い込んでいる暗愚な男は、来もしない敵の影に怯え、南陽の庁舎から一歩も出られずに引き籠もっていたのである。

 

 

そんな妄想と恐怖に支配された南陽の庁舎に、ある日、一人の斥候が転がり込んできた。

 

「も、申し上げます!! 北方の河内方面より、一軍が我が南陽の領内へと侵入! 旗印は『呂』! ……董卓を討ったあの天下無双の飛将、呂布奉先の軍勢が、一直線にこの城へ向かってきております!!」

 

「な、なんだとォッ!?」

 

袁術は悲鳴を上げ、寝台から転げ落ちた。

 

「りょ、呂布だと!? なぜあの狂犬が、この南陽へ来るのだ! 曹操の差し金か!? それとも李傕の追手から逃れてきたのか!」

 

天下無双の武力を持ち、養父の丁原(ていげん)や董卓を次々と殺した「裏切りの獣」。その名を聞いただけで、ただでさえ怯え切っていた袁術の心臓は破裂しそうになった。

 

「兵の数は数千……いや、一万にも満たない小勢ですが、恐るべき速度で進軍しております! いかがなされますか、殿!」

 

「ひぃっ……! 防げ! 城門を固く閉ざし、矢の雨を降らせて追い払え!!」

 

袁術が半狂乱になって叫ぼうとした、その時。

彼の脳裏に、まるで天啓のような『一つの閃き』が電流のごとく走り抜けた。

 

(……待てよ?)

 

袁術は、ピタリとパニックを止め、自らの髭を撫で始めた。

その目から恐怖の色が消え、代わりに、他者を見下すような、名門特有の「傲慢で浅はかな光」が宿り始めたのである。

 

(呂布奉先……。天下無双の武勇を持ちながら、誰からも信用されず、流浪の身となっている哀れな獣。

奴の武の恐ろしさは天下の誰もが知っている。だが……同時に奴は、金と女と甘言で容易く飼い慣らすことができる『頭の悪い武辺一辺倒の馬鹿』としても有名ではないか)

 

かつて董卓は、赤兎馬と金銀を与えることで呂布を寝返らせ、最強の盾とした。

王允は、女と甘い言葉でそそのかし、董卓を討たせた。

 

つまり、呂布という男には一切の「知性」や「忠義」がなく、目の前の餌さえ与えれば、誰の命令でも聞く単純な道具に過ぎないのだと、袁術は解釈したのだ。

 

(曹操や劉備がいつ攻めてくるか分からないこの状況。……もし、あの天下無双の呂布を、私の『手足(番犬)』として丸め込むことができたら、どうなる?)

 

袁術の顔に、下劣な笑みが広がった。

呂布が城門の前に立っていれば、曹操軍だろうと白馬義従だろうと、決してこの南陽には手出しできなくなる。今の自分に最も欠けている「圧倒的な武力」が、向こうから勝手に歩いてきたようなものではないか。

 

「……ふははっ。はははははっ!! そうだ、天はこの袁公路を見放していなかった!」

 

袁術は、ポンと手を打って立ち上がった。

 

「皆の者、案ずるな! 呂布は敵ではない。私に仕え、大漢の正統なる覇者たるこの私の庇護を求めてやって来た、哀れな迷い犬に過ぎん!

城門を全開にしろ! そして、盛大な宴の準備をして呂布を迎え入れるのだ!」

 

「お、お待ちください、殿!! それはあまりにも危険すぎます!!」

 

袁術のあまりにも短絡的な命令に対し、配下の文官である閻象(えんしょう)が、顔面を蒼白にさせて床に叩き伏した。

 

「相手はあの呂布ですぞ! 恩義ある丁原を殺し、義父の董卓をも殺した、人の皮を被った狼です! そのような男に無防備に城門を開け放つなど、自ら虎の口に頭を突っ込むようなもの! どうか、どうかお考え直しを!」

 

他の臣下たちも口々に袁術を説得しようと試みた。

 

「左様です! 呂布は危険すぎます! 仮に味方に引き入れたとしても、いつ我が軍を乗っ取るか分かったものではありません!」

 

「殿、どうか城門を閉ざし、防戦の構えを!」

 

彼ら臣下たちの進言は、火を見るよりも明らかな「正論」であった。

いかに武力が必要とはいえ、猛毒の塊のような呂布を自らの懐に入れるなど、自殺行為に他ならない。

しかし、己の「名門の威光」と「薄っぺらな知略」に絶対の自信を持っていた袁術の耳に、彼らの忠言は一切届かなかった。

 

「ええい、黙れ黙れ! 貴様らのような臆病者に、王の器たる私の深謀遠慮が分かるか!」

 

袁術は、縋り付く閻象を足蹴にして怒鳴りつけた。

 

「丁原や董卓が殺されたのは、奴らの身分が低く、徳が足りなかったからだ!

だが、私は違う! 四世三公の名門・袁家の嫡流であり、いずれ天命を受けるこの私が、大いなる慈悲をもってあの野犬を拾ってやるのだ。呂布とて、私の高貴なる血と莫大な恩賞の前にひれ伏し、忠犬となる以外の道はないのだ!」

 

袁術は、自らの権威が「魔法の鎖」となって呂布の狂暴性を制御できると、本気で信じ込んでいた。彼の中の階級意識が、呂布の底知れぬ危険性を完全に過小評価させてしまっていたのだ。

 

「私の命が聞けんのか! 今すぐ城門を開けろ!!」

 

絶対君主のヒステリックな命令に逆らう術はなく、臣下たちは絶望の涙を流しながら、南陽の巨大な城門の(かんぬき)を外した。

 

ギギギギギ……。

 

重々しい音を立てて。袁術という愚かな豚は、自らの「喉笛」を守っていた最後の盾を、己の手で無防備に開け放ってしまったのである。

 

城門の向こう側。

土埃を上げて南陽へと迫っていた数千の軍勢の先頭で、巨大な赤兎馬に跨る男が、ゆっくりと手綱を引いて進軍の速度を落とした。

 

「……将軍。城門が、開いております」

 

副将の張遼が、信じられないものを見るような目で前方を見据え、呂布に報告した。

 

「伏兵の罠でしょうか?」

 

高順が警戒して大盾を構えるが、呂布は目を細め、鼻で笑った。

 

「罠? あの袁術という無能な豚に、そんな高等な真似ができるはずがない。……あれは『歓迎』だ」

 

呂布は、すべてを理解していた。

自分が天下から「頭の悪い、金で買える獣」と見られていることを、彼は誰よりも自覚している。

袁術は、自分の武力を利用するために、この城門を開けて餌を差し出してきているのだ。

 

(愚か者め……。俺の中身が、丁原や董卓の下で剣を振るっていた時の『空っぽの獣』のままだと思っているのか)

 

今の呂布の胸の奥底には、長安の凍てつく夜に幼き皇帝(献帝)から赐った「一枚の毛皮の温もり」と、大漢帝国への狂気的なまでの『絶対の忠義』が、燃え盛るように宿っている。

 

そして、目の前にいる袁術という男は、皇帝の命に背き、自ら玉座を僭称しようとしている「絶対的な朝敵」である。

呂布は、南陽の領地を奪うために、数千の兵で城攻めをするという困難な血戦を覚悟していた。

 

だが、まさか敵の首魁が、自らの保身と妄想のために、無傷で城の中へと招き入れてくれるとは。

 

「将軍。いかがなされますか?」

 

「決まっている。ありがたく、豚の懐に入らせてもらおう」

 

呂布は、方天画戟を下ろし、敵意を完全に消し去った。

 

「皆の者、武器を引け! 袁術殿の歓待に、大人しく応じるのだ! 決して手出しをするな!」

 

かくして、呂布の軍勢は、一本の矢を放つことも、一滴の血を流すこともなく、南陽の庁舎へと悠然と無血入城を果たしたのである。

 

 

その夜、南陽の庁舎では、飢えに苦しむ外の民草の惨状など完全に無視した、豪華絢爛な「呂布歓迎の宴」が催された。

 

「おお! よくぞ参った、天下無双の呂布将軍! この袁公路、貴殿の武勇を前々から高く評価しておったのだぞ!」

 

上座に座る袁術は、満面の笑みで美酒の杯を掲げ、これ見よがしに尊大な態度で呂布に声をかけた。

 

「はっ。身に余る光栄にございます、袁術様」

 

下座に控えた呂布は、杯を押し戴き、殊勝な態度で深く頭を下げた。

その大人しく従順な姿を見て、袁術の心の中の優越感は最高潮に達した。

(ふはははっ! 見ろ、あの天下無双の猛将が、私に怯え、私の足元で傅いているではないか! やはり私の名門の血と威光の前では、どんな猛獣もただの犬に過ぎん!)

 

袁術は有頂天になり、呂布に対して莫大な金銀と絹、そして南陽の軍事権の一部を与えることをその場で約束した。

 

「これより、貴殿は私の右腕だ! 曹操の豚や、劉備の野盗どもが攻めてきた時は、貴殿のその戟で蹴散らしてくれよう!」

 

「御意。この命に代えましても、お守りいたします」

 

呂布は、酒を飲むふりをしながら、周囲の警備の配置、袁術の側近たちの顔ぶれ、そして城内の構造を、氷のように冷たく研ぎ澄まされた眼光で完全に記憶し、掌握し続けていた。

 

……そして。

 

呂布が無血入城を果たしてから、数日が経過した。

袁術は、最強の番犬を手に入れたことで完全に安心しきり、警戒を解いて酒と女に溺れる堕落した日常へと戻っていた。

呂布の配下である張遼や高順の兵たちは、すでに南陽の城内の「要所」の警備を、袁術の兵から自然な形で引き継ぎ、実質的な城の制圧を静かに完了させていた。

 

その日の深夜。

 

袁術が寝所で泥酔して眠りこけていた時、ドォン! と大きな音を立てて、寝室の重厚な扉が蹴り破られた。

 

「な、なんだ!? 何事だ!」 

 

袁術は目を覚まし、飛び起きた。

月明かりに照らされた寝室の入り口。

そこに立っていたのは、返り血に染まった方天画戟を片手に提げ、鬼神のような殺気を全身から立ち上らせている、天下無双の修羅であった。

 

「りょ、呂布!? 貴様、何故ここに……! 近衛兵! 近衛兵はどうした!!」 

 

「近衛なら、外で皆よく眠っているぞ。首と胴体が離れた状態だがな」

 

呂布は、低い、地鳴りのような声で告げ、ゆっくりと袁術の寝台へと歩み寄った。

 

「き、貴様……私を裏切るというのか!? 私に拾われ、恩賞をもらった恩を忘れたか! やはり貴様は、信義を知らぬ恩知らずの獣だ!!」

 

袁術は恐怖に顔を引き攣らせ、後ずさりしながら叫んだ。

その言葉に、呂布はピタリと足を止め、嘲るように鼻で笑った。

 

「裏切る? 恩知らずだと?」

 

呂布の瞳に、激しい『義憤』の炎が燃え上がった。

 

「笑わせるな。俺の主は、長安におわす大漢の天子だ。……貴様のような、皇帝の命に背き、民を飢えさせ、あまつさえ自ら玉座を僭称しようと企んでいる『逆賊』に、ただの一度でも忠誠を誓った覚えなどないわッ!!」

 

「な……に?」

 

袁術は、自分の耳を疑った。

この頭の悪い獣が、大漢の忠誠だの、逆賊だのといった『大義名分』を口にしている。己の私欲ではなく、明確な「朝敵討伐」の意志を持って、初めからこの自分を殺すために城門を潜り抜けたというのか。

 

「ば、馬鹿な! 貴様のような獣が……忠義だと!? 私は四世三公の……!」

 

「黙れ、豚」

 

閃光。

呂布の方天画戟が、夜の闇を切り裂いて無慈悲に振り下ろされた。

袁術の首は、その空虚なプライドと見当違いの妄想を抱えたまま、胴体から呆気なく離れ、豪奢な絨毯の上をゴロゴロと転がっていった。

 

「……陛下。これにて、逆賊・袁術を討ち果たしました。この南陽の地を我らの足場とし、必ずや貴方様をお救いしに参ります」

 

呂布は、袁術の生首を拾い上げ、長安のある西の空に向かって深く一礼した。

 

南陽の庁舎に引き籠もり、来もしない敵の影に怯え続けた挙句、最も危険な狼を自ら招き入れた暗愚なる狂帝・袁術。

 

彼の死は、激しい大戦争の末に訪れたものではなく、彼自身の「傲慢さと被害妄想」が生み出した、あまりにも滑稽で呆気ない終焉であった。

 

そして、この袁術の死により、無傷で南陽と豫州の一部を手に入れた呂布奉先は、ついに「長安へ向かうための確固たる軍事拠点」を、大義名分と共に完全に確立したのである。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。