西暦一九九年。
彭城の防衛線を支えきれず、戦術的撤退を余儀なくされた劉備軍は、雨に打たれ、泥に塗れながら逃避行を続けていた。
「兄者、このまま南西へ向かえば、補給線は完全に断たれる! 東の『
張飛が、焦りを滲ませながら劉備に具申した。
下邳は徐州の治所(中心地)であり、中原でも屈指の堅城である。疲労困憊の兵たちにとって、屋根と分厚い壁のある城は、喉から手が出るほど欲しい安息の地であった。
「……駄目だ、益徳。下邳へは向かわない」
だが、劉備の意志は鋼のように固かった。
「下邳へ逃げ込めば、確かに一時の息はつけるだろう。だが、結果は曹操の大軍に完全に包囲され、いずれ兵糧攻めと水攻めに遭い、城内の民もろとも無惨に餓死するだけだ」
劉備は、自らが長年心血を注いで治めてきた徐州という『己の領土』を、完全に放棄する決断を下していた。
領地への執着を捨てねば、命は繋げない。曹操という巨大な万力から逃れるためには、中原の枠組みを外れ、賊が割拠する南西の地『
関羽と張飛を先頭に、傷ついた歩兵と、劉備を慕って付き従う一部の民衆たちの、果てしない「長征」が始まった。
逃げ足の遅い民衆と歩兵を抱えた劉備の撤退戦。
当然ながら、曹操軍の追撃部隊が幾度となくその後背に食らいつこうと襲いかかってきた。しかし、その追っ手をことごとく血の海に沈め、劉備の首の皮を物理的に繋ぎ止めていた最強の盾が存在した。
最後尾の殿軍を務める、呂綏と張遼が率いる『并州騎兵』である。
「止まるな! 追いついてきた曹操の先鋒どもに、東の矢の味を教えてやれ!」
馬を駆りながら、呂綏が薙刀を振るって号令を飛ばす。
追撃してきた曹操の騎兵部隊に対し、并州騎兵たちは逃げながら振り返りざまに強弩を放つ「パルティアン・ショット」を完璧な連携で披露した。
極東の商人から仕入れた、重心と規格が完全に統一された矢は、走りながらの射撃でも恐るべき命中精度を発揮した。
シュガァァンッ! と凄まじい風切り音と共に放たれた残弾が、追撃部隊の先頭を走る曹操軍の兵を次々と馬から叩き落とす。
「ひるんだな! 文遠(張遼)、往くぞッ!」
「応ッ! 并州の狼の牙、とくと味わえ!」
敵の足が止まったその一瞬の隙を見逃さず、呂綏と張遼は自ら反転して突撃を敢行。敵の陣形をグチャグチャに掻き回し、致命傷を与えては再び疾風のように離脱して南西へと消えていく。
その圧倒的な機動力と一撃離脱の戦法を前に、曹操の小規模な追撃部隊は為す術もなく翻弄され、劉備の背中を捕らえることはどうしても叶わなかったのである。
劉備が軍をまとめて南西へと逃れるための『時間』。
それは、并州騎兵の奮戦だけで稼ぎ出されたものではなかった。そこには、歴史書には決して名が残らない、多くの市井の者たちの血と命が流れていた。
劉備の下で平和を謳歌し、繁栄を取り戻していた徐州の地。
そこには、かつて己の父の仇討ちと称して無差別の虐殺を行った曹操に対し、骨の髄まで深い反発と恐怖を抱く者たちが数多く存在した。
「……皇叔(劉備様)は、俺たちに一緒に逃げろと言ってくださった。だがよ、俺たちまでついて行けば、足手まといになるだけだ」
「ああ。それに、ここは俺たちの住み慣れた故郷だ。曹操の犬どもに、泥足で好き勝手に踏み荒らされてたまるかよ」
徐州の各地の村々や、街道の要衝において。
鍬や粗末な槍を手にした農民、商人、そして元民兵たちが、決して勝てないと分かっていながら、バリケードを築き、曹操の進軍ルート上に立ち塞がったのである。
彼らは正規の軍隊ではない。高度な戦術も持たない。
しかし、「故郷を護る」という強烈な郷土愛と、「劉備を逃がす」という一点の目的のために命を捨てる覚悟を決めた者たちの抵抗は、泥沼のような粘り強さを持っていた。
曹操軍の主力部隊は、こうした名もなき者たちのゲリラ的な抵抗に道を阻まれ、小規模な村を一つ一つ制圧するために、想定以上の時間と労力を削り取られていった。
「……往け、劉備様! 俺たちの命なんざ安いもんだ。あんたは生きて、いつか必ずこの徐州を取り戻してくれ!」
燃え盛る故郷の村を背に、最後まで曹操の兵に組み付いて命を散らしていった者たち。彼らの流した血こそが、劉備の撤退を成功させた真の防波堤であった。
一方。
劉備が徐州を捨てて南西への長征を続けていた頃、曹操軍の本隊が反転して向かった北の戦線――冀州と幽州の国境地帯においては、決着の糸口が全く見えない凄惨な大戦が繰り広げられていた。
劉虞の命を懸けた嘆願によって動いた公孫瓚との戦いは、瞬く間に年を跨ぎ、西暦二〇〇年へと突入しようとしていた。
「……ええい、また陣を押し戻されたか! 公孫瓚の白馬義従、一部が劉備の元へ向かったと聞いていたが、それでもなおこれほどの圧力を保っているとは……!」
前線で指揮を執る夏侯惇が、苛立ちに顔を歪める。
劉備との戦いとは、根本的に規模が違った。
公孫瓚の率いる幽州軍は、北方の異民族との死闘を生き抜いてきた筋金入りの精鋭であり、兵の数においても、曹操の一軍に匹敵する大軍勢であった。
歩兵同士の激突、騎兵の機動戦、そして攻城兵器を用いた拠点の奪い合い。すべての戦線において、両軍の力が拮抗し、毎日おびただしい数の死者が生産されていく。
曹操軍も決して負けてはいない。
荀彧と班稀が敷いた完璧な兵站線が、前線の兵たちに常に飯と武器を供給し続け、軍の崩壊を防いでいる。
だが、覇王・曹操の脳内は、かつてないほどの『過負荷』に晒されていた。
(西では馬騰が関中を脅かしている。東では公孫度が不気味な沈黙を保ち、南へ逃れた劉備もいずれ牙を剥く。……そして目の前には、この公孫瓚の大軍だ)
多方面で同時に作戦を行わざるを得ない曹操にとって、最も恐るべきは「一つの戦場に軍を集中させすぎた結果、別の戦線が崩壊すること」であった。
どの部隊をどこに配置し、いつ、どれだけの兵糧を送るか。軍の集結と分散のタイミングを一つでも誤れば、中原の覇権は一瞬にして瓦解する。細心の注意を払いながら、胃を削るような緻密な采配を全方面に巡らせねばならなかった。
中華の大地は、曹操という一つの巨大な才能を押し潰さんとするかのように、四方から激しい炎を噴き上げ、戦乱の歴史の中でも最も熱く、最も血生臭い『極限の均衡状態』へと突入していくのであった。
―――
西暦二百年。
中原の覇権を懸けた曹操と公孫瓚の激突は、誰の目にも明らかな『完全なる膠着状態』へと陥っていた。
曹操軍が誇る圧倒的な兵の物量、そして荀彧と班稀が構築した強固な兵站線。通常の軍閥であれば、数ヶ月と経たずにその重圧の前にすり潰されているはずであった。
しかし、公孫瓚の軍勢は違った。騎兵の機動力を一部劉備に割いたとはいえ、残された兵は北方の過酷な環境で異民族と血を洗い合ってきた筋金入りの精鋭たちである。
さらに公孫瓚は、曹操の軍勢を深く誘い込み、自らの『地の利』を完璧に活かした防衛線に専念する構えを見せていた。
どれほど曹操の歩兵が波状攻撃を仕掛けようとも、深い堀と地の利に守られた北の砦は落ちない。一進一退の血みどろの攻防が延々と繰り返され、曹操の全軍は北方の泥濘にその足を深く、重く絡め取られていたのである。
この北方の膠着を、遥か南の地、大河・長江の向こう側から鷹のような鋭い目で見つめている男がいた。
三呉の地を瞬く間に平定した小覇王、孫策伯符である。
「……曹操の奴め、完全に北で足止めを食らっているな」
建業の庁舎。孫策は、中原の地図を広げながら、軍師であり義兄弟でもある周瑜に向かって獰猛な笑みを浮かべた。
「曹操の主力は公孫瓚に釘付けだ。そして、徐州を手中に収めた曹操の別働隊が、長江の北岸である『江都』の制圧に動いたと間者から報告があった」
孫策の目に、燃え盛るような野心の炎が灯る。
「……好機だ。これ以上の好機は絶対にない。曹操が江都の守りを完全に固める前に、我々が長江を越境し、江都を力ずくで我が手中に収める!」
江都を押さえれば、長江の制水権は完全に孫策のものとなり、いつでも曹操の喉元へ軍を送り込める絶対的な橋頭堡となる。
「承知いたしました、伯符。すぐに全水軍の出陣準備に取り掛かりましょう」
周瑜もまた、この決断が戦略的に最も正しいことを理解していた。
準備を進める間も、孫策は決して慢心することなく、欠かさず北の曹操軍の動向や、未知なる東方の商人たちの噂など、あらゆる情報収集を自ら精力的にこなし続けていた。
彼の才覚はまさに絶頂期にあり、その生命力は誰の目から見ても、光り輝く若虎そのものであった。
だが。
彼らは知らなかった。日本国の大内裏において、冷徹なる右大臣・広庭と和那比売の裁可によって下された『孫策暗殺の砂時計』の砂が、今まさに最後の一粒を落とそうとしていることを。
周瑜の完璧な采配により、水軍の準備は着々と整い、いざ出陣を明日に控えた『
諸将が集い、士気は天を衝くほどに高まっていた。
孫策もまた、酒杯を片手に諸将の席を回り、長江越境の決意を大いに語り合っていた。
宴もたけなわとなった頃。孫策の前に、湯気を立てる温かい『汁物』が供された。
中原の豊かな山海の幸を煮込んだ、将に相応しい豪勢な食事の一品である。
「……おお」
孫策は、その汁物を一口啜り、思わず目を細めた。
「これは……美味い。とても美味いな」
その汁は、彼の舌を強烈に刺激し、えも言われぬ深い旨味と甘露のような後味を残した。
酒に酔っていたからそう感じたのか。それとも、本当に腕の良い料理人が腕を振るった至高の味だったのか。それは、この汁物を残さず飲み干した孫策本人にしか分からない。
しかし。
彼が「極上の旨味」と感じたその正体。
それは、遥か東の島国において『殺しの純白』と恐れられ、大和の草の者が数年がかりで精製し、辰砂売りを通じて孫策の膳へと密かに混入させた、
この毒茸は、口に入れた瞬間は驚くほど美味でありながら、その実態は人体の臓器を完全に破壊する「死の天使」なのである。
誰も気づかぬまま。大和国の思惑通りに、一切の刃を交えることなく、江東の若虎の心臓に『見えない毒の矢』が深々と突き刺さった瞬間であった。
異変は、出陣式の翌朝に起きた。
「……ぐっ、がぁぁッ……!」
孫策は、全身から噴き出す凄まじい冷や汗と共に、寝台から転げ落ちるように飛び起きた。
胃袋を焼け火箸で掻き回されるような猛烈な腹痛。息をする間も与えられない激しい嘔吐と、水のような下痢が、屈強な若虎の肉体を容赦なく襲ったのである。
「伯符! どうした、伯符!! 医官を、早く医官を呼べ!!」
異変を聞きつけて駆けつけた周瑜は、親友のあまりの惨状に血の気が引いた。
出陣は即座に中止され、江東中の名医が集められた。
医官たちは薬湯を飲ませ、必死の治療を試みる。その甲斐があったのか……あるいは毒の特性か。その翌日、孫策の猛烈な腹痛と嘔吐は、嘘のようにピタリと収まった。
「……ふぅ。どうやら、悪いものにでも当たったらしい。公瑾、心配をかけたな。少し体が怠いが、もう大丈夫だ」
青白い顔ながらも、孫策は笑って寝台から身を起こした。
「良かった……。本当に出陣の直前に、何事かと思いましたよ」
周瑜も胸を撫で下ろし、医官たちも「これにて峠は越えました」と安堵の息を吐いた。
しかし。
これこそが、大和国の放った猛毒の最も恐ろしく、最も残酷な『罠』であった。
表面上の胃腸の痛みが消え去ったこの二日間の裏側で。目に見えない猛毒の刃は、孫策の体内にある「肝の臓」と「腎の臓」の細胞を、音もなく、そして不可逆的にドロドロに溶かし尽くしていたのである。
腹痛が治まり、症状が落ち着いたかに見えた、その『二日後』。
孫策の容態は、何の前触れもなく、奈落の底へと急転直下した。
「がはッ……!!」
突如として、孫策の口からどす黒い鮮血(喀血)が吐き出された。
同時に、下の世話をしていた侍女が、寝着を真っ赤に染めるほどの大量の血便を見て悲鳴を上げる。
「伯符!? 伯符!! 目を開けろ!」
周瑜が縋りついた時、孫策の目は虚ろに濁り、その皮膚と白目は、肝機能の完全な停止を示す『不気味な黄色』へと染まり上がっていた。
もはや、誰の目から見ても助からないことは明白であった。毒を盛られた形跡も、誰がやったのかも全く分からない。ただ「突然の重病」として、江東のすべてを背負う若き王の肉体が、内側から完全に崩壊していったのである。
「……こ、公瑾……」
猛烈な高熱にうなされ、意識が混濁する中。
孫策は、義兄弟の腕の中で虚空に手を伸ばした。
「俺の……俺の長江が……。天下が、まだ……」
その言葉を最後に、孫策は完全に意識を喪い、深い昏睡状態へと陥った。
そして、そのまま二度と目覚めることなく。強き脈動を打っていた若虎の心臓は、毒牙に食い破られて永遠の停止を迎えたのである。
出陣式でその「美味なる汁物」を口にしてから、僅か一週間にも満たない出来事であった。
中原の覇権を揺るがすはずだった長江の越境作戦は、戦端を開くことすらなく完全に消滅した。
後に残されたのは、若すぎる主君の不可解な死に絶望し、慟哭する周瑜と江東の家臣たち。
そして、海を隔てた日本国の大内裏において、冷徹な完了報告に、静かに頷く広庭たちの姿だけであった。
―――
中原において曹操と公孫瓚が泥沼の血戦を繰り広げ、江東では孫策が不可解な急死を遂げて大混乱に陥る中。
それらの勢力にとって最も脅威となり得るはずの巨大な軍事力と経済力を持つ勢力は、ただひたすらに『沈黙』を決め込んでいた。
長江中流域の広大な沃野を支配する
「……よろしい。北の曹操にも、東の孫家にも、決してこちらから手を出してはならん。我らはただ、この荊州の地を豊かに治めることだけに専念するのだ」
劉表は、下手な領土欲や野心を一切持たなかった。
乱世の群雄としては覇気に欠けると言えばそれまでだが、この極限の戦乱状態において、彼の「外の事への関心の低さ」は、荊州の民にとってこれ以上ない極上の防波堤として機能していた。
中原の戦火から逃れようとする莫大な数の難民が、安全な荊州を目指して連日のように押し寄せていた。役人たちはその対応に追われ悲鳴を上げていたが、劉表の内心は『ウハウハ(笑いが止まらない状態)』であったと言っていい。
難民の流入は、そのまま農業や土木を支える無尽蔵の「労働力」となる。そして何より、戦乱を嫌って逃れてきた中原の優秀な学者、文官、職人といった『極上の人材』が、労せずして荊州へと転がり込んできたからである。
外の世界が血と炎に焼かれれば焼かれるほど、平和な荊州は人材と富を吸い上げ、皮肉にもその繁栄を確固たるものにしていったのである。
そんな空前の繁栄に沸く荊州の中心都市・
そこから少し離れた
その家のすぐそばの畑で、燦々と降り注ぐ太陽の下、鋤と鍬を握って黙々と土を耕しているひとりの若い男がいた。
後に『臥龍』と呼ばれ、天下にその名を轟かせることとなる天才軍師、
「……ふむ。やはり、
額の汗を拭いながら、諸葛亮はブツブツと独り言を呟き、手元の木簡に何事かを書き付けていた。
彼は、生きるために仕方なく農作業をしているわけではない。極めて純粋な『研究家気質』をもって、畑と向き合っていたのである。
どうすれば最小の労力で効率よく作物が育つのか。
どのような土壌改良を施せば、厄介な病害虫がつかないのか。
天候の周期と日照時間を計算し、種の蒔き時を論理的に導き出す。彼の頭脳にかかれば、泥臭い農作業すらも「緻密な算段と実験の場」へと変貌していた。
「兄上、少し休憩にしませんか? 水を汲んできましたよ」
「おお、
横の畝で共に泥だらけになって働いていた弟の
「あなたー! お昼の支度ができましたよー! 手を洗っていらっしゃいな!」
家の勝手口から、諸葛亮の妻が朗らかな声を張り上げて兄弟を呼んだ。
「おっと、いけない。妻を待たせると後が怖いですからね。さあ均、飯にしましょう」
「はい、兄上」
諸葛亮は鍬を置き、土を払って立ち上がった。
腹が減れば妻の作る温かい飯を食い、喉が渇けば木陰の風に吹かれて休む。日が暮れれば書物を広げ、過去の歴史や天地の理に思いを馳せる。
それは、家族ぐるみでの絵に描いたような『晴耕雨読』の隠遁生活であった。
すぐ北の平原で何万もの命がすり潰されていることなど嘘のように、この隆中の畑には、ただ長閑でゆっくりとした、戦乱とは完全に切り離された時間が流れていたのである。
昼食後、諸葛亮は縁側に座り、一通の木簡に目を通していた。
遠く江東へ仕官している長兄、
『……江東は今、孫策様の急死によりひどく荒れている。そちらの荊州は無事か? 亮よ、お前たちに何か不自由はないか。弟の均を頼むぞ』
心配性の長兄らしい、細やかな気遣いに満ちた文面であった。
諸葛亮は、筆を取って返事を書き始めた。
『兄上こそ、ご無事で何よりです。荊州は拍子抜けするほど平穏無事であり、我らの暮らしには何の憂いもありません。弟の均も逞しく育っておりますゆえ、家のことはどうかご心配なく。江東の動乱、何卒お気をつけくださいますよう……』
長兄のいない諸葛家を、立派な家長として支え、守り抜く。それが今の諸葛亮にとって、天下の情勢よりも遥かに優先すべき大切な『責務』であった。
だが、いくら耳を塞ごうとも、戦乱の風風は確実にこの静かな村にも吹き込んでくる。
「……聞いたか? あの劉備って大将が、彭城で曹操のバケモンみたいな大軍に大敗したらしいぞ」
「ああ、聞いた聞いた。命からがら南西の方へ逃げ延びたって話じゃねえか。恐ろしいこった……」
市井へ買い出しに出た際、農民たちの噂話が諸葛亮の耳に届く。
大漢の皇叔・劉備が敗れ、曹操の覇道がさらに巨大化しつつあるという現実。
「……劉備、か」
諸葛亮は、遠く北の空を見上げ、微かに目を細めた。
戦乱と平和は、常に紙一重であり、切っても切れない表裏一体のものである。荊州のこの安寧も、劉表という頼りない防波堤が崩れ去れば、一瞬にして曹操軍の軍靴に踏み荒らされる砂上の楼閣に過ぎないことを、彼の
(だが、まだ私が動く時ではない。私の育てたこの『野菜』を高く買ってくれる、真の主が現れるその日までは)
諸葛亮は静かに息を吐き出すと、噂話を背にして再び己の畑へと戻り、愛用の鍬を握り直すのであった。
―――
曹操と公孫瓚が冀州の泥濘で血みどろの攻防を繰り広げているという凶報は、さらに東の辺境、遼東に割拠する『燕』の主・公孫度の耳にも、間断なく届けられていた。
燕の庁舎にて。公孫度の手元には、劉虞から密かに託された、あの『絶筆の書状』が広げられていた。
幽州の民の受け入れと、興城河より東の領土の割譲。
「……北の老虎も、ついには力尽きたか」
公孫度は、深く息を吐き出しながら書状を机に置いた。
一国の主として、戦わずして領土が広がることは決して悪い話ではない。むしろ、乱世の群雄であれば大喜びで兵を出し、空白地帯となった領土を接収しに行くのが常道である。
しかし、公孫度は冷静であった。
「無闇な拡大は、国庫を激しく疲弊させる。ただでさえ、難民が押し寄せてくればその食い扶持をどうにかせねばならんというのに。……ここで下手に兵を西へ動かせば、曹操と公孫瓚の泥沼の争いにこちらまで巻き込まれることになりかねん」
公孫度の判断は極めて現実的であった。中原の覇権争いに首を突っ込むことは、今の燕にとって『下策中の下策』であると断定したのである。
公孫度が中原への不干渉を貫く最大の理由。
それは、背後の極東に位置する巨大な国家・日本国との間に築かれた『巨大な交易の利益』を手放したくなかったからに他ならない。
数年前、度肝を抜かれるような土木技術によって完成した『漢江大橋』。
現在、この橋と港を中心とした日本との交易は、完全に軌道に乗り始めていた。
燕からは中原の文物や馬を輸出し、日本からは規格化された良質な強弩などの武具、極めて精巧な木器、そして純度の高い鉄器類が大量に運び込まれてくる。
日本のもたらす品々は、中原の職人が作るものとは根本的な『理(生産システム)』が異なっており、安価でありながら異常なほどの高品質を誇っていた。
「今、この交易を絶つことは、我が燕の心臓を止めるに等しい。……中原で血を流し合うよりも、日本の物資で国を富ませる方が遥かに理にかなっている」
公孫度は、日本の技術力と経済力に深く依存しつつある自国の現状を正確に認識し、それを受け入れていた。
しかし。公孫度が日本との関係において抱いていた感情は、単なる「交易相手への感謝」だけではなかった。
漢江の南部(朝鮮半島南部〜列島方面)に潜ませている間者から送られてくる極秘の報告書は、公孫度の背筋に『氷のような恐怖』を走らせるに十分なものであった。
「……信じられん。何度計算し直しても、この数字は異常だ」
報告書に記された、日本国の『軍事規模』の推測値。
漢江の橋頭堡および半島南部の拠点に駐屯している日本の兵力は、実数にしておよそ三万。
これだけでも一国を攻め滅ぼせるだけの大軍であるが、公孫度を本当に戦慄させたのは、その兵たちの『質』であった。
「この三万……、農繁期に駆り出される農民ではない。武芸と兵站のみを専門とする『常備軍』だと言う。
そして、さらに海の向こうの本国には、これと同等の常備軍が七万も控えているというのか……ッ!」
公孫度は、思わず書簡を持つ手を震わせ、身震いした。
中原の群雄たち、例えば曹操の五万、公孫瓚の三万といった軍勢は、その大半が「農民を無理やり徴用した兵」である。
だが、日本国は違う。合計十万にも及ぶ軍勢が、農業を免除され、国庫からの給金で養われている純粋な「殺戮と防衛の専門家」なのだ。
(平時において、十万の常備軍を養えるだけの圧倒的な兵站と経済力。……もし、この国が『総力戦』を決意し、農民まで根こそぎ動員して海を渡ってきたとしたら……一体どれほどの暴力が中原を襲うというのだ!?)
公孫度の脳裏に、黒い鎧を着た無数の兵士が、海を埋め尽くす大船団と共に大陸を蹂躙する悪夢のような光景がフラッシュバックした。
「……ああ。全く、本当に……」
公孫度は、深い、深い安堵の溜息を吐き出し、胸を撫で下ろした。
「彼らを敵に回さず、いち早く同盟を結び『隣国』とした過去の己の判断を、これほどまでに誇らしく思ったことはない」
もしあの時、海を渡ってきた日本の使者を斬り捨て、敵対する道を選んでいたら。燕という国は、曹操の軍靴が届くよりも遥かに早く、日本の圧倒的な暴力とシステムの前に完全にすり潰され、歴史から消え去っていただろう。
公孫度は、恐怖を理性でねじ伏せ、再び冷徹な『戦略家』の顔に戻った。
(恐ろしい国だ。だが、だからこそ利用価値がある)
公孫度の口元に、老獪な笑みが浮かぶ。
日本国は、合理性を重んじる。彼らが燕と交易をしているのは、燕が彼らにとって大陸への『安全な玄関口』として機能しているからだ。
(ならば、このまま互いに交易を深め、日本の莫大な利益を我が燕に結びつけてしまえばいい。……いずれ、曹操が公孫瓚を喰らい尽くし、その矛先をこの遼東へ向けてきた時。日本国は、自らの『経済圏』を守るために、嫌でも中原との戦いに参加せざるを得なくなるはずだ)
それは、自国の防衛を極東の怪物にアウトソーシング(外部委託)しようとする、公孫度なりの極めて高度な『戦略的胸算用』であった。
劉虞からの遺書を受け取りながらも、公孫度は決して西へは動かなかった。
彼は、背後にそびえ立つ十万の常備軍という『巨大なる影』に畏怖を抱きながらも、それを最大の盾として利用すべく、黙々と交易の利益を積み上げ、いずれ来るであろう覇王との激突に備えて静かに国力を研ぎ澄ませていたのである。