流転 終
西暦二百年。
冀州南部の城塞群を舞台に、膠着状態に陥っていた曹操と公孫瓚の泥沼の戦線は、唐突な『引き波』によって大きく動き始めた。
「……全軍、冀州の防衛線を放棄。黄河を渡り、南の『濮陽(ぼくよう)』まで後退せよ」
曹操が下したその決断は、一見すれば「北方の重圧に耐えかねての撤退」にも見えた。
城を空け渡し、軍をぞろぞろと南へ退かせていく曹操軍。しかし、その隊列には敗走する軍につきものの「乱れ」が一切存在しなかった。
荷車は整然と並び、兵たちの足並みは恐ろしいほどに揃っている。
これは撤退ではない。己の最も強固な勢力圏へと敵を深く引きずり込み、完全にすり潰すための『戦略的誘引』であった。
曹操がここまで堂々と陣を下げ、敵を自国深くへ招き入れることができる理由。それは、彼がここ数年の間に、自らの版図(兗州・豫州)を『石橋を叩いて渡るように、ガッチリと固め切っていた』からに他ならない。
大飢饉を乗り越えさせた屯田制の恩恵。班稀が敷いた極めて冷徹で公平な兵站と法の支配。
民は曹操の統治下で「飢えずに生きられること」を深く理解しており、今さら曹操を裏切って北の軍閥に寝返るような愚か者は、中原の民の中には一人もいなかった。
民心が全く離れないという絶対の自信があるからこそ、曹操は自領である濮陽を「巨大な処刑場」として設定し、ドッシリと構えて獲物が罠に飛び込んでくるのを待つことができたのである。
一方。
曹操軍が防衛線を解いて南へ退いたという報告を受けても、公孫瓚の顔に喜悦の色は全く浮かばなかった。
「……見え透いた罠だ。黄河を越えて濮陽の平野へ出れば、曹操の主力と完璧な陣形が、口を開けて我々を待っているだろう」
公孫瓚は、馬上でギリッと奥歯を噛み鳴らした。
百戦錬磨の彼が、曹操の「後退」に隠された悪意(誘引)に気づかぬはずがなかった。進めば確実に、圧倒的に不利な死地での決戦を強いられる。軍略のセオリーから言えば、ここで追撃を止め、奪い取った冀州の城塞群を自らの防衛線として再構築するのが正解である。
だが。
公孫瓚には、もはや『立ち止まる時間』が残されていなかった。
「申し上げます! 幽州の内部にて、劉和様を支持する旧勢力が蜂起! さらに、かつて袁紹の領地であった北方一帯でも、『公孫瓚は冀州で曹操に大敗し、全滅間近である』という流言飛語が飛び交い、各地の豪族が反乱の狼煙を上げております!!」
伝令の悲痛な声が、公孫瓚の耳に突き刺さる。
これが、凡庸とはいえ大漢の宗室である劉和を幽閉し、『劉家の後ろ盾』という最大の権威を自ら手放したことの代償であった。
正当な大義名を持たない簒奪者は、常に勝ち続け、圧倒的な武威を示し続けなければ、一瞬にして足元から崩壊する。
冀州での「五分の戦い(膠着)」は、曹操にとってはただの足踏みであったが、公孫瓚にとっては『強大な白馬将軍が、曹操に苦戦している』という事実そのものが、北方の反乱分子たちに勇気を与え、自らの首を絞める致命的な猛毒となっていたのである。
「……今ここで足を止め、北へ引き返せば、反乱軍に『公孫瓚は逃げた』と確信を与え、幽州は完全に瓦解する。……曹操の罠だと分かっていても、進むしかない。濮陽の平野で曹操の本陣を打ち破り、その首を北へ持ち帰ることでしか、俺の玉座を保つ道はないのだ!!」
公孫瓚は、もはや「引くことのできない破滅の道」へと、自らの意思で足を踏み入れるしかなかった。
罠であると完全に理解した上で、その罠を己の槍で強引に食い破る。それ以外に、彼が生き残る術は残されていなかったのである。
西暦二百年、秋。
黄河を渡り、ついに濮陽の平野へと雪崩れ込んだ公孫瓚の軍勢の眼前に広がっていたのは、まさに彼が予想した通りの『絶望的な光景』であった。
広大な平原を埋め尽くす、整然と隊列を組んだ曹操の大軍。
弓弩隊、重装歩兵、そして両翼を固める無数の騎兵。その陣形には寸分の隙もなく、班稀の兵站によって腹を満たした兵たちの士気は、天を衝くほどに高まっていた。
「……構わん! 平原での野戦ならば、我が騎兵に分がある! 全軍、楔の陣形を取れ! 曹操の首めがけて、一直線に蹂躙せよ!!」
公孫瓚の咆哮と共に、彼が誇る精鋭騎兵『白馬義従』が、大地を揺るがす地鳴りを上げて曹操軍の分厚い歩兵陣へと突撃を開始した。
ドドドドドッ!!
白馬の奔流が、曹操軍の第一列の盾を粉砕し、人の壁を跳ね飛ばしていく。
しかし。
突撃の先頭に立つ公孫瓚は、槍を振るいながら、自らの軍の『致命的な弱体化』を肌で、そして痛烈に感じ取っていた。
(……薄い。突撃の『重さ』が、圧倒的に足りない……ッ!)
本来の白馬義従であれば、このまま三万の騎兵が怒涛のように押し寄せ、第一陣のみならず、第二陣、第三陣の歩兵の壁をも一息に貫通し、敵の本陣まで到達できたはずである。
だが、今の公孫瓚の背後に続く白馬の兵は、かつての半分以下であった。
劉備を救うため、自らの戦力の中核である『一万騎』を切り離し、南へ送ってしまったことの代償。
その喪失は、戦場においてあまりにも残酷な結果となって現れた。
突撃の「衝撃力」と「厚み」が半分に減ったことで、白馬義従の楔は、曹操軍の歩兵陣の『第二列目』で、完全にその勢いを止められてしまったのである。
「……かかったな、公孫瓚」
自陣の奥深く。幾重もの盾と兵の壁に守られた安全圏で、曹操は冷酷に笑っ
。
「劉備に騎兵を分け与えたと聞いた時から、貴様の矛はすでに折れていたのだ。……全軍、包囲陣へ移行せよ! 動きの止まった騎兵どもを、槍の衾で完全にすり潰せ!!」
曹操の号令が下ると同時に、濮陽の平原に展開していた曹操軍が、まるで巨大な肉食獣が顎を閉じるかのように、突撃の威力を失った公孫瓚の軍勢を左右から完全に包み込み始めた。
「引けッ! 引けェ! 囲まれるぞ!!」
「駄目だ、馬が前に進まない! 敵の歩兵が多すぎる!!」
機動力を殺された騎兵は、ただの「的」でしかない。
四方八方から無数の長槍が突き出され、自慢の白馬が次々と腹を刺されて嘶きと共に倒れ伏していく。落馬した兵たちは、曹操軍の重装歩兵の分厚い軍靴に踏みにじられ、無惨な肉塊へと変わっていった。
公孫瓚は、血に染まった槍を振り回し、必死に包囲網を破ろうと藻掻いた。
しかし、彼が長年かけて築き上げた『無敵の白馬軍団』は、曹操の完璧な誘引の罠と、圧倒的な兵力の前に、もはや完全にその機能を停止しつつあった。
(……俺の、負けか)
周囲で次々と討ち取られていく古参の将兵たちの断末魔を聞きながら、公孫瓚の脳裏に、数ヶ月前、病床の劉虞から劉備の救出を懇願された際の情景がフラッシュバックした。
『ここで軍を分ければ、いずれ曹操に敗れるかもしれん』
あの時、幕僚が泣いて止めたにも関わらず、彼は劉備に半数の騎兵を分け与えることを選んだ。
後悔は……なかった。
もしあの時、自分が保身のために軍を分けず、劉備を見殺しにして三万の騎兵を温存していれば、今日のこの濮陽の戦いにおいて、曹操軍の陣形を完全に食い破り、勝利を収めることができたかもしれない。天下の覇権は、公孫瓚のものになっていたかもしれない。
だが、彼は大漢の義将として、己の損得よりも『義兄弟の命』を優先した。
その戦術的な愚行こそが、いま現在の「手痛い敗北」という致命的な結果を招いたのだとしても。公孫瓚という漢は、己の選んだ運命の分水嶺を、決して呪うことはしなかった。
「……公孫瓚様! ここは我らが命に代えても血路を開きます!! どうか、どうか北へお逃げくだされ!!」
側近の将たちが、自らの体に何本もの槍を突き立てられながらも、馬体を壁にして曹操軍の包囲網に僅かな『隙間』をこじ開けた。
「……すまん! お前たちの命、無駄にはせんッ!!」
公孫瓚は血の涙を振り乱し、残された数百の騎兵と共に、その包囲の隙間をすり抜けて北へと血路を開いた。
曹操軍の執拗な追撃を受け、矢を背中に浴びながらも、彼は這々の体で黄河を渡り、己の領地である幽州へと逃げ延びることには成功した。
しかし。
この『濮陽の戦い』における敗北は、単なる一戦の負けでは済まされなかった。
戦力の中核である白馬義従の大部分を失い、無敵の威信を完全に粉砕されて逃げ帰った公孫瓚に、もはや北方の反乱を鎮圧する力は残されていなかったのである。
この日を境に、公孫瓚の勢力は雪崩を打って崩壊していくこととなる。
自らが築いた堅牢な要塞『
―――
「……白馬将軍が、負けた。曹操軍に大敗し、全滅に近い被害を出して逃げ帰ってくるらしい」
西暦二百年、秋。
濮陽の平原における公孫瓚の決定的な敗北の報は、秋風よりも早く北方の幽州全土を駆け巡った。
異民族を震え上がらせ、北の絶対的な守護者として君臨してきた『無敵の白馬義従』の神話が、完全にへし折られた瞬間であった。
圧倒的な武力とカリスマによって強引に押さえつけられていた幽州の秩序は、この敗戦の知らせを引鉄として一瞬にして瓦解した。
生き残るため、あるいは己の野心を満たすため。
幽州に残された将兵、豪族、そして市井の民衆が取った行動は千差万別であったが、大きく分けて『四つの潮流』へと完全に分断されることとなった。
一つ目は、公孫瓚への反発を隠し持っていた旧勢力と、漢室の権威にすがりつこうとする者たちである。
「今だ! 公孫瓚の威光が地に堕ちた今こそ、幽閉されている劉和様を救い出すのだ!」
「逆賊・公孫瓚を討ち、劉虞様の大漢の正統を取り戻せ!!」
彼らは、城の奥深くに軟禁されている劉和を旗印(神輿)として担ぎ上げようと一斉に蜂起した。
しかし、彼らの多くは純粋な大漢の忠臣というわけではない。劉和を救い出し、彼を通じて「官軍たる曹操」に恩を売り、幽州が曹操軍に飲み込まれた後の自らの『地位と領地』を保証してもらおうという、極めて生々しい打算で動く軍閥たちであった。
彼らは城内で武装蜂起し、公孫瓚の留守を預かる部隊へと激しい攻撃を仕掛け始めた。
二つ目は、泥沼の劣勢にあってもなお、公孫瓚という漢を信じ、彼と共に死ぬ覚悟を決めた者たちである。
「劉和などという青二才に、この北方が守れるものか! 殿は必ずや軍を立て直し、戻ってこられる! それまで、何としてでも劉和の身柄を確保し続けろ!!」
公孫瓚の弟をはじめとする留守居役の将兵たちは、城の奥をガッチリと固め、反乱軍の攻撃から劉和の幽閉施設を死に物狂いで守り抜こうとしていた。
劉和の身柄を奪われれば、公孫瓚は完全に「ただの反逆者」に成り下がり、政治的な交渉の余地すら失う。
彼らは、主君が這々の体で帰還するための「帰る場所」を維持すべく、血で血を洗う市街戦を繰り広げた。
だが、無敵の白馬を失った彼らの背中には、すでに『沈みゆく泥船』の悲壮感が色濃く漂っていた。
三つ目は、幽州の中核を成す多くの官僚や、独立性の高い土着の豪族たちである。
「……動くな。劉和派と公孫瓚派、どちらにも加担するな。今はただ、血を流さずに城の門を閉じ、静観せよ」
彼らは、誰よりも冷酷に『時流』を見定めていた。
劉和が復権しようが、公孫瓚が生き残ろうが、もはや彼ら自身の力だけで北方を維持することは不可能である。いずれ、曹操の圧倒的な大軍がこの幽州へとなだれ込んでくることは明白であった。
であるならば、下手にどちらかの陣営について兵力を消耗するより、無傷で戦力を温存しておくのが最も賢い。
曹操軍が到着したその瞬間に、最も高く自らを売り込む(城を開け渡して降伏する)ための手土産として、彼らは一切の感情を排し、ただ黙って事態の推移を眺め続ける『冷徹な傍観者』と化したのである。
そして。軍閥や役人たちの権力闘争とは全く別の次元で。
最も数が多く、そして最も切実な行動に出たのが、戦う術を持たない『一般の民衆たち』であった。これが第四の潮流である。
「……逃げるぞ。このまま幽州に居れば、内乱に巻き込まれて死ぬか、曹操の軍に徴用されて矢面に立たされるだけだ」
「だが、どこへ逃げる!? 南も西も、戦火だらけじゃないか!」
「東だ。東の『燕』へ向かうんだ!!」
民衆たちの間で、誰からともなく囁かれ、爆発的に広がった噂。
それは、病床の老虎・劉虞が、死の直前に自らの威信をかなぐり捨てて燕の公孫度へ宛てた『難民受け入れの密約』の存在であった。
「劉虞様が……あの優しかった劉虞様が、死ぬ間際に俺たちのために『退路』を用意してくださっていたそうだ! 興城河を越えて東へ行けば、燕の軍が匿まってくれる!」
「東の燕には、見たこともない道具と、底なしの兵糧があるらしい! あそこへ行けば、飢えずに生きられるぞ!!」
権力者たちが血みどろの足の引っ張り合いをしている裏側で。
農具を背負い、家財道具を大八車に乗せ、幼い子の手を引いた無数の民衆たちが、大移動を開始した。
それは、数千、数万という規模ではない。幽州の東半分から、数十万という途方もない数の民が、一つの巨大な『人間の大河』となって、東の国境である興城河を目指して歩き始めたのである。
曹操でも、公孫瓚でもない。大漢の正統が最後に遺した願いは、軍事的な勝利ではなく、この名もなき民たちの命を『極東の安全地帯』へと接続することであった。
西暦二百年の秋。
無敵の白馬将軍が敗走の泥に塗れる中、幽州は完全に四つの勢力へと引き裂かれた。
そして、この『東へ逃れた莫大な数の難民(労働力と人口)』が、公孫度の治める燕、ひいてはその背後にいる日本国の経済と国力を、さらに爆発的に巨大化させるという、中原の誰もが予測し得なかった歴史の強烈な『副作用』を生み出していくこととなるのである。
―――
西暦二百年、秋。
幽州と、公孫度の治める遼東・燕との境界を流れる大河、『興城河』。
その東岸に立ち、対岸からひっきりなしに小舟や筏で渡ってくる凄まじい数の難民の群れを、公孫度は腕を組み、冷徹な眼差しで黙って見下ろしていた。
「……公孫度様。難民の数は、すでに数万を下りません。これ以上受け入れれば、我が国の備蓄が底を突きますぞ」
側近が青ざめた顔で報告するが、公孫度は微かに片手を上げてそれを制した。
「慌てるな。北の老虎が最後に遺した置き土産だ。追い返せば、天下の信を失う」
公孫度の内心は、決して慈悲で動いているわけではない。彼が行っていたのは、国家の存亡を懸けた極めて冷酷な『盤面の計算』であった。
今は公孫瓚と曹操が潰し合っているが、いずれ遠くない未来、必ず曹操が勝つ。そして中原を平定した覇王の巨大な軍靴が、間違いなくこの遼東の地へも向けられることは確定的であった。
まともにぶつかれば、圧倒的な物量を持つ曹操軍の前に、燕の軍勢などひとたまりもない。
だからこそ、公孫度はこの未曾有の難民の流入を『最大の好機』と捉え、一つの深遠なる計略を講じたのである。
「……この難民どもを、ただ我々の懐深くに入れて養う必要はない。興城河より東、この境界の荒れ地にそのまま住み着かせよ」
公孫度の口から出た命令に、側近たちは目を丸くした。
「彼らに土地を与え、鍬を持たせ、自らの手で田畑を開墾させろ。そして、この興城河の東岸一帯に、巨大な『城塞都市』を築き上げるのだ」
これこそが、公孫度の描いた冷酷にして完璧な防衛構想であった。
曹操軍から逃げてきた幽州の民衆は、曹操に対する深い恐怖と憎悪を抱いている。彼らに興城河の東の土地を与えれば、彼らは「ようやく手に入れた安住の地」を死に物狂いで守ろうとするだろう。
「これで、労せずして我が国に『第一の砦(防波堤)』が完成する。……曹操の大軍が押し寄せてきても、故郷を守らんとする彼らが壁となり、我々に兵を整えるための莫大な『時間』を稼いでくれるというわけだ」
さらに、興城河の東岸に城を築けば、川という天然の堀と相まって、曹操の軍勢は容易に渡河することができなくなる。
公孫度は、他国の難民を「自国の命を守るための分厚い肉の壁」へと、見事に変換してみせたのである。
さらに公孫度は、この防衛線を『難攻不落』とするための地理的な条件をすでに把握していた。
「興城河の近くに聳える、『
首山は、周囲の平野と興城河の渡河点を見渡すことができる、絶好の監視拠点であった。
ここに昼夜を問わず兵を置き、狼煙の設備を整えれば、対岸の幽州で曹操軍がどのような動きを見せようとも、一挙手一投足を完全に把握することができる。
「首山の眼から逃れて、この興城河を密かに渡ることなど不可能だ。敵の渡河の機を察知し、対岸へ上がる前に矢の雨で川底へ沈めてやればいい」
難民の労働力を利用して築かれる東岸の城塞と、首山の頂から睨みを利かせる監視網。
公孫度の的確な指示により、ただの国境の川であった興城河は、曹操軍の東進を阻む『絶対防衛線』へと猛烈な速度で作り変えられていったのである。
そして、公孫度の手元には、この防衛線を完成させるための最強の政治的切り札が握られていた。
劉虞が自らの指を噛み切り、血で綴った『お墨付き(遺書)』である。
「老虎の遺したこの書状……、中原の軍閥よりも、むしろ『あやつら』にこそ絶大な効果を発揮する」
公孫度が目を付けたのは、幽州の北方に広大な勢力を持つ騎馬民族、『
烏桓の部族長たちは、かつて力で彼らをねじ伏せようとした公孫瓚を激しく憎む一方で、徳と恩恵をもって異民族を包み込んだ劉虞のことは「神のごとく」深く敬愛していた。
公孫度は直ちに、烏桓の王たちの元へ劉虞の遺書の写しを届けさせた。
『偉大なる劉虞様は、この公孫度に幽州の民と東方の統治を託された。我は老虎の遺志を継ぐ者なり』と。
効果は絶大であった。
劉虞が認めた男であるならばと、烏桓の者たちは公孫度に対して友好的な態度を取り始め、不干渉、あるいは有事の際の軍事協力すら匂わせるようになったのである。
これにより、公孫度は背後や側面を異民族に脅かされる憂いを断ち切り、全力を挙げて西の曹操への備えに集中することが可能となった。
だが。難民の防波堤、首山の監視網、烏桓の懐柔。
これらすべての備えを固めた上で、公孫度の胸の奥底にある最大の『打算』は、全く別のところにあった。
(……最も恐るべきは曹操ではない。漢江大橋の向こう側にいる、『南の奴ら』だ)
公孫度は、一人静かに北の海を見据えながら、極東の怪物の姿を脳裏に描いた。
十万の常備軍を抱え、莫大な物資を吐き出す底知れぬ技術国家。
「我々が日本との交易を続ける限り、この興城河以東の地域は、奴らにとっても『重要な経済の通り道』となる。……南の奴らが、自らの利益を生むこの遼東の地が、曹操の軍靴に踏みにじられることを黙って容認するはずがない」
そう。公孫度の真の狙いはこれであった。
彼が興城河の防衛線を必死に構築するのは、曹操軍を完全に撃退するためではない。曹操軍の進軍を『一時的に足止め』するためである。
(曹操の軍勢が川を渡れず手間取っている間に。……間違いなく、南の奴らが自らの権益を守るために、背後から底知れぬ武力をもって介入してくる。我々は、そのための『時間』さえ稼げれば、それで勝利なのだ)
大国同士の争いの最前線に自国を置きながら、その両方の力を利用して生き残る。
西暦二百年。
曹操が中原を制覇しようと猛進するその裏で、遼東の獅子・公孫度は、難民と地理、そして極東の巨大な影すらも自らの盤面に組み込み、誰よりも強かで冷徹な『独立国家の生存戦略』を、盤石のものとして完成させつつあった。
―――
西暦二百年。
彭城での血戦から撤退し、曹操軍の執拗な追撃を振り切りながら南西へと逃れ続けた劉備の流浪軍は、ようやく一時的な安息の地へと辿り着いていた。
ここは曹操の勢力圏の縁にあたり、彼の厳格な法と屯田の支配を嫌った者たちが数多く逃げ込み、割拠している無法地帯に近い場所であった。
「……追手は撒いたか、文遠(張遼)」
「はっ。并州の騎兵が殿を務め、曹操の先鋒部隊を完全に森の奥で足止めいたしました。当分は、大規模な追撃は来ないでしょう」
陣幕の中で、張遼の報告を受けた劉備は、深く安堵の息を吐き出した。
関羽も張飛も、そして軍全体が満身創痍であった。しかし、彼らの目は決して死んではいない。
この汝南の地において、劉備軍は思いがけない『新たな力』を得ていたのである。
「劉備の旦那! 負傷兵の分の水と薬草、うちの若い衆に運ばせやしたぜ!」
「おお、
気安く劉備に声をかけてきた荒くれ者たち。彼らこそ、この汝南に根を張っていた『黄巾軍の残党』であった。
かつて世を乱した賊兵の生き残り。彼らは大義名分を持たず、ただ曹操に怯えながら山賊のような生活を送っていた。しかし、そこに「漢の皇叔」でありながら民のために城を捨て、泥まみれになって戦う劉備という男が現れた。
曹操軍の追手が迫った際、劉備は自らの兵の犠牲を厭わず、彼ら黄巾の残党の集落を身を挺して守ってみせた。
その圧倒的な『仁徳と求心力』は、長年旗頭を持たず、誰からも見捨てられていた残党たちの心を激しく打ち据えた。
「俺たちゃ天下の鼻つまみ者だが、劉備の旦那の背中なら、命を預けてみたくなる」
共通の敵である「曹操軍の追手」との幾度かの共闘(一時的な協力関係)を経て、劉備の正規軍と黄巾の残党たちは、肩を並べて戦い、互いの傷を庇い合う強固な絆を築き上げていた。
巨大な名前(大義)を持たなかった彼らは、劉備という確固たる旗印を受け入れたことで、底知れぬ高い士気を宿す軍団へと生まれ変わろうとしていたのである。
そんなある日。汝南の山間部に敷かれた劉備の陣営に、けたたましい銅鑼の音が鳴り響いた。
「北の平原より、大規模な騎兵の土煙!! 数、およそ一万!! まっすぐこの陣へ向かってきます!!」
物見の兵が、血相を変えて本陣へ駆け込んできた。
「一万の騎兵だと!? 曹操の野郎、もうそんな大軍を追撃に差し向けてきやがったのか!」
張飛が蛇矛を引っ掴んで立ち上がる。
「益徳、落ち着け。陣を固めろ。……綏! 騎兵を率いて両翼に展開し、敵の機動を殺す準備を!」
関羽の冷静な指示の下、呂綏が「応ッ!」と薙刀を翻し、并州騎兵を率いて即座に迎撃の陣形を敷く。
劉備もまた、雌雄一対の剣を抜き放ち、決死の覚悟で本陣の先頭に立った。
やがて、濛々たる砂塵の中から、その「一万の騎兵」の姿がはっきりと見え始めた。
「……あれは」
目を凝らしていた張遼が、怪訝な声を漏らした。
「殿。あれは曹操の騎兵ではありません。馬の毛色が……すべて『白』です」
砂塵を突き破り、劉備たちの眼前に姿を現した一万の騎兵部隊。
それは、黒や茶の馬が入り混じる中原の軍勢とは明らかに異なっていた。先頭から最後尾に至るまで、乗っている馬のすべてが、雪のように真っ白な名馬で統一されている。
中原において、その白い騎兵の群れが意味する勢力は、天下にただ一つしか存在しない。
「……『白馬義従』!? なぜ、公孫瓚殿の精鋭が、こんな南の地に……!」
劉備は、思わず剣を下げ、驚愕に見開かれた目を疑った。
曹操の陣形を大外から大回りで迂回し、幾度もの小競り合いを強行突破して遥々この汝南まで駆け抜けてきた白馬の騎兵たち。彼らは劉備の陣形を前にすると、一切の敵対行動を見せず、ピタリと馬の足を止めた。
そして、部隊を率いていた将が馬から飛び降り、劉備の御前へと進み出て、その場に深く、痛ましいほど重く両膝を突いたのである。
「……劉備様とお見受けいたします。我ら、幽州牧・公孫瓚様が直属、白馬義従の生き残りにございます」
将の顔は泥と血に塗れ、その声は悲痛な嗚咽を押し殺すように震えていた。
「我が主、公孫瓚様は……濮陽(ぼくよう)の平原において、曹操軍の罠に落ち、大敗を喫しました。我が軍の主力は壊滅し、幽州は四分五裂の内乱に陥ったとの報せにございます」
「……何だと!?」
劉備は、雷に打たれたように後ずさった。
あの無敵を誇った義兄の軍勢が、敗れた。北方の巨大な盾が、完全に砕け散ったというのだ。
「馬鹿な……。公孫瓚殿の三万の騎兵が、いかに曹操とはいえ、そう容易くすり潰されるはずが……」
関羽が信じられないという顔で呟く。
「……三万ではありません」
地に伏したままの将が、ギリッと拳を握り締め、血の滲むような声で告げた。
「我が主は……冀州の防衛線で曹操軍の足止めを食らっていた際。彭城で敗れ、南へ落ち延びる劉備様を救うため……ご自身の最強の矛である白馬の精鋭の『半数』を切り離し、密かに我々をこの南の地へと送り出されたのです」
その言葉に、劉備の頭の中で、すべての事象が残酷なまでにピタリと繋がり合った。
なぜ、無敵の公孫瓚が、濮陽の平原で突破力を失い、包囲されて敗れたのか。
なぜ、今自分の目の前に、この一万もの白馬の精鋭が傅いているのか。
(……兄貴分は。公孫瓚殿は……! 己の勝利を捨ててまで、俺にこの騎兵を分け与えてくれたというのか!)
歴史の大きな流れを見れば、劉和を幽閉して大義を失った公孫瓚が、地力に勝る曹操軍に数年後には敗れ去っていた可能性は極めて高い。
いずれは根を上げ、滅びる運命だったかもしれない。
だが、その「いずれ」という時間を決定的に縮め、自らの破滅を早めた直接の理由は。紛れもなく『劉備(弟分)の命を救うため』であった。
「公孫瓚様からの伝言にございます。『玄徳よ。我が半身たるこの白馬を使い、必ずや生き延びろ』と……!」
将の悲痛な報告を聞き終えた瞬間。劉備の目から、堰(せき)を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
「……ああ。あああああっ!!」
劉備は、その場に両膝を突き、汝南の乾いた土を両手で掻き毟りながら、獣のような慟哭の声を上げた。
自分というちっぽけな男を生かすために、北の偉大な猛将が、その無敵の誇りと命をすり減らした。その途方もない『義の重さ』が、劉備の魂を激しく打ち据え、引き裂いた。
「兄者……」
関羽と張飛もまた、言葉を失い、ただ主君の慟哭を噛み締めるように目を伏せた。
新しく味方になった黄巾の残党たちも、劉備の血を吐くような悲しみの姿に打たれ、誰も口を開くことができなかった。
(……俺は。俺は、これほどの犠牲の上に生かされているのか)
劉備は、泥だらけになった顔を上げ、自らの前に平伏する一万の『白馬』を見渡した。
そして、その後ろに広がる、自分を信じてくれた黄巾の残党たち、徐州から付き従ってきた民兵、関羽、張飛、そして并州騎兵の姿を。
「……泣くのは、これで最後だ」
劉備は、雌雄一対の剣を杖にして立ち上がり、その瞳に、かつてないほど強烈で、暗い炎のような『決意』を宿して北の空を睨みつけた。
「曹操。天子様を傀儡にし、北方の絆を毒で腐らせ、義将たちの命を奪い尽くす奸賊め……!!」
劉備の胸の奥底で、かつてないほど巨大な『打倒曹操』と『大漢皇室への義』の炎が、業火となって燃え盛った。
これまでは、民を守るために「仕方なく」刃を交えてきた節があった。だが、もはや退く理由はない。公孫瓚が己の破滅と引き換えに遺してくれたこの一万の白馬の命(おもい)を背負い、曹操の覇道を物理的に叩き潰すことこそが、己に課せられた絶対の運命であると完全に『確信』したのだ。
「全軍、聞けッ!!」
劉備の腹の底から響く怒声が、汝南の山野にビリビリと反響した。
「我らはもはや、ただ逃げ隠れする敗残兵ではない! 北の義将の魂を受け継いだ、曹操を討つための『天下の正剣』である!! この白馬と共に、我らは再び立ち上がる! 必ずや奸賊の首を討ち、漢室の光を取り戻すのだ!!」
「「「おおおおおおおッッ!!」」」
一万の白馬義従、并州騎兵、徐州兵、そして黄巾の残党たち。
出自も目的もバラバラだった彼らが、劉備という「途方もない義と悲しみを背負ったブラックホール」のような求心力によって完全に一つに統合され、大地を揺るがす咆哮を上げた。
汝南の地において、公孫瓚の敗北という悲報を触媒として。劉備の軍勢は、野をさまよう流浪軍から、曹操の覇道を内側から食い破るための『最強にして最凶の義軍』へと、決定的な脱皮を遂げた。