不見
西暦二百年の暮れ。
中原の泥沼の騒乱において、絶え間なく流血を繰り返してきた中華の勢力図に、ある種の「一筋の光」――すなわち、新たなる均衡と安定の兆しが差し込み始めていた。
曹操は濮陽で公孫瓚を破り、北方の憂いを大きく退けた。
一方で、南へ逃れた劉備は白馬義従を吸収して新たな義軍として生まれ変わり、江東では急死した孫策の跡を弟の孫権が継ぎ、周瑜の補佐を得て強固な防衛体制を敷き直した。荊州の劉表は相変わらず沈黙を保っている。
これらの中原の最新情勢が、海を渡って大和国(日本)の大内裏――右大臣・広庭と、和那比売の元へと齎された時。大内裏の首脳陣は、冷徹な戦略地図を前にして、一つの明確な国家方針をさらに強固なものとしていた。
『中華分割の維持』である。
「……曹操が公孫瓚を退けたことで、中原の天秤が大きく曹操へと傾きつつある。だが、このまま奴が単独の覇王として一強の帝国を築き上げることは、我が大和国にとって全く面白くない事態だ」
広庭は、集められた木簡の報告書を指先で弾きながら、極めて合理的な分析を下した。
「とはいえ、曹操の足元が経済的な『余裕』に満ち溢れているかといえば、そうではない。度重なる遠征と大軍の維持で、彼の兵站もまた限界近くまで悲鳴を上げている。天子という絶対の権威を神輿に掲げ、屯田で無理やり食糧を絞り出さねば、あの巨大な軍事機構を維持することは困難なのだ」
「ええ。だからこそ、劉備や孫権といった『曹操への対抗馬』が生き残ったことは、我々にとって都合が良いのです」
和那比売が静かに頷く。
曹操が強大化しすぎれば、その矛先はいずれ海を越えて極東へ向かう。しかし、曹操が国内の反乱軍や対抗勢力との果てしない
『あるいは多数の均衡状態』に陥ってくれれば、大和国は戦火に巻き込まれることなく、大陸の需要を満たす巨大な交易国として富を吸い上げ続けることができる。
「下手にこちらから手を出して、曹操を刺激する必要はない。劉備や孫家が上手く曹操の足を引っ張り続けるよう、影から物資の流通のみで盤面を調整し、『暫し、注視する』構えを取ろう」
広庭のその決定により、大和国は直接的な軍事介入を避け、大陸の群雄たちが互いに血を流して疲弊し合う「分割状態」を、ただ静かに高みから見下ろす道を選んだのである。
大内裏が冷酷な地政学的計算を行っているその裏で。
大和国の国内では、この十六年間で積み上げられてきた「もう一つの巨大な成果」が、確かな形となって芽吹き始めていた。
それは、黄巾の乱や董卓の暴政から逃れ、海を渡って大和国へとやってきた『難民たちの第二世代』の台頭である。
「――はい! ここの水路の勾配は、三寸の落差をつけることで、泥の堆積を防ぐ算段にございます!」
ある地方の農地開拓の現場。
役人の問いかけに対し、日焼けした十代半ばの若者が、ハキハキとした『流暢な
彼の顔立ちには中原の民の面影が色濃く残っているが、その振る舞いと言葉の端々には、大陸の気配は微塵も感じられない。
彼ら第二世代は、親に抱かれてこの国へ来たか、あるいはこちらの土を踏んでから産まれた者たちである。
幼い頃から日本国が国費で設けた『
さらに学舎では、和那比売が定めた『大日本国律令』の精神――道理を重んじ、和を以て貴しと為す、日本的な道徳(エートス)――を徹底的に教え込まれていた。
「……天の理を畏れ、八百万の神々に感謝を捧げよ。さすれば、この豊かな大地は必ず我ら大御宝に恵みをもたらすだろう」
彼らは、中原の思想(儒教の過度な縛りや、大陸特有の血族主義)に染まることなく、村の鎮守の森で柏手を打ち、日本国の神を信じて祈る。
親の母国語(中原の言葉)は、家の中でたまに聞く程度で、もはや彼ら自身はほとんど話すことができなくなっていた。
彼らは「難民の子」ではない。
大和の土で育ち、大和の法を信じ、大和のために自らの知恵と労働力を捧げる、『真なる大御宝(おおみたから)』へと完全に同化(アップデート)を果たしていたのである。
その若者たちの働きぶりを、少し離れた畦道から目を細めて見守っている者たちがいた。
若者たちの親――かつて、戦火と飢餓地獄の中原から這い出すようにして海を渡ってきた『第一世代』の難民たちである。
「……あの子、もう俺たちの国の言葉は、ほとんど忘れちまったな」
父親の一人が、少しだけ寂しそうな、掠れた声で呟いた。
「故郷の言葉も、先祖を祀る大陸の作法も、この子らの代で途絶えちまう。俺たちの『根っこ』は、この島国にすっかり飲み込まれちまったってわけだ」
その言葉には、確かに「望郷の念」と、自らの文化が失われていくことへの一抹の哀愁が漂っていた。
だが、隣でその愚痴を聞いていた別の男は、大きく笑って父親の肩を叩いた。
「何を寂しがることがある。……見ろよ、あの腹の底から出る、あいつらの明るい笑い声を。あんな顔、俺たちの故郷のガキどもが、一度でもできたことがあったか?」
男の指差す先では、労働を終えた第二世代の若者たちが、国から支給された白く清潔な米の握り飯を、泥だらけの手で美味そうに頬張っていた。
その光景を見た瞬間。第一世代の親たちの胸の内に去来したのは、寂しさを何万倍も上回る、圧倒的で絶対的な『満足と感謝』であった。
「……ああ、違えねえ。俺たちが命からがら逃げ出したあの国じゃ、毎日誰かが兵隊に殺され、飢えて、泥水をすすって死んでいった。だが、この
男たちは、自分たちが着ている丈夫で温かい衣の感触を確かめ、振り返って村に立ち並ぶ、雨風を完全に凌げる頑丈な家屋を見つめた。
倉庫には冬を越すための備蓄米と『蘇(そ)』が山のように積まれ、病に倒れれば公儀の医官が薬を持って駆けつけてくれる。
――人は、衣食住が足りた時、幸福というものを最大に感じる生き物である。
故郷の言葉が失われようとも、血脈の誇りが薄れようとも。
「我が子が、飢えることなく、怯えることなく、今日を腹いっぱいに生きて、明日の希望を語ることができる」。
その事実の前には、過去の感傷など取るに足らない小さな埃に過ぎなかった。
「……ありがてえ。本当に、ありがてえことだ」
「俺たちゃ、もう中原の人間じゃねえ。この豊かな土を耕す、大和の民だ。……あいつらのためにも、明日も精一杯、この国の土を掘り返してやろうじゃねえか」
第一世代の親たちは、深いしわの刻まれた顔に心からの安らかな笑みを浮かべ、満ち足りた思いで夕陽に染まる村へと歩き出した。
―――
同じ頃。
日本の内陸部、『甲府盆地』においては、武力ではなく『病』という見えざる敵との、静かで過酷な死闘が繰り広げられていた。
周囲を峻険な山々に囲まれた甲府盆地は、数多の川が流れ込む非常に肥沃な泥濘地であった。
今からおよそ十代前(約二百年前)の大王の時代、朝廷はこの地の大規模な治水と開拓を進め、見渡す限りの広大な水田地帯を創り出した。計画ははじめ、完璧な順調さを見せていた。豊かな水と土は、国庫を潤す莫大な米をもたらしたのである。
しかし。
前王の十年間におよぶ統治期間のうち、実に六割もの年において、この甲府の地から朝廷へと『ある恐るべき報告』が上がり続けていた。
――『
手足は枯れ枝のように痩せ細り、その一方で腹だけが異常に膨れ上がり、やがて黄色い汗を流して死に至るという、原因不明の恐ろしい奇病である。
「水神の祟りだ」「泥の中に棲む悪霊の仕業だ」と、長きにわたり迷信や呪術の対象とされてきた。だが、律令を敷いた現在の日本国において、病を神仏のせいにして
大内裏は、この奇病を「物理的な肉体の損壊」であると断定し、ただちに優秀な公儀の医務官と地方官吏を甲府盆地へと派遣し、国を挙げての対処と原因究明にあたらせていたのである。
西暦二百年を迎えてもなお、奇病の猛威は甲府の農民たちを苦しめ続けていた。
医務官たちは、過去の記録を洗い出し、さらに全国から上がる類似の症例(九州の筑後川流域など)との照合を行っていた。
この原因究明の打開策として、大内裏がある一人の男を甲府盆地へ特例として派遣した。
かつて中原の漢王朝において、宮廷の医療機関である『
黄河流域の村落の出身である彼は、戦乱の中原を逃れて日本へと渡り、その卓越した医学の知識を買われて公儀の医務官として重用されていた。
「……日本の医官殿。これが、この盆地における『奇病の発生図』ですか」
「いかにも、薛景殿。官吏と共に、何年もかけて村々を歩き、患者が出た家を一つ残らず記録したものです」
日本の医務官から地図を受け取った薛景は、息を呑んだ。
そこには、甲府盆地の水系と、患者の発生した地点が詳細な点で打たれていた。大和国の「数字と記録」に対する狂気的なまでの執着が作り上げた、当時としてはあり得ないほど精密な疫学の分布図であった。
「この病は……、人から人へとうつる『疫病』の広がり方ではありません。特定の川、特定の水路の周辺にのみ、まるで線を描くように患者が集中している……」
「ええ。我々もそう推測しています。ゆえに、外の知識を持つ貴方に、この謎を共に解き明かしていただきたいのです」
薛景と日本の医官たちは、現地の地方官吏の案内のもと、連日のように泥だらけになって患者の家を回り、共通項を洗い出し始めた。
彼らは、患者たちの生活、口にしている水、食べている物、そして『肉体の表面』を徹底的に調べ上げた。
当時の世界において、病とは「悪い気(瘴気)を吸い込むこと」か「悪い物を食べること」で起こるというのが、洋の東西を問わず絶対の常識であった。
しかし、薛景たちは患者の身体を検分し、ある奇妙な事実に突き当たった。
「……まただ。この患者の脚にも、無数の赤黒い発疹の痕がある」
どの患者も、病が重くなる数年前、きまって脚に酷い痒(かゆ)みを伴う発疹を出していたのである。
そして、病に伏せる人々の生活には、残酷なまでに明確な『共通点』が存在した。
「患者の全員が、特定の水系の水田で、膝まで泥水に浸かって仕事をしている者たちです。逆に、同じ村に住んでいても、水田に入らない女や、機織りをする者には、この病は一切発症していません」
日本の官吏が、帳簿をめくりながら冷徹な事実を告げる。
決定打となったのは、ある古老の農民がこぼした何気ない一言であった。
『ああ、あの赤い発疹かい。あれは俺たちの間じゃ「水被れ(みずかぶれ)」って呼んでるんだ。あの川から引いた水田に素足で入ると、決まって脚がピリピリして被れるのさ。水が悪いんだべな』
泥水に触れると、脚が被れる。そしてその数年後、腹が膨れ上がって死ぬ。
この三つの事実が線で繋がった瞬間であった。
「……まさ、か」
甲府の庁舎で記録をまとめていた薛景の背筋に、氷のような悪寒が走った。
太医署で学んだ中原の医学書にも、こんな症例は載っていない。彼は震える手で、日本の医官たちに向かって自らの導き出した恐るべき仮説を口にした。
「……毒を飲んだわけではない。瘴気を吸ったわけでもない。彼らは『水に素足で入っただけ』で病にかかっているのです」
「薛景殿、それは……どういうことだ?」
「……『何者か』が。水の中に潜む、目に見えないほど極小の『何か』が……、泥水の中から、直接皮膚を食い破って、人の身体の中へ侵入しているということです」
その場にいた全員が、絶句した。
まだ寄生虫学も細菌学も存在しない、西暦二百年である。
「水中の見えない虫が、皮膚を突き破って体内に入り込み、内臓を破壊する」などという考えは、当時の世界の医学の常識からすれば、荒唐無稽な狂人の妄言に他ならなかった。
だが。
大和の医官と官吏たちは、薛景の言葉を笑わなかった。
「……必要十分な条件は、完全に揃っている」
日本の筆頭医官が、顔面を蒼白にしながら呟いた。
「特定の泥水に触れた脚に発疹ができ、その者だけが数年後に死ぬ。……物理的な理として、それ以外に原因は考えられん」
彼らは、目に見えない未踏の真理(日本住血吸虫という寄生虫の存在)の輪郭に、経験論と統計学だけを武器にして、世界で初めてその指先を触れさせたのである。
「……戦慄すべき事実です。我々は、刃を持った敵でもなく、毒でもない『見えざる魔』と戦っていたというのか」
この日から、甲府盆地における方針は一変した。
「原因不明の呪い」は「泥水からの物理的な侵入」へと明確に定義されたのである。
『水田に入る際は、決して素肌を晒さず、脚に油や厚い布を巻いて防護せよ』
『被れが起きる特定の水路には、絶対に立ち入るな』
この驚るべき疫学調査の結果と、前代未聞の「見えざる魔(経皮感染)」の仮説は、大急ぎで早馬に乗せられ、日本国の心臓部である大内裏へと、最高機密の報告書として届けられることとなる。
―――
西暦二百一年。
幽州・冀州の動乱を力でねじ伏せ、北方の覇権を確固たるものにしつつあった曹操の勢力圏は、ついに東の果て、『黄海』の沿岸部へとその到達を果たしていた。
大陸の土と血に塗(まみ)れてきた曹操の軍旗が、潮風にはためく。
その広大な海の向こうに、十万の常備軍と底知れぬ富を抱える怪物・大和国(日本)が鎮座していることを、曹操は痛いほどに理解していた。
「……南の劉備、江東の孫家。未だ中原の火種は尽きぬが、背後の海を放置するわけにはいかん。極東の島国と、表立っての『交易』を開始する」
曹操の決断は、彼らしい極めて現実的なものであった。
これまで、大和国から中原への物資の流入は、主に『辰砂売り』と呼ばれる正体不明の商人たちによる裏の密輸航路や、公孫度の領地を経由した間接的なものに限定されていた。
曹操は、この不気味な裏の繋がりを排し、自らの監視の目が行き届く『正式な海路としての交易ルート』を国交として開くことを選んだのである。
未知の脅威とは、目を逸らすのではなく、真正面から組み付いてその構造を暴き、利用し尽くす。それが覇王・曹操の貪欲なる統治術であった。
一方、この曹操からの「正式な交易の打診」を海を越えて受け取った大和国の大内裏(広庭と和那比売)もまた、獰猛な笑みを浮かべてこれを歓迎した。
『中華分割の維持』――。
大陸の勢力を争わせ、一つの巨大帝国を創らせないという大方針を掲げる日本にとって、曹操が経済的な余裕を求めて交易を求めてきたことは、まさに計算通りの展開であった。
「裏の航路はそのまま温存しつつ、表の航路も大いに活用させてもらおう。……正式な国交という『合法的な名目』があれば、我々の商船や使節団が、堂々と曹操の港へ入り、内情を視察できるからな」
広庭の算段は冷徹を極めていた。
表の交易が始まれば、どれだけの船が着岸し、どれほどの兵が警備に当たっているか、曹操の軍隊の装備や士気、港の物価変動まで、あらゆる『情報』を合法的に吸収することができる。
しかし、曹操もまた、日本が単なる人の良い商人ではないことを百も承知である。
「日本の商船は受け入れる。だが、奴らが牙を剥いた時、中原に上陸させることは絶対に許さん」
曹操は、沿岸部に強固な水軍の砦を築き、絶えず弓弩隊を配備して、日本に対する異常なまでの『警戒と防衛』に多大な労力を注ぎ込んでいた。
互いに莫大な利益を享受しながらも、その実態は、いつ喉首を掻き切るか分からない薄氷の上の握手であった。
この曹操と日本のヒリつくような睨み合いの間に、最も老獪で政治的な『毒』を流し込んだ男がいる。
東の辺境・燕を治める、公孫度である。
曹操が黄海沿岸の防衛に力を入れていると知った公孫度は、驚くべき行動に出た。
かつて自らが中原への牽制のために、海に突き出た要衝『山島半島』(現在の山東半島周辺の沿岸防衛拠点)に秘密裏に築き上げていた強固な防衛施設を、そっくりそのまま曹操へと「献上」したのである。
『我が燕は、大漢の天子様に忠誠を誓うもの。丞相・曹操殿が東の海の防衛に腐心しておられると聞き、微力ながら我らが築いた山島半島の砦を譲渡いたします。どうか、東方の島国からの寄港地、および監視の要としてお使いくだされ』
あまりにも見事な、そして完璧な『建前』であった。
天子を擁する曹操にとって、天子への忠誠を名目にして防衛施設を献上してきた公孫度を、表立って討伐する「口実」はこれで完全に消滅した。
だが、曹操はこの手紙を受け取り、忌々しげに舌打ちをした。
(……公孫度め、見え透いた真似を。自国の金で日本の船を監視するリスクを避け、日本との外交的・軍事的な『最前線の摩擦(矢面)』を、すべて我が曹操軍に丸投げしおったな!)
公孫度の狙いはただ一つ。「日本と曹操の間に自らが挟まれること」を回避し、両者が直接向き合う形を強引に作り出すことで、燕という国の安全保障を完全に確保することであった。
西暦二百一年から二百二年にかけて。
山島半島の港を正式な舞台として、曹操軍、大和国、そして立会人としての燕(公孫度)の間で、歴史的な三者間の外交協定が結ばれた。
これが後に『
1,大和国の商船が寄港できる公式な港を、山島半島の特定施設のみに限定する。
1, 曹操軍は、この港における大和国の商人の身の安全と交易の自由を保証する。
1, 大和国は、中原の領土的野心を抱かず、曹操の防衛施設への軍事的な干渉を行わない。
1, 燕(公孫度)は、海路の安全を共に監視する立会人となる。
中原の群雄たちから見れば、曹操が極東の怪物を山島半島の一角に封じ込め、見事に沿岸防衛を成功させたように見えた。
だが、大内裏の広庭たちは、この起請文の書状に玉印を捺(お)しながら、冷たい嘲笑を浮かべていた。
「……曹操よ。お前は防衛施設を手に入れ、我々を封じ込めたつもりだろうが。この大和国が、おとなしく指定された港で商売だけをしていると思うか?」
広庭の脳内では、すでに数年、数十年先の『逆用』の算段が組まれていた。
山島半島の港が公式な寄港地となったことで、日本の船団は堂々とその港の「潮の流れ」「水深」「曹操水軍の船の構造」「弩の射程」を測量することができる。
曹操が防衛のために築いたその強固な砦は、大和国の圧倒的な技術力と情報収集力によって内部から解析され、いざ有事の際には、日本軍が中原へ上陸するための『最も安全で、すでに構造を知り尽くした最高の橋頭堡(玄関口)』へと裏返される運命にあった。
「今は曹操に花を持たせ、我々は実益(情報と金)を吸い上げる。……時間をかけて、あの砦を中原を食い破るための『内なる牙』に変えてやろう」
黄海の波が打ち寄せる山島半島の港にて、表向きは和やかな交易の宴が開かれるその足元で。
曹操の覇道、公孫度の生存戦略、そして大和国の冷徹なハッキング思想が静かに絡み合い、火花を散らす『見えない戦争』が、確かな産声を上げていたのである。
西暦二百二年の春。
黄海に面した山島半島にて、曹操と日本国、そして燕の公孫度の間で結ばれた『山島起請文』の噂は、瞬く間に細作たちの手によって中原を南下し、反曹操の旗を掲げる英傑たちの耳へと届けられた。
当然ながら、この条約の文面には、曹操自身の名だけでなく『大漢帝国皇帝・献帝』の御名と玉璽が、これ見よがしに捺されていた。
「……おのれ、曹操め! 己の沿岸防衛と交易の利を独占するために、またしても天子様の御名を私物化したか!」
荊州の地で、白馬義従という最強の矛を得て軍の再編を進めていた劉備は、その報せを聞いて机を激しく叩き割った。
劉備にとって、海の向こうの異国がどれほど強大であろうと、それは二の次である。最も許せないのは、曹操が「皇帝の勅命」という絶対の権威を振りかざし、異国との莫大な利益(武器や鉄)を独占しようとしているその『奸賊たる振る舞い』であった。
「兄者、このままでは曹操の奴、異国の鉄と武器でさらに軍を肥え太らせちまうぞ!」
張飛が焦燥を露わにする。
「……ああ。だが、天子様が曹操の手にある以上、表立って異国を責めることはできん。我々が為すべきは、一刻も早くあの奸賊を討ち果たし、漢室の正統を取り戻すことだ」
劉備の胸の内で、曹操への尽きることのない怒りと、己の義への確信がさらにどす黒く、熱く滾り上がっていた。
一方、長江の南。江東を治める若き主・孫権の陣営の反応は、劉備のような義憤ではなく、極めて冷徹な『生存の危機感』であった。
「……不ずい。曹操が極東の化物(大和国)と表立って手を結んだとなれば、我々にとって最悪の事態だ。大和の強弩(きょうど)が十万の曹操軍に配備されれば、いかに長江の防衛線といえども保ちこたえられんぞ」
軍師・周瑜が、美しい顔に深い影を落として呟く。
孫権もまた、兄・孫策を謎の奇病で失ったばかりであり、国の屋台骨を必死に支えている最中であった。曹操と大和国の結びつきは、江東の命運を左右しかねない決定的な脅威として、彼らの心に重くのしかかったのである。
だが、中原の群雄たちが「曹操が大和国を独占した」と恐れおののいていたまさにその頃。
大和国の大内裏(広庭たち)は、中原の常識や「天子の顔」などという政治的体裁を、鼻で笑って完全に無視する行動に出ていた。
長江の河口よりやや南。江東(孫家)の勢力圏の端に位置する、『
ここは、曹操の監視網が物理的に絶対に届かない場所でありながら、海に開け、それなりの規模の市街地と水深の深い良港を持つ、極めて戦略的価値の高い港町であった。
「――海より、巨大な船影!! 曹操の軍船ではありません、あれは……噂に聞く、極東の異国船です!!」
銭唐の港を見張っていた孫家の守備隊が、半狂乱になって銅鑼を打ち鳴らした。
朝霧を引き裂いて湾内へと滑り込んできたのは、中原の楼船とは根本的に構造が異なる、巨大な帆と分厚い竜骨を持つ大和国の外洋船であった。
「ば、馬鹿な! 奴らは曹操と起請文を結び、山島半島の港を寄港地としたはずでは……!」
孫家の役人たちが混乱する中、大和の船は悠然と錨を下ろし、武装した護衛兵に守られながら、数人の日本の使節団が堂々と銭唐の土を踏んだのである。
そう。日本国からすれば、曹操の起請文に「漢の皇帝の玉璽」が捺してあろうがなかろうが、知ったことではない。彼らにとって皇帝とはただの「北方の地方領主が担いでいる看板」に過ぎなかった。
曹操を特別に贔屓(ひいき)する理由など一つもなく、山島半島の条約はあくまで「黄海沿岸のビジネス」に過ぎない。江東の港で商売をするなら、江東の支配者(孫権)と同じ条約を結べばいいという、極めてドライで冷酷な『二枚舌(全方位外交)』であった。
日本国の使節団が銭唐に上陸したという急報を受け、
銭唐の庁舎。
武装した孫家の兵たちが周囲を隙間なく取り囲む中、周瑜は冷気を帯びた眼差しで、卓の向かいに座る大和の使節(文官)を睨み据えた。
「……遠路はるばるのご到着、歓迎いたそう。だが、一つ聞かねばならん」
周瑜の鋭い声が響く。
「貴国は先日、山島半島にて曹操と条約を結ばれたはずだ。それも、我が大漢帝国の『天子様』の御名において、だ。……天子の勅命に従うのであれば、曹操と敵対している我々江東の港へ、いかなる理由で足を踏み入れたのか? これは明らかなる背信行為ではないか」
周瑜の問いは、中原の論理においては完璧な正論であった。天子と結んだのなら、天子の敵と通じることは許されない。
しかし。
大和の使節は、微塵も動揺することなく、まるで子供に道理を教えるかのような平坦な声で答えた。
「……少し、誤解があるようですな。江東の将殿」
使節は、懐から一枚の木簡を取り出し、卓の上に置いた。
「我々大日本国が山島で結んだのは、あくまで『あの地の港を管理している実力者』との、局地的な港湾利用と不可侵の取り決めに過ぎません。あちらの起請文に、貴国の言う天子様の判が捺してあろうが、我々にとっては『曹操殿が用意した保証人』程度の意味しか持ち合わせておりません」
「なっ……天子様を、ただの保証人だと!?」
周囲の孫家の武将たちが、あまりの不敬に剣の柄に手をかける。だが、周瑜は片手を上げてそれを制止した。
「我々大和の民は、大和の神々と律令のみに縛られます。漢の天子様は貴方々の王であって、我々の王ではない。……ゆえに、我々は曹操殿を特別に贔屓することはしません。ここ銭唐の港を利用するにあたっては、この地を実効支配している孫権殿と、曹操殿と『全く同じ条件』の起請文を結びたい。我々の望みは、ただそれだけです」
周瑜は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
(……恐ろしい国だ。中原の権威も、大義名分も、奴らには一切通用しない。ただ純粋な『実利と力』の計算だけで動いている)
「……我が主(孫権)と、曹操と同じ条約を結ぶと? 具体的には何を望む」
周瑜が警戒心を露わにして問う。
使節は、極めて簡潔に、しかし絶対に譲れない強固な意志を込めて告げた。
「我が国の望みは一つ。『無害通航』の権利です」
「無害通航……?」
周瑜をはじめ、孫家の者たちにとって、それは初めて耳にする異質な概念であった。
「いかにも。我が国の商船が、長江や黄河といった貴国らの内海・大河を通航する際、我々から武力攻撃や略奪を行わない限りにおいて、貴国らもまた、我が国の船を停船させたり、臨検したり、攻撃したりしないことを完全に保証していただきたい」
使節の目は、一切の感情を排した冷酷なガラス玉のようであった。
「我々は、中原の領土を1寸たりとも奪う気はありません。あなた方が曹操殿と戦おうが、劉備殿と組もうが、我々には関わりのないことです。我々はただ、『水の上』を自由に移動し、商いをする権利さえ確保できれば、それで良いのです。その代わり、この銭唐の地には、莫大な鉄と、東方の富を落としましょう」
『無害通航』
近代国際法において初めて確立されるこの高度な海洋法の概念を、西暦二百年の段階で大和国は平然と中原の群雄に突きつけていた。
それは、一見すると「平和的で公平な申し出」に聞こえる。
しかし、水軍の指揮を執る天才・周瑜には、その言葉の裏に隠された『大和国の途方もない傲慢さと恐怖』がハッキリと読み取れていた。
(馬鹿な……。長江は、我々江東の『喉首(急所)』だ。そこを、武装した巨大な異国船が『無害だから手出しするな』と自由に遡上してくることを認めろというのか!? もし彼らが長江の真ん中で牙を剥けば、我が国は真っ二つに引き裂かれる!)
だが、断れるのか?
もしここでこの要求を跳ね除ければ、大和国は銭唐から去り、すべての利益と武器を「曹操ただ一人」に独占させることになる。そうなれば、数年と経たずに孫家は曹操の物量にすり潰されるだろう。
大和国は、中原の群雄たちが「互いに争っている(分割されている)」という弱みを完全に人質に取り、「我々を受け入れなければ、敵を利することになるぞ」という究極の二択を、圧倒的な暴力(十万の常備軍)を背景にして突きつけてきているのである。
「……お主らの言う『無害』とは、誰が証明するのだ?」
周瑜が、ギリッと奥歯を噛み締めながら絞り出すように問うた。
「我々、大日本国自身が証明いたします」
使節は、薄く、酷薄な笑みを浮かべた。
「我が国の律令が、それを保証しておりますゆえ。……さあ、周瑜殿。我が国との商いを始めましょう。曹操殿に遅れを取る前に」
皇帝の権威すら踏み躙(にじ)り、ただ長江と黄河という「大陸の血液」を物理的に支配しようとする極東の島国。
東の海で周瑜(が日本の『無害通航』の要求に胃を焼かれ、北で曹操が山島半島で冷徹な腹の探り合いをしていたまさにその頃。
中原の騒乱から最も遠く切り離された、大陸の深奥。
急流と険しい山々に守られた天然の要害にして、沃野千里と謳われる『益州』の心臓部、成都へと続く河川を、一隻の奇妙な船が遡上していた。
当初、その船はただの異国の商船(辰砂売りの一派)だと思われていた。
しかし、関所を抜け、成都の城壁がいよいよ視界に入らんとする江の真ん中で。その船は突如として商船としての偽装を解き、船の最も高い帆柱にするすると一枚の旗を掲げたのである。
それは、中原の軍閥が用いるような漢字の書かれた軍旗ではない。
『白地に、真紅の円』。
極東の日本国が、国家の威信を懸けて掲げる絶対の標章であった。
「――何者だ!? 止まれ、ここを何処と心得る!」
「我ら、海を越えし大日本国の使節なり! 益州を統べる劉璋殿への公式な面談を願い出る!」
甲板に立つ大和の使節は、堂々たる大音声で名乗りを上げた。
東の海を支配する極東の怪物が、ついに大陸の最も奥深く、手付かずの楽園であった益州・成都にまでその直接的な『手』を伸ばしてきた瞬間であった。
「極東の島国からの使者だと? なぜ、そのような蛮族がこの深奥の成都まで!」
「長江の下流には孫家がおり、荊州には劉表がいるはず。それらをすべてすり抜けて、ただ一隻でここまで遡上してきたというのか……!?」
成都の宮廷は、突如として現れた異国の使者の報に大いに揺れていた。
益州牧である
「殿。会う必要などございません。我ら益州は、中原の戦乱から切り離された安寧の地。わざわざ得体の知れない異国の者と関わりを持ち、余計な火種を抱え込むのは下策にございます」
「左様。適当な理由をつけて追い返し、二度と益州の土を踏ませぬよう長江の警備を固めるべきです」
古参の臣たちが口々に「排斥」を具申する中、玉座に座る劉璋は、人の良い、しかし少しばかり困惑したような顔で黙り込んでいた。
彼は決して戦を好む性格ではなく、良く言えば温厚、悪く言えば優柔不断な気質を持っていた。周囲の冷ややかな空気に押され、彼が「では、追い返そうか」と口を開きかけた、その時である。
「――お待ちください、殿。この使節、絶対に追い返してはなりませぬ。直ちに最上級の礼を以て、御前へと迎え入れるべきです」
冷ややかな宮廷の空気を切り裂いて、一人の文官が進み出た。
彼の名は、班竣
曹操の元で完璧な兵站を敷き、中原にその名を轟かせる天才軍師・班稀の、実の弟であった。
班竣は、益州の宮廷において決して目立つような武勇や、華やかな弁舌を持つ男ではない。
しかし、彼は兄・班稀と同じく、数字と兵站、そして『理』を重んじる極めて有能な実務家であった。最も緻密な算段をつけ、正確に政務を遂行する彼の手腕は、内政において益州を大いに支えていた。
周囲の重臣たちが「若造が何を言うか」と冷ややかな、あるいは侮蔑の目を向ける中、班竣は微動だにしなかった。
彼の脳裏には、兄・班稀が遺していった、恐るべき『極東の怪物に関する遺稿』の存在がハッキリと焼き付いていたからだ。
(……兄上の遺稿の通りだ。日本は、中原の覇権争いには直接加わらず、ただ『物流と技術』で大陸を内側から支配しようとしている。北の曹操、東の孫権に接触した奴らが、この西の益州を放っておくはずがないのだ)
もしここで日本の使節を無下に追い返せばどうなるか。
大和国は、益州を「対話不可能な敵対勢力」と見なし、その無尽蔵の富と武器を、益州を狙う外敵(例えば曹操や、南下の機を窺う劉備など)へと徹底的に投資するだろう。
大和の経済圏から弾き出されることは、この乱世において『確実な死』を意味する。班竣の冷徹な計算回路は、瞬時にその破滅の未来を弾き出していた。
「班竣よ……」
劉璋は、周囲の反対の声を手で制し、静かに彼を見つめた。
「皆は会うなと言っている。だが、お前は会えと言うのだな。その理由はなんだ?」
劉璋の問いに、班竣は深く一礼してから、朗々と響く声で答えた。
「殿。あの極東の国は、武力で土地を奪う野蛮な国ではありません。彼らが重んじるのは『商いと理』です。……武に頼らず、法と民の安寧を第一とする我ら益州の治世と、彼らの思惑は、実は最も相性が良いのです」
班竣が劉璋に向ける視線には、揺るぎない『信頼と敬意』が宿っていた。
中原の歴史家や、野心に溢れる武将たちは、劉璋のことを「暗愚」だと笑うかもしれない。
しかし、班竣は誰よりも近くで、劉璋の治世の『本質』を見ていた。
前年の西暦二百一年。益州の内部で不満分子であった
班竣は、緻密な兵站計算と補給線の維持によって劉璋軍を支え、反乱の鎮圧に多大な貢献を果たした。その戦乱の最中においても、劉璋は常に「民の被害を最小限に抑えよ」と命じ、略奪を一切許さなかったのである。
野心家の兄・班稀が「覇王(曹操)」を選んだのに対し。
弟である班竣は、この乱世において稀有な、心優しき「守りの君主」の元でこそ、自らの算段の才を活かしたいと心から願っていた。
「殿。外の連中は、殿のことを戦を知らぬ凡庸な男だと笑うかもしれません。……しかし、私はこう評価しております」
班竣は、玉座の劉璋を真っ直ぐに見据え、宮廷の全員に聞こえるように告げた。
「『暗愚ではなく慎重であり、臆病ではなく繊細である。民は君子を愛し、これ即ち
その言葉に、冷ややかだった宮廷の空気がピタリと止まった。
「戦で人の命をすり潰すことしかできぬ覇王など、私は評価しません。民を飢えさせず、この益州の豊かな土を守り抜いてこられた殿こそが、真の君子にございます。
……だからこそ、武ではなく『理と商い』で繋がろうとする大和の使節と、殿ご自身の言葉で対話をしていただきたいのです。それが、この益州を百年先まで守り抜く、最大の算段にございます」
班竣の、熱を帯びながらも論理的な進言。
それは、劉璋の心の一番深い部分に、静かに、しかし力強く響いた。
「……暗愚ではなく慎重。臆病ではなく繊細、か」
劉璋は、自嘲するように少しだけ微笑んだ後、すっと表情を引き締め、玉座から立ち上がった。
「よい。班竣の申す通りにせよ。大和国の使者を、最高の礼を以てこの成都の宮廷へと通せ。……私が、彼らの『理』とやらを直接聞いて判断しよう」
「ははっ!!」
班竣が深く平伏する。もはや、周囲の重臣たちから反対の声が上がることはなかった。前年の反乱において、劉璋を支え抜き、一切の算段を狂わせなかった班竣の実績を、誰もが認めざるを得なかったからである。
かくして。
日本の使節は、一切の抵抗を受けることなく、益州の最深部・成都の宮廷へと堂々と迎え入れられることとなった。
北の山島、東の銭唐、そして西の成都。
大内裏が放った外交の楔は、ついに中華の巨大な盤面の「最奥」にまで到達した。
中原の者たちが互いに牽制し合っている間に、日本国は着々と、そして合法的に、大陸全土を巨大な経済と物流のクモの巣で包み込もうとしていた。