四國志   作:丸亀導師

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日本

 

西暦一八五年。

 

中原を揺るがした黄巾の乱は、張角の死とともに表面上の鎮火を見せていた。しかし、漢の屋台骨はもはや修復不可能なほどに腐り果て、各地に割拠する軍閥たちが静かに牙を研ぐ「偽りの平穏」の中にあった。

 

その洛陽の宮城において、一つの勅命が下された。

 

「東夷の島国、日本国(わこく)に対し、漢より正式なる使節を派遣せよ」

 

前年、大和の使者がもたらした「日出処の天子」という国書と、金印の拒絶。それは、中華の威信を根底から揺るがす屈辱であった。本来ならば直ちに大軍を発して討ち滅ぼすべきところだが、今の漢には海を渡る力など微塵もない。

そこで朝廷の廷臣たちは、己の無力から目を背けるように、一つの「建前」を作り上げた。

 

「東の(えびす)どもは、中華の真の広大さと豊かさを知らぬゆえに、あのような狂悖(きょうはい)な振る舞いに及んだのだ。ならば、漢の威光と莫大な財宝を見せつけ、皇帝の広大無辺なる徳をもって、彼らを正しき属国の道へと教え諭してやろう」

 

それは、恐怖を虚栄で覆い隠すための、自己欺瞞に満ちた使節派遣であった。

彼らは何十隻もの船に、見事な絹織物、金銀細工、そして中華の歴史を記した数多の書物を積み込み、大仰な威儀を整え始めた。使節の正使には、家柄ばかりが立派で、実戦の血の匂いなど嗅いだこともない高位の文官が選ばれた。

 

彼らは信じて疑わなかった。これほどの財宝と威容を見せつければ、いかなる蛮族も己の無知を恥じ入り、再び漢の足元にひれ伏すであろうと。

 

その愚行を、冷ややかな目で見つめる男がいた。

洛陽から遠く離れた済南国(さいなんこく)で太守の座に就き、乱れた法と軍律を鉄の意志で立て直していた曹操孟徳である。

 

「……洛陽の廷臣どもは、眼が見えぬどころか、脳の髄まで腐り果てたか」

 

洛陽からの報せを聞いた曹操は、手元の竹簡を乱暴に卓へと放り投げた。

彼の懐には、父の屋敷から持ち帰ったあの「硬玉」の勾玉が、今も冷たい輝きを放ちながら忍ばされている。

 

大和国(やまとのくに)

あの石に無数の(あな)を穿ち、一切の感情を排した黒と白の軍船を操る国。彼らが、絹や金銀ごときでひれ伏すはずがない。むしろ、使節が持ち込む中華の財や書物は、彼らの「算術」の前にすべて計算通りに吸い上げられ、利用されるだけであろう。

 

「正使が何を見ようと、どうせ洛陽には『東夷は漢の威光に恐れ入った』と耳触りの良い嘘の報告しか上がらぬ。そんな紙屑に等しい報告など、何の役にも立たぬ」

 

曹操は、静かに立ち上がり、筆をとった。

彼が真に欲しているのは、漢の面子などではない。大和国がいかほどの鉄を産出し、どれほどの兵を養い、その統治の「理」がいかなる仕組みで動いているのかという、冷徹な事実だけであった。

 

「私の眼と耳を、使節の中に紛れ込ませる」

 

曹操は、すぐさま洛陽にいる父・曹嵩(そうすう)と、朝廷内に張り巡らされた己の旧知の伝手へ向けて、極秘の書状をしたためた。

曹嵩の莫大な財力と、曹操が洛陽で築き上げた人脈を用いれば、使節の末端に数名の人間を潜り込ませることなど容易いことであった。

 

数日後の洛陽。

東の海を目指して出発の準備を進める使節団の列に、新たに荷運びや記録係として加わった下級役人の姿があった。

彼らは一様に地味な衣を纏い、目を伏せ、決して目立つ振る舞いをしなかった。正使の文官たちは、新しく補充された下働きの者たちに一瞥(いちべつ)をくれただけで、すぐに己の豪華な衣装の乱れを直すことに意識を戻した。

 

だが、その下級役人たちの眼光は、決して鈍くはなかった。

彼らこそ、曹操が厳選し、洛陽の網目を潜り抜けて使節団に紛れ込ませた間者(かんじゃ))たちであった。彼らは皆、武芸に秀でているだけでなく、物資の目利き、測量、そして隠密の術に長けた者たちである。

 

出発前夜、間者たちを束ねる頭目は、曹操からの密命を仲間たちに静かに伝達した。

 

「我らの主君・曹操様からの命は一つ。漢の使節がどのような扱いを受けようと、決して表に出ず、感情を殺せ。我らが為すべきはただ『計る』ことのみ」

 

頭目は、床に広げた白布の上に、小さな算木を並べた。

 

「敵の港の深さ、停泊する船の数と造り。行き交う民の顔色と、彼らが食らっている穀物の種類。市に出回る鉄の質と量。そして、あの国の兵たちが、いかなる軍律で動いているか……。洛陽の阿呆どもが絹の光沢に酔いしれている間に、我らは奴らの国の『骨格』と『臓腑』をすべて書き写し、持ち帰るのだ」

 

間者たちは、無言で深く頷いた。

彼らは漢の皇帝のためではなく、ただ一人、迫り来る新時代の覇者たる曹操のために命を懸けていた。

 

かくして、西暦一八五年。

豪奢な楼船(ろうせん)に数多の財宝と「空虚な誇り」を積み込んだ漢の使節団は、黄河を下り、東の海へと出立した。

その船底には、大和国の真の恐ろしさを暴かんとする曹操の冷たい「眼」が、静かに身を潜めていた。

 

時同じくして

日本国、奥羽の山並みを抜ける身を切るような冷たい風が、北上盆地——後世において花巻と呼ばれることとなる地の枯れ野を吹き抜けていた。

 

どんよりと垂れ込めた鉛色の空の下、広大な平野を二分するように、二つの軍勢が息を殺して睨み合っている。

南側に陣を敷くのは、日本国の正規軍である。

 

彼らの陣立ては、もはや人間の集団というよりも、一つの巨大で精密な「殺戮の機構」であった。最前列には、身の丈を覆い隠すほどの分厚い木楯(きだて)が隙間なく並べられ、敵の矢を完全に無力化する防壁を形成している。その楯の隙間からは、幾重にも連なる長柄の槍が天に向けて突き出され、陽の光を吸い込んで鈍く光る「槍衾(やりぶすま)」を築き上げていた。

 

陣の中央には、強靭な弦を張った巨大な和弓を手にした弓隊と、青銅の板バネを備えた重石弓を操る弩兵たちが、微動だにせず命令を待っている。彼らは楯と槍衾の完璧な保護下にあり、いざ戦端が開かれれば、安全な後方から一方的に死の雨を降らせる準備が整っていた。

 

さらに大和軍の強さを決定づけているのは、陣の両翼に配置された決戦兵力——重装騎馬弓騎兵たちである。

彼らは矢の貫通を極限まで防ぐ堅牢な「大鎧」に身を包み、腰には反りの入った美しい太刀を帯びている。馬上から強弓を放ち、敵の陣形が崩れたところへ分厚い装甲のまま突撃し、太刀で蹂躙する。歩兵が「金床」となり、重装騎馬が「槌」となる。一切の情を挟む余地のない、大和の冷徹な陸戦の理がそこに体現されていた。

 

対する北側に陣を構えるのは、古よりこの奥羽の大地に生きる蝦夷の軍勢であった。

 

大和の規格化された黒と白の軍装とは異なり、彼らは獣の毛皮や粗末な軽鎧を纏い、手には独自の長槍を握りしめている。その陣形は決して整然としたものではないが、彼らの一人ひとりが放つ野生の獣のごとき殺気と闘争心は、冷え切った盆地の空気を沸騰させるほどの熱を帯びていた。

 

蝦夷の軍の要は、機動力に特化した軽騎兵である。

彼らは装甲を捨て去り、風のように戦場を駆け抜けながら小型の弓を連射し、そして「蕨手刀(わらびてとう)」と呼ばれる、柄の端が蕨(わらび)のように曲がった独特の反り刃で近接戦闘を行う。その戦法は予測不能であり、かつての大和の遠征軍に幾度も煮え湯を飲ませてきた。

 

しかし、現在彼らが置かれている状況は、「一触即発」という言葉すら生温い、完全な死地であった。

彼らの瞳には確かに闘志が宿っている。だが、その頬はひどくこけ、握りしめた槍の柄は微かに震えていた。

無理もない。彼らはすでに何ヶ月も、満足な(かて)を口にしていないのだ。

 

蝦夷をこの絶望的な窮地へと追い込んだのは、大和の軍事力そのものというよりも、彼らが最も得意とする「兵站と地政学の算術」であった。

長きにわたり、蝦夷は奥羽の険しい山々と深い森を盾にして大和の侵攻を阻んできた。正面からの戦いであれば、彼らは地形の利を活かして互角以上に戦うことができた。

 

しかし、大和国の太政官と征東将軍・坂ノ上(さかのうえ)が弾き出した答えは、「正面からの力押し」ではなかった。

大和は、圧倒的な航海術と平底の安宅船を用いた。

 

彼らは太平洋の荒波を北上し、蝦夷の軍勢の遥か後背——現在で言うところの小川原湖(おがわらこ)周辺の海に直接艦隊を乗り入れたのである。そして、蝦夷が全く予期せぬ北の大地から一気に兵を揚陸させ、強固な拠点を築き上げ、大規模な農地開拓と兵站線の構築を始めてしまったのだ。

 

これにより、蝦夷の軍勢は南の坂ノ上本陣と、北の小川原湖拠点の「大和の(あぎと)」に挟み撃ちにされる形となった。

狩り場は奪われ、北からの物資の補給線は完全に切断された。戦う前に、蝦夷という集団の生命線たる「胃袋」を物理的に縛り上げたのである。いかに勇猛な蝦夷の戦士であろうと、霞を食って戦うことはできない。

 

張り詰めた沈黙を破り、大和の陣から一騎の使者が進み出た。

白旗を掲げた使者は、槍を構えて威嚇する蝦夷の兵たちを意に介することなく、陣の鼻先まで歩み寄ると、朗々たる声で書状を読み上げた。

 

「日本国、征東将軍・坂ノ上より、蝦夷の長へと告ぐ!

『日本への恭順を。もはや、そなたらの民の暮らしは限界であろう』」

 

それは、降伏の勧告であった。

大言壮語や威圧の言葉はない。ただ、「お前たちの食糧はすでに尽きている。これ以上戦えば民が餓死するだけだ」という、冷酷なまでに正確な事実の突きつけであった。

 

十七条憲法・第一条。

(やわらぎ)を以て(たっと)しと為し、(さか)ふること無きを(むね)とせよ』。

 

大和の基本方針は、無益な殺戮による自軍の消耗を極端に嫌う。蝦夷が刃を納め、大和の「理」と「戸籍」に組み込まれるのであれば、彼らは直ちに十七条憲法第十六条の『雑徭(生活保護)』の対象となり、飢えを凌ぐための米と鉄が配給される。

坂ノ上は、無駄な矢を一本でも節約するために、この最後通牒を送ったのだ。

 

「帰れ! 我ら蝦夷は、誇り高き大地の民! 海から来た得体の知れぬ者どもに、首を垂れるいわれはない!」

 

蝦夷の戦士の一人が、使者に向かって蕨手刀を振り上げ、咆哮した。周囲の若者たちもそれに呼応し、殺気が爆発寸前まで膨れ上がる。

 

「——刃を収めよ」

 

その時、蝦夷の陣の奥から、深く、そして地響きのような重い声が響いた。

群がる戦士たちが道を空け、一人の大男が進み出た。獣の王のような威厳と、数多の死線を潜り抜けてきた者だけが持つ静かな眼差し。

蝦夷の英雄、阿弖流為(あてるい)であった。

 

阿弖流為(あてるい)が姿を現すと、暴発しかけていた蝦夷の兵たちはピタリと動きを止め、尊敬の念を込めて道を開けた。

阿弖流為はゆっくりと歩みを進め、大和の使者の前に立った。

彼を見上げる使者の背中には、冷たい汗が流れていた。丸腰の阿弖流為から放たれる気迫は、それほどまでに圧倒的であった。

 

「……坂ノ上の将軍に伝えよ。阿弖流為(あてるい)は、これより陣を解く、と」

 

その言葉に、蝦夷の陣に激震が走った。

 

阿弖流為(あてるい)様!? なにを仰られるのです! 我らはまだ戦えます!」

 

「そうです! 大和の盾など、我らの馬で蹴散らしてご覧に入れます!」

 

血走った目で詰め寄る若者たちを、阿弖流為は無言の手振りで制した。

彼の視線は、血の気の多い若者たちの後ろで、寒さに身を縮ませ、飢えに耐えかねてうずくまる女や子供たちへ向けられていた。

阿弖流為の胸中には、すでに一つの確固たる決意が固まっていた。

 

(……ここで戦えば、大和の前衛に多少の痛手を負わせることはできるだろう。だが、我らは確実にすり潰される。戦士だけではない。後ろにいる女も、子も、老人も、一人残らず冷たい土塊となる)

 

実はこの数日前、阿弖流為は極秘裏に大和の使者と——否、坂ノ上本人と密かに会談を持っていた。

大和の将軍である坂ノ上は、阿弖流為(あてるい)が思い描いていたような「血に飢えた侵略者」ではなかった。彼はただ、数と帳簿を管理する冷徹な官僚であり、同時に理にかなった約束は絶対に違えぬ男であった。

 

『我らは蝦夷の根絶やしを望んでおらぬ。ただ、我が国境の後背に火種を残すという「算盤の合わぬ状態」を消し去りたいだけだ。阿弖流為よ、そなたが己の命と引き換えに蝦夷の継戦意欲を絶つというのなら、残された女子供、そして恭順を誓う若者たちの命は、大和の法の下に必ず保障しよう』

 

坂ノ上のその言葉は、武人の誇りを逆撫でする冷たいものであったが、指導者である阿弖流為にとっては、民を救うための唯一の蜘蛛の糸であった。

 

(我が命一つで、この飢えに苦しむ民が明日から米を食えるというのなら。大和という底知れぬ化け物の腹の中で、生き延びることができるというのなら……安いものだ)

 

阿弖流為(あてるい)は、腰に帯びていた愛用の蕨手刀をゆっくりと抜き放った。

大和の使者が思わず身構える。

だが、阿弖流為はその刀を天高く掲げると、そのまま冷たい土の上へと投げ捨てた。

金属がぶつかる虚しい音が、盆地に響いた。

 

「皆、よく聞け」

 

阿弖流為(あてるい)は、振り返り、共に戦ってきた同胞たちに向けて語りかけた。

 

「我らの戦いは、今日で終わりだ。大和は憎き敵ではあるが、約束を違えるような愚かな国ではない。我らがここで矛を収めれば、女子供がこれ以上飢えに苦しむことはなくなる」

 

「し、しかし! 阿弖流為(あてるい)様はどうなられるのですか!」

 

「俺は、大和の都へ行く」

 

阿弖流為(あてるい)は、自らの運命を微塵も恐れることなく、静かに笑った。

 

「蝦夷の魂は、この大地のどこにいても消えることはない。生きろ。生きて、この冷たい風の吹く地で、命を繋ぐのだ」

 

蝦夷の戦士たちの目から、止めどなく涙が溢れ落ちた。彼らは己の英雄が何を対価として民の命を買ったのかを、痛いほどに理解したのである。次々と、無念の嗚咽とともに槍や弓が地に捨てられていった。

 

大和国の陣にて、その様子を監視していた坂ノ上は、蝦夷の陣から武器が放棄されていくのを確認すると、静かに采配を下ろした。

 

「……算段通りに事は運んだ。直ちに糧食隊を前進させよ。投降した者から順に粥を与え、戸籍の登録と武器の回収を行え」

 

「はっ! 阿弖流為(あてるい)の身柄はいかがいたしますか!」

 

「丁重に扱え。彼は敵ながら、まことの将器を持った男であった。彼の命の重さが、これより先の東国の平穏を強固なものとするのだ」

 

坂ノ上は、一切の感情を交えることなく、戦後処理の事務へと即座に移行した。

ここに、長きにわたり大和の東の国境を脅かしていた蝦夷の抵抗は、阿弖流為(あてるい)という英雄の自己犠牲と、大和の圧倒的な「算術」の前に完全に終結したのである。

 

皮肉なことに、大和国が東の背後の憂いを完全に断ち切り、その巨大な軍事と兵站の方向をすべて西へ——大陸側へと向けることができるようになったのは、まさにこの時であった。

 

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