開
比企景明と班竣の算段によって、益州と荊州の『二頭一首魁』という強固な同盟が成立してから、およそ三年の月日が流れた。
時は西暦二百一十一年。
中原の情勢は、嵐の前の静けさとも言うべき、不気味なほどの膠着状態に陥っていた。
北の覇王・曹操。
東の猛虎・孫権。
そして、西蜀と荊州を跨ぐ巨大な龍・劉備陣営。
互いの領土の境界線では、小規模な局地戦や散発的な小競り合いこそ絶えなかったものの、数十万の軍勢が激突するような『大きな戦』は、この三年間ただの一度も起こっていなかった。
どの陣営も、不用意に大軍を動かせば、残りの一国に背後を突かれるという極度の牽制が働き、完全に身動きが取れなくなっていたのである。
代わりに彼らは、この貴重な猶予期間を使い、自陣営の兵站の再構築や内政の強化に血道を上げていた。
許昌の宮廷。
大漢帝国を牛耳る丞相・曹操は、執務室の奥で深く眉間を揉み解していた。
「……また、疼きおるか」
曹操の持病である頭痛は、年を追うごとにその激しさを増していた。かつてのように怒りで我を忘れる頻度こそ減ったものの、発作が起きれば視界が歪み、立っていることすら困難になる。彼は、侍医が処方した強い痛み止めの薬湯を啜り、騙し騙し政務を続けている状態であった。
だが、奇妙なことに。
曹操の精神状態は、三年前の赤壁の敗戦直後に比べれば、遥かに『落ち着き』を取り戻しつつあった。
その最大の理由は、皮肉にもこの「不気味な膠着状態」にあった。大規模な戦がないため、数万の兵糧をどう工面するかという絶望的な兵站のやり繰りや、致命的な敗北の恐怖から解放され、内政に腰を据えることができたからである。
国家の滅亡を危惧する極限の心労が和らいだこと。
それは同時に、覇王の脳裏に、平時における為政者最大の、そして最も頭を悩ませる『厄介な問題』を浮上させることとなった。
すなわち、『次代の世継ぎを誰にするか』*という、骨肉の争いの火種である。
現在、曹操の後継者候補として激烈な暗闘を繰り広げているのは、二人の息子であった。
一人は、実質的な長男である曹丕(長兄の曹昂はすでに戦死しているため)。
もう一人は、その同母弟である
「父上。先月の屯田からの収穫報告と、北方国境への物資輸送の目録を纏めました。ご確認をお願いいたします」
曹丕は、病気がちな父を補佐する形で、次々と国の政務を率先して執り行っていた。
彼の態度は、どこまでも謙虚で、隙がなく、生真面目そのものであった。朝早くから夜遅くまで執務室に籠もり、文官たちの意見によく耳を傾け、決して出過ぎた真似をしない。
だが、その生真面目さは、曹丕が次期君主の座を確実なものにするために被った『完璧な仮面』に他ならなかった。
彼は、冷徹な計算のもと、儒教の重んじる「長幼の序」と「孝行息子の振る舞い」を完璧に演じ切り、荀彧をはじめとする古参の重臣たちからの支持を、盤石なものへと固めつつあったのである。
「兄上は今日も帳簿と睨めっこですか。……つまらない。それより、聴いてください父上。今朝の庭の梅を見て、新たな詩が浮かびました」
その生真面目な兄とは対照的に、弟の曹植は、政務の泥臭い数字になど目もくれず、自由奔放に宮廷を歩き回っていた。
彼には、並ぶ者のない『天賦の文学的才能』があった。
彼が一度筆を執れば、その詩は瞬く間に宮廷中の文人たちを魅了し、誰もがその美しい語彙と豊かな感性に感嘆の溜息を漏らす。彼もまた、己の才能を隠すことなく、取り巻きの文人たちを集めては華やかな宴を開き、兄・曹丕を小馬鹿にするような振る舞いを隠さなかった。
「……見事な詩だ、植よ。お前の言葉には、天を翔けるような勢いがある」
自らも当代一流の詩人である曹操は、弟の曹植が詠み上げる詩を聞くたびに、深く目を細め、その才能を絶賛した。
「……丕にするか。植にするか」
静まり返った執務室で、曹操は薬の副作用で微かに痺れる頭を抱えながら、重い嘆息を漏らした。
理屈で言えば、答えは出ている。
漢の正統を継ぐ国家として天下を治めるならば、『儒教』の論理に従い、年長である曹丕を世継ぎとするのが絶対の正解である。政務能力も申し分なく、重臣たちの支持も厚い。
曹丕を選べば、国は安定する。
だが。
曹操はかつて、『唯才是挙』という極端な能力主義を掲げ、乱世を切り開いてきた男である。
彼の魂の根底にあるのは、規格外の才能に対する強烈な愛着であった。
(丕は優秀な実務家だ。だが、あいつの目は冷たすぎる。国を維持することはできても、新しい時代を創る『熱』がない。
……対して植のあの底知れぬ才気。あれを無碍に切り捨てて、凡庸な常識の枠に押し込めてしまってよいものか……?)
才ある者を愛し、才ある者に天下を託したいという覇王の『本能』と。
血の争いを避け、法と秩序によって帝国を存続させねばならないという為政者の『理』。
三年の膠着がもたらした平時の余裕は、中原の覇王を、終わりの見えない後継者選びの泥沼のジレンマへと、深く沈み込ませていくのであった。
―――
中原において曹操が後継者問題に頭を悩ませていたこの三年間。
南西に巨大な勢力圏を築き上げた劉備を大都督とする陣営もまた、外征を控え、ひたすらに足元の地盤を固めるための『内政』に多大な時間と労力を費やしていた。
かつて曹操が蔑みを込めて呼んだ「益荊」という名は、いつしか彼ら自身の手によって、古の豊かな地名を取った『
劉備の指揮のもと、西蜀の豊かな穀物と、荊州の水運・人材を融合させ、一つの巨大な経済圏を創り上げる。
それが、比企景明と班竣が描いた『二頭一首魁』を真に機能させるための、絶対条件であった。
しかし、その壮大な国家統合の前に、どう足掻いても人間の力では動かせない『絶望的な障壁』が立ち塞がっていたのである。
「……駄目だ! これ以上荷を積めば、足場が崩れ落ちるぞ!」
「川の流れが速すぎる! 船を引き上げろ! 綱から手を離すな!」
蜀と楚を結ぶ、長江の三峡や険しい山岳地帯。
そこは、切り立った断崖絶壁に木の板を打ち付けただけの狭く脆い『
問題は、その極端な『一方通行の性質』である。
蜀から楚へ向かうのは、比較的容易であった。長江の急流に乗って船を下らせれば、蜀の豊かな物資をあっという間に荊州へと届けることができる。
しかし、逆は地獄であった。
楚から蜀へ遡るには、激流に逆らって船を陸から綱で引っ張り上げるか、人一人歩くのがやっとの狭い桟道を、重い物資を背負って延々と登り続けなければならない。途方もない労力と時間、そして多くの人命が、この山と川に飲み込まれていった。
「……この三年間。両州の土木技術者と人足を総動員し、岩を砕き、道を広げようと様々な試みを行ってきたが。……大自然の壁は、あまりにも厚い」
前線で指揮を執っていた劉備陣営の武将たちも、一向に改善しない過酷な物流の現実に、深い疲労と焦りを滲(にじ)ませていた。
山を削り、川の流れを変えることはできない。
この絶望的な『上り坂の兵站』を前に、ただ指を咥えて見ているだけの者たちではなかった。
「地形を変えられぬのであれば、運ぶ『道具』を変えるまでです」
そう言って立ち上がったのは、他でもない、軍師・諸葛亮。
そして、その後ろで図面を広げる、彼の妻である黄氏であった。
黄氏は、容姿こそ凡庸であったと伝えられているが、その頭脳には中原の学士たちをも凌駕する『機械工学』の天賦の才が宿っていた。
彼女は、夫である諸葛亮の具申を受け、蜀楚の山道を歩き回り、地形と人足たちの動きを徹底的に観察した上で、いくつかの革新的な『運搬の利器』を開発し、現場へと投入したのである。
「……孔明殿の奥方が考案されたという、この『手押し車』。驚くほど軽く進むぞ!」
一つは、後に『木牛』の原型ともなる、重心を極限まで低くし、車輪の摩擦を減らした特殊な一輪車であった。
狭い桟道でも脱輪せず、一人の力で従来の三倍の荷を運ぶことができる。
さらに、断崖絶壁の要所要所には、黄氏が設計した巨大な滑車と轆が設置された。これにより、下から重い物資を背負って登るのではなく、崖の上から巻き上げ機を使って一気に荷物を引き上げることが可能となった。
「ふぅ……。奥方様の発明のおかげで、兵の負担は随分と減りました。さすがは臥龍の妻女にございますな」
前線視察に訪れた武将が、汗を拭いながら諸葛亮に感謝の言葉を述べる。
だが、諸葛亮の顔に晴れやかな笑みはなかった。
彼の傍らに立つ黄氏もまた、険しい表情で自らの発明品を見つめていた。
「……いいえ。確かに運搬の『効率』は上がりましたが、これはあくまで対症療法に過ぎません。根本的な解決には至っていないのです」
諸葛亮が羽扇で指し示した先には、相変わらず果てしなく続く険しい山道と、細々としか物資を運べない人足たちの長い列があった。
どれほど優れた絡繰りを用いようと、数万の軍隊を養い、国家規模の経済を回すための『大動脈』としては、この桟道はあまりにも細く、脆弱すぎたのである。
(このままでは、蜀楚の完全な融合は果たせない。いずれ曹操が北の憂いを絶ち、数十万の軍で南下してきた時……物資のやり取りが詰まれば、我が陣営は東西に分断されて各個撃破される)
天才軍師の脳裏に、拭いきれない危機感が黒い雲のように立ち込めていた。
地理的なボトルネックという、冷酷な現実。
諸葛亮と黄月英という稀代の天才夫婦の知恵をもってしても、完全には超えられなかったこの大自然の障壁を前に。
蜀楚の陣営は、この途方もない『兵站の目詰まり』をいかにして解消するかという、次なる巨大な算段を、血を吐くような思いで渇望し続けていたのである。
過酷な兵站の壁に立ち向かいながらも、蜀楚という巨大な陣営は、その内部において極めて特異にして強固な『政治的進化』を遂げつつあった。
同盟が成立したあの日から、西蜀の主である劉璋と、荊州の主である劉琦は、互いを単なる「州牧」ではなく、特別な尊称をもって呼び合うようになっていた。
すなわち、『蜀王』と『楚王』である。
古の春秋戦国時代を思わせる、誇り高き王の号。
本来であれば、大漢帝国において「王」を名乗ることは、皇帝に対する重大な反逆と見なされる。
しかし、彼らはこれを「逆臣・曹操によって囚われの身となっている天子・劉協に代わり、漢の正統を一時的に預かり護るための『権道』である」と位置づけたのである。
二人の王が並び立ち、天子の代行として南西の地に君臨する。
これこそが、比企景明の提唱した『一日一月(二頭君主)』が、中原の歴史の中で実際に受肉した姿であった。
そして、この二人の王が並び立ったことによって。
彼らの下で実務と軍事の全権を握る大都督・劉備の政治的地位もまた、全く新しい段階へと引き上げられることとなった。
ある日の成都の宮廷。
蜀王・劉璋と楚王・劉琦(※劉琦は荊州から使者を送る形)の連名による、極めて重々しい『詔』が発布された。
「――漢の正統を護り、天下の逆賊を討つための大任を帯びし大都督・劉備に、両州を統べる統合の爵位として『蜀楚公』の地位を授ける!」
蜀楚公。
それは、大漢帝国の歴史上、いかなる書物にも記されていない完全にオリジナルの爵位であった。
二人の王が、自らの持つ権威を『天子の代行』として行使し、国を一つに纏め上げる最強の矛である劉備に対し、絶対的な実権を法的に付与したのである。
これにより、劉備はただの「客将上がりの大都督」から、蜀と楚の両国を公式に統治する『合法的な絶対権力者』へと、その地位を完全に盤石なものとした。
だが、ここで極めて重要なのは。
劉備がこれほどの絶大な権力を手に入れながらも、それが決して「漢王朝そのものを乗っ取るためのものではない」という点が、天下に向けて明確にアピールされていたことである。
「我ら蜀楚公陣営の最終目的は、あくまで許昌に囚われし天子の奪還にあり。この特例の爵位と権力は、すべて逆臣・曹操を討ち果たし、漢室を再興するための一時的な預かりものに過ぎない」
この声明は、曹操が「天子を傀儡にして漢室を牛耳っている」という事実と鮮やかな対比を描き出した。
曹操は『漢室を内側から食い破る逆賊』であり。
劉備は『漢室を外側から守り抜く忠臣』である。
天下の知識人や民衆にとって、この「劉協皇帝を救うための特例の権力」という建前は、この上なく美しく、反論の余地のない完璧な『大義名分』として響き渡ったのである。
実は、この「二人の王が、実力者に『公』の地位を与えて権力を一元化する」という極めてシステマチックな枠組みそのものは、他でもない比企景明の『試案』の内にすでに組み込まれていたものであった。
権威と権力の分離。それは日本の天皇と大臣の関係性に通じる、極東の冷徹な統治システムである。
しかし、景明の提示した生のシステムは、あまりにも冷たく、事務的すぎた。
そのまま発布すれば、中原の儒教的価値観を持つ士大夫たちからは「伝統を無視した法家の暴挙」として猛反発を食らっていたことは間違いない。
そこで動いたのが、諸葛亮や龐統をはじめとする荊州の天才学士たちであった。
彼らは、景明が提示した『冷たい法の骨組み』を、儒教の思想と漢帝国の歴史的文脈を用いて、見事に『中原の大義名分へと翻訳』したのである。
「これはただのシステム変更ではなく、皇帝を救うための崇高な権道である」と、言葉を尽くして飾り立て、学士たちが心の底から納得できる美しい形へと纏め上げたのだ。
末席で事の顛末を見守っていた景明は、己の算段と天才たちの思想が見事に噛み合ったその結果に、密かに深い満足感を覚えていた。
水と油のように反発し合っていた極東の算段と、中原の儒教。
その二つが、曹操打倒という一点において奇跡的な融合を果たし、誕生した『蜀楚公』という絶対的な地位。
劉備は今や、法という最強の盾と、大義という最も鋭い矛を両手に構え、天下の覇権に向かって、揺るぎない足場を完全に築き上げたのであった。
―――
東の長江下流域を支配する孫権の陣営――孫呉もまた、他国と同様に大規模な軍事行動を控え、内政と領土の地盤固めに奔走していた。
「……交州の異民族の平定は順調か。よし、次は山越の討伐と、農地の開墾計画を急がせろ。我々に残された時間は決して多くない」
建業の総司令部において、昼夜を問わず莫大な書類と格闘し、孫呉の国家運営を実質的に一手に担っていたのは、大都督にして宰相の周瑜であった。
西の劉備陣営が「蜀楚」として巨大化したことは、孫呉にとって極めて強烈なプレッシャーであった。
今は曹操という共通の敵がいるため同盟関係にあるが、いずれ天下が二分、三分された時、孫呉が生き残るためには、最低でも長江の南半分を完全に支配下に置く『強大な国力』が不可欠である。
その強迫観念とも言える焦燥感が、周瑜という類稀なる天才の肩に、国家の重圧という『過積載の荷』を背負わせていたのである。
だが、どれほどその精神が強靭で、知性が高くとも。人間の肉体には限界というものがある。
異変の始まりは、ほんの些細なものであった。
「……少し、腹の奥が張るな」
初めは、ただの『腹の違和感』だった。過労から来る胃の荒れか何かだろうと、周瑜は多忙にかまけてそれを放置し、政務を続けた。
しかし、一月が経ち、二月が経つ頃。その違和感は明確な『軽い腹痛』へと変わった。
それでも周瑜は休まなかった。彼が一日休めば、孫呉の南下政策が一日遅れる。彼を突き動かしていたのは、亡き親友・孫策からこの国を託されたという、血を吐くような強烈な責任感であった。
そして。
無理に無理を重ね続けた肉体は、ついに悲鳴を上げた。
「――っ、ぐ、あああぁッ!!」
ある日の軍議の最中。周瑜は突如として腹部を押さえ、その場に崩れ落ちた。
全身から滝のような脂汗を流し、呼吸すらままならないほどの『激痛』が、彼の腹を内側から食い破るように襲いかかったのである。
もはや筆を握ることも、椅子に座っていることすら不可能な状態。天下にその名を轟かせた美周郎は、あまりの痛みに耐え兼ね、ついに病床へと倒れ込み、長期の療養を余儀なくされるハメとなってしまった。
「公瑾(周瑜)! しっかりせよ、公瑾!!」
周瑜が倒れたという報せを聞き、主君である孫権は、政務を放り出して真っ先に彼の寝所へと駆けつけた。
寝台に横たわる周瑜の顔は、かつての美しく涼やかな面影が嘘のように青ざめ、頬は痩せこけ、荒い息を繰り返していた。
孫権は、親の代から仕え、兄の無二の親友であり、そして自分にとっては実の兄以上に頼りにしてきたこの男の痛々しい姿に、ポロポロと涙をこぼした。
「……申し訳、ありませぬ、我が君。今、少し、腹の具合が……すぐに治して、政務に……」
周瑜は、激痛に顔を歪めながらも、無理やり身を起こそうとした。
「馬鹿を言うな! お前は働きすぎたのだ!」
孫権は、周瑜の肩を優しく、しかし力強く押さえて寝台へと戻した。
「いいか、政務のことなど今は一切考えるな。お前が死んでしまっては、この孫呉は……私は、どうすればいいのだ! 頼むから、今はただ休養を取ってくれ。これは主命だ!」
孫権は、涙ながらに言葉を尽くして説得した。
その主君の純粋な思いと悲痛な声に、周瑜は小さく唇を噛み締め、無念そうに目を閉じて、静かに頷くことしかできなかった。
周瑜が倒れ、完全に政務から離脱したという事態。
本来であれば、国政の心臓部が停止したことによる大混乱が起きてもおかしくない状況であった。
しかし、孫呉の宮廷は、意外なほどの『結束』を見せた。
「……大都督には、これまで我々の何倍もの負担を強いてきてしまったからな。あの御方のことだ、無理が祟ったのだろう」
「我らが不甲斐ないばかりに、周瑜殿のお身体を壊させてしまったのだ。これ以上、あの御方に心配をかけてはならん」
張昭や張紘といった古参の文官たち。
そして、魯粛や呂蒙といった武将たち。
彼らは皆、周瑜がどれほどこの孫呉のために己の命を削って働いてきたか、その評判と実績を痛いほどによく知っていた。
故に、そこに「権力の空白を突いてやろう」というような浅ましい野心や混乱は生まれなかった。誰もが倒れた宰相に対して深い同情と敬意を抱き、自発的に立ち上がったのである。
「私が交州の兵站を引き継ぐ! 魯粛殿は、劉備陣営との外交の窓口を!」
「内政の決裁は、我ら文官衆で手分けして処理する。周瑜殿が戻られるまで、孫呉の政を少しでも停滞させてはならん!」
家臣たちは、周瑜が一人で背負っていた膨大な仕事を迅速に分配し、国を支えるために懸命に働き始めた。
それは、孫呉という国が持つ強固な連帯感の証明であった。
だが同時に、それは裏を返せば、『周瑜という巨大な柱を失うかもしれない』という、江東の空を覆い始めた決定的な暗雲に対する、必死の防衛本能でもあった。
戦場における敵の剣ではなく、自らの肉体を内側から蝕む病魔という見えない敵によって、静かに、そして確実にその輝きを奪われようとしていた。
―――
周瑜が病に倒れ、国中がその内政の穴を埋めるべく奔走していた頃。
孫呉が極東の『日本国』との交易港として特別に開いていた『杭州』の港は、中原の戦乱の空気から切り離されたように、莫大な富と物資が行き交う活気に満ち溢れていた。
呉の商人たちと、海を渡ってきた大和の商人たちが、絹や鉄、そして珍しい海産物を取引する国際色豊かなこの港に。
ある日、一隻の『奇妙な船』がフラリと流れ着いた。
「……なんだ、あの船は?」
「呉の船(ジャンク船)ではないな。だが、日本の船とも全く違うぞ」
港の役人や商人たちが、訝しげにその船を指差す。
この時代、中国や日本の船の帆といえば、竹などの骨組みが入った網代帆が一般的であった。
しかし、その奇妙な船は、ずんぐりとした丸っこい木造の船体に、骨組みの一切ない『巨大な一枚の四角い布の帆』を掲げていたのである。
それは、地中海世界において交易を担う、ローマ帝国の典型的な商船・コルビタ船の姿であった。
だが、その船体は無残なほどにボロボロであった。
波に削られ、嵐に打たれ、幾度も修理を重ねた継ぎ接ぎだらけの甲板。帆はクタクタにすり切れ、もはや元の色が分からないほどに黒ずんでいる。
地球を半周するという、想像を絶する長き旅路の過酷さを、その船体そのものが雄弁に物語っていた。
そのボロボロの商船からフラフラと降り立ってきた者たちを見て、杭州の商人たちはさらに目を丸くした。
そこにいたのは、彼らがこれまで見たこともないような容姿の人間たちであった。
真夏の夜よりも『真っ黒な肌』を持つ、屈強だが痩せこけた男(アフリカ系・ヌビア人)。
『褐色の肌』を持ち、奇妙な布を頭に巻いた男女(インド・アラブ系)。
そして、強烈な日差しに焼かれ、肌が『赤く炎症』を起こしている、彫りの深い顔立ちの男たち(地中海・ヨーロッパ系)。
地中海からエジプト、紅海、インド洋、そしてマラッカ海峡を越え、南シナ海を北上して辿り着いたこの船の乗組員たちは、寄港地で様々な人種を雇い入れた結果、極めて多国籍で異質な集団となっていたのである。
「※△☆×! 〇〇〇!」
「(通訳)……ワタシタチ、トオイ、ニシノクニ……商売、シタイ……」
一行の中には、インドや東南アジアを経由する中で雇い入れたのであろう通訳もいた。だが、彼の話す言葉は片言の漢語であり、呉の役人や商人たちとの会話は一応成立こそするものの、細かなニュアンスは全く伝わっていなかった。
「西の国? 西域からではなく、海から来たというのか? 証紙はあるのか?」
「(通訳)……ショウシ、ナイ。デモ、タカラ、アル……」
「得体の知れない連中と取引はできん。悪いが、言葉の通じる国へ行ってくれ」
港の役人は冷たくあしらい、呉の商人たちも彼らのボロボロの身なりを見て、大した金は持っていないだろうと足元を見て、商談は全く纏まろうとしなかった。
「……クソッ。ここでも駄目か」
一行の長である『赤い肌』の男――ローマ帝国・ニコメディアの若き商人であるマルコスは、クタクタになった身体を港の木箱に預け、血走った目で激しく舌打ちをした。
あの日、一粒の『薄紅の真珠』に魅せられ、一族の没落を救うために故郷を飛び出してから、どれほどの月日が流れただろうか。
嵐で船を一つ失い、疫病と壊血病で多くの仲間が海へ消えた。海賊に襲われ、積荷の半分を奪われたこともあった。
それでも彼は諦めなかった。「
だが、現実は非情であった。
言葉が通じない。
文化が違う。
誰も自分たちの商談(薄紅の真珠の産地への案内)を聞き入れてくれない。
(このままでは、ただ野垂れ死ぬだけだ。ここまで来て、私の野望はついえるというのか……!)
マルコスは、絶望と疲労に押し潰されそうになりながら、虚な瞳で杭州の港を見渡した。
その時である。
マルコスの瞳孔が、大きく見開かれた。
広大な港にひしめき合う、呉のジャンク船の群れ。マルコス自身の乗ってきた丸っこいローマ船。
そのどちらとも全く違う、『一際異彩を放つ、特異な構造の船』が、港の特等席に停泊しているのを見つけたのだ。
「……あれは」
マルコスは、弾かれたように立ち上がった。
その船は、中国の船のような平底ではなく、外洋の荒波を切り裂くための鋭い竜骨を備え、頑強な和釘と装甲板で美しく補強されていた。
そして何より、その船の帆柱には、マルコスがインド洋の商人から聞いたことのある『奇妙な紋章(日輪の印)』が翻っていたのである。
(間違いない……! あれは絹の国の船じゃない。あの船こそが、海の向こうの国……ッ!)
直感であった。
商人の、いや、死線を潜り抜けてきた冒険者としての本能が、あの船こそが自分の求める『薄紅の真珠』の出処であると激しく告げていた。
「……行くぞ」
マルコスは、重い足を引きずりながら、その特異な船に向かって歩き出した。
言葉が通じなくとも構わない。這いつくばってでも、身振り手振りで懇願してでも、あの船の主と接触しなければならない。
中原の英雄たちが大陸の覇権を巡って血を流している同じ空の下で。
地中海の落日を背負い、地球の半分を跨いできたローマの商人と、極東の算段によって生み出された大和国の船が。
互いの歴史の文脈を全く知らないまま、ここ杭州の港において、奇跡のような邂逅(かいこう)を果たそうとしていたのである。
「――Salve! Ego sum Marcos ex Nicomedia. Quaerens margaritam ex Iamato!(頼む、聞いてくれ! 私はニコメディアのマルコス。ヤマドの真珠を求めて来た!)」
日本国の巨大な商船の甲板へと歩み寄ったマルコスは、身振り手振りを交えながら、矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出した。
彼は、地中海世界を股に掛ける商人であり、母語であるラテン語と、東地中海の共通語である古典ギリシャ語を完璧に操るバイリンガルであった。決して知能が低いわけではない。むしろ、教養ある優秀な青年である。
だが、彼が今立っているのは、ローマから地球を半周した先にある『東アジア』の港であった。
「……なんだ? この異人は、一体何を必死に叫んでいるんだ?」
「分からん。天竺の言葉か? いや、南の島国の言葉とも違うぞ」
日本の商人や船乗りたちは、困惑の表情で顔を見合わせた。
マルコスの目に宿る、魂を削るような『熱い何か』は痛いほどに伝わってくる。彼が必死に自分たちと商談をしたがっていることも分かる。
だが、コミュニケーションの前提が根本から崩壊していた。
ここは、漢字文化圏の果てである。漢語であれば、筆談を交えてなんとか意思疎通を図ることもできるが、ラテン語やギリシャ語の文法や発音など、この時代のアジアにおいて知る者はただの一人も存在しない。
「……駄目だ。言葉が全く通じねえ。すまねえな、異人の旦那。お引き取り願えるか」
日本の商人が、申し訳なさそうに手でシッシッと払う仕草を見せた。
「Non, non! Quaeso, audi me!(違う、待ってくれ! どうか話を聞いてくれ!)」
マルコスは、絶望に顔を歪ませ、日本の商人の袖にすがりつこうとした。
またしても、言葉の壁が彼の野望を打ち砕こうとしていたのである。
その、絶望と混乱の只中に。
「――待ちなさい。追い払うには及びません」
静かな、しかし威厳のある声が響いた。
大和の商船の奥から姿を現したのは、身なりの整った一人の男。
呉との公式な貿易を管理・記録するために船に同乗していた『日本国の官吏』であった。
「お役人様。しかし、この異人、漢語も大和言葉も全く通じやしません。まるで鳥の囀りのようで……」
商人が困り果てた顔で報告する。
だが、その官吏は、マルコスの顔と、彼が乗ってきたであろう遠くのボロボロの丸い船を交互に観察し、極めて理知的な瞳で分析を始めていた。
(……ただの狂人ではない。身なりは汚いが、その発音には明確な法則性があり、声の抑揚には理性がある。
それに、あの船……中原の物とも、我々の物とも全く違う。おそらく、我々が想像もつかないほど遠方の、高度な文明圏から来た者だ)
官吏は、この見知らぬ異邦人が、日本国にとって未知の富と情報をもたらす存在である可能性を瞬時に見抜いた。
言葉が通じないからといって、無碍に追い払うのは、算段の国・大和の役人の名折れである。
「異国の商人よ。少し、落ち着きなさい」
官吏は、矢継ぎ早に捲し立てるマルコスの前に歩み出ると、手のひらを向けて「ストップ」の合図を送った。
そして、懐から数枚の『木簡』と、墨を含ませた『筆』を取り出した。
日本国において、律令体制の構築の中で、最も画期的であった発明の一つ。
それは、複雑な漢字を簡略化し、純粋な『音』だけを記録するための表音文字――すなわち『仮名文字』の実用化であった。
官吏は、マルコスの目を見据えながら、ゆっくりと自分の胸を指差した。
「ワタシ」
「……?」
マルコスが首を傾げる。
官吏は、筆を執り、木簡にスラスラと『ワ・タ・シ』と仮名で書き記した。そして、今度はマルコスの胸を指差した。
「……Ego(エゴ)」
マルコスは、相手の意図を察し、ラテン語で「私」を意味する言葉を発した。
「エ・ゴ、か」
官吏は、一切の躊躇なく、マルコスの発したその未知の音を、そのまま仮名文字として木簡に書き留めた。
中原の漢字は『意味』を持つ表意文字であるため、未知の外国語の発音を書き写すのには極めて不便である。
だが、日本国の官吏が持つ『仮名文字』は、いかなる国の言葉であろうと、その『音』をそのままデータとして記録・保存することができる、最強の翻訳ツールであった。
「君は、商人だな? ならば『文字』という概念を知っているはずだ」
官吏は、マルコスに向かって筆と真新しい木簡を差し出した。
マルコスは、ハッとしてそれを受け取った。筆という柔らかい筆記具に戸惑いながらも、彼は木簡の上に、自らの文化圏の文字――『ラテンアルファベット』を不器用な手つきで記してみせた。
(……ほう。やはり、漢字とは全く異なる、幾何学的な記号の文字を持っているか。知的レベルは極めて高い)
官吏は、口元に微かな笑みを浮かべた。
「よし。ならば、一つずつだ。……これは、何と言う?」
官吏は、近くにあった『水』の入った桶を指差した。
マルコスは、喉を鳴らして答える。
「Aqua(アクア)」
官吏は木簡に『アクア(水)』と記す。
次は『船』の甲板を叩く。
「Navis(ナウィス)」
『ナウィス(船)』と記す。
次は、商人が持っていた『絹』を指す。
「Sericum(セリクム)」
『セリクム(絹・交易)』と記す。
それは、果てしなく泥臭く、しかし極めて確実な『コミュニケーションの構築』であった。
互いの素性も、故郷の場所も分からない。だが、目の前の事象を一つ一つ指差し、音を交換し、仮名文字とアルファベットで記録していく。
「Margarita! Margarita!(真珠だ!)」
マルコスは、自らの首元を指差し、貝を開くようなジェスチャーをして、必死に『真珠』という単語を伝えようとした。
「……マルガリータ。なるほど、真珠のことか」
官吏は木簡に書き留めながら、深く頷いた。
杭州の港の片隅。
地球の反対側から命懸けで辿り着いたローマの青年商人の情熱は、大和国の官吏が持つ「仮名文字」という冷徹で優秀な記録システムによって、ついに受け止められた。
この瞬間、ユーラシア大陸の西と東を繋ぐ、世界で最初の『ラテン語・大和言葉の翻訳辞書』が、たった数枚の木簡の上で、産声を上げようとしていた。