【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第四章 呪縛からの解放と二重スパイ

カリュブディスとの激闘が終結する少し前――。

テンペストから遠く離れた小高い丘の深い森の中。

木々の陰に身を潜めながら、一人の女が虚空に展開した遠隔視界の魔法を通じて、戦場の様子を静かに監視していた。

魔王クレイマンの配下であり、彼からこの新興国の偵察任務を帯びて派遣された魔人、ミュウランである。

 

「……信じられない。あれが、ただの新参者の魔人が率いる魔物の集団だと言うの?」

 

ミュウランは、魔法越しに映る光景に微かな冷や汗を滲ませながら、淡々と戦力の分析を続けていた。

彼女の目には、戦場を駆けるテンペストの幹部たちと、それを指揮する『一人のリムル』の姿がはっきりと映っている。

未来からの干渉による情報撹乱魔法は完璧に機能しており、彼女の認識能力では不自然な点は一切感知できず、ただ一人の魔人が陣頭指揮を執っているとしか認識できていなかった。

 

(鬼人族(キジン)たちの個体能力は、すでにAランクに届きかねない異常な水準。それに、あれほど強固で統率の取れた猪人族(ハイ・オーク)の重装歩兵部隊など、西側諸国の正規騎士団ですら容易には突破できないわ……)

 

だが、ミュウランの目を最も釘付けにし、彼女の背筋を凍らせていたのは、それら強力な魔物たちを束ねる主――リムル・テンペストの存在だった。

 

ミュウランの視界の中で、カリュブディスが放った無数の楯鱗が、リムルの展開した漆黒の渦にあっさりと飲み込まれていく。

さらに戦局が進み、カリュブディスが怒り狂って突進を開始したその時。リムルがカリュブディスに対して両手を前に突き出した。

直後、天を衝くほどの巨大な漆黒の顎(あぎと)が顕現し、莫大な魔素量を持つはずの空の災厄を、ただ一人の力で一瞬にして『捕食』してしまったのだ。

 

「あり得ない……。精神生命体に近しいあの超質量の魔素の塊を、丸ごと飲み込むなど……この世の法則を完全に無視しているわ……」

 

呆然と呟くミュウランの瞳に、深い恐怖と警戒、そして微かな希望の色が宿る。

彼女を心臓(呪印)で縛り付ける雇い主、魔王クレイマンは、この魔国の主を「少しばかり目障りな新参者」程度にしか見ていない。だが、現実は違う。

 

(クレイマンはこの国の脅威度を完全に見誤っているわ。あの魔人は、底の知れないバケモノよ……。でも、これは好機かもしれない。これほど力を持つ者たちなら、上手く立ち回れば私も、あの男の呪縛から解放される手段が見つかるのでは――)

 

ミュウランが監視魔法を解き、一縷の望みを抱いてこの場を即座に離脱しようと身を翻しかけた、まさにその時だった。

 

ゾワッ!!

 

空間が反転するその刹那、ミュウランは自身の胸の奥深くで『何か』が粉々に砕け散る感覚を味わった。

 

(え……?)

 

致命傷を負ったはずの絶命の苦しみはない。代わりに、温かく力強い、見知らぬ新たな鼓動が彼女の胸を打っている。

 

だが、何が起きたのか、思考する余裕など一秒たりとも与えられなかった。

 

次の瞬間、ミュウランの視界は激しく切り替わり、気付けば彼女は地上から一メートルほど足が浮いた状態で、見えない力によって磔にされたように固定されていた。

 

眼前に広がるのは、先ほどのカリュブディスとの激戦によって無数の大樹がなぎ倒され、巨大な広場のように開けた森林地帯の跡地。

そして、彼女を見上げるように地上に立っていたのは、テンペストの幹部たちと、陣頭指揮を執っていた魔人、さらには――。

 

「な……っ」

 

宙に固定されたミュウランは、信じられないものを見るように息を呑んだ。

彼女のすぐ目の前、地上に悠然と立っていたのは、傍らにいる魔人と全く同じ顔、同じ背格好をした、もう一人の魔人だったのだ。

情報撹乱魔法によって、監視魔法越しには今まで完全にその姿を隠蔽されていた存在。

彼こそが、遥か遠方にいたミュウランをたった一瞬でこの場へ引きずり出し、同時に彼女の胸の奥に『何か』を施した張本人だった。

地上から一メートルほどの高さで固定され、指先一つ動かせないミュウランに対し、人型の魔人――未来のリムルは、ふっと同情するような、気さくな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「お前もクレイマンにこき使われて大変だな、ミュウラン」

 

自身の真の名と、絶対的支配者である雇い主の名。

その二つの単語を、目の前の得体のしれない存在からあっさりと告げられ、ミュウランは絶望に似た戦慄を覚えた。

 

「な、なぜ……その名を……っ」

 

声が震える。必死に虚勢を張ろうとするが、魔人としての本能が限界を超えた警鐘を鳴らし続けていた。

人型の魔人――未来のリムルは、そんな彼女の様子を見て小さく息を吐くと、パチンと軽く指を鳴らした。

 

フッと、全身を縛り付けていた見えない力が消失する。

ミュウランは地上へと落ちた。なんとか足から着地したものの、極度の緊張と混乱から脚から力が抜け、そのまま荒れ果てた森の土に膝をついてしまった。

 

「まあ、そんなに警戒しなくていい。俺たちはお前を殺そうってわけじゃないんだ。……むしろ逆でな」

 

未来のリムルが苦笑しながら言うと、その後ろからもう一人の魔人――先ほどまで陣頭指揮を執っていた過去のリムルが歩み寄ってきた。

 

「へえ、人間……じゃなくて魔人なのか。未来の俺の言う通り、隠密の魔法とか、かなり高度な技術を使ってたみたいだな」

 

「ああ。魔王クレイマンに目をつけられて部下にされてるだけのことはある。優秀な魔法使いだよ」

 

二人の『リムル』が、まるで世間話でもするように自分を評価している。

その背後では、圧倒的な妖気を放つ鬼人族(キジン)たちが、鋭い威圧を放ちながら立ち塞がっていた。

さらに視線を横に向ければ、無邪気な様子でこちらを見物している桜色の髪の少女――理不尽の象徴である『破壊の暴君(デストロイ)』魔王ミリム・ナーヴァの姿まである。

 

(……終わったわね)

 

ミュウランは乾いた唇を噛み締め、抵抗する意志を完全にへし折られていた。

 

逃走経路はゼロ。

戦力差は絶望的。

 

自身の最大の切り札である魔法すら、空間そのものを支配して自分を引きずり出した目の前の存在には、児戯に等しいと本能が理解している。

 

「……私を、どうするつもり? クレイマンの配下だと知っているなら、私がこの国の敵対者になり得ることも分かっているはずよ。殺すなら、ひと思いにやりなさい」

 

せめてもの矜持として、ミュウランは鋭い視線で未来のリムルを睨み上げた。

だが、返ってきたのは彼女の予想を根本から覆す、あまりにも予想外の言葉だった。

 

「だから殺さないって。さっき『むしろ逆』って言っただろ? 俺はお前を……クレイマンの『呪縛』から解放したんだよ。『支配の心臓(マリオネット・ハート)』を破壊してな」

 

「え……?」

 

自身の最大の秘密であり、絶望の種である『呪縛』という単語。

ミュウランは思わず間抜けな声を漏らし、目の前で優しく微笑む規格外の魔人を呆然と見上げた。

 

 

 

 

地面にへたり込み、完全に思考がフリーズしているミュウランを見下ろし、俺は人型のまま苦笑した。

 

「驚くのも無理はないな。さっきお前をこの場に引きずり出した一瞬の間に、お前の胸の奥にあった『支配の心臓(マリオネット・ハート)』をピンポイントで破壊させてもらった。で、代わりに俺の魔素で創った『疑似心臓』を埋め込んである」

 

「なっ……そんな、一瞬で呪印を解くなんて……あり得ないわ……」

 

「信じられないなら、自分で胸に手を当てて魔力を探ってみろよ」

 

俺が促すと、ミュウランは恐る恐る震える両手を自身の胸へと当てた

 

数秒間、目を閉じて自身の内側に意識を向けていた彼女の目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。そこにあったはずのクレイマンのどす黒い呪いが完全に消え去り、代わりに澄んだ魔力が自身の体を巡っているのをハッキリと自覚したのだろう。

 

「……本当に……ない。あの男の、呪いが……っ。私、は……」

 

滂沱の涙を流しながら崩れ落ちるミュウラン。 だが、優秀な魔人である彼女はすぐにハッと我に返り、青ざめた顔で俺を見上げた。

 

「ま、待って! 私の呪印が破壊されたと知れば、クレイマンが黙っていないわ! 術式が途切れた時点で確実に怪しまれて、すぐに追手が……!」

 

「ああ、それなら心配いらないぞ」

 

俺は胸を張って、内なる相棒(シエル)の完璧な仕事ぶりを種明かしした。

 

「クレイマンの手元にある『元の心臓』自体も残るようにしておいたからな。おまけに、俺が新しく入れた疑似心臓を経由して、お前がまだ森の中で潜伏して偵察を続けてるような『偽の環境音』や『ダミーの音声』をクレイマン側に流し続ける細工もしてあるんだ。あいつの盗聴機能対策もバッチリってわけだ」

 

「と、盗聴機能……っ!?」

 

俺の言葉に、ミュウランは弾かれたように顔を上げ、さぁっと血の気を引かせた。

 

「あの呪印に、そんなものが仕込まれていたというの……!? もし私が一言でも、あの男への反逆を口にしていれば……っ」

 

「ああ、お前、知らなかったのか。まったく、とことん部下を信用しない悪趣味な野郎だよな。でも安心しろ。今はもう、あいつの耳には平和な森の環境音しか届いてない」

 

「…………」

 

ミュウランは、今度こそ完全に理解の範疇を超えたというようにポカンと口を開けた。

自分の命だけでなく、発する言葉のすべてを気づかぬうちに握られていたという底知れぬ恐怖。

そして、その魔王の最奥の呪術をあっさりと破ったばかりか、相手の監視網を逆手にとって偽装工作まで完遂している目の前の異質な存在。

 

後ろで見学していた過去の俺からも、《未来の俺の中の相棒、相変わらず容赦ねえな……》とドン引きに近い呆れた念話が俺の飛んでくる。

 

「というわけだ。お前は今日、たった今この瞬間から完全に自由の身ってことだ」

 

俺がそう告げると、ミュウランは震える手で自身の口元を覆い、言葉にならない嗚咽を漏らした。何十年にも及ぶ呪縛から、唐突に解放されたのだ。感情が追いつかないのも当然だろう。

 

「……どう、して……」

 

やがて、ミュウランは涙声でぽつりと呟いた。

 

「どうして、見ず知らずの私にそこまで……。私を殺すか、このままクレイマンの手駒として利用する方が、あなたたちにとっては都合が良かったはずよ……」

 

なんで俺がそんなことをしたのか。 その疑問に、俺は少しだけ真面目な顔になって答えた。

 

「簡単な話だ。俺の知る歴史だと、お前は後々、うちの大切な仲間と深い縁を紡ぐことになる。どうせ後で助けることになるなら、早めに恩を売っておいて、クレイマンへの対策も前倒しで進めちゃおうってわけさ」

 

「私、が……この国の者たちと……?」

 

「ああ。だからお前はこれから、うちの陣営の『大事なお客さん』だ」

 

俺がニヤリと笑いかけると、ミュウランはもう一度ポロポロと涙をこぼし、そして今度は、深々とその場にひれ伏した。

 

「……この御恩は、一生忘れません。私、ミュウランの命と忠誠は、これより二人のリムル様のために捧げます」

 

「ああ、その気持ちはありがたく受け取っておくよ。……でもな、ミュウラン。お前にはこれから、もう一仕事してもらう必要がある」

 

俺の言葉に、ミュウランは涙を拭いながら真剣な眼差しを向けてきた。

 

「一仕事、ですか……? なんなりと。この命に代えても――」

 

「いやいや、命は張らなくていい。ただ……これからも今まで通り、クレイマンの『忠実な部下』としてあいつの下で働いてほしいんだ」

 

「……え?」

 

「いくら心臓の偽装工作が完璧でも、お前からの定期報告が途絶えたり、行動が急に変わったりすれば、疑い深いあいつのことだ、いずれボロが出る。だから、お前にはこのままクレイマンの指示通りにテンペストへの潜入調査を続けてもらいつつ、あいつには『俺たちが用意した都合のいい嘘の情報』を報告してほしいんだ」

 

つまり、クレイマンを完全に欺くための二重スパイになってくれということだ。

 

「なるほど……私を内通者として、クレイマンの動向を完全に把握しつつ、逆に罠に嵌めるのですね」

 

ミュウランの顔から先ほどの悲壮感が消え、優秀な魔人としての理知的な光が瞳に戻る。

 

「そういうこと。もちろん、無茶な真似はさせないし、いざという時は俺たちが必ず守る。……やってくれるか?」

 

俺が手を差し伸べると、ミュウランはその手を取る代わりに、もう一度深く、今度は確かな意志を持った臣下としての礼をとった。

 

「はい。私を縛るものが『呪い』ではなく『恩義』であるのなら……喜んで、この身を二人のリムル様のために働かせましょう」

 

その言葉と共にミュウランが深々と頭を下げた、その時だった。

 

「ようし! そうと決まれば、新しいお客さんも招いて、カリュブディス討伐の戦勝会といくか!」

 

先ほどまでの重々しい空気を一気に吹き飛ばすように、後ろで見ていた過去の俺がポンッと跳ねて明るい声を上げた。

 

「未来の俺から『大事なお客さん』って紹介されたわけだし、今日からお前もうちの陣営の仲間みたいなもんだからな! 歓迎の宴を開きたいと思うんだが……みんなも異論はないよな?」

 

過去の俺が後ろの幹部たちを振り返ると、彼らは一様に武器を収め、毒気を抜かれたように柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「無論です。二人のリムル様が迎え入れた客人であるならば、我らも最大限の歓待をもって迎えましょう」

 

ベニマルが代表して頷き、ハクロウやゲルドたちも異論はないとばかりに表情を緩める。

 

「わはははは! 宴(うたげ)だな! 早く町に戻ってシュナの作った美味い飯を食うのだーっ!」

 

誰よりも早くミリムが両手を挙げて歓喜の声を上げ、早く早くと俺たちを急かしてきた。

 

「えっ……あ、あの……?」

 

さっきまで自身の秘密を暴かれ、殺されるか利用されるかの瀬戸際にいたはずが、唐突に「宴会」に誘われ、敵対していたはずの恐ろしい魔物たちから歓迎の意を示される。

あまりの急展開と、この国の住人たちの底抜けの懐の深さに、ミュウランはすっかり思考が追いつかない様子で目をぱちくりと瞬かせていた。

 

俺はそんな彼女の様子に苦笑しながら、地面に座り込んだままの彼女へと手を差し伸べた。

 

「ってことだから、今日はとりあえず難しい話は抜きだ。美味いもんでも食って、これまでの苦労を忘れるくらいパーッと楽しんでくれよ」

 

ミュウランは戸惑いながらも、俺の手と、後ろで微笑んでいる過去の俺を交互に見つめ――やがてその目に再びじんわりと涙を浮かべた。 だが今度の涙は絶望からくるものではない。憑き物が落ちたような、柔らかで美しい微笑みとともに、彼女は俺の手をそっと握り返した。

 

「……はい。お言葉に、甘えさせていただきます」

 

こうして俺たちは、厄介な監視者を新たに頼もしい(そしてワケありの)客人として迎え入れ、大賑わいのテンペストへと帰還したのだった。

 

 

 

 

テンペストへの帰還後、俺たちはまず事後処理と安全確認の指揮を執った。

まずはゲルド率いる工作部隊とソウエイの隠密たちが、主戦場となった森林一帯および街道の損害状況を広範囲にわたって調査する。

 

結果として、カリュブディスの進行を町から遠く離れた森林で完全に食い止めた恩恵は大きく、テンペストの町自体への物理的な被害は皆無であった。

森林だった一帯には俺たちの攻撃や墜落によって穿たれた巨大なクレーターが残ったものの、街道の修復自体は数日で完了する程度の軽微なものだと判明し、物流への影響も最小限に抑えられている。

 

並行して、事前の防衛計画に従って地下迷宮の安全層へと避難していた町の住人たちや、滞在中の商人、他国からの来客たちの無事を確認し、地上への誘導が行われた。

外部の状況がわからず不安な時間を過ごしていた彼らだったが、空の災厄を誰一人欠けることなく完全討伐したという報せが届くや否や、迷宮内は割れんばかりの歓声と安堵の空気に包まれた。

避難誘導の際にもパニックによる怪我人などは一切出ておらず、リグルドたち文官の統率の取れた指示によって、人々は速やかに地上へと戻り、町の機能は数時間の内に日常へと復旧していった。

もちろんドワルゴンとオークの里への連絡も忘れてはいない。

そうして街が完全な平穏を取り戻し、空を覆っていた異様な黒雲もすっかり晴れ渡った頃。

俺たちはようやく緊張の糸を解き、当初の予定通り――いや、本来の歴史以上の安堵と熱気の中で、盛大な戦勝の宴を開くことになった。

 

テンペストの迎賓館は、カリュブディスに勝利した喜びと歓声に包まれていた。

 

「我らが偉大なる主、二人のリムル様の完全なる勝利に! そして、新たなる客人への歓迎に! 乾杯!!」

 

リグルドの感極まった力強い音頭とともに、盛大な宴の幕が上がった。

木目調の美しく磨き上げられた広大な一室のあちこちで、樽ジョッキや繊細なガラスの杯が打ち鳴らされる。

カリュブディスという未曾有の災厄を無傷で乗り切った安堵感も手伝って、幹部たちも町から集まった者たちも、みな一様に底抜けの笑顔を浮かべていた。

 

「さあさあ、どんどん運んでくださいね! お肉はまだまだあるから、焼き上がり次第テーブルに並べて!」

 

「はいっ、シュナ様!」

 

厨房の方からは、割烹着姿のシュナの凛とした指示と、ゴブリン族の娘たちの元気な返事が響いてくる。

長机の上には、テンペストの豊穣な森の恵みと、クロベエたち鍛冶師の技術が結集された調理器具によって作られた絶品料理が所狭しと並べられていた。

香草でじっくりとローストされた巨大な牛鹿の肉、ドワーフ仕込みの濃厚なチーズと新鮮な野菜の盛り合わせ、そして川で獲れたばかりの魚の香草焼き。

どれもこれも、周辺の人間諸国の王侯貴族ですらそうそうお目にかかれないほどの贅沢な品々だ。

 

「わはははは! やはりシュナの飯は最高なのだ! この甘いソースが肉に絡んで、いくらでも腹に入るぞ!」

 

「ふふっ、ミリム様、焦らなくてもお料理は逃げませんよ。お口の周りがソースだらけです」

 

上座の特等席では、魔王ミリムが両手に巨大な骨付き肉を持ち、幸せそうに頬張っていた。

その隣で、調理がひと段落したシュナが甲斐甲斐しくミリムの口元を布で拭ってやっている。

絶対的な力を持つ『破壊の暴君』が、ただの食いしん坊な少女として完全に手懐けられている光景は、いつ見てもシュールの一言に尽きる。

 

一方、その少し離れた席。 今回『大事な客人』として招かれたミュウランは、目の前に並べられた豪勢な料理を前にして、一人所在なさげに固まっていた。

 

(信じられない……。これが、魔物たちの国……?)

 

彼女の常識からすれば、魔物の集落の宴など、血の滴る生肉を奪い合い、弱肉強食の野蛮な騒ぎが起きるものだと思っていた。

だが、現実はどうだ。

清潔で美しい衣服を纏った魔物たちが、種族の垣根を越えて肩を組み、人間以上に洗練された料理を囲んで笑い合っている。

オークとゴブリンが一緒に酒を飲み交わし、リザードマンが陽気に歌い、ドワーフたちがそれを手拍子で盛り上げている。

 

「お客さま。よかったらこちらもどうぞ」

 

不意に声をかけられ、ミュウランがビクッと肩を揺らす。 見れば、ハルナと名乗っていた愛らしいゴブリナの娘が、湯気を立てる温かいスープと、ふっくらと焼き上げられた白パンをトレイに乗せて微笑んでいた。

 

「あ……ありがとう……」

 

「お口に合うといいんですけど。お肉も切り分けましょうか?」

 

「い、いえ、これで十分よ。お構いなく……」

 

ミュウランは戸惑いながらスープの器を受け取った。 ふわりと、鼻腔をくすぐる優しい香りが漂う。恐る恐るスプーンで一口すくい、口へと運ぶ。

 

「……っ」

 

その瞬間、ミュウランは目を見開いた。 野菜の甘みと肉の深いコクが、絶妙な塩加減で引き立てられ、冷え切っていた彼女の身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。

それは、彼女が人間だった頃に食べたどんな料理よりも、そして魔人となってからクレイマンの城で口にしていた味気ない食事よりも、遥かに美味しく、温かいものだった。

 

(……美味しい。それに……本当に、私の胸にはもう、あの呪いがない……)

 

スープの温もりに触れたことで、ミュウランはようやく自身の身に起きた奇跡を現実のものとして実感し始めていた。 数百年もの間、常に心臓を握り潰される恐怖に怯え、自由な意思すら奪われていた日々。それが、今朝までの自分が嘘だったかのように、あっさりと消え去っている。

 

「――お口に合ったみたいでよかったよ」

 

不意に横から声がかけられ、ミュウランがハッと顔を上げる。

そこには、片手に果実酒の入ったグラスを持った人型の魔人――未来のリムルと、その頭の上にちょこんと乗ったスライム姿の過去のリムルがいた。

 

「あ……二人の、リムル様……」

 

ミュウランが慌てて立ち上がろうとするのを、未来の俺は軽く手で制した。

 

「座ったままでいいよ。俺たちのことは普通にリムルでいい。未来の俺か、こっちの俺かで適当に呼び分けてくれ。……で、どうだ? うちの飯は美味いか?」

 

「はい……。恥ずかしながら、魔物の国でこれほど温かく、素晴らしい食事がいただけるとは思っていませんでした。それに、この賑わいも……」

 

ミュウランは広間を見渡し、少しだけ眩しそうに目を細めた。

 

「人間と魔物が、種族の壁を越えて心から笑い合っている。クレイマンの支配下では、絶対にあり得ない光景です。あなたがたがどれほど凄いことを成し遂げようとしているのか、この宴を見ているだけで痛いほど伝わってきます」

 

「へへっ、だろ? うちの町も、料理も、自慢の最高傑作だからな!」

 

過去の俺が、俺の頭の上でえっへんと胸を張るように揺れる。

 

「楽しんでくれているなら何よりだ。お前も今日からこの国の客人なんだから、遠慮せずに腹いっぱい食ってくれ」

 

俺はそう言って微笑みかけ、それから少しだけ声を潜めて、真剣なトーンに切り替えた。

 

「……さて。飯を食ってるところ悪いんだが、少しだけ今後の打ち合わせをしておきたい」

 

「はい。なんなりと」

 

ミュウランも即座に背筋を伸ばし、優秀な魔人としての顔つきに戻る。

 

「クレイマンはお前からの偽報告を受けて、しばらくは安心するだろうが、すぐに『引き続きテンペストの内情を調査しろ』と命じてくるはずだ」

 

「ええ、間違いありません。あの男は疑い深く、そして執念深い。一度目を付けた以上、納得のいく情報が得られるまで私をこの周辺に留め置くはずです」

 

「そこでだ。お前にはそれに従うフリをして、堂々とこの町に戻ってきてもらうための『完璧な隠れ蓑』を用意しようと思う」

 

俺がそう告げると、ミュウランは不思議そうに小首を傾げた。

 

「隠れ蓑、ですか? 幻術や偽装の魔法で人間の商人にでも化けるのでしょうか」

 

「いや、もっと確実で、クレイマンも疑いようのないポジションだ。……今、西側のファルムス王国から『ヨウム』っていう人間の男がリーダーを務める一団が、辺境の調査や魔物討伐の名目で動いてるんだ」

 

「ヨウム……ですか」

 

「ああ。実はそのヨウムたち、俺たちが裏で色々と支援して、人間の『英雄』として盛り立てている最中でね」

 

頭の上の過去の俺が、補足するように念話を飛ばしてくる。

 

(なるほど、ヨウムたちのパーティーにミュウランを送り込むのか!)

 

(ああ。あいつらには実力のある魔法使いが必要だし、ミュウランにとっても人間のパーティーに紛れ込むのは好都合だろ?)

 

俺はミュウランに向き直り、具体的な手順を説明した。

 

「ミュウラン、お前は人間の魔法使いとして、そのヨウムのパーティーに接触して仲間入りしてくれ。あいつらは辺境を回った後、近いうちに必ずこのテンペストにやって来る手筈になっている」

 

「なるほど……。私はヨウムたちの仲間として、表向きは『ファルムス王国の英雄の一団』として振る舞うのですね」

 

「そういうこと。そうすれば、クレイマンへの裏の顔は『人間に紛れてテンペストに潜入した優秀なスパイ』として完璧な言い訳が立つ。この町に長期間滞在して堂々と調査(という名目の偽装報告)を続けても、クレイマンに怪しまれることは絶対にない」

 

俺の提案を聞いたミュウランは、しばらく目を伏せてその計画の完璧さを反芻し、やがて感嘆の溜息を漏らした。

 

「……恐れ入りました。クレイマンの監視を逆手にとるだけでなく、人間の英雄の動向すらも手中に収める。未来のリムル様は、クレイマンなど比較にならないほどの恐ろしい策士ですね」

 

「人聞きの悪いこと言うなよ。俺はただ、皆が平和に暮らせるための布石を打ってるだけだっての」

 

俺が肩をすくめると、ミュウランは今日初めて、心の底からのおかしみを滲ませたような、柔らかな笑い声を立てた。

 

「それにな」

 

俺は一歩だけ彼女に近づき、悪戯っぽく口角を上げてみせた。

 

「ヨウムって男は……けっこう『良い男』なんだぜ?」

 

「え……?」

 

唐突な言葉の意味がわからず、ミュウランが小さく首を傾げる。

 

「ま、そういうことだから! これからのことはいったん忘れて、今はとにかく宴を楽しんでくれ!」

 

俺はそれ以上は語らずにひらひらと手を振り、頭の上に過去の俺を乗せたまま、騒ぎの中心である幹部たちの輪へと戻っていった。

 

取り残されたミュウランは、俺の背中を見送った後、改めて賑やかな広間を見渡す。

先ほどまでの死の恐怖と絶望は嘘のように消え去り、代わりに胸の奥底から込み上げてくるのは、得体の知れない高揚感と、ほんの少しの期待だった。

 

(良い男、か。……クレイマンの配下として何十年も暗躍してきた私が、人間の一団に潜入ね。どうなることやら)

 

そう小さく独りごちて、彼女は再び温かいスープを口に運んだ。先ほどよりもさらに、深く優しい味わいがした。

 

 

* 

 

 

俺たちが上座に戻ると、すでにシオンやベニマルたちが車座になって本格的な酒盛りを始めていた。

 

「おお、リムル様! 客人との密談は終わりましたか? ささ、こちらも一杯どうぞ!」

 

シオンが嬉々として、なみなみと注がれた大杯を突き出してくる。

 

「お、おう。ほどほどにな」

 

過去の俺がスライムの姿のまま器用に酒を飲み干すのを見ながら、俺も果実酒を煽る。

 

「しかし、未来のリムル様。あのように素性の知れぬ魔人を、よりにもよって人間の英雄の元へ送り込んで本当に大丈夫なのですか?」

 

周囲の喧騒に紛れ、ベニマルが少しだけ声のトーンを落とし、探るように聞いてきた。

 

「大丈夫さ。あいつは義理堅い性格してるし、何より『恋』の力は偉大だからな」

 

「は? 恋、ですか?」

 

ポカンとするベニマルをよそに、俺は一人でニヤニヤと笑った。元の歴史でヨウムとミュウランがどうなったかを知っているからこそ、この先の二人の出会いが少しばかり楽しみでもあったのだ。

 

宴は夜更けまで続き、魔物たちの底なしの体力によって大いに盛り上がった。

そして翌朝。 二日酔いでダウンしている数名(主にゴブタなど)を放置しつつ、俺たちは早速ミュウランの出発準備に取り掛かった。

 

「実は、ヨウムたちのパーティーに合流する前に、一度クレイマンの領地である傀儡国ジスターヴへ戻らなければならないのです」

 

彼女はすでに、昨夜の宴の時に着ていた服から、旅の魔法使いらしい質素だが機能的なローブへと着替えている。

 

「ジスターヴへ? ああ、なるほど。直接顔を出して報告しないと怪しまれるってことか」

 

俺が納得して頷くと、ミュウランは真剣な表情でコクリと首を縦に振った。

 

「はい。あの男は疑い深い性格です。カリュブディスほどの大きな事象が起きた以上、水晶を使用した遠隔の通信だけで済ませてしまえば、逆に不信感を持たれかねません。一度直接帰還し、事前に未来のリムル様との打ち合わせ通りに『魔人が作った国家ではありますが、カリュブディスを始末したのは魔王ミリムであり、特筆すべき脅威はなかった』と私の口から直接報告することで、クレイマンを完全に安心させることができます」

 

「確かに、それが一番確実だな。一応カリュブディスの戦闘を見られてた時点から映像の偽装工作は行っていたが、クレイマンの性格を考えれば、報告を聞いた上で『では引き続き、より深く潜入して内情を探れ』って具合に、改めてテンペストへの調査を命じてくる可能性が高い」

 

「ええ、私もそう予想しています。その命令を受けた後であれば、西側諸国へ回ってヨウムの調査団に合流し、人間のふりをしてこの町へやってくるという動きも、クレイマンから見れば『完璧な潜入工作』として映るはずです」

 

頭の上の過去の俺が、感心したように念話を飛ばしてくる。

 

(なるほどなあ。敵の懐に一度戻るってのは少しヒヤヒヤするけど、クレイマンを完全に出し抜くならそれがベストか)

 

(ああ。それに、ミュウランの呪印への偽装工作は俺の『相棒』の演算能力で完璧に仕上げてある。クレイマンの探知能力程度じゃ絶対にバレないさ)

 

俺は過去の俺にそう返してから、ミュウランに向き直った。

 

「わかった。なら、予定を少し変更して、まずはお前をジスターヴへ送り出そう。だが、道中や向こうで何か問題が起きたら、絶対に一人で抱え込まずに連絡してくれ。ソウエイ」

 

「ハッ」

 

俺が呼ぶと、部屋の影から音もなくソウエイが姿を現した。

 

「ミュウランの護衛と連絡役として、お前の配下の『影』を1名、彼女の道中に潜伏させておいてくれ。クレイマンの領地に入る手前までは完全に護りきり、その後も一定の距離を保って有事の際の連絡線を確保するんだ。」

 

「承知いたしました。抜かりなく手配いたします」

 

ソウエイが冷徹に一礼し、再び影の中へと溶け込んでいく。 それを見たミュウランは、安堵と感謝が入り混じったような深い溜息を漏らした。

 

「……本当に、何から何までありがとうございます。クレイマンの元へ戻るというのに、不思議と恐怖はありません。必ずこの任務を全うし、ヨウムという人間のパーティーを探し出して、再びこの町へ戻ってまいります」

 

「ああ。気をつけてな。ヨウムたちと合流する頃には、俺たちも色々と準備を進めておくから」

 

町の入り口まで赴き、皆で彼女を見送る。朝日が差し込む街道を、ミュウランは迷いのない足取りで歩き出した。

その背中には、クレイマンの重圧に縛られていた昨日までの悲壮感は微塵もなく、確かな希望を抱いた自由な旅人の姿があった 。

 

その背中が完全に見えなくなった直後。

 

「おーい! リムルたちよ!」

 

上空から元気な声が降ってきたかと思うと、いつもの動きやすい服装に着替えたミリムが、ドスンと俺たちの目の前に着地した。

 

「どうしたんだミリム? その格好、もしかしてどこか出かけるのか?」

 

過去の俺が不思議そうに尋ねると、ミリムは少しだけバツが悪そうに、だが誤魔化すように胸を張った。

 

「うむ! 実はちょーっと野暮用を思い出してな! 少しの間、この町を留守にするのだ!」

 

「野暮用?」

 

「そうなのだ! すぐに戻ってくるから、我の分のおやつはちゃんと取っておくように! シュナにもそう伝えておいてくれ!」

 

そう言うなり、ミリムは有無を言わさぬ勢いでバサァッと竜の翼を広げた。

 

「おい、ちょっと待てって――」

 

過去の俺が引き止める間もなく、ミリムは「じゃあな、マブダチたちよ! また遊ぼうぞ!」と満面の笑みで手を振り、弾丸のような速度で空の彼方へと飛び去ってしまった。

 

「……行っちまったな。相変わらず嵐みたいなヤツだ」

 

過去の俺が、ポカンと空を見上げながら呟く。俺も苦笑して肩をすくめた。

 

「まあ、あいつにも魔王としての付き合いや仕事があるのさ。……でも、あいつがいないと少し静かになって、なんか寂しくなるな」

 

彼女の姿が空の彼方へ消えた後。隣で並んで見送っていた過去の俺が、スライムの体をぽよんと揺らしながら、ホッとしたような声を上げた 。

 

「いやあ、それにしても……今の時点では、俺から見ると全てが完璧で、めちゃくちゃ順調に進んでるように思えるな」

 

「ん? どうした急に」

 

「だってそうだろう? カリュブディスも被害ゼロで倒せたし、カリオンやユーラザニアとは友好関係が築けそうだし。おまけにクレイマンの強力な手駒まで、無傷でこっちの陣営に引き入れちまったんだからさ。これ以上ないってくらい、上手くいってる」

 

過去の俺の言う通りだ。 俺から見ても、ここまでは100点満点、いや、シエル先生の完璧なサポートもあって120点以上の成果が出ている。

 

俺が同意するように頷くと、過去の俺はふと声のトーンを落とし、スライムの丸い体を少しだけ引き締めるようにして、俺の顔を見上げてきた。

 

「なぁ、未来の俺。……この後、直近だとお前の本来の歴史では何が起こるんだ? これだけ順調に布石を打っていても、お前は安心していないように見えるからな。」

 

その真っ直ぐな問いかけに、周囲で控えていたベニマルやシオン、ソウエイたち幹部もスッと表情を引き締め、俺の次の言葉を待つように静まり返った。

 

俺は一つ息を吐き出し、過去の俺の鋭い観察眼に少しだけ口角を上げた。

 

「……バレてたか。まあ、ここまでは満点の出来だが、俺たちの最大の正念場を考えると、まだまだ気は抜けないからな。ここから直近で起こる大きな出来事は、順番に三つある」

 

俺は指を一本立てて、説明を始めた。

 

「まず一つ目。近いうちに、カリオンの部下のフォビオが再びこの町にやってくる。今度はカリュブディスの時の不始末を深く反省して、憑き物が落ちたようなめちゃくちゃ礼儀正しい態度でな。あいつはユーラザニアからの正式な書状を持ってくるから、それを元にお互いの国から使節団を送り合って、本格的な国交を結ぶことになる」

 

「ほう。あの血の気の多かった魔人が、礼儀正しく……ですか。それは少し、見てみたい気もしますな」

 

ハクロウが顎髭を撫でながら、面白そうに目を細めた。

 

「次に二つ目だ。それが終わったら、今度は俺……つまりテンペストの国家元首として、武装国家ドワルゴンへ赴くことになる。ガゼル王との同盟締結に関する本格的な会談と、ドワルゴン国民に向けた大々的な『演説』をやるんだ」

 

「えっ!? ガゼル王との会談はともかく、え、演説!? 俺が!?」

 

過去の俺がスライムの姿のまま、ビクッと飛び上がって激しく動揺する。

 

「お前が、だ。当たり前だろ?国家同士が協定を結ぶんだからな。まあ安心しろ。原稿の書き方から立ち振る舞いまで、後でみっちり仕込んでやるから」

 

俺が笑いながら言うと、過去の俺は「うげぇ……」と嫌そうな声を出して平たく潰れた。

 

「……そして、三つ目だ」

 

俺が少しだけ声のトーンを落とすと、その場の空気が再びピンと張り詰めた。

 

「ドワルゴンとの同盟が無事に結ばれた後、当時の俺は人間の国……イングラシア王国へ向かった。シズさんの心残りだった子供たちを救済するためにな」

 

「シズさんの……」

 

過去の俺が、静かにその言葉を反芻する。かつて、この身に受け継いだ炎の意志。その約束を果たす時が来るのだと、過去の俺にもしっかりと伝わったはずだ。

 

「ああ。子供たちを破滅の運命から救うための旅だ。そして当時の俺は一人で旅に出たんだ。魔物の大群を引き連れて、人間の王都に入るわけにはいかないからな」

 

その言葉に、すかさずシオンとベニマルが前に出た。

 

「お待ちください! 護衛もつけずに、主お一人で人間の王都へ向かうなど危険すぎます! せめて私だけでもお供を――」

 

「シオンの言う通りです。いくらリムル様とはいえ、単独行動は軍略として看過できません」

 

「まあ落ち着け。一人といっても同伴者がいたし、それに今回は俺もいる。それよりも、ここから先の出来事が問題だったんだ」

 

俺は二人の言葉を遮り、強い視線で幹部たちを見渡した。

 

「いいか。俺がイングラシア王国へ向かって、このテンペストを留守にしているそのタイミングで――ファルムス王国が、いよいよこの町に牙を剥いてくることになる」

 

その言葉に、過去の俺が静かに頷いた。

スライムの姿であっても、その意思の強さがはっきりと伝わってくる。

 

「いよいよ、だな。……前の会議で教えてくれた、ファルムス王国がこの町に攻めてくるっていう、最大の正念場」

 

「ああ。お前が単独でイングラシア王国へ向かい、魔物たちの主が留守だという『絶好の隙』をあえて晒す。そのタイミングで、欲に目が眩んだファルムス王国と西方聖教会が牙を剥く」

 

俺の確認に、ベニマルやシオンたち幹部は驚くことなく、ただ静かに、そして苛烈な闘志を瞳に宿した。彼らはすでに以前の会議でこの『本来起こるはずだった悲劇』のシナリオを聞かされており、この時のために戦力を鍛え、防衛の要を構築してきたのだ。

 

「だが、以前みんなに話した時は、最悪の事態に備えるという漠然とした方針しか伝えていなかったな」

 

俺がそう切り出すと、ベニマルたちは黙って頷いた。

 

「あれから、相手の戦力やこちらの盤面を改めて精査して……今回、侵攻してくるファルムス王国の大軍勢に対して具体的にどう対応し、どう終わらせるか、俺の中で一つの『明確な案』が決まったんだ」

 

「明確な案……つまり、ただ迷宮で防衛してやり過ごすだけじゃないってことか?」

 

過去の俺が、スライムの体を少しだけ縦に伸ばして問う。

 

「ああ。敵を完封した上で、今後の西側諸国とのパワーバランスを完全にこちらへ傾けるための作戦だ。……ただ、これはテンペストという国のあり方を決定づける、極めて重要な話になる」

 

俺は幹部たち、そして過去の俺を真剣な眼差しで見渡した。

 

「ここでの立ち話で済ませるような内容じゃない。詳しくは、会議室に場所を移して、幹部全員を交えてじっくりと話したい。……いいか?」

 

俺の提案に、過去の俺はコクリと大きく頷き、すぐに凛とした指示を周囲に放った。

 

「わかった。みんな、すぐに会議室に集まってくれ。テンペストの今後の運命を決める、重要な軍議を開くぞ!」

 

「「「ハッ!!」」」

 

過去の俺の号令に、幹部たちは一斉に踵を返し、己の役割を果たすべく迅速に動き出した。

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