【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第六章 地下迷宮の極秘研究と原初の系譜

その後、テンペストの時間は慌ただしくも着実に進んでいった。

 

数日後、魔王カリオンが治める獣王国ユーラザニアから、三獣士の一人である『黒豹牙』のフォビオが再びこの町を訪れた。

以前テンペストを訪れた際の傲慢で血の気の多かった態度は見る影もなく、まるで憑き物が落ちたように礼儀正しく、かつての自身の非礼を深く陳謝する彼の姿に、出迎えた幹部たちも大いに驚くことになった。

 

フォビオが恭しく差し出したカリオンからの正式な書状には、テンペストの実力を認め、対等な関係として正式な国交を結びたい旨が記されていた。

俺たちはこれに快く応じ、後日お互いの国から使節団を送り合うことで合意する。

 

その合意からさらに数日の間に、俺たちは迅速に使節団を編成し、獣王国ユーラザニアへと送り出した。

使節団の団長にはベニマルを、副団長にはリグルを抜擢し、国の威信を背負うにふさわしい立派な陣容を整えて出発させたのだ。

 

そして、いよいよユーラザニアからの使節団がこのテンペストに到着する当日。

 

表立った出迎えや外交の対応は、テンペストの主である『過去の俺』と残りの幹部たちに完全に任せることにした。

近いうちにドワルゴンへの訪問やイングラシアへの単独行を控える過去の俺にとって、他国との本格的な外交は王としての重要な経験になるからだ。

 

その裏で、俺は何をしていたかというと――闘技場の地下に構築中であるラミリスの迷宮(ダンジョン)へ、ベスターやガビルたちが使用している『研究施設』を丸ごと移動させるための、大掛かりな引っ越し準備に追われていた。

 

「よし、その魔力測定器は慎重に運んでくれ。少しでも衝撃を与えると数値が狂うからな」

 

「ハッ! お任せを、未来のリムル様!」

 

俺の指示を受け、ガビル率いる飛竜衆の面々が、丁寧に梱包された実験器具や資料を次々と迷宮の入り口へと運び込んでいく。

 

これまでは回復薬(ポーション)の原料となるヒポクテ草の群生地である『封印の洞窟』内に研究施設を構えていたが、国家の発展と今後のファルムス戦を見据え、最高機密である彼らの研究をより安全な場所へ隔離する必要があったのだ。

 

「ベスター、ガビル。そっちの搬入状況はどうだ?」

 

俺が声をかけると、引っ越し作業を指揮していた二人が小走りで駆け寄ってきた。

 

「はい。主要な解析機材や実験設備の運び出しは、概ね完了いたしました。これより迷宮の『95階層』に建設していただいた新たな研究所への設置作業に入ります」

 

ベスターが額の汗を拭いながらも、新しいラボへの期待からか目を輝かせて報告する。

 

95階層。

そこは迷宮の最深部にほど近い、一般の侵入者や軍隊が絶対に到達できない絶対安全圏だ。

ラミリスの権能によって環境も自在に操作できるため、研究にはこの上ない立地と言える。

事実、俺の歴史でも95階層の一連の研究施設からはテンペストを支える様々な研究成果が生まれたのだ。

 

「ヒポクテ草の生産については、今まで通り封印の洞窟で続けるということでよろしいのですね?」

 

ガビルが尋ねてきたので、俺はそのとおりだと言った。

 

「ああ。あそこはヴェルドラの魔素が長年にわたって染み付いていて、高純度のヒポクテ草を自然栽培するにはこれ以上ない最高の環境だからな。今の時点では迷宮で高濃度の魔素を作る手筈は整っていないから、その課題を解決できた後に生産施設も移動しよう」

 

俺がそう答えると、不意に頭上から元気な声が降ってきた。

 

「ちょっとちょっとー! アタシの迷宮(ダンジョン)と天才的なひらめきを甘く見てもらっちゃ困るわね!」

 

パタパタと小さな羽音を立てて舞い降りてきたのは、妖精女王にしてこの迷宮の創造主であるラミリスだ。

その後ろには、彼女を甲斐甲斐しく世話する樹妖精(ドライアド)のトレイニーが、ふわりと優雅に付き従っている。

 

「ひらめきって……魔素の濃度ばっかりは、いくらラミリスの権能でも無から生み出すことはできないだろ?」

 

俺が呆れたように言うと、ラミリスはニシシと悪戯っぽく笑って、俺をビシッと指差した。

 

「ふふん! こないだシュナさんやシオンたちから、すっごい内緒話を聞いちゃったのよ! なんでも、アンタ……というか『過去のアンタ』の胃袋の中に、あのトカゲ……ゲフンゲフン、暴風竜ヴェルドラが引きこもってるんですって!?」

 

「あいつら、もう喋っちまったのか……。まあ、ラミリスならいずれ迷宮造りで関わるし、別にいいか」

 

俺がため息をつくと、トレイニーがニコニコと微笑みながら深く頷いた。

 

「ええ。最初にベニマル殿たちからそのお話を伺った時は、私たち樹妖精(ドライアド)も森の管理者として卒倒しかけました……。ですが、リムル様であればと、今ではすんなり納得しております」

 

「そういうこと! だからね、アイツが無事に外へ出てきたら、この迷宮の最深部にアイツ専用の広くて快適な部屋を作ってあげるの! そこでアイツがダラダラして漏れ出した莫大な魔素を、アタシの権能で迷宮中にギュッと循環させてやれば……高濃度の魔素環境なんてあっという間に解決よ! 完璧な計画でしょ!」

 

ラミリスが両手を腰に当て、これ以上ないほどのドヤ顔で小さな胸を張る。

 

「あのな、ラミリス……」

 

俺は、得意絶頂の妖精女王に向かって、少しだけ気の毒そうな視線を向けた。

 

「今、いかにも『自分の天才的な妙案を思いついた!』って感じで喋ってるところを腰折って申し訳ないんだけどさ。……未来の歴史では、実際にその全く同じ方法でヴェルドラに魔素を供給してもらってたんだよ。さっき俺が言ってた『課題の解決策』ってのも、ヴェルドラが外に出てくるのを待つって意味で言ったんだ」

 

「えっ……!?」

 

ラミリスのドヤ顔が、ピシッと音を立てて固まった。

 

「あ、アタシのオリジナル大天才アイデアが!? す、すでに未来のアンタたちに実行されてたってわけ!?」

 

「そういうこと。まあ、ヴェルドラの魔素を再利用するって発想に行き着いたのは素直に褒めてやるよ」

 

「うわあああん! なんか悔しいーっ!!」

 

頭を抱えて空中をジタバタと飛び回るラミリスを見て、俺は思わず吹き出しそうになった。

 

「なるほど……! 暴風竜様ご自身の魔素を迷宮の動力源とし、さらに環境操作で特定の階層の濃度をコントロールする……。我らが主は、最初からそこまで見越して暴風竜様をこの迷宮に迎え入れるおつもりだったのですね。まさに完全無欠の計画ですな!」

 

先日の会議で俺から直接秘密を聞かされていたベスターが、眼鏡を押し上げながら、その完璧な理屈に興奮気味にメモを取り始める。

 

「暴風竜様の魔素に包まれながらの研究! その日が来るのが待ち遠しいですな! 我らもさらに気合を入れて機材の搬入を急がねば!」

 

同じく事情を知るガビルも、嬉しそうに手にしたバインダーを掲げた。

 

(本当は、ヴェルドラの魔素を利用するのも行き当たりばったりで結果的にそうなっただけだったんだけどな・・・今はそのことは黙っておくか)

 

そんなことを俺が考えていると、重い金属音を響かせながら、もう一人の頼もしい男が歩み寄ってきた。

 

「おーい、リムルの旦那! 頼まれていた研究所用の特注機材一式、運び込ませてもらったぜ!」

 

テンペストの生産部門のトップであるドワーフ、カイジンだ。

彼の後ろでは、屈強なドワーフや猪人族(ハイ・オーク)たちが、厳重に梱包された巨大な装置や特殊なガラス管などを慎重に搬入している。

 

「おっ、カイジン! 悪いな、忙しいのに直接指揮してくれて」

 

「なに言ってやがる。旦那からの『国家の最高機密』に関わる特注品だぞ? 他の奴らに任せてられるかってんだ」

 

カイジンは豪快に笑いながらも、ふと周囲の巨大な空間――95階層のスケールを見渡して、感嘆の息を漏らした。

 

「それにしても……本当に地下にこんなデタラメな空間を作り出しちまうとはな。これなら、どんな強力な魔法や危険な薬品の実験をやらかしても地上には一切影響が出ねえ。それにさっきの旦那たちの会話が聞こえてきて思ったが、会議で聞いた時は心臓が止まるかと思った『暴風竜様を味方に引き入れている』って事実が、この迷宮の魔素問題を解決する最大のピースだったとは。未来の旦那が自身の歴史で行ったっていう計画の先見性には恐れ入るぜ」

 

「……うう、アタシだって思いついてたのに」

 

まだ少し悔しそうに唇を尖らせているラミリスをトレイニーが優しく宥めているのを見ながら、俺は確かな手応えを感じていた。

 

「……ところで」

 

俺が声をかけると、全員の視線が一斉にこちらへ集まった。

 

「よく見たら、ここにはうちの国の現時点での『開発・生産関係のトップ』が見事に揃ってるな。ちょうどいい、荷物の移動がひと段落したら、お前たちに今後のことで話しておきたい重要な案件があるんだ。だから、サクッとこの引っ越し作業を終わらせてしまおうぜ」

 

俺の提案に、カイジンやベスターたちは顔を見合わせ、すぐさま目の色を変えて力強く頷いた。

 

「おう! リムルの旦那の頼みとあっちゃあ、こんなところで油を売ってる場合じゃねえな! 野郎ども、ピッチを上げるぞ!」

 

「ええ! リムル様からの新たなる命……今から胸が鳴りますな! ガビル殿、そちらの魔力測定器の配置を急ぎましょう!」

 

「お任せを! お前たち!張り切って作業にあたるぞ!」

 

俺の言葉を合図に、現場の熱気はさらに一段階跳ね上がった。

 

 

 

 

それからの搬入・設営作業は、驚くほど迅速だった。

 

カイジン率いるドワーフ職人や猪人族(ハイ・オーク)たちの正確無比な力仕事に加え、飛竜衆の立体的な機動力、さらにはラミリスの迷宮操作による床や壁の最適化も手伝い、膨大な量の研究機材と特殊設備は、次々と95階層の新たな研究所へとパズルのように収まっていく。

精密なガラス器具の再組み立てや、ベスターたちがこだわる実験ラインの動線確保なども、各部門のトップが直接連携することで淀みなく進められた。

 

そして数時間後。

 

真新しい防壁に囲まれ、魔法の照明によって地上よりも明るく照らされた広大な地下ラボラトリーに、テンペストの最高機密たるすべての機材が無事に鎮座した。

 

荷解きと最低限のセッティングがひと段落し、まだ少し薬品や木材の匂いが漂う真新しい大型の会議テーブルに、俺を含めた開発首脳陣がぐるりと腰を下ろす。

全員の顔には心地よい疲労感と、これから始まる俺の話に対する強い期待が浮かんでいた。

 

 

「さて。これから話すことは、ここ数日、夜に過去の俺と色々話してて密かに盛り上がってた内容なんだが……」

 

俺はぐるりと円卓の顔ぶれを見渡し、ニヤリと笑った。

 

「言葉でちまちま説明するより、直接見せた方が早いだろ。お前たちの頭の中に、少しだけ『未来の光景』を送るぞ」

 

そう言って、俺は『思念伝達』のネットワークを構築し、この場にいる開発部門の幹部たちの脳内へ、俺の記憶アーカイブから引き出した「ある映像」を直接再生した。

 

『――ガシャン、ガシャン、ガシャン……! ヴォォォォォォォォォォッ!!』

 

脳内に響き渡る、重厚な金属の駆動音と、大地を震わせるような走行音。

彼らの脳内に広がったのは、美しく舗装された大地をどこまでも真っ直ぐに伸びる、二本の鋼鉄のレール。

そして、そのレールの上を、馬や魔物に引かれることもなく、自らの力で猛烈なスピードで駆け抜けていく『巨大な鉄の塊』――未来のテンペストが誇る、魔導技術の結晶だった。

 

「な、なんだこりゃあ!? 馬もいねえのに、このバカでかい鉄の箱が、ものすごい速さで自走してやがる……ッ!?」

 

カイジンが、手に持っていたゴーグルをポロリと落としそうになりながら目を剥いた。

 

「信じられない……!一体どのような原理で自走を…!? しかも、この連結された車両の数……一体どれほどの物資と人員を一度に運べるというのです!?」

 

ベスターが、映像を食い入るように見つめながら、カタカタと震える手で無意識に空中に計算式を描き始めている。

 

「こ、これは凄まじい! 猛烈な勢いで力強く突き進むその姿、まるで大地を這う巨大な鉄の竜でありますな! 我輩、その圧倒的な質量と速度に魂が激しく震えましたぞ!!」

 

ガビルも両腕を高く振り上げ、目を輝かせながらひときわ大きな身振り手振りで大興奮の声を上げた。

 

「うわあああ! なにこれなにこれ、すっごくカッコいい!! アタシの迷宮の中にもこれ走らせたい!!」

 

「まあ……! リムル様の治めるこの国の未来は、これほどまでに発展を遂げるのですね」

 

ラミリスが子供のようにはしゃぎ回り、トレイニーも目を細めてうっとりとその光景に見入っている。

 

俺は映像の再生を止め、興奮冷めやらぬ彼らに向かって静かに告げた。

 

「これは『魔導列車』。未来の俺たちの国で、実際に各地を結んで走っている次世代の交通機関だ。魔素を動力源とする機関車の原理で、大量の物資と人を、信じられない速度で安全に運ぶことができる」

 

俺は卓上に手をつき、言葉を続けた。

 

「ファルムス王国との戦争が終わって、西側諸国との関係が落ち着いたら……俺はこのテンペストを、世界中のあらゆる文化と物資が集まる『文化の中心地』にしたい。そのためには、圧倒的な物流網と、それを支える『魔導科学』の技術が絶対に必要になる」

 

俺の言葉に、カイジンやベスター、ガビルたちの顔つきが、単なる驚きから「技術者や探求者としての猛烈な闘志」へと劇的に変わっていくのがわかった。

 

「お前たちにこの95階層で極めてもらうのは、回復薬の研究だけじゃない。いずれはこの『魔導列車』の開発にも着手し、テンペストの技術力を世界最高峰まで引き上げてもらいたいんだ。それに、本来の未来の歴史でも、こいつの実用化に漕ぎ着けるまでには相当な時間と労力がかかったからな」

 

俺は少し真剣な表情になり、熱狂する彼らに向かって言葉を続ける。

 

「だが、今回の歴史ではもっと早く、もっと確実な形でこいつを完成させたい。西側諸国に対する圧倒的な優位性を確立するためにもな。だからこそ、この最高機密の地下研究所が整った今の段階から、魔導列車の基礎研究を極秘裏に開始してほしいんだ」

 

カイジンとベスターは顔を見合わせ、その重大な役目にゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

「なるほど……。これほど巨大で複雑な機構となれば、一朝一夕で完成する代物じゃねえのは一目瞭然だ。早めに手を打っておくに越したことはねえな」

 

「ええ。ですがリムル様、映像で見たあの『れーる』とやらは……? これだけの鉄の塊を正確に走らせるためには、専用の特殊な道が長距離にわたって必要になるのでは?」

 

さすがはベスター、目の付けどころがいい。

 

「その通りだ。だから、お前たちに基礎研究を進めてもらうのと並行して、まずはレールだけを前もって敷設しておく段取りを進めようと思っている」

 

「ほう! それは一体どこへ向けて敷くおつもりで?」

 

ガビルが興味津々に身を乗り出してきた。

 

「最初は、武装国家ドワルゴンまでの直通ルートだ。……ファルムス戦が終わったら、早い段階でガゼル王と交渉して、両国を繋ぐ大規模な交通網の建設に同意してもらうつもりだ。表向きは馬車の街道整備という名目にしておいて、その裏で密かにこのレールの基礎工事を進める計画を立てている」

 

ドワルゴンとの直通物流網。

それが実現すれば、テンペストの経済力と影響力は計り知れないほど飛躍的に向上する。

 

「おぉぉぉ! ドワルゴンと我が国が、この巨大な鉄の竜で結ばれる!想像しただけでも血が騒ぎますな!!」

 

ガビルが両手を叩いて大喜びする横で、カイジンは太い腕を組み、技術者らしい鋭い目を向けてきた。

 

「しかし旦那、さっき『機関車』とか言ってたが……魔素をどうやってあの巨大な推力に変えてるんだ? 俺たちの知ってる既存の魔法や魔力駆動の理屈とは、根本的に違う気がするんだが……」

 

「よく気付いたな、カイジン。こいつの仕組みには、俺のいた元の世界……異世界の科学技術の概念がふんだんに使われているからな」

 

俺はそう言うと、俺の記憶アーカイブから復元してあらかじめ書き起こしておいた、分厚い数冊の革表紙の本を取り出し、テーブルの上にドンッと置いた。

 

「皆にとってはまだ馴染みのない概念ばかりだろうから、必要な知識を本にまとめておいた。これには『電気』についての概念と、『蒸気エネルギー』の仕組みについて詳しく書かれている」

 

ベスターとカイジンが、食い入るようにその本を引き寄せ、パラパラとページをめくり始める。

 

二人の優秀な頭脳は、未知の知識を前にして瞬時に仕事モードへと切り替わっていた。

 

「ふむ……『蒸気』、ですか。水を沸騰させて発生した膨張の圧力を、シリンダーという筒の中でピストンを押し出す運動に変換する……。なるほど、理屈としては非常に物理的ですが、極めて理にかなっています。たしかに、湯を沸かした際に出る湯気などは目にした事がありますが、それを動力にするという発想は今まで思いつきもしませんでした。火の魔法や魔石を熱源として組み込めば、安定して莫大な力を生み出せそうですな」

 

ベスターが『蒸気エネルギー』の項目を読み解きながら、感心したように何度もうなずく。

もともとドワルゴンで最先端の魔導兵器開発に関わっていた彼にとって、物理法則と魔法の融合という概念自体は比較的すんなりと腑に落ちたようだ。

 

だが、カイジンの方はもう一冊の『電気』に関する本を睨みつけながら、眉間に深いシワを刻んで唸り声を上げていた。

 

「……蒸気の方はわかる。だが旦那、この『電気』ってのは一体なんだ? 雷の魔法とは違うのか? 金属の中を水のように流れて、光や熱を出したり、物を動かしたりする……? いやいや、魔素とも違うそんな目に見えねえエネルギーが流れるなんて、これまでの常識じゃあちょっと考えられねえぞ」

 

「全くだ。魔法的な雷撃を攻撃に使うならともかく、自然界に存在する『電気』というものを線で繋いで制御し、動力にする……。にわかには信じがたい、全く新しい概念です」

 

ベスターもカイジンの本を覗き込み、難解な数式と見慣れない回路図を前にして困惑の表情を浮かべた。

ガビルに至っては、難しすぎる内容に早々に目を回し、「さ、流石は未来の叡智……我輩には何が何やら!」と潔く万歳している。

 

まあ、無理もない。

蒸気機関の延長なら彼らの技術力でどうにかなるが、電気回路やモーターの原理といった概念は、この世界の物理科学レベルから見れば完全にオーパーツだ。

俺の時代のベスターやカイジンだって相当な時間をかけて理解した概念だからな。

 

「わかってる。だから、いきなり電気を完全に理解しろとは言わない。まずはその本を読み物として頭の片隅に入れておいてくれればいい」

 

俺は困惑する技術者たちに向かって、ニヤリと笑いかけた。

 

「その代わりと言っちゃなんだが……お前たちが研究を始めるための、手っ取り早くて最高の『サンプル』を用意してあるんだ」

 

「サンプル、ですか?」

 

首を傾げるベスターをよそに、俺は空中でパタパタと羽ばたいているラミリスの方へと視線を向けた。

 

「ラミリス。以前、過去の俺が子供たちを連れて精霊の棲家を訪れた時に、お前が差し向けてきたゴーレムがあったよな?」

 

「えっ!? ゴーレムって……アタシの最高傑作にして、精霊工学の粋を集めた『魔装兵(エレメンタルコロッサス)』のこと!? あんたがコテンパンにぶっ壊したんじゃなかったっけ?」

 

「いや、よく思い出せ。あの時、俺は魔装兵を破壊せずに、機能だけを停止させて綺麗に回収したんだよ」

 

俺の言葉に、ラミリスは「あっ!」と小さな口に手を当てた。

 

「そ、そういえばそうだったかも! あのアト、アンタの力にビビって忘れかけてたけど、ちゃんとアタシが迷宮の奥に仕舞ってたわ!」

 

そう、あの精霊の棲家での試練の際、俺は力任せに粉砕するのではなく、核となる部分を傷つけずに無力化し、そのままテンペストへの移住の際にラミリスと一緒に移動してきたのである。

 

「あの魔装兵に組み込まれている動力炉……精霊の力を引き出し、莫大なエネルギーへと変換して巨体を動かす機構は、今の俺たちにとってこれ以上ない生きた教材になる」

 

俺がそう告げると、カイジンとベスターの目の色が、文字通りバチッと一瞬にして変わった。

 

「な、なんだと……!? 精霊工学の結晶だと!?」

 

「ラミリス様が直々に創り上げたという魔装兵……! その無傷の動力炉が手元にあるというのですか!」

 

「そういうことだ。本に書かれている『電気』や『蒸気』の仕組みと、魔装兵の動力システム。それらを照らし合わせて解析を進めれば、必ず魔導列車の動力機構に応用できる技術が見つかるはずだ。……どうだ、面白そうだろ?」

 

俺はニヤリと笑い、今度はカイジンとベスターの方へ視線を向けた。

 

「それに、だ。未来のカイジンたちがこっそり教えてくれたんだが……あの魔装兵、ただのゴーレムじゃないんだよな。元々はドワルゴンでカイジンとベスターの二人が研究していた『魔装兵計画』で、失敗作として廃棄された機体を……ラミリスが勝手に拾ってきて、独自の精霊工学を組み込んで完成させたものらしいな?」

 

「な、なんだと……!?」

 

「ま、まさか……!」

 

俺が爆弾発言を投下した瞬間、カイジンとベスターは弾かれたように立ち上がり、目を引剥かんばかりに見開いた。

 

「俺たちの廃棄したあのゴーレムをだと!? 動力問題がどうしても解決できず、泣く泣く計画を凍結して廃棄したあの機体を……!」

 

「ラ、ラミリス様が独断で完成させて、しかも実際に稼働させていたというのですか!?」

 

二人の技術者が、驚愕と興奮の入り混じった視線でラミリスを凝視する。

 

「あわわわっ! ち、違うのよ! ちょっとゴミ捨て場にすごく良い作りの部品が落ちてたから、もったいないと思ってエコの精神でリサイクルしただけで……悪気はなかったのよ!?」

 

ラミリスが慌てて宙を泳ぎながら弁解する。

どうやら無断拝借した自覚はあったらしい。

 

だが、技術者二人の目の色は、もはや怒りなどではなかった。

純粋な『技術的探求心』と、かつての己たちの挫折が乗り越えられていた事実に対する猛烈な知的好奇心によって、文字通りバチッと燃え上がっていた。

 

「つまりだ」

 

俺は卓上をトントンと指で叩き、彼らの視線をもう一度集めた。

 

「本に書かれている『電気』や『蒸気』の未知の仕組みと……かつてお前たち自身が手掛け、ラミリスが精霊の動力炉を組み込んで完成させた魔装兵のシステム。それをもう一度お前たち自身の手で解体し、照らし合わせて解析を進めれば、必ず魔導列車の動力機構に応用できる技術が見つかるはずだ。……どうだ、面白そうだろ?」

 

「面白そうだ、だと?」

 

カイジンがワナワナと震える手でテーブルを叩き、ニヤリと……いや、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべた。

 

「冗談じゃねえぞ、リムルの旦那。こんな最高に面白そうなモンを目の前にぶら下げられて、ドワーフの職人が我慢できるわけがねえだろうが!」

 

「ええ、全くです!」

 

普段は冷静なベスターまでもが、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで身を乗り出している。

 

「かつて我々が到達できず、泣く泣く手放した夢の続き。それをこの手でもう一度……しかも、全く新しい異世界の叡智と融合させて組み上げられるなど! これほど研究者冥利に尽きる課題はありませんぞ!」

 

二人の目には、もはやファルムス王国の脅威など微塵も映っていなかった。

ただ純粋に、目の前に提示された『未知の技術』への探求心と、『過去の雪辱』を晴らすことへの極限のモチベーションだけが激しく燃え盛っている。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよアンタたち!」

 

そこでたまらず慌てて割って入ったのはラミリスだ。

 

「さっき解体するって言ったわよね!? アタシの可愛い最高傑作をバラバラにする気!? やめてよ、アレ作るのすっごく大変だったんだから!」

 

涙目で抗議しながら宙をバタバタと飛び回るラミリスを、「まあまあラミリス様、決して無下には扱いませんから」「そうそう、さらに素晴らしいものへと進化させるための第一歩ですよ」と、カイジンとベスターが必死になだめている。

その騒がしいやり取りを眺めていた俺は、ふとある重要な未解決案件を思い出した。

 

「あ……」

 

思わず間の抜けた声が漏れる。

 

「ちょっとリムル! 今の『あ……』って何よ!? まさかアタシの扱いを適当でいいやって思ったんじゃないでしょうね!?」

 

目ざとく俺の反応に気づいたラミリスが、ジト目で距離を詰めてくる。

 

「いや、そうじゃない。すっかり忘れてたんだが……あの精霊の棲家で魔装兵(エレメンタルコロッサス)を機能停止させたお詫びに、お前に『新しい専属の守護者』を作ってやるって約束してたよな?」

 

俺がそう言うと、ラミリスはハッとして、それから得意げに腕を組んでふんぞり返った。

 

「そ、そうよ! アタシは海より広い心でずっと待っててあげたのよ! アンタが忙しそうにしてたから催促しなかっただけで、決してアタシ自身が忘れてたわけじゃないんだからね!」

 

(絶対こいつも忘れてたな……)

 

内心でツッコミを入れつつ、俺はラミリスに向かって頷いた。

 

「悪かったな。お前の大事な魔装兵をカイジンたちの研究素材として提供してもらうわけだし、その代わりと言っちゃなんだが……今ここで、俺の持てる技術の粋を集めて、最高に優秀な守護者を用意してやるよ」

 

「ほ、ほんと!? やったー!!」

 

現金なもので、ラミリスはコロッと機嫌を直して大喜びで空中をクルクルと飛び回り始めた。

トレイニーも「まあ……ラミリス様に新たなる守護者が……」と感動の面持ちで両手を合わせている。

 

「リムルの旦那、守護者を用意するって、一から新しいゴーレムを組み上げるのか? そりゃあ俺たちも興味があるが、すぐには……」

 

カイジンが不思議そうに尋ねてくる。

 

「いや、一から組み上げるより、もっと手っ取り早くて確実な方法がある。未来で俺も実践した方法だ」

 

俺はそう言って、虚数空間から大量の『魔鋼』の塊を取り出し、床に無造作に積み上げた。

魔素をたっぷりと含んだ漆黒の金属塊だ。

俺はそれに手をかざし、魔王としての圧倒的な演算能力を用いて、一気に形を練り上げていく。

 

目指すのは、極限まで無駄を削ぎ落とした、美しくもしなやかな関節を持つ球体関節人形のようなボディ。

戦闘に特化しつつも、妖精女王の従者にふさわしいスマートなフォルムだ。

ほんの数分で、俺の目の前には魔鋼だけで構成された、精巧な無機物の体が完成した。

 

「おお……! なんという造形美。これだけでも芸術品として国宝に指定できそうな代物ですぞ……」

 

ベスターが息を呑んで見入る。

 

「だが、こいつはあくまで『ただの器(ボディ)』だ。これに、俺がこれから最高に優秀な『中身』を喚び出して定着させる」

 

俺は魔鋼の人形の前に立ち、その周囲に複雑な魔法陣を描き始めた。

 

「ただし、名付けだけは過去の俺にお願いしなきゃいけないんだよな」

 

「名付け? 未来のアンタがやればいいじゃない」

 

不思議そうに首を傾げるラミリスに、俺は肩をすくめてみせた。

 

「俺は『未来の存在』だからな。今の歴史軸で新しい繋がり(魂の回廊)を作るなら、今のこの世界で主として根付いている『過去の俺』が名付け親になるのが一番確実で安全なんだよ。それに、あいつの魔素も丁度よく有り余ってるはずだしな」

 

俺はそう言って、すぐさま地上でユーラザニア使節団の対応にあたっている『過去の俺』へと思念伝達を繋いだ。

 

(おーい、過去の俺。今ユーラザニアの使節団の対応で忙しいと思うが、一瞬だけ抜け出せるか?)

 

(ん? ああ、ちょうど歓迎の宴の準備でアルビスたちには温泉に入ってもらってるところだから、俺が少し抜けてもバレないぜ。どうかしたのか?)

 

俺の呼びかけに、過去の俺から比較的余裕のある返事が返ってきた。

どうやら向こうの外交は順調に進んでいるらしい。

 

(実は今、地下の研究所でラミリスの魔装兵(エレメンタルコロッサス)をカイジンたちの魔導列車の研究素材としてもらうことになってな。その代わりとして、ラミリスに新たな助手を召喚してやる予定なんだが、それの『名付け』だけはお前にお願いしたいんだ)

 

(おっ、ラミリスの新しい守護者か! 名付けくらいならお安い御用だ。分かった、すぐ行くよ)

 

思念伝達が切れてから数秒後。

研究所の空間がふわりと歪み、空間転移でスライムの姿の過去の俺がポヨンと現れた。

 

「よっ! 呼ばれて飛び出てきたぜ!」

 

「おお、リムルの旦那! 使節団の対応はいいのか?」

 

「ああ、カイジン。使節団の皆さんには今、温泉で長旅の疲れを癒やしてもらってるからしばらくは平気だ。で、未来の俺、名付けをする相手っていうのはこれから喚び出すのか?」

 

過去の俺がスライムの体を揺らして、床に描かれた巨大な召喚陣と、その中央に鎮座する魔鋼の人形を見上げた。

 

「そうだ。これから喚び出すヤツは、お前の名付けによって相当優秀な働きをしてくれるようになるはずだからな。お前も気合を入れて名付けてやってくれ」

 

俺は過去の俺にウインクをして見せると、周囲の誰にも悟られないよう、自身の魂の奥底にいる相棒へと内密に指示を飛ばした。

 

(シエル。俺の歴史で『ベレッタ』になったあの悪魔……あいつの波長を辿って、ピンポイントでこの魔法陣に喚び出せるか?)

 

《問題ありません、マスター。ベレッタを呼び出す準備は既に完了しています。すぐにでもここへ導くことができます》

 

頼もしい相棒の完璧な返答を脳内で聞き届け、俺は完成した魔法陣に向けて膨大な魔素を注ぎ込み、召喚の詠唱を開始した。

 

「――供物は用意した。我が呼び声に応え、出でよ、悪魔!」

 

直後、地下研究所の空気が急激に冷え込み、魔法陣からどす黒い光の柱が立ち上がった。

圧倒的な魔力の奔流とともに、その光の中心から、恭しい態度で一柱の悪魔が姿を現す。

 

長い銀髪に、性別を感じさせない整った顔立ち。

黒い上着を纏った上位悪魔(グレーターデーモン)。

間違いなく、かつての俺の歴史でラミリスの絶対的な守護者として活躍した、あの悪魔だった。

 

「お呼びいただき、恐悦至極に存じます。大いなる魔王にして、美しき力を持つお方よ」

 

悪魔は優雅に跪き、俺を見上げて深く頭を下げた。

その洗練された所作と底知れぬ魔力の圧に、カイジンやベスターは息を呑んで後ずさり、ガビルも緊張で顔を引きつらせている。

 

「ほう。こいつはまた、ずいぶんと上位の悪魔が出てきたな」

 

過去の俺が体をポヨンと弾ませて興味深そうに観察している。

 

「だろ? こいつはお前に名付けをしてもらうために喚んだんだ」

 

「なるほどな。確かに魔力の質が高いし、名付け甲斐がありそうだ。……でも、俺が名付けちゃっていいのか? 未来のお前が喚び出したのに」

 

「ああ。前にも言った通り、今の歴史軸で新しい繋がり(魂の回廊)を作るなら、今のお前が名付けるのが一番確実だからな。それに、今のお前なら魔素はたっぷり有り余ってるだろ。……よし、お前にはこれから、この妖精女王ラミリスの『守護者』になってもらう。そして、そのための仮初の肉体として、そこの魔鋼のボディを使ってくれ」

 

俺が悪魔に命じると、悪魔はチラリと宙を飛ぶラミリスと、その横に鎮座する魔鋼の人形を一瞥し、そして酷く嬉しそうに微笑んだ。

 

「素晴らしい肉体……。しかも、依り代の創造主たる貴方様だけでなく、もう一柱の偉大なるお方から名を与えていただけるとは。この身に余る光栄、必ずや忠義をもって報いてみせましょう」

 

悪魔の恭しい態度に、過去の俺もようやく腹を括ったらしい。

ポヨンとスライムの体を弾ませて、跪く悪魔の前へと進み出た。

 

「ええと……それじゃあ、よろしく頼むな。お前の名前は――『ベレッタ』だ!」

 

過去の俺がその名を口にした瞬間、膨大な量の魔素が過去の俺の体から一気に抜け出し、悪魔へと流れ込んでいく。

光に包まれた悪魔は、ゆっくりと立ち上がり、用意されていた魔鋼のボディへと静かに溶け込んでいった。

 

漆黒の魔鋼が、まるで意思を持つスライムのように波打ち、悪魔の魂の形に合わせて劇的な変化を遂げていく。

 無骨だった球体関節は滑らかに繋がり、金属そのものが美しい衣服の形へと変質していく。

顔には感情を読み取らせない、芸術的な意匠の仮面が形成された。

 

魔鋼を触媒に受肉し、さらに『名付け』による莫大な魔素を得て進化した姿――上位魔将(アークデーモン)に匹敵する力を持った魔人にして、意思を持つ魔将人形(アークドール)の誕生である。

 

「……素晴らしい。この器、そして『ベレッタ』という名。我が魂に深く刻み込まれ、至高の力を得ることができました」

 

仮面の奥から響くのは、性別を感じさせない、鈴の音のように澄んだ美しい声だった。

ベレッタは再び優雅に跪き、俺と、名付け親である過去の俺に向かって恭しく頭を下げる。

 

「おおお……! なんという完成度、なんという美しさ! これもまた、精霊工学とは異なる究極の魔導造形……!」

 

ベスターが震える手で眼鏡を押し上げ、カイジンも腕を組んで唸り声を上げる。

 

「すげえ……。魔鋼が自ら形を変えて、悪魔の魔力と完全に融合しやがった。リムルの旦那、こいつはとんでもない傑作だぞ……!」

 

「ふふん、どうだラミリス。お前の魔装兵の代わりとしては、十分すぎるだろ?」

 

俺が自慢げに視線を向けると、ラミリスは目をキラキラと輝かせてベレッタの周りをブンブンと飛び回っていた。

 

「すごいすごいすごい!! すっごくカッコいい!! アンタ、今日からアタシの最高で最強の助っ人なんだからね!」

 

「ええ。御意のままに、ラミリス様。私を生み出してくださった二柱のリムル様より、貴女様を護り、支えるよう命を受けております。このベレッタ、粉骨砕身の覚悟でお仕えいたしましょう」

 

ベレッタが恭しくラミリスに頭を下げると、ラミリスは「えっへん!」とふんぞり返り、トレイニーも嬉しそうに微笑んだ。

 

「よし。ベレッタ、お前はしばらくここでラミリスの護衛兼、カイジンたちの研究の手伝いをしてやってくれ。力仕事でも精密な魔力操作でも、なんでも器用にこなせるはずだからな」

 

「承知いたしました、未来のリムル様。そして我が名付けの親たるリムル様。必ずやご期待に沿う働きをお見せいたしましょう」

 

「いやー、それにしても一気に魔素を持っていかれたな。やっぱり悪魔への名付けって疲れるぜ……」

 

過去の俺がスライムの体を少ししぼませながらぼやいているが、魔王に進化する前の体なら多少の魔素の消耗は仕方がない。

 

「悪いな、過去の俺。お前のおかげで、これで地下の研究所の人員と守備も完全に盤石になった。お前はそろそろ、地上のユーラザニア使節団の対応に戻ってくれ」

 

「おう! こっちのことはバッチリ任せておけ!」

 

過去の俺はポンと弾むと、再び『空間転移』を使って地上の宴の席へと戻っていった。

 

地下の空間から過去の俺の気配が完全に消えたのを確認すると、俺は目の前でラミリスの歓声に恭しく応えているベレッタに向けて、周囲のカイジンたちには気付かれないよう、密かに『思念伝達』を繋いだ。

 

(少し良いか、ベレッタ)

 

(ハッ。如何なさいましたか、未来のリムル様)

 

声に出さずとも、ベレッタからは即座に洗練された思念が返ってくる。

俺は少しだけ口角を吊り上げ、単刀直入に尋ねた。

 

(なに、ちょっとした好奇心だ。お前がいた悪魔界で……お前の系譜の長である『原初の黒(ノワール)』は元気にしてるか?)

 

俺のその問いに、ベレッタの仮面の奥で、微かに驚きの色が揺れたのが分かった。

 

(……これは。未来のリムル様は、私が黒の系譜に連なる者であることのみならず、あの御方のことまでご存知なのですね)

 

(ああ。あいつ、今頃どうしてるかと思ってな)

 

俺が尋ねると、ベレッタは心底呆れたような、それでいてどこか誇らしげな思念を返してきた。

 

(主は現在、地上にいらっしゃる過去のリムル様を熱心に観察されておられます。……そしてどうやら、その過程で『未来から来訪したもう一人のリムル様』という、貴方様の存在にもすでにお気づきになられたようでして)

 

(もう気付いてるのか?)

 

(ええ、それはもう酷く興奮されております。お二人のリムル様という不可解にして至高の謎を前に、悪魔界にいながらにして、かつてないほど底知れぬ笑い声を響かせる日々を送っておいでです。今すぐにでもこの物質界に顕現し、お二人の元へ馳せ参じたいとウズウズしているご様子で……)

 

それを聞いて、俺は思わず苦笑した。

俺の知る歴史よりもさらに興味を惹きつけてしまっているらしい。

 

(ははっ、相変わらずだな。俺の経験した歴史じゃあ……あいつが召喚に応じて、俺の配下になってもらったからな)

 

俺があっさりとそう告げると、思念伝達の向こう側で、ベレッタが驚く気配が伝わってきた。

無理もない。

 

「原初の悪魔」といえば、悪魔界において絶対的な力と権威を持つ最古の存在だ。

それが自ら誰かに仕えるなど、悪魔の常識からすれば天地がひっくり返るほどの異常事態なのだから。

 

(あの『黒の王』が、自ら何者かの軍門に降るなど……。いえ、未来のリムル様が放つその底知れぬ覇気と魔力、そして先ほどの完璧なる召喚術と受肉の業、何よりあの御方の異常なまでの興奮ぶりを思えば、それも痛いほどに頷けます)

 

(近いうちに、ファルムス戦の後のタイミングで、過去の俺が供物を使ってあいつを喚び出すことになるはずだ。いずれ顔を合わせることになるだろうから、その時はお前からもよろしく言ってやってくれ)

 

俺の言葉に、ベレッタは仮面を僅かに傾け、恭しく答えた。

 

(承知いたしました。……あの御方がこの地に顕現し、お二人のリムル様に仕える日を、私も黒の系譜の悪魔として心待ちにしております)

 

ベレッタとの内密なやり取りを終え、俺は思念伝達を静かに切った。

 

俺は、興奮冷めやらぬカイジンやベスター、そして新たな守護者を得てはしゃぐラミリスたちを地下の95階層に残し、確かな満足感とともに研究所を後にした。

 

 

 

 

それから数日の間、テンペストの地上ではユーラザニアからの使節団を歓待する行事が立て続けに行われていた。

 

三獣士である『黄蛇角』のアルビスや『白虎爪』のスフィアたちを主賓として迎えた歓迎の宴は、事前の打ち合わせ通り、過去の俺が見事に仕切ってくれた。

宴の席ではテンペストが誇る果実酒が振る舞われ、酒豪のアルビスたちもこれには大満足。

 

自慢の温泉や食事による手厚いもてなしによって、彼女たちの警戒心はすっかり解け、両国の親睦は想定以上に深まっていた。

 

結果として、獣王国ユーラザニアとの国交樹立は正式かつ極めて友好的な形で結ばれた。

これで、西側の人間社会に対する強烈な牽制となる『魔王カリオンの後ろ盾』という強力な外交カードを、確固たるものにすることができたわけだ。

 

その間、俺は表舞台でのやり取りを完全に過去の俺に任せ、水面下での調整に奔走していた。

迫るファルムス王国の侵攻に向けた各部隊の配置の最終確認や、西側諸国の商人たちの動向調査。

さらには、カイジンたちがこもりっきりになっている地下95階層の研究所にこっそり顔を出し、魔導列車の基礎設計に関する未来の知識を少しだけ補足してやったりもした。

 

そして、慌ただしくも充実した数日間はあっという間に過ぎ去り――

 

いよいよ、過去の俺の重要な大舞台、武装国家ドワルゴンへと出発する朝がやってきた。

 

その出発の直前、絶好のタイミングで、ユーラザニアへ使節団として赴いていたベニマルやリグルを筆頭とする一行が無事に帰還を果たした。

彼らからの報告により、カリオンとの間にも強固な信頼関係が築けたことが確認できた。

これでユーラザニアとの国交樹立は完全に成ったわけだ。

 

「忘れ物はないな? よし、全員揃っているな」

 

澄み渡る青空の下、テンペストの中央広場には、ガゼル王の元へ向かうための立派な馬車が用意されていた。

 

今回のドワルゴン訪問は、単なる同盟国への挨拶回りではない。

これから起こるファルムス王国の侵攻を見据え、西側諸国に向けて『テンペストという国の在り方』を決定づけ、強国ドワルゴンとの連携を世界にアピールするための極めて重要な外交戦だ。

 

当初は俺も影に潜んで同行しようかと考えていたのだが、直前になって予定を変更した。

カイジンたちがこもる地下95階層の研究所で、俺自身の手でどうしても『進めておきたい計画』ができたからだ。

それが何かは、まだアイツらにも伏せてあるがな。

 

そのため今回のドワルゴン行きは、俺の知る歴史通り、表の顔である『過去の俺』と、護衛のシオンとシュナ、そして馬車を引く役目を担うランガとゴブタ、ゴブゾウを含むゴブリン達という面々だけで向かってもらうことにした。

 

「留守中の町の防衛と、地下の施設群のことは頼んだぞ、ベニマル」

 

長旅から戻ったばかりのベニマルに、スライムの姿の過去の俺が声をかける。

 

「ハッ。お任せください、リムル様。例のファルムス軍の不穏な動きに対する哨戒も、抜かりなく行っております」

 

見送りに集まったリグルドやベニマルたちと、力強く頷き合う過去の俺。

表の顔である過去の俺が馬車の特等席に収まり、シオンやシュナといったお馴染みの面々がそれに続いて定位置についた。

馬車を引くランガも気合十分だ。

 

「それじゃあ、行ってくる!」

 

過去の俺の元気な号令とともに、馬車の車輪がゆっくりと回り始める。

 

見送る町民たちの歓声が響く中、俺はドワルゴンへ向かう一行の背中を頼もしく見送った。

そして、馬車の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、傍らで感動の涙を拭っているリグルドに声をかけた。

 

「リグルド。過去の俺が留守の間、俺は地下迷宮の専用の研究室に数日ほど籠るつもりだ。作業に集中したいから、基本的にはそっとしておいてくれ」

 

「ハッ! 承知いたしました、未来のリムル様。決して邪魔はさせませんぞ!」

 

「ああ。ただ……ファルムス軍の動向で緊急の事態が起きた時や、町に何か異常があった時は別だ。その時は遠慮せずにすぐ俺を呼んでくれ」

 

「御意! このリグルド、命に代えましても留守中のテンペストを平穏に保ち、何かあれば直ちにお知らせいたします!」

 

力強く胸を叩くリグルドに頷き返し、俺はすぐさま自身の『やりたいこと』を果たすべく、誰にも気付かれないよう『空間転移』を発動し、闘技場地下の95階層へと舞い戻った。

 

 

 

 

広大な地下研究所では、カイジンとベスター、そしてラミリスとベレッタが、早くも魔装兵(エレメンタルコロッサス)の解体と魔導列車の基礎理論の構築に熱中している。

彼らの邪魔にならないよう、俺は研究所のさらに奥、過去の俺と俺専用に隔離して作らせた特別区画へと足を踏み入れた。

 

何重もの隠蔽結界と防音結界を張り巡らせ、完全に外界から遮断された静寂の空間。

そこで俺は、空間収納の中に厳重に保管してあった「ある作りかけの物体」を取り出し、作業台の上に静かに置いた。

 

掌サイズの、精緻な彫金が施された円形状の魔導デバイス。

中心には俺を象徴する銀色のスライムの紋章が刻まれ、その周囲を三体の竜を模した意匠が囲んでいる。

 

(さて、シエル。あっちの歴史から持ってきた『宿題』の続きを始めようか)

 

《はい。マスターと私の『技術実証』の集大成。疑似天災兵装『カラミティ・レイド』の制作タスクを再開しましょう》

 

俺の脳内で、相棒であるシエルが嬉しそうに応答する。

 

疑似天災兵装『カラミティ・レイド』。

それは俺がいた未来の歴史――大戦が終結し、世界に平和が訪れた後に、俺の前世(三上悟)の記憶にある『特撮番組のヒーロー』への憧れを拗らせて、シエルと共に極秘裏に開発を進めていた究極の変身デバイスだ。

 

コンセプトは、「個の限界を超え、単体で【天災級(カタストロフ)】の権能を一時的に行使する」こと。

俺の持つ「竜種」の残滓エネルギーを擬似核として封入し、魔国連邦の最高峰の魔導科学技術を注ぎ込んで生み出される、超常の強化外骨格である。

 

「とはいえ……未来のテンペストにあった専用の魔導工作機械や、大がかりなエネルギー圧縮設備がこっちにはないからな。全部俺のスキルと手作業でやらなきゃならないのは骨が折れるぜ」

 

俺がぼやくと、シエルは淡々と事実を述べる。

 

《たしかにこの時代の設備環境は私たちのいた時代ほどではありません。しかし、マスターの能力と私の演算サポートがあれば、問題はありません》

 

「分かってるよ。時間はたっぷりあるからな。焦らずやっていこう」

 

俺は苦笑交じりに呟き、肩の力を抜いた。

 

「この時代にやってきてからはずっと、様々な出来事への準備や各所への裏工作で色々と忙しくて、こうして自分だけの趣味に没頭する時間なんてちっともなかったしな。良い息抜きになりそうだ」

 

俺の言葉に、シエルはどこか呆れたような、しかし優しい波動を返してくる。

 

「それに、俺自身が直接こいつを使うことはないだろうけど……まあ、完成させておけば、いざという時に便利だろうしな。」

 

《しかしマスター。これほどの武装を扱うとなると使用者にもそれ相応の実力が必要になります。

この時代のマスターの仲間達が使うにはあまりにも危険すぎる代物かと思われます》

 

「わかってる。流石に俺もこいつを誰かに託して常用させるつもりはないさ。あくまで趣味だよ。」

 

そうシエルに返しつつ、俺はふと、未来の時間軸でこの兵装の設計図を初めて引いた日のことを思い出した。

 

平和な日常を謳歌していたあの頃。

俺が執務室でこっそりと前世の特撮番組を思い出しながらデバイスのラフ画を描いていると、背後からヴェルドラがひょっこり顔を出してきたのだ。

 

『リムルよ、それはなんだ!? まさか……漫画で読んだヒーローになるための装具か!? ついに我らも、孤独に悪と戦う道を歩むのだな!』

 

『ちょっとちょっと! リムルばっかりズルい! アタシにもそのアイテム作ってよ! あと、デザインはもっと派手に、精霊の羽とかいっぱいつけたかっこいい姿になれるやつにして!』

 

どこからともなく飛んできたラミリスまで加わり、二人は俺の手元の設計図を見て大はしゃぎだった。

 

『お前らなぁ……これはあくまで俺の個人的な趣味の工作だ。それに、こいつの動力源には竜種の魔素の残滓を擬似核として使わせてもらう予定だから、お前自身は装備できないぞ』

 

俺が落ち着いた態度でそう告げると、ヴェルドラは落ち込むどころか、さらに目を輝かせた。

 

『なんと! 我の力が、ヒーローの動力炉となるのか!? ならば文句はない! 我の力を引き出す時は、最も熱く、そして最も派手な演出にするのだぞ! ゆくゆくは全竜種の力を統べる、究極の形態へと至るのだ!』

 

『うわーっ! 師匠かっこいい! ねえねえリムル、アタシの力も隠し技として内蔵してよ!』

 

大はしゃぎする二人に苦笑しつつ、俺はふと思いついたもう一つのアイデアを口にした。

 

『まあ、こいつが無事に完成すれば、色々とまたできることが増えるかもな』

 

『できること、だと?』

 

『ああ。例えば、この基礎技術を応用して出力を均一に抑えた量産型のデバイスを作れば……お互いに本来の魔素量や種族差に一切関係なく、純粋に「個々人の技量」だけで同じ土俵で戦う闘技会なんてのもできるかもしれない。誰でもヒーローになれる武闘大会ってわけだ』

 

俺がそう言うと、ヴェルドラとラミリスはピタリと動きを止め、それから信じられないほどの勢いで食いついてきた。

 

『クアハハハハ! 己のスキルや魔素の大小ではなく、技量と魂の熱さのみで頂点を決めるというのか! それは実に熱い展開ではないか!』

 

『やるやる! 絶対やる! アタシにもその量産型ベルト作ってよ! 装置の力なら、アタシだって闘技会のチャンピオンになれるかも!!』

 

そんな騒がしくも平和なやり取りを経て、俺とシエルの密かな趣味だった「疑似天災兵装」の開発は、いつしかテンペストの最高機密にして、俺たちのロマンと夢を詰め込んだ一大プロジェクトへと発展していったのだ。

 

(あの時のヴェルドラの奴、やけにノリノリでポーズの考案まで手伝おうとしてたっけな……。ラミリスに至っては、優勝賞品まで勝手に考え始めてたし)

 

かつての騒々しくも楽しい記憶を思い返し、俺は思わず小さく吹き出した。

そして、フッと口元を引き締め、作りかけだった『天災級の力』をこの時代で組み上げるべく、意識を鋭く研ぎ澄ませる。

 

俺は気合を入れ直し、作業台の上のデバイス――『災厄の核塊(カラミティ・コア)』へと両手をかざした。

 

まずは、ベースとなる素材の錬成だ。

亜空間から取り出した高純度の魔鋼に、俺自身の魔素を極限まで練り込み、さらに神話級(ゴッズ)の武具にも用いられる『神鉄(オリハルコン)』の成分を融合させていく。

これを分子レベルで再構築し、俺の【粘体(スライム)】の特性を付与した特殊合金『魔粘鋼(デモン・スライム・スチール)』へと昇華させる。

 

これが後に、コアから溢れ出し、装着者の全身を流動するように包み込む装甲の素材となるのだ。

 

「次は動力源だな。……ヴェルドラ、ヴェルグリンド、ヴェルザード。三柱の竜種の残滓エネルギーの抽出と、擬似核としての安定化」

 

俺の体内に内包されている竜種のエネルギー。

それをほんの僅かだけ切り離し、暴走しないように何重もの術式で縛り上げながら、カラミティ・コアの内部へと封印していく。

少しでも気を抜けば、圧縮された天災級のエネルギーが爆発し、この迷宮ごと吹き飛びかねない危険な作業だ。

額に仮想の汗を浮かべながら、俺はシエルの超絶演算によるサポートを頼りに、ミリ単位の魔力制御を続けていく。

 

《警告。ヴェルグリンド個体の熱エネルギーの反発が予測値を上回っています。拘束結界の強度を0.3%引き上げ、冷却術式を並行展開します》

 

「了解。……くそっ、やっぱり専用の調整機材なしで竜種のエネルギーをいじるのは神経使うな」

 

数時間……いや、体感的にはもっと長い時間が過ぎた頃だろうか。

ようやく三つの擬似核がコアの内部で安定した軌道を描き始め、静かな鼓動を打ち始めた。

 

「ふぅ……なんとか動力炉の基礎は定着したな。次は、こいつを制御するための頭脳の構築だ」

 

『論理演算人格:導標之理(ナビゲーター)』。

それは、シエルが自身の演算ロジックのごく一部を切り分け、独立させて作り上げる武装専用のサポート人格だ。

俺以外の者がこの武装を使用することを想定し、初めてコアを手に取った適合者に対し強制的に『思考加速』を発動させ、脳内に使用方法や戦術データを直接転送するためのシステムでもある。

 

《私のロジックをベースに、独立した擬似回路を形成。コアのシステムに定着させます。……完了しました》

 

定着完了の報告とともに、シエルがどこか解せないといった様子で疑問を投げかけてきた。

 

《……それにしても、マスター。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか》

 

「ん? どうした、設計に不備でもあったか?」

 

《いいえ。ですが、何故わざわざ起動時や各形態への移行時のシステム音声を、この世界には存在しない『英語』で発声させる仕様にしたのでしょうか。使用者が思念で内容を理解できるように自動翻訳する処理を挟むのは、システムとしてひどく無駄が多いかと存じますが》

 

シエルの至極真っ当なツッコミに対し、俺は少し胸を張って力強く答えた。

 

「そりゃあお前……変身時の音声は英語の方が圧倒的にかっこいいだろ」

 

《…………》

 

「……えっ。ちょっとシエルさん? なんで黙るの?」

 

俺が前世の日本人全開の『男のロマン』をドヤ顔で語ると、脳内の相棒からは、氷のように冷たく、ひたすらに呆れ返った沈黙だけが返ってきた。

 

「コ、コホン。ま、まあいいだろ、あくまで趣味で作ってるんだから無駄な演出機能くらい! よし。これで一応のハード面はあらかた形になってきたな」

 

俺は誤魔化すように咳払いをすると、作業台の上で青銀と黒銀の光沢を放つ『災厄の核塊』を手に取った。

まだ未完成とはいえ、ズシリとした重みと、内包された恐るべき力の波動が手のひらから伝わってくる。

 

「緊急自動防護機能の反応速度の調整や、各属性形態への相転移プロセスの最適化……まだまだやることは山積みだな」

 

俺は手元のデバイスを見つめながら、どこかワクワクしている自分を自覚していた。

かつての少年の頃の夢を、自身の持つ神がかった力で形にしていくこの作業は、どれだけ疲労しても不思議と楽しかった。

 

今頃は過去の俺がドワルゴンで歴史的な外交戦を繰り広げている頃だろう。

俺は静まり返った地下深くの特別区画で、迫り来る動乱に向けた『最高のロマン』の完成を目指し、黙々と気の遠くなるような作業を続けていった。

 

 

 

 

俺が地下の特別区画で、時間を忘れて『カラミティ・レイド』の制作という至福の趣味に没頭すること数日。

 

《……マスター。少年の心を忘れないのは大変素晴らしいことですが、そろそろアドバイザーとしての現実に戻る時間みたいですね。過去のマスターがまもなく帰還します》

 

脳内に響いたシエルからの、少し呆れたような、それでいてからかうような報告に、俺は苦笑して手元の作業を一旦止めた。

 

「おっ、もう帰ってきたか。……ふぅ、とりあえずコアの基礎回路の定着までは終わったし、キリがいいから今日のところはここまでにしておくか」

 

俺は作りかけのデバイスを再び厳重に虚数空間へと収納し、軽く凝り固まった肩を回した。

彼らが帰還したということは、武装国家ドワルゴンでのガゼル王との重要な会談――迫り来るファルムス戦に向けた『西側諸国への布石』を打つ外交が、無事に完了したということだ。

 

俺は誰にも気付かれないよう『空間転移』を発動し、一足先に地上の執務室へと転移した。

 

ほどなくして、テンペストの中央広場がにわかに活気づく気配が伝わってきた。

 

「リムル様がお戻りになられたぞ!」

 

リグルドの元気な声が響き、町民たちがわっと歓声を上げる。

執務室の窓からこっそり覗くと、立派な馬車を引いたランガが誇らしげに胸を張り、その背からスライム姿の過去の俺がポヨンと飛び降りるのが見えた。

 

続いて馬車の中から、ドワルゴンの最新の織物で仕立てられた美しい装いのシュナと、ビシッとしたスーツ姿のシオンが降りてくる。

二人とも、他国の王城での大役を立派に務め上げてきたという自信に満ちた、とても良い顔をしていた。

 

「いやー、長旅と連続の会談で肩が凝ったぜ……。でもまあ、これで大仕事は一つ片付いたな」 

 

過去の俺がスライムの体をぐでーっと伸ばしながら、出迎えたベニマルたちに労われている。

 

その様子を見届けた俺は、執務室の机で温かいお茶を二つ用意して、彼が報告に来るのを待った。

 

数分後。

 

「ふぅーっ、やっと一息つける……っておわっ!?」

 

執務室のドアを開けて入ってきた過去の俺が、ソファでくつろぐ俺の姿を見てビクッと震えた。

 

「おかえり、過去の俺。シュナとシオンも、大役ご苦労だったな」

 

俺が労いの言葉をかけると、過去の俺は人間の姿(銀髪の美少女風)へと変化し、ドサッと向かいのソファに深く腰を下ろした。

 

「ただいま。……ったく、いきなり執務室に先回りしてるとか心臓に悪いぜ。まあいいや、そっちのお茶、もらっていいか?」

 

「ああ、淹れたてだぞ」

 

湯気の立つティーカップを受け取り、過去の俺は「はぁ〜、生き返る……」と親父くさい溜息を吐いた。

 

「それで? ガゼル王との会談はどうだった。俺の知る歴史通り、きっちり釘を刺しつつ、同盟国としての確固たるアピールはできたか?」

 

俺が本題を切り出すと、過去の俺はカップをテーブルに置き、真剣な、しかし確かな手応えを感じさせる表情でコクリと頷いた。

 

「ああ。お前が言っていた通り、ガゼル王はきっちり俺の覚悟を試してきたよ。だけど、こっちも事前に方針を固めてたからな。一切ブレずに、テンペストの『王』としての矜持を見せてやったつもりだ」

 

過去の俺は、どこか誇らしげに、だが微かな疲労を滲ませながら語り始めた。

 

「演説の方も抜かりない。……『我々は人と魔物の共存を望むが、理不尽な暴力には屈しない。牙を剥く者には、それ相応の報いを受けさせる』って、世界に向けてきっちり宣言してきたぜ」

 

「……友好宣言でそんなことを言ったのか?」

 

俺は思わず目を丸くして、過去の俺の顔をまじまじと見つめた。

 

「ああ。俺たちの国を舐められないように、少し強気に出た方がいいって未来のお前も言ってただろ?」

 

「いや、確かに言ったけどさ……まあ、俺の時よりはいいかもな」

 

俺はそう言って俺なり賛辞を送りつつ、自身の苦い記憶を思い出して自嘲気味に笑った。

 

「俺の時は『実は私はスライムでして、最近誕生したばかりなのです。ドワルゴンのような共存共栄を理想とし、人と魔の橋渡しとなる国を築きたい。どうか魔物を恐れず、新たな友として受け入れて欲しい』――なんてバカ正直にへりくだった挨拶をして、後でガゼルに『王としての威厳が全くない』ってめちゃくちゃ怒られたんだぜ」

 

「うわぁ……それは確かに、強国を相手にする一国の主としてはちょっと下手に出すぎかもな」

 

過去の俺が少し呆れたように言うので、俺は肩をすくめた。

 

「だからこそ、お前がそこまで堂々と振る舞ってくれたのは本当に助かる。ガゼル王のお墨付きと、その演説での明確な意思表示。これでファルムス王国が攻め込んできた時、大義名分は完全にこちら側にある。西側諸国も、自ら手を出したファルムスを堂々と擁護することはできなくなるからな」

 

俺はソファから立ち上がり、執務室の窓辺へと歩み寄った。

ガラスの向こうには、活気に満ちたテンペストの町並みと、笑顔で行き交う魔物たちの平和な日常が広がっている。

 

「ユーラザニアとの国交樹立、そしてドワルゴンとの強固な同盟アピール。これで西側に対する『外交の盾』は完成した。……いよいよ、連中が動くぞ」

 

俺の言葉に、過去の俺の表情がスッと引き締まった。

 

「ファルムス王国の本隊約二万。それに、先遣隊としてこの町に潜入してくる異世界人の三人組と、西方聖教会の部隊……だな」

 

「ああ。本来の歴史なら、お前がイングラシア王国へシズさんの未練である子供たちを救いに行っている留守を狙って、連中は四方から結界を張り、この町を一方的な殺戮の舞台に変えた。……シオンたちをはじめとする、多くの仲間たちの命を奪ってな」

 

その凄惨な事実を口にした瞬間、背後で聞いていた過去の俺から、ひやりとするほどの冷たい覇気が漏れ出した。

 

「……そんな未来、絶対に起こさせない。俺の国で、俺の仲間に手を出したことを、連中の魂の底から後悔させてやる」

 

金色の瞳に静かな、しかし確かな怒りの炎を宿す過去の俺。

その頼もしい姿に、俺は口角を上げた。

 

だがその直後、過去の俺がふと目を瞬かせ、執務室の入り口付近へと視線を泳がせた。

彼の視界の隅に、憂いを帯びた悲しげな表情を浮かべる『シズさん』の姿が、ちらりと映り込んだのだ。

 

しかし、過去の俺がハッとしてその方向を振り返っても、そこには誰もいない。

ただ見慣れた静かな空間が広がっているだけだった。

 

「……ん? どうかしたか?」

 

虚空を見つめて僅かに表情を強張らせた過去の俺に、俺は静かに問いかけた。

 

「あ、いや……なんでもない。ちょっと疲れてるのかな、ただの気のせいだ」

 

過去の俺は誤魔化すように小さくかぶりを振り、カップのお茶で喉を潤そうとする。

 

そんな彼の様子を見て、俺は確信を持って鋭く指摘した。

 

「……悲しそうな顔をした、シズさんの幻覚が見えたんだろ?」

 

「えっ……!?」

 

図星を突かれた過去の俺は、目を見開いて言葉を詰まらせた。

 

「なんで、それを……」

 

「俺もこの時期に、全く同じものを見たことがあるからな」

 

俺は少し目を伏せ、かつての自分の記憶を思い起こすように語った。

 

「恐らく、俺たちが取り込んだシズさんの魂の残滓か何かが、お前に訴えかけてるんだよ。『子供たちを救ってくれ。手遅れになる前に』ってな」

 

俺の言葉に、過去の俺はハッとしたように、己の胸のあたりをギュッと握りしめた。

 

「……ああ。シズさんの心残りだった子供たち……あの子たちに残された時間は、もう長くないんだよな。絶対に見捨てるわけにはいかない」

 

俺はそんな過去の俺に向かって、力強く頷いてみせた。

 

「その意気だ。俺の知る歴史通り、数日後にお前はイングラシア王国へ向かうことになる。…正確に言えば俺の歴史よりは日付的にはタイミングが早いんだけどな。他の物事も早く動いているから整合性は取れるだろう。道中はブルムンド王国経由で向かうため、この町に滞在しているカバル、ギド、エレンの三人に案内を頼むんだ。それと、万が一に備えて護衛としてソウエイの『分身』を一体同行させ、お前の影の中にはランガを潜ませておけ。俺もそうしていたからな」

 

過去の俺は真剣な顔つきでコクリと頷いた。

 

「なるほど。表向きはあの三人に案内してもらいつつ、裏ではソウエイの分身とランガに護衛を任せるのか。それなら目立たないし、いざという時も安心だな」

 

「ああ。だが……今回は、俺の知る本来の歴史から一つだけ大きく変える点がある」

 

「変える点?」

 

不思議そうに首を傾げる過去の俺に、俺はニヤリと笑いかけた。

 

「俺も、お前と一緒にイングラシアまで同行させてもらう」

 

「えっ!? 未来の俺も来るのか? でも、テンペストの留守や防衛は……」

 

過去の俺が驚いて目を丸くする。

 

「心配するな。この町の防衛と、ファルムス軍への『最高のおもてなし』の準備は、俺の指示でベニマルたちにきっちり仕切らせてある。いざとなれば俺も空間転移ですぐに戻ってこられるしな。それに、イングラシアで俺自身が直接動きたい盤面もあるんだ」

 

俺がそう告げると、過去の俺は少し驚きつつも、ホッとしたように肩の力を抜いた。

 

「そっか。お前が一緒なら百人力だな」

 

「ああ。お前がイングラシアからの帰路につく時、お前の命を狙って現れる最強の刺客――『ヒナタ・サカグチ』への対策も含めて、戦力と手札は手厚くしておく必要があるからな。お前はただ、安心してシズさんの心残りだった子供たちを救うことに集中してくれ」

 

「未来の俺……」

 

過去の俺はふっと憑き物が落ちたように笑い、力強く頷いた。

 

「分かった。イングラシアの子供たちのことは絶対に何とかしてやる。道中のことはよろしく頼むぜ、相棒」

 

「ああ、任された」

 

俺たちは、互いの顔を見合わせてニヤリと笑い合った。

悲劇の運命を打ち砕き、人間社会からの悪意を完全に飲み込んで反撃に転じるための歯車が、ついにそのスピードを上げようとしていた。

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